デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.177-184(DK350039k) ページ画像

昭和5年11月10日(1930年)

是日栄一、日本労働総同盟会長鈴木文治ノアメリカ合衆国ヨリ帰朝セルヲ機トシ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ招待会ヲ催シ、当委員会関係者ヲ招待ス。次イデ十二日、鈴木文治、丸ノ内渋沢事務所ニ来訪ス。


■資料

諸挨拶状綴(十) 【(印刷物) 拝啓 小生事本年国際労働会議終了後引続き外遊中のところ…】(DK350039k-0001)
第35巻 p.177-178 ページ画像

諸挨拶状綴(十)            (渋沢子爵家所蔵)
 - 第35巻 p.178 -ページ画像 
(印刷物)
拝啓
小生事本年国際労働会議終了後引続き外遊中のところ、去る二十日無事帰朝仕候間、不取敢御通知申上候
留守中公私共御配慮を被むり候段厚く御礼申上候、尚時下秋冷の候御自愛専一に奉祈上候 敬具
  昭和五年十月二十三日
          東京市芝区三田四国町
          日本労働総同盟本部(電話三田四三六)
                      鈴木文治


渋沢栄一書翰 鈴木文治宛 昭和五年一一月五日(DK350039k-0002)
第35巻 p.178 ページ画像

渋沢栄一書翰  鈴木文治宛 昭和五年一一月五日   (鈴木文治氏所蔵)
(別筆)
拝啓益御清適奉賀候、然ハ此度御帰朝を機とし緩々御懇談相願度存候に付てハ、来十一月十日(月曜日)正午東京銀行倶楽部へ御枉駕被成下候ハヽ本懐之至に存候、此段御案内申上度如此御座候 敬具
  昭和五年十一月五日
                    渋沢栄一
    鈴木文治様
相州鎌倉大町佐介通一四七 鈴木文治様


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350039k-0003)
第35巻 p.178 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば鈴木文治氏南北両米を視察して今回帰朝相成候に付き、同氏の視察談特に合衆国に於ける最近の状勢に関する談話を聴取致度と存候間、御繁忙中御迷惑とは存候得共、来十一月十日(月)正午東京銀行倶楽部へ御枉駕被下度、此段御案内申上候 敬具
  昭和五年十一月五日
                      渋沢栄一
    子爵渋沢栄一殿
  追申
   一、当日は左記諸氏に御出席相願置候
    新渡戸氏・堀越氏・団男爵・頭本氏・内田氏・串田氏・藤山氏・阪谷男爵・森村男爵(イロハ順)
   二、粗餐の用意致置候間御承知置被下度候
   三、御諾否乍御手数御回示願上候


