デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.442-450(DK360170k) ページ画像

大正10年6月25日(1921年)

是日、第二十八回全国商業会議所聯合会東京商業会議所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ之ニ臨ミ、国際聯盟ニ関スル講演ヲナス。


■資料

東京商業会議所報 第四巻・第七号大正一〇年七月 ○第二十八回商業会議所聯合会報告(DK360170k-0001)
第36巻 p.442 ページ画像

東京商業会議所報 第四巻・第七号大正一〇年七月
    ○第二十八回商業会議所聯合会報告
一、大正十年六月二十四日より同二十六日に至る三日間、当所に於て第二十八回商業会議所聯合会を開催、出席会議所は六十箇所、人員二百二人○中略
一、六月二十五日の本会議に子爵渋沢栄一君臨席せられ、国際聯盟に関する講演ありたり(講演の速記は別に掲ぐ)


東京商業会議所報 第四巻・第九号大正一〇年九月 ○全国商業会議所聯合会に於ける渋沢子爵演説速記録(DK360170k-0002)
第36巻 p.442-449 ページ画像

東京商業会議所報 第四巻・第九号大正一〇年九月
    ○全国商業会議所聯合会に於ける渋沢子爵演説速記録
 会頭、満場の諸君、唯今当商業会議所会頭藤山君から御紹介下さいました通り、私が渋沢栄一でございます、是れより国際聯盟協会のことに付て、開陳する事がございまするが、元来私は外国の事情に疎い上に外国の書物も読めず、玆に御話をする国際聯盟の事柄に付ても、頗る杜撰であらうと思ふのでございますが、此辺はどうぞ御用赦を御願ひ申上げます、而して私が左様に海外の事情に疎く、外国語も解せず書物も読めぬ身を以て、恬として国際聯盟協会の会長を引受けたかと云ふことが、第一の疑問でございます、故に此御申訳から先に話さぬと、次に申述べますことが不徹底にならうと思ひますから、無用な弁のやうでございますけれども、其顛末を簡単に申上げやうと思ひます。
 - 第36巻 p.443 -ページ画像 
 元来私は平和論者でありまして、世の中のことは相争ひ、相闘ふに至らずして各自其進歩を図られるものである、蓋し人類が互に相生存して其発展を努むるに付ては自然に相競ひ、或る場合には相争ふと云ふことは免れぬのである、蓋し優勝劣敗は唯人類ばかりでなく、各種の動物若くは植物にもあるのであります、現に「ダーウヰン」は適者生存を説て――継続的に生存するものは適者である、適者は必ず生存する、即ち優勝劣敗の間に各其福利を増進して行くと申してあります去りながら人類は他の動物と違つて知識を以て世に立ち、仁愛を以て物に接する以上、弱肉強食と云ふことは決して行ふものではない、想ふに人類も其初めは猿から変化したと云へますから、或は野獣性を帯び居るかも知れませぬ、去りながら漢学者は天地人を三才と唱へて、天の宇宙を蔽ふ所以、地の万物を載せる所以、人の社会を経理する所以、此三つを称して三才とし、古書にも三才は天地人と云ふ本文があります、此人たるものは縦令其昔は猿かも知れませぬけれども、既に段々と知識が進んで来た今日は、闘争に依らずとも生活はして行ける筈である、若しも知識を増しつゝも貪慾の極相争ひ相食むに至るものとするならば、他の動物と何ぞ撰ばんやであつて、詰り知識の増す程禍害が強くなる訳である、兎や鼠の争は其力の微なるがため、殺伐の程度が少ないが、獅子や虎の闘争は其禍害甚だ大である、如何となれば牙も強い、爪も鋭いからである、是故に人智が次第に進んで行つて潜航艇であるとか、飛行機であるとか、総て斯の如き人を殺す戦具が殖えて来る程、禍害が益々増すことになる、私は仏教にも基督教にも帰依せぬ無宗旨の人でありますけれども、人として人を殺す以上の罪悪は無いと思ふのでございます、斯く考へますると、人たるものは文化が進み知識が増すに従つて、斯様な禍害に遠ざかり得るものと私は思つて居たのであります、玆に他国を引合に出しますのは穏当でないかも知れませぬが、例へば印度の如き若くは朝鮮の如き、此科学的文化の退歩した為めに精神上には尊ぶべき