デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
4款 日米関係委員協議会
■綱文

第35巻 p.281-315(DK350055k) ページ画像

大正9年3月17日(1920年)

是日ヨリ二十四日マデ、丸ノ内東京銀行集会所ニ於テ日米関係委員協議会開カレ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於ケル排日問題対策並ニ両国親善増進ニ関シテ協議ス。栄一毎回出席ス。


■資料

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第一―四二頁大正九年一二月刊(DK350055k-0001)
第35巻 p.281-296 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第一―四二頁大正九年一二月刊
  日米関係委員協議会報告
    日米関係委員協議会
日米両国の関係は最近種々なる点に於て或は誤解、或は疎隔を来たし嘗て極めて親善なりし両国の関係も時に或は一転化を見んとするの虞なきにあらず、如何にして之が改善を計るべきやは両国識者の常に憂慮しつゝありし所なり、之を以て日米両国に於ては各々日米関係委員会を組織し両国間に蟠まる誤解を一掃しその伝統的交誼を維持せんことに努力せり、而して大正八年四月米国よりはアレキサンダー、リンチー二氏日本に来航し、日本側日米関係委員と会合し、大正九年春東京に於て両国日米関係委員の協議会を開催し、土地・移民・資本合同提携・交換教授・通信交通機関等に就て互に腹蔵なき意見を交換すべきこと、並に米国側日米関係委員来朝の場合には歓迎其他の接待は凡て其好意に応ずべきも、旅費及び滞在費は米国側委員に於て之を負担すべきを協定せり、是れ大正九年三月、東京に於て日米両国関係委員が其協議会を開催するに至れる所以なり。玆に於て大正九年三月十六
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日米国よりはアレキサンダー氏、ホイラー博士、ムーア氏、セスノン氏、クラーク氏、オスボン氏の諸氏、秘書役ランダル大尉と共に日本に着し、翌十七日より会場を東京銀行集会所と定め特別なる差支なき限り日々午前九時三十分より十二時三十分に至る迄、日本側関係委員と共に互に最も熱心にして腹蔵なき意見を交換せり、今之が協議会の概要を記述すること左の如し。
    日米関係委員協議会
      第一日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月十七日午前十時開会
     出席者 日本側
 男爵   渋沢栄一  子爵   金子堅太郎 男爵 近藤廉平
 男爵   阪谷芳郎  男爵   森村開作     井上準之助
 法学博士 添田寿一  文学博士 姉崎正治     山科礼蔵
 工学博士 団琢磨        大谷嘉兵衛    早川千吉郎
      志村源太郎      高田釜吉     内田嘉吉
      串田万蔵
         米国側
 Mr. Wallace M. Alexander. San Francisco.
 Mr. Walton N. Moore. San Francisco.
 Dr. Benjamin Ide Wheeler. Berkeley, Cal.
 Mr. William T. Sesnon. San Francisco.
 Mr. Loyall A. Osborne. New York City.
 Mr. Walter. L. Clark. New York City.
 Captain Frederick H. Randall. San Francisco.
他に        日本側関係委員会職員 服部文四郎
                     笠井重治
                     小畑久五郎
                     本川一郎
                     原譲
                 速記者 米国人一名
    役員選挙
先づ座長を置くこととしアレキサンダー氏の発議にて一同賛成の上、渋沢男爵を座長に推薦す、即ち渋沢男爵、座長席に着く、次いで姉崎博士日本側関係委員に於て本協議会の為め予め議事進行に関し準備したる概要を報告す、玆に於て議長を選挙する事となり、アレキサンダー氏の提議にて子爵金子堅太郎氏を議長とし、姉崎博士の発議にてアレキサンダー氏並に男爵阪谷芳郎氏を副議長と定む、議長金子子爵未だ出席なきを以て阪谷男爵議長席に着き就任の挨拶をなし、名誉書記長二名を選挙する事とし、服部文四郎、ランダール二氏其任に当ることとなる、依て役員左の如し。
              議長  子爵 金子堅太郎
              副議長 男爵 阪谷芳郎
              同      アレキサンダー
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              名誉書記長  服部文四郎
              同      ランダール
    協議事項
去歳即ち大正八年四月米国よりアレキサンダー並にリンチー二氏渡来せられたる際、協議事項は移民・土地問題・資本合同・通信交通機関教授交換等を選み、協議事項の追加は自由なるべき協定あり、日本側委員に於ては
  一、移民
  二、土地問題
  三、資本合同
  四、電信
  五、教授交換並に公表通信
等を以て本年の協議事項となすべきを述べたるに、米国側アレキサンダー氏より右の外更に
  六、産業問題
  七、通商問題特に仲裁機関問題
を追加すべきを提議せられ、協議事項は以上の七項となすことと決定す。
次いで協議事項を付議すべき順序に就て協議あり、簡単なる問題より複雑なる問題に進まんとするものあり、是に反対する順序を以て可とするものありしも、渋沢男爵より成る可く十分なる考慮を払はざるべからざる当面の問題は、時に或は之が為めに委員を設置し調査研究をなさゞるべからざる必要生ずることあるべきを以て、重要問題より協議するを可とするの発議あり、即ち之に決し、土地問題に就て先づ協議することと決す。
    土地問題
アレキサンダー氏
 加州土地問題の真相を明にせんがためには過去七八年間米国に於ける親日及排日感情の情勢を知るを便とすべし。
 現行のヘンリー・ウエツプ法案の加州立法院を通過せるは一九一三年の事なり、一九一三年以前の日米関係は加州にては排日傾向ありしと雖も、同年加州大博覧会の開かるゝや日本の之に率先参加せるが為め親日的気勢を生ずるに至れり、同年渋沢男の老躯を提げて米国各地を歴訪せらるゝや吾人は其志の日米親善にあるを思ひ、之を諒としたると共に実際その効験顕著なるものありき。一九一七年石井子渡米大歓迎を受けたるが、子は日米両国は相提携して世界大戦の舞台に戦ふべしと云ひ、日本のために好感情を喚起したり、為めにその翌一九一八年ある日本紳士は予に向つて、加州立法院が日本人のために加州土地法案を改正せらるゝを望む旨を語られたり。
 不幸、幾何もなく山東問題・朝鮮問題の起るありて、米人の日本に対する疑懼は少からざりき、次いでシベリア問題の起るあり、之よりして又新なる誤解を生ずるに至れり、時恰かも米国聯邦法院は米国出生の日本人の児童を米国臣民と認むるの裁決を下したるを以て日本人は争うて其の所有地を是等嬰児又は幼児の名義に書き換へ、
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又は会社を設立して其の株の大半を是等児童の所有とせり、玆に於て加州人は之を外国人土地所有法を犯すものと認め、之を防止するために州法を発布するの急を叫ぶに至れり、之、最近に至るまでの沿革なり。
 由来此の種の問題を捕へて自家の利益を計るの政治屋なるものあるは免れがたき所なるに、黄色新聞の煽動ありて、加州人は今や立法院に於て土地所有法の修正を試みんとしつゝあり、州知事は斯かる重大問題はその真相を知るの要ありとて、外人土地管理委員を任命して調査に当らしめたるが、予等渡日委員の出発後今日に至るも彼等が報告を出したるを聞かず、然れど一派の政治屋は猛烈の運動を始め、州知事をして其の欲せざる所を行はしめんとしつゝあり、若し彼等が其の陳情書に三万五千人の署名を得る時は、来る十一月二日の加州に於ける選挙に於て終に土地所有法修正案に投票するの機会を与へらるべし、思ふに斯る法案の通過は事実となるべし、米国に於ける事態は数年前に比して甚しく困難となれり。
オスボン氏
 米国東部に於ては両三年前迄は日本人に対して好感を有し、排日のことは是れ米国西部に於ける地方問題なりと信じつゝありしに、或は山東問題或は朝鮮問題、或はサイベリヤ問題に関し、日本の態度に疑心を懐き今や排日のことは米国一般に亘り、憂慮すべき状態にあり、之れ全く両国人間に正当の理解なきに依るを以て、此の相互間の了解の為めに大に努力する所なかるべからず。
セスノン氏
 予は加州の南部即ちローサンジヱルス地方に於て農業上重要なる利害関係を有し、牧草並に野菜を耕作し之を米国東部に送りつゝあるが、最近租税の増徴せらるゝと排水の為め多くの経費を要するを以て、土地の収益を増加する方法に付て種々なる考慮をめぐらせり、而して一ヱーカーの土地を日本人以外のものに賃貸するも六弗乃至七弗の利益あるに過ぎず、之を日本人に貸与すれば二三十弗の利益を納め得るを以て、日本人に貸与せんことを欲するも之を妨害せんとするもの少なからず、素より之れ日本人の勤勉なるを羨むの猜忌心より発生するものなるべきも排日の思想は大に強烈なり、日米問題は之を具体的に考究せざるべからざるを覚ゆ。
渋沢男爵
 本問題は土地問題なれども移民問題と離るべからざる関係あり、由来此の移民問題は日本近年の発達に伴つて其の形を変へ、特に日米の国際関係は之をして由々しき重大問題たらしめたり、米国側の各位何卒率直に自由に論議せられたく、我々も亦之れに対して腹蔵なき意見を述べて、何らかの帰結を得んと努むべし。
金子子爵
 宮中に会議あり遅参失礼せり。
 只今阪谷男より米国の各位が日米相互の重大なる問題のために多大の熱誠を示されたる由承り感謝にたへず、予は之より本協議会の議長たるの名誉を有すべし、予等は従来数々此問願に付て協議する所
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あり、今次も米国に於ける有力なる各位を煩はす事となれるが、何卒腹蔵なき御意見を伺ひたきものなり。
 若し加州に於ける日本移民にて、到底貴国に容れ難き種類の人民たらば然りと告げられよ、我々日本人もまた太平洋彼岸の同胞が受けつゝある待遇に就て不平あり、不満あり、云はんと欲する所少なからず、望むらくは万事を率直に商議して問題の正当なる解決を得んことを、蓋しリンカーン大統領の言の如く、およそ物事は正当に解決せられざる限り真の解決はこれを望むべからざるなり、各位の熱誠により加州に於ける土地問題の正当に解決せられんことを希ふ、これ日米両国の親善を進むる唯一の道なればなり。
  此の時恰も正午に近く、東京商業会議所午餐会に臨むの時刻となりたるを以て明日尚ほ土地問題の協議を継続し、漸次之が解決策に進む事、並に明日より午前九時十五分参集、正九時半協議会を開会する事を申合せ第一日を終る。
    日米関係委員協議会
      第二日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月十八日午前九時四十分開会
     出席者 日本側
 子爵   金子堅太郎 男爵   阪谷芳郎 男爵 近藤廉平
 男爵   渋沢栄一  法学博士 添田寿一    内田嘉吉
      串田万蔵       早川千吉郎   志村源太郎
      服部金太郎      山科礼蔵    梶原忠治《(梶原仲治)》
      大谷嘉兵衛      井上準之助   団琢磨
 文学博士 姉崎正治
         米国側
  第一日の通り
書記局前日の通り、今日より日本人速記者二名加はる。
渋沢男爵より、男爵爪生外吉氏《(瓜生外吉)》は病気の為め、島田三郎氏は衆議院議員選挙の為め欠席せらるゝ旨報告あり。
金子子爵議長席に着かれ開会す。
金子議長より本会議は凡て秘密会議なるを以て、充分隔意なく協議せられんことを望む旨の挨拶あり。
添田博士 一九一三年予は渋沢男より日本全国商業会議所の代表者として米国に遣はされ、玆に御臨席のセスノン氏をはじめ多大の歓迎を受けたるが、当時既に太平洋沿岸地方に於ては種々なる物議起り居れり、然れど予は兎も角も米国々法に信頼すべきを勧説せり。
 大戦中在米日本人は戦時国債に応じ赤十字資金を出し、進んで米軍に加つて出征する者あり、搗てゝ加へてアレキサンダー其他諸氏の御尽力も有り、事態大いに緩和せられしを以て、昨年予の渡米せる際には近く日本人借地権は十年に延長せらるべしと思はれたりき、不幸山東問題の巴里平和会議に提出さるゝや、支那人は百方日本を中傷し、当時会議に臨みたる予は日本使節に対して之が弁明の要を説きたるも、使節はプロパガンタに対するにプロパガンタを用ゆる
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を好まず、飽迄正当なる方法に依らんとし、支那のプロパガンタを放任して其勢を逞くせしめ我国に大なる不利益を蒙らしめき。支那人の宣伝運動尚已まず続いて朝鮮問題起れり、而もそれが報道や事実に基かざるものにして、一般朝鮮人は却つて日本の政治の下に社会の公安と教育、産業の発達との利益を享けつゝあるを喜べり、諸氏にして朝鮮に赴き親しく実地を視察せられなば直ちに明瞭となるべし、オスボン氏も云はれたるが如くに、是等宣伝運動の効少なからず、米国一般に是等の誤解を懐かしめたるは甚だ悲しむべし。
 次に加州に於ける排日運動者は益々其気勢を揚げ、排日の為め其知事に向つて臨時議会の召集を要求したりしも公平にして正義の念に富める知事は之を拒絶せり、之れ最近チヤールス・ビー・ヒルス氏の言に依りて之を知ることを得たり、玆に於て排日論者は通常の立法手段を以て其の目的を達すること能はざるを知るや、彼等は今や直接立法手段即ちイニシヤチーブ・レフエレンダムに訴へ市民の調印を求めつゝあり、而して其内容は四個の法律案より成立す、即ち第一、市民権なき幼年者の後見人は州庁へ届出るを要すること 第二、裁判所は市民権なき者の財産管理人を指定する場合あること 第三、裁判所は右管財人を罷免するの権を有すること 第四、市民権なき者は土地所有権を有する能はざること、是なり、而して独り個人のみならず、法人にありても市民権なき者が其株主となる場合又同様なり、其他法律を侵すものは其財産を没収せらるゝの規定あり、若し斯る法律案にして来る十一月の総選挙に於て多数を以て直ちに国法となるが如きこと之あらんか、日本人は労働者としてにあらざれば米国に於て事業を営むこと能はざる結果となるべし。是等排日家はアレキサンダー氏の言の如く正規の州会に依り其希望を達すること能はざるを見て玆に及べるなり、吾人は曩に米国の希望に依り我国移民を禁止せり、而も既に渡米せる者はセスノン氏の言の如く勤勉力行にして米国農業の為め貢献したる所大なりしに今や一朝にして其土地を没収せられんとす、其の失望や実に甚大なり。
 我が国民並に政府の態度斯の如くなるに、加州に於ては今や国民投票によらんとする前記修正案出づ、事態甚だ容易ならざるなり。これ即ち予が諸氏と共に胸襟を開いて然るべき処置を考へ、両国の利益を保護し、正義公道を以て問題を処決せんと欲する所以なり。
 諸氏希くは充分に意見を吐露して本問題の解決に資せられよ、もしこの事態を放任して大事とならば関係するところは当事者のみならず、実に日米両国々民の安危に懸る、今や大戦の後を享けて世界の各国皆疲弊し、溌剌たる元気を存する者僅かに日本と米国とのみ、此の時に当つて二国は宜しく些々たる小問題を速かに処決して協力以つて世界人類のために尽すところなかるべからざるなり。
アレキサンダー氏
 添田博士の意見を諒とす、之について思い起すはハワイに於ける小学校問題なり。
 昨年リンチー氏と共にホノルヽ経由来朝の途次、ハワイに於ては公立小学校管理に関する法案提出せられたりき、即ち彼地に於ては公
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立小学校と日本語学校と並立せしが、この法案は凡て之を学務部の支配下に置かんとするものなりき、而も我々帰米の後も尚ほ此の法案通過せずして事態依然として紛糾せるを耳にせり、これ実はストライキの問題にあらずして、日本語学校教師たりし者によりて日本人労働聯盟なるもの組織せられ、凡ての日本労働者は之と契約を結び、此の契約を守らざるものは聯盟より彼の出生府県庁に之を通告することとなれりとの事にて、かくては米国の一部なるハワイに住せる日本人は日本々国の勢力によつて支配さるゝものと一般に考へられたり、而も日本人労働聯盟に加はれるものの大半は米国に国籍を有するものなりしなり、見るべし帰化問題の及ぶ所頗る広汎なるを、日本人にて米国に生れ米国々民の籍を有する上は、米国人的見解を有せざるべからざるに、事実は却つて然らざるなり。斯くて米人の心中これらの日本帰化人は、畢竟日本の利益を計るものに外ならずと考ふるに至る、之れ実に難問題の因つて起る所なり。
阪谷男爵
 今回の土地所有修正案は米国委員の不当と認むる所、然らば之をして通過せしめざる工夫なるべからず、之に就て米国側より我々日本側に教ふる所ありたきものなり。思ふに此の不当なる修正案は加州立法院を通過しても実施は事実不可能なるべし、現に加州には六万の日本人ありて借地又は所有地を耕作せり、今一朝にして其の権利を奪はれんか、恰もこれアルメニアに於けるが如き問題とならん、この点に就て諸氏の御意見を承はりたし。
渋沢男爵
 土地問題は移民問題と密接なる関係あり、先刻阪谷男の述べられたる意見には予も賛成なるが、その前に排日運動をして今日に至らしめたる事情を明かにするを得策とす。米国の諸君希くは加州に於ける日本人の短所について露骨な御批判を下されよ、我々日本人又米国に対して望む所なきにあらず、然すればそこに我々の取るべき解決の端緒は見出さるべし。
アレキサンダー氏
 出発前予は此の目的を以てランダル氏と共に加州各地を歴訪せり、サクラメント附近のフロリン村には四百乃至五百の住民あり、内六割は日本人にて他は米人なり、日本人は村の一角に密集して米人と交際せず、サクラメント市並にサンジヨアキン地方にても亦然り、否桑港とても之れに漏れず、言語風俗の同一なる人民が群居して一団をなすは自然なれども、之を米人より見れば決して快しとせず、米人農夫は日本人農夫とは到底協同し得るものにあらず、蓋し日本人の生活様式は全然米国のそれと異れるを以てなりと云へり、予は又ある学校長の談を聞けるが、日本人の児童は成績良好なるも年長ずると共に米人の子供と相容れざるに至る、且つ教師も日本人児童の家庭と連絡を取るに苦めりと言ふ、予は又ある商店主にたづねたるに、彼は日本人は日本人同志商ひせるがため彼等と取引せずと云へり、とにかく言語風俗習慣のかく異れる以上、日本人は米人に対して敵対はせずとも、米人は之と親しみ難きなり。
 - 第35巻 p.288 -ページ画像 
金子子爵
 予は一八七一年渡米しボストン、ケンブリツチ等にて教育を受け、後一八九九年官命によりて再び渡米し、更に一九〇四年並に一九〇五年にも米国に到れり、予はルーズヴエルト、クリーブランド、監督フイリツプス、ブルツクス等に面会し、又欧州移民の生活状態を視察せり、予はニユーヨーク、桑港等の貧民窟を訪ひ其の不潔なるに驚けり、加州に於ても予はつとめて警官の案内にてこれらの不潔の地区を巡視せり、こゝに明言しおくべきは、我々は決して自ら進んで労働者や不良の男女を米国に送れるにあらず、支那移民が放逐条例にて帰国を命ぜらるゝや、米国の資本家は日本労働者の低廉なる故を以て自ら日本に来り我が労働者と契約を結びて連て行けるなり、日本移民はかくて米国に渡れり、彼等とて初めより米国の一角に盤居する者にあらず、但し彼等は先に支那移民の住したる所以外に居を営むことを許されざりしがため已むなく此に至りしなり、かくて彼等は支那移民の残しおける幾多の弊風に染り人の厭ふ所となれりと雖も、彼等の罪むしろ小にして、彼等をして玆に至らしめ者の罪却つて大なりと云はざるべからず。
 又日本児童を米国児童と同一の学校と通学せしむるは同化の好機会を与ふるものなるに、米国は日本児童を米国学校に通学するを許さず、従て同化の機会を与へず、而も日本人は同化せずと云はる、是れ難きを望むものなり。
近藤男爵
 吾人は先ず米国側の意見を聞き、然る後に日本側の意見を述べられんことを欲す。
アレキサンダー氏
 予の記憶する所によれば移民問題の困難となりしは米国がハワイを併合せる後のことなり。当時加州には労働者不足せるを以てハワイより多数の労働者渡米し、この労働者より移民問題は起れり。又移民同化の問題については知らるゝが如く、ハワイの小学校にては各人種の児童共同の教育を受けつゝあり。而も日本人は一九一五年に至るまで他人種と結婚せるもの唯一人ありしのみ。以て同化の難きを知るべし。
大谷嘉兵衛氏
 予は金子子爵の意見に同意なり。唯々衷心よりこの問題が円満に解決せられんことを望む。
