デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
20款 太平洋問題協議会
■綱文

第37巻 p.488-491(DK370109k) ページ画像

大正14年6月12日(1925年)

是日栄一、太平洋問題協議会第一回大会ニ出席スル沢柳政太郎・斎藤惣一・高木八尺ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、日米問題ニ関シテ懇談ス。翌十三日、日米関係委員会主催ノ送別午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。


■資料

集会日時通知表 大正一四年(DK370109k-0001)
第37巻 p.488 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
六月十二日 金 午前十時 沢柳・斎藤惣一・高木氏等来約(アスカ山)
六月十三日 土 午后二時 藤山雷太氏来約(アスカ山)
        午后三時 神崎驥一氏来約(アスカ山)


(増田明六)日誌 大正一四年(DK370109k-0002)
第37巻 p.488-489 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年     (増田正純氏所蔵)
九日○六月 火 晴
前十時、飛鳥山邸ニ於ける子爵の団琢磨・井上準之助・添田寿一・頭本元貞の四氏と会談せらるゝニ参列す、頭本氏来十一日出発渡米ニ関し、子爵より種々の希望を前記三氏と共に託せられたり
午後一時、外務大臣官邸ニ於ける太平洋協議会出席者送別会ニ招かれ出席す、大臣・次官・各局長及協議会関係者(日米関係委員会々員・日米協会幹部等)及出席者一行、婦人共全部列席、大臣は一行の為ニ乾杯を為したるのミにて送別辞なく、誠ニ料理ハ鄭重なりしが、形式抜きの簡単なる宴会なり
  ○中略。
 - 第37巻 p.489 -ページ画像 
十二日 金 晴
朝、飛鳥山邸ニ参候
前十、子爵の沢柳・斎藤・高木の三氏(太平洋協議会出席者にして、沢柳氏ハ委員長、外二氏ハ幹事なり)及阪谷男爵と会談せらるゝニ参列す、子爵より日米問題ニ関する過去及現在の状況ニ付、詳話して種種の注意を与へられたり○下略
十三日 土 晴
正午、東京銀行倶楽部ニ於て日米関係委員会主催の太平洋協議会代員送別会あり、出席者ハ同会員を主人側として、代員一行の列席者如左
沢柳政太郎氏(委員長) 代員 高柳賢三氏(帝大教授)
高木八尺氏(帝大教授)    井深梶之助氏
斎藤惣一氏          丹羽清次郎氏
神崎驥一氏          石井徹氏
頭本元貞氏(十一日先発不参)
右の外
井深夫人 高柳夫人 鶴見夫人ハ婦人代員として参加
又米国より団員に加ハる人々
鶴見祐輔氏 市橋倭氏 小松隆氏 佐藤定吉氏
阪谷男爵主人側を代表して送別の辞を陳へ、柳沢博士代員一行を代表して謝辞を述べ、和気曖々裡ニ散会
午後三時、藤山雷太氏自動車に同乗して飛鳥山邸ニ到る、神崎驥一氏も子爵ニ面会の為め同乗して到る○中略
同氏○神崎驥一辞去の後、子爵の病室ニ於て太平洋協議会ニ送る子爵のメッセージを作成し、尚紐育のギユーリック博士より子爵宛電報ニ対する答電案を作り、双方共電話を以て白石氏ニ通し、同氏より小畑氏ニ通し、之を英訳せしめたるが、右電報ハ本夜無電を以て発送したり、時ニ七時半
○下略
十五日 月
正午、太平洋協議会に出席の沢柳博士外一行東京駅を出発するを見送りニ赴き、同駅にて一行中の幹事斎藤惣一氏ニ、金壱千円を予備費として手渡す。
○下略
  ○十三日送別会ニ就イテハ本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十四年六月十三日ノ条参照。


渋沢栄一書翰控 金子堅太郎宛 大正一四年六月一〇日(DK370109k-0003)
第37巻 p.489-490 ページ画像

渋沢栄一書翰控  金子堅太郎宛 大正一四年六月一〇日  (渋沢子爵家所蔵)
  (朱書)
  大正十四年六月十日付金子堅太郎子宛総長親書
追日向暑之候、老閣益御清適之条奉賀候、然は過日達尊聴候今般頭本元貞氏太平洋会議出席之為、ホノルルまて出張を機とし米国へ渡航し同地各方面之同志に声息を通し、幾分揮攉鼓舞致度と相考へ、日米関係委員会之名を以て老生より米国各地之同志ニ発状し、頭本氏出張之際充分之応援を致呉候様、書通いたし候義ニ御坐候、右ニ付而ハ過日銀行集会所ニ於る会議にハ御出席相成、種々御意見御垂示被下候由拝
 - 第37巻 p.490 -ページ画像 
承感謝此事ニ御坐候、小生爾来宿痾回復ニ至らす籠居罷在候、昨今ハ幾分快方ニ付、或ハ今一回社会ニ執務出来可申哉と折角摂養仕居候
頭本氏出立ハ明日と相成候ニ付、別ニ老生より各方面之大家ヘハ覚書を以て伝言を通し、可成本会之宿望貫徹に相努可申と存候、右等病臥中にて一々御打合も不申上候得共、快方候ハヽ緩々拝陳可仕候
○中略
  六月十日                渋沢栄一
    金子老閣侍史


太平洋問題協議会書類(DK370109k-0004)
第37巻 p.490 ページ画像

太平洋問題協議会書類            (渋沢子爵家所蔵)
                    (栄一墨書)
                    七月十一日一覧
粛啓、日々暑気相加はり候所、御左右如何被為在候や御伺申上候、扨此度の太平洋問題協議会に就ハ、最初より種々御高配を忝うし誠に難有御礼申上候、又先日ハ御懇篤なる無線電信難有拝受仕候、幸に一行皆元気にて毎日協議題目につき研究仕居候間、乍憚御休神被下度候、此度の航海ハ毎日海上平穏にて、明日未明にハ「ハワイ」着のことニ相成居候、遥かに御健康を祈上候、先ハ右御礼旁如此に御座候
                         早々敬具
  大正十四年六月廿三日
    渋沢子爵閣下
        御取次中
                    石井徹
                    沢柳政太郎
                    井深梶之助
                    同花
                    丹羽清次郎
                    斎藤惣一
                    神崎驥一
                ヴオーヴリズま喜
                    高柳賢三
                    同扶美
                    高木八尺
                    鶴見愛子
                        (Signed) G.S. Phelps


太平洋問題協議会書類(DK370109k-0005)
第37巻 p.490-491 ページ画像

太平洋問題協議会書類           (渋沢子爵家所蔵)
  太平洋協議会日本代表
    委員長 沢柳政太郎様
拝啓、貴台並御一行海上恙無く御安着の上、七月一日以降は定められたる日程に依り、日夜多忙に御消光可被成義と拝察仕候と同時に、折角時季御厭益御健全に被為在候様懇願罷在候
去十八日左記電報相発候処御落手被下候事と存候
 We wish you and party bon voyage Shibusawa Sakatani
御出立前御配慮被下候渋沢の病気も、爾来幸に順調に快復致居候間、不日再度社会に起つて公に奉するを得べくと楽しみ居候、何卒御安心
 - 第37巻 p.491 -ページ画像 
被下度候
右御安着を期し御悦迄申上候 敬具
  大正十四年六月廿五日          渋沢栄一
                      阪谷芳郎
  ○本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十四年五月十二日ノ条参照。