デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.549-556(DK360199k) ページ画像

大正13年2月13日(1924年)

是日、当協会第二十九回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

国際聯盟協会書類(一) 【(別筆・朱書) 御食事の都合上午後五時半御出席被下度候】(DK360199k-0001)
第36巻 p.549-550 ページ画像

国際聯盟協会書類(一)         (渋沢子爵家所蔵)
(別筆・朱書)
御食事の都合上午後五時半御出席被下度候
(謄写版)
    第二十九回研究会
 - 第36巻 p.550 -ページ画像 
拝啓、愈々御清穆奉賀候、陳者来る二月十三日(水)午後六時より、芝公園増上寺前協調会館第二号談話室に於て、第二十九回例会開催仕候間、御繰合御来会被下度、御案内申上候 敬具
  大正十三年二月四日         国際聯盟協会研究会
      左記
 日米問題に就て         法学博士 山田三良氏
 感想                   渋沢会長
  追而乍御手数御出席の有無御回示相煩候


(国際聯盟協会)会務報告 第一八輯 自大正一三年一月二五日至同年二月二九日(DK360199k-0002)
第36巻 p.550 ページ画像

(国際聯盟協会)会務報告  第一八輯 自大正一三年一月二五日至同年二月二九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    九、研究会
○中略
二、第二十九回研究会 二月十三日協調会館に於て開会、渋沢会長の挨拶に次で、山田三良博士は「日米問題に就て」の講話あり、乾精末氏の感想談あり、出席者四十五名


国際知識 第四巻第四号・第六一―六八頁 大正一三年四月 日米問題に就て 法学博士 山田三良(DK360199k-0003)
第36巻 p.550-556 ページ画像