日米関係委員会雑綴(二)(DK350039k-0004)
第35巻 p.178-184 ページ画像

日米関係委員会雑綴(二)          (渋沢子爵家所蔵)
    日米関係に於ける労働の要素
                        鈴木文治君
○上略
      二、紐育より桑港まで
○中略転じて米国紐育に到着致しましたのが、本年九月の二日でありま
 - 第35巻 p.179 -ページ画像 
す。紐育には官民各方面に旧知が多いのみならず、殊に現紐育総領事沢田節蔵君は私の古い学友の一人でありましたので、同君は喜んで私を迎へて呉れまして、同君の日米関係に付て見る所、殊に昨年京都に於て催された太平洋会議に米国代表の委員長として来られたジェローム・グリーン氏との接触の関係に付て詳細なるお話を承ることが出来ました。更に紐育より華盛頓の日本大使館に電話にて連絡を執り、四日華盛頓に参り、五日午前に出淵大使と会見することが出来ました。出淵大使は年来の懸案たる所謂日米問題の解決の為には全幅の努力を払はるゝ決心を持つて居られ、既に今年五月の交太平洋沿岸一帯の視察をも試みられ、各方面に万遍なく注意を向けられて、絶えず情勢の視察に心を傾けて居られるのであります。同大使の言ふ所を以てすれば、所謂米国人の日本に対する好感情の今日の如く高潮したことはなかつたと言つても好い位である、要するに昨年日本に開かれた万国工業会議並に太平洋会議等の影響であると云ふのでありました。従て所謂年来の懸案解決には今年は最も好い時期であると信ずるが、併し日本の出先官憲として余り露骨に其為に活動することは却て弊害を醸す虞があるので、所謂満を持して放たざる態度を執つて居ると云ふことでありました。即ち一面に於ては情勢の視察に全力を傾注すると同時に、出動すべき機会を充分な準備を以て待つて居ると云ふ態度であります。大使は、問題それ自身が米国の国内的の問題であるから、日本人が軽々しく此問題の表面に立つて容喙し奔走すると云ふが如きは、却て藪蛇の虞がある、寧ろ米人社会、殊に本問題の火元とも言ふべき加州の米人社会内部より問題解決の火蓋を切らしむるのが最も妥当であると云ふ見解の下に、其方面の用意をささ怠りないと云ふ態度でありました。尚ほ宗教家側は一斉に奮起したい考を有つて居るが、宗教家の奮起は却つて逆な結果を招来する虞もあるので、今暫く隠忍することを求めて居るといふことでありました。問題は立法府の問題であるので、立法府方面への接触も必要とすると云ふのであるけれども是も日本の官憲が直接に其道を講ずるよりも、米人自身の力を通じて之を為すことの方が有効であると云ふ見方に依つて、それぞれ其道を講じて居られると云ふことであります。○中略併し問題は主として立法府の問題であるとは言へ、行政部の力も亦決して之を軽視することは出来ないから、日本の出先官憲としては行政部に対して又密接なる連絡を保ち、周密なる用意の下に問題の好転を期しつゝあると云ふお話でありました。唯々同氏と雖も如何ともすることの出来ないことは労働関係の問題であつて、此問題に付ては私自身に深く期待する所があると云ふお話で、私が米国に到着するのを待つて居られたと云ふやうなお話でありました。私は之に対して、固より自分自身の実力は敢て採るに足らないけれども、多年の志でもあるから、此機会に於て及ぶ限りの努力を致しませうと答へてお別を致したのであります。
私は予て紐育より華盛頓に電話を以て、華盛頓に在る米国労働同盟の本部に彼の有名なゴンパース氏の後継者である現会長グリーン氏、並に過去数十年来労働同盟の主事をして居るフランク・モリソン氏に会見をしたい考でありましたが、モリソン氏から、恰も九月の四日よ
 - 第35巻 p.180 -ページ画像 
り米国労働同盟の幹部会がアトランチック・シチーに於て開かれることになつて居るから、同地まで来るやうにと云ふ伝言であつたので、私は取敢ず同地に向ひ五日の深更に到着し、六日の朝、会長グリーン氏並に主事モリソン氏と朝食を共にしつゝ、約二時間余り色々と懇談を致しました、話の内容は固より単に日米関係の問題のみではなかつたのでありますが、私の両君に会見を致しました目的は、万一今年冬の議会に排日移民法の修正が問題となつたやうな場合に、米国労働同盟の態度がどうであらうかと云ふことを知らんが為めでありました。両君共流石に此問題に付いては用心深き態度を執つて、露骨には其感情を漏しませぬでしたけれども、グリーン氏の如き、近年日米の親善関係が益々促進され、米人の日本に対する好感情が濃厚になつて来る状態にあることを心より喜ぶ、殊に昨年の太平洋会議等の影響が著しいものがあると云ふことを話されたのであります。