デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.400-404(DK360159k) ページ画像

大正9年9月13日(1920年)

是ヨリ先九月九日、当協会相談会ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一、徳川家達・阪谷芳郎等ト共ニ首相官邸ニ開カルベキ実業家招待会ニツキ協議ス。是日総理大臣官邸ニ実業家招待晩餐会催サレ、当協会基金募集ニツキ内閣総理大臣原敬・外務大臣内田康哉演説スル所アリ、栄一当協会会長トシテ総裁徳川家達ト共ニマタ演説ス。次イデ十七日栄一、首相原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、国際聯盟協会聯合会議ニ派遣スベキ代表者ノ人選ニツキ打合セヲナス。


■資料

国際聯盟 第一巻第一号・国際聯盟協会々報第二六―三一頁大正九年一一月 国際聯盟協会成立後の経過(八)相談会(DK360159k-0001)
第36巻 p.400-402 ページ画像

国際聯盟 第一巻第一号・国際聯盟協会々報第二六―三一頁大正九年一一月
 ○国際聯盟協会成立後の経過
    (八)相談会
 時日 九月九日 場所 丸之内 銀行倶楽部
 出席者 徳川総裁、渋沢会長、阪谷・添田両副会長、井上会計監督、沢田幹事
 (一)首相官邸招待会に関する件 首相に於て快諾せられたることは、前項所載通なるが、七月中臨時議会あり引続き夏季休暇となり、延期に延期を重ね居りたる処、愈々九月十三日、之を催すことに決定したるを以て、之に招待すべき人名及之に割当依頼すべき金額等、予め決定し置く必要あり、依て本会を催すことゝなれり。
 (二)報告 来る可き第四回国際聯盟協会聯合総会に出席すべき本邦代表者の件に関し、予て在仏松井大使に対し、在欧本邦人中より適当の人選定方依頼し置きたる次第なるが、七月三十日大使より外務省を経て、左の通り電報し呉れられたり。
 - 第36巻 p.401 -ページ画像 
 国際聯盟協会聯合会議は来る十月十二日「ミラン」に開催の旨「ユウゼンペー」氏より通報ありたり。尚同会議本邦協会代表者選定の件、折角注意し居れるも、未だ適当の人選を得るに至らず、右期日頃渡欧すべき本邦人にして適当の向きもあらば、其の姓名等参考迄御電報を請ふ。
依て協議の結果、外務省に依頼し八月二十五日、在仏松井大使宛左の電報を発せり。
 目下「オリンピック」大会出席中の嘉納治五郎氏、或は度量衡会議本邦代表者として目下渡欧の途中に在る田中館博士に、本邦協会代表方勧誘を試みられ度く、尤も在欧本邦人中に右両者以上に適当と思考せらるゝもの御気付の節は、可然御選定相成度旨、協会側より申出あり。
 (三)協議 十三日、首相官邸に招待すべき京浜実業家の氏名を決定し、之に寄附方を依頼すべき金額の件は会長に一任し、併せて当日宴席上、総理大臣・外務大臣に一場の演説を乞ひ、総裁・会長よりも夫々挨拶を為すべきことに決す。
    (九)首相官邸招待会
 時日 九月十三日 招待者 原首相
 来会者 磯村豊太郎○外百十五名氏名略ス
      原首相の演説
 夢の如くに考へ居たる聯盟の弥々成立したるを喜び、本協会の成立に関しても大いに賛同を表し、本協会発展の為めに民間有志の基金の寄附方を勧誘し、政府としても当然出来得るだけは援助すべき筈なりとの趣旨を述ぶ。
      内田外相の演説
 幼年にして佐久間象山の伝記を読みし時、其の内に、象山が五十にして五世界に関係すといへるを見て、如何にも誇大の言の如く考へ居たりしが、今や日本は五大国の一となり、我が国民にして国際的問題に関係するは、則ち五世界に関係するものなり。
