デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
4款 労働問題ニ対スル栄一ノ意見
■綱文

第31巻 p.605-662(DK310102k) ページ画像

大正6年6月18日(1917年)

是ヨリ先明治四十五年、栄一、ソノ著書「青淵百話」中ニ「当来の労働問題」ト題シテ労働問題ニ対スル意見ヲ発表、更ニ是日、竜門社評議員会談話会ニ於テ、労資協調問題ニ就テノ談話ヲナス。爾後屡々之ニ就テノ意見ヲ諸会合ノ席上又ハ雑誌新聞紙等ニ発表ス。


■資料

青淵百話 渋沢栄一著 乾・第二七七―二八五頁 明治四五年七月四版刊(DK310102k-0001)
第31巻 p.605-608 ページ画像

青淵百話 渋沢栄一著  乾・第二七七―二八五頁 明治四五年七月四版刊
    三七 当来の労働問題
 日本の商工業というても、維新以前までは、未だ幼稚なものであつた。其の頃の商業といへば小売商、工業といへば手内職に過ぎぬ程のもので、一国の経済機関は極めて単純であつたから、富の程度も比較的平均を保つて、著しい貧民もなかつた代り、財貨一世を圧するといふが如き富豪も亦出来なかつた。所が維新以降世運の向上進歩するに伴ひ、国家の経済組織も自ら複雑を加へ、商業にまれ、工業にまれ、大資本を投じて雄大なる計画を為すべき時代に推移して来た。従つて過去に平均を保つて居た富の分配も、それに連れて動揺を生じ、一方に巨万の富を擁する富豪が輩出すると、亦一方にはそれと正反対に、身外無一物の貧民を出すに至つた。これ要するに生存競争の結果であつて、世が文明に進めば進む程、貧富の懸隔に愈々等差を生ずるは、蓋し数の免れ難き所である。
 併し貧富の懸隔を生ずるといふだけならまだしもであるが、其の結果は貧民と富豪、即ち労働者と資本家との間柄が自ら円滑を欠くに至り、反目衝突の極、遂に社会の秩序を紊し、国家の安寧を害するが如きことあるに至るは、欧米先進国に於て往々見る所の実例である。これ真に貧富懸隔に伴ふ悪果であるが、欧米の学者・政治家は早くよりこれが救済に就いて頭脳を痛め、何とかして両者の間を調和し、其の関係を円満ならしめ度いとは、彼等が居常忘るゝ能はざる研究題目である。幸にして我が国は泰西文明輸入の年月が短いのと、一般の風習に差異あるとによりて、未だ欧米の如く労働問題が切迫して居らないから、今日のまゝに打ち棄て置けば置かれぬといふ程でもなからうが欧米の先蹤に傚へば、早晩左様いふ時代も見舞うて来るに相違ないとの観察が下される。果して然らば我が国の現在の如く、未だ険悪の性質を帯びない中に、これを未発に防ぐだけの用心が肝腎であらう。嚮に我が国の学者間に『社会政策学会』など云へるものが設立せられ、それ等に関する研究を試みんとせられた。誠に機宜を得たるものといふべく、余も亦大に其の趣旨に賛同するものである。
 けれども斯かる社会問題などは、其の性質上得て行違ひの生じ易い
 - 第31巻 p.606 -ページ画像 
もので、彼等を煽動する気はなくとも、動もすれば、彼等は其の唱道する所の趣意を誤解し、又は曲解して、遂には不慮の間違を惹起するやうなことが無いとも謂はれない。試に其の一例を挙ぐれば、彼の日露戦役講和の際に発作せる日比谷事件の如き、必ずしも社会主義者や労働者の暴動といふ意味のものでは無かつたけれども、講和条件の不満足に憤激したる少数人士の或る行動が動機となつて、帝都にあるまじき不体裁の有様を演出するやうになつて仕舞つた。これを冷静に考ふれば、彼の事件に関係した人々とて、最初から左程に無法の挙に出でようとの下心があつた訳でもなかるべく、又無法の挙に出でたからとて、何等の裨益する所のないのは承知して居たであらうに、人気の発作といふものは不可思議の力を有するもので、一旦爆発すればそれが那辺まで行き走るか知れない。遂にあんな騒動を惹き起すに至つたのは、呉々も遺憾千万のことである。兎角に人の気は勢に乗じ易いもので、多人数群居集合すれば、其処に自らなる過激の挙動を生じて来るものである。されば誰とは無く、唯ざわざわと騒ぎ立つ一団の気勢に乗せられて、我と我が思慮分別を失ひ、その行動に定規を逸して、心にもない結果に立ち至る様になる。斯の如きことは、相当なる学問見識を有する人々にすら免れざる勢であるから、況や感情の奔馳する識見卑き労働者の如きは、勢に乗せられて、自己を没却するの行動に出づることあるは、寧ろ無理なき次第であらうと思ふ。故に彼等を主題としたる社会問題・労働問題を論議する学者・政治家は、深く斯かる点に注意する所ありて、須く慎重の態度に出でられんことを切望するものである。
 近時政府当局者も社会問題・労働問題等につきて、大に自覚する所があつたものと見え、労働者保護の名の下に『工場法』を制定するに至つた。抑々工場法制定の必要を唱道せられたのは、日本に紡績業の始めて起つた当時のことであつた。其の頃の社会一般の情態に徴して余は其の当時それに対して尚早説を唱へたのであつたが、今日になつて見れば、余は最早其の制定に反対するものではない。唯恐るゝ所は労働者保護といふ美名の下に、却て後日に幾多の禍根を残すに至りはしまいかとの懸念である。例へば従来は比較的円満であつた労働者と資本家との関係を、工場法の制定に因つて乖離せしむるやうなことはあるまいか。また年齢に制限を加へるとか、労働時間の一定の規定を設けるとか云ふやうなことは、却て労働者の心に反くものではあるまいか。如何となれば彼等は小供にも働かせ、自分も出来るだけ長時間働いて、沢山の賃銭を得度いとの趣意であるが、若し小供は工場に用ひぬとか、時間も一定の制限があるとかいふことになれば、彼等の目的は全く外れて仕舞ふやうになるからである。また同じ工場法の中に衛生設備に就いて中々六ケ敷くいうてある様であるが、これも一見立派のやうに聞えるが、其の実内容の伴はぬものではあるまいか。なぜならば、衛生設備を八釜しくいふのは、即ち職工等の衛生を重んずるからのことであるに相違ないとしても、それが為め資本家側は少からざる経費を特に支出して、其の設備を完全にしなくてはならぬ。経費が嵩めば、其の結果職工の賃銭を引下ぐる様にしなければ収支相償は
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ない。それでは折角労働者の保護を名としても、実質は之に伴はぬものとなつて仕舞ふではないか。一方労働者等が自家に於ける生活状態を見るに、十人が十人衛生設備の完全な家屋に住居しては居らない。彼等に取つては、少し位衛生設備に欠くる点はあつても、成る可く労働賃銭の多からんことを希望して居るのであるのに、徒らに衛生設備ばかり際立つ程行き届いても、命と頼む賃銭が却て減却されては、彼等は寧ろそれをより大なる苦痛と心得るであらう。斯かる次第であるから、労働者保護てふ美名の下に制定された工場法も、其の実際に於ては、却て労働者を泣かす結果を来さねばよいがと、頗る寒心に堪へぬのである。
 惟ふに社会問題とか、労働問題等の如きは、単に法律の力ばかりを以て解決されるものでない。例へば一家族内にても、父子兄弟眷族に至るまで各々権利義務を主張して、一も二も法の裁断を仰がんとすれば、人情は自ら険悪となり、障壁は其の間に築かれて、事毎に角突合ひの沙汰のみを演じ、一家の和合団欒は、殆ど望まれぬことゝなるであらう。余は富豪と貧民との関係も、亦それと等しいものがあらうと思ふ。彼の資本家と労働者との間は、従来家族的関係を以て成立して来たものであつたが、俄に法を制定してこれのみを以て取締らうとする様にしたのは、一応尤なる思立ちではあらうけれども、これが実施の結果、果して当局者の理想通りにゆくであらうか。多年の関係に因つて、資本家と労働者との間に折角結ばれた所の言ふに言はれぬ一種の情愛も、法を設けて、両者の権利義務を明かに主張するやうになれば、勢ひ疎隔さるゝに至りはすまいか。それでは為政者側が骨折つた甲斐もなく、又目的に反する次第であらうから、此処は一番深く研究しなければならぬ所であらうと思ふ。
 試に余の希望を述ぶれば、法の制定は固よりよいが、法が制定されて居るからというて、一も二もなくそれに裁断を仰ぐといふことは、成る可くせぬ様に仕度い。若し夫れ富豪も貧民も王道を以て立ち、王道は即ち人間行為の定規であるとの考を以て世に処するならば、百の法文、千の規則あるよりも遥に勝つたことゝ思ふ。換言すれば資本家は王道を以て労働者に対し、労働者も亦王道を以て資本家に対し、其の関係しつゝある事業の利害得失は即ち両者に共通なる所以を悟り、相互に同情を以て終始するの心掛ありてこそ、始めて真の調和を得らるゝのである。果して両者が斯うなつて仕舞へば、権利義務の観念の如きは、徒らに両者の感情を疎隔せしむる外、殆ど何等の効果なきものと言うて宜からう。余が往年欧米漫遊の際実見した独逸のクルップ会社の如き、又米国ボストン付近のウォルサム時計会社の如き、其の組織が極めて家族的であつて、両者の間に和気靄然たるを見て、頗る歎称を禁じ得なかつた。これぞ余が所謂王道の円熟したもので、斯うなれば法の制定をして幸に空文に終らしむるのである。果して斯の如くなるを得ば、労働問題も何等意に介するに足らぬではないか。
 然るに社会には、此等の点に深い注意も払はず、漫りに貧富の懸隔を強制的に引直さむと希ふ者が無いでもない。けれども、貧富の懸隔は其の程度に於てこそ相違はあれ、何時の世、如何なる時代にも必ず
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存在しないといふ訳にはゆかぬものである。勿論国民の全部が悉く富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があつて、誰も彼も一様に富まんとするが如きは望むべからざる所従つて富の分配平均抔とは思ひも寄らぬ空想である。要するに富む者が有るから貧者が出るといふ様な論旨の下に、世人が挙つて富者を排擠するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は則ち国家の富である。個人が富まんと欲するに非ずして、如何でか国家の富を得べく、国家を富まして自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が日夜勉励するのである。其の結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成行きであつて、人間社会に免る可からざる約束と見て諦めるより外仕方がない。とはいへ、常に其の間の関係を円満ならしめ、両者の調和を計ることに意を用ふることは、識者の一日も欠く可らざる覚悟である。之を自然の成行き、人間社会の約束だからと、其の成る儘に打ち棄て置くならば、遂に由々しき大事を惹起するに至るは、亦必然の結果である。故に禍を未萌に防ぐの手段に出で、宜しく王道の振興に、意を致されんことを切望する次第である。(明治四十四年の春)
   ○右ハ「青淵百話」ノ編者同文館井口正之ノ需ニ応ジテ、特ニ栄一ガ述ベタルモノノ如シ。同書凡例中ニ「書中収載の談話の多くは、編者が筆記して更に先生の斧正を仰いだものであるが……」トアリ。且明治四十四年一月二十九日ノ栄一ノ日記ニ「同文館江口氏来訪《(井カ)》ス」トノ記事アリ。右「当来の労働問題百話」末尾ニ(明治四十四年の春)トアルモノト関連アルカ如シ。


竜門雑誌 第三五〇号・第八三―九五頁 大正六年七月 ○本社評議員会談話会(DK310102k-0002)
第31巻 p.608-609 ページ画像

竜門雑誌  第三五〇号・第八三―九五頁 大正六年七月
    ○本社評議員会談話会
 六月十八日午後五時より帝国ホテルに於て本社評議員会を開きたる次第は雑報欄記載の如くなるが、当夜議事決了後開催せる談話会の要領左の如し
○中略
     青淵先生談話要領
○中略
      資本と労働との問題
 夫れから今一つお話したいと思ふのは、私が実業界を引いた後の仕事は寿命の続く限り精神界に尽さうと云ふ積り、夫れには一の方針がなければならぬ。所謂理想がなければならぬ。仁義道徳と生産殖利と一致させたい、論語算盤主義を事実に現はれるやうにしたいと云ふのが私が年来の希望で、之を老後の務として遣る積りである。夫れから今一つは資本と労働との関係を懸念して居る。是れから先きドウ云ふ変化を起すか、追々工業が盛んになればなるほど労働を要する、労働を要する程、其の間に面倒が生ずると謂はざるを得ない。其の初め私共は工場法は尚まだ早いと云つて、尚早論を唱へたものだ。併し両三年前生産調査に其の問題の出た時分には、何時までも尚ほ早いと許り言つても居られまいと云つて、工場法の実施尚早論を取下げて、同意をして多少の修正を加へて復命したが、夫れが直ちに成立した。けれども其の工場法は、実は完全なものではない。工場法其者から云つた
 - 第31巻 p.609 -ページ画像 
ら、アレでは骨抜きであると謂はれるのも無理はない。又善くすると云ふにも程合ひがある。突如欧羅巴主義に遣らぬでも宜からう。兎に角今後労働者を如何に処置するが宜からうかと云ふことを考へて見なければならぬ。第一に労働組合が成立たぬではイカヌかドウかと云ふことも考へものだらうと思ふ。近頃同盟罷工の話がある。夫れに就て彼の友愛会、アンナものがあるから同盟罷工を誘導すると云ふ考へを持つ人がある。併し友愛会がなくても、同盟罷工が突発して資本家が大変困る事が生ぜぬとも限らぬ。其の点は余程考へなくてはなるまいと思ふ。夫れとともに日本の労働者は規則とか、申合せとか、組合とか云ふものがない方が宜いか、一例を挙ぐれば、権利は上の方に取つて、さうして民は凡て其の命に遵はしむる方が或る点から言へば頗る楽だと、昔し文王はさう謂はれたか知らぬが、段々後になつて凡ての知識を進めて行く世の中ではさう云ふことは出来ぬと同じ事で、資本と労働との関係も亦た全く適合したものでないかは知らぬが、資本家の段々進む程、労働者に対して良い導きをして行くやうにしなければならぬだらうと思ふ。近頃亜米利加では其の辺の関係は大分善くなつて来たやうであるが、併し労働者は成べく働きを少くして多くの給金を望む、工場が多くなればなる程、さう云ふ傾向になつて来る。又資本家の方では成べくさう云ふ申合せ抔をさせないで、安く使ふと云ふことを考へるやうになると、其処に意思の齟齬を来たすやうになる。私の見た所では、亜米利加の現在は労働者仲間は階級が低い丈けに我儘が強い。資本階級は、寧ろ労働者を誘導すると云ふ傾向になつて居る。是れは日本に於ても将来の大問題であるから、近々に労働者を使ふ方々に打寄つて貰つて、労働組合の如きものがあるが宜いか、無いが宜いか、有るが宜いと云へばドウ有るが宜いか、又無いが宜いと云へばドウ無くするが宜いか、お話を聞いて見やうと思ふ。竜門社の評議員会で今直ぐにドウ斯う云ふ訳にはイカヌけれども、是れは余程至難の問題ではなからうかと思ふ。
○下略


銀行通信録 第六五巻第三八七号・第一五―一七頁 大正七年一月 ○経済と道徳との一致(男爵渋沢栄一)(DK310102k-0003)
第31巻 p.609-610 ページ画像

銀行通信録  第六五巻第三八七号・第一五―一七頁 大正七年一月
    ○経済と道徳との一致 (男爵 渋沢栄一)
○上略
第二に資本・労働の問題は、昨年は此点に就て工業界は特に注目すべき時であつたやうに思ふ、と云ふのは工業の発展と共に、其利益が多く、一方には諸物価の騰貴を来し、諸物価の騰貴は労働者の生活に影響して勢ひ其賃銀増加を希望する、資本家が之に応じない場合には自然と同盟罷工と云ふやうな不穏当なる挙動が始まる、各地に於て右様なる騒動があつた、殊に私の多少援助して居る労働者団体に友愛会と云ふものがある、此友愛会は其点に就ては労働者の相談相手になる方であるから、労働者援護会と云うて宜い、是を以て資本家からは、同盟罷工の煽動者若くは尻押と云ふやうに思ひ誤られたやうに見えた、其事実如何は分らぬけれども、前に述ぶる如く工業上に大なる変化を来すと、勢ひ労働者が工賃の増加を希望すると云ふことはあり得べき
 - 第31巻 p.610 -ページ画像 
筈で、昨年は屡々其事に就て紛議を生じたが、独り昨年に限つたことでなくて、此紛議は必ず継続的に生じるであらうと思ふ、是は如何にして根本から解決し得るかと云ふことは、真に熟慮を要する問題で、学者連の社会政策を論ずるに於ても、深く攻究せねばならぬことであるが、而して工場を持つ資本家も、宜しく考案して適当な処置を取らねばならぬことゝ思ふ、其事に就て私は二つの意見がある、従来の資本家中には、労働者の団体を組織するは寧ろ社会に対して疎隔の念を抱かしめる、労働者は成るべく会社と一家族となつて、其会社の待遇が親切で、病気の時は充分なる治療も出来、労働者子女の教育も行届き、衛生に娯楽に充分に設備せらるれば、一会社は恰も一の王国となりて、常に仁政を施して労働者を応援するのであるから、特に其組合を作るまでもない、組合があれば却て其心を二つにする虞があると云ふ趣旨を以て、労働組合の設立を嫌ふ説がある、此説は一方から云ふと如何にも道理がある、是は其会社が、労働者と一団体として永久的に動かぬものであるならば善良の方法と云へ得るであらうが、若しも其会社の営業が引合はぬと云ふ時には、人を減ずると云ふこともある又全然廃業することもあるべき筈である、して見ると到底資本家の階級と労働者の階級とは、必然区別がある、会社の事業が如何に悲境になつても、労働者を永久的に家族のやうなる生活法を与へてやるといふことは出来ぬ事である、故に前にいふ仁政を以てするの説は結構ではあるけれども、労働者には安心が出来ぬ、是に於て労働者は其仲間で団体を作りて、共同的利益を保護すると云ふことは、当然の方法と思ふ、それを一方に対して二心を持つのだと云ふて排斥するのは穏当でないのみならず、甚しきは其の王国が専横となつて、労働者はこれに堪へぬやうになると、其極両者間に大なる反目を惹起して、余焔は他の無事なる会社にまで飛火を来すと云ふことが無いと言はれぬ、現に英吉利・亜米利加抔の自由平等を尊む国では、善良なる労働組合を勧誘するやうにして居る、鞏固なる労働組合が出来て、暴戻なる労働者が同盟罷工をせんとするとか、又は多数の力を頼んで工場を脅迫すると云ふ場合には、寧ろこれを制止して資本家を援助し、資本家からも此労働者に成るべく利益共通の考を以て待遇し、双方円満に行けるやうにするには、矢張善良鞏固の組合が出来るのが宜しいと云ふことは、欧米の先蹤に見ても分る、斯の如き完備の仕組の出来ぬ間は、右に偏し、左に傾いて、時として種々の騒動を起すと云ふことは免れぬから、結局は何れか適宜な方法が立ち得るやうにせねばならぬが、斯くすれば、屹度好いと云ふ思案はまだ定つてゐない、私は其間に立つて、自分に於ても充分攻究したいと思ふし、又資本家側の意見も聴き労働者側の説も聴いて、適当の成案を得たいと思ひます、之を要するに徳義を重んじ、仁愛に拠り、忠恕相憐の情並び行はれたら、必ず相軋り相侵すと云ふやうなことは生じないだらうと思ふが、其処に至るには如何なる手段を要するかと云ふことは、前に云ふ二者の説を斟酌して、大に攻究を要する問題であるから、充分力を尽して見たいと思うて居ります
○下略
 - 第31巻 p.611 -ページ画像 


竜門雑誌 第三五七号・第二四―三一頁 大正七年二月 ○新年所感(青淵先生)(DK310102k-0004)
第31巻 p.611 ページ画像

竜門雑誌  第三五七号・第二四―三一頁 大正七年二月
    ○新年所感 (青淵先生)
 本篇は大正七年の年頭に際して各地の諸新聞に掲載せられたる青淵先生の談話なりとす(編者識)
○中略
     ○老後の三事業
○中略
△資本と労働の調和 次ぎは資本家階級と労働者階級との階級戦に関するものなり。我国の学者中或は説を為して曰く、我国は古来忠孝を以て治まれる国なれば、資本家対労働者問題の如きも、欧米に見るが如き厄介なる現象を呈するものと想定するは謬まりにて、独特の主従の情義を以て相助くるの心掛けだに有らば足れり。而して最近諸方面に同盟罷業の起るを見ては、之を以て不穏の挙動なりとして斥け、又労働者共済の組織を以て同盟罷業の一因として喜ばざる向あり。現に昨年各地工場に同盟罷業起るや、彼の友愛会を目して裡面に於ける煽動者なりとなし、予が其会主と識れるを指して、好々爺瞞訛せられ居るものと私語ける者ありたり。此事実問題に関しては、勿論斯種の組織に対する右の見解は、余りに偏見に過ぎたりと云ふ可し。今日の実業界にありても、個人店主と其使用人との関係は、或は主従の情義を以て一切を解決するを得るの場合少からざらん。されども問題の頻繁に起る懼れあり。且つ最も広きを占むる会社企業と雖も、重役は無用の労働者を永く雇傭し置くを許さず、事情に応じて解雇するの止む無きに至ること無しと為す可からず。然らば労働者に於てのみ、従たるの片務を強ひらるゝの理由ある可からず。何等かの適当なる方法を要求するは、当然の成行きに属す。斯く云へばとて、決して資本家階級対労働者の階級対峙、或は西洋の実際に於ける閉出対同盟罷業を、直に認容し採用せんとするものには非ず。否此二者は相調和するを理想となすものなり。唯然し予は労働者にも相当許さる可き要求ある場合を生ず可きを以て、斯の如き場合に於て、何か我国情と時代の要求との適合する方法の存す可きを想定し、之れを探求せんとし、其一端として労働者の団体組織も一概に排斥することを為さずと言ふのみ。此外最近伝ふる所に拠れば、英国が戦後経営の一策として、資本と労働との調和を図らんとして、全英産業院なるものを設立し、資本家と労働者との双方より同数の委員を選出せしめ、労働問題の総てを之れが解決に一任せんとするの案ありと云へる如きは、我国人も大に研究を要する点ならんと信ず。兎に角其方法をば、学者と政治家と而して実務に当りつゝある実業家と、相共に研究するは必要なる事項にして、予も亦応分の努力を惜まざる所なり。
○下略


