デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.198-200(DK390107k) ページ画像

大正9年7月22日(1920年)

是日アメリカ合衆国ニュー・ヨーク聯邦準備銀行総裁ベンジャミン・ストロング、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト懇談ス。次イデ二十八日、栄一、東京駅内ステーション・ホテルニ答礼訪問ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK390107k-0001)
第39巻 p.198 ページ画像

集会日時通知表 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
七月廿二日 木 午後五時 米国準備銀行頭取ストロング氏兜町ニ来約(通訳者同行之筈)
   ○中略
七月廿八日 水 午前十時 ストロング氏ヲ御訪問(東京ステーシヨンホテル)


竜門雑誌 第三八七号・第四一―四二頁大正九年八月 ○青淵先生とストロング氏の会見(DK390107k-0002)
第39巻 p.198-199 ページ画像

竜門雑誌 第三八七号・第四一―四二頁大正九年八月
○青淵先生とストロング氏の会見 五月上旬以来保養の為め我国に滞在しつゝありたる、米国紐育市準備銀行総裁ベンギヤミン・ストロング氏は、七月二十二日午後五時兜町事務所に於て青淵先生と会見、懇談三時間に及べり。ストロング氏は自己の日本社会に対する観察法が普通の米国人と異りて、専ら下級社会に注意を払ひし事を述べ、其結論として日本の民衆は親切・勤勉・従順にして友情に厚きことを賞賛し、日本の政府が此等の民衆を将来如何に指導するかを注視する事が余の尤も愉快とする所なる旨を告げ、又青淵先生が、一千九百十五年(大正四年)桑港博覧会視察旁、従来親交ある米国朝野の名士と会見して、種々意見を交換せられたる事ありしが、当時青淵先生は一日氏を準備銀行に訪れて、二個の質問を発せられたる事を語り、其当時は之に対して明確なる回答を為すこと能はざりしが、今は自己の経験上より聊か右の質問に回答を為す事を得べしと冒頭し、大要左の如く語れりと云ふ。
 第一の質問、即ち米国内に中央銀行を置かずして、如何に此膨脹し行く金融界を操縦し得るやに対しては、合衆国内の十二準備銀行が代表者会を開きて詳細の協定を為し居る故に、自ら統一を計ることを得て、今日に至るまで何等の故障を見ざる由を語り、
 第二の質問、即ち準備銀行は政党の具に利用せらるゝの恐なきやに対しては、今日に至る迄其誘惑に掛ることなく経過し来りしは、我国
 - 第39巻 p.199 -ページ画像 
民が準備銀行の勢力を承認し居るが故に、国会の如きも準備銀行の提案に重きを置くが如き状態にして、政党を超越せる権威ある独立機関の姿を呈しつゝある旨を詳述する所ありし由なるが、青淵先生は二十八日午前十時、東京ステーシヨンホテルに同氏を訪問して答礼せられたりと云ふ。


青淵先生演説速記集(三) 自大正十年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本 【所感=第八十回中央銀行大会席上= (大、一一、四、二六)】(DK390107k-0003)
第39巻 p.199-200 ページ画像

青淵先生演説速記集(三) 自大正十年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本
                    (財団法人竜門社所蔵)
    所感=第八十回中央銀行大会席上=
                  (大、一一、四、二六)
                   子爵 渋沢栄一
○上略
恰度私は大正四年に紐育へ参つた時であります、米国に中央銀行が出来た為め、ストロング君を尋ねました、而も其時日本銀行の大岡君と一緒に行つたのでありました。其時ストロング君に、何処の地方でもある事だが、殊に吾々の知る所では、地方からの不平が生じて困つたが御当地は何うか、もう一つは中央銀行が政治界に私用される事で、当地には未だ中央銀行と云ふ真実の中央機関がなかつたのであるが、創立された今日は如何であると斯ふ言ふ事を問ふたのであります、其時ストロング君は御尤の御問ひであるが、まだ実は去年から布いた制度で、此春からやつと銀行の組織や仕事に取りかゝつたのであるから暫らく御問ひの事は何卒答への出来る迄待つて下さいと云つたから、私はそんな事はないと笑つて帰つた。一昨年ストロング君は病気保養旁々日本へ遊びに来ましたが、日本銀行でも随分接待をされました、私は恰度其時病気であつた為め二度許り紹会されたが断はりました。が、それから一週間許後私も漸く病気も良くなりました所へ、ストロング氏が再度尋ねて参りましたから、私も面会しましたが、其時彼曰く、五年前に貴下と紐育にて会つた時、私に斯ふ云ふ質問をされた、其時私が完全に答弁が出来なかつた為め、今度は是非完全でないけれ共御答へする心算で来ました、もう私も二・三日で帰国致しますから非常に面会の出来ぬ事を甚だ遺憾に思つて居ましたが、近日出発しなければならないので、何うかして御目にかゝつて御答へしたらと思つて居たが、幸に今日御目にかゝつたのを喜ぶ、それで第一の御伺ひは成程御尤で、不平の生じ安いのは地方であると云はれたが、如何にも其通りで、故に私は此銀行業者の制度を設けられても、何うしても斯ふ云ふ風な事が根本問題であるから、情実や政治に偏せず、互ひに常識を以て行けば、之等の制度の欠陥を補ふ事が出来るから、御互に常識を以て判断し、面倒となる事は惹起されぬ様進む事を根本問題とした為め、多少競争はあつたけれ共、先づ紐育方面には全くなかつたと云ふ事を明言する事が出来る、其当時にも想像したけれ共、遣つて見ん事には判らぬから、其時は御答へが出来なかつたのは甚だ遺憾でありましたが、今日此御答へをするのであります。第二の政治上に利用せられると云ふ事は何処の国でもある事だが、米国は自惚れかも知れないが、経済界が政治界を利用する方で経済界が政治界に利用さる様
 - 第39巻 p.200 -ページ画像 
な事は先づ殆どないと云つて良い、是丈けは何うも如何共仕様がない米国だけは自惚れだが経済界が政治界より少し力が強いと思ふのであります。之れは手前味噌である様であるが、そう云ふ習慣だと聞流して置いて呉れと云ふ事を、五年経つて答へに来た位いであるからで、慮の厚いのは如何に米国人が義理固いと云ふ事は之れを見ても明念かある。吾々銀行者はそう云ふ様にしなければならぬと云ふ事を、深く同業者諸君に話したいと思つて玆に述べたのであります○下略
   ○本速記ハ、大正十一年四月二十六日、名古屋市名古屋銀行集会所ニ於テ催サレタル第十八回中央銀行大会ニ於ケル演説ニシテ、此処ニ引用セル部分ハ講演者ノ訂正ヲ経ザルモノナリ。
   ○右文中、中央銀行ガ出来タトアルハ中央銀行ニハアラズシテThe Federal Reserve Bank of New York ヲ指スナリ、其職責中央銀行ニ類似セルヲ以テ斯ク云フ。