渋沢男爵
 本難問題は冷静に之を解決せざるべからず、先年ギユリツク及マシユース二博士米国キリスト教団体を代表して我国に来られ、日米間の友情増進の為め努力せられたる所少なからざりしが、当時マシユース博士は、日本人は露国に打ち勝ちて自負心を懐くに至れりと云はれたり、されど予はそは米国人の臆測に過ぎず、米国人に於て日本人は露国に打勝ちたるが故に倨傲心増長したるならんと思ふが故に斯く信ぜらるゝなりと云へり、其後、マシユース博士は帰米の途次書簡を以て予の説の正当なるを告げられたり、個人的感情を以て
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原因と結果とを混同せざらんことを望む。
姉崎博士
 米国在住の日本人間に於ては今や日本語を忘れんとしつゝあり、日本人の両親は其児童に日本人たる以上は日本語を習得すべしと云へど、其児童は日本語を習得するを厭へり、此の一事に徴するも日本人の米国に同化すること敢て難事にあらず、言語は同化に必要なる方便なり。又我国人は米国を模倣しつゝあり、見よ最近パルマア検事総長の過激思想、無政府党に対する厳重なる取締方法を講ぜらるるや、我国にも同様のこと起りつゝあり、是又我国人の同化し易きを示す一例にあらざるなきか。
  第三日は尚ほ土地問題を継続し最初にホイラー博士の意見公表あるべく、九時半開会と申合せ散会。
    日米関係委員協議会
      第三日
場所 前日の通り
時日 大正九年三月十九日午前九時三十分開会
     出席者 日本側
 子爵 金子堅太郎  男爵 阪谷芳郎  男爵   渋沢栄一
    藤山雷太   男爵 近藤廉平  法学博士 添田寿一
    内田嘉吉      井上準之助      梶原仲治
    山科礼蔵      大谷嘉兵衛      早川千吉郎
    高田釜吉 工学博士 団琢磨   文学博士 姉崎正治
 男爵 目賀田種太郎
          米国側
  前日の通り
金子子爵議長席に着かれ、藤山雷太氏は病気静養中なるにも拘らず、特に出席せられたる旨を告げらる、之に対してアレキサンダー氏米国側を代表し其好意を謝せらる。
渋沢男爵
 旧冬中上院議員ビルス氏ピーター、ニユーマン氏を同伴来朝、予に議すに日米合資の下に銀行業及鑵詰業を起すの件を以てせり。而も銀行業に就ては、二年前目賀田男渡米の際も米国側より提議ありしも、彼我国法の相違により実現至難、今尚目賀田男の手に懸案として残れり。故に予は鑵詰業に就てのみ金子子・阪谷男と協議し、当方より専門家を派出してサクラメントに成立せんとしつゝあるヴアーデン鑵詰会社の実状を調査せしめ、その報告に基いて日本側より之に投資することゝせり。
 ビルス氏は諸氏到着迄滞在を希望せられしも都合上之を許さゞりしは遺憾なり。又来る四月下旬ヴアンダーリツプ氏は米国東部を代表する男女二十五名と共に来朝せらるべく、その時は山東問題の如きも共に協議する筈なり。
アレキサンダー氏
 予は出発前ヴアンダーリツプ氏に書面にて予等今回の目的について通告しおけり、氏の行程について承りたし。
 - 第35巻 p.290 -ページ画像 
渋沢男爵
 ヴアンダーリツプ氏は四月十日シヤトル発鹿島丸にて来朝、四月二十四日頃到着の筈なり。
ホイラー博士
 予は今日迄沈黙を守れり、是れ日米間に横はる土地並に移民問題に興味を有せさるが故にあらずして、実は本問題が或程度迄進行せられん事を待ちつゝありしが為めなり、然し予は素より本問題に就て完全なる知識を有する者にあらず、此点は切に諸氏の寛恕を望む、其れと同時に予は心中同情の念を以て本問題に対せんと欲す、何等恐怖の念を懐くの必要なきなり、而して日米間の問題は渋沢男爵並にアレキサンダー氏の如き、常に熱心と同情とを以て之が解決を見んとせらるる人ある以上は、深く憂慮するに足らざるなり、日米間の問題は武装に依らずして相互的信頼の方法に依りて解決せざるべからず、而して吾人は飽迄も公平無私ならざるべからず、日米両国は互に隣保相接するの国なり、相共に親善ならざるべからず、然れば此の両国間に蟠れる問題を或は外交上の政略、或は運動、或は甚しきに至りては暴力に依りて之が解決を見んとするが如き、其愚や及ぶべからざるなり、吾人にして相互の要求に相当なる考慮を払はんか、適正なる解決を望む敢て難事にあらざるなり。
 然りと雖も言語の相違は両国民間の了解に大なる障害となる、現に予は斯くして日米問題を語りつゝあるも、此の瞬間に於ては米国側の了解を得るのみ、日本側には通訳を待たざれば其了解を求むること能はざるなり、而して協議会の開会せらるること既に第三日に及ぶも、日米問題に関しては僅かに其症状に触れたるのみ、未だ其病源に深く立ち入り居らざるなり。
 今や加州に於ては日本人の労働を要求する事甚だ切なるも、而も一方に於ては排日熱甚だ盛なり、之が真源因如何、惟ふに之れ国際間誤解に基くものなるべし、之が誤解を除去せんと欲して、桑港商業会議所の如き少なからざる努力をなしつゝあるも、其の効果や少なし、而して問題の中心は外人土地所有権にあり、桑港商業会議所の努力も終に其効を奏せず、此等の運動は次期議会に法案となりて提出せらるゝに至るべし、蓋し予は敢て他人の発言に責任を負はざるも、予は予の発言に対しては十分なる責任を負ふべく、此の責任感念を以て予は断じて排日運動に賛成するものにあらざるを言明すると同時に、排日思想は今や加州に於て一つの実勢力となり、之を緩和すること甚だ困難なるを告げんと欲す、是れ独り予一個人の感想たるに止まらず、加州の中堅をなすべき中産階級の意見なるを承知せられたし。
 世上に時々加州に於ける排日は野心政治家の為めにせんとする煽動に基くとなすものなきにあらざれど、予は斯く思惟せず、是れ加州に於ける一般国民の意見なり、前日、アレキサンダー氏はフロレンの一例を示されたるが、之れ僅かに一例たるに過ぎず、加州に於ける排日は、何時かは終に全般に亘りてフロレンに於けると同様の状勢を呈するに至らん、予は素より統計を以てこれを示すこと能はざ
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るも、加州人は決して現状に満足するものにあらず、日本人は加州立法の精神に違反し、土地を所有しつゝあるなり、之れ加州人の好まざる所なり、斯かる情勢なるに朝鮮問題、次いで山東問題起り、凡ての事情をして益々複雑ならしめたり。
 畢竟するに日米問題は地理と人種に重要なる関係を有す、日米両国民は太平洋の両岸に其居を占め、人種を異にす、人種異なるより同化の問題起る、然れど、同化とは血の結合を云ふにあらず、社会の習慣に順応するを云ふなり、又人種問題なればとて其優劣を云ふにあらず、優劣を標準とするに於ては日本人却つて優良なる人種なりと信ず、人種異なれば其言語を異にし、日本語の如き其習得に極めて困難なり、言語の相違は国民相互了解の上に大なる障壁となる、宗教又同じからず、米国は信仰の自由を完全に承認すれども、日本に於ては信仰の自由を認むと云ひなから尚ほ時々宗教問題あり、対支条約二十一ケ条中にも宗教に関する規定ありと聞く、更らに人種異なるに於ては風俗習慣を同じくせず、然れども此点に関しては日本人は其風俗習慣を改むること比較的早きが如し、且つや其美はしき良習慣をも、徒に西欧の風に倣はんが為め之を棄つること弊履の如くなるを怨むの虞あり、特に日本人は政府権力に屈従するに慣れたるが如し。
 夫れ斯の如し、此等凡て皆な人種の異なるに依る、然ればとて何人と雖も人種を混同し血脈を結合せんと欲するものなかるべし、血脈は之を純潔に維持せざるべからず、此の結合、混同は極めて困難なり、之を以て人種相同じからざる以上は 日米両人種は各々其最も適応したる方面に活躍するを以て利益とすべく、之を必要とすべし此観念を持すれば日米両国間の誤解は釈然として氷解し、凡ての問題は容易に解決せらるべく、然らざるに於ては両国間には種々なる事情紛糾し、誤解玆に生じ、終には互に感情を害するに至るべし、日米両国民は其地位と機会を利用し、相互了解を求むるに努めざるべからざるなり。
オスボン氏
 夫れ良医は症状を察して其病源に溯る、然れど本協議会は症状を見て未だ其病源を究めざるものゝ如し、ホイラー博士も云はれたるが如く吾人は人種の優劣論をなすにあらず、其点より之を見れば日本人は断じて米国人に劣れるものにあらず、然れど、一段高き見地より之を見れば、異人種相集まる所には必ず人種的競争あり、時に人種的衝突を見るは之れ数の免るべからざる所なり、さは云へ能ふべくんば之を避けざるべからず。
 抑も人類は其文明境遇に依りて進化するものなり、過去に於て人種的競争あればとて今尚ほ然らざるべからざるの理なし、現に過去に於て人種的競争は死を以て之に当り、其の結果人種の死滅を招きたることありしと雖も、今や斯の如き危険なる方法は之を執るべきにあらず、然れど今や人種的本能に加ふるに国家的思想起れり、人種の観念を強烈にして累を国際的関係に及ぼさゞらんことを要す、日本人は比軟的人種保存の念強く、外国の風俗習慣に同化すること困
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難なり、而して同化の困難は益々問題をして複雑ならしむ、現に今次の戦争中に於ても英・独・仏・諾・伊諸国人の米国に帰化したるものは言語を異にし、米国に対する忠誠の念乏しとの故を以て非難せられたることあり、之を以て此等の問題を少くし有利に解決するが為めには、各人種は各々其差異点を承認し、各々其最も得意とする長所を助長するに若かざるなり。
 之を歴史に鑑みるに、多くの人種を混合せしめんとしたる国家は常に滅亡せり、人種的本能を完全に発達せしむるは之れ生物学上の理由にして、人種の混合は生物学上甚だ困難なり。
 最後に加州問題は米国一地方の問題なりと雖も、他地方に於て斯る問題起らば米国人は加州人民と同一の態度に出づるの外なかるべし
クラーク氏
 本問題は州と中央政府との権力に関係す、日本は米国と共に最恵国条款を有すれども、米国中央政府は州に対して何等の強制力を有せざるなり、之を以て南北戦争起り、一九〇九年に於ては学童事件に関し時の大統領ルーズベルト氏は少なからざる苦心をなせり、土地移民の問題は極めて重要なる関係を有する問題なるを以て、或一州の政治上の関係と混同し困難を惹き起さゞらん事を希望せざるを得ず、特に通商貿易の大に発達せる今日に於て然りとす、加州に於ける排日法案は通過すべく、何人も之を阻止する権力を有せずと雖も吾人は諸氏と共に十分胸襟を開き、本問題を討究せざるべからざるの急務を感ず。
藤山雷太氏
 土地問題は重大問題なり、吾人実業に従事せるものより之を見れば若し本問題にして円満に解決せざれば、日米間に一大不祥の生ぜんことを恐る、日米間に於ては今日に至る迄学童問題あり、移民制限問題ありき、而して吾人日本人は日米の親交を重しとし、米国に於て国内法を以て規定するものは又已むを得ずとなせり、然れど今次問題となりつゝある土地問題は既得の権利を褫奪し、将来に向つて農業に従事すること能はざらしめ、或は我国民の米国にあるものをして怨を呑むで故国に帰らざるを得ざらしむるものなり、其結果や悲しむべく、吾人は無事に本問題を解決せんことを欲す。
 惟ふに米国に於て斯種問題の発生したる原因に就ては、ホイラー博士並に其他の人々も云はれたるが如く人種の異なるに依ることもあらん、但し米国は其の国是として平和を愛し、自由を重んじ人類の幸福を増進するを大方針、大主義となすものなり、日本人排斥は其の国是と矛盾せずや、また人種異なれりとの故を以て今俄かに日本人を排斥せんとするが如き其の理由を発見するに苦しむ、蓋し今俄かに我国人を米国より排斥せんとするは我国過去五十年の歴史、我国の支那に対する態度を忖度して我国を軍国主義の国なり、征略主義の国なり、我国は米国・支那・サイベリヤを侵略するものなりとする誤解より出でたるものにはあらざるか、我国の真情に通せざるものは或は支那に対する二十一ケ条を疑ひ、或は斯の如く思惟したるものもあらん、また斯く映ぜしめたることも之あらん、我国の財
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政中軍事費の巨額を占むるも誤解を招くの一因となりたるやも知れず、国民中には軽卒に思惟し無責任なる言動をなすもの之なきにあらず、但し国民の大多数は平和を愛するものなり、侵略を欲せざるものなり、特に実業界に於て然りとす、我国には軍国主義なく、侵略的野心なし、素より人口の増加、貿易の発達は我国人の外国に赴くものをして増加せしむるも、之れ文明向上の自然の結果なり。
 此等の事情を真に了解せば人種異なるの故を以て新たに土地法案を定め、我国人を排斥するの理由あるべからざるなり、且つや我国人は今日に至る迄加州即ち米国農業の為めに貢献したる所決して少々なりとせず、之を排斥せんか、米国農業に対する打撃や少なからず又之れが為めに日米両国の親善を害すること極めて大なり。
 誤解は飽迄之を解かざるべからず、人或は我国を以て軍国主義、侵略主義なりと云ふも、今や、我民衆の勢力は漸次強大となり、国民は斯の如きを承認せざるなり、若し仮りに米国側委員の云はるゝが如く土地法案にして通過し法律とならんか、吾人が年来日米の親善を計り、日米相携へて世界文明の為めに貢献せんと欲したる努力も凡て水泡となるべし、当面の問題は必ずしも人種の差異に帰することを得ざるべし、人種の差異は今に始りたるにあらず、而して米国は我国人を歓迎し、日米両国は世界に於ても最も親交を重ねつゝありし国柄なりしことありき、我国人は今尚ほ米国を徳としつゝあるなり、玆に於て吾人は日米両国間に於ける誤解を深く研究し、之を一掃せんことを欲す。
姉崎博士
 日米両国間に横はる種々なる問題は、人種問題に立ち入りては之を解決すること極めて困難なり、吾人は大に藤山氏の説に賛成するものなり。
内田嘉吉氏
 吾人はホイラー博士、オスボン氏、クラーク氏等の説を聞き大に裨益する所ありき、同時に一般国民投票の大に切迫しつゝあるを知り憂慮に堪へず、既に患者は危篤の状態に陥りつゝあり、今に於て病理学や外科的手術を研究するの時期にあらず、火は燃えつゝあり、消防の術を学ぶの時期にあらず、如何にして此等の急に応じ、此の問題を解決すべきかに就て考慮せざるべからず、而して此の問題を研究せば同化のことも又自ら研究せざるべからざることとなるべく吾人は、同化は敢て難事にあらずと信ず、此等調査不十分にして尚ほ大に調査研究するの必要あるべし、但し先づ国民投票を如何にして防止し得べきやを研究せざるべからず、予は不幸にして明日より旅行の途に就くも、本問題の適当に解決せられんことを希望す。
  次日は定刻通り協議を続行し、男爵渋沢栄一氏の意見を聞くこととし、零時四十分散会。
    日米関係委員協議会
      第四日
場所 前日の通り
時日 大正九年三月二十日午前九時三十分開会
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     出席者 日本側
 男爵 阪谷芳郎   子爵   金子堅太郎 男爵 渋沢栄一
 男爵 近藤廉平   法学博士 添田寿一     串田万蔵
    志村源太郎       梶原仲治     山科礼蔵
    志立鉄次郎  文学博士 姉崎正治     早川千吉郎
 男爵 目賀田種太郎
          米国側
  前日の通り
阪谷男爵議長席に着き、次いで金子子爵と代はらる。
添田博士
 遠来の各位の時間は貴重なり、一日も速に解決に到達するを要す、今日は渋沢男並に近藤男の演説ある筈なるが、渋沢男未だ出席せられざるに就き先づ近藤男の説を聞き、国民投票に対する善後策に就き協議せんことを欲す。
近藤男爵
 最近加州に於ける排日的傾向は益々顕著となるに至れり、是れオスボン氏の指示せられたるが如く、山東問題・朝鮮問題並に西比剌亜出兵等其の近因となれるに相違なく、遠因としては加州在住の我日本人問題なり、此等に関し米国側委員諸氏が忌憚なき意見を発表せられたるは特に吾人の多とする処なり。
 今先づ其の近因に就てこれを云はんに、予が昨年巴里平和会議に顧問として臨むに当り米国を過ぎし時、米国に於ては到る処予を歓迎せられ、日米両国の関係は極めて親善にして、紐育に於てはゲリー氏予を歓待せられ晩餐会席上、太平洋問題特に東洋問題は日本を主とし日米両国に於てこれを解決せざるべからざる旨を演説せられたり、然るに当時既に米国に於てジヤンクス氏の如き支那の為めに弁ずるものありしも、巴里平和会議に於て山東還付問題討議せらるるや、支那は山東を直接に独逸より還付せしめんと欲し、是が為めに宣伝甚だ努め、新聞政策は云はずもがな、凡ての手段方法を尽して其目的を達せんとせり、而も日本は之に対して敢て反対的態度を執らず、山東を支那に還付すべきを声明し、正義公道は自ら明瞭となるの時期来るべきを信じたり、巴里平和会議又、支那の主張を容れず、山東を日本より支那に還付せしむることとせり、然るに支那は巴里平和会議に於て其目的を達する能はざることとなるや、更らに米国を動かし其主張を貫徹せんと欲し、盛に米国に於て排日的宣伝を行ひ、米国新聞の論調に著しき変化を見るに至れり、当時予は、巴里にあり、此の趨勢を見て米国を経て帰国するの予定を変更せんと欲せしも、在米友人の勧めにより再び米国を過ぎしが、紐育に於ては再びゲリー氏に歓待せられ、同氏は晩餐会席上、日本は嘗て外国との約を破りたることなし、山東を支那に還付すべきは何等の疑なしと云へり、而も支那の宣伝容易に終了せず、或は西比剌亜出兵を論し、或は朝鮮問題を誇張し、其実、朝鮮人民の多くは我治下にあるを喜び、西比剌亜出兵は日米両国の協調したるものなるを知らざりき、然れど此等、米国に於ける排日的気勢を大に昂むるに与り
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て力ありしや言ふ迄もなし。
 加州在住の日本人問題は排日の遠因なるが、日本は巴里平和会議に於てウイルソン大統領の十四ケ条に基き人種平等案を提出せり、不幸、本案は平和会議の一致する処とならず、多数国の賛成ありたるにも拘らず、否決の運命に遭遇したるが、人種異なるも世界の人類に平等の権利、権能を有するは之れ正義人道に基くものなり、素より移民は同化を必要とす、之れ困難なるべきも、今や我日本人の米国に在住するものは、一時の上に無教育にして、唯徒らに米国に行き資金を貯蓄して再び郷土に帰り来らんとするものにあらず、日本人中には米国に於て出生したるものあり、米国を永住の地として米国に同化せんことを努めつゝあり、米国の上院議員セオドール・ビー・バーアトン氏も昨秋我国に来られたる際、我移民の米国に於て必要なる事、米国農業発展の上に貢献しつゝあるを云はれたり。吾人は互譲の精神を以て緩和の方法を研究せんことを欲す、之が為めには両国の経済的関係を密接にし、利害関係を共通ならしむるを捷径なりと信ず。
渋沢男爵
 予は今日 第一、予自身の米国に対する感想 第二、我同胞が米国に於て排斥せらるる原因に就て予の意見を開陳せんと欲せしも、余儀なき差支の為め遅刻し時間なきを以て、今日は之を見合せ次会に譲り、唯善後策に就て少しく予の考を述べんに、排日問題に就ては日米両国は互に原被両告となりて相争ふものにあらず、又此の両国相互に他の苦痛を見て我之れ関せずと云ふが如き態度を執るべきにあらず、相共に虚心坦懐、其の改むべきは之を改め協力以之が解決の任に当らざるべからず、米国より態々我国に来訪して本問題解決の為めに努力するの厚意を有せらる米国側委員諸氏は、必ず同様の感を懐かるゝに相違なかるべきが、日米間の問題は暫らく米国若くは日本と云へる別々の立場を離れ、日米共同の地位に立ちて本問題を解決せんことを望む。
オスボン氏
 吾人は主義に於て相一致し目的を異にせず、互に論議するの必要を認めず、問題は之が善後策即ち解決の方法なるが、玆処に重大なる困難の横はれるを知る、然れど渋沢男爵の述べられたる精神を体し互に解決の方法を攻究せざるべからず、吾人は日本人若くは米国人と互に相分離せずして両国人一となり、日米人として之が解決に当らんことを望む。
アレキサンダー氏
 予も亦其意見に賛成なり、米国側委員は明日曜日之に関して協議すべきを以て日本側に於ても協議せられ、更らに来週月曜日両国側委員会合したる際、隔意なき協定をなし、具体案を作成せんことを欲す、而して之が為めに議長指名の特別委員を置かれんことを望む。
阪谷男爵
 アレキサンダー氏の提議に依れば米国側は明日曜日ステーシヨンホテルに会し、本問題に関して協議会を開き其態度を決するに依り、
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日本側に於ても同様協議し、更らに日米双方より小数なる特別委員を指名し最後の決定をなしたしとのことなるが、日本側に於ても本問題は国家の極めて重大なる問題にもあり、且つ漸次解決の第一歩に近けることなれば、明日は日曜日にして御苦労なれども、午前十時当所に集まり日本側の委員の協議会を開かんことを望む、而して来週月曜日には先づ渋沢男並に目賀田男の意見を聞き、其後日米両国側の特別委員会を開き、其決定を本会に報告せしむることとすべし、月曜日即ち二十二日は外務大臣の午餐会当日なれば、午後一時過迄会議を継続することを得べく、時間に余裕あり、他の問題は二十三、二十四両日を以て討議し、終了することとすべし、之れ時間の都合上止むを得ざるなり。
  早川氏其他の賛成あり、之に決し午前十一時閉会。