国際知識  第四巻第四号・第六一―六八頁 大正一三年四月
   日米問題に就て
                 法学博士 山田三良
 米国に於ける排日思想は可なり古い沿革を有つて居るが、カリフオルニア州が一九一三年に従来許して居つた日本人の土地所有を禁止するに至つて、漸く喧しい問題となつて来たのである。併し一九一三年の土地所有権禁止法には、三年間の借地権が認められて居た。此の法律が制定された当時、我国の輿論は非常に激昂したのであるが、在米移住民は借地権を認められて居た為に、実質的には何等の苦痛を感ずる所無く、其の後数年間に米国太平洋沿岸に於ける日本人の農業は、却つて大に発達したのである。其の方法は所有は禁止されても、借地が認められて居たので、土地を所有する代りに借地人となり、三年の期限が来れば更に三年間の借地を継続する。かくて所有も借地も殆んど差異はないことになつた。又日本人の子にして米国で生れた者の土地所有が可能であり、米国人を加へて会社を創立し、其会社の名儀で土地を所有することも可能であつた。
 一九一九年に私が加奈陀から加州一帯を視察した際、日本人の農業の発達は実に驚くべきものがあつた。シアトル、ポートランド、サクラメント、フレスノ、ロスアンゼルス等、何処に於ても日本人の農業は眼醒しい発展を遂げて居た。或る日本の文学士で米国の百姓になつて居る人の如き、排日の巨頭ヒーランの所有地の直ぐ隣で、二万五千エーカーの米作地を有する大地主であつた。其の頃は一エーカー七・八十弗位であつたが、数年前には僅に十五弗か二十弗で買つたものであつた。然も其頃は世界戦争の結果で、一年間の収穫の純益は優に原価を償却し得る程、農産物の価格が騰貴して居たので、日本人の意気も頗る軒昂でこの文学士の如き、今にヒーランの上を行く大農家にな
 - 第36巻 p.551 -ページ画像 
ると、豪語して居た程であつた。而して彼等の使傭する農夫は多くはメキシコ人であつて、メキシコの方も米国人に使はれるよりも、寧ろ日本人に使はれることを欲すると言ふ有様であつた。日本人の農業は米国人の農業よりも遥に巧みであつて、自動車の上から視察して見ても日本人の水田が打続く間に、田の作り方が拙く雑草などの生へて居る所を見ると、それは米国人の田であるといふ状態である。斯の如き有様であるから、米国人が日本人の農業を薄気味悪く思ふのも無理のない話である。シアトルの農産物市場の如きも、日本人が二人、伊太利一人と言ふ割合で占めて居るのであるが、前年排日論の起つた時、誰の言ひ出した事であつたか、日本人を排斥すれば野菜や其他の農産物が騰貴する、日本人が農業をやればこそ割合に安い野菜が食べられるのであるといふ叫びが、此市場に買出しに来る妻君連に伝はつたので、其時排日運動をして居た人々は、方々の妻君連から電話が掛つて来て、電話口に立てば必ず排日運動攻撃の声を聞かされ、遂に閉口したといふ挿話がある。これは独りシアトルばかりではなく、ポートランドでも、サクラメントでも、サンフランシスコでもロスアンゼルスでも、到る所の都市は皆野菜や果物の供給を、日本人の農業に仰がねばならぬ有様と為つた。米国人側から見れば、これでは土地所有を禁止しても、日本人の農業は依然として発展し、折角の土地所有権禁止法も何もならぬことになつた。又其の頃は現在の様に日本人も慎重ではなかつたので、農業に従事して居る者の中でも、従軍した事のある人達は、何かの時には従軍徽章などを胸につけ、国旗を樹てゝ万歳などを叫んだりした。これは排日運動家には恰好な題目を与へたもので直に軍国主義的日本の脅威を宣伝したものである。
 日本人は農業に秀でゝ居るのみならず、漁業に就ても遠く白人漁師の及ぶ所ではない相である。海岸に高い物見の櫓を立て、遠くの沖に集る魚群を発見したり、フレーザー河を上下する鮭の漁業に就ても、白人は日本人に及ばない。日本人は漁業の天才であるとまで言はれて居る。斯の如くなつて来ては、最早問題は労働賃銀の問題でもない、単なる経済上の問題ではなくて、政治的問題となつて来る。太平洋沿岸は捨てゝ置けば、日本のものになつてしまうといふ杞憂を抱き出した。殊に其頃から従来一時的出稼人であつた移住民が、漸次土着的生活を営み出し、国から妻を迎え、子供が生れる。子供も生れる訳であつて、渡米する程の人は健康な人であり、日本に居れば生活難の為に営養も充分採れない者が、気候は良く生活も楽になり、営養が充分になるのであるから尤もな話である。又加州に於ける日本人の出産率が米国人の夫よりも著しく高率であると言ふのも道理であつて、渡米した日本人は、多くは年少気鋭の人であつて、家庭を持つて間もない人が多い、これらの人の出産率は、結婚後数十年を経た老夫婦をも包容する、米国人等の出産率よりも高くなるのは、当然と言はなければならぬ。
 然し理屈は兎も角、米国人にして見れば甚だ薄気味が悪い。現在加州三百五十万の人口も遠からず日本人の子孫に追はれてしまうだらうと言ふ声は、米国人の耳には甚だ入り易い。
 - 第36巻 p.552 -ページ画像 
