デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.459-468(DK360176k) ページ画像

大正11年12月7日(1922年)

是日、当協会主催フランス駐箚特命全権大使石井菊次郎・オランダ駐箚特命全権公使田付七太及ビ鳩山秀夫・矢作栄蔵等ノ帰朝歓迎会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。右二先立チ、臨時理事会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。


■資料

(国際聯盟協会)会務報告 自大正一一年一一月至大正一三年三月(DK360176k-0001)
第36巻 p.459-460 ページ画像

(国際聯盟協会)会務報告 自大正一一年一一月至大正一三年三月
                (社団法人日本国際協会所蔵)
(謄写版)
国際聯盟協会事務報告 第三輯
    一、招待会
 - 第36巻 p.460 -ページ画像 
大正十一年十二月七日
  石井菊次郎子爵
  鳩山秀夫博士
  田付七太公使
  矢作栄蔵博士
  田中都吉氏
  宮崎幹之助博士
右六氏を銀行倶楽部に招待し、列席者八十六名、石井・田付・宮島・矢作の諸氏より有益なる講話あり、盛会を極めたり
○中略
    五、庶務
○中略
(ハ)臨時理事会 大正十一年十二月七日、銀行倶楽部に於て臨時理事会を開催し、渋沢・添田・阪谷・岡・藤沢・林・穂積各理事出席の上、在鮮ロシア白軍避難民救済に関する本会の措置に就き協議し、尚実情を調査するに決したり
   ○当協会ニ蔵スル書類「会務報告」(自大正一一年一一月至大正一三年三月)中ニハ前掲ノ印刷物ヲ綴込ミ居ルノミニシテ、別ニ原資料ヲ有セズ。以下之ニ準ズ。
   ○当協会ノ「会務報告」ニハ種々ノ形式アリテ一定セズ、本資料ニハ各其原形ニヨレリ、且ツ「会務報告」第○輯トアルハ謄写版ノモノニシテ、会合ノ席上出席者ニ配布シテ会務ノ報告ニ資セシモノト推定サル。後日右ヲ整理印刷(活字)セル報告ハ「財団法人国際聯盟協会会務報告」ト称セリ。
   ○尚第一・二輯ハ散佚セリ。大正十二年ノ関東大震火災ニ失ヘルモノカ。


竜門雑誌 第四一六号・第六〇頁大正一二年一月 ○国際聯盟協会歓迎晩餐会(DK360176k-0002)
第36巻 p.460 ページ画像

竜門雑誌 第四一六号・第六〇頁大正一二年一月
○国際聯盟協会歓迎晩餐会 国際聯盟協会にては十二月七日、午後六時より、東京銀行倶楽部に於て最近帰朝せる石井駐仏大使・鳩山法学博士・田付公使・矢作法学博士等の歓迎晩餐会を催したるが、当日は会長たる青淵先生を始め、阪谷男・添田博士等知名の諸氏参会し、極めて盛会なりしと云ふ。


国際知識 第三巻第一号・第四―一〇頁大正一二年一月 世界平和の光輝ある機関 ―(侵略から協力へ)― 子爵石井菊次郎(DK360176k-0003)
第36巻 p.460-465 ページ画像

国際知識 第三巻第一号・第四―一〇頁大正一二年一月
    世界平和の光輝ある機関
      ―(侵略から協力へ)―
                    子爵石井菊次郎
      新春以後一層の努力
 渋沢聯盟協会の会長のお話しでは、日本の国際聯盟協会は頗る振はないとの事であるが、私は最近帰朝して見て、協会が振はぬどころでなく、斯くも母国の同胞が国際聯盟に熱心であるかと思へば、頗る欣快且つ心強く感ずる所である。
 大正十二年の劈頭に於て、渋沢会長は此の国際聯盟協会を、一層奮発せらるゝとの声明をされてゐるからして、我々もまた一層之れが為めに努力を惜まぬ決心である。故に我国民は集つて、新春を迎ふると共に、ますます国際平和の為めに、一段の注意と奮励を希望する次第
