デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.98-109(DK370013k) ページ画像

大正15年9月3日(1926年)

是日、当協会第六十三回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、主事選任ノ件其他ヲ議ス。


■資料

国際聯盟協会書類(二) 【大正十五年八月三十日】(DK370013k-0001)
第37巻 p.98-99 ページ画像

国際聯盟協会書類(二)           (渋沢子爵家所蔵)
  大正十五年八月三十日
                国際聯盟協会々長
                    子爵 渋沢栄一
    渋沢子爵殿
拝啓、残暑の候愈御清適奉賀候、陳者来る九月三日(金)正午、丸ノ内銀行倶楽部に於て第六十三回理事会を開催、主事選任の件其他御協議を得度候に就ては、炎暑の折柄甚だ御迷惑の至りに存候得共、御繰合せ御臨席被成下度、此段御案内申上候 敬具
 追て特に会長・両副会長には、十一時半までに御集り願度、此段貴意を得候

    第六十三回理事会
                  大正十五年九月三日正午
                  於 丸ノ内銀行倶楽部
御出席
 徳川総裁 渋沢会長 阪谷・添田両副会長 林・田川・山田・姉崎秋月・宮岡・下村各理事
      協議決定事項
一、予て懸案中なりし婦人児童売買取締国内委員会の件に関し、創立相談会を九月十六日午後一時より開催に決定
二、前主事加藤外松氏の後任を詮衡中の処、阪谷副会長より目下賜暇帰朝中の、ギリシヤ駐箚特命全権公使奥山清治氏の内諾を得、本協
 - 第37巻 p.99 -ページ画像 
会主事に推挙し度き旨の提議あり、交渉の経過を報告し、異議なく可決
 但し俸給は年俸六千円(外手当金なし)
                       以上


国際知識 第六巻第一〇号・第一四四頁大正一五年一〇月 本協会専任主事に奥山清治氏就任さる(DK370013k-0002)
第37巻 p.99 ページ画像

国際知識 第六巻第一〇号・第一四四頁大正一五年一〇月
    本協会専任主事に
      奥山清治氏就任さる
 本会創立以来、此度、初めて専任の主事が任命されることとなつた九月三日の本会第六十三回理事会は奥山清治氏を選任した。奥山氏も亦其の任に就くことを快諾せられて、九月十四日より協会事務所に見えらるることとなつた。
        ×
 大正九年四月、本会が築地精養軒に呱々の声を挙げて以来、外務省の官吏なる杉村陽太郎・沢田節蔵・堀内謙介・加藤外松の諸氏が、相次いで主事として理事会の任命するところとなつた。蓋し本会創草の際已むを得なかつた所ではあらうが、忍ぶべく余りに多くの不便があつたことも事実である。しかし夫れにも拘らず前任各主事が、身劇職に在りながら奉公のためとは云へ、日夜会務の発展と基礎の確立に痛心せられ、以て本会の今日あるを致さしめた努力に対しては、本会三千の会員は固より、世間の洽ねく感謝して已まぬ所であらうと思ふ。
        ×
 杉村氏は中途にして華府会議に去り、転じて国際聯盟帝国事務局次長となられ、今や三転して国際聯盟事務次長に任命された。沢田氏は中途にして摂政宮殿下に供奉して渡欧され、再転して今やワシントン大使館参事官たり、堀内氏は中途にして倫敦大使館参事官として赴任され、加藤氏も亦北京に転任し、公使館一等書記官たり。
 一片の辞令あれば、直ちに海外に使せざるべからず、かくの如きは霞ケ関の役人が、主事となることの本会にとつて不便なることの中にも、最も不便なる例とせねばならぬ。
        ×
 九月三日の理事会に於て、選任されたる奥山氏が、今後永く且つ専ら本会のために尽瘁せらるることとなつたのは、会員各位と共に本会の一大発展として大賀したい所以である。
 因みに奥山氏は、多年外交官として活動せられ、殊に在巴里、国際聯盟帝国事務局次長としては、直接聯盟の事業に参画せられた士であり、最近には特命全権公使として希臘に派遣せられてゐた。氏は今や外務省を退かれ、専ら本会主事として鞅掌せらるることとなつた、玆に記して各位にお伝へし、本会事業の振興のため共に喜びたい次第である。


(奥山清治) 書翰 渋沢栄一宛大正一五年九月一〇日(DK370013k-0003)
第37巻 p.99-100 ページ画像

(奥山清治) 書翰 渋沢栄一宛大正一五年九月一〇日
                      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
 - 第37巻 p.100 -ページ画像 
小生来十四日より聯盟協会の事務に従ふ様、添田博士との間に話つけ候処、其前拝面の栄を得置度候に付、御繁用中御迷惑ながら御繰合の上、日時場所御指定被下候はゞ幸甚の至に御座候、右当用御依頼迄、如斯御座候 匆々頓首
  大正十五年九月十日
                      奥山清治
    渋沢子爵殿
          案下