 仍でこれが政治上の好題目になつて来て、加州議会又は中央議会議員の選挙の時には勿論、大統領選挙の時にも民衆の人気を博する問題になり得る。特に大統領選挙に就ては、東部諸州の勢力は大体に於て其の分野が明白になつて居つて、西部諸州殊に加州の得票如何に依つて、其の勝敗が決するといふ有様になつて来たものであるから、全米に於て人気のある排日問題は、又容易に其の選挙毎に政治問題として利用されたのである。
 一九一六年の頃、米国が未だ世界大戦に参加すべきか否かを決定して居ない当時は、米国の上下は日本の行動に対して深甚の注意を払つて居た。日本の一言一動は米国に頗る強い影響を与へた、石井大使が米国に於て、支那に対して特殊の利害関係を有する日本と、米国との提携は、東洋の平和の為に最も必要であると説いた声は、シーザーの声の如く響いたとさう言つた人もあつた。然るに一九一七年米国も聯合国側に参加し、独逸に対して戦争を開いたので、米国は俄かに軍国主義と為り、米国の援助に依つて世界戦争が終了したといふので、世界の覇者と為ると同時に、親日主義は俄然一変して排日熱が昂まつて来た。一九一九年の巴里平和会議に於て、朝鮮人中には米国政府に縋つて独立を企てんとするものあり、支那は米国に依頼して山東還附を実現せんが為め、有らゆる手段を弄して排日論を鼓吹した。然も平和条約に於て山東還附問題に付ては、日本の主張が認められ且、独逸の属領たりし南洋諸島の委任統治国となつた。米国はフイリツピン、ハワイ、グアムと共に、ヤツプ其他の南洋群島は、遠からず自分の勢力範囲になるものと信じて居たのであつたが、面積から見れば言ふに足らないが、軍事上頗る重要なる此等の群島が、日本の委任統治となり日本の制海権が赤道にまで及んだので、米国のフイリツピン及び支那に対する勢力を中断さるゝ形となり、米国の野心と牴触するに至つたことが、排日感情を一層煽動する原因ともなつた様である。
 一九二〇年即ち大正九年八月、欧洲より帰国の途、再びシヤートルを訪れた時には、前年とは打つて変つての待遇を受けた。一流のホテルは皆満員と称して、日本人を泊めて呉れなかつた。不思議に思つて聞いて見れば、今春以来太平洋沿岸諸州到る所、排日の気勢が非常に甚しくなつて居るので、誰彼の差別なく日本人を宿泊せしむることが営業上困難を感ずからであると云ふことであつた。此歳十一月に果して加州は、人民投票に依つて極端な排日法を制定して、単に所有権を認めざるのみならず、借地権をも許さない。日本人の加入する土地会社の存立をも認めず、親に子供の後見人となることも許さないことになつた。米国に生れ米国人たる未成年者が、土地を所有し親が其の後見となるのは、子供の名義で親が土地を所有するのであるといふ理由から、之を許さぬことゝしたのである。此の法案は前年にも提出せんとしたのであるが、当時は巴里に平和会議が開かれて居た為め、外交政策上面白くない結果を及ぼす惧れありとして中央政府が之を抑圧したのである。然るに其の翌年の一九二〇年には、終にイニシアチープを以つて決定し、米国に帰化することの出来ない外国人と云ふ名義を以つて日本人には条約に規定せる以外の目的の為に、土地を所有し借
 - 第36巻 p.553 -ページ画像 
地し利用することを許さないことにした。当時我当局者も国民も其の成立を阻止せんと苦心したけれども、終に目的を達することが出来なかつた。
 其の当時、加州知事から米国国務卿に宛てた報告が発表されて居る其の中に知事は極力日本人の排斥しなければならないことを力説し、加州に於ける日本人はあらゆる方法を尽くして、之を根絶(Exterminate)しなければならない、而して其の為には一億や二億の金を払つて、日本人所有の土地又は農業を買収するも、可なりである抔と説いて居る。私はこれを見て、排日法案の容易に阻止することの出来ないことを知りましたが、果して其年十一月に此の法案が成立したのである。
 斯の如く土地の所有も借地も出来なくなつたので、農業に従事する日本人は玆に一策を案出し、収穫歩合契約(Cropping Contract)を取結ぶを以て例とするに至つた。即ち米国人の地主の下に働く農業労働者として、一定の土地を耕作し其の労働賃銀は、貨幣の代りに其の土地に産する農産物を歩合で受取ることにした、この契約が有効であるか否かは多少疑問であつたが、昨年一月土地所有権禁止法を改正して、斯る契約をも禁止せんとするに至つた。其の理由は、この契約に依ると日本人は耕作の為に雇傭された労働者の如く見えるが、地主は耕作物の選定或は農産物の処分に付て全然関係して居ないから、名は収穫歩合契約であつても、其の実は借地と異らないからであると言ふのである。若し之を禁止せらるゝに至らば、日本人の農業は全く根絶せらるゝのであるから、之が有効無効は誠に重大な問題である。