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である。
 外遊中に於ては幾多語るべき材料を沢山獲たつもりであるが、未だ之れが料理をしてないから、そう旨い話も出ないが、料理せざるまゝの、赤裸々の所感を玆に思ひ出すまゝに列ねて、その責を塞ぐことゝする。
      国際平和助成機関
 既に一般の知る所の如く、国際聯盟は生れて二ケ年と十一月を閲してゐるが、今日まで、如何なる仕事を仕遂げて来たかに就て、その大要を述べて見やう。
 先づ第一に、国際聯盟の主なる目的は、国際間の平和を確保する。確保するといふ言葉は少し強過ぎるかも知れないが、維持すると云ふことが出来やう。然し維持するといふ言葉も、稍強過ぎるが故に、尠くとも『国際間の平和を助成する』といふことを、主目的としてゐるといふことが穏当であらう。
 国際聯盟は、他の一方に於ては人道の為め、直接国際平和には無関係であるけれども、結果に於て同一なる平和に導くべき幾多の仕事をなしつゝある。それは聯盟規約第二十三条に列挙せられてある所で、即ち自国内に於て及その通商産業関係の及ぶ一切の国に於て、男女児童の為に公平にして、人道的な労働条件を確保するに力めることや、自国内の土着住民の公正待遇、婦人児童の売買並に、阿片その他の有害薬物に対する取締り、武器弾薬の取引監視、通商の衡平待遇、疾病の予防及撲滅の国際的措置に対し、種々なる手段方法を講じて、お互に国際間の平和を助成することが規定せられ、且つ着々と実行の緒についてゐる。
 之れ等の事項を相談する為めには、各国政府から代表者がそれぞれ派遣せられ、委員会を組織してゐるが、現在その方面の委員会の数は百七十乃至百八十を算し、ますます会の数が増加しつゝある傾向である。之れが詳細は到底述べる遑なく、その他にも郵便・電信、或は農業等各方面に於て、各国間の相互協力の為めの委員会が出来てゐる。斯くの如くに、国際聯盟が、人道問題に努力することは望ましい事である。之れは聯盟の主目的としては間接な事業であるけれども、然しながら、恁うした方面に活動することに依つて、各国民は聯盟に対して一段の興味を有することゝなり、国際平和の為め、洵に結構な事である。
      主目的の力と支配
 扨て、聯盟の主目的たる国際の平和を助成する、否相成るべくは維持するといふことに就ては、聯盟規約第十条に規定してある。即ち聯盟国は聯盟各国の領土保全、及現在の政治的独立を尊重し、且外部の侵略に対し之れを擁護することを約す、右侵略の場合又は其の脅威若くは危険ある場合に於ては、聯盟理事会は本条の義務を履行すべき手段を具申すべしといふ条項である。
 然し国際間の平和を維持するといふ事に就ては、最初は大変な議論を醸成した所であつて、当時フランスの当局者の如きは、聯盟といふものはよいが、戦後直ぐに作ることは時機が早いとて躊躇の気味があ
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つた。而してフランス側では、もし之れを設けるとするならば、国々の領土の保全、主権の尊重を維持し、且つお互に保証するがよいとの提案をなしたのであつた。然しながら、此の領土の保全をお互に保証するといふことには、一般の賛成するところとならない、何となればいざ戦争といふ場合か、その他国の領土主権の保証の為めに干戈を交へねばならぬ義務を生ずるからである。この故にフランスの案は通過せなかつたのである。
