デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
8款 日米協会
■綱文

第35巻 p.567-571(DK350106k) ページ画像

大正7年3月26日(1918年)

是日、当協会主催前アメリカ合衆国駐箚特命全権大使佐藤愛麿及ビ同国特派財政経済委員長目賀田種太郎外委員一行帰朝歓迎、並ニ新任同国駐箚特命全権大使石井菊次郎送別晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK350106k-0001)
第35巻 p.567 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正七年 (渋沢子爵家所蔵)
三月二十六日 曇 朝ニ至リテ雨ハ歇ミタレトモ風強クシテ道路砂塵多クシテ咫尺ヲ弁セサリキ
○上略 三時事務所ニ抵リテ○中略七時日米協会ヲ開キ、日本人・米人トモニ条理上公明正大ノ気風才識ヲ修ムル事ヲ勧告ス
○下略


(日米協会)邦文記録 第壱号(DK350106k-0002)
第35巻 p.567-568 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
    第三十 駐米特命全権大使佐藤愛麿氏、特派財政経済委員一行歓迎並ニ新ニ米国駐箚特命全権大使ニ任セラレタル子爵石井菊次郎氏送別晩餐会
一、時日 大正七年三月二十六日午後七時(最初三月十九日ニ決定シ其旨各会員ニ通知セルモ都合アリテ本日ニ変更ス)
二、場所 丸ノ内銀行倶楽部
三、献立 東洋軒(メヌーハ宴会綴参照)
四、楽隊 三越音楽隊(同上)
五、司会者 金子会長
六、出席者 百弐拾九名(同上)
七、来賓    特命全権大使 子爵 石井菊次郎氏
        特命全権大使    佐藤愛麿氏
               男爵 目賀田種太郎氏
 - 第35巻 p.568 -ページ画像 
               男爵 伊藤文吉氏
                  山下芳太郎民
                  米山梅吉氏
                  松本脩氏
                  坂口武之助氏
                  菱田静治氏
  陪賓      外務大臣 子爵 本野一郎氏
        米国大使 ローランド・エス・モリス氏
八、宴会状況 午後六時三十分ヨリ会見続々参集、七時十分ニハ階下ノ大客間ヨリホール共ニ人ヲ以テ埋マリ、新聞社写真隊ノ撮影ニ努ムルアリ、「カクテル」ヲ「サーヴ」スル頃ニハ殆ント立錐ノ余地ナシ、七時半開宴、奏楽裡ニ談笑湧クガ如シ
九、トースト 日本天皇陛下万歳 米国大使発声 国歌ヲ奏ス
       米国大統領万歳  本野外相発声 同上
十、右終ツテ左ノ順序ニ依リ演説アリ(宴会綴、新聞切抜参照)
   金子会長
   米国大使
   男爵渋沢栄一氏
   ブレーキ氏
   高峰譲吉氏
   佐藤大使
   目賀田男爵
   石井大使
右終テ尚別室ニ於テ閑談ヲ続ケ、散会セルハ午後十一時、非常ノ盛況ヲ呈セリ。


竜門雑誌 第三五九号・第六九頁大正七年四月 ○日米協会の歓送迎会(DK350106k-0003)
第35巻 p.568 ページ画像

竜門雑誌 第三五九号・第六九頁大正七年四月
○日米協会の歓送迎会 日米協会にては三月廿六日夜、丸の内銀行倶楽部に於て新任石井駐米大使送別、佐藤前駐米大使、目賀田遣米財政経済委員長並に同委員一行歓迎の為め、盛大なる晩餐会を催したり。
参会者は
    青淵先生      モーリス米国大使 本野外相
    シドモア米国総領事 徳川家達公    島村軍令部長
    瓜生大将      広沢伯      大倉男
    高峰博士
等京浜間の主なる貴紳百五十余名。宴酣なる頃、米国大使は立つて我が、天皇陛下の万歳を、本野外相は立つて米国大統領の健康を祝し、それより同会々長金子子爵、米国大使、青淵先生、米国貿易会社副社長ブレーク氏、高峰博士等交々も立つて日米親交と熱心なる歓送迎の演説あり、石井大使、佐藤前大使、目賀田男亦之に対して慇懃に感謝の辞を述ぶる所あり、主客一同、隔意なき歓談笑語の裡に午後十時過ぎ散会せりと云ふ。
 当日青淵先生の演説要旨は左の如くなりき。
○下略
 - 第35巻 p.569 -ページ画像 


