デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.473-476(DK330040k) ページ画像

大正6年10月4日(1917年)

是日、当委員会、アメリカ合衆国ニ特派セラルベ
 - 第33巻 p.474 -ページ画像 
キ帝国政府財政経済委員長男爵目賀田種太郎及ビ其一行ヲ、日本橋倶楽部ニ招待シテ送別晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。尚是ヨリ先九月十日、栄一飛鳥山邸ニ送別午餐会ヲ開ク。十月二日日米協会主催送別晩餐会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ送辞ヲ述ブ。十月三日内閣総理大臣寺内正毅主催送別晩餐会、其官邸ニ開カレ栄一出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK330040k-0001)
第33巻 p.474 ページ画像

集会日時通知表 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
九月十日 月 午前十時 目賀田男送別会(飛鳥山邸)


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正六年(DK330040k-0002)
第33巻 p.474 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正六年
                     (阪谷子爵家所蔵)
  六、九、一〇 王子渋沢邸、目賀田男渡米ニ付会談ス


竜門雑誌 第三五三号・第一二二頁大正六年一〇月 目賀田遣米特派委員長一行送別会(DK330040k-0003)
第33巻 p.474 ページ画像

竜門雑誌 第三五三号・第一二二頁大正六年一〇月
○目賀田遣米特派委員長一行送別会 青淵先生が常務委員として尽力せらるゝ日米関係委員会にては、十月四日、日本橋倶楽部に於て今回米国に特派せらるゝ帝国政府財政経済委員長目賀田男爵、及其一行諸氏の為め送別会を催して其行を祝せるが、賓客は目賀田男爵を始め、杉本脩・坂口武之助・伊藤文吉・菱田静治の一行諸氏、又主人側として青淵先生を始め、阪谷・瓜生の各男、中野武営・添田寿一・池田謙三・村井吉兵衛・服部金太郎の諸氏等都合十三名の出席あり、席上青淵先生の送別の辞、並に之に対する目賀田男爵の答辞あり、主客一同胸襟を開きて日米の関係に就き快談したる由なるが、尚ほ余興としては講談手踊等ありしと云ふ。因に同月二日日米協会に於ても目賀田男等一行の送別会を銀行倶楽部に開催したるが、当夜は主客共百余名の盛会にて、金子会長・本野外相・米国代理大使ホイラー氏並に青淵先生・添田博士の送辞あり、目賀田男爵之に対する謝辞等ありて、主客和楽の裡に散会したる由。


中外商業新報 第一一三一五号大正六年一〇月四日 ○遣米委員招待(DK330040k-0004)
第33巻 p.474-475 ページ画像

中外商業新報 第一一三一五号大正六年一〇月四日
    ○遣米委員招待
寺内首相は、近く米国に特派せらるべき特派経済委員長目賀田男以下委員一同を、三日午後六時より首相官邸に招待し送別の晩餐会を開きたるが、尚ほ陪賓として左の諸氏出席せり
本野・後藤・勝田・仲小路・大島・加藤各相、幣原・市来・上山・内田各次官、金子・三島両子、渋沢・三井(八郎右衛門)・大倉・阪谷・郷各男、井上準之助・志村源太郎・志立鉄次郎・桜井鉄太郎・池田謙三・佐々木勇之助・松方巌・早川千吉郎・串田万蔵・安田善三郎・藤山雷太・浅野総一郎・末延道成・各務謙吉・団琢磨・古市公威・倉知鉄吉・村井吉兵衛・新井領一郎・森村開作・水町袈裟六(以上東京)、
 - 第33巻 p.475 -ページ画像 
茂木総兵衛・大谷嘉兵衛(横浜)、住友男・中橋徳五郎・島徳蔵・広岡恵三(以上大阪)、田村新吉・山下亀三郎・山本唯三郎・江口定条(以上神戸)諸氏