之に付てモリソン氏は、元来国際間の紛擾と云ふが如きも両国の間の誤解に基く所が多いのであるから、両国人が互に接触して其誤解を解くことに努めるならば、所謂国際間の紛擾の如きは日常の笑ひ事になることが多いのであると云ふやうな話をされ、日米両国の問題等に付ても、是非談笑の間に解決するやうにして欲しいものであると云ふやうな話がありました。尚ほ両君より私に対して、君は何れ加州に行くであらうが、その際シヤーレンベルグ君に会見をして、吾々と今日此処に会談し、お互の間に斯う云ふ話があつたと云ふ模様を同君に伝へて呉れと云ふやうな話でありました。従て私は所謂排日移民法の修正運動に対する言質を得たと云ふ訳には参りませぬけれども、元来本問題の火元は加州の労働同盟にあるのであるから、其火元にして幸に本問題の解決に好意的態度を執るならば、米国労働同盟の本部に於ては、故らに之を問題にすると云ふやうなことはなからうと云ふ強い印象を受けたのであります。
○中略
      三、メリスビル労働大会
 加州労働同盟の第三十九回大会は、翌九月十五日より同地の労働会館に於て開かれたのでありますが、私は開会式当日より友誼代表として其大会に列席しました。開会式当日は例年の如くに同地の市長・州上院議員・中学校長・警察署長等の所謂地方の名士が多数見えて色々な祝辞演説がありましたが、私が同会場に在るを見るや、議長が頻に私を麾くので演壇近く進みますと、議長と主事のシヤーレンベルグ君と二人で、私の手を取つて演壇の上に引上げ、議長の隣りに着席せしめ、シヤーレンベルグ君自ら立つて大会の代議員一同に対し、日本より我等の貴重なる珍客が来たと云つて、極て丁寧懇切なる紹介を代議員一同に試みたのであります。私は別に当日演説する用意はなかつたのでありますけれども、私の紹介を聴いて約六百名から集つて居りました議員一同は、嵐の如き喝采を送つて私に対して歓迎の意を表して呉れましたので、私は不用意ではありましたけれども、一場の挨拶を申述べたのであります。超えて十七日午前を以て予て一場の演説をすることを求められて居りましたので、予て用意致しました草稿に依つ
 - 第35巻 p.181 -ページ画像 
てこれを試みました。演説の要旨は要するに日本の労働階級の進歩発達の状態、特に日本労働組合運動の近年に於ける目覚ましい発展振を述べて、日本の労働組合運動は其組合員の人数に於てこそ尚ほ甚だ貧弱を感ずるけれども、其組合運動の理想・戦術・方法・手段、労働者の階級意識等に付ては、何れの国の労働運動に比しても毫末も劣るものでないと云ふことを申述べたのであります。要するに先年以来私が度々米国の労働階級の間に交つて、彼等の所謂排日の理由なるものを聴くに、彼等口を一にして、それは決して所謂人種的偏見に基くものではなく、経済的理由に因るのであると云ふことを力説するのでありまして、若し日米両国間の経済的差別関係が極めて縮小されるならば彼等の日本人に対する排斥の理由は根本的に之を失ふことに至ると思つたのであります。そこで、私は日本労働組合運動の実状を告げて、最早日米両国の労働運動の間に何等実質的に相違なき旨を立証するに努めたのであります。私は今年国際労働会議に於て自ら期せずして副議長に推薦をされ、瑞典ストックホルムに於ける第五次国際労働組合大会に於ても友誼代表として一場の演説をする機会を与へられたのみならず、瑞典政府よりは政府の賓客として盛大なる午餐会にも招かれ更に倫敦に於ては議会開会中の多忙な時であつたにも拘らず、首相ラムゼー・マクドナルド氏が特に私を其官邸に招致して会見の機会を与へられましたので、これ等の事実を述ぶると共に、是等は決して鈴木個人に対する好意礼儀と解すべきに非ずして、実に日本の労働運動が今日世界的水準に成長発達せることを、世界的に認められた証左であると信ずる、曾て私が十五年以前に最初に亜米利加を訪問した際、自分の代表する日本の労働組合員は僅か六千人に過ぎなかつた、然るに十五年後の今日に於ては日本全体の労働組合員の数は約三十六万人に達した、即ち十五年間に約六十倍の員数を増したのである、而して更に今後藉すに十五年間を以てするならば、三十六万の六十倍には達しなくとも、六倍位になるのは間違ない。然らば其組合員の員数の点に於ても、日米両国の労働団体の間には何等相違なきに至るではないかと云ふことを述べました。