集会日時通知表 大正一五年(DK370013k-0004)
第37巻 p.100 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年 (渋沢子爵家所蔵)
九月十六日 木 午前九時 奥山清治氏来約(アスカ山邸)


(奥山清治) 書翰 渋沢栄一宛(昭和二年)一月一八日(DK370013k-0005)
第37巻 p.100 ページ画像

(奥山清治) 書翰 渋沢栄一宛(昭和二年)一月一八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
前略
昨日は参上、永らく御邪魔仕候こと恐縮の至に候、御高説殊に近世日本建立の昔話など興味尽くる所なく、裨益すること尠からず難有存候右御礼迄以紙上一筆申述度如斯御坐候、乍末時下御自□《(重カ)》願上候 頓首
  一月十八日
                      奥山清治
    渋沢会長殿
          案下



〔参考〕国際知識 第六巻第一一号・第一二四―一二五頁大正一五年一一月 ○本部だより 婦人児童売買禁遏国民委員会設立に関する協議会議事要録(DK370013k-0006)
第37巻 p.100-101 ページ画像

国際知識 第六巻第一一号・第一二四―一二五頁大正一五年一一月
 ○本部だより
    婦人児童売買禁遏国民委員会
      設立に関する協議会議事要録
 予て報告通り右協議会は、九月十六日午後一時半、丸ノ内工業倶楽部に開催、出席者左の通り、
鳩山春子氏、仏教女子青年会 秋山花子氏、廓清会 益富政助氏、高島米峰氏、杉宮弥平氏、伊藤秀吉氏、村上雄策氏、救世軍 矢吹幸太郎氏、矯風会 久布白落実氏、川崎正子氏、二宮わか子氏、井深花子氏、古田とみ子氏、浅田みか子氏、千本木道子氏、皆川喜与子氏、林歌子氏、城のぶ子氏、沖八重子氏、島津とし子氏、岡部萩子氏、仏教社会事業協会 中西雄洞氏、東京聯合婦人会 守屋東氏、売笑婦問題研究委員会 栗本庸勝氏代理、日本性病予防協会 飯田英作氏、国際聯盟情報部東京支局 青木節一氏、全国廃娼同盟 金子茂子氏、新妻伊都子氏、内務省社会局 川崎巳之太郎氏、愛隣団セツツルメント 谷川貞夫氏、天岳院住職 竹内慶道氏、本協会 男爵阪谷芳郎氏、添田寿一氏、秋月左都夫氏、奥山清治氏、大熊真氏、鹿野直司氏
 阪谷男爵開会の辞を述べ、次で座長に推され国民委員会を設立すべきや否やを一同に諮り、小委員会を設けて問題を調査する事とし、栗本庸勝氏、高島米峰氏、久布白落実氏、林歌子氏、杉宮弥平氏、城の
 - 第37巻 p.101 -ページ画像 
ぶ子氏、伊藤秀吉氏、新妻伊都子氏、秋山花子氏の九名の委員を指命す、それより来会者各々所感を述べて三時半散会
 因に小委員会は本会議終了後引続き開催、高島米峰氏を委員長に推し、国民委員会を設立するの方針を可決したり。而して九月廿日午後三時より、更に神田区三崎町三崎会館にて第二回小委員会を開催し、会則案の作製に就て研究したり



〔参考〕公娼制度撤廃の是非 川崎正子著 巻頭石版刷大正一五年六月刊(DK370013k-0007)
第37巻 p.101 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕公娼制度撤廃の是非 川崎正子著 第二三―三二頁大正一五年六月刊(DK370013k-0008)
第37巻 p.101-104 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕公娼制度撤廃の是非 川崎正子著 第一二四―一三五頁大正一五年六月刊(DK370013k-0009)
第37巻 p.104-109 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕国際知識 第一一巻第八号・第一一三頁昭和六年八月 編輯余滴(DK370013k-0010)
第37巻 p.109 ページ画像

国際知識 第一一巻第八号・第一一三頁昭和六年八月
    編輯余滴
 過去五年間本協会の主事として、本誌の編輯兼発行者として、又本誌巻頭主張欄の執筆者として、最善の努力を尽され、本協会並に本誌を今日の隆盛の地位に導かれた奥山清治氏は、去る七月十五日を以て辞任せられ、前ブラジル大使館参事官赤松祐之氏が、その後を継がれました。