デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.484-489(DK310075k) ページ画像

大正8年9月13日(1919年)

是日首相官邸ニ於テ当会ヲ財団法人トセンガ為メノ寄附金募集ニ関スル協議会開カレ、次イデ十月
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二十三日同ジク首相官邸ニ第二回協議会開カル。栄一両回トモ出席シ、発起人代表トシテ挨拶ス。


■資料

竜門雑誌 第三七七号・第五五頁 大正八年一〇月 ○協調会其後の経過(DK310075k-0001)
第31巻 p.485 ページ画像

竜門雑誌  第三七七号・第五五頁 大正八年一〇月
○協調会其後の経過 原首相は九月十三日夜、永田町首相官邸に於て協調会寄附金募集の件に関し、京浜間の実業家並に協調会発起人諸氏を招待して晩餐会を開催したるが、当夜主人側には原首相を始め、高橋・山本・床次・野田各相、発起人側には徳川公・清浦子・青淵先生及び外に添田地方局長出席し、大倉男・中島男・浅野総一郎・大橋新太郎・山下亀三郎・井上準之助・梶原仲治・原富三郎・団琢磨・茂木惣兵衛氏を始め、二十余名の諸氏来賓として来会し、先づ原首相より協調会の円満なる発達に極力尽瘁せられたき旨挨拶あり、次で青淵先生は発起人を代表して、大要左の如く述べられたりと云ふ。
 我国家内工業制度が大工場組織に進展するに従ひ、欧米の如き影響を受け労働者の精神上に変化を来すは否定すべからざる事実なり、従つて資本家並に労働者の中間に起つて労働争議を解決すべき協調会の如き機関は甚だ必要なる事なりとす、若し是等の機関にして存在せざらんか、労働問題が如何になり行くか逆睹しがたく、我国産業上甚だ憂慮に堪へざる次第なり、是等に鑑み種々講究の結果、玆に協調会を組織するに至りたるが、而も之を一時的のものたらしめず永続的のものたらしむる必要あり、是が為には協調会を財団法人と成さゞる可らず、而して此目的を達するが為には人物も必要なれども尚一層資金を必要とす、故に原首相を煩はして其第一歩として京浜間の資本家諸君に懇談し寄附を仰ぎたる上協調会の基礎を定め然る後追々全国各地の資本家に資金醵出を依頼する考へなり云々。
終つて食卓に移り午後九時散会せる由なるが、当夜即座に決定せる寄附金申込総額は三井・岩崎両家の各百万円、古河家の参拾万円、浅野山下両氏各弐拾万円、森村開作・高田釜吉両氏及南満洲鉄道会社の各拾万円、青淵先生・和田豊治氏の各五万円、大橋新太郎氏の参万円、郷誠之助男の弐万円等、合計十二口金参百拾五万円に達せりと。


東京朝日新聞 第一一九三六号 大正八年九月一四日 一夜の寄附金額が三百十五万円 昨夜協調会の晩餐会 財団法人とする第一歩に三井・岩崎が先づ百万円(DK310075k-0002)
第31巻 p.485-486 ページ画像