更に昨年シヤーレンベルグ君が日本に来朝した際に、日本の各種の労働組合を案内し、労働者の集会に出席して彼れ自身日本の労働運動の顕著なる発達の状態に付ては熟知せる筈であると云ふことを申述べ、今や日米両国労働団体は対等互格の水準の上に立ち、共同の理想の下に共同の目的に向つて相戦ふことの出来る機会を得たことを満足するものである、これも畢竟諸君が十数年来我等に与へられたる多くの教訓と指導の結果であることを思ひ、此機会に於て一言謝辞を申述べたいと云ふ大意でありました。私は其演説の末節に於て、過去の世界の文明は、大西洋より誕生した、併し、将来の文明は太平洋地方より生まるゝものなりと信ずる。而も此太平洋の上には、経済的に社会的に政治的に文化的に、幾多の複雑微妙な問題が存在するのであるが、此問題の徹底的解決の上に重大なる責任を有するものは、此大洋の両岸に位する日米両国である。殊に日米両国の労働団体であると信ずる。吾々両国の労働団体は充分なる協力に依つて、平和的に且つ実際的に、此問題の解決の為に努力すべき使命を有
 - 第35巻 p.182 -ページ画像 
するものである。日本の労働団体には既に其用意があるのであるが、知らず米国の諸君の用意果して如何と述べたのであります。○中略私は自分の大会に於て為した演説、日米関係に付て側面から暗示的な意思を表示した点に付て如何なる反響があるかと思うて注意をして見て居つたのでありますが、一つ私の気付いた点は、加州労働同盟の役員選挙の時、シヤーレンベルグ君に対する推薦演説でありました。役員選挙と言ひましても所謂指名選挙《ノミネーシヨン》でありまして、代議員有志が夫れ夫れ適当な候補者を指名し、それに対して票決を以て之を決するのでありますが、一名の新会長、十二名の副会長の指名の後に、最後に主事兼会計の指名に入つたのであります。其際突如として立上つて、ポールシヤーレンベルグ君を最適任者なりと信ずる旨の推薦演説の皮切をしたのは、元の加州労働同盟の会長で、十数年前まで桑港のクロニクル新聞紙の印刷工場長であったダニエル・マーフイーと云ふ人で、今日は労働側より推されて加州の上院議員たる人であります。同君は一応シヤーレンベルグ君の主事会計として適任なる事情を色々述べられました末に、特に斯う云ふことを云うたのであります。即ち『先日日本の鈴木君の演説の中に、日米両国の問題に付て一言をせられたが、自分も日米両国の間の問題が尚ほ未解決の儘に残つて居ることを知つて居る。而も此問題は甚だ微妙な問題であると云ふことも明かである。而して此問題の解決の為には米国の中でも特に最も利害関係の深い加州が重大な責任のあることはいふまでもない、が更に其中加州の労働団体が重大なる責任を取らなければならない、而して此問題の解決の為に米国側として最も必要なる資格は、第一に日本に関する豊富な知識を有すること、第二は日本人間に親交関係を有することである、此の二つの関係を具備する者としては、吾々同志の中にシヤーレンベルグ君を措いて無い』云々と力説したのであります。私は同君演説の後に同君に面会をして、君の演説は誠に大事な点を指摘して居ると云ひ満腹の敬意と同情を表する旨を述べたが、マーフイー君も私の注意して言つたことに対して感謝すると云ふ旨の挨拶がありました。今一つ此大会中に於て私の特に申上げたいと思ひますことは、今から十数年以前に於て桑港に於て排日運動の急先鋒となつて居りました同地洗濯業労働組合長のチヤールス・チヤイルド君の態度の豹変であります。元来米国の排日運動と言つても其中心が米国の労働者にあつたことは申すまでもないことでありますが、其中に於て特に加州の労働団体が執拗に排日運動を継続致したのでありまして、其又加州の中に於ても取分け急先鋒中の急先鋒とも云ふべきものは桑港の洗濯業労働組合であつたのであります。同洗濯業労働組合は特に排日洗濯労働同盟《アンタィ・ジヤツプ・ランドリー・リーグ》と云ふものを組織し、チヤールス・チヤイルド君が自ら其同盟の会長となつて、最も執拗に最も辛辣に日本人の排斥を敢行したのであります。現に私が千九百十五年初めて加州労働同盟の大会に日本労働組合友誼代表として出席した折にも、同君は私の資格を否認せんことを大会の席上に於て明言し、極力反対を試みたこともありますので、私は当時血気盛んなまだ年の若い頃でもあり、甚だ癪にさわつて堪りませんでした、其為に或る時の如きは同君に近寄つて同君に親愛の情を示
 - 第35巻 p.183 -ページ画像 