所があるにもせよ、知識の活動が頗る鈍くなつて所謂利用厚生の途が殆ど廃滅したから、縦令崇高の思想を有つて居るにもせよ、物質的方面が進歩せぬによつて、其国家は貧弱と云はんより寧ろ衰頽と云はなければならぬ様である、斯の如きは決して吾々の満足することは出来ぬのでございます故に、精神の崇高を必要と云ふことは論を俟ちませぬけれども、同時に此科学的文化を進めて行かなければならぬ、人類の発達に利用厚生の途を進めるのが必要であると云ふは、私が考へる迄もなく世界の定論であつて諸君も皆御同意下さることである、依つて私は当初其学殖もなく、又実業界のことなど知りませぬに拘らず、明治の初めから物質的文明を進めると云ふ方面に努力を致した積りで御座います、此際私自ら考へまするに、欧羅巴は此物質的文明と精神の崇高とが能く適合して居る宗教と経済とが能く調和して居るやうである、故に弱肉強食の弊害は生ぜぬであらうと想像しました、然るに東洋は支那には聖人の道と云ふものがある、日本にも歴代の聖主賢君に拠りて種々の模範とすべき教旨があるけれども、世の推移から其教旨は高閣に束ねられて、生産殖利の事業に当るものは、唯利益を得ることに熱中し、仁義道徳と云
 - 第36巻 p.444 -ページ画像 
ふものは一の形式の如くに看做し、事業の経営は互に糶り合つて、損得を争ふのでなければ成功せぬと云ふて、遂に道徳と経済とは全く隔離してしまつた、是はどうも学者の誤謬、実業家の心得違ひであるから、私は是非之を合一して利用厚生を努ると同時に、仁義道徳を保持して道徳ならざれば経済は進まぬものである、経済に依らざれば道徳は拡張せぬものであると深く信じて居りました、私の微力、爾来何等貢献することも出来ませぬが、欧米では宗教と科学とが密着して居るやうである、故に両者が恰好に進んで行つたならば戦争の如き禍害が跡を絶つ迄に行かぬでも、追々減するであらうと云ふ空想を抱いて居つたのであります、我国に於ても維新後時々忌はしい他国との戦争があつて、勝つた後は御互ひに喜びますけれども、併し戦争を喜ぶと云ふことは人類の最も恥づべきことである、欧羅巴では其後も時々、仏独等に紛議を生ずる事を聞知して、如何に成行くかと云ふて懸念をして居りましたが、忘れも致しませぬ大正二年の春であつた、モロツコの問題から独・仏両国が愈々干戈を交へたと云ふ有様に至つた、其より先き明治卅六・七年頃、露西亜の学者で「ブルーム」と云ふ人が戦争と経済と云ふ趣意で一の著述をしました、其著書は日本語に翻訳されて大分世間の人に読まれた、故井上侯爵が其著者に注目されて、或は之を賞賛し或は之を憤慨せられた、其著書中に牛と蛙との譬を引きて我が国を蛙に比喩したとて扼腕したことが御座います、而してブルームの戦争と経済と云ふ著書には、段々世界の知識が進む程戦争は減ずると云ふことが書いてあつた、其主たる理由は戦争が困難になる、莫大の資金がなければ戦争が出来ないと云ふ趣旨であつた、果して是が真理であつたかどうかは攻究しませぬけれども、其頃又亜米利加のスタンホード大学の名誉総長たるジヨルダンと云ふ人が東京に参られて、先に申しましたモロツコ問題に付て、仏蘭西と独逸とが戦争する様になりはせぬかと云ふ世評に対して、ブルーム氏と同様の意味を以て決して是は戦争にはなるまいと思ふ、若し戦争になるとすれば大金を要する、而して亜米利加の資本家は左様なことを好まぬ、戦争に使ふ金は貸さぬ、現に独逸皇帝からゼー・ピー・モルガン氏に対し依頼があつたけれども、戦争をせぬならば金を貸すけれども戦争の為めならば貸さぬと答へたと言はれたのである、事の実否は分りませぬけれども、現にスタンホード大学総長であつたジヨルダン氏の話であつた斯様な事共を聴いて居りますから、私は自己の空想を事実に現し得るものゝ如くに思惟し、又其モロツコ問題も戦争に至らずして終了しましたから、果して然り自己の考察は違はぬと云ふことを確信したのであります、併し是は私の知識がまだ足らざる処ありと言はなければならぬ、其翌年の大正三年七月廿九日から三十日に掛けて、私は東京市養育院の用務で房州に参りまして、同行の友人と欧洲戦争問題を頻りに討論しました。其の時私は決して戦争にはならぬと先程述べましたジヨルダン氏の説を引用して、愚見を開陳した所が思ひきや、事実は反対に開展して到頭独逸も動員をするとか、露西亜も同様であると云ふことに立至りましたが、私は尚ほ前説を固持して直ぐに止むであらうと言ひましたが、空想は益々違つて、段々激しくなり遂に五年の歳
