デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.50-54(DK390013k) ページ画像

明治43年9月9日(1910年)

是日栄一、アメリカ合衆国渡清実業団ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。栄一関西旅行中ナルニヨリ、嗣子篤二代リテ接待ス。


■資料

竜門雑誌 第二六八号・第五五―五八頁明治四三年九月 ○米国渡清実業団の歓迎(DK390013k-0001)
第39巻 p.50-53 ページ画像

竜門雑誌 第二六八号・第五五―五八頁明治四三年九月
    ○米国渡清実業団の歓迎
○横浜埠頭上陸 曩に清国より正式の招待を享けたる米国太平洋沿岸八商業会議所員より成る渡清団員三十九名を乗せ、去月二十三日桑港を解纜せるコレア号は予定の如く九日午前九時横浜港外に仮泊、既定の検疫を経て九時半港内に入る、夜来の秋霖冥濛たるの間、京浜在住の我渡米団員大谷・左右田・名取・加藤の諸氏、並に前沙港領事たりし田中外務書記官等は何も船内に此遠来の客を迎へて暫時歓迎談を交へ、一行は順次ランチにて一先グランドホテルに到る、一行の氏名は左の如し
   ロスアンゼルス市
ウヰリアム・エツチ・ブース氏、同夫人
 (帝国練習艦隊来航の節を始め、常に我に対して厚誼を示すに極力尽瘁せり、地方人望高く、本春合衆国上院議員候補者として推さんとしたるものも辞退したり)
 - 第39巻 p.51 -ページ画像 
 イー・エス・モルトン氏、同夫人 リバサイド市銀行家
 イー・ピー・ボスヒーシエル氏 金属機具商
   オークランド市
 イー・エー・ヤング氏、同夫人 肉類卸商
 ダリエー・エツチ・ウヰルピー氏、同夫人 材木商
   ポートランド市
 カール・ジエー・ブツシ氏
 オー・エム・クラーク氏、同夫人
 テー・デー・ホニーマン氏
   サンデイゴ市
 ジヨージ・バーンハム氏 現高等会議所会頭《(商業)》
 ウヰリアム・フランクリン・ナイト氏
   サンフランシスコ市
 ウヰリアム・エル・ゲツスル氏、同夫人 現高等会議所会頭《(商業)》
 リチヤード・エム・ホタリング氏 資本家
 ロバート・ダラー氏、同夫人 ダラー汽船会社社長
 チヤーレス・ブイ・ベンネツト氏 団体秘書役
   シヤトル市
 ジエー・フアース氏
 イー・エフ・ブレーイン氏
   スポケーン市
 サミユール・アール・スターン氏、同夫人
 ジヨン・エツチ・シヨー氏
 シー・ハーバート・ムーア氏
   タコマ市
 エル・アール・マニング氏、同夫人
 ダブリユー・エツチ・デクソン氏、同夫人
 チヤーレス・エツチ・ハイド氏、同夫人
   ホノルヽ市
 エトワード・シー・ブラウン氏
 ブレツド・エル・ワルドロン氏
   外ニ通訳官トシテ
   ハルトン・ブトスー氏
    以上三十九名
又埠頭に於て来賓一行をコレア号に迎へたるは、東京の我渡米団員たりし青淵先生代渋沢本社長・中野武営氏・神田男爵・堀越善重郎氏・同夫人・亀田行蔵氏・飯利耒作氏なり
 (因に青淵先生には此度渡清米国実業団員中には、昨年我渡米実業団が米国巡回中始終行動を共にしたるハイド氏、クラーク氏、ムーア氏あり、特にハイド氏は清国の視察を終れば直に欧羅巴漫遊の途に就く由の報知もありたれば、該一行の清国往路東京に立寄るの機会に於て同氏等及ブース、ダラー、ブレイン等の諸氏に対し、往年の厚意を酬ん為め一夕の小宴を開かん事を中野氏に図り、万事を同氏に托して京阪地方に出発せられたり、依て中野氏は直に之を京浜
 - 第39巻 p.52 -ページ画像 
在住渡米実業団員に諮り、玆に一同の同意を得たれば、曩きに無線電信を以て団長ブース氏に案内の意を通じ置きたり)
於是東京より出迎ひたる諸氏は、左の諸氏を案内して同日〇時五十分横浜駅を発し、車中更に歓談湧くが如き間に、雨中車窓の風光を眺め新橋に向へり
 ブース氏(渡清実業団長ロスアンゼルス市商業会議所会頭)
 同夫人
 クラーク氏(ポートランド市商業会議所議員)
 同夫人
 ゲツスル氏(桑港商業会議所会頭)
 同夫人
 ダラー氏(桑港商業会議所議員)
 同夫人
 ブレイン氏(シヤトル市商業会議所議員)
 ムーア氏(スポケーン市商業会議所議員)
 ハイド氏(タコマ市商業会議所議員)
 同夫人
 モルトン氏(リバサイド市商業会議所議員、銀行家)
 同夫人
 バーンハム氏(サンデイゴ市商業会議所議員同会頭)
 同夫人
     (以上十六名)
