デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.534-537(DK310089k) ページ画像

大正11年6月1日(1922年)

是日、当会経営ニカカル善隣館開館式挙行セラレ、栄一之ニ出席ス。尚栄一、当会ノ為メ尽力スル所多シ。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK310089k-0001)
第31巻 p.534 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
弐月弐日(木)  午後五時 添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
参月十八日(土) 午前九時 添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
六月一日(木)  午後一時 協調会善隣館開館式(深川猿江裏三三五《(マヽ)》)


協調会事業一斑 協調会編 第一三一―一三二頁 大正一二年六月刊(DK310089k-0002)
第31巻 p.534-535 ページ画像

協調会事業一斑 協調会編  第一三一―一三二頁 大正一二年六月刊
    七、施設経営
○上略
(八)善隣館の経営
 隣保相愛の精神を以て附近住民の生活を善導し、風教を振興し、共に文化生活の向上を図り、社会改善の実蹟を挙ぐるは隣保事業の目的
 - 第31巻 p.535 -ページ画像 
とする所にあるが、本会は適当の地区に此事業を経営して協調主義の真義を体現し、且此機関を通じて労働者生活の実情・心理状態等を察知し、併せて、其教化修養の方案に関する研究を行ふの必要あるを認め、大正十年七月、東京市内に於て比較的小工場多く職工・労働者其他細民の居住密なる深川区猿江裏町に、敷地三百坪を求め、工費四万円を投じて善隣館を建築し、大正十一年三月工を竣へ、同年六月一日開館式を挙行し、隣保相愛の基調と教化的・研究的の態度の下に事に当るに至つた。而して其施設につきては小より大に、近より遠に及ぶの方途に出で、先づ同年五月幼稚園を開設して附近の幼児三十五名を収容し、特に身体の発達に留意して其稟賦を啓発し、以て家庭教育を補ひ且其の連絡を謀り、同年九月夜学部を設けて附近の工場・商店等に於ける徒弟・職工其他にして業務の余暇修学の志あるものをして、其生活に必須なる智識・技能を習得し、公民たる徳操を涵養せしめんことを期し、学科は普通科目及工業関係学科の外、公民心得及文化史を加へて、健全なる市民たるべき修養自覚を促し、且科目制度に依て学歴及家庭の事情に応じ任意選択研鑽するを得しめ、以て適切なる教育の効果を収めんことを期し、かくて是等の幼児及青少年等を中心として、漸次母の会・父兄会に及び、又児童遊園・青少年少女倶楽部・婦人倶楽部等を組織して其指導に努め、大正十二年三月実費診療部を開設し、家庭訪問・通俗講演・人事相談、其他の施設逐次緒に就き、近隣との接触融和次第に見るべきものあるに至つた。大正十二年三月には幼稚園修了生十六名を出し、現に園児三十五名、夜学部生徒四十名、各種倶楽部員七十名に及んで居る。