竜門雑誌 第三五八号・第三五―三七頁 大正七年三月 ○労働問題と労働組合(青淵先生)(DK310102k-0005)
第31巻 p.611-613 ページ画像

竜門雑誌  第三五八号・第三五―三七頁 大正七年三月
    ○労働問題と労働組合 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として、雑誌「日本浪人」十月号に掲載せら
 - 第31巻 p.612 -ページ画像 
れたるものなりとす(編者識)
 従来我国の雇主と被雇人との間柄は、主従関係であつて、其間に何等の懸隔も無く従つて物議も起らず、他国人の感心して居つたものであるが、近来資本主は一人の資力で無く、多数者の合同資本で会社組織を作り、使用人も何万何十万の多数になつた、之等の為めに資本主と使用人との間に自然温情を欠き、資本主は金で人を器械的に使ひ、使用人は金の為めに会社なり工場なりに務めると云ふが如く成り来つて、昔の如く主人の店に仕へたならば、一生主人を更へる事なく、例へ他店より何倍の月給を与へられても其処へ住み替へ等はせなかつたが、会社組織となり大工場組織となつては、資本主が使用人を使ふに昔の型には行かず、使用人の方に於ても自然義理人情は第二として、第一は給料の多い方へ走る傾向を生じたのは、時勢上止むを得ない現象である。
 斯くの如く両者の関係既に主従の意味に遠かり、利害と条理で進まんとするに到つて、此処に憂ふべきストライキ問題が惹起し来つたのである。
 而してストライキは、今後日本が工業国として世界的大飛躍を成すに当り、頗る憂ふべき出来事の一つにして、此の問題に関しては、実業家は勿論の事、政治家・宗教家も、相共に心を用ひて、彼の欧米に於けるが如き工業発達に悪結果を来さゞる様、今より防止する所がなければならぬ。
 去年以来処々に起るストライキを見るに、職工が生活費の暴騰に準じて賃金の値上げを希望し、之れを実現せんが為めの手段であるが、ストライキをせずとも賃金を上げる方法を採る事は出来ぬものであらうか、増俸の希望を申出でゝ置いて、働く方は大いに働いて、万一希望の容れられぬ時は他に転ずるなり、又は休むなりすればよいと思はれる。然るに希望を申込むと同時に休業するのは、少し穏当で無いと思はれるのである。
 そこで相互の間は、常に温き情義が往復して、資本家は労働者を自分の子弟の如くに愛み、労働者は資本家を師父の如くに敬慕して、従来日本の良習慣であつた彼の親分乾分の真髄を発揮すべく努めたならばよいと思ふのである。欧洲大戦乱の結果、我国の各工場は平時に幾倍する利益を見るに、職工は一向優遇せざるものあるが、これ等は決して良い事ではない、資本家はストライキの起らぬ以前に、予め職工の生活に差支へなき程度の増俸をするのが至当である。然し我国の工場も、斯の如きは至つて少部分であつて、大体は職工優遇に傾いて居る。殊に紡績会社の如きは、範を欧米の工場に採つて頗る進歩的のものである。
 小人数の職工は主人と密接に日夜、言葉等を交へて情義を温める折も多いが、多人数の会社長又は工場長になると、職工側に於ても、ドレが主人か又は社長かもわからず、自然言葉を交はす事もなく、情義の厚からぬも止むを得ない次第である。多人数を使用する工場等に於ては、斯の如く相互の感情上不利益な立場にあるが故に、一層、資本家と労働者の間柄は仁義道徳の心懸を大切とすべきである。相方に於
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て、親子の如き相愛の情があつたら、斯かる問題が起るべき筈無く、万一起きても、仁義道徳を以て解決すべきであつて、是れ以外の途で解決しても、又再び起きるものである。
 人間は麗しい情を有するものであつて、如何なる悪人でも、最後は親切心の力に降伏するものである。嘗て、社会政策学会の席で多数の学者・経世家が、労働問題を論じた時、私も罷り出た事があるが、六ケ敷き理論を抜きにして、即ち法度は第二として、第一は資本家と労働者の間には、相互情義の点を忘れてはならぬと云ふことを極論したことである。
 然し、如何に相方間に情義厚く、仁義道徳の心懸けを大切とは云へ人為的の制度・設備等も完全にせねばならぬ、それは各工場毎に制度を作つて、或は寄宿舎、或は積金等の方法を行はせ、一工場内に一国家を形ち作らしめるのがよいのである。
 学者及資本家の一部分には、労働組合の不必要を説くものもあるが其必要を認めるものである。然し此の組合が、資本家に反抗余はせんが為めに作つたものであるならば良くないけれども、労働者の品性を向上せしめ、人格を高め、或は不時の災難に応ずる為めの組合団体ならば、決して排すべきものではない。否、益々これを完成発達せしめなければならぬ。特に労働者の増長、不穏を為す輩をして正しく導き行くには、組合の力を借るが最上の方法である。而して万一ストライキが起つても、組合の力で解決し、官憲等の御世話にならぬ様にしたならば、労働者自身の品位も高め得られる次第である。
 要するにすべての組織関係は、時代と共に変転して行くものであつて、就中この難しき対人関係は、人の長たるものゝ、常に思ひ潜めなければならぬ事である。然るに我国の資本家の内には、矢張り古い頭を以て古い遣り方を為さんとする者がないではない。然し是等はよくよく反省しないと、遂には臍を噛むの悔を来すことがあらう。又た労働者も何時までもベランメイ式でなく、努めて品性の向上を計らねばならぬ。斯くして初めて不祥なる労働紛議を防止することが出来、国内一致、共力して国運の進展に嚮ふことが出来るのである、余の意見は大体如上の点で尽きてゐるが、今後は各人が益々其立場を国家的見地と愛国の上に置き、眼を広く世界の趨勢に注ぐやうにして貰いたいものである。


竜門雑誌 第三六一号・第三七―四二頁 大正七年六月 ○四日市有志歓迎会に於て(青淵先生)(DK310102k-0006)
第31巻 p.613-614 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第三七―四二頁 大正七年六月
    ○四日市有志歓迎会に於て (青淵先生)
 本篇は、過般 ○五月八日於大正館青淵先生が四日市の官民有志歓迎会に臨席せられたる際、飯田市長より一場の講話を先生に懇請せるに対し試みられたる演説の由にて、同市「勢州毎日新聞」に掲載せられたるものなり(編者識)
○中略
 尚一つ考へて見度い事は、工業家の注意を望む事で、資本と労働の関係で、御当地等は斯る事はお座いませぬが、東京や大阪の様な都会では同盟罷工が起ります、思ふに労働の処置は今後如何にせば宜しき
 - 第31巻 p.614 -ページ画像 
や、資本と労働との調和、之は東京・大阪の諸君も研究しつゝありますが、第一には家族的制度を以て労働者を収容し、労働者は仲間を集めて資本家と相対向すると云ふ方法もあり、種々研究されて居りますが、欧米の諸国でも英米は同様日本の従業者や労働者の様に家族的に仕込み、一会社が一組となつて成丈け相愛し、いつくしむ様に取扱て居ります、之等は中々六ケ敷い問題で自から社会政策に及す事でありますが、只学者の考る計りにもなりませず、私しも実業界を退きましたから、一方学者の社会政策も聞き、一方労働者仲間にも接しまして更らに従来の関係ある工業会社の御人とも打解けて、親しく御説も聞き、資本と労働の調和を図り得る、従来よりも完全な方法を発見仕度いと思ひます、御当地でも今よいと思ふて決して安心だとは申上げられませぬ、何とか宜い断案が出来ぬかと存じますが、然し是は六カ敷い事で深く考へねばなりませぬ。
○下略


竜門雑誌 第三六三号・第三六―三八頁 大正七年八月 ○資本と労働の調和(青淵先生)(DK310102k-0007)
第31巻 p.614-615 ページ画像

竜門雑誌  第三六三号・第三六―三八頁 大正七年八月
    ○資本と労働の調和 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として「労働及産業」四月号に掲載せられたるものなりとす(編者識)
 資本と労働とは調和せねばならぬと云ふことは、今更玆に改めて申すまでもないことではあるが、然し或る場合には、両者の利害が相反することも出来て、いつも円満にばかりゆかぬこともあり、時には同盟罷業のやうな不祥事を惹き起す場合もある。
 それで、是等の労働紛議を防ぐために社会政策を行つたり、若くは学者政治家達が考究の末、種々の解決策を講じてゐる。だが、私の考へでは、その解決策の根本は、如何しても王道の精神であつて、資本家と労働者が互に正義を貴び人道を重んずるならば、恐らく両者の間も洵に円満にゆくであらうと思ふ。
△然らば、その手段は何であるかと云ふと、之は種々考究せねばならぬことであるが、英国や米国では労働者が一の完全な組合を作つて、資本家と対峙して、資本家の我儘ばかりを通させず、両者は相当の地位に立つて交渉商議し、互に識り合つて相方の幸福を図つて居る。
△以上は、多くの労働者と大工場を有する英米の組織であるが、果して今日に於ても之と同様の方法を採るべきであるか、又は会社を一の家庭と見て、労働者を遇するに家庭の温情を以てせんとする、所謂家族主義に拠るべきか、是れ最も重大且つ困難な問題であつて、到底一言にては言ひ尽せない、故に此の点は学者・実際家の最も研究考慮を費さねばならぬところである。
△私は長年の間随分沢山の工業会社を興し、随つて之に必要な労働者も作り、謂はゞ資本と労働の問題を起す原因を作つたわけである。そして、面倒が起つた場合には、極力其調和を図つて来た、然し乍ら、私は一昨年を以て一方の会社を作ることは止めて了つたけれ共、他方の資本と労働の調和を図ることには全力を尽し、之を以て老後の仕事としてゐる。
 - 第31巻 p.615 -ページ画像 
△然し、此問題を如何に解決すれは好いかと云ふことは、種々学理と実際とを研究した後でなければ、今直に明言することは出来ないが、たゞ斯う云ふことだけは言ひ得ると思ふ。即ち「正義と人道に従つてその最善を尽すべし」と云ふことである。畢竟するに資本と労働の争ひも、相手の利害と云ふことはさて措いて、互に自己利益ばかりを主張するから起るのであつて、別の言葉で言へば、経済と道徳との一致が出来て居ないから、色々の物議が生ずるのである。
△亜米利加の前大統領ルーズベルト氏が曾て仏蘭西に於て次の如き演説をしたことがある。曰く『強権を以て多数の者を圧迫するは明かに罪悪であるが、それと同時に多数の勢力を以て或る事を強ふることも亦等しく罪悪である。即ち、権勢を以て資本家が労働者を圧迫して、自己の富を図るのは罪悪であると共に、同盟罷業を以て資本家を苦しめ、以て不当の賃銀を要求することも同様に罪悪である、されば此二つは共に行ふべからざるものである』と。是れ真に識者の言と云ふべきである。
△故に資本家は自己の強き力を以て労働者を強圧することなく、労働者は濫りに団結の力を以て資本家を苦しむることなく、殊に時局益々重大なる今日、軽挙妄動は最も戒むべき事であつて、挙国一致、資本と労働の調和は最も望ましきことである。


竜門雑誌 第三六五号・第三〇―三七頁 大正七年一〇月 ○物質精神併進論(青淵先生)(DK310102k-0008)
第31巻 p.615 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第三〇―三七頁 大正七年一〇月
    ○物質精神併進論 (青淵先生)
 本篇は青淵先生が千葉県旭町有志者の懇請に依り九月二十二日同町弘楽館に於て講演せられたるものゝ要点にして「新房総新聞」紙上に掲載せられたるものなり(編者識)
○中略
 私の実業家となれるは、唯だ己れ一人大富豪とならむが為めに非ずして、国家の富力を増し、商業道徳を進めむ事を期せるが故なり。然るに大正五年七十七歳の時を以て実業界を隠退したる後は、専心精神界の為めに微力を尽さむとす。而して最後の努力として三ツの問題に就て貢献せむと欲するものあり。即ち第一は商業道徳、第二は資本と労働、第三は貧富の関係に就て其調和を期せむとするに在り。
○中略
 第二の資本と労働に就て述ぶれば、近来都会の商工業界に於ては、動もすれば此調和を失はむとするの虞れあり、蓋し此資本家と労働者との調和を失ふが如き事あらむか、意外の騒動を惹起するに至らむ。制度の上に於ても、教育の上に於ても、将た又社会上に於ても、此調和を図らざる可からず、之れ亦諸君の熟考を促す。
○下略


竜門雑誌 第三六八号・第三六―三九頁 大正八年一月 ○労働問題解決の一端(青淵先生)(DK310102k-0009)
第31巻 p.615-618 ページ画像

竜門雑誌  第三六八号・第三六―三九頁 大正八年一月
    ○労働問題解決の一端 (青淵先生)
 本編は昨年十月一日発行の「実業之日本」に青淵先生の談話として掲載せるものなり(編者識)
 - 第31巻 p.616 -ページ画像 
△未発に防ぐべき工業の問題 私は大正五年九月に実業界を退隠して以来、利害の関係ある実業には一切管与せぬことにした。無論相談を受ければ自分の考を述べて参考に供することもあるが、自分が其事業を処理すること抔は絶対にせぬ。而して私は三の問題を以て老後の勤とし、今後は微力をそれに傾注する積りである。
 三問題の一は資本家と労働者の間を調和し、其関係を円満ならしめたいことである。欧米に於ても両者の間柄は兎角円滑を欠き、反目衝突の結果、社会の秩序を紊し国家の安寧を害するが如きことは往々見るのである、幸にして我国は工業会社の歴史が短いのと、一般の風習の欧米に比して相違する点のあるのとによりて、未だ労働問題が切迫して居らぬと思ふけれども、近時我国富の増進し、大資本を投じて雄大なる計画をなすものが輩出し、随て貧富の懸隔益著しく、労働問題は漸く世人の注目を惹き、人をして我国も亦欧米の先蹤に倣ふて、資本・労力の争を来たすこと遠くはあるまいといふ観測を下さしむるに至つた。果して然らば、我国に於ても、未だ険悪の性質を帯びない内に、之を未発に防ぎ、資本・労働を調和して満足なる工業の発展を図るは最も肝腎であると信ずる。
△労働組合を組織する可否 凡そ多数の人を使用してゐる主人、多数の人の上に立つてゐる上長者の身になつて考へると、使用人又は其部下に向ふて成るべく多くの仕事を為さしむる希望を持つは当然であるが、如何に古風の思想を懐ける者でも、其使用人を虐待せんと欲するものはない。自己の利益を増進することを欲求しても、之れが為に其使用人又は労働者の利益をも併せて上進することを思はぬ者はない筈である、想ふに労働問題の解決は単に労働者の待遇を好くするといふに止まらず、進んで彼れ等の地位を認めて、人格を向上せしむるによりて始めて決するのである。
 労働問題に就て研究すべき範囲は頗る広いけれども、我国当面の問題としては、労働組合を組織するの可否といふことに岐れてゐる、労働者は一の階級をなして其利益を擁護すべきものであり、又之を為さねばならぬといふ意味に於て労働組合を組織し、且つ之を発展せしめたいと主張し、他は之に反し、今日の場合労働組合を造れば、労働者の利益のみを増進することに努め、其組合に加入する者は賃銭を引上げられる、労働時間を短縮し得る、其他組合の力で為し得る幸福を総て享有することが出来る、而して組合は此の要求を容れなければ、同盟罷工を武器として以て資本家を圧迫する。故に将来に労働組合を組織する必要ありとするも、其時機に就ては、深く考慮しなければならぬと。
 又、各工業会社の工場が所謂仁政を行ひ、単純なる主従の関係でなく、温き情愛を以て親切に職工を待遇し、独り直接労働に従事する人のみでなく、その老人少年をも慰安し、死傷者に対しては厚く酬ひ、時には多数を集めて愉快なる遊戯を催すとか、クラブを設置して団欒の楽みを享くるの機会を与ふるとか、恰も独逸のクルツプ会社のコロニーの如くすれば、特に労働組合を設けなくとも、資本家と労働者との間は極めて融和するから、今日特に労働組合を設ける必要はないと
 - 第31巻 p.617 -ページ画像 
いふにある。現に近来、東京・大阪等の大資本家を擁する会社中には所謂仁政を施し、職工の優待に就き種々なる施設を行ふてゐる、鐘ケ淵・東洋の両紡績会社抔は其一例であるが、其他にも此類の会社は少くない。
△労働組合組織の適当時 此等職工の優待、所謂仁政が行はれてゐる故、組合組織の必要なしと称する者に対し、私は再考を促したいと思ふ。成程職工優待は現に之を行ふてゐるものが多くある、又それが行はれてゐるものが多くある、又それが行はれてゐる間は資本と労働との調和は維持し得る。併し斯の如き施設は永久に行はるゝものであるか、又職工は会社の施設する所に一任して長く安心さるゝものであるか。会社の事業の経営には有為の人材を集めてゐるとも果して、その事業の永久に渉りて繁栄を保証し得るものがあらうか。外界を対手とする事業である故、時に或は興廃消長を免れぬのである。万一事業が非運に陥つた場合には職工を如何する。家族であれば家長が之を救はねばならぬ責任あるも、多数職工に対しては仮令同情の念ありとするも、事業なくして之れに衣食せしむることは出来ぬであらう。是に於て職工は自ら己れを擁護する必要がある、而も彼等は一個人としては極めて微力である故、団体を組織し、その力によりて共同の擁護を謀るのは無理ならぬ事と思ふ、職工組合を組織することを以て、資本家と反目し或は衝突するものと見做すは、少しく其観察を誤るものと言はねばならぬ。詰り労働組合は自己の擁護を目的とするものにして、決して会社に対し敵対を目的とするものでない。
 仮りに所謂仁政が職工の利益を保護するにしても、仁政なるものは或る工場に行はるものであつて、総ての工場が挙げて之を施設するものではないから、仁政の施設なき工場の職工は、其利益に浴せざるにより常に不平なきを得ぬであらう。而して其不平あるが為に職工が反抗することありとせば、仁政に浴せるもの亦起つて之を援くべく、終に玉石混淆の弊を免れぬであらう。
 私は欧米に於ける職工組合の性質を熟知せぬが、多くは自然に発生したものであらうと思ふ。自己の利益を擁護するにはこの手段の外なきを信じ、徐々に発達したのであらう。我国に於ても其心要は漸く迫りつゝあるも、未だ之を刺戟すべき事情が欧米程に多く目に見へてゐないから、動もすれば閑却せられ、或は誤解せらるゝ虞がある。故に若しも労働組合を必要とするならば、私は今日がこれを組織するに最も適当な時期であると信じてゐる。
△私に対する世の誤解 私が実業界を退隠した後、昨年の夏の頃、実業界の有力者諸君を銀行倶楽部に御集会を乞ひ、此問題を掲げて諸君の充分なる御討議を願ふたことがある。其会合に於ては終に論決に至らざりしも、私は将来この問題の為に微力を尽す積りであると言ふて愚見を遠慮なく開陳したのである。
 頃日来私が労働問題に付いて或る新聞紙の問に対して愚見を述べたるより、世間に種々なる誤解が行はれてゐる。前年工場法制定の事が農商務省に於て論議された時、私は時期尚早を唱へて反対したが、当年の反対者が今日は労働者の為に尽力するといふは可笑しいではない
 - 第31巻 p.618 -ページ画像 
かといふ人もある。併し私の工場法制定に反対したのは、法そのものに反対したのでなく、時期尚早といふにあつた。今労働問題を論じたとて私は何等の矛盾もないと思ふてゐる。又或る資本家の中に、私の主張を誤解して、労働者を煽動でもするかの様に思つてゐるものありとすれば、実に迷惑のことで、私は決して労働者を煽動し、資本家を妨害せんとする者ではない、従つて労働者の境遇を改善し其人の向上に努むるけれども、共産主義の如き過激説に対しては絶対に反対するのである。
 世間の誤解は兎も角として、私は、労働問題の研究の急務なるを信じ、而して此問題の適当に解決され、資本家・労働者が共に道理によりて其の分を守るとすれば、互に相侵すことなくして、調和の実を挙げ得ると思ふ。今日は実業家中にも尚早きを論ずる者もあるから、切に之が研究に着手せられんことを望み、私自身も亦学者の助力を得て此問題に尽力したいと思ふ。


