公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第35巻 p.89-90(DK350019k) ページ画像
昭和3年7月3日(1928年)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジョセフ・ダブリュー・ホール一行招待茶会、神田学士会館ニ催サル。栄一病気ニヨリ出席セズ、阪谷芳郎代リテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
日米関係委員会往復書類 (二)(DK350019k-0001)
第35巻 p.89 ページ画像
日米関係委員会往復書類 (二) (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、御清適奉賀候、然ば極東通を以て有名なる米人ジヨセフ・ダブルユー・ホール氏並同夫人は、太平洋沿岸の米人男女教師及学生四十名を引率、東洋諸国観光の為め来七月二日横浜へ上陸の由に付き、翌三日午後三時神田一橋学士会館に右一行を招待し、茶話会相催度と存候間、御多忙中御迷惑とは存候得共、御差繰御来駕被成下度、此段御案内申上候 敬具
昭和三年六月三十日
日米関係委員会
渋沢栄一
藤山雷太
会員(廿五名)陪賓(七名)殿
日米関係委員会往復書類 (二)(DK350019k-0002)
第35巻 p.89-90 ページ画像
日米関係委員会往復書類 (二) (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、然ば明三日太平洋沿岸の米人教師及学生一行の招待茶話会を午後三時開催と御案内申上候得共、都合に依り同日午後三時半より開催の事に変更相成候間、何卒御承知置被下度候 敬具
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昭和三年七月二日
日米関係委員会
(朱書)
会員各位及陪賓 (速達)
日米関係委員会集会記事摘要(DK350019k-0003)
第35巻 p.90 ページ画像
日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
昭和三年七月三日午後三時半、於学士会館、ジヨセフ・ワシングトン・ホール氏及一行招待茶話会
主催日米関係委員会
出席者=正賓・陪賓・会員=の芳名別紙掲載
当日は外務大臣よりも御茶に招待せられしことゝて学士会館に一行の到着せられしは四時半頃になりたり。御互に紹介をなせし後食堂に入れり。頭本氏トースト・マスターヲ勤められ、阪谷男爵英語にて挨拶せられ、後添田博、新渡戸博、頭本氏自身の順にて交々演説をなし、最後に団長ホール氏の熱心を込めたる答辞ありて、閉会せしは六時過きなりき
阪谷男爵は渋沢子爵に代りて歓迎の辞に添へて、日米関係委員会の沿革に就き述べられ、最後に日米国交は一九二四年に制定せられたる移民法を除けば何等支障なき旨を述べられたり○添田博士は支那を安定ならしむる為め列強の協力特に日米の友情的提携を切述せられたり○新渡戸博士は世界平和の為め今後の青年は活動せざるべからず、特に日米親善は世界全体の平和に深き関係ある旨を力説せらる○頭本氏は米国に於ける責任の地位にある人々が無責任の言語を吐かるゝを痛撃せらる○最後にホール氏は百聞一見に如かすとの意味を稍長く説明せらる。一同好感を抱いて散ぜらる。
○別紙略ス。