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第四三―四六頁大正九年一二月刊(DK350055k-0002)
第35巻 p.296-297 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第四三―四六頁大正九年一二月刊
    日本委員側協議会
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月二十一日(日曜日)午前十時開会
    出席委員
 子爵   金子堅太郎 男爵 阪谷芳郎         男爵   近藤廉平
 男爵   渋沢栄一  男爵 目賀田種太郎            井上準之助
      早川千吉郎    服部文四郎(山科氏代理) 文学博士 姉崎正治
 法学博士 添田寿一     串田万蔵              大谷嘉兵衛
      土方久徴     服部金太郎        工学博士 団琢磨
○中略
阪谷男爵
 米国は生糸のみにしても毎年八億円づゝを購買する日本の一大顧客なり、此顧客を失ふが如きは一大事なり、然りとて加州に於ける六万以上の我が同胞が既得権までも剥奪せられ、奴隷生活の悲境に陥るを見て之を等閑視するが如きは、我国固有の美点たる武士道の精神を没却することとなるべし、故に正義人道の上より之を云はゞ、吾人は徒らに米国に屈服すべきにあらず、其の孰れを執るべきか、実に慎重なる考慮をなさゞるべからず、昨日閉会後我等四・五名会合して懇談の結果、左の如き提案をなすべき必要を認めたり
      決議
日本側代表委員は三月二十一日銀行倶楽部ニ集リ、左ノ如ク協議決定セリ
第一 本問題(土地法案レフエレンダム)ハ日米両国ノ関係上極メテ重大ニシテ深ク痛心ニ堪ヘス
第二 日米双方委員一致、米国民ニ対シ公開状ヲ発シ事ノ重大ナルコトヲ訴ヘ、本問題ノ成立セサランコトヲ訴フルコト
第三 日米双方委員一致、日米両国政府ニ向テ官命聯合特別委員ヲ設ケ、本問題ノ調査及解決方法ヲ付託スヘキコトヲ建議スルコト
第四 右第二・第三ノ文案起草ヲ米国委員ニ託スルコト
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    但日本文ハ日本委員ニテ起草スヘシ
        決議案第三項ノ修正案
一、日米両国政府ハ高等聯合委員各五名乃至七名ヲ任命シ、左ノ件ヲ調査シ、目下加州ニ於ケル緊急ノ事件ヲ解決シ、併セテ数年来日米間紛議ノ問題ヲ根本的ニ除却スル適当ノ方法ヲ提出セシムヘシ
 (一)在米日本人ノ土地所有権及ヒ借地権ノ整理・処分及ヒ没収ニ関スルコト
 (二)日本移民ノ制限・禁止及ヒ送還ニ関スルコト
 (三)在米日本人ノ部落生活ノ改良ニ関スルコト
 (四)在米日本人ノ結婚ニ関スルコト
 (五)在米日本児童ノ教育ニ関スルコト
 (六)在米日本人ノ市民権及ヒ帰化ニ関スルコト