竜門雑誌 第三六八号・第三九―四三頁 大正八年一月 ○労働問題に就て(青淵先生)(DK310102k-0010)
第31巻 p.618-621 ページ画像

竜門雑誌  第三六八号・第三九―四三頁 大正八年一月
    ○労働問題に就て (青淵先生)
 本篇は前年九月十五日発行の「実業之世界」に青淵先生の談話として掲載せるものなり(編者識)
 九月二日の東京日日新聞に「成金を反省せしむべく渋沢男奮起す」といふ標題で、私が新聞記者の方にお話したことが載つてゐたが、話は、私が話したよりも大分誇張されて書かれてゐる、私の心持とは幾分違つて伝へられてゐる、中には記者の方が私に話された意見も、私の意見かのやうに述べられてゐると思ふ箇所もある。然し其れは其れでいゝとして詮議だてをしないが、幾分訂正すべき点のあることを申して置く必要がある。
 第一に私は、平素成金といふ言葉をあまり用いて居らぬ。其の理由は、今日用いられてゐる成金といふ言葉は、侮蔑の意味を有つからである。侮蔑の意味に使はれる言葉を以て、今の新富豪に対するは礼儀を失することでもあり、穏当でもなく、私の本意に反するからである成金といへば、俄分限者のことで、新富豪といふ意味でなければならない。然るに世間は之を嘲笑的に用いてゐる。だから私は成金といふ言葉を用いることを避け、且つ慎むのである。世間の心持が成金即ち富める者といふやうに理解し、成金といふ言葉を通用させない限り、私は滅多に成金といふ言葉を使はないであらう。従つて、成金を反省せしむべく云々といふ言葉は、私の用うべき言葉ではないことが判らうと思ふ。
 私が富豪諸君に一顧を諸ふて、社会のため、自身のために自重せられんことを希望するのは、今日に於て始まつたことではない。米価の暴騰によつて、諸国に騒擾が起つた。其れに依つて俄に気が附いて、富者自ら戒むべきことを説き出したのではない。私は久しい以前から勤倹・博愛の美徳を養ふべきことを、自らにも勧め、世間にも勧め、別して驕り易い富者には特にお勧めして来た次第である。
 私自身もとより欠点は多からう。敢て自ら世間の師表を以て任ずる
 - 第31巻 p.619 -ページ画像 
不遜の罪は犯したくない。たゞお互に道を以て相戒め合はんとするまでゞある。世間には遠慮して、心なき無為の日を送る人も沢山ある。私は先輩顔する訳ではないが、年長者の故を以て、遠慮勝ちな世間の人々のお先棒を務めるまでゞある、財界を引退して、余生を専ら社会事業のために傾尽せんとしたのも一に其の為めである。私と心を同うする士と共に、社会生活の改善発達、世道人心の維持向上に裨益するところあれかしと祈りつゝ、何かの試みをやりつゝあるのである。現在の日本には、今日の急に応ずるため、且将来の必要に備へるために大に務むべきものが多々ある。其中でも、資本家と労働者との調和策の如きは最も緊要なものと思ふ。今日両者の関係が平穏な時に於て、之を講究し適当な施設・対策を案じ出して、禍を未前に防ぐは極めて大切なことであらうと思はれるのである。
△変化時代と対策 時代は推移する、人心は変化す。我が国には主従道徳が存し、其さへ維持して行けば、労働問題は起らぬと速断し、安心してゐてはいけない。如何にも過去に行はれた美はしい主従の関係道徳が将来も立派に行はれるならば、其れは甚だ結構なことで、資本家と労働者との間には軋轢が生じまいと思はれぬでもない。然し、其れにしたところで、其の主従道徳の精神は変らぬでも精神を形式に現はす時に於て、変化がなくてはなるまい。時勢に適合した道徳の形式がなくてはなるまい。
 西洋から機械文明が輸入したと同様に精神文明も輸入されて来る。彼の地の労働者が使用する機械が、輸入されたと同様に、彼の地の労働者が、自覚して獲得した権利思想も輸入されるであらう。輸入されぬにしたところで、西洋かぶれせぬにしたところで、若し労働者の生活が改善されてゆかぬならば、時勢と共に改善されてゆかぬならば、其の生活が労働者の睡れる精神を刺戟して何等かの自覚を促し、何等かの自衛的手段に訴へるに至るに決まつてゐる。私はさう察することができるのである。其の自衛手段は社会にとつて、恐るべき破壊行為であることも推知し得る。我が国民道徳の破産は、かくして来るのである。
 私は思ひを此の点に致して、労働問題の研究、社会政策の研究に志したのである。私は学者や其の道の経験者の意見を聞いた。そして私の見るところをも合はせて考へつゝあるがまだ定見は出ない。私は財界を引退したが、他にいろいろの仕事が沢山ある。私が社会政策や労働問題のためにのみ専心研究することの出来ないのは遺憾であるが、其のことを念頭より去つたことはない。常に機会を求めて講究し、且つ相談もするのである。私は近く、之を学会に提出し研究して貰はうと思つてゐる。
△私の所信と任務 私は昨年の春、銀行集会所へ財界の有力者のお集りを願つて、労働問題に就て考究すべき必要のあることを説き、来会者諸君の御意見を承はらんとした。私は現在のまゝに放置せば、将来必ず資本家と労働者の軋轢が起り、惨澹たる階級戦が行はれ、経済界も社会生活も暗黒状態を現ずるのであらうから、今に於て之が予防策を講じなければ、国家社会の一大事であると信じたからであるが、集
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つた友人の中で二人ばかり、労働問題なんかといふことに手を出さぬがよからうと、親切づくにいふた人があつたが、私は信ずるところを翻す気にはなれないと答へた。私は議論する気はなし、たゞ多数の人の意見が聞き度いのと、自分の考へついたこと、信ずる点を披瀝したくて、お集りを願つたのだから、其の時も格別に議論がましいことをして争ふところはなかつた。兎に角私は労働問題の研究、而して其の対策の実行のために大に努力する覚悟を有つてゐる。現に機会ある毎にやつてゐるのである。
△社会政策は王道 然し、まだ私には成案がない。我が労働者を如何に誘導すべきかに就ても定見がないのである。或る人は労働組合、英語でいふレーボーア・ユニオンを造らせて、自治的に其の地位を向上させるがよからうといふてゐる。欧米の例は其れである。如何にも英米其の他の国に於る如き立派な労働組合を組織することができれば甚だ結構である。私は我が労働者が海外の労働者に比して、優るとも劣らぬ立派な労働組合を造り得ると信じてゐる。仮りに其の資格・能力に欠くるものがあるとも、それが最善の方法であるならば、我が労働者を啓発・訓練して、立派な善い労働組合を拵へるやうに誘導してやるのが当然の任務でなければならぬ。労働者も自らそれに向つて努力するのが本分でなければならなくなつて来るのである。
 尤も労働者が組合、即ち団体多数の力を悪用し、資本家・工場主を強要して正当ならぬ要求を遂げんとする如きことの起らぬでもない。然し其れは組合制度其のものゝ悪いのではなくして、其の非望を企てた組合員の品性が悪いからだと断じなくてはならない。私は同盟罷工をなすことは善くないと思ふものである。同盟罷工は多数の力を以て少数を圧迫するものであつて、穏当な方法とはいへない。のみならず多数のいふところ必ずしも真であり、善であるとは限らない。多数に反してたつた一人のいふところ行ふところでも真であり、善であることがある、だから多数の行動を直に善なり、真なりと解するは正しくない。
 然し今日の如き変化時代には同盟罷工の起るのは当然である。其の是非の判断は個々の同盟罷工に就て調査してからでないと、資本家側に罪が存するか、労働者側に罪が存するかは、断ずることができないが、兎に角今日の如き変化時代には当然の現象である。然し私が爰に当然のことゝ申すのは、同盟罷工が起つたがよいといふ意味ではなくして、起らなければならぬ勢ひになつて起るのだから、当然だといふまでのことである。決して之を奨励せんとするわけでも賛成するわけでもなく、やはりそれを悪いとは思つてゐる。
 また或る人はいふ。我国には昔から主従の間に美しい道徳が存してゐる。其れさへ守つてゆけば外に何等の方法も要らぬと唱へるのがそれである。工場は工場同士其の使用人のために計り、会社は会社同士其の社員のため最善の手当を尽くさんと努力するならば、使用人・労働者に不平は起る筈があるまいといふのである。是れは工場なり会社なりの仕事に参加するものを、一家族と見做さんとする方法で、所謂温情主義の政策である。其れが出来ればそれもよい。私にはまだ定見
 - 第31巻 p.621 -ページ画像 
がない。資本家も労働者も、お互ひに助け合ふ心があるならばうまくゆかうと思ふ。
 社会政策は王道である。王道が行はれゝば天下は治まり、窮民なく不平の民がない。資本家も労働者も道徳を守つて行きさへすれば天下は平穏である。然し私は別に労働問題に就て考究し、方法を講ずるのが万全の策と考へる。今に大問題になるとの心配があるからである。


竜門雑誌 第三六九号・第四一―四四頁 大正八年二月 ○戦後の労働問題(青淵先生)(DK310102k-0011)
第31巻 p.621-623 ページ画像

竜門雑誌  第三六九号・第四一―四四頁 大正八年二月
    ○戦後の労働問題 (青淵先生)
 本編は青淵先生談として「実業之世界」一月号に掲載せられたるものなり(編者識)
△資本家の意見は三様 私は七十七歳を一期として、自己の生産殖利事業と全く絶縁してしまつて以来、主として経済と道徳との調和、資本と労働との調和、慈善救済問題といふ如き、社会事業の方面に力を注いでゐるのだが、昨今の形勢を観るに資本家は如何なる態度を以て労働者に臨んで然るべきやに就き、大体に於て三通りばかりの意見がある。
 私は労働者に組合を作らして、之を資本家が善導するやうにしたら宜しからうとの意見で、寄々資本家の仲間に向つて説いても居るが、什麼したものか私の意見は、資本家側によつて悦ばれぬ様子である。資本家側の大部分を占むる意見は、黙視主義と称せらるゝもので、何事も自然の成行に任せ、そのまゝに放つて置くが好い、成るやうに成るだらう、強ひて資本家側から口出して労働者に組合を作らせたりなんかすれば、結局ストライキを奨励するも同じで、毛を吹いて傷を求むる愚を見ねばならぬといふにあるのだ。
 次が温情主義と称せらるゝもので、何んでも雇主は、温情を以つて労働者に対し、雇主と労働者との関係を、昔の主従関係の如きものとして、親が子を視る如くに雇主が労働者を視てやりさへすれば其れで宜しい、労働者に態々組織さする必要は無いといふのが、這的主義者の主張だ。
 然し、資本家のうちにも私と同一意見の者が皆無といふでも無く、今より早く資本家が斡旋して労働者に組合を組織さするやうにするのが何よりだと主張する者がある。是れ等一派の資本家は組合主義者と称せられる。如何に資本家が黙視主義を取つても、結局労働組合の組織を見るのが、自然の大勢でもあり、又世界の趨勢でもある。如何に資本家に於て温情主義を以つて待たうとしても、もともと労働者は家族で無い。周囲の事情から廃業でもせねばなら無くなれば、之が解傭を余儀無くせられ、自分が廃めた後までも、尚彼等を養つて行けるものでは無いのである。又その他の都合によつて、解雇したり給金を減らしたりせねばならぬ事もあり、労働者を家族と同一に取扱ふのは、言ふべくして到底行はれぬものだとすれば、寧ろ資本家側より進んで労働者に組合を作らせるのが得策であるといふのが、組合主義の主張である。
 △戦後に必要の組合 日本にある資本家の労働者に対する今日の態
 - 第31巻 p.622 -ページ画像 
度は、如上三通りに別れるのだが、労働組合は欧洲諸国にも米国にも既にあるもので、世界の形勢が今日の如くになつてしまつては、今更ら之を日本へばかり出現させまいとしても、勢の赴くところ、迚ても爾んな事の能きるもので無いのである。什麼せ放つて置いても、何時か一度は、晩かれ早かれ、労働組合の出現を見るに至るものだとしたら、当然戦後に来るべき筈の産業界の大変化を処置する適応策の一つとして、資本家側がまづ先途に立ち、労働者をして善良なる組合を組織せしめ、悪るい組合の組織せらるゝ憂ひを阻止し、且つ、その労働組合を善用して、資本と労働との調和を計り、組合を善導する方針で進むのが、資本家の為めにも寧ろ利益であらうと私は思ふのだ。温情主義も誠に結構で、資本家が労働者に臨むには、素より温情を以つてし、労働者も亦資本家に対して温情を持つて居らねばならぬものには相違無いが、それには限度がある。一旦その限度に達してしまへば、その上何うもならず、玆に両者の衝突を見るに至るは必然だ。
 然るに若し労働組合を設けて、その組織により労働者共済の道を講ずると共に、労働者をして仕事に忠実なる慣習を作らしむる事にすれば、悪るい労働者は勢ひ組合より除外せられ、之に加盟し得られぬやうになり、自然と就職の道をも失ふに至るので、労働者の間の悪るい習慣も漸次に除去せられ、労働者の素質も向上し、資本家の為めには非常な利益にならうと、私は思ふのだ。然し、その組合組織の範囲を各種の労働者を抱合する大組織のものにするか、或は鉄工は鉄工、坑夫は坑夫といふ如く、労働の種類によつて小さな組合を組織さする方が得策か、其の範囲の大小に就ては、同じく労働組合を組織するにしても、今後大に研究を要する点である。
 戦後に於て、欧米の大勢が日本へも伝染して来て、労働者が如何に勢力を得るやうに成つても、直接之をして政治に関与せしむるのは、甚だ宜しく無い事だと私は思ふのである。露西亜や独逸の労兵会は何んな組織のもので、如何なる程度まで、政治上に直接の勢力あるものか、私は猶ほ知らぬ処があるので、労兵会に関しては何の意見も述べ難いが、何処の国の政治でも、多数の民衆が直接政治に関与して彼是容喙し、政治家が其鼻息を窺つて進退するやうになれば、露西亜に於ける現状の如く、徒に国家の紛乱解体を招くに至るばかりで何の利益も無い。民本主義とは、民衆多数の意見に従ふ事には相違ないが、多数の民衆をして直接政治に関与せしめる事では無いのだ、民衆多数の間に出来た大勢を、政治の技術に練熟した政治家が早く看取して、之に則り政治を行ふのが、是れ即ち民本政治である。個人に良知良心がある如くに民衆にも亦良知良心のあるもの故、真正なる民衆の多数の意見には、決して無茶苦茶な乱暴な傾向の無いのを原則とする。然し活眼を欠く政治家は、少数暴民の意見を、多数民衆の意見なるかの如くに誤解し、之によつて政治運用の方針を決するので、露国の如く国民を塗炭の苦に坐せしめ、国家を危地に陥れしむる事にもなるのだ。戦後の労働問題を解決するに当つて、私はこの点を深く日本の政治家に考慮してもらひたいと思ふのである。
△道路大改修を始めよ 此頃、古河鉱業会社の幹部の人に面会したら
 - 第31巻 p.623 -ページ画像 
同鉱山では予ねてより一升四拾銭内外の米を特に雇用坑夫に限り、廿銭ばかりで廉売して居つたにも拘らず、一般世間の米が過般の米騒動で廉売せられて安く成つたと聞くや、同鉱山坑夫の一部は平素四拾銭の米を坑夫へは弐拾銭で鉱山が是れまで売つてたのだから、世間の米が廉売で廿銭になつた今日、坑夫へは無料で米を支給して然るべきである、との論を鉱山当局者へ持ち出したさうで、人間の我儘は何処まで行つたら止るものか、驚き入るばかりだと歎じてるのを聞いたが、多数の労働者は直接政治に関与せしむる事にすれば、こんな種類の我儘勝手ばかりを無理に貫通しやうとして、人間の社会を禽獣の集団たらしむるに至る如き憂無きにしも非ずだ。之れでは、労働者各自の幸福と雖ども、減損せらるゝばかりで、決して増進せらるゝものでは無いのである。
 そは兎も角も、戦後の工業界には、必然大変化を来し、物価の低落となり、随つて労働者の解傭を生じ、多数の失職者を出すに至るべきは、火を睹るよりも明かである。既に東京に十五万人、大阪に十万人の解傭職工を出さんとする徴さへあると伝へらるゝほどだ。之を如何に処分すべきかが当面の緊急問題である。昨年十二月二日の夜かの有名なる米国鉄道王故ヒル氏の令息なる小ヒル氏は、東京商業会議所に本邦朝野の有力者を参同し、幻灯を使用して自ら活動写真の弁士の如くになり之を説明しつゝ、仏国及び白耳義に於ける事例を引用し、道路改良の必要を論じ且つ勧めたが、内閣大臣のうちよりも床次内務・高橋大蔵等出席し、私も参聴したのである。戦後の失職労働者処分に就ては、海外移民を奨励するが可いなぞとの意見もあり、之も結構には相違ないが、何んに致せ移民は外国を対手にする事故、その間に色色の面倒もあらうから、それよりは寧ろ、ヒル氏の意見を容れ、国家としても、地方自治体としても、此際全国に亘る道路の大改修を計劃し、当分之によつて失職労働者に職業を与へる事にしたら、国家の繁栄を計る上にも利益であり、戦後に当然起るべき労働者の失職問題を余り苦まずして解決し得られるのだらうと私は思ふのである。道路改修事業は、昨今の如く自働車の運転が盛んになつて来るにつけても、刻下の急務であると謂はねばならぬ。如何に鉄道が普及しても、短距離の運輸は依然として道路に拠らねばならぬのであるから、道路の改修は国家の運輸力を増大することになるのみならず、国民の活動力を促進する事にもなるのである。而かも、これは直に今日からも実行し得らるゝ事業である。


竜門雑誌 第三七二号・第一一―一二頁 大正八年五月 ○労働問題と我国体(青淵先生)(DK310102k-0012)
第31巻 p.623-625 ページ画像

竜門雑誌  第三七二号・第一一―一二頁 大正八年五月
    ○労働問題と我国体 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話にして本年一月一日発行の「大日本新聞」に掲載せるものなり(編者識)
      一
 私は近来我国に於て漸くその声の喧しからんとする労働問題に関して大に考慮を費して居る、漠然労働問題と言へば、何か非常に危険なる思想の如く思惟する人もあるが、要は資本主と労働者との調節に他
 - 第31巻 p.624 -ページ画像 
ならないのである、戦後の経済界に於て当然起り来るべき失業問題の如きは、資本主対労働者問題の副産物に外ならないと思ふ、即ち私は如何にして両者の円満なる調和を図るべきかといふ事を苦慮して居るのである。
      二
 或人は、労働問題の解決は一に労働組合に俟つべきものである。労働問題解決の先決問題は労働組合の組織にあるといふが、私は未だ不幸にして労働組合なるものゝ実際的内容・性質を詳にしないので、この議論に対しては何等言ふべき処はないが、然し漫然労働組合といふと雖も、其国の国体・民情に関して必ずやそこに非常なる相違がなくてはならぬ、英国の労働組合と米国の労働組合とには、両々相異なる点がなくてはならぬ。美点もあれば欠点もあるであらう、その沿革に於て、現在に於て労働組合の存在か果してその経済界に対して如何の効果と弊害とを、招来して居るかといふ事も、大に考究せねばなるまい、外国に労働組合が存在することを理由として、直に之れを我国で真似やうとする事は聊か早計ではあるまいか、さればとて労働組合の必要を認めないといふものではない、兎に角私は英米その他の先進国に於ける労働組合や、労働保険や、職業紹介所などの沿革・現情を詳細に調査研究して採つて以て我国に実行し得べき、価値あるものなれば宜しく断行すべく、然らざるものなれば、断じて排斥せねばならぬ其の如何なる場合に於ても、我国の国体といふ事を第一に考へねばならぬ。
      三
 従来我国に於ける資本主と労働者との間には、何等の問題をも生ぜず、他の模倣し難き美風が流れて居つた、両者の関係は所謂主従の観念に依つてその分を守られ、その間には忠信孝悌の大道が行はれて居つた、主は従を愛し、従は主に尽し、彼の君臣の大道厳として存して居た、如斯にして推移して来た我が帝国に、労働問題の起らなかつた事は何等の不思議もないのである、将来と雖も、此忠信の大道を以て進むことが最も完全なる道であるが、さて思想界の変遷は斯かる旧時代の思想を以て満足することが出来なくなつた、労働者の知識が漸く向上して来た今日に於ては、到底これを其儘に押し進めることが出来なくなつた、加ふるに欧洲大戦の影響に依る我が思想界の激変せる今日に於ては、資本主対労働者の関係をして主従関係に置くことが出来ないのは当然である、即ち此処に於てか我国体の尊厳を涜さず、而して今日我国の民情に適すべき解決手段を講ぜねばならぬ。
      四
 現内閣は夙にこの点に注意し、床次内相主としてこの問題の解決に任じ、種々調査研究を進めて居るから、近く何等かの形式に依つて具体化されたる解決方法が確立するであらう、従来の為政者の如く、徒らに極端なる圧迫を加ふることも宜しくないが、さればとて是れを放任することも考へものである、その中庸を捉へて指導するのが政府の責任である。
      五
 - 第31巻 p.625 -ページ画像 
 私は最後に附言する、我国には世界にその比を見ざる美しい国体がある、他の窺知すべからざる国情と民心とがある、この国体、この民情を忘れ、徒らに西洋の制度をその儘輸入しやうとする一部の学者論客などの説には、断じて左袒する事が出来ない、これ等の言論行動は大に注意せねばならぬ、然らざれば悔を百年の後に貽すことになる、政治家も学者も皆この点に留意して、我国体尊厳を傷はざらんことを切望する。(文責在記者)


竜門雑誌 第三七三号・第二六―二八頁 大正八年六月 ○旧主従道徳の破産(青淵先生)(DK310102k-0013)
第31巻 p.625-626 ページ画像

竜門雑誌  第三七三号・第二六―二八頁 大正八年六月
    ○旧主従道徳の破産 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として、昨年十二月発行の「中央公論」に掲載せるものなり。(編者識)
 種々の意味に於て現代は過渡の時代である、殊に欧洲戦争の為め、日本の工業界は一大震盪の機会に際会したのである。従来は資本家も余り大規模の事業を企てるものもなかつたけれども、国富増進と共に大資本を投じて、大計劃の事業が之から頻々として起るのである。従つて資本家と労働者の関係は従来の主従関係では満足して居られないことにならざるを得ない、この機運は近来益々著しくなつて来る傾きがある。勿論欧米に於ける労働問題の如く我国は未だ切迫しては居らぬにしても、それは早晩来るべき現象であると観ねばならぬ。私は大正五年九月実業界を退いて以来、この問題に就ては余程主要なる社会乃至は国家問題として、自己の主力を傾けて其解決に努力し度いと思つて居る。
 時代は刻々に進展するのである。旧主従道徳は西洋文明の流入と共に当然破壊されねばならぬ。昔の如く主従が密接の関係を保つて居ることは、現代の大事業には到底望まれぬことであつて、精神的の連絡は勢ひ物質的交渉に移らざるを得ない。玆に於てか労働者の生活は新らしい不安を呼び起し、又は新らしい要求に目醒めて来るのは、蓋し必然の結果と言はねばならぬ。斯くして労働者は自己の生活に対する自衛的手段を講究して資本家に向はんとし、資本家は事業の激増と共に其の能率を出さしめんとする関係上、労働者の均衡は破られ、旧国民道徳の破産となるのである。事業の上には同盟罷業と云ふ怖るべき現象が現はれて来るのである。我国に於ても斯る精神が著しくならぬ中に、此の問題を研究し、其の解決を為すべきである。
 労働問題と云へば直ちに職工優待論なりと速断してはならぬ。勿論職工を優待することも必要である。彼等の生活を保証する為めに、充分の報酬を与へることは労働問題の主要なる点に違ひなけれども、如斯は到底恒久的の調和法とは言へないのである。凡ての事業が何日迄も同じ調子に発達するものとは思へない。時に興敗消長は免れないところである。一度事業が蹉跌すれば、斯る政策は物の見事に破壊せらるゝのである。玆に於て必要なることは労働組合即ち英国に於けるレーボーア・ユニオンの如きものを組織して、其の知識を向上し精神を訓練すること等の必要が起つて来る。労働組合と言へば、労働者が団結して資本家に対し、資本家を脅かすものゝ如く思ふことは大なる誤
 - 第31巻 p.626 -ページ画像 
解である。資本家と雖職工の生活に就て永久的に保証を与へることは困難であらうと思はれる。事業の興敗が免るゝことが出来ないとすれば、多数の職工に対して永遠の保証は勿論出来ない。第一、非運に際会した時に、彼等は当然自護を図らねばならぬ。彼等を一人一人に引離せば、彼等の資力は極めて微力である。故に彼等は其の力を集中して、自己を擁護すべき必要に迫られるのである。日本に於ては未だ社会も事業も斯程の複雑を生じて居ない為めに、従来其の要求も必然的でなかつたのであるが、将来は事業の拡大、社会の複雑を増すに従つて、其の要求は益々深刻となつて来るに違ひない。
 近時各工業会社の工場には、職工優待に関する設備が漸く発達して来る傾向が出来た。鐘ケ淵紡績・東洋紡績の如きはそれである。其他にもこの種の優待法を設けて居る処も決して少くはない。如斯会社に於ける施設が発達すれば、労働組合の制度は必要がなくなるのであるかと言へば、決して左様ではない。仮に一歩を譲つて優待を以て満足せしめ、単に職工のみならず、其の家族全体に対しても充分の団欒・享楽の設備を設くべしとせよ。それにしても斯く完全なる設備は一部の工場に限られたるものであつて、これを以て総ての工場に及ぼさんとすることは、不可能である。一部少数の工場は如何に完全にされたりとて、其他の多数の工場がこれに伴ふ経済的余裕なしとすれば、多数職工の不平は更に昂進すべき理由となるのみであつて、遂には利益に浴しつゝある職工に迄も及ぼす結果を生ずるのである。如斯結果を未然に防ぐのが、労働組合を組織して彼等を誘導し向上せしめ、組織的に立派な職工を作ることが必要である。職工が改善される時には能率は高くなり、資本家も共に其の利益を受くることになるのである。要するに資本対労働問題解決の急務は切迫して居るのである。両者互に理によつて其の分を守り、新らしい自覚を以て資本家は労働者に望み、労働者は資本家に望まねばならぬ。