東京朝日新聞  第一一九三六号 大正八年九月一四日
  一夜の寄附金額が三百十五万円
    昨夜協調会の晩餐会
      財団法人とする第一歩に
      三井・岩崎が先づ百万円
十三日午後六時半から永田町の首相官邸で労資協調会の晩餐会が催された、出席者は首相を始め徳川総裁《(マヽ)》・渋沢副総裁《(マヽ)》・清浦子、政府側の高橋・山本・床次・野田の各相を初め、大倉・山下・古河・茂木等三十余名の京浜実業家で、席上原首相は本会の円満なる発達に極力努力を望むとの挨拶あり、之に対し徳川公は発企人を代表し、幸ひに政府の援助に依り本会の成れる上は、将来強固なる基礎の上に労資関係の円滑を期すとて、杯を挙げて前途を祝福した、終つて寄附金を募集し午後九時散会したが、渋沢副総裁は語る『時代は既に小工業から大工
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業に進み、且我国の現状は物心両界とも欧米の夫れに影響され、自然労資の関係も複雑になり、協調の必要を痛感して玆に本会が生れたのである、今後は全国各地の有力家とも協議し、有力な財団法人として愈々活動を開始するのであるが、夫には人と力――殊に金の力を最も必要とするので、政府の援助と共に各資本家からも寄附を仰ぐ事になり、今晩も晩餐後早速三井・岩崎から各百万円(五箇年賦)、古河氏から三十万円、浅野・山下両氏から何れも二十万円の申込みがあり、自分も五万円を出す事に決めた、其他列席の各氏から夫々相当の寄附申込があつて、直に三百十五万円の額が集まる事になつたのである、斯様な訳であるから、今後の成績も良いと思ふが、猶広く賛同して頂き度いのである』


集会日時通知表 大正八年(DK310075k-0003)
第31巻 p.486 ページ画像

集会日時通知表  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
拾月五日(日) 午後四時  協調会(燕尾服)(帝国ホテル)
   ○中略。
拾月十日(金) 午前十一時 酒井泰氏来約(協調会事務所)


竜門雑誌 第三七八号・第三九―四〇頁 大正八年一一月 ○首相官邸招待会(DK310075k-0004)
第31巻 p.486-487 ページ画像

竜門雑誌  第三七八号・第三九―四〇頁 大正八年一一月
○首相官邸招待会 原首相は十月二十三日午後六時より、永田町官邸に、東京・京都・大阪・神戸各地の実業家を招待して晩餐会を開き、協調会の件に付協議せられたる由にして、当日の出席者は左の諸氏なりしと云ふ。
△来賓
 服部金太郎     根津嘉一郎     堀越角次郎
 藤原銀次郎     鈴木三郎助     山本唯三郎
 神田鐳蔵      小池国三      若尾璋八
 岩崎清七      藤田謙一      門野重九郎
 諸井恒平      西脇済三郎     松方五郎
 太田清蔵      神戸挙一      山本悌二郎
 宮島清次郎     磯村豊太郎     南波礼吉
                     (以上東京)
 飯田新七                (京都)
 小池張造      山岡順太郎     阪仲輔
 菊池恭三      中田錦吾      島定次郎
 南郷三郎                (以上大阪)
 川崎芳太郎     岡崎藤吉      川添種一郎
                     (以上神戸)
△主人側
 原首相       高橋内閣書記官長  児玉秘書官
 山田秘書官     原秘書官
△陪賓
 床次内相      中橋文相      野田逓相
 高橋蔵相      阿部東京府知事   井上神奈川県知事
 馬淵京都府知事   宮尾愛知県知事   田尻東京市長
 - 第31巻 p.487 -ページ画像 
 安藤京都市長    鹿島神戸市長    並に各委員
△発起人側
 青淵先生      清浦子爵      大岡衆議院議長
 添田敬一郎     谷口留五郎     桑田熊蔵
 松岡均平      大橋新太郎     中島男爵
 団琢磨