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第五四―六三頁大正九年一二月刊(DK350055k-0003)
第35巻 p.297-300 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第五四―六三頁大正九年一二月刊
    日米関係委員協議会
      第五日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月廿二日午前九時三十分開会
      出席者 日本側
 子爵   金子堅太郎 男爵 阪谷芳郎  男爵   渋沢栄一
 男爵   近藤廉平     志村源太郎 法学博士 添田寿一
      山科礼蔵     土方久徴       早川千吉郎
 文学博士 姉崎正治     井上準之助 男爵   目賀田種太郎
 工学博士 団琢磨
      米国側
  前日の通り
○中略
渋沢男爵
 今年玆に日米関係委員協議会を開催するに至りしは、昨年春桑港よりアレキサンダー、リンチー二氏来航せられ、特に解決を要する当面の緊急問題あるにあらざれども、日米の関係を一層親善ならしむるが為め米国側関係委員の来遊を促したるに依る、然るに今や加州に於ては土地問題起り、排日の気勢盛にして吾人の予期せざりし問題を討究せざるべからざることとなり、予想せざりし協議会を開催することとなれり。
 目賀田男爵は主として明治以後、大局観に就て講演せられたるが、予は第一、予自身の米国観を述べて米国側委員諸氏の諒解を求め
 第二、に移民土地問題の推移を述べて其解決法に論及する所あらんとす。
 第一、予は幼少の頃、抑も世の物心の付き始めし頃より米国を知れり、即ちペルリーの我国に始めて来朝せしは、予の十四歳の時にして当時予は欧米諸国は凡て他国を侵略するを事とする国なりと念へり、彼の英国が支那に対して阿片戦争をなし、支那の領土を占領せ
 - 第35巻 p.298 -ページ画像 
しが如き、強く吾人の排外的思想を鼓舞し、諸外国を夷狄の国なりと思惟せしめ、之を恐れ忌ましむるに至れり、之れ吾人の日本人として熾烈なる愛国心を有する以上、又自然の論理なりと云はざるべからず、然るに歳月の経過と共に吾人の知識も学問の御蔭にて漸く進み、欧米の事情稍や明瞭となるに至り、欧米の諸国は必ずしも侵略を主義とするものにあらず、其科学は大に進歩発達し、平和を尚び、人道を重んずる点に於て敢て我国と異なるにあらず、其文明の進歩は我国却て彼等に大に遜色あるを以て、吾人は此等新学術の研鑽に意を用ゐざるべからざるを知り、特に米国は正義人道を尚ぶの国にして、タウセントハリス氏の如き衷心より我国に好意を表し、親切を以て吾人を導くの義人あり、又下関償金の返還や、治外法権の撤廃やに関しては米国の卒先我国を援助せるを知り、吾人は是等に依りて米国々是を窮ひ知ることを得て、曩に斯の如き米国を侵略主義の国なりと思惟せしは誤解なりしと悟り、自己の蒙を啓き自己の欠陥を矯正補塡し、正義を尚ぶ米国とは飽まで親交を厚くし、倶に業に世界文明の向上発展のため貢献せざるべからずと決意し、是が為め多少の努力をなせしこと、既に六十七年間に及べり、就中最近十数年間は予は日米親善の為め日夜苦心怠らざりき。
 蓋し十年以前予が渡米せし頃は、未だ日米関係も敢て険悪なりと云ふ程にあらず、予は当時専ら日米関係をより親善なる関係に成立せしめんことに努めたり、次いで大正二年、加州に土地法案問題起り我国よりは今日玆に出席せられつゝある添田博士を渡米せしめ、其通過を沮止せんと種々斡旋せしむる所ありしも、不幸にして当該法案は加州議会を通過して州法となり、吾人は其目的を達すること能はざりしも、尚ほ米国に於て今日玆に此の協議会に出席せらるゝが如き吾人の知己を得たり、越へて二年即ち大正四年予再び渡米し桑港に於てにアレキサンダー、リンチー二氏に会ひ日米関係改善に関して種々の意見を交換したるが、是れ此の日米関係委員会の設置を見るに至りし動機なりと云ふも敢て過言にあらずと信ず、而して其当時まで吾人は日米両国の関係に就ては、専ら其関係を層一層親善ならしむることのみを念とし、之が為めに其障礙となるものは之を除去するを必要なりと認めたるに過ぎざりしに、今や即ち然らず、当面の急務として土地問題の善後策を講ぜざるべからざる必要に迫られ、そが為めに此の協議会をも、昨年春予期せしものよりも異なる性質のものたらしめざるを得ざるに至れり、之れ吾人の大に悲むべしとなす所たると同時に、吾人は土地問題を円満に解決し、日米の親善の関係を維持せんが為め、諸氏の協力を吝まれざらんことを望む。
 次に加州に於ける我移民推移のことなるが、明治初年の頃より、我国人の加州に赴くもの之なきにあらざりしも、其数や多からず、又米国は一般に我移民を寧ろ歓迎するの態度を執れり、二十年以前我移民の布哇にあるもの加州に転航し、加州に於ける我住民大に増加せしも、未だ我移民に関する問題を惹起すに至らざりき、然るに明治三十七年日露戦争あり、我国が露国を撃破するに至り、我国人に
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は稍や自負の念起り、米国に於ては我国を称讚するものあると同時に、我国の余りに急激なる進歩を恐れ、稍や我国人を嫌悪するの態度を示すものあるを見たり、素より我国人の行動悪しきが故に嫌はるゝに至りしこともありしならん、然して、嫌はるゝ故に其行動をして悪化せしむる結果となりしことも之を否定すべからず、其孰れが原因にして結果なるかを判定すること甚だ困難なり、現に学童問題を見ずや、米国に於ては我在米児童を排斥し米国人学校に入学せしめざるが為め、我国人は米国にあるものは勢ひ已むことを得ず、日本人学校を設立し、玆に其児童を教育せざるべからず、其結果は益々我国人の同化を至難ならしめたるにあらずや。
 惟ふに日米関係に関しては或は同化問題あり、或は人種問題あり、或は労働問題あり、或は経済問題あり、或は政治問題あり、然れども、大正二年土地問題の起りし頃迄は土地問題は人種・宗教・政治の問題なるにあらずして経済問題なりと称せられ、予が渡米の際、米国首府華府より加州に出張せられたるブライヤン氏も亦斯る意見を懐抱せられたりき、然るに日米関係はその後更らに変化し、或は支那或は欧洲に関し我国の名声大に昂ると共に、我国を嫌悪するもの益々多きを加へ、正義人道を尚ぶ米国に於ても其凡てが善良なる人々のみにあらず、経済問題たりしものは漸く変遷して政治問題たらんとし、大正二年の土地問題は之を政治問題と見るを至当とすべく、今や加州に於て国民投票に依り決せられんとしつゝある土地法案は、全く之を政治問題とし日本人を排斥しつゝあるものと見ざるべからざるなり。
 既に述べたるが如く米国は人道を尚び正義を重んずるの国なり、其国是や誠に公明正大なり、之れ吾人が久しく米国を敬慕したる所以なり。
 然るに今や吾人の敬慕する米国は唯徒らに我国人を排斥せんとす、正義人道を尊重する国なる以上は、先づ排斥する前に我国人に欠点短所あるは、之を矯正せしむるの親切厚意を示して可ならずや、我国人は矯正し得べき欠点短所は之を矯正するに断じて吝なるものにあらざるなり、何故に米国は斯の雅量を有せざるや、而して唯一概に我国人を排斥せんとす、是れ唯我国人を苦むるのみにして、其処置たるや冷酷なりと云はざるべからず、又政治上より我国人を排斥せんとするに至りては、其態度や暴戻なりと評せざるべからず、予は殆ど予が全生涯を通じて米国を敬慕し、米国を正義人道の国なりと念ひしに、今や予が米国観を玆に一朝にして変改せざるべからざる悲境に沈淪す、人生の悲痛事予は長大息せずんばあらざるなり。然り、吾人の力は縦令微弱なりとするも、道理に対しては如何に強大なるものに向ふも屈する事能はず、其れと同時に其力微弱なりとするも道理の示す所之に服従せざるべからず、孔子曰く、自反而縮雖千万人吾往矣、之れ義人の責任なり、吾人は米国の我国人排斥にして合理的のものならざる以上、飽迄之に反抗し、米国民の反省を促さゞるべからざるなり、玆に出席せらるゝ米国側委員諸氏は正義の士なり、吾人と其感を同くし、相共に善後策に関し協力せらるべ
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きを確信ず。
 最後に吾人は昨日善後策の具体案に就て日本側委員協議会を催ふし其方針を決定せり、是に関しては特別委員会に於て開陳することゝすべし。
○下略