 そこで在米日本人は最後の手段として、米国大審院に上告して之が根本的解決を試みることにした。即ち其の第一は帰化権に関する試訴であつた。加州其の他西北十一州の排日法律は皆『米国に帰化し得べからざる外国人』は云々と、規定して居るのであつて、明白に日本人とは指定して居ない。故に日本人が果して帰化し得べからざる外国人であるか否かを決定することが、排日法律を無効にするか否かの別かれ目であるからである。此の試訴は布哇の小沢某といふ人が、始めて裁判所に提起したのであるが、布哇の裁判所が日本人には帰化権なしといふ判決を与へたので、米国大審院に上告したのである。其の結果は一昨年、大正十一年十一月十一日、米国大審院は原判決の正当であることを認め、日本人は帰化の権利なしと判決したのである。我国に於てはこの判決を不当の様に考へる者も少くはないが、現行米国憲法及帰化法の解釈上、之を不当と云ふことが出来ないのである。米国の帰化法で帰化権を認めて居るのは、白色人種及アフリカン・デセンダントとであつて、其の他の人種国民に対しては、帰化権ありともなしとも規定して居ない。其の後、一八八二年以来支那人に付ては、明白に帰化権無しと規定して居るのであるが、日本人に付ては今まで何等の決定をも見なかつたのである。今度の試訴で始めて支那人と等しく帰化権の無い国民と決定されたのである。米国帰化法の沿革から見ると、白色人種及黒色人種の帰化を認めた当時に、日本人其他亜細亜人の帰化権に付ては、何等言及して居ない、其の精神から言ふと寧ろこ
 - 第36巻 p.554 -ページ画像 
れを否認して居たものと解する方が適当である。そこで、一九〇六年の新市民法には、概括的に外国人は云々と規定してあるが、夫のみを以て直に従来の主義を、変更したものと考へることが出来ない。従つて日本人の白色人種又は黒色人種で無い以上は、帰化権なしと判決せられても、米国の現行法律上、残念ながら致方が無いと言はなければならぬ。
 此の判決の結果、排日法律を無効に帰せしめんとする運動の第一の関門が破れたのであつて、排日論者に一大保障を与へたのである、試訴を始めて提起した頃には、排日的よりも寧ろ親日的気風が強かつたので、或は好結果を収め得るかも知れないと云ふ一縷の希望を懐いて居つたのであつた。然るに宛も米国大審院に上告した頃から、排日論が俄かに勃発し判決のあつた前後は、不幸にして其の気勢の最も熾烈な時であつたので、遂に斯る結果に終はつたのは誠に遺憾であつた。
 第一の関門が破れる前より、第二段として排日土地法は、米国憲法並に日米条約に違反すると云ふ二つの論点から、其の無効を主張する四個の試訴を提起するに至つた。而して此等四個の試訴は悉く日本人側の敗訴となつた、今其の要旨を紹介せんに其の第一の試訴は、加州外国人土地法が日米人間の借地権を禁止する規定の無効を主張するものにして、ポーターフヰルド及水野某の両名より、加州検事総長に対して提起されたものである。其の趣旨は水野は農産物の販売を営む者であつて、自作の農産物を販売せんが為め、ポーターフヰルドの所有地を五ケ年借地したいのであるが、之を契約すると土地法に違反するものとして之を無効とし、且刑罰を科せらるゝ恐れがあるから、斯る規定の無効なることを認め、斯る処分を予め差止めて貰い度いと云ふ訴訟を起したのであつた。然るに南加州米国地方裁判所は、之を却下したので、米国大審院に上告したのである。第二の試訴は同様の理由で、テレース及中塚某から華盛頓州検事総長を被告として上告したものである。二者共に、第一に借地権禁止規定は、米国憲法第十四改正条項に所謂『平等の保護』と『適当なる手続』に違反せるが為め、無効であるのみならず、第二に日米条約に牴触するが為にも、亦無効であると主張するのである。然るに大審院は、土地に関する権利を外国人に対して制限するか否かは、米国憲法上各州に留保せる警察権(Police Power)の範囲内に属し、従つて各州の自由に規定し得べき問題であるから、借地権制限は米国憲法に牴触せず、且日米条約には商業及住居の目的以外の土地使用に就ては、何等の規定がない、農業上の土地使用を認めたる規定がない、これに就ては現行日米条約締結当時のことに関するブライアン氏の文書に拠ると、当時日本政府は農業の為にする借地権を享有することを希望しなかつたことになつて居る。云々と云ふ理由で、以上の二件は昨年十一月十二日、上告は理由無きものと判決せられたのである。兎も角現行日米条約の農業に関する規定は、不備とも言はれる点で、現在ではこの条約を楯にして、借地権制限の無効を主張することは論拠薄弱である。然らば米国憲法の解釈は如何かと言ふに、平等の保護に関する米国大審院の判決例は、極めて区々で一定する所がない。併し米国大審院が米国憲法を解釈して、
 - 第36巻 p.555 -ページ画像 