 また、第十条の聯盟の主目的として、国際平和を維持するといふ以上は「力」を以て支ゆることゝなるので、之れにも頗る議論が沸騰しカナダの代表の如きは、第十条削除案を出すに至つた、(但し此の案は第三回聯盟総会の時、自ら撤回した)。兎も角も、国際平和を維持することに就ては異論もある所で、且つはその為めに「力」を用ゆることを余儀なくせらるる場合も生ずるといふ事も問題となる次第なので、「維持」の言葉は暫く措き、現在の国際聯盟は国際平和を助成するといふことに、極力努力している次第である。
      秘密外交の打破と条約の登録
 玆に於て聯盟は、国際戦争の起る以前に於て、之れを予防し、未前に於て平和を助成する為めに、従来の如き秘密外交を打破する方針を採つてゐる。即ち、従来の秘密国際条約を破棄せしめて、条約はすべて公表せしめる方法に出づるため、第十八条に規定して『聯盟国が将来締結すべき一切の条約、又は国際約定は、直に之れを聯盟事務局に登録し、聯盟事務局は成るべく速に之れを公表すべし、右条約又は国際約定は、前記の登録を了する迄、其の拘束力を生ずることなかるべし』とあるが、之れは既に聯盟各国に於て忠実に実行せられ、既に事務局に登録された条約又は国際約定が約三百以上に達してゐるのみならず、引続き登録請求されつゝある有様であるから、将来、大小の国際約定は悉く登録されることゝなるであらふ。蓋し此の秘密外交の打破的方策は、戦争を未前に防止することに、大なる効果あることを疑はないものである。
      過去の国際法を破棄して
 それから聯盟規約第十一条には、戦争又は戦争の脅威は、聯盟国の何れかに直接の影響があると無いとに拘らず、すべて聯盟全体の利害事項であることを声明してゐる。仍て聯盟は国際の平和を擁護する為めに、適当且つ有効と認むる措置を執るべきものであるとなし、比の種の事変が発生したときは、事務総長は何れかの聯盟国の請求に基き直に聯盟理事会の会議を招集することゝしてある。また国際関係に影響する一切の事態にして、国際の平和またはその基礎であるところの各国間の、良好なる了解を攪乱せんとする虞れあるものに付いて、聯盟総会又は聯盟理事会の注意を喚起するは、聯盟各国の友誼的権利であることを、併せて声明してゐる。
 此の第十一条の規約では、国際間の紛争に対し、第三者として見逃してはならぬことゝなるのである。従来に於ては甲乙両国間の国際紛争の場合には、第三者は決して容喙してはならぬといふのが、今日までの国際法上の規則であつて、第三者の干渉は不当な干渉であるとせ
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られ、排斥せられたものであるが、此の規約に於ては、此の従来の国際法上の定めを破つて、第三者と雖も、苟も国際平和を乱す虞れある紛争に対しては、干与してもよいことゝなつてゐる。即ち国際聯盟理事会、又は総会に於て論議するやうになつた。之れ実に各国の輿論を以て、他国の国際紛争を未前に防ぐ方法である。
 然し乍ら、之れは理想としては頗る結構な事であるけれども、実際に於ては余程機微なる関係があるからして、容易に純理想的には行かない。例へば日支間の関係に就て、山東問題等の面白からぬ問題が起つた場合、聯盟理事会又は総会は、その当事国に就て該問題に対して干与質問を発し得る次第であつて、勿論昔ならば直に排斥される筋合のものであるけれども、今日では之に対し排斥することは出来ない。とは前述の如く此の間の事は頗る機微の事情があつて、容易ならざる次第である。従つて今日まで、国際聯盟が、比の第十一条を利用して干渉の形に出でたことは、未だ且つてない。
 所で、一つ玆に国際聯盟殊に理事会が、憎まれ役を勤めねばならぬことが既に起つて来てゐる。それは即ち小数民族の待遇といふ事である。之れは理事会が黙視してゐると、あらゆる不正が行はれ、小数民族は甚だしく圧迫せらるゝことゝなるので、国際聯盟の正義の立場から、干与せなくてはならぬ現状を呈して来た。之れとて猥に他国と他国との関係について干渉するのでなく、聯盟の正義、聯盟の声望を維持する為めにも干渉せねばならぬのであつて、現に少数民族の側からいろいろなる訴へが理事会に提起されてゐる次第である。故に規約第十一条は、従来に於てはその活動を示さなかつたが、将来に亘つて、此の第十一条の活動は目覚ましいものがあらうと思はれる。
