デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.571-573(DK340064k) ページ画像

大正14年7月31日(1925年)

是日、当委員会主催太平洋問題協議会参列代員帰朝歓迎会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。


■資料

渋沢栄一電報 控 沢柳政太郎宛一九二五年七月二四日(DK340064k-0001)
第34巻 p.572 ページ画像

渋沢栄一電報 控  沢柳政太郎宛一九二五年七月二四日   (渋沢子爵家所蔵)
Doctor Sawayanagi, President Wilson. July 24, 1925.
  Sekijitsuno gokinrowo kanshashi goanchakuwo inoru Sanjuichinichi goikkonotame kangeigosankai kaisaisu goshochiko
                      Shibusawa


日米関係委員会集会記事摘要(DK340064k-0002)
第34巻 p.572-573 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要        (渋沢子爵家所蔵)
 大正十四年七月卅一日正午、於日本工業倶楽部、太平洋協議会参列代員歓迎会
 出席者
  来賓=沢柳政太郎氏・石井徹氏・井深梶之助氏・井深氏夫人・丹羽清次郎氏・斎藤惣一氏・高木八尺氏・小松隆氏(以上代員諸氏)
     出淵勝次氏・佐分利貞男氏・塩崎観三氏(以上外務省側)
  会員=井上準之助氏・服部金太郎氏・堀越善重郎氏・団琢磨氏・添田寿一氏・串田万蔵氏・江口定条氏・姉崎正治氏・阪谷男爵
  幹事=服部文四郎氏・増田明六氏・小畑久五郎氏
    記事概要
阪谷男爵座長 渋沢子爵及藤山氏の両常務員欠席なるを以て座長を務めます、今日は太平洋会議に列席せられて無事に其使命を果された代員諸君を歓迎することを得て真に欣快に堪へません、尤も代員全部御帰朝になつたのではありませんが、皆様健全にして此使命を果されたことを衷心より祝賀致す次第であります、未だ正式の報告は承りませんが、大体の報告を伺つて今回の会合の大成功なりしことを知りました、吾々日本人は国際会議に於ては沈黙勝ちでありますが、此度の会議に於ては積極的の態度を取られしことを聴きまして喜びました次第であります、之れには理由のあることで、一つは代員諸氏の英語に堪能なること、尚一つには米国人側に於て移民法の為め、幾分か日本側に対して遠慮勝ちであつたことに因ると思ひます、渋沢子爵を始め吾々日米関係委員会員は日米問題を解決する為に聯合高等委員の設置を主張し、モリス、ワーレン、ウツヅの三大使及故バンクロフト大使にも其必要を力説したのであります、今回の会議は固より聯合高等委員会とは申されませんが、頗る之に似たるものがあります、太平洋沿岸諸国の代表者が非公式的会合に於て腹蔵なき意見の交換を行はれ、意志の疏通感情の融和を見ることを得たるは、将来の国際関係に取つて貢献する所多大であると思ひます、若し日米両国の間に聯合高等委員会が開かれ、各代表者が詳細に意見の交換を行つたならば必ず得る所が多いと思ひます、今回の会議の成功が良い実例であります、私は重ねて代員諸君の努力を多とし、無事の御帰朝を祝する次第であります
沢柳博士 日米関係委員諸君が常に御多忙な方々で入らせらるゝと同時に、今日は如何にも堪へ難き暑気なるにも拘らず、私共一行の為
 - 第34巻 p.573 -ページ画像 
に斯る盛大なる歓迎午餐会を御催ほし下さいましたことを、衷心より感謝致します、詳細は各担任委員より報告申上ぐることゝ致し、私は大体を申上げます、渋沢子爵を始め日米関係委員会の御尽力により吾々代員は太平洋協議会に参列し、幸にも大過なく使命を果し得ましたことは真に同慶の至りと存じます、開会第一日には団体にて近所の各所見物を致し、アサートン氏及桑港商業会議所のリンチ氏より丁寧なる待遇を受けました。円卓協議会は最も愉快なる懇談会でありました。協議会の中心問題は排斥法制定でありましたが、米国代員は何れも其制定法を非難し、多大の同情を吾々日本側代表者に寄せられました、日系ハワイ人に関しては予め船中にて協議せしステートメントを発表し、ハワイの邦字新聞は悉く之を掲載しました。本協議会を永続的のものとなすことに就ては五名の委員を挙げて研究せしめました、即ち米、ハワイ、カナダ、支那及日本よりの代員一名つゝでありました。委員は永久的研究会を設置することを推薦し、全会は之を採用しました。アサートン氏が研究会の予算を七万五千弗と報告して採用せられ、三分の二は寄附になり、残部は各代表に割賦する方針に確定しました。各国の代員が一同学校の寄宿舎に宿泊し、且つ食事を致しましたから非常に相接近して、自由自在に意見を交換することを得ましたことは、何よりの幸福でありました、本協議会の結果として具体的に現はるゝものは無いかも知れませんが、国際親善の上に貢献したることは疑ふべからざる事であります、斯る会合に参列するの光栄と便宜とを与へ下さつた渋沢子爵及び日米関係委員諸彦に厚く御礼を申上げます
井深・石井及小松三氏の報告は別紙印刷物中にあり
姉崎博士 博士は東部に於てギューリック博士、ウヰツカーシヤム博士、西部に於てアレキサンダー氏及リンチ氏に会見して、排斥移民法に関し懇談したる所、何れも当分此問題に触れざる方日本の目的を達する捷径なるべしと答へられし由告げらる
   三時散会


太平洋問題協議会書類(DK340064k-0003)
第34巻 p.573 ページ画像

太平洋問題協議会書類           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
酷暑の候益々御清祥奉賀候
先日は布哇に於て開催されたる、太平洋問題調査会第一回会議出席者に対して御鄭重なる午餐会を御催し下され、誠に難有御厚情奉深謝候早速参上御礼可申上の処、不取敢右以書中御礼申上度如此に御座候
                            敬具
  大正十四年八月五日
                      斎藤惣一
    日米関係委員会常務委員
              御中