東京朝日新聞 第一一九七六号 大正八年一〇月二四日 労資協調会創立協議 首相邸晩餐会(DK310075k-0005)
第31巻 p.487 ページ画像

東京朝日新聞  第一一九七六号 大正八年一〇月二四日
    労資協調会創立協議
      首相邸晩餐会
原首相は二十三日午後五時より永田町首相官邸に東京・横浜・大阪・京都・神戸・名古屋・九州等各地実業家約三十余名を招待し、第二回労資協調会創立協議晩餐会を開き、陪賓として床次・高橋・野田・中橋の四相、清浦子・渋沢男・中島男、大橋新太郎・団琢磨・大岡衆議院議長・添田敬一郎・谷口留五郎・桑田熊蔵・松岡均平の諸氏、並に阿部・馬淵・宮尾・井上の各府県知事、田尻・安藤・鹿島の各市長等主人側よりは原首相・高橋書記官長、児玉・原・山田の三秘書官にして、席上原首相及渋沢男より前回同様労資協調会設立の趣意に関しての挨拶あり、終つて寄附金醵出方に就き種々協議する所あり、八時散会せり、出席者左の如し
 服部金太郎・根津嘉一郎・堀越角次郎・藤原銀次郎・鈴木三郎助・山本唯三郎・神田鐳蔵・小池国三・若尾璋八・岩崎清七・藤田謙一門野重九郎・諸井恒平・西脇済三郎・松方五郎・太田清蔵・神戸挙一・山本悌二郎・宮島清次郎・磯村豊太郎・南波礼吉(以上東京側)飯田清七(以上京都側)小池張蔵・山岡順太郎・坂仲輔・菊池恭三・中田錦吉・島安次郎・南郷三郎(以上大阪側)川崎芳太郎・岡崎藤吉・川添種一郎(以上神戸側)
    寄附新申込者
協調会に対する寄附金は、九月十三日首相官邸に於ける第一回の勧誘に於て三井・三菱の各百万円を初めとし、総額三百十五万円に達せしが、二十三日夜第二回の勧誘に於て即座に寄附を申込めるもの、及第一回の寄附申込以後別に申出でたるもの左記の如く百三十三万円にして、之にて総計四百四十八万円となれり
 卅万円宛日本郵船須田利信・神戸鈴木商店△七万円日本銀行井上準之助△五万円宛横浜正金梶原仲治・宝田石油橋本圭三郎・日本石油内藤久寛△三万円宛勧業銀行志村源太郎・東洋拓殖石塚英蔵△二万円宛興業銀行土方久徴・十五銀行松方巌(以上第一回以後申込)△五万円宛東京電灯神戸挙一・王子製紙藤原銀次郎・台湾製糖山本悌二郎・北海道製鉄磯村豊太郎△三万円宛神戸鐳蔵・山本唯三郎・小池国三△二万円宛松方五郎・岡崎藤吉・若尾璋八・団琢磨、一万円宛藤田謙一・諸井恒平・岩崎清七・宮島清次郎(以上廿三日夜申込)合計百三十三万円


竜門雑誌 第三七八号・第四〇頁 大正八年一一月 ○労資協調に就て(DK310075k-0006)
第31巻 p.487-488 ページ画像

竜門雑誌  第三七八号・第四〇頁 大正八年一一月
 - 第31巻 p.488 -ページ画像 
○労資協調に就て 青淵先生には本月初旬微恙ありて引籠中、東洋新報記者の訪問に接し、労資協調会の事業に付て語られたる談話の要領は、左の如くなりと報ぜられる。
 労資協調会の方ですが、夫れは未だ全く事務を進むるに至りませぬが、大体は已に人選も終りまして、着々と歩を進めて居ます、私は今日の労働問題を以て、或方面では直に社会救済事業即ち労働者の失業問題などと混同して居るのを見て、甚だ意を得ぬ事と想つて居ます、労働問題の解決を労働者の救済と同一視するのは、資本家が矢張今までの思想に因はれた因襲的観念から来て居るので、今日の問題は労働者と資本家とを社会生産界の二要素とし、対等の地位に置いて其調節を研究せねばならぬので、申すまでもなく此二つの要素は、恰かも陰陽相和して物を生ずるが如き関係に立つものなれば此二者をして遺憾なく能率を発揮せしむること、此利益は両者公平に分配すること、此二問題に帰結することゝ想ひます、扨其分配の分界線はといへば、私は未だ之れといふ成案は持たぬが、必ずや自然に分るべき限界線があることゝ信じて居ます云々。