渋沢栄一 日記 大正八年(DK310102k-0014)
第31巻 p.626 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 快晴 厳寒
○上略
(欄外記事)
堀切善次郎氏来リ、近日渡欧ノ告別ノ事アリ、依テ労働組合ノ調査ノ事ヲ談ス
○下略
   ○中略。
二月十八日 雨 寒
○上略 堀切善次郎氏来話ス、近日本職ヲ以テ、欧米ニ赴キ視察スヘキニ付、告別ノ為メ来レルナリ、依テ資本・労働ノ関係、殊ニ労働界ノ沿革及現状ニ付、成ルヘク其真想ヲ調査シテ帰遺トセラレン事ヲ企望スル旨ヲ告グ


自由評論 第七巻第八号・第二七―二九頁 大正八年八月 労働問題と余輩の蹶起 労働問題の研究の端緒=欧米視察=我工場法案 クルツプ会社=中間調停=社会の誤解意不介(DK310102k-0015)
第31巻 p.626-628 ページ画像

自由評論  第七巻第八号・第二七―二九頁 大正八年八月
  労働問題と余輩の蹶起
 - 第31巻 p.627 -ページ画像 
    労働問題の研究の端緒=欧米視察=我工場法案
    クルツプ会社=中間調停=社会の誤解意不介
                   男爵 渋沢栄一
 時代の進むに従つて、労働問題も其時代に適応した様に解決せねばならなくなるのは当然のことである。
 私が労働問題を研究してからは随分と長いものであつて、決して昨今のことではない。
 私一個人の労働問題に対する沿革を語れば、何んでも明治廿九年頃のことゝ記憶するが、朝野識者の間に於て『工場法案』の問題が湧いたのであつた。私はその時は尚早論者であつて、日本の国には日本独特の歴史・国情もある上に、其産業状態にしても外国のそれに比して決して進歩せりと云はれない。殊にまだ家内工業の時代を全く脱し切らぬところへ持つて来て、外国に於ける大規模の工場工業の制度・法律を移転するといふことは、反つて弊害があるといふことを力説したのであつた。
 其後漸次工業状態も進歩向上し、従つて労働問題も論議せらるゝに至り、大分研究をする者も現はれて来た様な次第であるが、工場法案の成り立つたのは明治四十年のことで、其時の私は最早尚早論者ではなかつたが、未だ修正すべき多くの点を認めてはゐた。
 後に至つて私が外国へ商業視察に行つた時にも、大いに此問題には注意を払つて、独逸イツセンのクルツプ工場の設備の完全してゐるに感心して、日本の国に於いても大いに理想的工場が行はれてほしいと思つたことであつた。
 尚工場として
  職工待遇や設備の完備して
ゐることを感心したのは、米国のウオルサム時計製造工場であつた。
 同工場と服部時計店とは商業上の取引のあるところ、私と親しくしてゐる服部金太郎氏が、米国へ行つたら是非ウオルサム工場を見物してくれとのことで、私の行つた時は服部氏の方から既に前以て通知されてあつた様な具合で、特に詳細に案内してくれた様なわけで、私にとつては大分益するところもあつた。
 日本に帰つてからも、工場設備及労働者待遇法又は近頃盛に論議されてゐる、資本主と労働者との階級間の問題に就いても、私は及ばずながら微力を致したいと、精意尽力して来たのであつた。
 先年私が実業界を隠退するに当つて、其旨を東京及関西地方の知己に披露し報告したのであつたが、其際私は老齢であるが未だ全く廃躯とは申し難い、まだまだ世の中のため働き得ると信ずるから、生命の存する限り国家のために至誠を致したいものである。
 これに就いて私の残年はこれを労働者問題のために捧ぐるといふ意味の宣言をしたのであつた。
 前にも申上げた通り、私の労働問題に対する注意を払つて来た歴史は、かなりに長い時日を持つてゐる。しかし何分にも多忙な生活を送つてゐることゝて、思ふに委せぬことが多く、至らぬ勝ちのことが多い、私もそれを平素頗る遺憾としてゐた様なわけである。
 - 第31巻 p.628 -ページ画像 
 しかし実業家を退いて了へば、自由の身体である。労働問題に対しても専心一意尽せるわけである。
 私は何うか
  世の識者同憂の士の協賛を得
て志の一端を尽したいと希つてゐる。一概に労働問題と言つても社会的地位の上から観察せば、自然其処に差等があり、全く下層にある労働者に至つては、これを社会政策の上からして救済策を講じてやらなければならぬわけである。従つて彼等に対しては対資本主といふ問題よりは『社会的救済』といふことが先決問題であつて、此社会的救済を行つて地位が向上された後に於て、初めて所謂資本主対労働問題の範囲にする可きものと考へる。
 資本主対労働問題といふが、これは決して相争ふべき性質のものでないと思ふ。資本主も労働者が無ければ仕事が出来ず、労働者も亦資本主があつて初めて労銀をも得ることが出来るのであるから、何うしても相互扶助の間柄になつて進まねばならぬ。所謂相互的温情主義である。
 階級的調和を目標として進むべきで、決して階級的争闘を目的とすべきでない。表面上資本主と労働者との間に於ては、利害の絶対に相反するのが観察され、労働者の側に立つものは一も二もなく資本主側を敵視し、資本主側に立つものは又無暗矢鱈と労働者を圧迫しやうとする傾向があるが、それでは一国の産業は決して円満に進捗して行くものではない。
  両者相争ひ相噛み相背反
することは、究極するところ却つて両者の不利益に帰するのである。
 単に個人として不利であるばかりでなく、実に国家的立場からして大いに憂慮すべき問題である。
 しかし此両者間の兎角円満を欠く所以のものは、両者自己の利益に執する為である。


竜門雑誌 第三七五号・第二〇―二二頁 大正八年八月 ○失業者救済問題(青淵先生)(DK310102k-0016)
第31巻 p.628-630 ページ画像

竜門雑誌  第三七五号・第二〇―二二頁 大正八年八月
    ○失業者救済問題 (青淵先生)
 本篇は「日本の関門」と題する雑誌七月号に青淵先生の談話として掲載せるものなり(編者識)
△直接的救済方法 近時資本家対労働者の問題は大分喧しくなつて来た。而して、今や此の問題に対しては、上下官民共に理解覚醒の模様があつて、従つて真実に此の労働問題を解決すべき機運が到来したことは明かである。即ち言論の時代は過ぎて、将に実行期に及んで来たのである。斯くの如く労働問題が上下官民に於て論議せられ、加之最早実行期に到達せんとする此の場合に於て、更に起るべき緊要の問題は、戦後失業者救済問題である。
 吾人は、此の失業者救済として三箇の方法を採るべきものと思惟するのである。其第一の方法としては、直接的救済方法で、非営利的職業紹介事業を拡張し、失業者に職業を与ふるのである。此の非営利的の職業紹介の機関は、東京市に於ては既に七八年以来経営しつゝある
 - 第31巻 p.629 -ページ画像 
も、規模大ならず、将又職業の需給的連絡円滑ならず、要するに経費の関係から、萎靡として振はざるの状態に在る。戦後失業者救済問題の喧しい此の場合に於て、而も都市政策の見地よりするも、此の救済機関を拡張して、凡百の職業を紹介し、更に一面には人事の相談にも与ると云ふことにしたい。斯くの如く救済機関を改善して、之を発達せしめたならば、将来に於て起る失業を緩和し、救済することが出来るであらうと信ずるのである。
△間接的救済方法 次に、第二の方法としては、間接的救済方法である。こは都市となく、地方となく為政者は土木事業を起すので、彼の道路の改修、橋梁の架設、運河の開鑿など、此の場合に於いてドシドシと起工し、而して失業者に衣食の途を開拓してやる。殊に東京市の如き、多年の懸案になつて居る道路改修等、斯の如き機会に於て実行すべきであらう。要するに此の方法の如きは、失業者救済方法として採るべき、間接的方策ではあるまいか。
△都会生活の緩和策 第三の方法としては都会生活の緩和策である。換言すれば年々歳々都会人口の増加に対する緩和策で、彼の地方人が田園生活を嫌つて、無暗と都会生活に憧憬れ、都会へ都会へと集中する為に、地方の田園は次第に荒廃する傾向がある。由来大東京の各階級、就中下層階級の生活者は、地方人が多数を占めて居るが、彼の東京市設職業紹介所の統計によると、求職者中東京生れのものは僅に一割五分に過ぎずして、総数の八割五分は地方人である。之に依つて観るも如何に地方の人々が踵を接して、都会に集中するかゞ分る。而して斯く地方人が都会に集中するのは、各地方に生業の途が杜絶せる為めか、将た就職難を慮ばかりてであらうか、此の点を観察すると、憾らくは地方農民の子弟が労働を厭ひ、所謂非労働的職業にて身を立てんと、遮二無二都会に集中するので、従つて一面には田園の荒蕪を見るのである。
△防貧方法と対策 斯く観察するのは、稍臆測に近く正鵠を失するなど論難する人もあらうが、既往に於ける状況に徴するも、此の事実は争ふことは出来ぬ。而して此処数年以来戦争非常の場合、急激に膨脹せる我が財界は、甚だしく労力の払底に困惑して、之が補給に努め来り、今尚労働界に左まで労力の過剰を見ず好況を持続して居るが、現時の状勢から推測するときは、今後当分の間労力の上に過剰若くは何等の阻害を来す者とは思はれないやうであるが、併し今後に於いて叙上の如く、地方人が続々と都会に集中して、職業の争奪戦が起るとせば、其処に杞憂せねばならぬ事象が必ず生み出されて来る、即此の都会には生存競争場裡から刎出された弱者が、いやが上にも多く彷徨難渋するに至るであらう。然りとせば之等に対する防貧方法を計ることが目下の急務であると信ずる。
 而して此の防貧方法の対策としては、地方人の都会生活に走らうとするものを、農村団体が引止るやうにする。こうして田園の荒廃を防止し、他方に於ては農業の振興を計つたならば、現時喧しき食料問題をも緩和することが出来、且つは都会に於ける防貧の一策ともなる、之を要するに戦後の失業救済は職業紹介事業の振興、土木事業の起工
 - 第31巻 p.630 -ページ画像 
と授職、都会人口集中の緩和と防貧方法、此の三つの方策を以て、戦後失業者救済事業の主眼とせねばならぬと思ふのである。


竜門雑誌 第三七五号・第五三―五四頁 大正八年八月 ○労働法規の必要(DK310102k-0017)
第31巻 p.630-631 ページ画像

竜門雑誌  第三七五号・第五三―五四頁 大正八年八月
○労働法規の必要 左は青淵先生談として、八月十一日の「東京毎夕新聞」に掲載せられたるものにして、同紙が今後如何にして労働問題を解決すべきかに就き、諸大家の意見を聴収せるものゝ一なり
 労働問題の紛糾は、現在に於ける世界的の現象であつて、我国に於ても最近物価の暴騰と相俟つて漸く其端を開き、同盟罷業は各地の大小工場に於て行はるゝに至つた、従つて労働問題に関する議論は殆んど一世の視聴を集むるの観があつて、中には随分過激な議論も無いではない、余も亦我国必至の勢たる労働問題の解決に対する施設が現下喫緊の要務たるを信ずる者であるが、さりとて或一部の論者の如く、現在の我国が労働問題の為めに
 △危急存亡 の秋に瀕してゐるが如く高調することには与するを得ない、労働問題に関する我国言論界の現状は、或は其声の其実に過ぐるの嫌がありはせぬか、尤も長い間の家内工業状態から急激に大規模の機械工業に遷つた我国民が、今にも外国に於けるが如き状態を我国に実現するかの如く思惟するも無理ではない、唯政府当局及国民中の有識者は、よく此問題の真相を研究して、最も我国情に適切なる解決方法を講ぜねばならぬ、余の見る所を以てすれば我国と雖も労働と資本の対立は止むを得ぬと思ふ、而して工業組織が全然外国からの輸入である以上、外国に於ける労資対抗の状態が我国にも出現すべきは疑ふの余地がない、即ち吾人は此事実を前提として問題の解決を図らねばならぬ、此点に於て余は遺憾ながら床次内相及び内務当局の所謂
 △労資縦断論 なるものには賛同することは能きぬ、労資の縦断は家内工業時代、即ち親方徒弟の関係時代に就て言ふべきであつて、今日の大工業時代に於ては不能の問題である、政府は既に資本合同の必要と利益とを認めて、会社法の規定を設けてゐるではないか、現在の会社法の下に於ても、或は、泡沫会社を設立する敗徳漢があり、或は脱税の目的を以て、株式会社を組織する富豪が無いでもない、併し乍ら之が為めに会社組織其物を否認するの理由はない、之と同じく現在の状勢に於て労働法を規定して、労働組合を認むるに何の不都合があらう、余は政府当局が労働法の制度を躊躇するの理由を解するに苦しむものである、寧ろ政府は進んで
 △適当なる立法 を樹立し、問題の穏健なる解決を期すべきではないか、勿論時と場合とに依りては、両者の紛争が相互の交渉と法規の力のみによりて円満なる解決を期し難き場合があつて、第三者の調停を必要とすることもあらう、此に於て最近余輩は協調会なるものを組織し、第三者の立場として労資紛争の緩和に微力を致さんと計画しつゝあるのである、余は如何なる争ひの場合と雖も、勝利は理の存する所にあると信ずる、論より証拠、最近の新聞休刊事件が之を明かにしてゐる、彼の問題に於て新聞社側の主張が通つたのは
 - 第31巻 p.631 -ページ画像 
決して資本の威力ではない、詰り道理が通つて無理が引込んだのである、故に余は政府が適当の労働法規を設け、資本家・労働者各之に依つて動くの穏健なる態度に出で、更に之を補ふに第三者たる協調機関を以てすれば、将来に於ける我国労働問題は決して憂ふるに足らずと信ずるものである云々。


文明協会講演集 大日本文明協会編 第壱 大正八年九月刊 【資本と労働の調節 (男爵 渋沢栄一)】(DK310102k-0018)
第31巻 p.631-636 ページ画像

文明協会講演集 大日本文明協会編  第壱 大正八年九月刊
    資本と労働の調節 (男爵 渋沢栄一)
 満場の諸君、私は此場所は場所としては至つて御縁が近くございまして、此講堂は私の老体を知るし、私は此講堂を克く知つて居るのでございます。併しお集まりの皆様は多く今日が初めてゞあつて、何時もお目にかゝらぬのであります。場所は同じではあるが、此初めてのお方に対してお話をし得ることは、又一層、興味を持つ訳でございます。残念ながら少々時を急ぎますので、申し上げたいことは頗る簡略で、何やらん要領を、唯斯ういふことを希望しますと申すに止まるやうな簡単なお話しか出来ませぬことを、前以てお詫びを申上げて置きます。前席に山崎君の貨幣の問題、又引続きましては坪内博士の演劇の話、主催者たる文明協会には応はしいお話であります。其中に挟んで資本と労働、頗る不文明なるお話を申上ぐるのでありますから、取合せが変つて居るといふことを諸君は御承知下さるであらうと思ひます。去りながら文明といふものは、唯奇麗なもの、美しいものゝみにあるのでなく、寧ろその他に又文明の工業があると申上げられるかと考へます。労働は文明を装塡する善い位置たり得ると申して宜からうと思ひます。此事に就て私は昔私が米国へ行つた時分、今故人となりましたが、ゼームス・ヒルといふ人に会見しました、ゼームス・ヒル氏は日々亜米利加の何処かを回つて、農業問題を亜米利加の銀行家に対して話をしたのであります。恰度今私の申述ぶるやうな場所と事柄と少し異つた話でございます。私は亜米利加の国は彼の通り広い土地であるから、全く放任的な農業が盛んに行はれて居り、有力なる人は皆此主義に依ての農業経営のみにあることゝ考へまして、セントポールでヒル氏に会ひます前に、ヒル氏の意見を翻訳したものを見ましたが、是非日本の如きは集約的農業でなければならぬといふことを強く論じて居る人であつたのであります。それは会見の前に見た書類でありますから、会ひました節には方面違ひの農業の話をしましたら、同氏は然らばお前は農業に趣味を持つて居るか、私は鉄道に力を尽して居る、鉄山のことに大に資本を投入して居る、けれども併しながら、それよりモツト必要なのは農業であると思ひ、農業には最も尽瘁して居る。殊に米国の極く解放的放漫なる農業では、将来大に困却を生ずるであらうと思ひ、集約的農業の発展の為めに頻に努めて居る、其事に就て面白い話は、市俄古へ行つて市俄古の銀行家の会合に於て、自分に演説をして呉れと云ふから、其演説に農業の演説をした、其時に斯る前置を申した、「諸君は貨幣に依り、金銀の貸借に依り、若くば為替に依つて、誠に美しい奇麗な文明的事業をやつて居る銀行家である、其銀行者の諸君に土を掘り返し耕作をするといふ事の話は、余り
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に不似合であると感ずるであらうけれども、併し銀行の奇麗な事業の根本は何であるかといふ事を考へて見たならば、私の今申述ぶる此農業に就て、米国は将来集約的農業を盛んにせねばならぬといふ問題に就ては、思ひ当つて下さるであらうと思ふので、玆に私は其事を述べる」といふ冒頭に依つて、此市俄古の銀行者に対してヒル氏が農業問題を大分詳しく話したことがあります。それと之とは違ふ、即ち今玆に申述ぶるのが一致するといふのでございませぬけれども、此度主催の会として、又此場所としては、労働問題といふことは甚だ又応はしからぬかと思ひますが、蓋し今日お互に相当なる考を有することゝ思ふので、一言申述べて見たいと思ふのでございます。
 元来此日本の工業といふものは、維新後大部歳月を経ましたから、今日から見まして古来伝はつて居る機械的事業の如きは、多いことは多いけれども、未だ其の発展は甚だ短いのであります。総て維新以後の工業は大抵所謂手内職といふやうな按排で、或は師匠と弟子、主人と僕従、斯ういふやうな按排に工業といふものが出来て居つたので、大抵個々別々に小さい資本、小さい人々に依つて事業が為されて居るといふのが、日本の古来の工若くば単純の工でなくても、事業に於ての関係が殆んどそれに依て成立つて居りましたのであります。故に徒弟の関係、主従関係以外に余り多数の人を使ふといふては、先づ大きな呉服店とかいふやうな職業でなくては、殆んどないと申して宜かつた、それが欧羅巴の事業を大に入れて、力を較べてやるといふことに追々と其工業が変化しまして、段々機械工業が発展致して参るに就て恰度題に掲げたやうな有様に、資本者・事業主と労務に就く人との分界が自然現はれて参つたのでございますが、今日に於て、然らば両者の間を如何にしたら宜からうかといふことの物議を生ずるのは、勢の然るべきもので、当然と申して宜からうと思ふのでございます。玆に両方の説がございます、資本側を思ひ遣つて、資本者側の有様に成代つて申して見ますと、元来日本の労働に従事する人々の人格と申し、働きと云ひ、決して満足と言はれない、殊に一般の風習が、仕事に対して極く熱心に、克く時間を聊かも余裕なく十分に使ふといふことが日本の事業には甚だ少い、故に若し此有様にして唯欧米の夫に傚うて労働者に対する都合のみを論ずるやうになれば、資本家は遂に自己の利益を失ふやうになつて来る、さうして能率が甚だ挙らなくなり、其労働者が唯自分の仕合せを得るといふこと、例へば時を詰めるといふ事も、時を詰めて規則立つた働きをせねばならぬに、十二時間を八時間に詰めた暁に、同じ十二時間の時の様な懶惰な事業を経営して行つたならば、時が詰る程それだけ能率を減ずる訳になる。さうして間々打寄ると、自己の勉強、自己の知識を進める方法をば第二に措いて、兎角労は少く収穫の大きいことを、欧羅巴・亜米利加の或る労働者の十分なる力、十分なる能率を挙げるものに直ぐ比較して、資本家に求むるやうになるから、此有様で何時になつても漸次大を求むるやうになり、資本者は労働者の希望を充たす為に、算盤が立たないやうになつて来る、斯の如く応ずれば応ずる程、尚望を増して資本に対する効果を挙げることが出来なくなる。今日の有様で学者若くば労働者に同
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意を表する人々の多数の説にのみ是拠つて、遂に此両者をして相争ふの位置に立たしめたならば、遂に資本家は事業を為して居られぬやうに成り行くかも知れぬ、宜しく労働者にも十分に考へ附けさして、余り左様な唯求むることにのみ進まぬやうにしなければ、資本に対する大なる妨害を与ふるであらう。其他に種々なる議論をする向もあります、大要此資本家の弁解はさういふやうに聞えます。又或は同じ資本事業主に於ても、昔風の事業と全く欧羅巴から伝来した近頃起つて居る事業、即ち維新後進んで来た事業に就て、例へば紡績工場の如き、多数の人を使ふ向では、夫々法を設け、殊に紡績など婦人をも多く使ふやうになり、旅へ出て募集して来る、従つて地方から相集まるのであるから寄宿舎の備へもある……独身者もあり、家族を持つて居る人人も大に集まる、斯の如き工場では寄宿舎の備へのみならず、或は学校の備へ、娯楽場を設け、倶楽部を造り、種々なる設備を有つて居ります。斯の如き有様を有つて居つても、尚且つ或る労働者に加担する学説を重んずる人々等は、一体日本の資本家は努力が足りない、斯の如きは既に労働者が殆んど人格を認められない、飽く迄労働させ、自分は五割・六割位の配当を取つて、知らぬ顔して居ると攻撃して居るけれども、決して左様な時許りはない、或る時にはさういふ仕合せもあるけれども、さういふことのあつた場合は労働者に対して相当なる報酬を分けて居る訳であるから、左様なことは労働者夫自身が間違つて居る、或は労働者に加担する学者の説は殆んど皮相の見である、斯う資本家側は言うて居つて、此労働者に対する考へは、成るべく彼等をして克く自ら顧みさせるやうにしたいといふ説が先づ総て多いと云はねばならぬのであります。私は特に資本家の弁護を皆さんに申上ぐるのではございませぬ、私の聞く所を取縮めると、資本家側の労働者に対する観念は、前陳情したことが先づ当らずと雖も遠からず、大抵それであると申して宜からうと思ひます。労働者側にも種々な種類がありまして、決して一様には申せぬが、先づ多数は恰度資本家の説には反対である、今日の有様では資本家は労働者に対する満足を思はぬのみならず、政府は相当なる方法を設けて、資本者には尚力を合せて或る場合には協力して他に当るといふ方法があるのに、労働者に於ては殆んど個々別々で、未だ昔の所謂主従の有様を以て資本家に待遇される、況んやそれを以て政府は然るべきものと是認して、若し労働者が打寄つて多数の力に依て希望を達せしめようと思へば、甚だしきは是れ穏当なる行動でないと、警察署から罰する、治安警察法十七条などいふものは、依て以て此資本者を援けて労働者を圧迫する方法である、さうして其資本者の経営する有様を見ると何うであるか、総ての事業家皆限りなき利益を収めて居る、或は紡績の如き、製糸の如き、造船の如き、各種事業は二割の利益を挙げる、三割の利益を挙げる、若くは四割・五割といふやうな利益を配当するではないか、多少の賞与、特殊の手当も労働に向つてありはするが、是等は全く有り余るから当がつてやるといふ風で、相当の人格を認め相対して之に応ぜんとするのでなく、例の恵与的にのみ仕向けられて居る、さうして之が更に位置を換へ、若しさういふ利益のなかつた場合とか、事業が不景気
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に陥つた場合は何うなるか、決して家族とか主従とかの関係でないから用がなくなれば之から先事業を縮少するから、お前方は罷めても宜しいといふやうなことを言はれる場合が、必ずないとは言はれないのである。玆に於て労働者は或は組合を造り、或は法を設けて、さうして協力に依て世間に対して自己の利益を保護し、自己の損害を防ぐといふことは、尚資本者が同業組合を為すと同一ではないか、此同一なるものを、労働者に対してはさういふ経営は甚だ宜しくないとて、之を防ぐといふことは実に不都合ではないかと、労働者自身も頻に申して居ります。殊に学説上から、欧米の例に傚うて此説を唱ふる向が、先づ多いと見らるゝやうでございます。是は両者相対して玆に争を生じたといふことはございませぬけれども、時々見及び、或は同盟罷工もございますれば、又余儀なく工場の方から職工を解除するといふやうなこともあつて、種々なる有様が各地に時々散見さるゝのが現在の有様であります。今日の工業は、先づ総ての工業が甚だ善くて尚且つ左様であるから、此上若し不景気の状態が参つた暁は、其影響は如何であらうかと考へますと、自分は甚だ憂慮すべきものではなからうかと考へるのでございます。併し私は果して斯くすれば宜しいといふ、玆に案を設けて、諸君に斯様と断案をして申上ぐることは出来ませぬが、自分の考へる所では、必ず、今玆で速に欧米式の労働組合を造つて、其労働組合のみで進行して行くといふことより外に策はない、と申したくないと考へるのであります。然らば前に資本者側の説を申しましたがさういふ議論に依て吾々が宜いというて居るが、吾々は決して労働者の難儀をも介意はぬといふ主義を取つて経営するものではない、即ち克く近頃新聞に出て居ります温情主義……成るだけ親切を以て待遇するから、之に依て安んずることだけを以て、資本者の言葉に全然世界が満足して居るといふことは、決して言ひ能はぬことではなからうかと思ひます。斯く考へますと、此両者の行掛りが何れに立ち至るか、何ういふ心配を惹起するかといふことが懸念さるゝ様に思ふのでございます、私は今玆に思ふ所は、是非此両者の間に一の大いなる、先づ申さば仲裁団体を造りまして、資本者に対しては相当なる或る場合には忠告も加へ、又労働者に対しても、或る場合にはそれは君方が間違つて居るといふ、意見もしたりする力あるものが出来たならば、今日の日本に於ては或は適当なる処置ではなからうか、果して左様な完全なものが出来得るか何うかといふ事は、今私一個の思案として、玆に諸君の御面前に必ず出来るものであるといふことを申し上げることは致し兼ねますが、併し希望としては、今申上ぐるやうなものを組織するが、此過渡の時に於て適当なる方法でないかと考へるのでございます。但し次に申上ぐるのは、別に制度上から望むのでなく唯私の考へでありますが、商人の位置にも居らぬ者、労働者でない向の相当なる顔触を集めたならば、玆に一種の団体が造り得らるゝであらう。さうして国に於ては相当なる助けを与へ、世間に於ても同情を寄せて、此両者の協調を其団体をして図らしめる様にするといふのが、今日の場合先づ一番穏健なる適当な方法ではなからうかと思ふのでございます。先達て加奈陀の銀行者のサー・エドモンド・オーカーとい
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ふ人が日本に参りまして、序でに満洲から支那の方へ旅行をされました、其道序でに恰度東京に暫く滞在されて私も会見致しました。此商業銀行といふのはなかなか盛大な銀行で、エドモンド・オーカー氏は英国政府からサーといふ爵を貰つて居る人で名誉ある人であります。いろいろと日本の今日の経済上に就ての話から、談は遂に資本と労働に及んで来ました。如何なる考を以て此資本と労働に対して調和を図つて行く所存であるかといふ問でありましたから、私はさういふお問に対して十分なる意見を申上ぐる事は、今日では実験上の断案もなく又学者でもなく、政治家でもないからお答へが出来ぬが、何うも或る場合には資本家を重んずる人があり、或る場合には労働を頻に重んずる説もあつて、あなた方が外見から見るといふと、何方が何うといふ疑を持つであらうと思ひます。此世の中の仕事はなかなか一本調子の断案をすることは、余程為難いものであると、恰度答ふるに、今私は斯ういふやうなものを組織したら宜からうと信じて居るといふことを以てした。即ち前段申した意味を以てしました。玆にエドモンド・オーカー氏は、恰度似たやうな話だが、加奈陀にもさういふ仕組がある併し是は民設でなく、政府の命に依て出来て居り、労働局といふものがあつて、其労働局は資本者・労働者側からも人を命じて入れて、さうして種々なる調査をしつゝあつて、今申す或は或る会社が其会社の重役と働く労働者との不調和を起し、遂に同盟罷工にも及ばんとする場合に、或は所謂任意的なる仲裁法と、又強制的仲裁法との二様になつて、依て以て加奈陀の物議を納めて居るから、お前の思案は先づそれに似て居るものである、若しそれが完全に出来て克く行はれて行つたならば、今日としては成る程日本の状態としては相当ではなからうかと思ひます。此人は日本の状態を審かにして居る訳でもあるまいにさういふ賞賛をして呉れた、敢て軽ハヅミにそれに安心して、オーカーがさう云つたからそれで宜からうと申す訳でありませぬ。唯一例として加奈陀にある例を申して参考にしたいと考へたのでございます。今申上げたことは唯私の一案で、果してそれが世の中に完全に生れ出で、又出ても一般に成る程と認めらるゝものとなり得るか、又一方から労働者が左様なものを十分見付けて、之に対して信頼をして、お止しなさいと云ふたら聴く程に威信が生じ得るだけの信用が買へるか、決して判つたものでございませぬ。
 併し私は実に数年前、長い間実業界に従事しましたけれども、便りないさういふ身柄の儘に此世を終るも甚だ趣味ない立ち方と考へました故に、七十七を一の機会としまして総てさういふ関係を断ちましたのでございます。故に自分は勿論資本者でもなく、今日では尚更実業家でなく、学者でもない、誠に閑散な一人であるが、併し老後の思出として、実は資本と労働の関係とか、貧富の懸隔を調査するといふ事だけで、所謂棺を覆うて論定まるで、苟も死ぬ迄の間には縦令寸時たりとも尽さねばならぬといふ事を、深く感じて居るのでございます。右の関係からして、如何にしたら宜からうといふことを、或は人に問ひ又人の問に対してお答へをして、種々考へを持つて居りますが、或は前申すことは、其やうな生温いことではいかぬといふ説を為すお方
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が、学者方面に多いやうでございます。去りながら日本の現在が、唯直ぐ様亜米利加・英国の如く、一足飛びに其方に進んで行くといふことは如何であらうか、況んや習慣の大に異る所であるのでございますから、私は思ふのです、若し中間性質のものが道理正しく力強く成立つて行つたならば、即ち資本家も多少それに向つては或る場合には遠慮もするであらう、或は尚信頼するであらう、又労働者の方も左様の観念を以て迎へられたならば、相当の中間にあつて行司役が必ず勤まらぬものでもなからうとか、果して左様であるならば、斯ういふものの成立に自分は力を尽して見たいものと、今考へて居るのでございます。其事の成立するや否やは、玆に明言する限りではございませぬけれども、資本と労働の調和は今日甚だ必要であるといふことは、私の駄弁を待たぬのである。又今玆に必ず協調し得るといふことは、私は諸君にお請合は出来ませぬけれども、併し実際問題として早晩何かせねばならぬといふには、私は斯る方法が今日の日本の状態に於ては甚だ必要でないかと思ひますので、唯愚見を諸君の御面前に一応述べた次第でございます。
   ○本講演ハ、栄一ガ大正八年七月十三日一橋東京高等商業学校ニ於ケル文明協会特殊講演会ニ於テ行ヒタルモノナリ。