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月あの通りの修羅の巷に相成つたと云ふことは、是は全く私が想像の誤りであつたと云ふことを告白せざるを得ぬのであります、爾後友人の相会する場合にも右様の意見を有つて居る所から、此戦争終局後はどうなるだらうか、始めあるものだから百年も戦争が続く筈はない、終には戦ひ疲れて止むに違ひない、其止んだ後はどうなるか、是も亦空想であつて誰も明確に斯くなるであらうと云ふ人はない、私も勿論斯ることを言ひ得るやうな想像力を有つて居りませぬ、去りながら常に世界平和の希望者でありました為めに、此大戦争に懲りた跡では、仁義道徳に依て成立する精神上の平和は出来ぬとも、少くとも人知の進んだ仕方でなりとも、是を止める道がありはしないか、いや止める道があるやうに思ふ、是を止める道はあるに相違ないが、是を講ずる人がありはしないかと云ふ希望を有つて居つたのであります、或る機会交詢社に於ける会合の時に食後の雑談として、此問題が起りまして私は来会の諸君に宿志を述べましたが、所謂痴人の夢だと云つて笑はれた、武装平和より今日の時代は望むことは出来ない、私の述べた道徳論などは迚も行はれるものでないと云ふことでありました、併しさうばかり云ふて武装平和を主張するならば、其武装の極端は矢張り之を動かすに至るのは論を俟たぬではないか、蓋し武装平和と云ふは真の平和ではない、武装即戦である、近来新聞紙や雑誌に、一寸しても経済戦と云ふことを書くけれども、是は必ず此が盛なれば彼が衰へる競争の意味を強めて戦と云ふ字を用ゆるのであらうが抑々是が気に入らない、私に言はせれば経済は戦争ではない、戦争ならば経済ではない、経済と戦争とは全く性質が違ふ、敗けて勝と云ふことが経済にもあると考へて戦争をするのだ、と解決するのは不適当極まる話ではないか、相対する一方を利し、然も亦他の一方を利するのが経済であるが、戦争に双方を利するものは決してない、戦争は利害の争ひから極端な力に訴へるのであるが、経済は双方の力が共に進んで、両者共に発展して、共に利して行くのであります、故に経済戦と云ふ言葉は、悪くすると誤解を惹起します、さう云ふ所からして自然悪辣な競争が起る、甚だしきは詐偽百出到らざる所なきに至るのであると云ふことを、極言して居りましたが、是は唯普通の場合で、今回大戦以後には何か特殊の方法が立つであらうと、私は希望して居つたのであります蓋し是も亦戦争中の空想でありましたが、大正七年の十一月十一日に休戦条役《(約カ)》が出来ると共に、其時日は能く覚えませぬけれども、亜米利加の前大統領ウヰルソン氏より十四ケ条の平和条約と云ふものを提唱すると共に、国際聯盟問題が起りましたので、私は自分の意見が適中したやうな気がしまして、而かもウヰルソン氏があの精神と勢力とを以て、世界戦乱の終熄に力を尽され、欧羅巴各国共に仁愛の情深くして、此提案は成立するであらう、如何なる方法に納まるか其程度は分らぬけれども、人類の知識が進んで相争ふことを滅絶する手段が是で出来るのだ、即ち人類の一の進歩であると斯う自信したから、其発端と思つて深く喜こんだのでございます、併し私は政治界の人でもなく又経済界も辞しまして、所謂太平の逸民で、唯自由閑散に我が子弟に向つて自己の臆説を宣伝して居るに過ぎませぬから、今申述べたやう
 - 第36巻 p.446 -ページ画像 