中外商業新報 第一一三一六号大正六年一〇月五日 ○寺内首相演説 目賀田男送別会席上(DK330040k-0005)
第33巻 p.475-476 ページ画像

中外商業新報 第一一三一六号大正六年一〇月五日
    ○寺内首相演説
      目賀田男送別会席上
 三日夜首相官邸に催されたる特派財政経済委員長目賀田男一行の送別会席上に於て、寺内首相の為せる演説要旨左の如し
△米国の戦時 財政経済政策は規模頗る大にして、将に世界の産業並に金融界に深甚なる影響を及ぼさんとす、殊に我国との利害関係最密接なるを以て、其の実情を研究せしめ、彼我の意思を疏通して、経済的連絡を密接にして、相提携して経済上の根基を鞏固にするの必要あり、是れ特に委員を簡抜するに当り、実業界より比較的多数の委員を命じたる所以也、時局発生以来、我国経済状態は幸にして好調を呈し産業の発展、輸出超過並に貿易外の正貨入超額を加算して約十五億円に達し、内は以て産業の発展に資し、外は以て与国に対する財政的援助に充つるを得たるは慶賀に堪へざる所なり、然れども世界戦局の趨勢に顧み、且我国経済界の将来を慮るときは決して晏如たるを得ざるものあり、幸にして米国の参戦は与国に一大勢力を加へたるも、露国今日の情勢は憂慮措く能はざる所にして
△前途尚遼遠 たり、加之隣邦支那の政情は、未だ安定せざるものあり、而して列国の戦時施設は、時局の拡大に伴ひ我国経済界に直接の利害を及ぼすもの益々多し、要するに我邦の聯合与国の一員として克く其の責務を完ふすると共に、時局の齎らしたる我国経済界の順調を助長し、且此の順調に伴ふて生ずる各種の弊害を防止し、戦争終熄に依りて生ずべき財界の変動に備へ、以て経済的独立の素地を作り、国家の基礎を鞏固ならしめざるべからず、政府も必要なる諸機関を設け之が講究並に実行に遺憾なきを期しつゝあるも、尚ほ朝野一致之に当るを以て最も緊要なりとす、之に関聯して差当り諸君の注意を喚起し度もの三四を挙ぐれば、我国は与国の軍需品代金決済為替資金調達、其の他今日に至る迄出来得る限り与国に対して財政上直接の援助を為し、開戦以来総利得約十五億円の内、十億円は専ら此方面に使用したり、然れども
△戦局の現状 に照し、且我国の地位に顧み、今後尚此種の援助又は其の他の海外投資を為すの必要一層多大なるものあるべし、又時局の必要に応ぜる政府の施設は、往々個人の利害と相容れざるものあるべしと雖も、時局の重大なるに鑑みて、多少の犠牲を忍び、国民均しく国家的精神を発揮して、以て之が実効を挙ぐるに努力せられむことを望む、政府は国民経済の必要上並に国民生活保護上緊要止む得ざる場合の外、産業の自然的発展を阻害するが如き方策を採らむとするものにあらず、力めて健全なる事業の勃興を促進し、我国経済上の基礎を鞏固にせむことを念とするものなれば、確実なる産業の発展を助長せられ、我国産業の独立を企図せられむことを望む、戦時に於ける経済
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的現象は時に意想の外に出づるもの多し、殊に交戦諸国の策戦上、又は自衛上の必要に基き施設する所は、我が財界に各種の影響を齎らすべきものあり、是等に対しては十分なる
△準備と警戒 とを以て、自重事に当り、我が経済界をして徒に動揺せしめざるを要す、内国産業の発展と国民生活の問題とは、相関聯して往々資本家と労働階級との調和を欠くの傾向を生ず、蓋し已むを得ざるの趨勢なりと雖、之を融合するは政府当面の任務なり、諸君に於ても予め両者意思の融和と、利害の一致とを図り、以て我国産業の円満なる発達を阻害せしめざる様、慎重の考慮を望まざるを得ず、而して方今物価著しく騰貴し、国民の生活上に重大の影響を与へつゝあるが故に、政府は夙に之が抑制の必要を認め、既に具体的方策を講したる者あり、或は今後の必要に応ずるが為め熟慮攻究する所のものありと雖、之が実効を挙ぐるは国民の努力に俟つ所最も大なるべきを信ず戦時並戦後に於て経済的発展を期せむとせば、広く与国との経済的提携を図り、相互の意思を疏通し、利害共通の実を挙ぐるを要す、今次目賀田男爵以下を特派するもの、実に此の趣旨に基くものたるを諒知せられむことを望む