竜門雑誌 第三七六号・第六一頁 大正八年九月 ○労働組合を是認せよ(DK310102k-0019)
第31巻 p.636-637 ページ画像

竜門雑誌  第三七六号・第六一頁 大正八年九月
○労働組合を是認せよ 左は九月三日の東京朝日新聞紙上に掲載せられたる青淵先生の談話なり
 本邦に於ける現下の労働問題を議する人々の中には、我国は欧米の労働問題を白熱化し居れる諸国と異り、第一に工業状態に於て多大の懸隔あるのみならず、人情風俗も亦一種特異の美を有して居り、且つ家族制度の持続さるゝが如き、欧米各国に於て窺知し得ざる幾多の国民性を具有し居れば、此際欧米各国の夫れに傚ひ、労働問題に関する対策を講ずる必要なしとの意見を有する向も尠からざる様なるが、斯の如き解釈は頗る遺憾とせざる可らず。現下労働問題の紛糾して国家に禍ひするが如き事象の余り頻出せざるが故、論者は温情主義抔を振廻して自ら安心せるが如きも、恁は大なる不安心と云はざるを得ず。砲兵工廠の罷工騒ぎの如きも、無条件にて職工側の復職するに至りたるは、職工側の屈服と見る可らずして、職工側の至情美の発露の結果として之を賞讚すべき事柄と解せざる可らざるも、此至情美は那辺まで継続さるべきか、日進月歩の勢を以て産業の組織状態は変化し、我々の生活状態も日々世界の潮流に刺戟されつゝあるの際に於て、右の如き結果を以て国家永遠の事例なりと理解するは、甚だしき誤謬なりと信ぜざる可らず。我国に於ける家内工業が漸次機械工業となり、個人経営が年を逐うて大規模の共同経営となりつゝある矢先き、今次の世界大戦争の結果は大に此風調を促進せしめ、其結果各工業の利益も莫大となり、延いて製品の高値、一般物価の騰貴となり、爰に生活問題を惹起し、及ぶ所遂に労働問題の大勢的解決を度外視する能はざらしむるに至りたるなり。此事情は恰も吾人の弱年時代、封建時代政治の下に在りて、別段政
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態の変動に就て深く考慮する所なかりしも、攘夷論の徹底して行はるゝに至りたる結果は、勢ひ封建政治の非を是認し置く能はざることゝなり、遂に今日の昭代を生むことゝなりたると同様にて、欧米の発明せる事柄を用ひ、欧米の創案せる事例を利用して今日の我が隆盛を贏ち得たる以上、又労働問働に就ても、欧米の夫れを参酌して、禍の醸生せざるに先んじ、大に施設する所無かる可からざるなり。斯の如き見地より、我輩は労働組合の組織は之を是認するを以て当面の第一問題の解決とし、又同時に治安警察法第十七条も之を廃するを以て当然の処置なりと信ずるものなり。依りて今回設立せる協調会も此辺に多大の期待を以て望み居れば、世人は暫く藉すに時日を以てせらるべきを希望する次第なり。併し予は飽までも同盟罷業を以て国家の不祥事と目するが故に、之が現実に就ては成べく回避の挙に出でんことを労働者に対しても希望する次第なり云々。


竜門雑誌 第三七七号・第二一―二三頁 大正八年一〇月 ○労資協調問題(青淵先生)(DK310102k-0020)
第31巻 p.637-639 ページ画像

竜門雑誌  第三七七号・第二一―二三頁 大正八年一〇月
    ○労資協調問題 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として「実業公論」六月号に掲載せるものなり。(編者識)
 資本と労働の問題を如何に解決すべきか、此問題に就ては既に多年自ら研究もし、人にも問ひ、欧米の実際をも視察し、政治家などとも幾回か協議を重ねて、顛沛の間と雖も猶ほ忘るゝことの出来ない問題である。
△労働組合は是非共必要 我国には従来労働問題と云ふものは無かつた、けれども昔から労働はある、そしてその労働は多くは家庭的であつた、従僕又は徒弟としての労働であつて、労働者としての労働でなかつた、然るに文明の進歩と共に、大資本を以て大事業を経営するに至つて、多くの労働者を使用する必要が起り、玆に初めて資本家と労働者の階級を生ずるに至つたのである。即ち大仕掛けの大事業を起すが為に、資本家が相寄つて会社を組織すると共に、鉱山や工場に使用せらるゝ労働者が、一致団結して組織し、其利益を計らんとするは素より自然の勢である、然るに労働組合を目して、単に資本家に対抗するものなりとか、同盟罷工を煽動するものなるかの如く考へ、之を圧迫して成立せしめざらんとするは誤れるの甚だしきものである、宜しく治安警察法第十七条の如きは之を撤廃して、盛んに労働組合の勃興を促がし、以て労働者の利益を計ると共に、資本家側の利益をも計らねばならぬ、労働組合は意思の疏通を計り、労働者を統一する機関として、最も其必要を認むるものである。而かし彼の幡随院長兵衛や、め組の親分、又は相模屋政五郎等が、労働を一つの株式状態として、一定の縄張りを定めて組合を組織し、親分乾児の関係を作つて居つたが、こんな人入主義で頭を張つた様な形式の組合は、全く論外であつて、此処に論ずる範囲でない。
△資本と労働の関係 現今労働問題に関する欧米各国の一大思潮は、必ずや近き将来に於て我日本へも推し寄せて来ることは、判りきつたことで、天の未だ雨降らざるに当つて先づ其牖戸を綢繆するは最も必
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要な事である。この事は昨年十月九日内務大臣官邸へ案内を受けた時にも、内相其他列席の各位とも協議した点であるが、自分の意見としては、飽く迄も時勢の進運に伴ひ、社会一般の機微を知つて、時代の要求に応じ、相当の処理を為すのが至当であると考へる、故に今将に組織せられんとする労働組合や工業倶楽部の如きものゝ勃興に対しては、政府側としても又資本家側としても、従来の如く唯だ無暗に之を撲滅せんとするが如き偏狭に出づ可からざるは素より当然である。須く労働者の会合を寛大自由ならしめ、之を善導して整然たる労働組合の成立を助成すべきである、然るに政治家、又は資本家中の或者の如く、一概に之を圧迫せんとするものあれども、之れは誤れるの甚だしきものである、何となれば資本と労働の調和と云ふことは、資本家に対する労働者の不平を一掃すると云ふことで、労働者を統一する労働組合が、資本家に対してよくなると云ふことが、即ち資本と労働の調和であるからである。然るに或論者は又曰く、積極的に労働組合の成立を奨励せんよりは、寧ろ其成行きに一任すべしと、此論の如きも亦時代の要求を無視するものにして、社会の大勢に卒先して、之を善導するの経綸なき無為無策の言たるを免れざるなり、何となれば凡そ事を策する、其初めを慎まざる可からず、労働者の大多数は知識階級の最も低きものなるが故に、宜しく事前に於て誘導扶掖し、温良にして且つ整然たる組合を作らしむるは最も肝要な事柄であるからである。決して之を放任して、欧洲各国のそれの如く、労働をして資本と相対立し屡々同盟罷業をなすが如き弊風に陥らしむ可からず、宜しく積極的に之を善導して、資本対労働の関係をして、相依り相扶け、以て円満なる進展を遂げしむるの策に出でざる可からず。
△調節機関の設置 そこで自分等の考としては、先づ第一に資本家側でもなく、又労働者側でもなく、其中間に立つて最も公平に一方に偏せざる中間性の中央協会とでも言ふ様な機関を設け、而して之が会長たるものは、資本家側にも労働者側にも関係なき、超越した人物を選び、資本家の横暴を訓戒すると共に労働者をも自覚せしめ、双方の調和の大任を完ふする者をして当らしめ、主として、労働救済の方針の下に、労働者の便宜を慮り、失業者に対しては職業の紹介を為す等、精神的生活の方面と実際的生活の両方面から、労働者側を善導し、双方をして互に相融合せしめ、調和の実績を収むるの方法を講ずるは、最も必要のことゝ信ずる、此計画に就ては、床次内務大臣からも吾々共に対して勧められて居る。孰れにしても社会の進運に伴ひ、斯かる統一機関の必要なるは明かな所であるから、自分は資本家側に対しても意見を聞き、又工業倶楽部へも相談をして、多数の意見を参考して居る。
 斯くて中間性を有する中央協会は、各地方の労働組合又は其聯合会から代表者を出頭せしめて、充分に資本家側との融和接合を計り、爰に温情主義(此処に所謂温情主義は病気退職、賞与其他将来の困難等に対し、一切の方立をしてやる意味にして、善政を布くと云ふが如き狭義に解すべからず)を以て、根本的に労働問題を解決するを要す、加奈陀では既に斯かる機関が設けられて居るとのことである、去る四
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月下旬自分が病気中に、トロント市のサー・エドモンド・ウオーカー氏と会見した時、自分の意見を述べた所が、それは頗る賛成である、自分の国では政府の命令で調節機関が既に設けられて居るから、帰国次第規則書を送つて呉れる約束である、而し吾々が設置せんとしつゝある者に対しては、官憲は加はらない筈である。


自由評論 第七巻第一一号・第二二―二五頁 大正八年一一月 先づ生活の安定を保証せよ 協調会と渋沢=実業界隠退後の知事公=老人冷水 赤誠国を憂ふ=労働問題に対する見解=中産階級(DK310102k-0021)
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自由評論  第七巻第一一号・第二二―二五頁 大正八年一一月
  先づ生活の安定を保証せよ
    協調会と渋沢=実業界隠退後の知事公=老人冷水
    赤誠国を憂ふ=労働問題に対する見解=中産階級
                   男爵 渋沢栄一
 私は常に国家社会を標目とし、是を基調とし根本として活動してゐる。私の活動の原動力は国家社会を念ずる観念である。八十年の生涯を、此目的のために微力を尽した私は、其実業界隠退後の老後の余生のすべてを、やはり此観念のために努力したいと希つてゐる。
 目下は時代の産物として喧議されつゝある労働問題に対して尽してゐるのであるが、私の立場は、常に国家社会全般の利福を図るにあつて、資本主と労働者との打算利害の衝突、因襲的に培はれたる反感等を、出来得るだけ緩和して、階級闘争の悲劇を除去したいと思ふのである。
 労働問題のため奔走する所以のものは、実に労働者の味方となつて資本主を窮迫し、若くは資本主の鼻息を窺ふて、労働者を抑制するの何れにしても其偏頗に堕するが如き陋を学ぶものではない。
 私の態度は常に公平無私であり、偏に国家社会の利福を念とするのみである。
    国家社会を念とする者にとつて
憂慮に堪へずとするものは、既に労働者の問題のみではない。しかし是を現下の中心問題、緊急問題となす以上、先づ其第一歩に解決すべきは、此問題でなければならぬ。中産階級者に対する問題も、もとより社会問題として、充分考慮すべきである。社会の中堅となり、国家の中堅となるべき中産階級が動揺し、此中産階級者の生活に不安を来すといふことは、甚だ悲しむべきことである。
 是等のことは、現下に於ては、労働者の問題と共に併せて考慮におかねばならぬ問題である。
 是に対しての私の意見は、目下のところ具体的に申述べる程の提案もないが、先づ中産階級者の生活を、安全に保証して、其生活上の不安と其社会的地位より発する不平を除去するに努めねばならぬ。
 そして其根本とも言ふべきは、経済上の確立安固である。
    現今の如く物価高騰の場合に
於て其収入の是に順応することを許されぬ境遇に有る彼等にとつて、尚従来の如く面目を保持して行かねばならぬといふことは、大なる苦痛に相違ない。
 是等中産階級者を保護する方法としては、其報酬を増してやるといふことも勿論必要であるが、それと同時に、廉売組合・購買組合の如
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きものゝ設置によつて、其消費物を安価に供し得らるゝの方策をも講じてやらねばなるまい。
 労働問題の喧議せらるゝと共に、従来無自覚なりし労働者は、漸やくに其社会的地位を自覚し、其生活の状態を反省し、対資本主との社会的幸福の均衡を失せるに不満を抱くと共に、此の不平不満は資本主に対する反感反抗となり、労働者は不識不知其処に団結一致の行動に出でゝ、資本主に対する一つの示威運動が行はれる。かくて此示威運動の行はれたる結果は
    多少なりとも労働者に幸を齎し
て、労働者の地位は次第に向上する。
 而して此向上されたる労働者と、資本主との間に板挟みとなるものは、実に中産階級者である。
 資本主になれず労働者に堕せざる中産階級は、其労働者の地位の向上と共に、其生活を脅威さるゝのみである。
 現今日本に於て、最も生活上の苦痛を直接に痛感してゐるのは勿論中産階級者であらう。しかも中産階級者は、其地位をじつと保つてゐねばならぬわけがある。
 中産階級者を総別して、官吏・月給取・会社員・新聞雑誌記者、乃至学者・教育者の類として、目下のところ彼等の生活は、労働者自身の生活の向上のそれの如く、平均しては向上してゐぬ。其間に甚しき不均衡を見るのである。
 是等に対しては
    官庁若くは会社銀行等に於て
個々に其生活を向上保証せしむるといふことも必要ではあるが、しかし更に統一されたる全般的の社会政策を施さねばならぬこと勿論である。
 個々に就いては、私の長く関係してゐた第一銀行の如きでは、今回其月給を値上げした等の事実も有り、近くは官吏等の増給も伝へられたことであるが、それは一部分である。しかして其程度は未だ以て現在の物価のそれとは、決して均衡を得てゐるとは思はれない。
 其半面に於て、労働者は所謂時運のなせる力を以て、其生活は従来に比し確かに向上せられ、其報酬の如きも物価の昂騰と比例されてゐる様に思はれ、尚且其時間問題、労務の程度等に於ても、其要求が幾分具体化されむとしてゐる有様である。是等労働者の地位の向上せらるゝといふことは、勿論、結構であり、対等を資本主とした場合に於ては、其社会的地位の向上せらるゝことも、蓋し当然のことではあるが、しかし
    独り資本・労働が或程度まで対等
におかれたるが故のみにて、決して社会の幸福と見做すべきでなく、資本・労働と更に中産階級者のすべてを網羅したる社会的均衡幸福を図るといふことは、社会政策上の至難でなければならぬのである。