なことに付ても、進んで其意見を社会に発表する様なことをいたしませむけれども、心密かに若し此国際聯盟が完全に成立する様になつたら実に世界人類の幸福であると考へ、其実現を期待して居つたのであります、然るに其亜米利加の大統領の提唱されたる国際聯盟、並に講和条約も誠に不徹底なる結局に終りました、講和に付ては我が帝国からも大使が出掛けられて、其成行は諸君も御承知の通りでありますが国際聯盟は第一本元の亜米利加が、今日まで加盟しませぬ、之は私から言へば亜米利加が不都合千万な行動である、常に正義を人道と唱へる国民にして、斯る行動が能く出来たものと思ふ、私は亜米利加人に遇ふ毎に其ことを言ひます、昨年の春ワンダーリツプ氏渡来の時も、此問題に付て討論しました、又其後に参られました、ヘボン氏にも口を極めて論じましたが、それに付ては種々なる弁解がありました、聴いて見ますると尤もかも知れませぬが、個人として遠慮なく論ずれば亜米利加の不都合と言はなければならぬと信じて居ります、けれども是は所謂遠くの山へ石を投げるやうなもので、私が諸君の前に如何に亜米利加を攻撃した所が少しも利益を為しませぬ、けれども此国際聯盟其ものは、縦令亜米利加の国民が左様に不徹底なる行動であるとも私は世界の人類として必要である、必ず為さねばならぬものだと信じて居るのでございます、但し其詳細の理由は第一に世界の大勢にも精通し、各国の事情も審らかにし、其勢力の均衡をも熟知した上で、始めて論じ得べき重要問題であつて、私抔が漠然たる言語で斯ることは論断し得られるものではないと密かに思つて居りましたから、自分は進んで唱導するに至りませんでした、実は此国際聯盟協会の如きも、英吉利では速に大規模に成立した趣も聴き居りましたけれども、どうかして我が国民の輿論が此所に一致するやうにありたい、果して然らば日本にも堅実なる協会が成立つであらうと云ふ希望を有つて居りましたけれども、前述の意味から自分が口出しをすることではなからうと思つて黙して居つたのであります、但し希望として今日の場合、国際聯盟が必要であるから国民の意見を一致して、国際聯盟協会が出来たならば大に国家の為めにも相成るであらうと望を属して居りましたのでございます、昨年の冬に至りまして友人から私に、此国際聯盟協会を日本に成立するに付て其会員になれ、更に進んで責任ある位置に立てと云ふことを、現に国際聯盟に関係の深い添田博士から屡々の御勧誘であつたが、私は従来親しい間柄でありますから、そんな資格は無いと御辞退を致しましたが、是非にと云つて中々御許しがなくて遂に名ばかりの会員たることに同意し、次に其集会に出席して評議に列した結果、私が此会の会長を引受けることに相成つたのでございます此場合に至つて私は篤と考へて見ますると、其事柄をも熟知せぬ、各国の事情にも通暁せぬ殆ど無価値な私でありますけれども、前に申上げました行掛かり、唯一時心に生じた信念から多少、国際聯盟協会に縁故無いものではないと自から思ひました、況んや斯る会合には成るたけ政治経済にも直接関係せぬ人の方が適当だと云ふ、他の国々の例なども取調べました、まだ残生が幾分かある以上は縦令半生でも、敢て辞さずに尽力するのが国家に対する務ではないか、況んや人類に闘
 - 第36巻 p.447 -ページ画像 
争なからしめる方法が此所に設備されるものであると云ふことを、平素宿論とした以上は幸ひ此国際聯盟協会をして、請ふ隗より始めよの趣旨によりて、無論日本国民の多数は道理正しい主義に依つて、唯単に平和と云ふ空寂説を唱へる、但し仏教家は決して空寂とばかり言はぬであろう、私も空理空論として此寂滅を説くものではございませぬ生きた世の中には生きた人間が生きた知識を以て働かなければならぬと云ふことは論を俟ちませぬけれども、去りとて戦はぬでも生きることが出来ると云ふことは私の宿論で、戦はずに生きた世界を処理するには、或る一種の方法が必要である、其法立てば精神の修養がなければならぬ、軍艦を造るよりも台場を築くよりも、飛行機よりも、潜水艇よりも、国際聯盟が必要であると云ふことは私の信じて疑はないのであります、斯く考へました所から知識経験は他の諸君に御依頼して私は一片の小なる精神だけで、憚り多うはございますけれども、会長たることを御引受したのであります、私が会長になつたのは如何なる理由かと云ふ御問に対しての御答には、甚だ説明が長うございましたけれども、諸君に御疑ひがあらうと思ひますから、玆に沿革を陳情いたして、御了承を願ひたいと思つたのでございます。
