デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
22款 日本国際児童親善会
■綱文

第38巻 p.45-47(DK380004k) ページ画像

昭和2年2月27日(1927年)

是日栄一、三越並ニ松坂屋ニ到リ開催中ノ親善人形展覧会ヲ見ル。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和二年(DK380004k-0001)
第38巻 p.46 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和二年 (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 晴 寒気少ク減ス
○上略 午前十一時頃ヨリ増田明六氏ト共ニ三越百貨店・松坂屋同店ニ抵リ、米国ヨリ寄贈セル人形ノ陳列ヲ一覧ス、日曜日ナルヲ以テ特ニ来観者多ク両店共真ニ混雑ヲ極メタリ、三越ニテハ倉知主任特ニ出勤シテ人形陳列観覧ノ実況ヲ説示セラル○下略


(増田明六) 日誌 昭和二年(DK380004k-0002)
第38巻 p.46 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和二年 (増田正純氏所蔵)
二月廿七日 日 晴 出勤
午前子爵を御案内して松坂屋及三越ニ於ける米人形展覧会を参観す、同展覧会は両所の外、白木屋・松屋・高島屋等ニて催されたるが、右両店の陳列方を最も良好を認め、御希望に依り御案内したる次第なり
○下略



〔参考〕集会日時通知表 昭和二年(DK380004k-0003)
第38巻 p.46 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年 (渋沢子爵家所蔵)
二月廿八日 月 午後一時半 文部省へ御出向
三月一日  火 午後二時  米国ドール・メッセージノ件ニ付三越呉服店御出向



〔参考〕中外商業新報 第一四七三六号 昭和二年三月二日 雛段を背景に渋沢さんの笑顔 お人形の御礼に米国へ行く 活動写真のカメラの中へ(DK380004k-0004)
第38巻 p.46-47 ページ画像

中外商業新報 第一四七三六号 昭和二年三月二日
    雛段を背景に渋沢さんの笑顔
      お人形の御礼に米国へ行く
        活動写真のカメラの中へ
米国から贈られたお人形の御礼には、その歓迎会の光景や御雛祭の模様を知らせることが一番いゝといふので、文部省ではかの国へ送るために一日午後二時半から、飾りつけの済んだ三越呉服店のお雛段を背景 にかりて活動写真をとつた、登場人物はそもそも人形のことで相談にのつた渋沢子爵・松浦文部次官、それに美しく着飾つた松竹の藤田陽子さんにふさ子さんといふ顔触れ、馴れた手つきで姉妹が、米国のお人形を子爵と次官にさゝげると、二人は人形を抱きながら思はずにつこり微笑むところ、天晴れ名優振りの
表情 とあつて、カメラストツプになり立派なスナツプが出来あがつた、これが済んで子爵の可愛い令孫六人もカメラに入つた、この日文部省からは関屋普通学務局長・菊地学務課長なども来て、大童のていで何かと斡旋してゐた(写真○略スは活動写真撮影のところ、中央向つて左より渋沢子爵・松浦文部次官、その前方右より藤田陽子・同ふさ子さん)
 撮影を終つて
  渋沢子は語る
「我が国へお人形を贈られるにあたつて、会ら骨を折つた国際児童親善会の幹事ギユリツク氏とは、永い間の親交があるのですが、こん度の試みも同氏が何か新らしい方法で日本との親善をはかりたいとの意
 - 第38巻 p.47 -ページ画像 
思から生れたもので、もちろんお礼などはかたく辞してゐられたのですが、こんな立派な人形を沢山いたゞいた切りにしては済まないわけで、何とかお礼をしたいと思つてゐましたが、その方は総て文部省へおまかせしておいたのです……」
  ○右映画撮影ニ関スル記事ハ三月二日ノ「東京日日新聞」ニモ掲戴サル。