 国際聯盟の事たる至大の問題にして、右は世界の平和を確立し、人類の幸福を増進するを以て目的とするものなるが、何分成立日尚浅く完璧を期するは不可能の事たり、然れども聯盟の機関は既に其の運用を開始し、今日迄既に八回の理事会を開き、総会も来る十一月十五日を以て開かるゝことゝなり、既に新渡戸博士の如きは、聯盟事務局の枢要なる地位を占め居らるゝ有様なり。米国は未だ平和条約に批准せずと雖も、余は米国も結局は聯盟に参加する事となり、従つて聯盟所期の目的を貫徹するに至るべしと信ず。
 抑々聯盟の成立が輿論の反映なりしが如く、此れが達成にも是非国民の後援を必要とす。而して聯盟協会は、一にこの輿論の代表者たるべきものにして、将来の発展を祈つて止まざる次第なり。
      徳川総裁の挨拶
 不才をも顧ず、総裁たることを承諾せる上は、諸君の有力なる援助によつて、何等か本協会の為に尽す所あらんとす。
      渋沢会長の演説
 - 第36巻 p.402 -ページ画像 
 今夕、吾等協会側より首相に御願ひして、宴会を催せらるゝ事となりしに、斯く多数の御来臨を得たるは、首相並に御来賓に対して、深く御礼を申上げざる可からざる次第なり。余の如きものが本会々長の重任を辱しむることは、自ら恐縮致し居る所なるも、大戦中熟々考ふるに、世の中が進めば進むほど戦争の手段が進歩し、益々悲惨の度を加ふるに至り、欧洲先進国も、深く今迄の如き、力づく、智恵づくの国際関係の非なるを悟り、其の考が此度の国際聯盟を成立せしめた所以なるべしと信ず。尤もかゝる点は政治外交の問題にして、吾等門外漢の立入る可き範囲には非ざるべきも、世界平和の維持は、私共弱者の平素痛切に感ずる所なるを以て、双手を挙げて聯盟の成立を祝福せし次第なり。然るに米国が之に加盟せざる為め、聯盟の発達上多大の支障を来せしは、実に遺憾の点なるも、之に就ては先きに「ヴァンダーリップ」氏来遊の際、篤と其の意見を尋ねたる所、十一月の選挙以後ともならば、必ず加盟に決定すべしとの事なりしを以て、聊か心を休め居る次第なり。
 欧米各国に民間の有力者が、聯盟の趣旨を貫徹するを目的とする協会を組織せし事は、予て聞き及べる所なるが、五大国の一となりし我国に於ても、識者の責は決して軽しとはいふ可からず。官民一途、大いに聯盟の精神達成の為めに尽力することゝ致し度し、本協会の活動の為めには、或は代表者を聯合会議に派遣し、或は調査設備、事務所事務員、雑誌其他の刊行、外来賓客の接待等の為めに、極く大体を以て申せば十二・三万円の年々の費用を要すべく、之を一定の資金にて調達せんとすれば、二百万円の基本金を要するを以て、此の際特に民間有力者の、御力添を御願致す次第なり。尤も本協会の如き、事業に対しては、政府並に帝室よりも御援助有之事と考へらる。自分に於て会長を承諾致したるも、全くこの基金募集の為にして、余は生のあらん限り協会の為に尽力致し度き決心なり。右の如き次第なるにつき、是非諸君の如き有力者よりの御援助を懇願する次第なり。
      大倉男の挨拶
 首相招待に対し、一同に代りて感謝の意を表彰し、協会所要の資金醵出方に付ては、応分の尽力を為すべきことを述ぶ。
   ○「東京日日新聞」第一五七八三号大正九年九月十五日ニモ右ノ記事アリ。


中外商業新報 第一二三八七号大正九年九月一四日 聯盟協会協議(DK360159k-0002)
第36巻 p.402 ページ画像

中外商業新報 第一二三八七号大正九年九月一四日
    聯盟協会協議
原首相は国際聯盟協会に関する協議をなす為め、十三日午後六時より永田町首相官邸に井上日銀総裁・徳川貴族院議長・渋沢子・阪谷男等の協会員、及び早川千吉郎・池田謙三・原富太郎・大倉喜八郎男・梶原正金銀行頭取・和田豊治等百余名を招待し、種々懇談する所ありて午後九時散会せり