国際聯盟協会の現況が如何なるかと云ふことは、私は玆に喋々申上げませぬが、私共本協会の幹部に居りまするものゝ希望は、どうしても此協会をして国民の輿論を玆に集注して、道理正しく如何なる場合に処しても規律あつて、叨りに進んだり又退いたりすることなく、穏健質実な手段を以て、国民の輿論が此協会に依つて貫徹するやうな道を執つて行きたい、果してそれが出来るならば、我が帝国のみで此世界の平和を保つことは出来ぬかも知れぬが、我々が良いと思ふことは他国も亦良いと思ふ、所謂徳不孤必有隣で世界の国々も必ず応じて来るに違ひない、況んや米国前大統領が当初に提唱したのであります、亜米利加人も一時は雲霧に迷はされて居るとも、其雲が霽れたならば自然に目覚めるに違ひない、左様なつたからとて直に黄金世界になるとは云へぬでせう、優勝劣敗は時に或はあるでありませうが、暴力に依つて人を圧すると云ふことだけは、除き得らると思へます、斯く改善して進み行くことを努むるのは、御同様に人類として而かも文明世界の人としての本能と考へますると、是非我が帝国を其位地に進めたいものではございませぬか、是れが国際聯盟協会に於る極く大体の希望でございます、翻つて我が帝国の現状を視ますると更に此希望を強からしむる事が多々ございます、斯様なことを申上げますると国際聯盟の会長となつた為めに、渋沢は政治家口調になつたかと、疑を受くるかも知れませぬが私は無論政治観念は少しもございませぬ、明治六年に政治界を断念して再び此死灰には火の付くやうなことはないが、概して人は政治家でないからと云ふて、苟も国家の富を図り其平和を進めて行かう、所謂人文の進歩を企図する以上は善良の政治を望まざるを得ぬのであります、故に私は政治と云ふことを忘れはしませぬ、而して現在の政治の有様を見ますると、随分悪いことが多いやうでございます、第一政治の紀綱が厳然と振粛されて居るでありませうか、反対に大に弛緩して居ると云はざるを得ぬと思ひます、又本年の議会を
 - 第36巻 p.448 -ページ画像 
通過した予算の有様などは何事でありませう、殆ど歳入の半分は軍費に使つて終ふと云ふのであります、之を数字から算へて見ると、一〇に対して四・九が軍費であります、世界で我国を軍国主義と云ふを、私共は否と反対しますが、口では言つても心では面目ない様に思はれる、十五億六・七千万の歳出中、八億に近き軍費であつてそれで軍国主義でありませぬとは余りに強弁であると、他国人は冷笑するだらうと思ふ、又我邦と他の訂盟国との国交は如何あるか、是は今の内閣ばかりが悪いのではない、数代の内閣の外交方針が間違つたからと云はなければならぬかも知れませぬが、現在日支の国交は如何、日米の国交は如何、此席にて喋々するさへも心苦しい様に感ずるのであります私は已むを得ざる事情から日華実業協会の会長に任じて居ります、爾来協会幹部の諸氏と謀りて我が政府の執る方針に就て、山東省の処分及漢口の駐屯兵の廃止を早くなさらぬと、中華民国の日本人排斥はいつ迄も継続して、詰り支那に対する商売は我か政府が妨害したと申しても宜しいと言ふて、意見書を提出して置きました、蓋しさういふことは政治問題となりませうけれども、是は已むを得ぬ事であるから為さゞるを得ぬのであると思へます、又亜米利加との関係は、如何、加州方面の移民問題は最早十五・六年の歳月を経過して居ります、紳士協約とても米国人からは頻りに不満を言はれるやうな有様で、段々悪い方に傾きつゝあるのでございます、昨年十一月の日本人排斥の国民投票が、既に多数を以て通過しました、私共は是非之を阻止したいと思つて種々力を尽しましたが、微力効を奏しませぬ、蓋し私共の効を奏さぬのは其力の足らぬのを恥るのでございますけれども、併し吾々が誠に相済まなかつたと云へば、それより以上に済まないと云ふべき職責ある人が、沢山なくてはならぬと思ふのでございます、斯様に考察して見ますると、今日の我が帝国は実に容易ならぬことではございますまいか、而して此結局はどうなるであらう、五年間の欧洲大戦乱は如何に終局したかと観察すると、結局其強弱は軍艦や鉄砲弾ではない、要するに経済上の力が遂に勝を制したと云ふて宜からう思ひます果して然らば前に申上げました、此議会を通過した軍備問題なども如何なりませうか、然らばと云つて斯る事柄の協定は、唯一国だけの希望では出来ますまい、世界を通じて最大強力ある国々の一致を以てせねばならぬことでありませう