読売新聞 第一四七一六号大正七年三月二七日 日米協会晩餐 新旧駐米大使送迎 目賀田男一行歓迎(DK350106k-0004)
第35巻 p.569 ページ画像

読在新聞 第一四七一六号大正七年三月二七日
    ○日米協会晩餐
      ▽新旧駐米大使送迎
      ▽目賀田男一行歓迎
○上略
  △渋沢男演説(要旨)
 佐藤君の大使として華盛頓府の駐在は二年の歳月を経過せられた、此間欧洲の戦乱に際して日米の国交上に種々重要なる事件があつたであらう、日米両国の政治界若くは実業界の事物が益々適順に進歩発展するのは大使の与つて力ある所と感謝せねばならぬ、目賀田男爵は昨年秋冬の交実業界の有力なる諸氏を率ゐ財政経済委員長として渡米せられたが、男爵は僅々四箇月を経て本年二月御帰朝になりました、其の御尽力の効果は吾々の予期した以上である、殊に日米間の実業協力が我隣邦にまで発展したのは私が数年前に主張した意見の実現とも云ふべきである、私は荒蕪を開きて種を播き男爵が耕耘培養せられて花を開くの時期が来つたやうに思はる、併し吾々は更に立派なる実を結ばしめねばならぬ、米国の事情に精通し先般特派大使として赴任されて日米共同宣言書の発表を見るに至らしめた石井子爵が、米国に駐在の大使とならるることは日米国交の親善を益々増進するものと信じます、外交に関する事は兎角術数に傾き易い、口は右を言ひながら心は左に存することを往々見聞する、斯の如きは国際道徳を重んずる政治家の屑しとせざる所であらう、殊に亜米利加は正義人道を重じ常に真摯質実に其意見を吐露する国風と承つてゐる、子爵の執る所の主義も全く亜米利加の夫れと同一である、物質文明は年一年と進み各自只自己の利益のみを主張し、終に徳義に悖り忠恕に欠けるやうに成行くは殆ど世界の通弊である、其弊書は益々拡大して人は忽ち虎狼と化する、此大弊害を除却するは国際間の道徳を修め彼我の衷情を吐露し互に忠恕の心を以て処理するにあると信じます、子爵は必ず私の前陳の理想を満足に行はれるであらうと期待して此行を御送りする、四年前に私は亜米利加に旅行しまして華盛頓にて大統領ウヰルソン閣下に謁見する光栄を荷ひました、其時に大統領は私が日米の親善の為に再三米国に旅行したるを賞されて、西洋の諺に旅行者は国境を踏み均すと云ふことがある、足下の足跡は必ずや日米間の道路を平かにするであらうと言はれた、私は即座に微力其任に当りませぬけれども若しも日米間の国境に険岨の所ありとするならば、私の足跡が其一部たりとも平坦たらしめたい故に幾度も旅行を重ぬることを期念して居りますと御答へした、併し私一人の足跡では決して、両国の国境を十分踏み均すことは出来ぬ、幸ひ今日送迎する諸閣下の巨大なる足跡こそ、真に両国の国境を平坦にするものと信じます
○下略


中外商業新報 第一一四八九号大正七年三月二七日 ○新旧大使送迎会 日米協会主催(DK350106k-0005)
第35巻 p.569-570 ページ画像

中外商業新報 第一一四八九号大正七年三月二七日
 - 第35巻 p.570 -ページ画像 
    ○新旧大使送迎会
      日米協会主催
日米協会は二十六日午後七時より永楽町銀行集会所にて石井菊次郎子及佐藤愛麿氏を主賓とせる新旧駐米大使送迎晩餐会を開催し、デザートコースに入るや金子会頭の挨拶に次で米国大使
△モーリス氏 大要左の如き演説を試む
 石井子爵は既に日米両国の和衷理解に寄与する事多大なりしが、更に之を助長せしむ可き非凡の資格を有せり、即ち米国を善く知り且つ其の風習を理解せる上の慣習に熟達す、殊に子爵は既に特派使節として米国国務卿が称賛せし如くウヰルソン大統領の示せし新時代の外交を旨とし、苟くも権謀術数を用ゐず、表裏相反せず、常に新しき外交を説き夫を実行したり、子爵の成功は人格の賜物也、今や米国民は子爵を迎ふる事に依りて、日本が米国に対し真に篤き友情を有する事を知るに至れり
次で米国貿易会社副社長ブレーク氏及渋沢男爵の演説ありたる後
△目賀田男爵 起ちて先づ滞米中の米人の好意を感謝し
 吾等臨時経済調査委員の一行が官吏・実業家・銀行家等より成り、外交と経済と二重の意義を有せるは先例無き所にして両国民協力の機会を甚だ多からしめたり、且又日本在住の米国人諸君が一行の極東に於ける日米共同発展計画を完成せしめんが為に有益なる指導を与へしに対し、公然感謝の意を表す、云々
と述べ
△最後に石井子 喝采裡に起ちて大要左の如く演説す
 今回余の受けたる新使命は実に容易ならざるものにて、最初幾度か辞退せしも、而も此恐る可き世界の大戦中、愛国心ある者は自己一身の思想事情を犠牲にして能力の凡てを国家と人道との為に寄与せざる可らず、余は成金ならざる故戦時利得税を納むる資格無きを以て唯身を以て時局に当らんと玆に此大任を受けし次第也、余の短所は尠からざるが就中陰謀と表裏反覆との外交は余の不得手とする所而も此短所は米国に於ては或は成功の原因たらん乎(大喝采)否余は既に米国に於てマキアヴヱリー式の外交を容るに余地無きに驚嘆せり、惟ふに本戦争の結果として外交の根本的変化を来し、共に率直と真摯とを中心とするに至る可きはモーリス氏の曾て為せし演説の如けん、余は之を善く会得し全力を傾注して日米両国の親和を図らんとす、云々
斯くて会を閉ぢたるは午後十時過なりき、当夜出席者の重なる者左の如し
 本野外相、モーリス大使、石井子、佐藤愛麿氏、シドモーア総領事徳川公、渋沢男、島村・瓜生両大将、高峰博士、大倉男、広沢男等百五十余名
   ○是ヨリ先石井菊次郎ハ大正七年一月三十一日付ヲ以テ任務終了ニ付、特命全権大使ヲ免ゼラレタリ。(「官報」第一六四九号・大正七年二月二日)



〔参考〕集会日時通知表 大正七年(DK350106k-0006)
第35巻 p.570-571 ページ画像

集会日時通知表 大正七年 (渋沢子爵家所蔵)
 - 第35巻 p.571 -ページ画像 
三月十三日 水 午後四時 三島子爵ヨリ御案内、目賀田勇爵一行招待会(日本銀行社宅)
   ○中略。
三月十六日 土 午後六時 目賀田男爵招待会(日本工業クラブ)
   ○中略。
四月四日 木 午前九時十五分 石井大使東京駅出発(電車)