      二ケ年に亘る理事会の功績
 更に、国際間にいろいろの紛争論議が起つた場合には、聯盟はそれぞれの方法を用ゐることになつてゐる。即ち第一の方法で纏らねば、第二方法で調停することになる。此の調停は第十一条から起つて来る有効的行動である。
 之れ等の機関としては、当事者は海牙の常設仲裁々判所に訴へることも出来る、また国際司法裁判所も設立されて、活動をなしつゝある此の他には国際聯盟総会または理事会に於ても、その紛争を処理してゐるのである。然し、総会は会期が短いので多くは理事会で処理せられつゝある。
 私は一昨年巴里に赴任以後、約二ケ年に亘つて、国際聯盟理事会の日本帝国代表として出席したのであるが、此の理事会の仕事は、頗る興味あると共にまた困難なものであるが、此処で研究すると種々面白い事柄がある。而して理事会の二年間の成績は満足とは行かずとも、相当その職責を尽し得たものと信ずる。
 扨て、聯盟の理事会に於て、私が直接取扱つた国際紛争の解決に就て、最も意を強くすることの出来たのは、オーランド問題・シレジヤ問題等であり、且つ聯盟の既往の仕事としては、最も著名なるものである。
 既に一般周知の如く。此の問題は、当事者間に於ては、国民は各々
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頗る激昂してゐたのであつて、一方によくすれば一方が悪るくなり、民論に反けばその為め内閣は瓦壊するといふ状態であつた。然るに聯盟理事会が此問題を解決するや、内閣の更迭も見ず、且つは理事会の解決案に対して、双方の当事者・民論悉く満足の意を表した。蓋しシレジヤ問題、及びオーランド問題の解決に対しては、聯盟理事会は多大の声望を博し、その決定は重きをなすに至つたのである。
      侵略的態度の排斥熾烈
 私は理事会の一員として玆に一つ面白い経験を得たことを述べやうと思ふ。それは、聯盟理事会に対し何か事件が持ち込まれると、理事会の空気は期せずして弱者に同情を寄せるといふ情況があつて、数年前とは全然一変した空気が漲ぎつて来たのである。
 各理事会の当事者のみらず、書記局の一員に至るまで悉く弱者に非常なる同情を寄せる。而して理事会なり書記局なりが書面を受理すると、一件記録を一見して、先づ何れが先きに侵略した国であるかは直にわかるものであつて、その侵略国に対する不人気は夥しいものである。即ち之れ輿論が国際問題解決に、甚だしく影響を及ぼすに至つた現象の一つである。理事会・書記局はいずれも輿論に制せられてゐる状態を、実際に看取し得られたのは私の重要なる経験の一つである。
 殊に理事会や書記局は、書類を受理すると共に侵略的行動を執つた方に対しては、甚だしく不評判の声を放つのであるが、蓋し侵略的行動を執ることは、今やその国を孤立に陥し入るゝものであることは勿論、二十世紀以後に於ては最早や侵略的行動は流行せぬと共に、絶対に排斥せらるゝ状態を呈して来てゐる。
 次に理事会に向つて訴へて来る時に、各国の代表者は如何に同情を求むべきやとの態度を研究して出て来ることである。私の取扱つた国際紛争の事件は、九件ほどあつたが、何れも、当事国の首相・外務大臣等が、それぞれ材料を携帯して出頭し、屡々陳述《(縷カ)》して同情を求め理事会の対決を仰ぐのであつた。之れ等が私の理事会に於て得たる実験の梗概である。
      二個の特殊なる職務