、露骨に申しますならば、日・英・米三国が協力したならば、問題も左迄困難でなく解決するであらうと思へます、何故我が政府に専心力を入れられぬのかと私は強く申したい位であります、斯る事柄は或は此商業会議所の諸君からは御職掌上、充分論議せられたことでありましようが、私が国際聯盟協会会長として言ひ得るや否やは考へものでございませうけれども、併し国際聯盟規約をして完全に進展せしむるには、単に国際の平和ばかりを希望して平和たらしむる手段を論ぜざるを得ぬことと思ひます、故に私の考へます所では国際聯盟協会としても軍備縮少問題は随分論じ得る資格ありと思ふのでございます、唯私は今此所で其方法を具体的に申上げることは出来ませぬが、是非最大要件として考慮せねばならぬことであらうと思ふ、斯く考へますると私が外国の事情も知らぬに拘らず、協
 - 第36巻 p.449 -ページ画像 
会の会長になつたのは恐縮の至りであると、今日多数諸君の前で御申訳を致しますが、それと同時に何にも知らぬ私すら斯く努力致しますから諸君にも、大に力を添へて下すつても宜いのではございませぬかと申上げざるを得ないのであります、私は国際聯盟なるものは斯様な性質である、其現況は斯うなつて居ります、其論理は斯様だと云ふ細かい説明をする知識を有つて居りませぬ、唯其大体論を申上げるまででありますから、其理論は甚だ浅薄で又甚だ杜撰であると云ふことは諸君の御叱りもありましたけれども、前に申上げた理由から我が帝国の位置は甚だ憂慮すべき時である、是は御同様国民として而かも知識階級の人として、十分に注意しなければならぬのであります、各国相接触する世の中に唯政府、否霞ケ関のみに外交のことを任かせて居れるものでないと、奮発しなければならぬではございませぬか、故に此国際聯盟協会の如き、実は諸君が我がものとして単に其の会員になるのみならず、大に力を御添へ下され、時々名論卓説を御述べ下さるのが寧ろ諸君の義務だと思ふのでございます、私も当初は甚だ不似合だと思ふて辞退はしましたけれども、進んで斯う云ふ位置に就きました以上、自分が既に這入つたからとて諸君を強迫するのではございませぬが、国家を大切に思ふ以上はどうしても今日は、吾々国民の奮発すべき時期到来と思はなければなりませぬので、自己は斯う云ふ訳で此位に立ちました、今日商工業者として国家の重きに任ぜらるゝ諸君は実に容易ならぬ時代であると云ふことに御注意あつて、此協会をして完全なる機関となる様に御援助下さることが、諸君当然の御努めであらうと思つて、玆に国際聯盟協会の御披露を致したのでございます。是で御免を蒙ります(拍手)
   ○国際聯盟協会会長トシテ講演シタル由ハ「竜門雑誌」第四〇〇号(大正一〇年九月)所載ノ演説前書ニヨル。



〔参考〕集会日時通知表 大正一〇年(DK360170k-0003)
第36巻 p.449-450 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
六月十七日 金 午後四時 国際聯盟協会理事会(同協会)
   ○中略。
六月廿三日 木 午後四時 国際聯盟協会理事会(同会)
   ○中略。
七月四日  月 午後三時 国際聯盟協会特別委員会(同会)
   ○中略。
七月十八日 月 午後一時 国際聯盟協会特別委員会(同会)
   ○中略。
七月廿一日 木 午後三時 国際聯盟協会特別委員会(同会)
   ○中略。
七月三十日 土 午後一時 国際聯盟協会理事会(同会)
   ○中略。
八月十二日 金 午後四時 国際聯盟協会理事会(同会)
   ○中略。
八月廿七日 土 午後一時 国際聯盟協会理事会(同会)
   ○中略。
九月七日  水 午後三時 国際聯盟協会特別委員会(同会)
 - 第36巻 p.450 -ページ画像 
引続 国際聯盟協会理事会(同協会)
   ○中略。
九月十二日 月 午後三時 国際聯盟協会幹部会(同会)
午後四時 国際聯盟協会催
     森賢吾・尾崎両氏招待会(華族会館)
   ○中略。
九月廿三日 金 午後五時 国際聯盟協会講演会(神田青年会館)
   ○中略。
十月六日  木 正午   国際聯盟協会理事会兼徳川公送別会(銀行クラブ)