善隣館施設概要 協調会教務課編 第一―五丁 昭和二年七月刊(DK310089k-0003)
第31巻 p.535-537 ページ画像

善隣館施設概要 協調会教務課編  第一―五丁 昭和二年七月刊
    一、目的及沿革
隣保相愛の精神は、社会組織の根底であつて、隣人互に相扶け、相重んじ、共に向上する所に、真の社会平和と幸福とが実現せらるゝのである。隣保事業は、即ち此の観念に基き、教養あるものが、自ら附近地域の人々の善良なる隣人として、其の親切なる相談相手となり、指導者ともなり、平等の見地に立ちて、共に文化生活の向上を図り、社会改善の実績を挙げ、市民として、社会人として、国民として、国際人として、充分の自覚を以て、意義ある生涯を送らんことを目的とするものである。
本会は此の趣旨に基き、隣保事業の施設及研究を行ひ、且其の普及改善を図らんが為めに、率先して其の経営を行はんとし、東京市内に於て、比較的小工場密集し、職工・労働者其の他各種の困窮せる居住者最も多き、深川区猿江裏町に地を相し、敷地三百十二坪を求め、大正十一年三月本館木造二階建百七十六坪二合五勺及附属建物の建築を竣へ、之を善隣館と名づけて、同年六月一日開館した。
爾来竜定一氏を館長として、各種の事業を行ひ、着々実績を挙げつゝあつたのであるが、不幸にして大正十二年九月一日大震火災の為め、建物其他一切烏有に帰したので、同年九月二十五日該焼跡にバラツク二棟百七十六坪を急造し、附近罹災者の収容保護をなすと同時に、震
 - 第31巻 p.536 -ページ画像 
災後特に緊切なる施設を為して居つたのであるが、其の後政府より託児所の経営を委託せられたるを以て、之を本館の附属事業として施設することゝなり、本村町宮内省材料置場の一部を借受け、政府の補助を得て建物を建築し、善隣館児童園と称して、大正十三年四月三日開園、引続き之が経営をも併せ行つた。然るに竜館長は同年八月退職せられたので、協調会参事鈴木誠治氏が館長に兼任した。尚震災に際しては特に 思召を以て、御内帑金壱千円を下賜せられ、政府より事業復旧費金四万円を交附せられた。
又大正十四年五月九日に協調会亀戸簡易宿泊所新生館類焼のため、協調会に於て受領したる火災保険金中火災善後処分費を控除したる残金四万九千五百円を以て、善隣館労働教育部新設費に充当する事とし、土地区劃整理地域の確定を竣て、復旧工事に着手する予定であつたが財団法人同潤会に於て、同館隣接地に細民住宅を建設する関係上、同会に於て右住宅及該地方細民の保健並教化上、隣保事業経営の計画ある趣を以て交渉に接し、東京府知事の認可を得て、昭和二年五月三十一日託児所を除き、善隣館敷地及建物一切を同会に譲渡した。
尚震災直後の緊急社会施設のため、政府の委託により、善隣館附属事業として託児所を設け、善隣館児童園と称し、深川区本村町宮内省用地の一部を借受け、園舎を建築して大正十三年六月三日より事業を開始したるが、土地区劃整理の関係上廃止の已むなきに至り、昭和二年七月三十日之を閉鎖することになつた。
○中略
    四、諸規程
      善隣館規定
第一条 本館ハ善隣館ト称シ、財団法人協調会之ヲ経営ス
第二条 本館ハ東京市深川区猿江裏町二百三十五番地ノ三ニ設置ス
第三条 本館ハ隣保事業ノ施設及研究ヲ以テ目的トス
第四条 本館ノ事業左ノ如シ
  幼稚園
  夜学校
  講習及講演
  図書館
  診療
  人事相談
  家庭訪問
  倶楽部
  娯楽施設
  諸集会
  其ノ他必要ト認ムル事項
第五条 本館ニ左ノ職員ヲ置ク
  館長
  主事 二名
  保姆 若干名
  書記 若干名
 - 第31巻 p.537 -ページ画像 
  館長ハ館務ヲ掌理ス
  主事ハ館長ノ命ヲ受ケ館務ニ従事ス
  保姆ハ上職ノ指揮ヲ受ケ保育ニ従事ス
  書記ハ上職ノ命ヲ受ケ庶務ニ従事ス


倉島武談話筆記 昭和一二年二月二四日(DK310089k-0004)
第31巻 p.537 ページ画像

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集会日時通知表 大正一一年(DK310089k-0005)
第31巻 p.537 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年      (渋沢子爵家所蔵)
 七月十一日(火) 午后三時  添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
 七月廿弐日(土) 午后四時  協調会関係農業問題ノ件(日本クラブ)
   ○中略。
 七月卅一日(月) 午后参時  添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
 八月四日(金)  午前十一時 協調会催農村問題懇談会(銀行集会所)
   ○中略。
 八月十九日(土) 午前十時  添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
 九月五日(火)  午后参時半 添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
 九月九日(土)  午後六時半 協調会主催エデイ博士招待会(ホテル)
   ○中略。
 九月十二日(火) 午後参時  添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
 十月十八日(水) 午后五時半 添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
十一月十一日(土) 午前九時  添田敬一郎氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
十二月五日(火)  午前十一時 添田敬一郎氏来約(兜町)
   ○中略。
十二月廿一日(水) 午前八時  協調会庶務課来約(飛鳥山邸)
          午后二時  協調会ヘ御出向
   ○中略。
十二月廿八日(木) 午前十一時 添田敬一郎氏来約(兜町)