公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第37巻 p.384-385(DK370095k) ページ画像
大正10年5月3日(1921年)
是日、婦人平和協会発会式如水会館ニ挙ゲラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
集会日時通知表 大正一〇年(DK370095k-0001)
第37巻 p.384 ページ画像
集会日時通知表 大正一〇年 (渋沢子爵家所蔵)
五月三日 火 午後二時 婦人平和協会発会式(如水会館)
(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正一〇年(DK370095k-0002)
第37巻 p.384 ページ画像
(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正一〇年
(阪谷子爵家所蔵)
○大正十年五月三日 婦人平和協会創立、如水館《(会脱)》ニテ開会、余演説ス外渋沢子、ケネジー氏
婦人平和協会創立委員招待状(DK370095k-0003)
第37巻 p.384 ページ画像
婦人平和協会創立委員招待状 (阪谷子爵家所蔵)
(印刷物)
いつしか新緑の頃と相成り候、扨てかねてより御高慮を賜はり候婦人平和協会もお蔭を以てこの程漸く成立致し、来る五月三日午後二時神田区一ツ橋如水館(商科大学内)に於て発会式を挙行致す事と相成候就ては当日は大隈侯爵・渋沢子爵に御臨席を請ひ、新しくこの会に対する御高説を承るやう相成り居り候間、御多忙中に入らせられ候とは察し上候へども、何卒万障御繰り合せの上御光来下され度、右御案内申上候
大正十年四月廿六日
婦人平和協会創立委員
(イロハ順)
井上秀子 羽仁もと子
西邑伸子 戸野みちゑ
大橋広子 門野りう子
加藤高子 河井道子
神谷信子 ガントレツト恒子
塚本はま子 アールウイン雪子
男爵夫人 目賀田逸子 上代たの子
(宛名手書)
阪谷芳郎殿
二伸 甚だ恐れ入り候へ共、御出席の有無折りかへし御返辞賜はり度候
竜門雑誌 第三九七号・第六五頁大正一〇年六月 ○日本婦人平和協会発会式(DK370095k-0004)
第37巻 p.384-385 ページ画像
竜門雑誌 第三九七号・第六五頁大正一〇年六月
○日本婦人平和協会発会式 日本婦人平和協会にては、五月三日午後二時より一橋如水会館に於て、発会式を挙行したる由なるが、当日青淵先生にも臨席の上一場の講演ありたる由。
因に同会規約は左の如しと
- 第37巻 p.385 -ページ画像
(一)本会は会員組織とし、婦人平和協会と称す、(二)本会は内には国内に於ける婦人の位置の向上に努め、外には国際的友情の向上、永久平和の確立に努力し、以て一国の文化と世界人類の幸福の増進に資すること、(三)前条の目的を達する為め、緩急を計り漸を追うて左の事業を行ふこと
(一)単独に又世界婦人の団体と共に、平和の確立及び婦人の位置向進に必要なる運動の開始、(二)会員研究会の開催、但毎月一回例会、毎年一回の大会を開くの外、必要の都度臨時会を開くこと(三)出版物の発行、(四)公開講演、(五)本会目的に適へる諸団体の活動に対する協賛
〔参考〕(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正九年(DK370095k-0005)
第37巻 p.385 ページ画像
(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正九年
(阪谷子爵家所蔵)
○九年十一月十日 川上勇来リ、米国ヨリ平和協会代表ノ婦人某来ル旨ノ報アリ、女子大学○日本女子大学校ノ井上秀子・上代たの両氏ニ移牒ス両氏ヨリ婦人平和協会ノ組織ニ付話アリ云々
○中略。
○九年十一月十二日 婦人平和協会ノ件、井上秀子・上代たの二氏来宅相談アリタリ、簡易組織ニテ初ムルヲ可トス、ボールス夫人ニモ相談可然旨ヲ語ル