△新橋駅の光景 一行を乗せたる車は定時一時五十分横浜を発車し、二時廿五分新橋に着せり。此処に出迎へたるは青淵先生令夫人代理渋沢愛子嬢・神田男爵夫人・沼野安太郎氏・同夫人・岩原謙三氏・佐竹作太郎氏・根津嘉一郎氏・渡瀬寅次郎氏・原林之助氏・町田徳之助氏・大井卜新氏・増田明六氏にして、互に温き握手を為しムーア氏の発声にてララ万々歳を三唱し、徐々にプラツトホームを出で予て用意の自働車七台に分乗して帝国ホテルに案内し、同処に於て午餐を饗し午後四時左の道路を経て、飛鳥山の曖依村荘に向ふ
△曖依村荘の歓迎 午後五時十五分一行飛鳥山曖依村荘へ着す。令息篤二氏及び愛子嬢慇懃に一行を洋館迎へて鄭重なる茶菓を饗したる後篤二氏は「父は公用旅行中、又母は病気の為め親しく各位を歓迎する能はざるを遺憾とし、自分及び妹をして代りて各位の接待を命ぜられたり云々」との挨拶に対し、団長ブース氏の謝辞あり、夫より一同邸内の愛蓮堂に入る、愛蓮堂に於てはポンチ、紅茶、ウヰスキー、麦酒平野水、サンドウイツチ、西洋菓子を供へ、篤二氏・愛子嬢親しくボーイを指揮して一行を款待したり、茶菓の饗終りて一同紀念の撮影を為し尚ほ庭園を観覧する筈なりしかど、折柄降雨頻りなりしを以て之を見合せて其望みに応じ日本室を隈なく観覧に供し、午後六時一行は同邸を辞して日本橋倶楽部の晩餐会に赴きたり、同所に於てレセプシヨンあり、純日本式料理の晩餐会に移れり、来賓は前記十六名にて主人側の出席者は左記廿七名なり
 渋沢本社長    渋沢愛子嬢  中野武営氏
 - 第39巻 p.53 -ページ画像 
  神田男爵    同令夫人   日比谷 平左衛門氏
  佐竹作太郎氏  岩原謙三氏  同令夫人
  根津嘉一郎氏  堀越善重郎氏 同令夫人
  原林之助氏   同令夫人   渡瀬寅次郎氏
  町田徳之助氏  同令夫人   大谷嘉兵衛氏
  左右田金作氏  大井卜新氏  飯利耒作氏
  亀田行蔵氏   名取和作氏  増田明六氏
  加藤辰弥氏   田中都吉氏  金子真成氏
盛宴終るに臨み、中野武営氏起ちて歓迎の辞を述べて曰く
 淑女紳士各位、今回清国実業家の招待に応じ同国に御出向の途中、我が横浜港に寄航せられたるを歓び、且つ太平洋の長途航海に何等異状なく今日玆に無事安着せられたることを祝福す
次で今回の来遊に就ては十分歓迎すべき希望なりしも、諸氏滞在時間の短少なる為、已むを得ず此小宴を催せし事、及帰途再び本邦に立寄らるゝ際は更に一行を招待する希望を有する事、猶昨年渡米団が受けたる歓待を深謝し更に左の如く述たり
 終に臨み渋沢男爵は今日各位の来着を期待し居たるに拘はらず、止むを得ざる公共の事件の為めに本月五日以来大阪・神戸・京都・名古屋等巡回して未だ帰京せられず、為めに本日此会に出席し能はざるは甚だ遺憾の次第なるも、公共のこと如何とも為すの途なきことなれば此旨各位に伝達し、併せて各位が帰途来遊の際は必らず各位に面会せらるゝ機会あるべきを信ずる旨、各位に伝達するやう依頼を受けたり
 玆に重ねて各位の御旅行の安寧にして且つ愉快なる事及び御健康を祝す
右に対し団長ブース氏は今夕は斯く盛大なる招宴に与り感謝に堪へずと挨拶し、続てクラーク氏は立ちて予は二年前東洋漫遊の途に就き、当地に於て親愛なる中野会頭に対しポートラント市の旗を贈呈せり、然るに昨年同会頭が我ポートラント市に来り相会せるとき、中野会頭は前年予より贈呈せる右旗を再び予に贈れり、然るに今回貴国を訪問して今夕玆に三度同会頭に此旗を贈呈するは最も愉快とする所也とて彼我親交の益々親厚なる表証となし、続て神田男の流暢なる英語を以て昨年諸氏と相会し歓談を交ひ得たるを光栄なりとし、更に諸氏が清国の訪問を終て再び相会することを望むと結び、更にブレイン氏は従来日米の交通は政治家に依りて交換されたる観あるも、今や決して然らす、彼我通商の交換に依り、今後両国の親厚は更に増大すべしと述べ、右終て大谷横浜商業会議所長《(会頭)》の発声にて米国大統領万歳を三唱し続てクラーク氏の発声にて我天皇陛下万歳を唱へ、是にて席を解き一同階下の日本室に移り、帝国技芸学校女生徒の末広獅子、喜劇三太郎の余興あり、次で十時二十分新橋発にて、一行は非常に満足の意を表しつゝ帰航の途に就けり
   ○本社長トハ竜門社社長ノ謂ニシテ、渋沢篤二ナリ。
   ○「中外商業新報」第八七五三号(明治四十三年九月十日)ニ米国渡清団入京ニ関スル記事アリ。略ス。
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(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK390013k-0002)
第39巻 p.54 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四三年    (八十島親義氏所蔵)
九月十日 曇 日曜
○上略渋沢男爵去五日以来、水害救済会遊説ノ為、関西地方旅行中ノ処今夕五時四十五分新橋ヘ帰着セラル○下略