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第六五―六八頁大正九年一二月刊(DK350055k-0004)
第35巻 p.300 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第六五―六八頁大正九年一二月刊
    日米関係委員協議会特別委員会
      第一日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月二十二日正午開会
     出席者 日本側
 子爵 金子堅太郎 男爵   渋沢栄一 男爵 目賀田種太郎
 男爵 阪谷芳郎  文学博士 添田寿一
         米国側
 アレキサンダー  ホイラー  ムーア  セスノン
 オスボン     クラーク
      第二日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月二十三日午前九時三十分開会
     出席者
     日本側・米国側共に前日の通り
二日間に亘り秘密協議の結果、アレキサンダー氏より本会議に提出推薦すべきものとして左の如き提案あり
東京ノ日米関係委員並ニ桑港商業会議所ノ日本関係委員ハ、其合同会議ニ於テ左ノ如ク協議決定セリ
 日米間ノ永久ニ親善ナル了解ヲ得ンガ為メ、両国間ノ不一致又ハ誤解ヨリ生ズル事柄ヲ慎重且公平ニ審査シ、其意見ヲ両国政府ニ報告スベキ任務ヲ以テ、最高共同委員ヲ両国政府ニ於テ選任セラルヽ様互ニ尽力スベキコト
○中略
米国側ムーア氏、日本側目賀田男爵の賛成発議あり、満場一致を以て可決す
尚ほ字句の修飾はアレキサンダー氏と添田博士に一任し、ムーア氏の発議に依り、政府の意向を確むる迄は桑港の当局者へは電報を発せざることと定む。