 国際聯盟は、此の外に於て頗る風変りな一つの職務を持てゐる。それは即ちダンチツヒ自由市を保護することと、ザール地方を十五ケ年間に亘つて国際聯盟の監督下に置く、といふ二つの仕事である。既にザール地方では聯盟理事会の任命した行政委員が、実際に施政の衝に当つてゐるが、その報告に依れば頗る好成績である。またダンチツヒ市は独逸・波蘭間に介在した擾乱止まざる小都市であつたが、今や聯盟の保護下に市の憲法が制定せられて、頗る好都合に行はれてゐる。
      聯盟の将来に対する観測
 今後国際聯盟は什うなるであらうか。之れに就ては日本のみならず欧羅巴に於ても問題視されてゐるが恐らく、聯盟の前途を予断し得るものは、世界に於て一人もないのである。然しながら、各自その意見あり、議論あり、その将来に対する一般の観察は頗る興味ある問題である。
 元来国際聯盟は、大戦後直ぐに生るべきものではなかつた。云はゞ
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月足らずで生れたものであるから、その生ひ立ちは至難であるとは、悲観論者の説である。此の悲観論は、私が一昨年巴里に赴任した当時は可成り尠くなかつた。当時私が、或るフランスの大政治家に向つて聯盟の将来に対する意見を叩いた所が、彼はやゝ躊躇して後曰く『実は私は戦争のことは考へてゐるが、未だ平和の事に熱中する時間がない』といつた。この言は頗る奇憍なやうであるが、その当時は悲観論の多かつた時であるから、何等不思議ではないのである。
 私は国際聯盟は前途ますます進歩発達すると信ずる。勿論その発達は急激ではあるまい。その仕事も世の耳目を驚かすやうな顕著なる大事業を頻々として成遂げやうとは思はない。然しながら既往二年の短日月に於て、聯盟は日尚ほ浅きに比すればより以上の信用と声望とをかち得てゐると信ずるが故に、将来秩序ある発達をなすべきを疑はない。殊に国際聯盟に対する輿論は、常に全世界の新聞雑誌等を聯盟事務局で蒐め一々その聯盟に対する輿論の程度を測つてゐるが、その結果を見ても、国際聯盟は世に知らるゝと共にますます信用を増しその必要を叫ばれること一層甚だしくなりつゝあるからして、聯盟の将来は世界平和の為め光輝ある機関としてその活動を見ることであらう。


国際知識 第三巻第二号・第二二―二五頁大正一二年二月 国際聯盟の保健機関の活動に就て 国際聯盟保健委員会委員 医学博士 宮島幹之助(DK360176k-0004)
第36巻 p.465-468 ページ画像

国際知識 第三巻第二号・第二二―二五頁大正一二年二月
    国際聯盟の保健機関の活動に就て
            国際聯盟保健委員会委員
                 医学博士 宮島幹之助
 石井大使の御講演中に、国際聯盟は月足らずで生れた子供の様であるが、其後順潮に発達し今日已に相当の成蹟を挙げつゝあるとの御話があつたが、私の主として関係した国際聯盟の保健機関も頗る難産でやつと生れたばかりと云ふてよい様に思はれる。
 元来、此保健機関は平和条約第二十三条へ項『疾病の予防及撲滅の為め、国際利害関係事項に付、措置を執るに力むべし』及び第二十五条『聯盟国は全世界に亘り健康の増進、疾病の予防及苦患の軽減を目的とする公認の国民赤十字篤志機関の設立及び協力を奨励促進することを約す』との二規約があるから、迅くに構成されねばならぬことになつて居たのである。その為め已に千九百二十年に英国が主人役となり、ロンドンに保健機関設立準備委員会を開き、大体の案を作り、第一回聯盟総会に提出した。同総会は之を承認したのですぐ構成されることになつて居た。其時の案によると、羅馬協約に基き成立して居つた巴里の万国衛生事務局なるものは、其性質が一の国際的保健機関であるから、之を国際聯盟に移し、之を基礎として新なる機関を組織する計画であつた。依て再び千九百二十一年の春、準備委員会を開いた処が、万国衛生事務局の一員である北米合衆国が、同局を国際聯盟に併合することを承認せぬといふ理由の下に、保健機関の成立は玆に一たび頓挫した。然し聯盟としては此問題をそのまゝに捨て置けぬので千九百二十一年八月に臨時保健委員会を設けて、保健機関の組織案を作製し、之を第二回聯盟総会の議に附した。此時も色々議論があつたが、万国衛生事務局を諮問機関とし、聯盟の保健機関は実行機関とな
