公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第35巻 p.471-473(DK350062k) ページ画像
明治45年6月29日(1912年)
是日栄一、カーネギー世界平和財団派遣ノアメリカ合衆国ハーバート大学名誉総長チャールズ・ダブリュー・エリオットヲ、東京蚕業講習所ニ案内シ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ開ク。
渋沢栄一 日記 明治四五年(DK350062k-0001)
第35巻 p.471 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治四五年 (渋沢子爵家所蔵)
五月二十七日 晴 暖
午前○中略外務省ニ抵リ○中略阪井徳太郎氏トエリオツト氏来着後ノ接待ノ事ヲ談ス○下略
○中略。
六月二十日 雨 暑
十二時銀行倶楽部ニ抵リ、日本協会協賛会委員小野・福井・頭本三氏ト𥿻物出品協会員三越・白木屋・飯田・西村四氏ト種々出品ニ付テノ協議ヲ為ス、畢テエリオツト氏歓迎ノ事ヲ談ス○下略
竜門雑誌 第二九〇号・第七五―七六頁明治四五年七月 ○青淵先生とヱリオツト博士(DK350062k-0002)
第35巻 p.471-472 ページ画像
竜門雑誌 第二九〇号・第七五―七六頁明治四五年七月
○青淵先生とヱリオツト博士
青淵先生は、過般来朝せられたる米国ハーヴアト大学名誉総長ヱリオツト博士とは未見の間柄なれども、博士の来朝を機として、日米間に関する各種の問題に就て、彼此れ意見を交換したしとて、博士が日本に到着前書面を以て、其の意を致したるに、博士も之を快諾して、予定の通り来朝せられたるを以て、青淵先生には六月二十九日を期し、同博士・同令夫人・同孫令嬢及秘書役パース氏を、飛鳥山別邸に招待せられたり、当日は予て青淵先生より西ケ原蚕業講習所長本多博士に依頼して、同博士一行に日米間の貿易品中尤も重要なる生糸製造の現況を一覧せしむる都合なりしかば、青淵先生には令夫人・穂積博士・同令夫人・阪谷男爵・同令夫人・明石令夫人と共に、同講習所に到りて博士の一行を迎ふ、午後零時半博士は令夫人・令孫嬢並にパース秘書役及阪井外務秘書官と共に自働車を駆りて同所に着し、青淵先生及び本多所長の案内にて先づ楼上休憩室に少憩の後、階上・階下・陳列室を参観し、最後に同講習生の養蚕実習より生糸製出に至る迄の経過
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並に桑葉成育等に付き一々本多所長より説明したれば、博士の一行は意外の感興を得たりとて大に満足し、夫れより一同相連て飛鳥山なる先生の別邸に到り、已に到着せる陪賓諸氏に接見の上、青淵先生の一族及陪賓と共に同邸の日本式大広間に特に出来らへたる洋式の食卓に就かれたり、食後先生には博士及び秘書役パース氏及陪賓諸氏を同邸内の愛蓮堂に導き、宗教其他時事問題に就て相互に腹蔵なく意見を交換し、又青淵先生令夫人・穂積令夫人・阪谷男爵令夫人・明石令夫人は博士令夫人・令孫嬢を導きて同邸内の茶室に到り抹茶を饗し、夫れより共に庭園を散歩して特に園内に設けたる楽焼の有様を観めしけるに、令孫嬢は紀念の為とて茶碗に文字を画きて焼付をなす抔大に興に入りて非常に満足せられたる由なるが、ヱリオツト博士一行は当日同邸より王子停車場に赴き、午後四時三十七分同所発の汽車にて日光に赴かれたり、尚当日の陪賓諸氏は左の如し。
井上哲次郎 早川千吉郎 豊川良平
小野英二郎 男爵高橋是清 中島力造
成瀬仁蔵 浮田和民 デー・シー・グリーン
倉地鉄吉 マツク・カウレード博士 福井菊三郎
姉崎正治 阪井徳太郎 佐々木勇之助
ギユーリキ 男爵吉川重吉 頭本元貞
招客書類 (一) 【明治四十五年六月二十九日午後零時半、於飛鳥山邸 米国ハーヴアート大学名誉総長エリオツト博士一行招待会】(DK350062k-0003)
第35巻 p.472-473 ページ画像
招客書類 (一) (渋沢子爵家所蔵)
明治四十五年六月二十九日午後零時半、於飛鳥山邸
米国ハーヴアート大学名誉総長エリオツト博士一行招待会
エリオツト
同夫人
同孫令嬢
パース
井上哲次郎
早川千吉郎
豊川良平
小野英二郎
男 高橋是清
中島力造
成瀬仁蔵
浮田和民
デー・シー・グリーン
倉知鉄吉
マツク・カウレード
福井菊三郎
姉崎正治
阪井徳太郎
佐々木勇之助
ギユーリツク
- 第35巻 p.473 -ページ画像
男 吉川重吉
頭本元貞
主人
主夫人
穂積陳重
同夫人
男 阪谷芳郎
同夫人
明石愛子