公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正元年9月20日(1912年)
是日栄一、明治天皇大葬参列ノタメ来日セル、アメリカ合衆国特派大使国務卿フィランダー・シー・ノックスヲ蚕業講習所ノ参観ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
招客書類(一) 【大正元年九月二十日午後零時半於飛鳥山邸 米国特派大使国務卿ノツクス氏招待会】(DK380061k-0001)
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招客書類(一) (渋沢子爵家所蔵)
大正元年九月二十日午後零時半於飛鳥山邸
米国特派大使国務卿ノツクス氏招待会
ピー・シー・ノツクス
同夫人
東方局長 アール・エス・ミラー
海軍代表者 アドミラル・レーノルヅ
海軍代表者《(陸)》 ゼネラル・パーシング
駐日米大使 ブライアン
接伴員 栗野慎一郎
同 松井慶四郎
子爵 内田康哉
子爵 三島弥太郎
男爵 高橋是清
男爵 三井八郎右衛門
男爵 近藤廉平
添田寿一
中野武営
大倉喜八郎
益田孝
新渡戸稲造
同夫人
島田三郎
堀越善重郎
主人
主夫人
穂積陳重
同夫人
男爵 阪谷芳郎
同夫人
明石愛子
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竜門雑誌 第二九三号・第六九頁 大正元年一〇月 ○青淵先生ノツクス卿招待午餐会(DK380061k-0002)
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竜門雑誌 第二九三号・第六九頁 大正元年一〇月
○青淵先生ノツクス卿招待午餐会 青淵先生には御大葬儀に参列の為め来朝したる、米国特派大使国務卿ノツクス卿一行を、去る九月二十日飛鳥山邸に招待せられたり、当日青淵先生・同令夫人・穂積博士・同令夫人・阪谷男爵・同令夫人・明石令夫人は、西ケ原農事試験所に到りて一行を迎ふ、一行は国務卿ピー・シー・ノツクス卿・同令夫人東方局長アール・エス・ミラー氏、海軍代表者アドミラル・レーノルヅ、陸軍代表者ゼネラル・パーシングの諸氏にして、接伴員大使栗野慎一郎、大使館参事官松井慶四郎の両氏を伴ひ、自働車に分乗して午前十一時同所に到着し、出迎に出でたる青淵先生等と場内を一覧の後蚕業講習所に到り、米国に対する我主要輸出品なる生糸製造、其他種種の参考品を一覧し、終りて午後零時半同邸に到り、先着せられたる他の賓客諸氏と握手の礼を交し、最早時刻も移りたればとて、直に食堂に案内せられたり。
食堂は同邸日本坐敷の大客間を以て充て、一面に絨氈を敷き詰め、盆栽花卉を適当に配列し、其中間に食卓を設けたるが、尚両側は見晴し良き庭園なりければ、ノツクス卿令夫人の如きは宛然米国のカントリー倶楽部に招かれたる感ありなど語られしとか、軈て主客席定まり、純日本式の料理を饗し、席上青淵先生及ノツクス卿の鄭重なる挨拶の交換あり、一同盃を挙げて健康を祝し、終りて別室に於て青淵先生の珍蔵せる美術品を一覧に供し、夫れより庭園の散歩を為し日本式茶室に到りて抹茶を饗し、又望月金鳳及同青鳳両画伯の席画を観覧に供し後紀念の撮影を為し、主賓一行以下敦れも歓を尽して帰途に就けりと云ふ
当日の来賓は前記主賓一行及接待員の外、左の諸氏なり
内田康哉子・米国大使ブライアン・三島弥太郎子・高橋是清男・三井八郎右衛門男・近藤廉平男・添田寿一氏・中野武営氏・大倉喜八郎氏・益田孝氏・新渡戸稲造氏・同令夫人・島田三郎氏・堀越善重郎氏
○「中外商業新報」第九四八三号(大正元年九月二十一日)ニ渋沢邸ニ於ケル是日ノ饗応ノ記事アリ。略ス。
〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第一九八―二〇九頁 昭和七年二月刊(DK380061k-0003)
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