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第六八―九四頁大正九年一二月刊(DK350055k-0005)
第35巻 p.300-310 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第六八―九四頁大正九年一二月刊
    日米関係委員協議会
      第六日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月二十四日午前九時三十分開会
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     出席者 日本側
 子爵 金子堅太郎  男爵   渋沢栄一 男爵   目賀田種太郎
 男爵 瓜生外吉   男爵   近藤廉平 男爵   森村開作
 男爵 阪谷芳郎   法学博士 添田寿一      井上準之助
    早川千吉郎       高田釜吉      志立鉄次郎
    大谷嘉兵衛  工学博士 団琢磨  文学博士 姉崎正治
    山科礼蔵        串田万蔵      浅野総一郎
    志村源太郎       梶原仲治      土方久徴
         米国側
  前日の通り
特別委員会会議中なるを以て、阪谷男爵議長席に着く、
副議長阪谷男爵
 本日は協議会の最終日なるを以て、成る可く時間を節約せんことを望む、而して昨日特別委員会の件に関し、政府当局と交渉したることあり、其に就き、目下別室に於てアレキサンダー氏、ホイラー博士、渋沢男爵、金子子爵の四氏、特別委員中の特別委員として協議中なるを以て尚ほ十分間程出席遅刻せらるべし、就て是より協議会を開催すべし、尚ほ米国側委員中ムーア、セスノンの二氏は支那に旅行せらるる予定にて、そが為め今日横浜に赴かるる用件あり、今日は是れより退席したしとの申出あり。
  即ちムーア、セスノンの二氏已むを得ざる処用の為め、遺憾ながら欠席する旨を告げ、退席せらる。
副議長阪谷男爵
 諸氏の手許に差出したるは特別委員会の成案なり(特別委員会の決議文を廻付す)、尚ほ之に付て報告すべきことありと雖も、只今特別委員中の小委員会議中なるを以て、其終了次第報告することとなるべし。
 予より報告すべきことは既に承知せらるるが如く、三月二十日の協議の結果、三月二十一日日曜日に米国側委員並に日本側委員は別々に協議することとし、日本は当東京銀行集合所《(会)》[東京銀行集会所]に於て会合し、一の決議案を得たり、そは日本側委員は土地法其他、事極めて重大にして其影響する所少からざるを以て其通過を妨止するが為め、日米両国委員一致し公開状を発して米国民に訴へ、それと同時に日米両国政府より官命の聯合特別委員を設け、之に調査並に解決の方法を托するの外なし、之が文章は日英両文を以て起草すべしと云ふにありたり、而して当日は協議中本問題は日本将来の大方針の岐るゝ所なると同時に、日米間の禍乱の源ともなるべきものなるを以て、全委員の愛国的精神発露し真に沈痛の調を帯びたり。
 三月二十二日日米両国委員の特別委員会開催せられ、米国側委員は小数なるを以て殆んど其全部出席し、日本側よりは金子子爵、渋沢男爵、添田博士、並に予の四名、外に姉崎博士出席せらるべき筈なりしも、姉崎博士は大学の都合により委員を辞退せられたるを以て目賀田男爵之に代はりたり。
 特別委員会に於ては米国側委員は本問題に就き大に憂慮せられ、其
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解決法の発見に苦まれつゝありしを以て、日本側委員は日本側決議案を問題とし、互に胸襟を開き腹蔵なき意見を交換せり、此等の内容は秘密に付することとし、通訳、書記の人々も渋沢男の通訳たる小畑氏を除き凡て退席せしめたるものなるを以て、玆に詳細報告すること能はざるを遺憾とす、而して当日は何等の結果に到着することを得す、何分重大なる問題なるが故に、尚ほ一日熟考することとし散会せり。
 翌三月二十三日再び午前九時三十分より当銀行集会所に会合し、種種協議せしが、其結果日本側の決議文は序文もなく余りに簡単なるを以て之を修正することとし、終に現在諸氏の手許に差出したるが如き成案を得たり、之れ日本側委員の提議したものを米国側に於て英訳せられ、更らに日本側に於ても修正し、アレキサンダー氏並に添田博士の協定に依り成立したるものなり。
 惟ふに之れ今日の時局を救済する最善の方法なり、但し本問題たるや既に述ぶるが如く極めて重大なる関係を有するものを以て、一応政府当局の意向を窺ひ知るの必要あり、昨二十二日金子子爵と渋沢男爵とは原首相、並に内田外相に会見せられたり、其内容は事秘密に属し玆に報告するの自由を有せず、以上特別委員会の概要なり、尚ほ金子議長よりも報告あるべく、決議案に就ての説明あるべきを以て、委員諸氏は満場一致を以て其報告を承認せられんことを望む
議長金子子爵
  阪谷副議長に代はり議長席に着き、特別委員会の報告をなす、既に阪谷副議長より報告せられたるものと大差なし、尚ほ金子議長の阪谷副議長と共に報告せられたるもの左の如し
 土地問題は本協議会の最大重要問題にして、其結論や本協議会に於て成し遂げ得たる最も貴重なる成果なりと雖も、或時期の到来する迄之を絶対的に秘密に付し、一切世上に発表せざらんことを望む、是れ素より吾人の功を誇らんとするにあらずして、問題其れ自身が既に述ぶるが如く、極めて重要なる関係を有するを以て、其目的遂行の妨害となるの虞あることは努めて之を避けんとするにあり、之を以て土地問題に関する特別委員会の結論は、断じて此の協議室以外に洩さゞらんことを要す、但し協議会の内容を一切世上に発表せず悉く秘密に付すること能はず、相当の程度に於て之を公表するの必要あり、之に就ては土地問題以外、資本合同・海底電信・交換教授等の問題あるを以て此等問題の内容を発表することゝせば可なりと信ず、然れど、此等の発表は凡て議長の承認を経て日米双方の書記をして之に当らしむべく、委員諸氏は新聞記者の質問を受くるも一切之に答へざらんことを望む。
 尚ほ特別委員会に於て協議したる事項は、日本政府当局者の意向を確むる必要ありと信じ交渉したるが、政府も亦之に賛意を表し、之が為めに敢て尽力するを辞するものにあらずと言明せられたり、而して米国側に於ては此等の事情を或は電報を以て其本国に通知し、或は書簡を以て詳細之を報告し、新聞紙上にも掲載して世上に発表したし、日本在住の米国人よりも屡々協議会の内容を知らんことを
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求めらるとの申出ありたれども、日米孰れか一方にして発表すること能はず、双方同時に之を行はざるべからざるを以て、世上に公表する事項並に其程度に就ては後に双方協議し発表することとせり、予め承認を求むると同時に、此等のことは議長に一任せられんことを望む。
  採決の結果、満場一致特別委員会の報告を承認す。
阪谷男爵
 本協議会に於て尚ほ協議すべき問題に、資本合同・海底電信・交換教授並に米国側より提出せられたる産業問題及び商事仲裁々判等あり、而して今日協議会終了迄に尚ほ二時間あるを以て、是より此等の問題に就て協議せんことを望む、但し時間の関係に此等問題に就ては討論を省き一問題二十分間位宛、専ら意見を述ぶることとし、商業会議所等に移牒すべきは之を移牒し、凡ての問題を円満に解決して本会を散会せんことを欲す。
渋沢男爵(日米資本合同問題)
 予は此の会合に於て日米資本合同に関し、聊か予の私見を開陳せんとす、現在に於ても此の合同事業は電気及び鉱山業に於て相当の成績を納め、芝浦製作所、電気会社、朝鮮の金鉱の如き其例に乏しからず。
 而して現に設立中に属するものは、近藤男及び予の関係せるジヨージ・エー・フーラー会社の建築会社あり、資金の供給を米国ナシヨナル・シテイー・バンクの分身たるナショナルシチー・コンファートに受け、我国に於て米国式大廈の建築を目的とす、又既にアレキサンダー氏にも述べたることなるが、加州サクラメントよりチャールス・ビー・ベルス氏来られ、同地に両国合同による銀行及び缶詰会社設立を予に向て勧奨せられ、予は之に対し、缶詰会社及び銀行にして真に有利なるや否やを慎重攻究せる後、果して氏の説かるゝ如きものなるに於ては、進んでその設立に微力をいたすべきを約せり、予は日米資本合同出資経営の方法にして益々発達せんか、之によりて両国資本家進んでは両国民の親交を厚うすることを得べく、其の効果や大なるべしと信ず、特に加州に於ける日米合同事業の経営は両国々交上、大難関とせられつゝある移民問題にその融和を与ふる所少なからざるべし、素より予は経済と政治とを混同し、単純なる経済上の便宜を以て、此の困難なる移民問題を解決し得べしと信ずるものにあらざれども、国民的利害の一致は何物にも勝りて、国交の親和を深うし、国民的感情の融和接近に大なる効果を現はすべく、恐らく米国側委員諸氏亦予とその見解を同じくせらるべし、之を以て日米両国民は此の方針に従ひ、虚心坦懐赤誠を披瀝して合同事業の設立、発展に努め、之を商議せば両国々交の親善を愈々深ふし、国民的感情の融和に貢献する蓋し大なるものあるべし。
 先年予米国訪問の際日米親善に関しジヨンワナメーカー氏と私見の交換をなしたる事あり、その際氏は予に向て一身上何等利害関係なく、又自己の経営する事業にもあらざるに、貴下は何故に斯く長日月の間我米国に滞在し、各地を訪問せらるゝやと質されたるを以て
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予は自己一身の利害関係に留意するにあらずして、国民全体の利害は、予の利害より切実なり、予は国民的立場より是を観察するものなり、貴下に於ても予の意思を諒せられ、米国民全体の利害は貴下の利害なりとの立脚地より観察して交際せられなば、之れ真に忻快の事ならずや、国交の増進円満を計るに政治家・外交官あり、然れども彼等の手になるもの往々にして紙もて貼れる表装の如く雨に逢はんか、たちまちにして濡れ離れ、風の烈しきに逢はゞ破るゝの虞あり、之に反して国民的立場より国交を増進し事業の合同出資に努力する吾人の交情友誼は、風雨に犯かさるゝも敢て意とせざる膠漆の如し、予は斯の如き交際を希望するものなりと答へたるに、氏洵に我が意を得たりとて忻然たるものありたり、然れども膠漆の交尚ほ全きものと云ふことを得ず、一朝利害相反せんか忽ちにして破壊せらるゝ事あり、故にかゝる交誼に加ふるに道徳を以て之を誘導せば、爰に始めて両国の親交は一層密接となり、其基礎を鞏固ならしむる事を得べし、之れ予の日米共同出資に対する私見の大体なり。
渋沢男爵(海底電信問題)
 予は電信に関し何等専門的知識を有せざるも、内田嘉吉氏と《(の)》旅行の為め予は余儀なく此の席上、一言する所あらんとす。
 電信の遅延不便は内外共に甚だしく、殊に日米電信に至りては日米間一週日を要する実状にして、之が設備の完成は急務中の急務と云ふべく、一日も忽緒に附すべからざるなり、蓋し経済的活動は旺盛となり、報道機関の設備足らざるが為め斯の如き状況を呈するに至りしものならん。
 実業界を隠退せるものは比較的此の不便を感ずる事少なきも、玆に出席せられたる諸氏は何づれも実際社会に活躍せらるゝ人士のみにして、今日電信の実状に対し能くも隠忍せられつゝありと云ひたき程なり。
 予は電信設備完成のため内田嘉吉氏と数次打合せをなしたるが、我日本のみの独力にては到底その設備の達成望み難きを以て、内田氏は先頃米国並に欧洲に出張し、政府及び民間諸氏と屡々会合協議せられたり、然れど未だ十分なる効果を奏するに至らず、吾人は米国側委員諸氏も吾人の苦心焦慮を諒とせらるべく、其設備の完成を希望せらるつゝあるものと信ず、素より日米間海底電信の完成は両国政治上に重大なる関係あるべく、今直ちに之が実現を望むこと能はざるべきも、之等政治上の理由存するが為に電信設備を改善せずして今日のまゝに放任するが如きは、経済的活動及び報道機関の到底忍ぶ能はざる所なりと云ふべく、之が完成の捷径は日米間の電信を民営となすの外なかるべし、吾人は米国側委員諸氏帰国の上は我が政府及び国民の真意を貴国政府に伝へられ、同時に民営設立に深厚なる援助を賜らんことを希望して歇まず。
 以上は予の民営電信設立に関する趣旨にして、之に関する書類は孰れ別に貴覧に供すべし。
姉崎博士(交換教授並に公表通信問題)
 交換教授並に公表通信に関する予の大体の意見は諸氏の手許に差出
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したる印刷物に就て見られんことを望む、其本文左の如し。
      交換教授ニ関スル件(Exchange Professorship)
  一、交換教授制度ノ目的ハ、学術ノ基礎ニ立チテ、相互ノ理会ヲ進ムルト共ニ、両国ガ相互ニ学術的研究ヲ交換スルニアリト思ハル。
  此見地ヨリ見レバ、只管宣伝的目的ヲ以テ巡回講演ヲナスヨリモ両国数箇ノ大学ニ常設(若クハ数年エ亘ル一時的)講座ヲ設ケ、其担任者ヲシテ、一ハ学術的研究ノ指導刺激ノ任ニ当ラシメ、一ハ大学以外ニモ、両国相互ノ正当ナル理会ニ勉メシムルヲ要セズヤ。
   一、右ノ見解ニ基キテ、交換教授制ヲ設クル為ニハ、例ヘバ左ノ如キ講座設置ニ向ツテ歩ヲ進ムル事如何。
   日本文明講座
    ハーヷード大学(現在ノ一時設置ヲ拡張ス)
    コランビア大学
    シカゴ大学
    ヰスコンシン大学
    カリフオーニア大学(現在ノ講師制度ヲ変改ス)
    ワシントン州大学
    (右ノ外、ヱール大学ト、スタンフオード大学トニハ、各日本人助教授アリ、歴史及経済ヲ担任ス)
  米国文明講座
   東京帝国大学
    現在設置準備中ノ米国憲法講座ノ外ニ米国経済、米国史ノ二講座増設
   京都帝国大学
    二講座
   東北帝国大学
    二講座
     公表機関ニ関スル件(Publicity)
 一、現在、東京日米協会ニテハ、日本ノ時事輿論ヲ紹介スル為、Bulletin発行ノ計画アリ、又ニユーヨーク日本協会ニテハ年来Bulletinヲ発行セリ。
 右二者ノ組織ヲ一層完全ニシ、大日本平和協会ニテ経営セル公表事業ヲモ此ニ併セテハ如何。
 一、米国側ニテ同様ノ計画ヲ発起シ得ザルヤ。
 一、現在ノ新聞通信事業ヲ一層完全ニスル方法如何。
