デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.109-110(DK370014k) ページ画像

大正15年9月21日(1926年)

是日、当協会第六十四回理事会及ビ同主催、国際聯盟交換研究派遣員送別兼万国議員商事会議参列員歓迎午餐会開カル。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

国際聯盟協会書類(二) 【大正十五年九月十七日】(DK370014k-0001)
第37巻 p.109 ページ画像

国際聯盟協会書類(二)        (渋沢子爵家所蔵)
  大正十五年九月十七日
               国際聯盟協会々長
                 子爵 渋沢栄一
    会長殿
拝啓、来る九月二十一日午前十一時より、丸ノ内日本工業倶楽部に於て第六十四回理事会を開催、今秋の宣伝方法につき御協議相煩はし度右終つて過般万国議員商事会議に参列帰朝せられたる、樺山・水野・田村・田中館・成瀬の諸氏、及近く国際聯盟より派遣せらるゝ医員諸氏、招待送迎午餐会を開催可致候に付、同刻迄に御光臨被成下度、此段御案内申上候
 追而御出席の有無折返し御回報相煩はし度願上候 敬具


国際知識 第六巻第一一号・第一二一頁大正一五年一一月 ○本部だより 第六十四回理事会(DK370014k-0002)
第37巻 p.109-110 ページ画像

国際知識 第六巻第一一号・第一二一頁大正一五年一一月
 ○本部だより
    第六十四回理事会
 九月二十一日午前十一時、丸の内工業クラブに於て開会、阪谷・添田両副会長、秋月理事、宮岡理事、奥山主事出席
 一、大熊真氏より長野及び九州地方支部創立につき、交渉の経過を報告
 一、十一月十一日の平和紀念日は例年の通りなるべく、盛大に挙行のこと
 - 第37巻 p.110 -ページ画像 
 一、関東・関西の学生摸擬聯盟会議を極力応援すること
 一、十一月上旬帰朝の杉村陽太郎氏のため、歓迎計劃を立てること


国際知識 第六巻第一一号・第一二六頁大正一五年一一月 ○本部だより 招待会(DK370014k-0003)
第37巻 p.110 ページ画像

国際知識 第六巻第一一号・第一二六頁大正一五年一一月
 ○本部だより
    招待会
 九月二十一日正午丸の内工業クラブに於て、国際聯盟交換研究派遣員諸氏の送別を兼ね、万国議員商事会議参列諸氏の歓迎午餐会を催した。出席者は伝染病研究所医学博士井上善十郎、栄養研究所原徹一、慶応義塾医学部伊沢知実、内務省防疫官黒田教慧、新嘉坡防疫情報局次長佐藤正、栄養研究所長医学博士佐伯矩、北里研究所医学博士秦佐八郎、伝染病研究所医学博士宮川米次郎、北里研究所医学博士北島多一、内務省防疫課長内野仙一、内務省衛生局長山田準次郎、貴族院議員水野錬太郎、貴族院議員伯爵樺山愛輔、貴族院議員田村新吉、貴族院書記官長成瀬正恭、本協会副会長阪谷芳郎、同添田寿一、理事秋月左都夫、同宮岡恒次郎、主事奥山清治、デザートコースに入るや阪谷男爵は起つて渋沢子爵が微恙のため出席出来なかつたことを謝し、子に代つて一場の挨拶を述べた、次いで左の諸氏の興味深き感想談があつた。
 水野錬太郎氏 従来国際聯盟には余り重きを置かなかつたが、渡欧して様々の事物を見聞するにつれて、自分の考へが変つて来た。聯盟は今日までにも相当の成績を挙げ、今回独乙の加入によつて益々その基礎を鞏固にし、歴史上一時代を劃したのであつたと述べ、更にアベリストウイスに於て開催された聯盟協会聯合会の如き会合には、努めて適当な人物を派遣せられんことを希望せられた。
 佐藤正氏 シンガポール防疫情報局に、日本人の任命を見るに至つた事情、及び其後の経過を述べ、自分が果してその主任を果し得るや否やを謙遜して語られた。
 北島多一氏 交換研究の企に対するライヒマン博士の尽力を讃え、他方派遣員諸氏に向つて激励の辞を述べた。
 田村新吉氏 別室に於て欧洲漫遊談があつた。氏は婦人の風俗の変遷、聯盟の発達、独乙加入の影響、欧洲財界の現状等広く各方面の問題を論じ、最後に氏がベルギー皇帝に拝謁した時、皇帝が其朝の新聞紙に現はれたフランの相場を御存知であつたことにより、如何に皇帝がベルギーのため御心労であるかを拝察して、無量の感に耽つたとの事である。
 樺山愛輔氏 大体水野錬太郎氏と同意見の旨を述べ、次で英国炭鉱夫罷業に於て彼地の労働者が秩序整然たる行動を執つたことを賞揚し日本労働者のそれと比較せられた。又米国に於ては事業家・資本家・労働者間の争闘が少く、その原因を労働者の事業加入、共同出資に帰し、その結果資本家と労働者との利害が接近しつつあると結ばれた。