デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.132-135(DK390057k) ページ画像

大正5年6月16日(1916年)

是日アメリカ合衆国人飛行家アート・スミス、札幌ニ於テ墜落負傷ス。栄一、見舞金五百円ヲ贈ル。


■資料

竜門雑誌 第三三八号・第八〇頁大正五年七月 ○アート・スミス氏見舞金(DK390057k-0001)
第39巻 p.132-133 ページ画像

竜門雑誌 第三三八号・第八〇頁大正五年七月
○アート・スミス氏見舞金 北海道札幌に於て飛行の際、墜落負傷せるアート・スミス氏に対し、青淵先生には見舞金五百円を寄贈せられ
 - 第39巻 p.133 -ページ画像 
たる由。


日記から アート・スミス著 アートスミス飛行会編 第一八七―二一八頁 大正五年九月刊(DK390057k-0002)
第39巻 p.133-134 ページ画像

日記から アート・スミス著アートスミス飛行会編 第一八七―二一八頁大正五年九月刊
    札幌
○上略
 午後二時余は第一回の飛行を行つた、而して可成強風であつたけれども札幌区民の為めに飛行を無事に終ることが出来た。
 余の第二回の飛行は四時の予定であつた、然るに三時頃より雨が降り出した、余は雨中に見物を待たせることは好まなかつた、○中略
 余は会場の隅に向つて飛行機を押出し、而してスタートした、余は第一回の飛行の時と同様に迅速に離陸した、忽ち余は三十米突の高さに達した、此時突然発動機の発火が停つた、余は何の原因で停つたかが解らなかつた、余は再三・再四発火しやうと試みた、併し如何としても発火しなかつた。
 此くては着陸の外なしと見て取つて余は前方を望んだ、見れば前方には丁度見物の一団が居る、其後方には高い塀が長く続いて居る、高塀の向ふにも見物が居つた、余は風に逆つて真直に前方に飛んだならば其が最も安全なる着陸であつた、併しそれでは見物の頭の上に着陸することになる。
 丁度余の直下、少しく右に寄つて余は走路に沿ふて立つて居る見物と外側の柵との間に一空地を認めた、其空地に着陸すべく余は機首を右に向けた、空地は狭くして且つ余の直下にありし故に、余は頗る急角度で機首を向けなければならなかつた。
 余が方向を転じた時、颯と吹き来つた一陣の風は機の翼に当つて之を敲いた、余は調節機を極度に使つて機体を水平に直さんと努めた、併し何をいふても只二十米突の高さである、機体を直さんと欲しても直し得る余地がなかつた、余は横様に墜落しつゝあつた、而して遂に右翼を以つて地に衡突した。
○中略
    日本公衆の同情寄附
 余が札幌に於て負傷せし以来、義侠心に富める日本国民は余の慰問の為め寄附金を募集した、大隈伯・金子子・渋沢男・長岡中将、其他の名士は奮つて寄附金の筆頭に署名した、而して余は学生や小学校生徒の大多数が其小遣銭を寄附したことを聞いた。
○中略
 余は今一万円以上の金円を日本国民から受取つたので、余の年来の志願たる飛行機実験の為め此全額を費すことを決心した、之が余の実験の費用に充てらるべき最初の資金である、余は自己の費用には此中の一銭も手に触れまいと思ふ。
○中略
    日本に於ける余の飛行
○中略
同○六月十六日 一回 札幌
 - 第39巻 p.134 -ページ画像 
○下略


中外商業新報 第一〇八四八号大正五年六月二四日 ○ス氏見舞金募集(DK390057k-0003)
第39巻 p.134 ページ画像

中外商業新報 第一〇八四八号大正五年六月二四日
○ス氏見舞金募集 予て企画中なりし、スミス氏見舞金募集の件は、愈々大隈伯・金子子・渋沢男・長岡中将の四氏個人として発起者となり、曾て同氏が飛行せる各地方に於いて、同情と後援とを与へたる各団体の主脳者に宛、廿三日右主旨及方法等を申送り依托する処あり、猶東京市に於ては、前記四氏の他に、諸名士の尽力を合せて不日発表すと


中外商業新報 第一〇八五一号大正五年六月二七日 ○ス氏見舞金募集(DK390057k-0004)
第39巻 p.134 ページ画像

中外商業新報 第一〇八五一号大正五年六月二七日
    ○ス氏見舞金募集
大隈伯・金子子・渋沢男・長岡中将の発起にて、負傷せるスミス氏の為に見舞金募集の企てをなし、各地に通牒せる事は既報の如くなるが愈々東京市に於ても左の方法に依りて金員募集を開始せり、而して先づ渋沢男は五百円、長岡中将は百円を申込みたりと
 一、募集金額は十銭以上とす
 二、七月十五日締切の事
 三、飛行機が持ち来りたる日米の親善と題する冊子を、日英両文にて印刷し、巻尾に醵金者の姓名並に金額を記し、日米の要所に配附す
 四、申込所左の如し
  第一銀行・村井銀行・安田銀行・三井銀行・森村銀行・国民飛行会
 △発起者 大隈伯・金子子・渋沢男・長岡中将・三島子、近藤・大倉・森村各男、島田三郎・井上友一・奥田義人・鎌田栄吉・団琢磨・早川千吉郎・池田謙三・豊川良平・安田善三郎・松方巌・浅野総一郎・村井吉兵衛、其他十数氏


中外商業新報 第一〇八六三号大正五年七月九日 ○ス氏へ同情(DK390057k-0005)
第39巻 p.134 ページ画像

中外商業新報 第一〇八六三号大正五年七月九日
○ス氏へ同情 大隈伯・金子子・渋沢男・長岡中将其他諸名士発起となりて、スミス氏負傷見舞金募集中の処、既に申込を受けし重なるものは三井・三菱両家の各千円、渋沢男の五百円、森村男の二百円、長岡中将・団琢磨・早川千吉郎・桐島像一・堀越善重郎諸氏の各百円等にして、猶各学校よりの申込も尠からず、帝国大学の如きは教授諸氏多数申合せて醵金せりと


中外商業新報 第一〇八七五号大正五年七月二一日 □去るに臨みて(DK390057k-0006)
第39巻 p.134-135 ページ画像

中外商業新報 第一〇八七五号大正五年七月二一日
    □去るに臨みて
小生は最も愉快に四ケ月を送りたる美しき国日本を今将に去らんとするに臨み、到着以来懇切なる又無限の援助を与へられたる貴紙及貴紙読者諸君に対し満腔の謝意を表し申候、札幌に於ける不幸の為に予期の飛行を遂げ得ざりし事は、小生の最も遺憾に堪へざる処に候、然しながら小生は来春再び渡来して更に新しき飛行を為すべき確信を有し
 - 第39巻 p.135 -ページ画像 
居り候、呉々も極東の光輝ある帝国と其善良なる国民に対する愉快なる記臆を抱いて帰国するは、小生の欣喜に堪へざる処に御座候 敬具
  七月廿日                    アート・スミス