す態度を取り乍ら思はず知らず同君の肩を三回程強打して、同君をして驚かしめたやうなこともある位でありました。然るに今年は同君の態度が全く豹変し、大会中私の室まで一人の息子と娘を同伴して来ましたが、特に私の室を訪れて自分の息子娘を紹介し、更に自分は曾て日本人の勁敵であつたが、今日は最早毫末も敵意を持たないと云ふことの意思を明にして、将来私に対して親交を求めると云ふ挨拶もあつた位であります。一体に米国の労働大会へは私も屡々出席して居りますので、自然旧知の人々も多く、労働関係とは非常な親好の関係を保つて来たのでありますけれども、今年程鄭重なる親好的な歓迎と敬意を受けたことは未だ曾てないと言ふても好い位でありまして、是は要するに米国の識者並に在留同胞の主なる人々も申して居るが如くに、一般的に米国人の日本に対する好感情が増して参りました一つの反映と言うても宜からうと考へます。現に桑港にはマクラチー氏の率ゆる聯合移民委員会《ヂヨイント・イミグレーシヨン・コミチー》と言ふ団体があつて、加州の労働同盟、米国在郷軍人会加州支部、並に加州生れの米人同盟といつたやうな団体から成立つ排日団体としては最も有力なるものでありますけれども、最近二年程は日本移民問題は一言も話題に上つたことがないとさへ言はれて居ります。現に本年の加州労働大会に於ても墨西哥人並に此律賓人の排斥問題は議題に上りましたけれども、議題の説明中に於ても亦賛成の演説中に於ても一言も日本人問題には触れなかつたのであります。是は単に私が其大会に列席をして居ると云ふことに対する遠慮からだけではなしに、日本人問題に対する米人の感情が最近著しく変つて居ることを裏書するものと思ひます。
      四、重ねて桑港にて
○中略御承知の如く、数ケ月以前に米国下院の移民委員会議長のアルバアト・ジヨンソン氏が、今年の議会に排日移民法に修正を加ふべしといつたといふやうな取沙汰があつたのでありますけれども、其後右ジヨンソン氏の意思甚だ曖昧朦朧として其真相を掴み難く、寧ろジヨンソン氏自身が一般の人気如何を測定する為に太平洋沿岸一帯を旅行しつゝあるやうな有様でありました。移民法の話と言へば多分ジヨンソン氏の手を通じて現はれるだらうと期待されるのに、ジヨンソン氏自身の意思も甚だ不明であり、況や具体的内容が不明な場合に於て意思の発表が困難であると云ふことは是は尤もなことゝ思ひます。○中略尚ほ私は桑港滞在中、予て日米関係の為に献身的な努力を試みて居られる桑港商業会議所会頭アレキサンダー氏に会見する機会を得ました。同氏が本問題の解決の為に如何に献身的の努力を試みて居られるかと云ふことは、殆ど涙ぐましいばかりでありまして、同氏は日本の渋沢子爵が又同様に日米問題の為に、犠牲的な奮闘をされて居る其真情に対して多大なる敬意を払つて居る旨を述べ、自分達米国側の者も亦極力本問題の解決の為に努力をして居ると云ふことを申述べられ、此問題の解決は自分の生涯の事業であると心得て居ると云ふお話もあつたのであります。但し問題それ自身は極て複雑微妙であるから、之が解決に当りては最も思慮深き手段を選ぶ必要があるので、それぞれ適当な方法の下に慎重な態度を以て解決の歩を進めて居ると云ふことを、
 - 第35巻 p.184 -ページ画像 
私日本に帰朝の後に渋沢子爵初め其他の人々に伝へて呉れと云ふお話でありました。
○下略
   ○右ハ昭和五年十一月十日丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於ケル帰朝歓迎会ノ演説速記ナルベシ。


渋沢栄一書翰控 ポール・シヤーレンバーグ宛 昭和五年一一月二二日(DK350039k-0005)
第35巻 p.184 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ポール・シヤーレンバーグ宛 昭和五年一一月二二日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
                  五年十一月十九日閲了
      案
 加州バーグレー市
  パウロ・シヤーレンベルグ殿
                      渋沢栄一
拝啓益御清適奉賀候、然ば今回鈴木文治氏の帰朝を機会とし東京銀行倶楽部に於て小集相催詳細なる視察談を聴取仕、種々なる会合等に於て貴台と接触せられし模様を承知致深き興味を覚え候、其際貴台よりの御懇篤なる御伝言拝承寧ろ恐縮に奉存候
頃者日米両国の親交漸く其度を加へ来り候儀は各方面よりの情報により概略承知致居候得共、鈴木氏の報告により確的なる真相に触れ真に欣喜措く能はざる次第に御座候○下略
  ○右英文書翰ハ昭和五年十一月二十二日付ニテ発送セラレタリ。


集会日時通知表 昭和五年(DK350039k-0006)
第35巻 p.184 ページ画像

集会日時通知表  昭和五年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月十二日 水 午前十一時 鈴木文治氏ト御会見(事務所)