 要するに、交換教授の制度は厳正に学理上の見地に於て之を行ふべきものにして、交換教授が其講演を利用し或種の目的の為に宣伝をなすが如きは大に之を避けざるべからず、而して交換教授は大学以外に於ても両国間の正当なる理解を求むるに努むべく、大学に於ては常設講座となすを可とす。
 公表機関に関しては今日存在する機関を一層完全にし、公平適切なる通信を両国間に交換するを要す。
 - 第35巻 p.306 -ページ画像 
ホイラー博士(交換教授問題)
 日米交換教授の実行難を経費調達難に帰せんとするものなきにあらざれど、其実、其の困難は教授に適任者を得るの難きにあり、若し交換教授にして或は自国の利益を計るの目的を以て政治的意見を発表し、或は又特殊の意見を主張するが為め、其の講演を利用するが如きことあらば、之れ啻に其使命に反するのみならず、延ひて両国民の親善を害するの虞なしとせず、殊に言語の相異に起因する難関大なるを以て交換教授に適任者を得ることも甚だ難し。
 是を以て学識深く人格敬慕するに足るの士を得ば右述ぶるが如き実行難を見ず、日米両国民は教授を介してその国の制度・文物・風俗習慣を諒解し、国民的感情をして益々融和接近せしめ、国交の親善を深ふする蓋し大なるものあるべし、曩に日本より渡米せられたる姉崎博士は学徳ともに高き稀に見るの士にして、米国各地の大学は同博士の風丯に接し日本を解せんことを熱望せり、今後交換教授は米国に於ける有力なる五六の大学を巡回し、其期間も之を五・六週間とし、姉崎博士の如く英語を以て講演せらるゝ教授を得ば、容易に貴国の制度・文物及び風俗・習慣を米国民に了解せしめ能く所期の目的を達することを得べし、而して米国よりも又前述の方法により教授を日本に派遣せば、爰に日米両国民は長くその恩恵に浴することを得ん、其経費の如きは米国に於ても喜んで之を負担すべし。
渋沢男爵(日米交換教授問題)
 三年以前予が米国を訪問し加州大学教授ホウプ氏と会見したる際、同氏は日米双方の醵金によりて同大学に日本講座を開設すべきを述べられ、之に対して予の微力を促されたることあり、而して今又日米交換問題に関し米国側委員ホイラー博士及び我が姉崎博士よりその目的方法に関し御高見を聞く、之れ予の大に忻幸とする所なり、然るに我国の実状は所要経費の醵金者を得ること容易ならず、吾人の希望も為めにまだ実現するに至らず、吾人は其実行を一日も速かならしむべく敢て微力を辞せざるべきを米国側委員特にホイラー博士に答ふ。
オスボン氏
 国語学修の困難は時に大なる不利益之に伴ふと雖も、時に又便利なることなきにあらず、米国に於ては各国より種々なる者入り込み労働者を煽動し労働問題を惹起しつゝあれども、日本には斯ることなきが如し、但し日本に於ても産業的生活あり、之に伴ふ問題なきにあらざるべし。
 今や欧米に於ては労働組合に関する論議甚だ盛なり、其精神や可なりと雖も、徒らにカール・マルクスの理論を引用して不徹底なる議論に耽り、経済並に社会上の問題を道徳問題と混同しつゝあるは甚だ遺憾とする所なり、英国に於ては労働者の九割は労働組合に属しそが為め一国の生産を減少し、外国貿易に少なからざる悪影響を及ぼしつゝあり、米国に於ては個人の自由を尊重するが故に労働者の労働組合に属するもの比較的少なく、労働者の一割五分に過ぎず、而も彼等は之に属せざれば排斥せらるゝが故に止むを得ず組合に加
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入しつゝあるものなりと念はる。
 蓋し労働組合の理想は素より吾人に於てこれを否定せんとするものにあらずと雖も、その煽動的態度は飽までこれに反対せざるを得ずこれを以て数年前米国に於ては一部のもの相集あ《(ま)》り、社会一般を教育せんとするにあらざれども、主として労働者を雇傭する資本家・企業家を教育せんとするの目的を以て、米国産業会議委員なるものを組織せり、其の会員個人並に会社を合せ今や二万有余に達し、これ等会員の雇傭する労働者の数合計八百万乃至一千万人に達す、此の委員は種々なる調査研究をなしつゝあるが、労働組合は結局有害なりとなすもの多く、労働組合は八時間制を主張すれども、未だ該制度の経済的価値を根本的に研究し、これに基き立論したるものあるを聞かず、これを以て産業会議委員は特に専門家を聘し、労働者の健康状態・生産力等を調査研究し良好なる効果を納めつゝあり、又或種の産業に於ては労働者は健康上の理由を以て、或は疾病保険或は其の他の労働保険を要求するを以て此等に関して十分なる研究をなしつゝあり。
 然れど日本に於ては産業状態米国に於ける程複雑ならず、日本の現状は恰も二十年前の米国に於ける状態に相当す、而して日本に於ては幸に一般国民に忠実・忠誠の念厚きを以て、労働者に対しても此精神を徹底せしむれば良好なる効果を奏すべしと思惟す、米国に於ては各工場若くは各会社内に於て夫れ夫れ忠誠の精神を教へつゝあるのみならず、工場若くは会社に依り自ら学校を設置し此の精神を鼓吹しつゝあるもの少なからず、日本に於ても斯る方法を採用せられなば有益なるべしと念はる、特に日本の憲法に於ては上 陛下は民の心を以て心とせられ、下国民は 陛下の大御心を感受しつゝあるものなるを以て、各工場内に於ても資本主と労働者とは此の大精神に則るべく、其間一致を見るこれ敢て難事にあらずと信ず、又最近米国に於ては工場内に委員を設け、労働者を代表せしめ、或は工場内の諸問題、或は労働組合の要求等を研究せしめ、資本主並に労働者の要求を徹底せしめんことを計りつゝあり、是又日本に於て試みらるべき一方法なりと考へらる。
 最後に米国に於ける産業会議委員は既に二十五の機関雑誌を発行し既に二百万弗の資金を費せり、此等研究の結果は見るべきもの少なからず、予は帰米後、各位に其印刷物を送付すべし。
 要するに日米の資本家は互に相提携して此等問題の解決に当り、現状を改善するに努力せんことを望む。
渋沢男爵
 予は其の大なる興味を以てオスボン氏の労働問題に関する意見を聞けり、予の如き現在事業に遠ざかりつゝあるものも、同氏の説を聞き感深きを以て現在事業経営の任に当られつゝある日米関係委員の多数は予と感を同じくせらるゝならんと信ず、今や日本に於ても資本と労働との関係は深く憂慮すべき時代にあり、然れど吾人は資本と労働とは階級戦を行はずして、道理に於て互に協調すべきものなりとし、協調会を創立し聊か微力を尽しつゝあり、たゞ惧る、日本
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に於ては資本家・労働者共に経験浅く共に幼稚たるを免れず、その結果協調会もまた幼稚なり、此際に当りオスボン氏の、書籍に就て知ること能はざる実際上の有益なる高見を聞くことを得たり、吾人の忻幸何ものか之に加へん、オスボン氏は協議会後米国側委員諸氏の一行と分れ暫く日本に滞在せらるべきを以て、吾人は機を見て労働問題に関係深き人々を集め、更らに本問題に関する意見を聞き攻究せんことを欲す、是れ又日米関係委員以外のものに対しても一つの大なる福音なるべし。
アレキサンダー氏
 渋沢男爵の言及せられたる仲裁々判制度は予の常に賞讚する所、又商業上、最も必要なる制度なりと信するものなり、此のことに関しては予が昨年リンチー氏と共に日本を訪問したる際、特に藤山氏と意見の交換を行へり、若し日米間に仲裁々判委員設けられ、商業上の紛擾若くは誤解を解くことを得ば多くの懸案は和解せられ、円満に解決せらるべし、而して昨年渋沢男爵は日本造船所と米国管船局との仲裁委員たることを承諾せられたることあり、之れ吾人の大に愉快とする所なり、斯る制度を一般に応用せんことを欲す、現に桑港商業会議所に於ても会員間に仲裁委員を置き、其決定を拒絶するものは会員たるの権利を喪失せしむる制裁を加ふ、吾人は日米間に於て商業上の紛議を解決すべき仲裁々判委員の設定を望む、斯くせば日米間通商・交通上の便益は極めて大なるべし。
阪谷男爵
 今日は本協議会の議題たる五個の問題に就き夫れぞれ皆な有益なる意見を聞けり、此等の問題に関しては或は質問もあるべく或は討論もあるべけれど、最早時日も切迫したることなれば此等の意見は記録に止め、適当なる方法を講して其の実行を計ることしと、是を以て本協議会を閉会せんことを欲す、而して本協議会は歴史的重要なる会合なるが故に、吾々此の卓を離るゝに臨み盃を挙げて無事閉会を祝し、渋沢男爵、アレキサンダー氏、金子議長の告別の辞を聞かんことを望む。
 又本協議会の概要を新聞紙上に発表するに関し服部、ランダル、添田三氏の手に於て既に原稿を作成せられたる趣に付き、添田博士より報告あらん事を望む。
添田博士
 目賀田男の動議により本協議会の概要を新聞紙上に発表する程度に関しては服部、ランダル二氏と協議の結果、左の如く作成せり、承認あらんことを望む。
  尚ほ渋沢男爵より仲裁々判は本協議会に於て設立せんとするにあらず、其設立を勧告するものなりとの注意あり、アレキサンダー氏其他の注意により新聞紙上の発表は和英両文を作製し、日本新聞紙と英字新聞紙と同時に掲載せしむべしとの申合せあり、此等のことは議長一任と決す。
   (附記、玆に掲げた発表文は右協議の趣旨に基き字句を修飾し最後に新聞紙上に発表したるものなり)
 - 第35巻 p.309 -ページ画像 
    日米関係委員協議会
日米両国ノ関係ハ最近種々ナル点ニ於テ或ハ誤解、或ハ疎隔ヲ来タシ嘗テ極メテ親善ナリシ両国ノ関係ニ変更ヲ来サントスルノ虞ナキニアラズ、如何ニシテ之ガ改善ヲ計ルベキヤハ両国識者ノ常ニ憂慮シツヽアリシコトナルガ、之ガ為メ日米両国ニ於テ各々関係委員会ヲ組織シ此等関係ノ改善ニ努力セリ、而シテ昨大正八年四月米国ヨリハアレキサンダー、リンチーノ二氏日本ヲ訪問シ、大正九年春東京ニ於テ両国関係委員ノ協議会ヲ開催シ、土地・移民・資本合同・交換教授・通信交通機関等ニ就テ腹蔵ナキ意見ヲ交換スベキコトヲ協定セリ、是レ今回両国協議会ノ開催ヲ見ルニ至レル経過ノ大要ナリ。
右ノ契約ニ基キ米国側ニ於ケルアレキサンダー氏ノ如キ爾来健康勝レザリシニモ拘ハラズ、再ビ渡来セラレ、ホイラー博士、ムーア氏、セスノン氏、クラーク氏、オスボン氏ノ諸氏ト倶ニ秘書ランダル氏ヲ随ヘ三月十六日日本ニ着シ、其翌十七日ヨリ会場ヲ東京銀行集会所ト定メ、日々午前九時三十分ヨリ午後十二時三十分ニ至ル迄日本側関係委員ト共ニ、互ニ最モ熱心ニシテ且腹蔵ナキ意見ヲ交換セリ。
協議事項ハ土地・移民・資本合同・海底電信・交換教授・公表通信・産業問題・商業仲裁機関等頗ル多岐ニ亘リ、而シテ協定セル事項左ノ如シ。
 一、土地・移民問題
  土地ト移民問題ハ相互間ニ極メテ密接ナル関係アリ、且両国間ニ横ハル最大重要ナル問題ナルヲ以テ最モ慎重ニ考究スルノ必要アリ、数日ニ亘リテ各自其意見ヲ交換シタル後、両国関係委員ハ互ニ協同シテ之ガ解決ニ努力スルコトニ申合セタリ。
 二、資本合同問題
  両国ノ関係ハ経済上ニ於テ結合スルニアラザレバ強固トナラザルヲ以テ、今日迄多少既ニ資本合同事業ノ観ルベキモノナキニアラザルモ、今後尚一層之ヲ奨励スルニ意見一致セリ。
 三、海底電信
  両国々民ノ外交上、貿易上今日ノ如キ海底電信ノ有様ニテハ到底満足スルコト能ハザルヲ以テ、之ガ改善ニ必要ナル方策ヲ講ズルコトニ決定セリ。
 四、交換教授問題
  教授ノ交換ヨリ生ズル利益ノ多大ナルヲ認メ、学理上ヨリ冷静公平ニ両国々民間ニ知識ノ交換ヲナスガ為メ、双方ヨリ適当ナル学校ヲ選定シテ講座ヲ設ケ教授ヲ派遣スルコトヲ申合セタリ。
  又通信公表機関ノ方法ニ付テモ考究セリ。
 五、通商問題特ニ商事仲裁機関問題
  商事上種々ナル行違ヒ、論争ハ日米両国ノ関係ヲ疎隔スルノ虞アリ、日米両国共ニ商業会議所ハ商事仲裁ノ任ニ当リツヽアルヲ以テ、之ニ基キ相当ノ方策ヲ講ズルコトニ決セリ。
 六、産業問題
  産業上労働問題ハ今ヤ国際的重要ナル問題トナリ、而モ各国経済事情ヲ同ジクセザルヲ以テ、互ニ両国ノ事情ヲ参考ニ供シ、完全
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ナル労資ノ解決ニ努メザルベカラズ、此点ニ付テハ日本ノ現状ハ最モ其講究ヲ必要トスルヲ以テ米国ノ実例ヲ斟酌スベキコトヲ協議セリ。
渋沢男爵
 日米関係委員協議会開かれて玆に一週間、日米両国の親善を増進するが為め或は其緊急問題に関し、或は其永遠策に就き互に腹蔵なき意見を交換し得たるは吾人の最も欣幸とする所なり、惟ふに今日玆に吾人の会合を見るに至りしに就きては種々なる遠因之なきにあらざれど、適切《(マヽ)》が其原因となりしは、今を去る四年前桑港に於てアレキサンダー氏、其他の諸氏が日米関係委員を設けて日米親善の為め努力せられんとするの企あり、予之に感激し恰も予自ら巴奈馬開通紀念博覧会参観旁渡米したるを幸ひ、桑港に於てアレキサンダー氏其他の数氏と協議し帰朝後予自ら主唱者となり、日本に於ても日米関係委員を設けたるに始まる、而してアレキサンダー氏は、最近日米の関係は大に改善の途に向ひつゝありしに欧洲戦乱は再び之に多少の妨害を加ふるに至れり、之れ誠に憂ふべきことなりと云はれたるが、予も亦同感なり、実に昨年アレキサンダー氏がリンチー氏と共に日米関係委員協議会を開催せんとし我国に来航せられたる当時は、我れ人共に唯に日米親善の増進を計らんことのみ念とし、今年玆に協議会の最も主要なる問題となりしが如き事情は毫も念ひ設けざりき、世情人事の変遷意想の外に出づと云はんのみ。
 然るに斯の如き重大なる案件に関しても互に胸襟を開き頭脳を脳まし一の解決案に一致し得たるは吾人の喜び何ものか之に加へん、是れ一に米国側委員諸氏の公平なる意思、誠実なる観念に基くものにして日米親善を重しとせらるゝ其厚意に対し吾人は実に感佩せざるを得ざるなり、解決案の果して実効を奏するや否やは之を天の命に待たざるべからざるも、吾人は之が為めに最善を尽したりと信ず。本協議会に於ては右の外資本の合同・海底電信・交換教授・仲裁々判等の重要なる案件に関しても夫々意見を交換し、人事の善を勧むる必要事項に関しては吾人は十分なる考慮を払ふを吝まざりき、此等協議会に於て得たる結果は阪谷副議長の云はれたるが如く断じて消滅すべきものにあらず、漸次其実行を期さざるべからざるなり。而して斯の如く円満にして互に満足すべき結果を見るに至りしは、一に数年前加州に於て日本関係委員の設定せられたるに依ると云ふべく、吾人は往時を追懐する毎に厚くアレキサンダー氏に対し感謝の意を表せざるを得ざるなり。
 今や本協議会の終りに臨み吾人は最初の祝辞を述ぶるに当り、議長副議長の労を多しとすると共に、委員諸氏が本協議会をして有意義ならしめたる上述の事情を十分諒解せられんことを望む、之を以て閉会の辞とす。
○下略