竜門雑誌 第三七九号・第三二―三五頁 大正八年一二月 ○資本と労働(青淵先生)(DK310102k-0022)
第31巻 p.640-643 ページ画像

竜門雑誌  第三七九号・第三二―三五頁 大正八年一二月
    ○資本と労働 (青淵先生)
 - 第31巻 p.641 -ページ画像 
 本篇は「商店雑誌」七月号に掲載せる青淵先生の談話なりとす。
                         (編者識)
△衝突は避け難き成行 資本と労働とは如何に協調せしむべきかは、現下に於ける難解の一大問題として、一般社会人から極めて重要視されてゐる。然しながら此の問題は、必ずしも今日突然降つて湧いたる事柄には非ずして、欧米諸国が今日の如く諸工業の進歩隆盛を見るに至りたるは、畢竟資本と労働の協調関係が与つて力あつたことを思はば、我が国人も既に業に斯問題に対し、相当の研究を重ね、相応の見解をも持して、之れが対応策を講ずる程の用意が無ければならぬ筈である。
 従来我が国人は門閥万能の古き時代思想を継承したる結果、資本家と労働者の関係は、恰も主従の如く思考しつゝある者さへ珍らしくなき有様である。此の時代錯誤は、何時か覚め来りつゝある労働思想に抵触して玆に両者協調を困難ならしむる。但し、両者の協調を困難ならしむるの原因は、必ずしも思想上の関係のみにあらず、経済上の理由も亦大なる原因の一つをなすべしと雖も、然も何れは主としての強者が従としての弱者(語弊はあるが)を抑制したるに発してゐることを拒むことが出来ない。我が国労働問題の漸く囂しくならんとするは蓋し避け難き成行きである。
 抑々一国の興隆は、商工業の発達進歩に与る処大なるものあるは言を俟たぬ。而してそれ等事業の発達進歩は、資本と労働の協調共進に俟つ処大なるは之れ亦明かである。故に資本と労働の協調如何は、直に事業の盛衰、国力の萎微伸長に係るものである。然らば資本と労働との間に起る面倒は、主として此の協調の宜しきを得ざる為めであることを知らねばならぬ。
△学理と実際の不調点 此の頃になつて、学者や政治家や実業家、その他一般の人士が資本と労働の協調問題に対して様々心を労し、思ひを寄せ、又新聞雑誌等がその急先鋒となつて盛に此の問題を論議するやうになつたは当然である。それと言ふのが、有史以来の大戦争である欧米の大変動が著しく斯問題に刺戟を与へ、殊に戦争の終熄後種々なる世界的大問題が発生し、之れを国際聯盟の下に解決せんとすると共に、此の労働問題をも其の中の重要なる一部に加へらるゝに至り、従来余り其の影響を蒙らなかつた我が国のそれも、端なく世界的の大警鐘に愕然として急に其声を高め来つたのである。斯くの如き形勢にある同問題を拒絶せんとするは、恰も洪河に堰を試むると一般、甚だ危険なる企てゞあるから、之れは何うしても最善の方法を講じて適当なる協調を計らねばならぬと思ふ。
 予自身は予て声明してゐる通り、曩に実業界を退きてからは、其の余生を社会的の事業に捧ぐるを念とし、今日微力を致して居る次第である。即ち予は最終の奉公として、元来の持論である道徳と経済の一致、資本と労働の協調、貧者と富者の融合、此の三つの問題に対して及ぶ限りの力を尽したいと考へてゐるのである。さりながら予は是れ等の問題にして、必ずしも充分なる知識を有する訳ではないが、唯だ実業界にゐた頃からの持論を、漸く暇になつた老後仕事として之れに
 - 第31巻 p.642 -ページ画像 
貢献したいと考ふる処より、自然資本と労働協調の問題は少なからず予を刺戟するものがある。
 然して一方此の問題に対する世間の思惑如何と観察するに、学者は学者、政治家は政治家、実業家は実業家、其の他一般の人士に於ても其の観る所其の説く処に相違があるやうだ。就中学者は、主として欧米のそれを是認して、日本の実態に着眼せぬ嫌ひがある。即ち学説として理論の上から説くのであるから、往々にして資本家の承服しがたき点もある。即ち従来一切の習慣及び現在の実相を認めず、一意理論と世界の大勢から説く学者は急激の進歩論者であるから、或はさう云ふ憾みがないでもない。
△中間性の協調方法論 比較的資本家と労働者間との消息に通じた学者であつても、殆んど一様に、資本家が労働者に対すること従来の子弟関係・主従関係を支持して、之れを圧服しやうとせぬまでも、労働者を一個の人格者と認める襟懐のないのは間違つてゐる、彼等を待遇せずして自己の利益の多からんことをのみ希ふは余りに虫のよき沙汰で、斯くては遂に彼等の不平不満を挑発して、種々なる動揺を惹起するを免れぬ、と言つてゐるやうだ。至極道理ある言説である。
 然して、政治家は此の間に処して果して、此の問題を学者の説く如く、欧米のそれのやうに取扱ふことが得策であるか、一方これとはかけはなれた古風の資本家の希望するやうに、成るたけ此の問題に手をつけぬと云ふことも完全の協調を遂ぐる道でないから、何とか解決の方策を運さねばならぬと考へてゐるやうだ。そこで今日の処、未だ此の問題に対し、何れの方面にも確たる答案は出来てゐないやうであるが、比較的冷静に斯問題を研究する人士の間には、大体日本の良い習慣は成るべく之れを保存すると同時に、欧米に於ける資本・労働両者の協調に見る良習慣は、之れを我に取容れて、以て玆に我が協調問題を解決しやうと云ふのが、現在の希望であるやうに思はれる。
 予は此の急激の進歩派と古風の事勿れ主義の保守派に対して、中間性と申すべき上述の希望が、果して世界的風潮に煽られてゐる我が労働問題を解決する妥当の方法であるか否かは知らぬけれども、他方労働界の実際を具に観察し、又屡々予を訪ねて自らの意見を陳述したる労働者等の言説を参考として考へる時は、此の所謂中間性の希望も必ずしも棄て難きものゝやうに思ふ。
△結局の解決は組合法 実際労働に従事する忠実なる彼等、少なくも予を親しく訪問したる彼等の言ふ処に拠れば、彼等は学者の説に同意せずして曰く『今日の如き労働界の実相を知らずして、濫りにその権利のみを主張することは、これ恰も贔屓の引き倒しに類するものであるから、願はくは罷めて貰ひたい。吾等は其の生活の幸福の為めに、忠実に労働を辞さぬ、之れに対して資本家は好意を表して待遇してくれるならばそれで満足である。』と云ふのが大体の意見である。されば労働者側で、今日過激の言説を為す者が直に労働界を代表する主張とは申し難き事情もあるので、斯く学者・政治家・実業家、それに労働者等の所説希望を聞いて見ると、予等は殆んど之れが論断に苦しむものがある。
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 さりながら強いて予の考へを求められるならば、予は日本の古来伝つた良習慣を保存しやうと云ふことは固より反対はせぬが、併しこれを以て直に当面の問題を解決し得べしとは信ぜぬ。由来我が国の欧米より受くる刺戟は甚だ敏にして、学問にせよ思想にせよ、悉く然らざるはない。況んや国際聯盟に加へて世界的に解決せんとする程の大問題が、僅かに微温的の方法で之れを堰止められやうとは何うしても思はれぬ。必ずや欧米の風潮は滔々として押し寄せ来るは免れまい。故に従来の我が労働習慣を保存しやうと云ふ希望は甚だ困難であらう。殊に労働が家内的より工場的となり、更にそれが段々と大規模になる関係からも益々困難の度が高くなる。然しながら、物には順序あり程度がある。何時の場合にも用意なき急激の変化は、往々にして不幸を招くものであるから、此の問題の進展に就いても、大に考慮を費さねばならぬこと勿論である。現に今日工業条例の支配を受けざる工場にして、可なり多くの労働者を使つて居る程の状態で、斯くの如き幼稚なる者に対して急激の進歩を促すは果して如何なるものであらうか。此の点から申せば中間性の方法を講ずることが必要かも知れぬが、結局は労働者の組合を承認せねばならなくなるであらう。然して労働組合の成立は決して厭ふべきものではなく、寧ろ進んで之れを援助し、斯くてその組合を善良なる性質のものとし、彼等の自覚に依つて自治の観念を厚からしめたならば、延いて資本家を益する結果となるであらう。幸にして歴史習慣を異にし、社会事情に相違ありて比較的穏健の素質ある我が労働界に対し、資本家が大に同情を表し、新時代の必要より来る彼等の企図に理解を有して、之れを援助するの挙に出でたならば、必ずや見苦しき紛擾なくして善良なる協調が行はれやうと信ずる。


竜門雑誌 第三七九号・第三五―三七頁 大正八年一二月 ○労資間の調和策(青淵先生)(DK310102k-0023)
第31巻 p.643-644 ページ画像

竜門雑誌  第三七九号・第三五―三七頁 大正八年一二月
    ○労資間の調和策 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として雑誌「日本の関門」十一月号に掲載せるものなり。(編者識)
 従来我国の工業と云へば、所謂各個人の内職的工業であつて、組織が十分に立つて居ない、中には又師匠と弟子と云ふ徒弟的工業に過ぎなかつたのである。それが漸次欧米の文明を移し、近時機械工業若くば科学工業の著しく発達し来れるは事実であつて、従つて従前の内職的工業は一変して現今は社会的工業となり、各方面に亘つて続々大工場の建設或は経営さるゝと云ふ有様に発展して来たのである。従つて之に従事する所の労働者と、此事業を経営する資本家との区別が判然と分るやうになり、両者の間に種々な問題の起る事も事実と云はねばならぬ。要するに、是は全く欧羅巴・亜米利加の風潮に倣つたに過ぎないけれども、亦文明の発達に伴ふ自然の趨勢であらうとも考へられる。併しながら何程欧米の文物が良いにしても、之を欧米其儘を丸呑みに、直ちに日本に応用しては甚だ宜しくない。所謂日本には日本の習慣もあり、思想も異るのであるから、夫等は十分日本風に消化して其発達を図らねばならぬと思ふ。
 - 第31巻 p.644 -ページ画像 
 例へば彼の宗教に於て、仏教と雖も耶蘇教と雖も、其生れた祖国の状態其儘で日本に移入されたならば、今日の発展を見る事が出来ないのである。即ち彼等は其長短を総て日本風に能く消化し、而して後ち是が完成に努めたが故に今日の盛大を致したのである。之を想へば、今日世間の問題となりつゝある労働問題の如きも、之を平たく言へば日本は日本風に修正して、特殊の方策を講じなければならぬものと信ずるのである。それに就ては、どうしても資本家と労働者の間に介在して、彼等両者の対抗を緩和し、彼等両者の主張を協調する機関の必要を痛切に感ずる一人である。而して確実なる調和機関の完備するに到らば、両者間に醸成さるゝ葛藤・弊害の如きは、直に除去し得らるるのである。否全然除去し得られぬ迄も、此弊害を軽減し得る事は確信して疑はぬ所である。翻つて現代社会の状況を通観するに、貧富の懸隔は、文明の程度と比例して富の進むに従て又貧の程度も進む。一国の内に富者が一人出来れば、必ず其処には三人五人の貧者が余計出来る事は免れ得ぬ時代である。従て今回の戦争に於ても多数の富者を生じ、一方に於て非常に多数の貧者を生じて居る事は明らかである。英吉利の如き、亜米利加の如き非常に富を誇つて居るが、其の裏には実に情ない貧乏人の潜んで居る事を知らなければならぬ。又日本でも英米の如くそれ程激烈でなくても、多少此傾向は免れぬのである。而して一方社会の状態は時代の推移に従て変化する。即ち従来農夫生活をして居つた者も、都会に出で工業に携はつた方が、位置も宜し、収入も良い、其者自身から考へても、何か一歩己れは進んだかのやうな観念を以て、段々田舎から都会へ集つて来る。従て農業に従事する者が少なくなり、延ては米が不足を来し、米価が高くなるのも是が原因をなして居ると思ふ。是等が間接直接に因を為して労働問題などが誘起するのである。而して此労働者と資本家との調和機関の設立は、時勢の要求として勿論必要であるが、何々労働会、何々会と矢鱈に組合を設立する事を奨励すると、所謂猫も杓子も之に傚ひ、其中の或は不良分子などが、同盟罷工をさへすれば組合の希望は貫徹し得らるゝものと誤解し、同盟罷業濫発の弊害を生ぜぬとも限らぬ。労働組合が強ち悪いと思ふものではないが、之に適当に指導誘掖を加ふれば差支ないのであるが、基礎の薄弱な組合の粗製濫造は、大いに慎まねばならぬ。
 之を要するに、今や世間の問題となりつゝある労資両者間の円満なる発達は、確実なる調和機関の設立に俟つものが多いと信ずる者である。


竜門雑誌 第三八一号・第三〇―三五頁 大正九年二月 ○労働問題は時代の趨勢(青淵先生)(DK310102k-0024)
第31巻 p.644-648 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第三〇―三五頁 大正九年二月
    ○労働問題は時代の趨勢 (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として雑誌「現代之工業」九月号に掲載せるものなり。(編者識)
△目下の労働問題 近時労働問題其の他社会政策に関する諸問題が、囂然として社会の上下を震撼するに至つたのは、勿論欧洲大戦乱の余波を受けて世界的機運に支配された結果に依ることは、もとより其の
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一因であるには違ひないが、又他面に於て最近著しい発達を遂げた我が国の工業界が、漸く家内工業の時代を過ぎて、工場組織を本位とする所謂工場工業の域に到達した結果、そこに当然起るべき労働問題研究の必要が偶々時代の風潮に煽られて、勃然捲起するに至つたと云ふ傾向のあることも、確に否定し難い事実である。由来労働問題なるものは工業の発達に伴ひ、当然発生すべき社会的現象の一つであつて、明治の初年、維新の大業に依て国家的大変革を経た我が国の政治組織乃至社会組織が、国内工業の上にも根本的革新を促致して、曾て家内工業の域に停滞してゐた我が国の工業組織を、漸次工場組織を本位とする所謂工場工業なる世界的傾向に転化せしむるやうな機運の見え出した時、私は既に労働問題の提唱は、我が国に於ても将来必然的に発生すべき社会政策上の重大問題でなければならないことに想到してゐた。爾来三十余年間私は種々なる事業の計画を為しつゝ、工場工業の見地に立て常に労働問題研究の為めに頭を悩して来たので、私の労働問題研究は、決して昨今に於て始められたものではないのである。されば前年欧米の実業視察に出かけた時の如きも、或は独逸のクルツプ工場を参観したり、或は服部金太郎氏の特別なる紹介に依て米国のウオルサム時計工場を視察したりして、欧米諸先進国に於ける工場の組織や設備や、乃至職工に対する待遇といふやうなことに就て、私は特に細心なる注意を払つて来たやうな次第で、実際の処私にとつて労働問題の研究は、何も当今の学者や政治家等が騒ぎ立てる程、それ程目新しい問題ではないのである。常に社会の先覚者だの指導者だのと自称してる学者とか政治家とか云ふ人達が、如何に口先ばかりでは豪さうなことを並べても、却て時勢を見るに迂遠であつて、多くの場合実際問題に突き当り、始めて足元から鳥でも起つたやうに周章狼狽して騒ぎ立てるのは、私などから見れば寧ろ尠からず滑稽の観がある。
△階級闘争の徹底と階級調和の融合 私は惟ふに、凡そ労働問題の帰結には、其の意味も性質も全然相反する二つの途がある。即ち一は階級闘争の徹底であり、一は階級調和の融合である。前者は破壊的傾向を多量に加味し、後者は全然階級の融和を意味する。而して前者は常に分裂的・破壊的性質乃至傾向を有してゐるが、然し労働問題の解決は其の何れに依るも等しく之を得られるので、現に欧米諸国の間に於ては、特に政府に労働局を設けて労働大臣を任命し、断へず発生する労働者と資本家との闘争に、其の各々の要求を糺して之が調停融和の労をとりつゝあるやうな国家も、其の例は決して尠くはない。即ち労働者及び資本家をして、思ふ存分各其主張を為さしめ、要求を提示せしめて飽く迄も両者の間に闘争を継続せしめ、而して政府は両者の主張或は要求に依り、其の孰れの顔も全然失はれるやうなことのないやうに仲裁を試みつゝ、漸次労働問題の向上を計るので、斯くて労働者と資本家との関係は、各自の要求を幾分満足せしめつゝ、而かも或る程度迄は仲裁機関を介し、協調を保つて行くことが出来るのである。云はゞ闘争に徹底した協調であり、分裂に徹底した融合とも云ふべきものである。欧米諸国に於ては斯くの如き仲裁機関は、啻に政府に於てのみならず、民間に於ても、尚幾多の存在を見る。之に依て見るも
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欧米に於ける労働問題の傾向は、其の解決を階級闘争の徹底に依て見出すことに、より多く傾きつゝあることを認めることが出来る。然し斯くの如き方法は、欧米の諸先進国の如く、政府に於ても民間に於ても、両者の闘争に対する仲裁機関の完備してる国家に於て始めて其の効果を収め得ることであつて、我が国の如く、夫等の国家に比し、全然社会組織も、国家組織も異なるのみならず、政府に於ても民間に於ても、何等仲裁機関の設備もない国家にとつては、何の効果もないばかりか、寧ろ危険を伴ふ虞がある。即ち両者の間に於ける闘争は飽く迄も両者の間を分裂せしめ破壊せしめて、闘争は遂に闘争に徹底し、破壊は遂に破壊に徹底するのみ、融和は永久に望み得られないのである。此意味に於て当今多くの学者輩が、国家組織の相違を無視し、社会組織の差別を度外し、其他あらゆる国情の差異を閑却し、漫然欧米の新思潮を宣伝することに依り、我国に於ける労働問題の解決も直ちに之を得られる如く、又それに因らなければ他には解決の方法がない如く騒ぎ廻つてる無謀に対し、私は密に顰蹙を禁じ得ないのである。
△家内工業が漸次工場工業の域に達す 然らば我が国に於ける労働問題の解決は、如何にして之を得べきか、之れ国家の最も慎重なる調査を要する問題である。我が国に於て始めて工場法案制定の必要が提唱されたのは、明治二十三年の頃であつたが、当時私はそれに対し尚早論を唱へて反対した。それは勿論工場法案其のものゝ必要を否定したわけではなかつたので、仮令進歩の過程にあつたとは云ふものゝ、未だ全然家内工業の域を脱し切れずにゐた当時の我が工業状態に於て、工場法案の制定は尠くとも其の時機の尚早を感じたからである。然るに其の後我が国の工業界は急激なる進歩を遂げた結果、自然工業組織の上にも大なる変化を来し、すべての工業が所謂家内工業の域を蝉脱して、漸次工場本位の工業状態となれるに及び、大正の初年再び工場法案制定の急務が時の議会に提出された。此の時に於ては私は、既に時代の要求として工場法案制定の必要を認めてゐたので、大に之に賛成し、挙げられて之が法案の起草委員を迄拝命した次第である。大正五年九月発布された現行工場法案が即ちそれである。将来は猶の事現在に於ても、前述の如くすべての工業が、漸次家内工業の域を脱却して、工場組織を本位とする世界的傾向に合致しつゝある一般の状勢から考へても、我が国に於ける労働問題の解決は、先づ其の基礎観念を工場工業の上に於て研究しなければならないと云ふことは、最も重大なる根本条件であると私は信ずる。それには工場法案といふやうな法律を制定して、政府の力に依り、益々複雑多岐を加へ来る労働者と資本家との交渉を保護監督して、取り締つて行く必要も勿論なければならない。然し私の考としては、労働問題の解決は、単に法文の権力に依つてのみ得らるべき性質のものではないのである。其の根源は、やはり人道の上から之を論じなければならない。即ち資本家と労働者と互に道徳的意志の発動に依て、根本的に協調を保つに非ざれば、永久的円満なる解決は到底之を望み得ないのである。此の見地から私は、我が国に於ける労働問題の解決には、所謂温情主義の適用を以て、最も妥当穏健なる方法であると信ずるものである。
 - 第31巻 p.647 -ページ画像 
△我日本の人情的美徳 古来我が国には、欧米諸国に於いては絶対に其の比類を見ない人情の美徳が存する。一例を挙げるならば、封建の時代親兄弟或は主君朋輩などの為めに、身を殺してよく仁侠の心を果した所謂仇討の如きは、一面殺伐なる蛮性を表示したものとも見るべく、決して現代に於て之を奨励すべきものではないが、然し其半面に於ては、人情に殉じ易い、美はしい我が国の国民性を遺憾なく発揮したもので、其の優れたる道徳的人情の美だけは、永久に之を推奨鼓吹するに充分なるものがある。家内工業時代に於ける使役者と被使役者との関係の如きも、実際は其の美はしい一縷の人情に依て繋がれてゐたもので、親方と立られ、師匠と敬まはれた人達が、其の乾児や弟子の為めによく打算を度外して、真実を以てした道義的・人情的観念は決して当今の学者輩が盛に論難排斥するが如く、而かく冷かなる単に主従といふだけの関係のみに止らず、西洋諸国の過去に於けるかの奴隷制度の如きものとは、全然其の性質を異にするもので、そこには単なる主従といふ関係以上、人間の至誠至情に依る或美はしい道徳的意志の融和があつた。即ち其の一片道義の観念が、自ら両者の間に円満なる協調を保持せしめて来たのである。そこには未だ曾て何等の闘争も見られなければ反噬も行はれず、所謂労働者も所謂資本家も、共に家庭的温情に浴しつゝ、近代の経済学者が唱へる相互扶助や共益主義やは一切の理論を離れて却て完全に行はれてゐた。夫を温情主義と云ふに語弊があるならば、之を協調主義と称するも敢て差支はない。然るに近時欧米に於ける科学文明の流入に依り、資本家も労働者も尠からず物質的思想に支配された結果、昔時の如き美しい道義の念は漸次地に堕ちて、勢ひ両者は物質的利己主義を以て互に相争ひ相鬩ぐに至つた結果、資本家が其の権力を振て、兇暴なる自己主義の前に労働者を虐遇するに至つたのは事実である。玆に於てか私は惟ふ、現時或る一派の経済学者や思想家などが、口を揃へて家内工業時代の所謂温情主義なるものを攻撃するのは、斯くの如く堕落した且つ誤られたる温情主義の一面のみを知て、昔時に於ける温情主義即ち協調主義の美点長所を知らないからであつて、善良なる意味に於ける温情主義は、私は決して之を排斥すべきではないと思ふ。否寧ろ前述の如く階級闘争の徹底に其の解決を望み得ない我が国の国情にあつて、将来労働問題の最も健全なる而して最も恒久的円満なる解決を得んとするには、私は家内工業時代に於ける所謂温情主義を工場工業の上にも復活せしめて、よりよく之を適用して行くことを除いて、他には絶対に其の途を見出すことが出来ないと信ずる。然るに、所謂温情主義に対する攻撃者・論難者の説を聞くに、其の総ての所謂温情主義なるものは労働者の人格を蔑視するものであるが故に、或は全然労働者の権威を無視するものであるが故にと云ふことを以て、其の排斥の最も主なる理由としてるやうであるが、斯くの如きは真に温情主義其のものゝ根本的意義を解せざる、寔に浅薄極まる議論と云ふべきであつて、温情主義は絶対的服従乃至人格の無視を以て決して其の必要条件とはしないのである。否道義的・人情的意志の融和に依る協調を以て、其の目的とするものである。
 - 第31巻 p.648 -ページ画像 
△問題紛糾は時代的趨勢 例の協調会の如きも、勿論闘争発生の場合其仲裁の労をとるは、云ふ迄もないことであるが、其の主要とする処は、即ち以上の見地より以上の主義に依て、着々其の施設を行つて行く一の機関に他ならないので、極めて公平なる立場よりして、一般労働者と資本家との穏健なる協調を保持せしむべく努力して行きたいと云ふ意志の下に企てられたものであるから、或は時に資本家の憎悪を買ひ、或は時に労働者の不平を招くやうな場合も、屡々免れ得ないことであらうと思ふが、然し私は飽く迄も自分の所信に向つて邁進し、必ず完全に素志の貫徹を期する所存である。尚ほ将来も労働問題の紛糾は益々複雑多岐を極めるに至るは、時代の趨勢火を睹るよりも瞭かなる事実であるが、前年実業界を隠退する時に当り、多数実業家の前に於ても声明した如く、不肖渋沢栄一は、余生を労働問題の研究に委ね、聊かたりとも国家の福利に貢献する処があつたなら、私の望は夫で足りるのである。