集会日時通知表 大正九年(DK360159k-0003)
第36巻 p.402-403 ページ画像

集会日時通知表 大正九年 (渋沢子爵家所蔵)
九月十三日 月     国際聯盟協会ノ件ニ付、御会合前内閣総理大臣ト御会合ノ筈
 - 第36巻 p.403 -ページ画像 
       午後六時 原総理大臣ヨリ御招待(同官邸)
   ○中略。
九月十七日 金 午後三時 原首相ヲ御訪問


竜門雑誌 第三八九号・第七〇頁大正九年一〇月 ○国際聯盟協会(DK360159k-0004)
第36巻 p.403 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第七〇頁大正九年一〇月
○国際聯盟協会 原首相が九月十三日午後六時、永田町官邸に、京浜の実業家百二十余名を招待して、同協会の基金募集に関する助力を懇請したる記事は、既に之を報ぜり、今当日同会々長としての青淵先生演説の要旨を、左に掲ぐ
   ○演説前掲ニツキ略ス。
尚ほ十七日午後、青淵先生は原首相を訪問の上、来十一月ゼネヴアに開催の国際聯盟会議に派遣すべき代表者の人選、其他の件に付、種々打合せられたるやに伝へらる、尚同会理事会は、九月廿一日正午銀行倶楽部に於て、十月一日正午華族会館に於て、又七日午後三時添田博士邸に於て開会せられたるが、青淵先生には都度御臨席の上協議せらるゝ所ありたる由。



〔参考〕国際知識 第一二巻第二号・第一二―一三頁昭和七年二月 渋沢前会長の追憶 本協会副会長法学博士山川端夫(DK360159k-0005)
第36巻 p.403-404 ページ画像

国際知識 第一二巻第二号・第一二―一三頁昭和七年二月
    渋沢前会長の追憶
                本協会副会長法学博士山川端夫
○上略
      (五)
 会は成立したが、愈々活動を開始するに就ては財源を得なければならぬ。時あたかも大正九年の恐慌直後に当り、有志の寄附を募集するには非常の困難があつた。故渋沢会長の苦心を援助する意味に於て原首相は、大正九年九月十三日、首相官邸に京浜の有力者百二・三十名を招待した。席上、原首相は協会の成立を喜び、民間有志の基金の寄附方を勧誘し、政府としても出来得るだけは援助すべき旨を述べられた。内田外相・徳川総裁からも挨拶があつた後、故子爵の会長としての熱誠を籠めた演説があつて、段々民間有志の援助を受くるに至り、本会の基礎も漸く定まるに至つたのである。財界不況の際にも拘らず事のここに運んだのは全く故人の熱心と人徳の然らしむるところと思はれる。
 故子爵はひとり本会の財政方面につき、右の如く配慮せられたのみならず、会務の一般に亘り細心の注意と、変らざる熱心を以て、指導に任ぜられた。本会の理事会が開かるゝ場合は勿論、一般公衆に向つての講演会、比較的少数者の講話会、来朝名士の接待会等にも、御病気等已むを得ざる場合の外は、必らず出席せられ、其の都度、何かと挨拶を述べられ、来会者に無上の満足を与へられた。もつとも晩年には兎角病床にふせり勝ちで、外出等は周囲からの注意もあり、能ふ限り避けられて御いでのやうであつたが、それでも本協会のことゝなると、無理をしてでも出るといふ風で、周囲の方々をハラハラさせる有様であつた。例へば自ら参与たる放送局からの依頼は辞られても、本会のためには老体を推して、何回となくマイクロフオーン前に立たれ
 - 第36巻 p.404 -ページ画像 
た。蓄音器にも吹き込まれた。活動写真を作つた時などは態々カメラの前に立たれた。それらの点については渋沢事務所の方が、本誌にも執筆して下さる由であるから詳しくは述べない。
○下略