竜門雑誌 第三七九号・第五〇頁 大正八年一二月 ○協調会の計画(DK310075k-0007)
第31巻 p.488 ページ画像

竜門雑誌  第三七九号・第五〇頁 大正八年一二月
○協調会の計画 協調会にては十一月十一日夜添田地方局長、谷口・松岡・桑田の三理事会合し、種々協議の結果、現在の事務所を日本橋区博文館の旧館に移すことゝなり、尚ほ同会の基本金一千万円中募集残額四百四十万円に対しては、各府県知事に向け、夫々募集方を委嘱し、基本金全部募集済の上は財団法人と為し、利子五十万円を以て事業に着手する計画なりといふ。


竜門雑誌 第三八一号・第二七―三〇頁 大正九年二月 ○労資協調会設立趣意及其経過(青淵先生)(DK310075k-0008)
第31巻 p.488-489 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第二七―三〇頁 大正九年二月
    ○労資協調会設立趣意及其経過 (青淵先生)
 本篇は、東京経済学協会に於て昨年十二月例会を開かれたる際、同会の懇嘱に依り、青淵先生の講演に係り、本年一月の「東京経済雑誌」上に掲載せるものなり。(編者識)
○中略
 我国に於ても亦英米諸国の如く、政府をして労働組合の設立を許容せしめ、其適当なる施設を急務とする。余の曩に政府の諮問に対し、種々進言する所ありたるが、余の目的は、労資の協調に対する一種中間介在的の団体を組織せんとするにある。始め余は完全の組合を組織せんとて、昨冬以来議を進め、研究を累ねたが、其結果は労資協調会設立と決した次第である。由来、労働者動々もすれば軽挙妄動に流れ易く、徒らに血気に逸りて大事を誤まるの虞れがある。少なくとも脱線的行動に陥り易い。故に慎重の態度を肝要とする。而して労働者と資本家との間に於ける分界点を、如何にして発見すべきかは重要事項である。此分界点が、何うにかして発見せられなければならぬ。夫れには会に信用が増せば、労資双方から相当の信頼を受くるであらう。労働者たとへ温情主義を一種の胡摩化しと嘲ると雖も、事実に基きて道理に訴へて、慰撫抑制することは敢て不可能でなからう。斯の如く
 - 第31巻 p.489 -ページ画像 
するには、会に物質上の実力を備へねば一般人士の信用を贏得ない。殊に労働者に対し、職業紹介をなし、又団体補助を行ひ、労働保険に関して力を尽すなど、相当の資力を要する。是等事項を完全に遂行すべく、労資両者間に於ける中間勢力出現は、刻下の急務である。之れには政府からの補助もある筈にて、又神戸・大阪方面からの有志の寄付約六百二十万円に達し、最近余が京・阪・神・名古屋地方巡遊に際しても一百万円の寄付金を得た。此団体は寄付を一纏めにしてから、愈々財団法人の成立を見る都合で、八月以来着手、本年中に申請認可を得る予定である。其上は会長・役員も決定する運びとならうが、何れ各会社及工場に立ち入りて、世話をなす積りで、労資の分水嶺の発見の為に、欧米の実例も充分調査する。政府も相当援助をして呉れる筈。米国から帰る人達も、之れにつき多少の知識を備へて居る筈だから、其尽力を依頼することゝなるであらう。尚又本会役員につき一言せんに、評議員百乃至百五十名を選出し、其内から会長・副会長を選び、又理事(事務を処理す)を設く。評議員中から常議員三十名を選出する。事業は役員の議で決定して着々遂行する。徳川公・清浦子・大岡氏は会長か副会長に、専務理事三名には、桑田熊蔵・松岡均平・谷口留五郎の諸氏と内定して居る。大体の方針前述の如くなるが、実績の如何は未だ予測の限りでない。諸君より充分の注意を与へられたい。



〔参考〕青淵回顧録 渋沢栄一述 下巻・第一五七六―一五七七頁 昭和二年一二月再版刊(DK310075k-0009)
第31巻 p.489 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。