デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.112-114(DK350025k) ページ画像

昭和4年3月4日(1929年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国合同基督教宣教協会会長エフ・ダブリュー・バーナム招待午餐会開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。


■資料

日米関係委員会往復書類 (二)(DK350025k-0001)
第35巻 p.113 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (二)        (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適賀上候、然ば今般米国合同基督教宣教協会会長エフ・ダブルユー・バーナム博士、来邦せられ候に付ては、来三月四日(月)正午丸之内永楽町東京銀行倶楽部に於て招待午餐会相開き、御懇談相願度と存候間、御多忙中恐縮ながら御繰合はせ御出席被成下度候、右御案内申上候 敬具
  昭和四年二月廿三日     日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
    会員各位
  追て乍御手数御諾否封中端書にて御回示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(DK350025k-0002)
第35巻 p.113-114 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 昭和四年三月四日(月)正午、於東京銀行倶楽部、米国合同基督教宜教教会々長ヱフ・ダブルユー、バーナム博士招待懇談会
 出席者
 来賓 =主賓 ヱフ・ダブルユー・バーナム博士。
     陪賓 アール・デイ・マツコイ博士。テイ・イー・ヤング氏。今村正一氏。
 委員=井上準之助氏・堀越善重郎氏・大谷嘉兵衛氏・添田寿一氏頭本元貞氏・内田嘉吉氏・藤山雷太氏・江口定条氏・浅野総一郎氏・男爵阪谷芳郎氏・男爵森村市左衛門氏
 調査嘱託=高木八尺氏
 幹事=小畑久五郎
    記事概要
十二時半一同食卓に就く、食後阪谷男爵立ちて左の如く述べらる
阪谷男爵 バーナム博士並諸君、私は渋沢子爵病気欠席の為め代りて御挨拶を申上げます。本日は奇遇とも申しませうか、米国に於ては新大統領フーヴアー氏就任の日に当ります。就ては先づ第一に盃を挙げて大統領の健康を祝し、其統御上に幸福を齎らし、独り米国内のみならず、世界に平和を維持する様にと祈る次第である。渋沢子爵は大統領の就任を祝さんとして電報を発せられましたから、唯今小畑幹事をして朗読致させます。(此処に小畑は起ちて通訳をなし、電文を朗読す)一同起立、盃を挙げて大統領の健康を祝す。尚ほ進んで男爵は左の如く述べらる。
 バーナム博士は非常に御多忙の御身柄にして明日帰国なさるにも拘らず、本日御繰合せ下して我儕関係委員に御合ひ下した事は、如何に同博士が日米親善に興味を抱き居らるゝかを証明するものと察せられます。博士は支那及び日本を広く御旅行なさつたと申すことですが、其印象に就て一言御漏らし下さらば興味ある事と存じます。
バーナム博士 阪谷男爵を始め日米関係委員諸君の御厚意を深謝致します。私は東京へ着きまして間もなく、パン・パシフイツク・クラツブの午餐会に招待を受けまして所感を述べる機会を得ましたが、其日は恰も我か邦最初の大統領たるワシントンの誕生日でありまし
 - 第35巻 p.114 -ページ画像 
た。而して今日は新大統領フーヴアー氏の就任当日に相当致します私はフーヴアー氏選挙の際は外国旅行中でありました為めに投票する機会を逸しましたが、当時国内に在りましたならば無論同氏に一票を容れた筈です。フーヴアー氏は選挙競争で之れまで就任した大統領中最大多数の投票を贏ち得た候補者であります、私はフーヴアー氏の就任を祝賀する為めに故国に居りたかつたのであります。先刻阪谷男爵より日本支那旅行に関する印象を述べよとの御申聞けですが、私は瀬戸内海を航海して神戸・大阪・京都・東京・仙台・秋田等を訪問し、支那では南京及び其近郊を旅行致しました。
 私は日本に於ける水力電気の将来を考へました時に、将来の工業発達に気附いたのであります。亜米利加では、水力電気を白石炭と申して居りますが、何れ黒石炭ハ尽くる時が来るでせうが、其時には白石炭の効果が一層大なることゝ考へます。日本は此種の石炭を産出し得る無限の可能性を有つて居りますから、将来非常に有望と考へます。而して其製品を支那に輸出するといふ事であれば、支那も之れによつて大に益し両国の親善も一層増進することと思ひます。尤も今日の支那は混乱の状態にありますが、何れ其内に秩序が整ひ国力の恢復を見る日が来ると思ひますし、又来ねばならぬと信じます。支那の旅行は至つて狭い範囲に限られたのですが、然し支那の農業的可能性には深い印象を受けて参りました。此度の東洋旅行は私の最初の経験で御座いますが、私は日本の自然美を嘆賞すると共に日本人の美点を深く味はう機会を得ました。私は到る所に款待を受け、親切なる待遇を蒙りました。国と国との交際は外交官若くは政治家によつて為されるのは当然であるが、然し我々人民が互に親善を計るといふことが肝要であると考へます。故に私は帰国の上は此方面の日米増進に努めやうと思ひます。私は一年中可なり広く国内を旅行致しますから、自然人々に接する機会も多う御座ます。
 最後に渋沢子爵が大統領の就任を御祝し下たした事を衷心より感謝致します。子爵が非常なる忍耐力を有つて日米両国の親善に努め居られる事は私共の深く深く感謝致し居る所で御座います。私は盃を挙げて子爵の一日も早く御健康を恢復せられ、且つ御長寿を保たれんことを祈り度いと思ひます。(一同渋沢子爵渋沢子爵渋沢子爵と称へて乾盃す)
後再び応接間に還り、二時十五分前まで懇談せり