デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.120-122(DK350027k) ページ画像

昭和4年5月18日(1929年)

是日、当委員会ハアメリカ合衆国新聞記者団一行十二名ヲ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ請ジテ歓迎午餐会ヲ開ク。栄一病ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。


■資料

日米関係委員会往復書類 (二)(DK350027k-0001)
第35巻 p.120 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (二)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、陳者今般カーネギー国際平和財団の斡旋により、東洋視察の為め米国新聞記者団一行十二名の諸氏来邦せられ候に付ては、来五月十八日(土)正午麹町区丸ノ内一丁目八番地東京銀行倶楽部に於て歓迎午餐会相催し、日米問題に付篤と御懇談相願度と存候間、万障御差繰の上尊来被成下度、此段御案内申上候 敬具
  昭和四年五月十一日
        日米関係委員会
         常務委員 渋沢栄一
         同    藤山雷太
    会員各位
  追て御諾否乍御手数同封端書にて御回示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(DK350027k-0002)
第35巻 p.120-122 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要        (渋沢子爵家所蔵)
 昭和四年五月十八日(土)正午、於銀行倶楽部、米国新聞記者団一行歓迎会
 出席者
  来賓 ギデオン・エー・ライオン氏(ワシントン・スター紙記者)フランシス・ダブルユー・クラーク氏(アトランチツク・コンスチチユーシヨン紙記者)。ウヰリアム・フイリツプ・シムズ氏(スクリツプス・ハーワード紙記者)。ハーリー・
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ビー・ウエークフイールド氏(ミンネアポリス・ジヤーナル紙記者)。ウヰルバー・フオーレスト氏(ニユー・ヨークヘラルド・ツリビユーン紙記者)。ハーバート・エル・マシウス氏(紐育タイムス紙記者)。フランシス・イー・リーガル氏(スプリング・フイールド・レパブリカン紙記者)。フレツド・ホーグ氏(ロス・アンゼルス・タイムス紙記者)。パウロ・ダブルユー・ライト氏(市俄古デーリー・ニユース紙記者)。ジヤツド・エム・レウイス氏(テキサス。ハウストン・ポースト紙記者)。ジヨージ・フインチ氏(カーネギー国際平和財団代表)。
     塩沢昌貞氏(早稲田大学々長)。小野秀雄氏(帝国大学教授新聞学担任)。簗田𨥆次郎氏(中外商業新報社)。吉田茂氏(外務次官)。斎藤博氏(外務省、情報部長)。筒井潔氏(外務省事務官)。加久美知雄氏。宮岡恒次郎氏。松岡洋右氏(満鉄副総裁)。鶴見祐輔氏。藤沢利喜太郎氏。鶴見憲氏。
  会員 服部金太郎氏。堀越善重郎氏。頭本元貞氏。内田嘉吉氏。串田万蔵氏。藤山雷太氏。阪谷男爵。鈴木島吉氏。
  幹事 服部文四郎氏。小畑久五郎
  調査嘱託 高木八尺氏。
    記事概要
阪谷男爵 本日歓迎申上くる諸君は従来の観光団とは赴きを異にする珍客であります。日米関係委員会は斯る遠来の名士を迎へたる事を光栄とするものであります。唯一つ遺憾とするは渋沢子爵が病気の為め此午餐会に出席せられない事であります。日米両国間に日米関係委員会を常置する必要は何処にありやとの質問が起ります。何故ならば二十年前までは両国間に何等憂ふべき事は起らなかつたからであります。先づペリー提督の来航に次でタウンセンド・ハリスの渡来、日本学生の米国留学等何れも皆両国の国交を強め且つ温めるばかりでありました。然るに遺憾な事には加州に移民問題が起つて以来日米関係に支障を起しました。其処で桑港にも米日関係委員会を組織し、吾々有志の者も東京に日米関係委員会を起し、相提携して難問題を解決しやうとしたのであります。例へば一千九百二十四年に排日移民法が議会を通過した時我が国民が非常に激昂しましたが、我が日米関係委員会は極力之れが鎮撫に努めた如きは一例であります。吾々は来賓諸君と共に親しく接して日本人の実生活に就き御懇談を願ひ度いと思ひますが、非常に御多忙の由で御座いますから、貴重な時間を御妨げするは恐縮に存じます。然し出来る丈け談話の御交換を御願ひ致します。日米関係委員会員は数に於て劣つて居りますが、質に於てはそう劣つて居らないと信じます。私は盃を挙げて来賓諸君の御健康を祝し度いと存じます。――乾盃
フインチ氏 阪谷男爵の御言葉の通り日米両国間の関係は非常に美はしいものであつて、外交史上比類稀れな親善関係であると申しても決して過言でないと存じます。私が此度貴国へ参りまして両国の親善が如何に其根を深く張つて居るかを痛感したのであります。私が
 - 第35巻 p.122 -ページ画像 
今日まで接触しました人々は大抵米国に於て学ばれた方々か、又は貿易上、社交上、及国際上直接間接に我邦と関係のある方々であります。私は日米両国間に紛争が起る様な事は断じて無いと信ずる者であります。御承知の通りカーネギー国際平和財団は国際間に平和を成立せしめ、之れを増進する為めに尽力して参りました。先年米墨両国間に今にも国交断絶の不幸を見るに至るであらうと思ふ程に両国の感情が昂かまりましたが、同財団が我国民全体に訴へて平和の解決を促がし、同時に賛成者より政府に対する希望意見を募集して輿論を喚起した結果、終に両国の間に平和を持続せしめる様になりました。同財団が今回米国新聞記者団を編成して貴国を訪問せしめる為めの仲介者となりました事は、之れ又た両国の親善、並平和を増進するに預つて力ある事と信じます。私共は渋沢子爵に対して衷心より敬意を表するものであります。今日御面会の出来ないのは甚だ遺憾とする所でありますが、何卒御病気の一日も早く御平癒に帰する様祈つて止まない次第であります。
  ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」昭和四年七月二十五日ノ条参照。