 - 第36巻 p.466 -ページ画像 
りて、兎も角も国際的衛生問題を取扱はしめるがよいといふので、やつと保健機関が生れた、但し其肩書には臨時の二字が加へられ、言はば試験的の性質なのである。要するに第二回総会では、臨時保健機関を作つて一年間仕事をやらして見て、若し旨く行けばよし、拙く行つた場合には止めてしまうといふ考へであつた。要するに国際聯盟の保健機関は大難産で生れたが、果して健全に育つかどうかは頗る疑問なのであつた。政治家の眼から見れば衛生問題などは、どうでもよいといふのであつたかも知れぬ。然しよく考へると、衛生問題位各国其利害を共にし、又人道上から見ても戦後の世界を幸福にする上に、衛生的施設ほど緊要なものはあるまい。
 保健機関としては、第一に医学の進歩して居る国々から委員十二名を択び、赤十字国際聯盟の代表者と労働事務局の代表者とを之に加へ屡会合して国際間の衛生上に最重要な事項を審議した。又聯盟事務局内には医務部を設けて、委員会で決定した事柄を早速実行させる様にし、玆に初めて聯盟の保健機関は活動し始めた。創立当初から各委員や医務部の役員達が協力一致して、国際的衛生問題の攻究に如何に努力したかは僅か一ケ年の間になした事業によつても分ることゝ思ふ。蓋し保健機関に関与せるものは、主として衛生専門家なので、如何に国籍を異にするも大なる一致点があり、又一面には世界の外交的政治家の衛生問題を軽視する傾向に、少々憤慨した反抗心も手伝つて、大に馬力をかけた様にも思はれる。兎も角も僅か一ケ年の間に、第一露国より伝播する悪疫の予防撲滅を計り、波蘭国をして国際防疫会議を開かしめ、二、世界の医界に汎く使用せらるゝ、治療血清の効力標準や黴毒診断に欠くべからざるワツセルマン反応の国際的統一を計る為め、ロンドンに国際血清会議を開催し、三、近東諸国の衛生状態を調査する為め、調査班を派遣して国際衛生条約の修正案を作製し、四、各国の伝染病予防を容易ならしむる為め、ペスト・コレラ・天然痘・発疹チフス等、最危険な伝染病の情報を国際間に出来る丈け迅速に交換する方法を講じ、欧洲各国に対しては已に昨年以来之を実行し、伝染病の予防上に大なる功果を挙げつゝある。五、国際衛生の実行上、各国の衛生技術者が相互に他の国の事情を諒解し置くことが緊要であるのと、又一面には衛生技術者の向上を計ることの必要からして、衛生技術者の国際的交換を行ふことゝした。此等の事業成蹟に鑑み、本年九月に開かれた第三回聯盟総会は、此保健機関を常設とするに決定し、先づ以て難産の弱児も無事に育つことゝなり、委員として働いた一同は大に喜んだのである。
 東洋方面から委員として出席した私にとり愉快を感じたことが、其外に尚二・三ある。血清会議に当り、各種血清の効力標準決定に関し各国の最有名な研究所に夫れ夫れ調査を依嘱したのであるが、特に赤痢血清の調査を北里伝染病研究所に、又ヂフテリア・破傷風血清の調査を、官立伝染病研究所内に設けある血清検定機関に依托した。又此際血清会議の名を以て、血清療法の発見者たる我国の北里博士に向て特に感謝の電報を発したことは、当時其席に列した私をして言ふべからざる喜悦を感ぜしめたのであつた。其他国際聯盟の保健機関は独り