竜門雑誌 第三八一号・第三七―四六頁 大正九年二月 ○国民新聞社職工慰安会に於て(青淵先生)(DK310102k-0025)
第31巻 p.648 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第三七―四六頁 大正九年二月
    ○国民新聞社職工慰安会に於て (青淵先生)
 本篇は昨年三月廿七日国民新聞社に於て催されたる「国民新聞社職工慰安会」に於ける青淵先生の講演即ち是れなり。(編者識)
○上略 其次に何をするかと云ふと、資本と労働との関係、是は前に申す仁義道徳と生産殖利が一致させ得るならば、必ず資本と労働も一致するに違ひない。一致とは云はれないが調和するに違ひない。全体資本家が資本に由て労働者をウンと使はうと云ふことも、以前は其形が違つて居つて、大抵家庭工業若くば徒弟の関係位で、本当の職工、本当の資本家と云ふものは日本にはなかつた。近頃になつて段々多勢の職工を使ふやうになつて来たので、自然と労働組合が或は必要ではないかと云ふ観念が起つて参つたのであります。だから日本の労働対資本と云ふものは、極初歩であると云ふても差支ないと私は思ふ。併し此初歩が誤ると云ふと、とんだ騒動を惹起するやうにならぬとも限らぬから、早く其宜しきを制するやうにしたいと思ふ為に、是も丁度聊か資本家の側にも、又た労働者に対しても多少知つて居る部分もあると思ひますで、之に対して聊かの努力を尽して見たい。
○下略


竜門雑誌 第三八二号・第三九頁 大正九年三月 ○労働争議に就て(DK310102k-0026)
第31巻 p.648-649 ページ画像

竜門雑誌  第三八二号・第三九頁 大正九年三月
○労働争議に就て 過般東京市電車従業員の怠業並に八幡製鉄所の同盟罷業等に対する青淵先生の所感として、二月二十九日発行の東京朝日新聞は左の知く報ぜり。
 実に困つた事で、殊に吾々協調会等に関係する者は何となく自分の失策かのやうに感ずる、市電従業員が条件を掲げて認容を迫り始めたのは昨年末からで、当時従業員中五六の者が自分を訪ねて来た際も、実は無理は云はぬが好い、当局にも忠告を与へるから、と宥めて置いたが、今度は未だ誰にも会はぬ、折角人を遣つて黒幕の人物は無いか、其他を調査させて居るが、要するに現在の労働問題は、
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所謂温情主義では労働者に満足を与へ得ざる実情となつたとはいへ単に権利義務丈で相対する事は、斯種問題を何よりも悪化せしむる所以である、「権利と義務」的行為は労働者にも慎んで頂き度く、当局者に向つては一層此感じを深くする、此際過去の失敗を引合ひに出すのは気の毒だが、最近の八幡の製鉄所大罷業に於ける当局の処置は、遺憾乍ら余り其の温情に欠くる無きかを心配するもので、「罷業するなら警官隊と憲兵とを繰出す」の筆法には、私は不賛成である。東京市電気局も「最後の一人となる迄断乎として高圧手段を取る」と力んで居る相だが、之も困つたもので、何処に温かな処が認められるか、結局私としては現下の労働問題解決の途は、矢張り論語二十巻を貫く処の「敬愛忠恕」の精神、此精神を労資双方に向つて徹底せしむる外は無いと思ふ。即ち広き意味の温情である、労働者も当局の苦衷を察してやり、当局亦飽迄愛眼を垂れて労働者を見てやる事にしたならば、恐らくは穏かに収まるであらう、馘首や警官や収監や又政略的術数は禁物である云々。


向上 第一四巻・第一〇号 大正九年一〇月 唯だ王道あるのみ(顧問子爵渋沢栄一)(DK310102k-0027)
第31巻 p.649-650 ページ画像

向上  第一四巻・第一〇号 大正九年一〇月
    唯だ王道あるのみ (顧問 子爵 渋沢栄一)
○上略
△斯の如く心配してゐた労働問題が、戦時産業界の急速なる発展と、世界各国に於ける労働問題の刺戟との、内外の原因になつて遽かに進み、刻下最も急迫せる問題となつた。之が解決を一歩誤れば、社会の平和を破るの虞がなしとせぬ。之を解決する道は、唯だ一言にしてつくせば王道に依るの外はないと信ずる。
 之は私が多年確信してゐるところであつて、協調会に昨年来微力をつくしてゐるのも、労働者と資本家の双方に自覚を促がし、互に敬愛忠恕の心を以て、即ち王道を以て相接するに至らしめ度いと思ふに外ならぬ。先年、社会政策学会の席上に於て、労働問題に関する私の意見を発表したことがあつたが、其時申した意味も今日の意見も毫も変つて居らぬ。
 凡そ時代の文野、国民の智愚に拘らず、治世の要は社会政策の実行に在る。換言すれば、万人をして各々其処を得しむるに在る。之を今日の学問上から説けば、種々の理論や法則になるであらうが、一言すれば王道に依る意である。貧富、賢不肖の差別、地位権力の有無に拘らず、等しく人間として、互に敬愛忠恕の心で相接すべきである。
 従来の資本家は、封建制度の遺習として、賃金を与へるものが主人で、与へられるものは家来であるとのやうに考へ、労働者に向つて傲然と構へ、何か労働者の方から要求がましいことを言へば、直ちに使用人の「癖」に生意気なと、一言にて圧しつけやうとした。即ち資本家は、労働者を人格者として取扱つて居らぬ。之は資本家が反省して一日も早く改めねばならぬ弊風である。夫れと同時に、労働者が資本家を敵視したり、資本家に対して僻みを持つたりするのも改めねばならぬ。
 元来労働と資本とは車の両輪のごときもので、互に相倚り相助けて
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進むべきものである。若し労資相喰むといふやうでは互に滅亡する外なくなる。お互に敬愛忠恕の心を持たねばならぬ。此道を普く及ぼすのが王道である。職工に王道があるものか、と云ふ人があるか知らぬが、私はさうは思はぬ、仁義道徳を其身に履行するのであるから、其職業・地位・智徳が何であつても、実行し得られるものである。
○下略


集会日時通知表 大正九年(DK310102k-0028)
第31巻 p.650 ページ画像

集会日時通知表  大正九年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月十三日(月) 午后六時 労働問題ニ関シフランシス氏等ト御会見(帝国ホテル)


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK310102k-0029)
第31巻 p.650 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
二月六日 快晴 寒
○上略
斎藤良一氏来、労働組合組織ノ事ニ付意見ヲ示サル、得富太郎氏来リ日本労働組合維持ノ事ニ付種々内情ヲ陳述ス、依テ近日熟考ノ後再度ノ会見ヲ約シテ辞去ス ○下略
   ○中略。
二月十七日 晴 寒
○上略 得富太郎氏来話ス、大日本労働組合ノ組織ニ関シ談話ス、協調会添田氏ヘ協議スヘキ事ヲ内示ス ○下略


竜門雑誌 第三九五号・第二四―二六頁 大正一〇年四月 ○我国労働問題の前途(青淵先生)(DK310102k-0030)
第31巻 p.650-652 ページ画像

竜門雑誌  第三九五号・第二四―二六頁 大正一〇年四月
    ○我国労働問題の前途 (青淵先生)
 本篇は本年二月発行の「実業之世界」に青淵先生談として掲載せるものなり。(編者識)
△資本家は考慮せよ 未来の事を想像して話す段になると、種々あるけれども、其の観察の立脚地に依つて、其の言ふ事が違つて来る。されば未来の事を話すのは容易であるけれども、責任ある予測をするといふ事になると仲々困難なものである。
 処で当面の我国の労働問題に就いて観察するに、不景気は当分持続すべきを以て、諸事業不振の結果、今後工場等の縮小又は事業休止等に依り、失業者が益々多きを加ふるに至るであらうと思はれる。されば好景気時代に於ては労働者階級が頗る鼻息が荒く、資本家に対する態度が強硬であつたが、最近に於ては労働者階級の気勢が揚らなくなつた。之に反して資本家が労働者に対して大に我儘が利く様になつたが、若し資本家が労働階級の態度の軟弱に乗じて威張る様な事があつては、却つて労働階級の反撥を招き、紛争を惹起すべきを以て、資本家としては、今後特に労働者に対する態度に就て慎重に考慮し、協調的態度を以て進まなければならぬと思ふ。
△失業救済の応急策 更に今後不景気の持続による失業者の増加に就ては、其の応急救済策を講ずる事が当面の問題であるが、夫れには国家又は公共団体等に於て不急の事業を興し、失業せる労働者を此の方面に使役する様にすべきであると思ふ。
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 其の一例を挙ぐれば、道路の改修、港湾の修築、鉄道の布設、上下水道・電信電話の拡張、及び未開土地の開拓等数へ挙ぐれば枚挙に遑がない、而して是等は、不急の事業とは言ふものゝ、悉く国家枢要の事業であつて、一日早ければ一日早い丈け、国家を益し、国民の福利を増進するのであるから、所謂一挙両得である。故に、此際、是非共公共団体に於ては、各地方に適切なる事業を興し、国庫の補助を必要とするのは其の補助を仰ぎ、又国家に於ても事業を興して、此の当面の応急策を講ずべきである。
△需要供給の円満を図れ 併しながら、此の不景気は、一都会・一地方に止まらず、全国的であり、世界的であるから、失業者も亦当然全国に亘つて続出する事を覚悟しなければならぬ。斯く其の範囲が広いだけに、応急事業を興すにしても、需要供給の関係を余程徹底的に考慮し、其の実行を期するのでなければ、効果が薄い、我が国の主要都市には、公設の職業紹介所があり、又た個人の所謂雇人口入所もあるが、是等は一向に連絡がとれて居らないから、需要供給の有無相通ずる途がない。されば此の需要供給の円満を期する方法を講ずる事は、事業を興す事と共に、刻下の急務であらねばならぬ。
 殊に労働者には種々の種類があるが、技術的方面の労働者には比較的失業者が少なく、又失業しても相当の需要があるだらうと思ふが、何等の専門的技術なく、単に労役を資本とする者に至りては、其の数も多いし、且つ最も処置に困るであらうと思ふ、現に鎌倉河岸に行つて見れば、立所に数百人の浮浪労働者が得らるゝ有様であつて、此外深川にも、本所にも斯ういふ浮浪労働者が沢山にゐる、聞く処に依れば、東京市内のみにても既に十万以上の失業者を出したといふ事であるが、今にして其の救済方法を講ずるに非ずんば、忌む可き危険思想を醸成するなきを保せぬ。
△労資互に我利心を捨てよ 更に余は最後に使ふ人、使はるゝ人に対して一言したい、今更言ふ迄もないが、兎角此の両者の間に意志の疏通を欠き、使ふ人、使はるゝ人との間に、利己一点張りの感情が蟠つて居るが、此の感情が一掃されない間は、景気の好い時にしても亦悪るい時にしても、物議の種が絶えない。而して之れは使ふ人、使はるる人、即ち資本家・労働者の両者の為めに、共に不利益であるのみならず、国家の為めにも誠に悲しむ可き現象と謂はなければならぬ。
 されば、使ふ人も使はるゝ人も、相譲り、相忍び、相扶け、利己的我利心を捨てゝ、仁義に基ける公明正大の態度を以て、余の常に唱導する所謂「王道」を守り、資本家は資本家の分を守り、労働者は労働者の分に叶ふ様にしたならば、労資の関係も円満になり、自然失業者の数も減じ、将来に於ける労資の紛争も殆んど其の跡を絶つに至るであらうと思ふ。
△何事に対しても誠意あれ 如何なる場合に於ても、誠意を以て事に当るといふ事が、第一要件であらねばならぬ。然るに世人の多くは此の誠意を顧みざること、恰かも弊履の如くである。斯くの如き軽薄なる心情を以て事に当つては、仮令、如何なる名案良策があつても、十分の効果を奏し得る事は期し得られない。
 - 第31巻 p.652 -ページ画像 
 余は論語を以て処世訓とし、常に後進子弟に之れを説いて居るのであるが、事業界不振にして失業者の益々増加せんとするに当り、其の所感の一端を述ぶると共に、使ふ人、使はるゝ人に対し、此際特に誠意あれと切に望んで止まざるものである。


竜門雑誌 第三九八号・第二一―二六頁 大正一〇年七月 ○埼玉工業懇話会に於て(青淵先生)(DK310102k-0031)
第31巻 p.652-655 ページ画像

竜門雑誌  第三九八号・第二一―二六頁 大正一〇年七月
    ○埼玉工業懇話会に於て (青淵先生)
 本篇は大正八年十二月七日午前十時より埼玉県女子師範学校講堂に於て開会されたる埼玉工業懇話会創立総会に於ける青淵先生の演説なりとす。(編者識)
○上略
 元来、資本と云ふものは、俗に申す「臍繰り金」を溜めてやるのみでありまして、工業も内職的工業しか無かつたのであります。当地は養蚕も盛んでありませぬが、私の生れました処では家内工業として見るべきものでありまして、金にはなるけれども十分にやれませぬ。所沢や扇町屋の機場も、行田の足袋も大抵家内工業により、――其の人の丹精により――、蓄積して一家を経営したものでございました。此の有様を見ますれば、所謂主従の関係がありまして、作男を二三人置いて働かせ、主人自からもやつたのであります。勤めた者には一年何十円の給金を与へるのでありますが、傭者・被傭者の関係は、主従若くば親族の関係がありました。殊に美術工業は丁度師弟の関係がありまして、大工や指物師などは全く左様でありました。故に多くの生産物は海外貿易が開けてからも、差向き原料品を売りて加工品を買ふと云ふ有様であります。夫れを此の儘にして居れば、朝鮮と同じく何時までも卯辰は上らず、何時も他人の懐ろを肥やすに過ぎませぬ。一方には政治を進め、軍事を盛んにしても、それのみで国運の発展は出来ませぬから、資本を合せてやる方法により共同経営をするより外はありませぬ。夫れ故に、合本会社の祖先とも云ふべき第一銀行を組織しましたのは、微力ながら私でありました。而も之れは多く安いものから進み行くものでありまして、工業は未だ成り立ちませぬ。其処で私は王子に住んで居りますが、飛鳥山の下に、王子製紙会社をやりました。是れが資本を合せた工業経営の祖先でありました。爾来大きな工業が駸々として発達致したことは、算盤上よりも偉いものでありますが、昔一本の煙突が今日は百本となつて居るのを私の宅より見渡しましても、明らかに証拠立てゝ居るのであります。
 蓋し斯様に申せば、沢山の工場が一時に独活や筍子の出来たやうに見へるのでありますけれども、其の間には倒れたのもあれば、又、種種なる困難に遭ひ、段々進んで今日のやうになり、玆処に大なる変化を生じて、資本家・事業家、及び労働階級・筋肉労働者が起るやうになつたのは、怪しむに足らぬのであります。而も下手にやりますれば此の間に大なる妨害を致し、皆が自分のために自分が艱苦に沈淪し、自分の手で自分の顔を傷づけるやうになりました。其の最初は自分の本業をするからとて人を虐待するものではありませぬ。共に々々働らくのでありますから、之れに従事するものは成るべく之れを優遇した
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ものであります。彼方で親切にやれば、此方も良くしてやります。夫れで彼方で権利とか何んとか云へば、此方でも理窟を云ふやうになります。又、資本家が利益の無いときに、労働者は金を持つて来てはくれませぬ。「資本家は全責任を持ちてやるけれども、労働者は単に労力のみでやるのであるから、さう面倒なことは云はぬでも良いでは無いか」と云ひます。殊に昔よりやつて来たのであるから、成るべく穏和に、懇親づくでやらうとする。温情主義でやらうとする。此の温情主義が完全に行はるれば、之れで経営の出来ぬことはありませぬ。併し乍ら労働者から云へば「昔はさうであつたであらうが、今日はさうで無い。昔は士農工商と段階を立てゝやつたもので、平民は一言も口が利けぬ程で、申さば野蛮な政体であつた。今日は国民は皆な平等である。況や欧米の振合もあるから会社を組織し、資本家と労働者とが一所にやるのに何が悪いか、猶ほ昔の温情主義は向ふでは仁愛をやる積りであらうが、此方よりは仁愛ならぬものである。彼方で自分が称する仁政や温情は、此方よりはさうならぬ。御前に権利があるならば、己れにも権利を与へて呉れ。資本家が組合を立つるならば労働もやつて悪しきことは無い。資本家が同盟してやれば労働者も同盟してやるのは悪しく無い。全体、資本家は温情主義などと云ひて吾々を誤間化し、吾々を籠絡するは可けぬ。故に労働問題は世界を通じて進んで来るでは無いか。況や世の中はこれより、甚だしきは学問上より善導鼓吹すべきやうになつたでは無いか」と云ふ。夫れが資本と労働との関係より起つて来るのであります。埼玉県は穏やかでありますが、何時之れが生ぜぬとは限りませぬ。本県が東京近くであるのと、又鉱山では現在足尾や釜石にも起つて来て居る今日、注意に注意を加ふべき時期であると信ずるのであります。
 私は講話会で述べるのではありませぬが、資本家と労働者とが調和するには、海外の翻訳や受売では、真正に行はるゝものでございませぬ。今日彼方で行はるゝ事柄も、夫れを日本化して行はなければなりませぬ。学問も支那風も、欧羅巴風も這入つて来ましたけれども、自から日本化したのでございます。宗教も印度教も、耶蘇教も左様であります。夫れ故に精神的のみならず、物質的のことも欧洲で発明したものでも日本化してやらなければなりませぬ。資本と労働のことも、斯くして調和して良くはあるまいかと思ひますので――私は学者でもなければ、又、会社の関係も無く、閑散の身となつたので、――徳川侯・清浦子・大岡議長等と図りて協調会を立つることゝなりました。之れは本県の工業懇話会とも近き目的を有し、資本家と労働者に行き違ひの無きやう、協同調和の字義より取りて協調会と名づけ、軈がて其の発会式も開くことにならうと思ひます。之れは資本と労働の両者の説を聞き、中正な処を公平に取りて考ふれば「之れが尤もだ」と云ふて判別することは、出来ますまいけれども、大体一方は出過ぎるとか、一方は引つ込み過ぎるとか、正しくやれぬことは無からうと考へます。労資の関係は各々種類によりて違ひますから、吾々の云ふ分岐点は種々ありませうが、心に思へば当らずと雖も遠からず、必らずやり得べしと思ふのであります。夫れには或は従来の制度により、或は
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欧洲の慣習により、調和することもあるべく、又、制度上や慣習上よりで無く「斯うすれば道理になる」と云ふことでやつて行けば、協調会は東京にでも大阪にでも、或は埼玉県にても「成る程尤もだ。偏頗なことは云はぬぞ」と信用を受くるやうになることを希望致します。然らずば人間万事物論の起るを免れませぬ。夫れは天下の事物は多く総べてに応ずることは出来ずとも、之れによりて吾々が調訂し、仲裁してやれぬことは無からうと思ひます。而も協調会は、資本家と労働者との間のみならず、精神的の勤務をするものにも相談相手になるのであります。之れは性質として筋肉労働者のことのみやるものではないが、諸君に関することも専心力を尽した結果「協調会に行つて相談しやう」と云ふやうなことが御当地にも出はしますまいか。労働者が見込違ひをするとか、或は物議が起つたならば、協調会は十分に協調するやうにしたいのであります。私は之れを講壇で説きますが、「夫れは事実に適合するやうに解決するは覚束無からう」との御考へもありませうが、私の説く、――私の希望の、――十分の五なり、或は十分の三なり、出来るのを希望して止まぬのであります。夫れには協調会も、懇話会も似寄つて居りますから、相応援して或る場合は助け、或る場合は教へを乞ひ、両者の貫目を図りてやり度いと考へます。
 大体、国勢上よりも、国の経済上よりも誰れも云ふ如く、今日は容易ならぬ時期であることは、今更喋々することを要しませぬ。殆んど寝食を忘れてやつた欧洲戦争は済んだけれども、真正の平和は未だ得られませぬ。独逸は貧困に苦しんで居るけれども、或は勃興することも出来るであらう。又、米国は戦乱によりて、利益のみを得たけれども、――大勃興をしたけれども、――大変化を免れませぬ。故に資本家と労働者の関係より、大同盟罷業をやつて居ります。私の知れる米国の某氏は此の間或ることに就て手紙を寄越し、其の中に「私の髪の毛は未だ白くございませぬ」と云ふ。之れは余程苦心して居ることゝ思ひます。此の資本と労働との関係に就ては、今申しました足尾も、釜石も、東京も、大阪も、小石川の砲兵工廠も、新聞社も、種々勃興することを恐れて居ります。而も吾々の憂ふ如き有様に日本が捲き込まれたならば如何。日本の経済界は根本より破壊せられる。而も其の原因は、唯だ資本家が労働者に対して昔のやり方のみでやり、労働者も欧洲のやり方を誤まつてやれば、経済界はさうならぬとは限りませぬ。併し経済上より考へますれば、賃金が安ければ、生産物が多く出来、生産物が多く出来れば他国が苦むからさう考へてやることもありますまい。又、日本の賃金が高くなれば生産費も高くなり、日本の品物は、余所には売れずして衰へることになります。段々進んで来たのが、衰へることゝ考へられます。左無きだに人心・思想は混乱して、恐るべき徴候があります。然るに前に申した経済上のことが生ぜぬとせば、日本は五十年間発達し来つたものをして、益々勃興せしめ得べき時代になりました。故に斯る有様を完全に進めて行くには、各種の工業に従事するものが、私を棄てゝ、全体に調和しなければなりませぬ。単に満足するやうには行かぬ。相当に満足して働くやうにし、人格も認めてやり、愛すべきは愛してやるやうに心を尽くし度いものと
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考へます。
 私は嘗て社会政策に就て、或る人の頼みにより、学者連中の中に出でゝ説いたことがあります。私は欧洲の学問は研究せず、知識もありませぬけれども、社会政策は一口に云へば仁愛忠恕であります。之れが資本家と労働者の両者間に行はれゝば、総べての問題は破竹の勢ひにて解決することが出来ると思ひます。故に労資協調に仁愛忠恕が出来れば完全なる解決が出来ると思ひます。前にも申上げました通り、私は協調会の仕事をば老後の勤めとして継続してやらうと存じます。殊に私は埼玉県の出身であります。又、日本の経済界が欧洲風になるには、私は第一銀行を作つたこともあり、王子製紙会社を拵へた関係もありますから、自分の罪滅ぼしと云ふ訳ではありませぬが、工場会社や銀行を作つたものであるので、自から解決する義務責任のあるのを信ずるものであります。況んや躯は埼玉県に生れたのでありますから、猶更埼玉県の為に尽くすは自分の責任であります。故に今後は諸君の御問ひには御答へもし、又、夫れではならぬと小言がましきことを申上げることもございませう。元来の労資関係は、右の如くであります。欧洲風のことに就ては何うであると云ふことは、皆様には朝に晩に御承知のことでありますから、詳しくは述べませぬ。工場懇話会の発会式に際し、失礼ながら自分の所感を申上げ、祝辞に代へる次第でございます。……(大拍手起る)