外国人土地法の規定は平等の保護と牴触する所が無いと判決した以上は、今更其の当否を論ずるも無益である。第三の試訴は日本人に、土地会社の株券を取得することを禁止する規定の米国憲法に違反し、且日米条約に違反することを主張したのであるが、既に上述の判例に依つて外国人土地法の違憲にあらず、又条約に矛盾せざることを認むる以上は、此の禁止も亦正当であると判決したのである。且これと同時に即ち昨年十一月十九日、米国大審院は更に第四の試訴たる収穫歩合契約も亦、無効であると判決するに至つたので、日本人の農業は非常な影響を受けることになつたのである。在米日本人も前提の三問題は始めから勝訴が確実とは思つて居なかつたのであるが、収穫歩合契約は大多数の日本人は皆有効と信じて居た。且米国人側に於ても亦有効と信じて居つたので、南加州米国地方裁判所も、之を有効と判決したのである。然るに検事総長ウエブ氏から之を不当として上告するに至つたので、大審院は原判決を破毀して之を無効と宣言したのである。収穫歩合契約は米国諸州に広く行はるゝ労働契約であつて、加州外国人土地法には之を禁止する積極的規定が無いから、漫りに之を無効とすることが出来ない。然るに大審院が特に原判決を破毀して、之を無効とした所を見ると、最高裁判所も亦排日派の主張に共鳴するの譏を免れない様である。
 之を要するに、米国に於ける日本人問題は是迄、加州の立法者と日本人との知慧較べの如き観を呈して居たのであるが、一九二〇年の苛酷なる排日法律成立後、僅に二・三年を出ですして西北十二・三州が皆、之と同様の法律を制定するに至つたのみならず、米国大審院までも此等の規定を適当なりとし、更に其の精神を類推して日本人の土地に関する一切の利益を、剥奪せんことを期する以上は、在米日本人の農業問題は全く行き詰つてしまつたのである。現今加州で農業に従事する日本人は、約二万七千五百余人、其の耕地面積は四十四万八千余エーカー、毎年の産出高は約六千七百万弗(一億三千四百万円)、華盛頓州に於ては四千五百余人、耕地面積三万二千六百エーカー、産出額一千六百万弗(三千二百万円)、此の二州を合算すると農業従事者三万二千余人、耕地面積四十八万六百エーカー、産出額八千三百万弗(一億六千六百万円)である。これが以上の様な理由で大部分は殆んど没収せらるゝと同様であるから、実利上から見るも誠に重大なる事件と言はねばならぬ。此る一大不安に悩まさるゝ在米同胞は、収穫歩合契約に代へて純然たる雇傭契約を取結び、如何にかして農耕を持続せんことを企図して居る様であるが、この新しい形式の契約も亦、排日土地法の精神解釈に依つて、或は違法と認められるに至るかも知れないのである。
 米国現行法上から言へは、排日的立法も米国大審院の判決も必しも不当とは言へないのであらう。然しその根本に遡つて米国の処置が果して正義公平に適するか否かと言へは、大に非なりと言はねばならぬ元来一九一三年の土地所有権禁止法の制定前後には、排日論者と雖も日本人の農業を買収すべき必要を説き、之が為には巨額の償金を支出するも可なりと言つて居つたのである。然るに先づ所有権を禁止して
 - 第36巻 p.556 -ページ画像 
借地権に満足せしめ、而して借地契約の期間満了に際して、更に借地権をも否認し、多年開拓に努力せる土地に関する利益を、全然喪失せしめ様として居るのである。これは法律の形式上は既得権の侵害でないとしても、実際上は多年適法に享有して居つた既得の権利を剥奪すると同様であつて、正義人道上容るすべからざる罪悪であると言ねばならぬ。然も此等の諸州は『条約に規定されたる』以外の目的の為に土地を所有し、借地することを許さないのみであると揚言するのであるから、上述の如き弊害を除却して、日米親善関係を維持する為には我が国民は米国政府に対して日米通商条約上に、在米日本人に欧米諸国民と同等の、権利保護を保障する規定を挿入することを要求せねばならぬ。或は斯の如き条約は米国上院の批准を得ることが困難であらうと、然し上院の批准を得ることが困難であるか否かは、我々の関する所ではない。我々は只条約上、欧洲諸国民と同等の権利保護を要求するのである。従来我政府当局者は、僅かの出稼人の問題として、之を軽視しつゝあつたのである。それが今日の禍を醸したる根源である在米日本人の待遇問題は、誠に日米間の重大問題である。且此の問題は日米両国民相互の諒解を以て、互に無理の無い所で解決せねばならぬ。これが為には政府と政府との公式の談判のみでなく、国民と国民との理解が必要である。幸ひ日米条約は昨年七月を以つて期限が切れて、今は只其の儘に継続して居るに過ぎないので、其中之を改正する必要に迫つて居から、此機会に於て是非共互に総ての生業に於て、一般外国人と全然同等の待遇を保障する規定を掲ぐることを期すべきである。尚移民法改正問題や、米国憲法改正問題等に付ても述べたい事がありますが、時間が切迫しましたから之は他日の機会を俟つて、清聴を汚したいと思ひます。


国際知識 第四巻第四号・第一二八頁 大正一三年四月 ○編輯後記(DK360199k-0004)
第36巻 p.556 ページ画像

国際知識  第四巻第四号・第一二八頁 大正一三年四月
 ○編輯後記
△山田博士の「日米問題に就て」の一篇は、最近本協会研究会に於て述べられた講演の筆記で、時節柄有益なものと心得まして、博士の御校閲を願ひ、本号に採録することにしました。非常にお多忙にも拘らず、お校訂下すつた博士の御厚意を忝なく思ひます。