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欧洲の衛生のみならず、東洋の伝染病予防に関しても大に焦慮し、之れが調査の為め特に保健機関の医務部次長ドクトル・ノルマン・ホワイト氏を派遣することとし、同氏は愈本年の三月初には日本にも来る筈である。由来日本は非衛生的なる隣国より、ペスト・コレラ・天然痘の如き伝染病の侵襲を蒙り、防疫上に多大の労力と国帑とを費して居るが、国際聯盟の活動により、東洋に於ける各地の伝染病情報を正確に、且迅速に得らるゝ様になれば、我邦の防疫が非常に容易となり国民の享くる利益は決して尠くあるまいと信ぜられるのである。これ又慶すべきの一事項である。更に此機会を医事衛生の進歩と発展とを国際的に宣伝するに利用するも、日本の真価を世界に紹介する一方便であろう。
 国際聯盟の保健委員会に参加して特に私の面白く感じたことは、北米合衆国の人気が追々と聯盟に対し、良好に赴くといふ点である。元来国際聯盟は米国の前大統領ウヰルソン氏の発案で出来たものゝ様に聞いて居るが、政治的関係からして米国は聯盟に参加せざるのみならず、人道的の保健機関の成立すらをも妨げた、かく米国政府が聯盟に尚反対しつゝある時に当り、民間の一公益団体が堂々と聯盟に向て多大の好意を表するに至つた。即ちロツクフエラー財団は聯盟の保健機関の事業を称賛して、毎年九万弗余の援助を申出でた。これは単に保健機関に対する物質上の援助のみに止まらず、観察の仕方によりては北米の人心が、已に聯盟に向つて来たとも考へられるのである。但私は政治や外交の門外漢たる一学究であるから、誤診であるかも分らぬが、北米は輿論の国であつて、殊にロツクフエラー財団の如き富豪の事業は、必ず人心の帰嚮によりて左右される。私が帰朝の途次、北米で親しく見聞した処でもかく推定し得る点が尠くない。例へば現今独逸の学者が非常に困窮し、為めに立派な研究をすることが出来ぬ状態にある。これに対しロツクフエラー財団の幹部などは、已に調査を遂げ、多大の同情を寄せて居るが、未だ援助の手を独逸に延ばさない。つまりこれは米国に於ける独逸に対する悪感情がまだ去らぬからである。これと反対に、昨年のワシントン会議の後、日米間の暗雲が一掃され、一般米人の日本に対する感情は一変した。これまで着手することを躊躇して居たロ氏財団は、本年甫めて日本の医学に対し特別の好意を示した。欧洲や南米諸国並に支那等に対し、ロ氏財団が医学的施設上に努力し来たことは極めて多い。蓋しロ氏財団の主眼は、医学の応用により人類の幸福を増進するに在るので、何処にも必要のある処には、費と労とを惜まず努力して居るのである。故に日本などに対しても、夙に何等かの助力を与へんと欲して居たのであるが、米国の対日感情が良好でなかつたので、時機の至るを待つて居たかに考へられる。昨年甫めて米国に赴く我国の研究者に対し、ロ氏財団はフエローシツプを与へて之を奨励し、已に三名程米国に赴き研究しつゝある。又本年早々我国知名の医学者五名を、ロ氏財団は其賓容として招待し米国の医事衛生施設を視察せしめることにした。此の如きは独り医学上のみならず、国交上から見ても、吾人の大に喜び且慶すべきことである。
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 翻てロ氏財団が国際聯盟の保健機関に多大の好意を寄せ、物質上の援助をもなすに至つたことは、一面に於て米国人の国際聯盟に対する好感の一徴候と診断されるのである。若し米国の加入が、国際聯盟の前途に向て、重要な意義を有すとするならば、国際聯盟の将来や頗る光明に富むと云はねばなるまい、況んや米国の加入せざる今日に於てさへ、已に相当の効果を挙げつゝあるに於てをやである、蓋し国際聯盟が世界的平和を齎す上に大に活躍するのは、今後に在ると信ぜられるのである。