日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 序大正九年一二月刊(DK350055k-0006)
第35巻 p.310-311 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    序大正九年一二月刊
 - 第35巻 p.311 -ページ画像 
○上略
一、米国側日本関係委員は大正九年三月十六日サイベリヤ丸を以て来航せられ、日米関係委員協議会は翌三月十七日より三月二十四日迄東京銀行集会所に於て開会し、右期間中三月二十一日(日曜日)は日米委員別々に協議会を開き、三月二十二日午後並に三月二十三日は特別委員会を開催せり。
 ○下略


竜門雑誌 第三八四号・第四三―四六頁 大正九年五月 ○日米関係協議会(DK350055k-0007)
第35巻 p.311-313 ページ画像

竜門雑誌 第三八四号・第四三―四六頁 大正九年五月
○日米関係協議会 日米関係委員会は去三月十七日より同二十四日まで(日曜日を除く)一週間、東京銀行倶楽部に於て毎日午前九時半より零時半迄続開せられたり。協議会第一日に於て座長、議長各一名、副議長、名誉書記各二名を選挙し、座長には青淵先生、議長には金子子爵、副議長には阪谷男爵並にアレキサンダー氏、名誉書記には服部文四郎氏及ランダル氏当選したり。而して該会議に於ては彼我腹蔵なく其意見を交換して以て両国の親善策を審議すべきを期し(一)移民問題(二)土地問題(三)資本合同に関する件(四)電信に関する件(五)交換教授並に公表通信に関する件等を議案として始終熱心に凝議せられたるが如し。されど取分け焦眉の問題として審議せられたるは移民問題に関聯せる土地問題、即ち新に加州に生じたる日本移民排斥法案に関するものなりしが如し。
 即ち日本側としては世界戦争の際日本移民が自由公債、赤十字社維持費運動等に喜んで莫大の資金を醵出し、更に進んで軍務に参加したる為め大に好感を以て迎へられたりと聴くに、今加州に於て排日法案を作成して議会を通過せしめんとするは心得がたし、山東問題・朝鮮問題・西比利亜出兵に対する誤解は真に嘆はしき事にて、本来日本は武力主義に非ず実に平和主義を其国是とするものにして、此点に付完全なる了解を得んことを欲す。移民問題を観るも米国々民は日本移民が同化せずと称するも、米国に生れし日本児童即ち日系米国市民に対し米国児童と其学校を異にせしむるが如きは、日本人をして米国人と同化せしむるの機会を与へざるものなり。事実米国在住の日本人間に於ては日本語は其勢力を失ひつゝあり、即ち児童は日本語の習得を厭ふて英語を学ぶ、これ日本人が次第に米国と同化しつゝある事を意味するものに非ずや、願くは自由正義人道を国是として之を世界に高唱する米国民が、日本及日本人の真意を充分に了解せられ、以て排日問題に関する両国の紛擾を永遠に一掃せられ度旨希望せり。
 之に対し米国側としては、米国人は日本移民が孰れも勤勉善良なる人々にして之を欧洲移民に比するも決して劣る所なく、或点に於ては寧ろ彼等に優る所あるを認めながら、尚且排日問題を惹起するは一部の野心政治家並に黄色新聞が唯単に自己の利益の為めにするものにして、殊に最近山東問題(米国人が日本の這般の世界大戦に参加せし理由を疑ふ)朝鮮問題(日本が官僚式に朝鮮人を圧迫せしことを非難す)及び西比利亜に対する日本の出兵態度等を拉し来りて、之を排日問題に加味して唱導するが如きは真に慨はしき次第なり。今回加州に起れ
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る土地問題の如きも聡明なる加州知事の在るありて調査会なるものを組織し、此等の法案に付研究せしむる事となり居れり、然し該法案は三万五千人の署名を得て次の選挙に際し其可否を公衆の投票に訴へんとしつゝありて、此法案は近き将来に於て通過すべきを信ずるものなり、此点に関しては日米親善の為大に努力しつゝある桑港商業会議所に於ても遺憾とするものなり。由来米国の中央政府が州政府に対して干渉する権能を有せざるは行政制度の大欠点にして、此の問題に付ても中央政府としては其通過を妨ぐる事能はざる次第にして真に遺憾の至りなり。而して今排日問題を誘致する原因に付考ふるに、日本移民が思想・宗教・言語・生活等全然異にするが故に、米国人と同系の祖先を有する欧洲移民が其の渡米後容易に同化するに反し、日本移民は同化し難き国民なりと認めらるゝに因るが如し。桑港、サクラメントフレスノ、サンヨオキン、ローサンゼルス等に於て日本移民は一箇所に集合して特別の部落を造り居るが、之は言語不通の為めならんも、米国人に同化せんとせば孤立するは面白からず、為めに一般より疑を以て視られつゝあり。又日本移民が前回の土地法案によりて其土地所有権を失ふに至りしも、合衆国地方裁判所が米国内に生れし日本児童は市民権を有すとの判決を下してより、加州在住の日本移民は挙つて自己の所有地其他を自己の児童の所有名義に書換へ著しく米国人の反感を招きたり。英領カナダに於て魚猟権は市民のみ之を有する規定なりしが、昨年三百人の日本人が市民権を得てより其の魚猟権を独占せし傾向あり、故に一種の生存競争防禦の策として排日を行ふものゝ如し、然し吾人は屡々繰返されつゝある排日問題に対し飽までも日米両国親善の為め米国朝野の有識者と共に努力して以て其排除に努めん事を誓ふ旨陳述する所ありし由にして、結局左の協定を得たりと云ふ。
    日米関係委員協議会
 一、土地・移民問題
  土地と移民問題は相互間に極めて密接なる関係あり、且両国間に横はる最大重要なる問題なるを以て最も慎重に考究するの必要あり、数日に亘りて各自其意見を交換したる後、両国関係委員は互に協同して之が解決に努力することに申合せたり
 二、資本合同問題
  両国の関係は経済上に於て結合するにあらざれば強固とならざるを以て、今日迄多少既に資本合同事業の観るべきものなきにあらざるも、今後尚一層之を奨励するに意見一致せり
 三、海底電信
  両国々民の外交上、貿易上、今日の如き海底電信の有様にては到底満足すること能はざるを以て、之が改善に必要なる方策を講ずることに決定せり
 四、教授交換問題
  教授の交換より生する利益の多大なるを認め、学理上より冷静公平に両国々民に智識の交換をなすが為め、双方より適当なる学校を選定して講座を設け教授を派遺することを申合せたり、又通信公表機関の方法に付ても考究せり
 - 第35巻 p.313 -ページ画像 
 五、通商問題特ニ商事仲裁機関問題
  商業上種々なる行違ひ、論争は日米両国の関係を疎隔するの虞あり、日米両国共に商業会議所は商事仲裁の任にあたりつゝあるを以て、之に基き相当の方策を講ずることに決せり
 六、産業問題
  産業上労働問題は今や国際的重要なる問題となり、而も各国経済事情を同じくせざるを以て、互に両国の事情を参考に供し、完全なる労資の解決に努めざるべからず、此点に付ては日本の現状は最も其講究を必要とするを以て、米国の実例を斟酌すべきことを協議せり
因に日本側委員として該会議に出席せるは左の諸氏なりし由。
 青淵先生    井上準之助氏   服部金太郎氏
 早川千吉郎氏  大谷嘉兵衛氏   金子子爵
 梶原仲治氏   団琢磨氏     高田釜吉氏
 添田博士    瓜生男爵     内田嘉吉氏
 串田万蔵氏   山科礼蔵氏    近藤男爵
 姉崎博士    浅野総一郎氏   阪谷男爵
 目賀田男爵   志村源太郎氏   志立鉄次郎氏
 土方久徴氏   森村男爵


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正九年(DK350055k-0008)
第35巻 p.313 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正九年
                  (阪谷子爵家所蔵)
   三、二二 協議会決案成ル、金子・渋沢両氏、原、内田両相ト会見ス、両相ハ閣議ヲ経テ同意ス、但高等委員任命ノコトハ日本政府ヨリ発議スヘキモ先以テ米政府ニ於テモ承諾ノ意アルヤ否日米委員側ニテ慥カメオカレ度トノコト、又加州臨時議会ヲ開カシメ、イニシアチーフ・レフエレンダムヲ此方ニ向クルノ策ハ日米両政府間ニハ写真結婚ヲ禁止セハ臨時議会ヲ開カス云々トノ話ニテ進行シ来リタルニヨリ、日本政府トシテハ此議ヲ変更スル能ハサル立場ニアリ、故ニ米国委員側ノ存寄ニテ其手段ヲ取ラレ度トノ答ナリ
   三、二四 前件両相内意ノ次第ハ今朝別室ニテ金子・渋沢、アレキサンダー、ホイラー四氏会合、談合アリタリ
        此日会議全部ヲ結了シ、目出度散会ス
  ○アレグザンダーノ"In Tribute to Viscount Eiichi Shibusawa"ト題スル一文ハ"Japan"Jun. 1932ニ掲ゲラレタリ。


竜門雑誌 第五四二号・第一七―二四頁 昭和八年一一月 故渋沢子爵に就いて憶出づる事ども 子爵金子堅太郎(DK350055k-0009)
第35巻 p.313-315 ページ画像

竜門雑誌 第五四二号・第一七―二四頁 昭和八年一一月
    故渋沢子爵に就いて憶出づる事ども
                   子爵 金子堅太郎
  青淵先生の三回忌を記念し、併せて聊か敬慕の微衷を表する為め記者は十一月五日金子子爵を葉山一色の別墅にお訪ねして、青淵先生に就いての追憶談を承る。内容は大体三通りに岐れ、第一は子爵
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が筑豊炭鉱の開放に就いて、始めて青淵先生と胸襟を開かれた事の次第、第二段は子爵が日清戦役後の財界熱狂期に際し、企業濫興の弊を警めて、青淵先生と益々意気投合せられた事情、第三段は子爵が日米両国間の紛争を解決せんとして、青淵先生と共に尽瘁せられた始終の経緯であつて、標題は記者独断の選になるものである。
○中略
      日米関係に就いて共に尽瘁
 第三は日米間の紛争に関することであるが、渋沢君も私も最も苦心を重ねたのはこの日米関係であつて、謂はゞ同君とは正に苦衷を共にしたと云ふ訳である。
 その最初は彼のカリフォルニアに於ける外人土地所有禁止問題に端を発するものであるが、当時何分にも斯やうな排日的政策が、追々太平洋沿岸の諸州一般にも波及するやうな形勢に在つたので、斯くては啻に邦人の海外発展上に重大な影響を及ぼすと言ふだけではなく、実に我帝国の名誉に関して、断じて黙視すべからざる所だと思つたので私は何とかこれを阻止しやうと決心したのである。それに就いても真先に賛意を表した人は渋沢君であつた。
 そこで私は渋沢君と協議して、先づカリフォルニア商業会議所の会頭のアレキサンダー・フィンチ《(及リンチ)》と云ふ人に交渉をして、先方から適当な人物の来朝を誘ひ、我国の実状を見学せしめて、その理解に愬え、以て土地所有禁止法を始め排日法案が先方の州議会に提出せられないやうに、喰止め運動を依頼することになつたのである。その委員として先方からは、前蔵相のライマン・ゲージ、曩のタフト大統領の弟のヘンレ・タフト、米国商業会議所会頭のキングスレー、その他イーストメン、コーネル大学総長シユールメン、ジュリアン・ストリートなどの諸氏が選ばれ、我国側からは、日米関係委員会の渋沢君及び私を始め阪谷・目賀田・井上(準之助)・団・添田・姉崎・堀越などの諸君が出席することになつて、銀行集会所で一週間に亘つて協議を重ねたのである。
 ところで私は枢密顧問官の任に在るので、其やうな半公式な国際会議に出席するのは何うかと思ひ、山県議長にその趣を伺つたところ、山県議長は『日米問題は重大なるものに付十分に又自由に活動せられんことを望む』と云つて快諾せられたので、そこで私も心置きなく出席したのであるが、兎に角日米間の協議会に於ては、双方共に全く腹蔵なく思ふが儘を主張すると云ふ申合せであつたので、先方の委員の中には、頻に我在米移民の不行跡などを高言するやうな者もあつた。
 これに対して吾々としては、無論段々と事理を説いて、極力先方の誤を訂した上、日本としては何としても斯やうな土地所有禁止法案には反対せざるを得ないとて、力説反駁大に務めたのであるが、然るに当時の形勢はドウモ我方に益々不利に傾いて、独りカリフォルニアばかりではなく、太平洋沿岸方面の諸州もこれに倣ひ、遂には東部方面にも伝播するやうな傾向すら見えて来たから、私は華盛頓政府を動かして、斯様な禁止法案の阻止を図るより外はないと思ひ、高等聯合委員会を開設しやうと云ふ案を提出した。尤も是は必ずしも私の創設案
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と云ふ訳ではなく、実は往年英米間にニユー・ファウンドランドの漁業問題その他に関して、両国間に屡々紛争を起した当時、これが解決を図る為め、米国政府の主張したる高等聯合委員会を設け、双方から七名づゝの委員を選挙し、倫敦で懇談的に商議を重ねしめた結果、遂に協調点を見出して彼の華盛頓条約を締結して、英米間の紛争を解決するに至つたと云ふ先例に依りたるものである。
 で、私はこの先例に準拠して、日米間にも同様の委員会を設置せんことを提唱したのであるが、元来米国の外交は一種特別のものにして斯やうな問題に就いては大使と外務大臣とが儀式張つて外交辞令を交換して居たのでは、到底円満なる協調などは出来るものでない。それよりも寧ろ双方から五人位づゝの委員を出して華盛頓に聯合委員会を開設し、凡ゆる材料を持寄つて全く腹蔵のない意見を交換したならば宜からうと云ふ意味であつた。
 すると渋沢君もそれは名案だと云つて直に賛成の意を表せられ、又米国側のヴアンダーリップ以下の人々も賛成したので、愈々華盛頓政府に其旨を申込むと共に、我外務大臣にもその趣を報告して、両国政府をして之を採用せしむることに決定して閉会した。これには無論米国政府としても異存のあらう筈はないので、外務大臣もそれに同意を表されて、我外務省からも同様華盛頓政府に対し、当方の要望に応諾せんことを勧説したのであるが、米国政府はそれに同意を表しない。
 その同意を表しない理由としては、『凡そ外人土地所有禁止法案の如きは、敢て日本人を排斥するの意図に出でたるものではないけれども兎に角それは米国に於ては専ら国内法に依つて律せらるべき問題であつて、国際的交渉に附すべきの限りではない』と云ふのであつた。併しながら市民権なき人種即ち日本人には土地所有禁止法は日本の立場からすれば、明かに国家の名誉を涓されるものである。イヤ実に大日本帝国としての体面に関する問題であるのだから、当然国際交渉案件として取扱はざるべからざるものであると云つて、極力反駁説破したのである。
 これには先方としても固より一言の弁解も有るべき筈はないので、完全な答弁は出来ない。謂はゞ言を左右に託して責任の追及を避けて居たのであるが、然もその間にカリフォルニアの外人土地所有禁止法案は遂に州議会を通過し、延いてそれが太平洋一帯の諸州に伝播したばかりでなく、最後には大正十四年中、例の人種差別に依る移民の入国禁止をすら強行するに至つたと云ふ次第である。
○下略
  ○右談話ハ日米関係委員協議会ト次掲日米有志協議会ノ両者ヲ混同セルモノノゴトシ。