竜門雑誌 第三九九号・第七九―八〇頁 大正一〇年八月 ○誤れる労働観念(DK310102k-0032)
第31巻 p.655-656 ページ画像

竜門雑誌  第三九九号・第七九―八〇頁 大正一〇年八月
○誤れる労働観念 左は七月二十九日東京夕刊新聞に青淵先生の談話として掲載せられたるものなり
 労資協調に関しては、及ばず乍ら常に留意を怠らぬ、そして従来は曲りなりにも何とか解決して来たが、今回関西に起つた川崎・三菱台湾製糖等の労働争議に対しては全く策の出づる所を知らぬ、由来我国の資本家には一種の誤つた自尊心がある、例へば銀行業者にしても、金を借りに来る者は、銀行家には唯一の顧客であるにも拘らず、兎もすると是を蔑視したがる風がある、又一般商店にしても品物を買ひに来る者は、無上の権利でもある様に甚だしく尊大に構へる、是れ等は因習の久しき遽に改め難いとは云ひ乍ら、誤れるの甚だしきもので、金融の調節を計る上に於て、借金方も銀行側も何等甲乙なく、需要の関係からすれば売買両者に何の差別もあるべきでない、是と同じく一国の産業を発達せしめ経済上の円滑を計る上に於ては、企業・資本・労働三者孰れも同等であらねばならぬ、其を自分等が資金を出して事業をすればこそ、労働者は生活して行けるではないかと云ふ様な売買的思想は宜しくない、十数年前の家庭的工業の幼稚の時代ならいざ知らず、経済・思想・文明等殆ど隔世的変革を来した今日、猶此陋習に囚はれるのは全く我資本家の無自覚である、今少し労働者の人格も立場も認めてやる様にならねばならぬ、然し一方労働者の方も大に自重すべきで、同じ要求でも確たる根柢と信念とを有するものでなくてはならぬ、徒に欧米の直訳を輸入して、自ら咀嚼する能力もなく鵜呑みの儘騒ぎ廻るなどは能くな
 - 第31巻 p.656 -ページ画像 
い、例へば八時間制度にしても、欧米労働者などが食事後の三十分乃至一時間を休憩するのみで、他の間は殆ど盲目的に其仕事に熱中する風あるに拘らず、同じ八時間労働でも我国のは遊びが仕事で、仕事が遊びであるなど、全然能率を無視したやり方では、労働者の主張は少しも権威がない、更に労銀値上げでも、各人人間技能の優劣、成績の良否、生産量の多寡等自ら優劣相違あるにも拘らず、是等と没交渉に無闇に賃銀値上げをデモクラシーの誤つた平等解釈に結び付けて均等にしやうとするなど、決して当を得た措置とは受け取れない、卒直に第三者の評を下せば、従来の労働争議は比較的資本家の無自覚と固陋の見解とから生れたものが多かつた、夫故自分も此間に処して、一に労働者の為めに奔走したのであつたが、然し今度の関西の事件では自分は尠からず失望した、と云ふのは、始めの間は単に労資の争ひであつたが、川崎造船が其後になつて労働者によつて会社が占領され、産業権が全く彼等の支配下に置かれたと云ふ事は甚だ憂ふべき事で、レニン政府下の露国の現状と何等選ぶ所がない、職工が罷業をするとか、重役に面会を強要するとか云ふ間は、或は其主張を貫徹する一手段として已むを得ない事情があるかも知らぬが、一事業の生産権を労働者の手に収めるに至つては、云ふ迄もなく産業組織の根本的破壊であつて、無政府共産主義と何等選ぶ所がない、従来労働者側に多くの同情と期待とを払つて居た渋沢も、斯くては最も勇敢に『此種の悪性労働者は根本的に撲滅せざるべからず』と絶叫するに躊躇しないのである。


竜門雑誌 第四〇三号・第二三―二六頁 大正一〇年一二月 ○誤れる進歩向上(青淵先生)(DK310102k-0033)
第31巻 p.656-658 ページ画像

竜門雑誌  第四〇三号・第二三―二六頁 大正一〇年一二月
    ○誤れる進歩向上 (青淵先生)
 本篇は雑誌「日本魂」八月号に青淵先生の談話として掲載せるものなり。(編者識)
      一
 謂ゆる労資の協調は重大なる問題であるが、此のことについては、私は、先年友愛幹部の方々とも会見し、私どもの考へて居ることも述べ、又先方の主張をも聞いて、双方の隔意なき諒解によつて、国家の産業を進め、社会の進歩を図らうとしたのである。然るに昨今における思想変化の情勢に顧みれば、私どもの経験なり、又考へて居ることとは、少からず相違して居るやうである。嘗て私どもゝ武門政治に対抗して、社会進歩の障害となるべき幾多の旧弊を打破しようといふ考へを持つて、その運動に携はつたこともあるが、その目的たるや、忠孝節義・大義名分の観念が主たるものであつた。忠孝は或場合一致するものであつて、彼の忠孝両全とは蓋し言ひ得ることである。反之昨今謂ふ所のデモクラシーの風潮は、やゝもすれば忠孝の廃滅を意味するものであつて、寔に憂ふべきことである。かゝる渦中に立ちて、多くある学者の中には、未だ国民精神の真髄に触れず、一時の勢に乗じ風になづんで無責任の言論を発表し、大向ふの喝采を博するを快と為すやうなものがないではない。元来危険思想といふも、その由つて来るところは、互に進歩向上を図りつゝありながら、それを履き違へた
 - 第31巻 p.657 -ページ画像 
もので、申さば中道にして邪路に踏み迷ふたものである。其等の人々が集合して、社会の資本階級を打破し、自ら代つて支配者たらうとする考へから種々の運動が起される。それが自然無秩序・無節制に陥るのであつて、労働者のためには勿論、産業発達の上よりいふも甚だ哀むべく、また面白くないことである。労働運動そのものが、元々進歩向上を求めたものであるにも拘はらず、進歩はせないで、却つて退歩したといふことは誠に遺憾なことゝ私は思ふのである。
      二
 今日の資本・労働の関係は、昔日のごとく単なる主従や子弟の関係ではおさまりがつかなくなつた。故に政府が労働組合を認むるとか、又は資本家が彼等の人格を認むるとかいふやうに、互に従来の反抗的態度を改め、資本家も自覚し、労働者も反省し、相倚り相助けて協調しあふことが何よりも必要である。私どもの関係した協調会は、一昨年ごろから此方面について種々心配したのであるが、相互の自覚足らなかつたせいか、将た時期の尚早であつた為めか、抑もまた私どもの努力の不足したせいか、充分の効果を挙げ得なかつたのは、遺憾至極である。
 最近大阪・神戸方面の労働争議は甚だ憂ふべきものであつて、中には穏健分子もあるが、其等の人々も謂ゆる群衆心理によつて、過激な分子と化する。つまり穏健な主張よりも寧ろ矯激な言動が勝ちを制するといふことになる。さうなると穏健な言論などは全然容れられなくなる。俗に申す場当りが喝采を博して、最初はさうでなかつたものまでが、漸次過激な波紋の中に捲き込まれる。さうした思想が進んで来ると、終には暴力に訴へるといふことにならないとも限らない。事玆に至つては労働者は無論宜しくないが、さうした思想を注ぎこんだ学者までが、余りに無考へではなかつたらうかと思はれる。一の矯激なる言論なり行動が勝ちを制すれば、多数の無自覚者は忽ちそれに附和雷同することになる。群衆心理ほど恐るべきものはない。
 先年来私は当局に対して、穏健な労働組合を認められたがよからうと申したのであつた。然るに最近に至つて、労働組合を認むるについては、農商務省と内務省とが互に意見を異にして居るとか、或は産業調査会にかけるなど、急にそれを認むるわけに行かないといふことである。併し労働組合を認むるか否かといふことは、既に一昨年このかたのことであるが、それが今尚当局の意見に相違があるなどとは、要するに政治上の進みがよくないのではなからうかと思はれる、労働と資本とは決して対立するものではない。然るに一部の学者間には、之を一種の相対立する階級として論ずるものが少なくない。甚しきは争闘によつて互に相接近し、共に其の権利を主張し、相対抗して最後の解決を得る外に策はないとまで断案するものが多いやうである。併しそれは、私どものやうな労資協調を主張する側から言へば同意し難いことである。両者は常に一致してこそ利益が生ずるので、一方のみの利益を貪つて、他方を圧迫するやうでは、その極一方が困憊するは当然な理路である。倘しさうしたことが不問に附せられたならば、結局両者共倒れになつて、何等得るところはないであらう。米国における
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労働紛議を見るに、労働者側に在つて例のゴンパース氏、資本家側にあつてはゲーリー氏が代表的といふ風に、それそれ自説を執持して居るのである。ゴンパース氏一派の人々は、労働者によつて支配権を獲得しようと考へて居るし、またゲーリー氏一派の人々は、支配権までを労働者側の専有に委すべく考へては居ないのである。
 翻つて我が国の資本・労働の関係にあつては、欧米のそれに比して歴史も短かく、その経験も浅く、従つて資本家側においても、理論に若くは事実に、研究の積まないところがあると同時に、労働者もまだ自覚が足らないと申してよいと思ふのである。一方からは昔の家庭的旧習を固執して、使用人と主従のやうに考へ、一方からはたゞ圧制軽侮を受けるとのみ謬想して、やゝもすれば両者の階級戦が起る。かゝる場合と雖も、論理にのみ拘泥して実際に暗い言論が勝を制して、徒らに両者の紛争を増すことになるのである。要するに現代社会の有様は、一方に利益をのみ貪る者と、一方に権利をのみ主張する者とがあつて、その主張が常に一致せない、結局義務を果し、本分を尽すといふ人が甚だ少ないのである。故に紛議が起る。而してその紛議が段々嵩じて来るに従つて、危険な思想も起るのである。そこで此問題を解決するには、学者の議論も種々あるであらうが、儒教の相愛忠恕の意義を徹底するにあると私は考へるのである。


竜門雑誌 第四二四号・第二六―三四頁 大正一三年一月 ○経済と道徳との合一(青淵先生)(DK310102k-0034)
第31巻 p.658-659 ページ画像

竜門雑誌  第四二四号・第二六―三四頁 大正一三年一月
    ○経済と道徳との合一 (青淵先生)
 本篇は青淵先生談として一月一日発行の「中外商業新報」に掲載せるものなり。(編者識)
○上略
△労働問題と多数の意義 また最近経済上社会的の運動として盛に世人の注意を喚起して居る労働運動は、看過することの出来ないものである、抑々我国における労働の制度を見ると、その初めは、主従関係で、富める者が貧しい者を家来に等しく従へ使つて居たものか、子弟の関係で何等かの仕事を教へられるために従属して居たもので、かの地主と小作人との間柄でも、何等その間に分明な利害相反の事実もなく、御互に親みを持つて接することが出来て居たので、決して団体的のものでなかつた、それが機械の発達と共に大工場の建設となり、僅僅五六十年の間に、傭人の制度である欧米の仕組と変化し、こゝに資本と労働とが協同して一つの事業を行ふやうになつたのである、故に労働者の多くも共同して生産に従ふといふ観念を持つて、徒らに感情に走らず業務に当り、資本家側もこれに応じ、協調して相和したならば、その間に労働争議などは起らぬ筈であるけれど、相互が自分の利益のみを主張して道義を無視すれば、経済上における自利一方の取引関係と同様の現象を呈するであらう、しかも多数政治の社会状態となつて居るので、多数の圧迫がしばしば起る、併し多数が正しいのではなく、正しいことに多数が賛成するから、その結果多数は正であるといふので、意味もない多数には、よこしまな場合がかなりある、丁度労働運動などにしても、労働者であるところからその主張を貫かうと
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することがあるやうであるが、正邪の理は多数で顛倒されることがあるから、孟子の「一人これを殺すべしといふも殺す勿れ、一国これを殺すべしといふも殺す勿れ、天下挙げてこれを殺すべしといひて初て殺すべし」といへる如く、正しいから多数国民が味方をすることの真正なる意味を覚えて、労働者は多数を擁して我まゝをし、他を圧迫しないやう、尚ほ資本家側は単なる法理論のみで対抗しないやう、互に調和の実蹟を挙げるのは、これ生産の進展を図る所以である、即ち私達が協調会を組織したのもその意味からで、これが宣言にも「協調主義は社会における各階級、特に労資両者が平等なる人格の基礎の上に立つて、自他の正当なる権利を尊重すると共に、社会の秩序のために公正合理なる自制互譲をなし、以て相共に力を協せ、産業の発展、文化の進歩、国家社会の安寧福祉を最も有効に促進すべきことを主張するのである」とある通りであつて、現在では(一)能率の増進(二)職業紹介(三)労働者の生活状態の調査(四)労働争議に仲裁してよいものに立入ることなどを、実際的事業として行つて居るが、私としては果してこれで労働問題が完全に解決するものと断言は出来ないのである、とは云へこれに依つて事業の進歩を計り、道徳的に進めば、確にこれを緩和し得るものであることは信じて居る。
△その他に及んで結論す なほ現在の政治界をよりよくしたいとか、言論界が質実であつて欲しいとか、外交の実蹟を挙げ度いとか、本年の初頭に際して私の考へを述べたいことは決して少くはない、殊に外交の現状は憂慮されるものが多く、北米との関係の如きに到つては、外務大臣の健在を疑ふと云ひ度くなる程である。
 要するに、この大変災直後の新春に当つて、私は経済と道徳との合一、それに随伴して復興には精神的なるを要すること、海運・製鉄・紡績・生糸等諸事業の経営に対して不満を感じた点を挙げ数へ、かつ労資両者の間は協調的にあり度いこと、そしてまた外交の刷新を特に望んで居ることなどを述べたが、尚ほ終りに一言、わが国民の意気がいよいよ盛に、この意義ある新年を機として、精神的覚醒の域に入り従来の物質文明と調和して復興事業に努め、かつは将来の大活躍を切に期待する次第である。


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK310102k-0035)
第31巻 p.659 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 半晴 寒
○上略
夜飧後添田敬一郎氏ニ一書ヲ送リ、労働組合法制定ノ事ヲ申遣ス ○下略


竜門雑誌 第四四九号・第九七―一〇二頁 大正一五年二月 労働問題の根本解決策(DK310102k-0036)
第31巻 p.659-662 ページ画像

竜門雑誌  第四四九号・第九七―一〇二頁 大正一五年二月
    労働問題の根本解決策
     ◇労働問題では常に実業家から恨まれる
 吾輩 ○栄一は多年実業界に在つたけれども、同時に国家社会の事を一日も忘れた事は無いのである。此意味に於て、今日我国の重大問題である労働問題に就ても、吾輩は最も早くから之を考慮し、労働立法其他に就ても、度々政府方面へ建言し、又社会政策の実行、及び労資の
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協調問題に付ても微力を捧げて、国家に尽す事は、最も尊い奉仕であると信じ、至誠を以て之に努力したのである。
 然るに実業家方面では、吾輩が多年実業界に在つた関係から、自分等の味方と考へられて居るので、労資の協調や、労働立法等に賛成すると、渋沢は怪しからぬと云はれて居る有様である。併しながら今日我国の状態を見ると、労働者側の態度も、必ずしも、穏当と云ふ事が出来ないと同時に、又資本家側の態度も、決して之を是認する訳には行かないのである。依つて之等両者の主張を緩和し、労資の争ひを調和すると云ふ事は、吾国では中々の重大問題である。
 玆に於てか、先づ労働組合法の如きものを早く制定して、労働運動に一つの標準を指示し、同時に労働者の権利・自由も或る点まで認めて行くと云ふ事は、労働問題解決の根本条件であつて、吾輩は此意味に於て歴代の政府当局にも、労働立法の速かならん事を勧告して居つたのであるが、それが実業家方面から、大に恨まれる種になつて居つた様な次第である。
     ◇日本の実業家達も一歩進んで考へよ
 併しながら日本の実業家の諸君も、温情主義とか何んとか云ふけれども、昔の小規模の工場に於て、主従の関係とか、お師匠さんとか、弟子とか云つた時代とは違つて、苟も欧羅巴諸国の大資本組織に做つて大きな資本組織となつて来たときは、又それに相応する考へを以て来なければならぬのである。然るに、何時までも労働者の人格を無視し、労働は単に商品なりと云ふが如き考へでは、之は非常な間違ひである。日本の実業家が、何時も斯う云ふ態度で、此間も工業倶楽部辺りで、労働組合法の修正をやつて居つた様であるが、其事業家としての立場としては、尤もな事ではあらうけれども、此事が国家社会の重大な問題になると云ふ事を考へて、モウ一歩進めて貰ひ度いと思ふのである。
     ◇慶喜公に知られた義理から実業界へ
 吾輩はなる程多年実業界に在つたものであるけれども、其心は何時も政治を忘れず、従つて国家社会の問題とも寸時も離れて居つた事は無いのである。
 今日斯う云ふ事を申しては、如何にも老人の自慢話をする様に聞えるかも知らぬが、実は之れでも吾輩は、若い時には
 『一身を御国の為めに捧げたい、若し国の為めになる事なら、此身はお濠の埋草になつても構はぬ……』
斯う云ふ決心で、百姓を已めて東京に飛び出して来たのである。
 さうして一ツ橋家に仕へ、徳川慶喜公の臣となつたのであるが、慶喜公の臣となつて、洋行中に徳川幕府が倒れたので、慶喜公に用ひられた自分が、公の引退したのに、政治界に出ると云ふ事がどうも忍びない気がしたので、それから断然実業界に身を投ずる事になつたが、心では何時も国の為め、社会の為めに尽したいと云ふ事を忘れた事は無かつた。
     ◇欧羅巴に行はれた合本を日本に行つた
 殊に其の当時の日本の状態と云ふものが、又実に貧弱極るものであ
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つたから、『先づ日本の富を増さなければならぬ……』と云ふ事は、帰朝後の自分に身を実業界に投ぜしめた一つの動機である。玆に於てか商工業の発展には、どうしても金融の力が無ければならぬ。而して其金融は、欧羅巴で行はれて居る合本の方法に依つて資本を作り、之を以て、紡績も、鉄道も、製糸も、電気事業もやると云ふ事になつて、今日の如き商工業発展の基礎を築いたのである。
 従つて其本業は金融界にあつたけれども、今日の如き一人一業でやると云ふ訳には行かず、新開地に開いた新店では、荒物も、反物も、食料品も、何んでも売ると云ふ様に、当時の金融業者は、何事業にも関係せぬ訳には行かなかつた。
 それが為めに、種々の製造工業にも、随分密接な関係を保つ様になり、それがやがて今日各種の社会問題及び労働問題にも興味を持つ素地となつたのである。
     ◇故大隈公に口説かれ我財政の基礎を創設
 先づ大体斯う云ふ考へから実業界に入つたのであるが、併し帰朝当時、即ち明治二年大蔵省へ呼び出されて、当時の大蔵卿であつた、故大隈侯から
 『君が欧羅巴の商工業の状態を視察し、学理を応用し、道理に基いて国富の増進に貢献しやうと云ふ事は、誠に好い決心であるが、日本の今の状態では、君の資本を合する合本法をやるにしても、麦を播く畑に肥料が無いと云ふ有様だから、此畑を肥やす為めに、暫く大蔵省へ入つて呉れ、さうして国の為めに尽す事であれば、慶喜公に対する信義を傷ける訳でも無いぢやないか……』
と云はれて、暫く大蔵省へ入つた、其後大隈侯は太政官の方へ行かれたので、自分は主として井上侯と共に仕事をしたが、斯うして我が財政の基礎も立つ様になつたので、それから愈々実業界に入り、単り銀行の仕事のみならず、各種の事業にも関係する事となつたのである。
     ◇労働者を奴隷視せず雅量を以て人格を認めよ
 斯んな関係から、今日の資本家は皆な『渋沢は自分等の味方の筈であるに拘らず、どうも間違つた考へをして居る……』様に云はれるが併し吾輩は決して労働者にばかり同情して居るのではない、稍もすると過激化する行動をする労働者の態度は、勿論好くないが、同時に資本家も、労働者の人格を認めてやらなければならぬ。
 労働組合法にしても、労働者を全く奴隷として終ひたいと云ふ様な態度では、日本の労働問題は到底解決するものでないのであつて、之等の点に就ては、どうしても、日本の資本家が、モウ少し眼界を広くして、国家社会の大勢から観察して、道理正しき態度を取ると云ふ雅量があつて欲しいと思ふのである。
     ◇資本家も労働者も共に根本を忘れて居る
 之と同時に、労働者もあまり我儘を云つては不可ぬ。自己を尊重すると云ふ事は好いが、其度が過ぎて、事業在つて始めて労働者が在ると云ふ根本の問題をも忘れて終ふ傾きのあるのは、実に思はざるの甚だしきものであつて、労働者中に、稍もすると斯うした根本を忘れた者の存在するのは、誠に遺憾千万の事と云はなければならぬ。
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 要するに、我国に於ける労資双方の主張や、気持ちは吾輩にはよく解るのであるが、只だ如何んせん、自分の微力の為めに未だ十分の解決策を講じ得ないが実に残念であつて、或時は嘆じ或は悲しむのである。
 併しながら、労働者を赤化せしむるも、資本家を無理解に陥らしむるも、考へ方一つであつて、労資双方ともに
 『只だ憎むばかり』
 『只だ呪ふばかり』
では、双方の関係は益々悪化するばかりであつて、遂には国家社会の由々しき重大事件となるのであるから、苟も私心を去りて、公共の安栄を図り、社会と共に栄え、社会と共に楽しむと云ふ、正義を奉じ、道徳を重んじて公正なる道を踏まれるならば、労資の争ひは、易々として解決せらる可き問題である。
     ◇労資相親みつゝある欧米最近の労働状態
 現に最近の英国に於ける労働問題を見ても、米国に於ける労働状態を見ても、労働者は事業を愛し、事業に親しみ、資本家は又労働者の勤労に酬ゆる事甚だ厚く、且つ大にして、共に相信じ、相親しみつゝある最近の傾向は、我国の資本家並に労働者に対して、其啓示する所実に大なるものがあると思ふのである。
 吾輩が徳川公等と共に、労資協調の為めに、協調会を設けたのも此趣旨に外ならなかつたのであるが、それが殆んど全く他の期待に添ふ事が出来ない状態にあると云ふ事は、協調会幹部の永井君や、添田君其他の人々の心持も十分にも解つて居るが、要するに我国の労資双方ともに、根本を理解せざるが故と云はなければならぬ。
     ◇資本家も労働者も自己の慾のみは不可
 玆に於てか、我国に於ける労働問題の根本的解決策としては、資本家並に労働者共に、一歩を進めて正しき道理に依り、天下の正道を踏んで、苟も私慾の為めに、其道を誤らざらん事を努むるの外はないのである。(新使命一月号所載)