デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.535-541(DK390261k) ページ画像

昭和3年3月27日(1928年)

是日、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス商業会議所代表者ゲイロード・ビー・カーカー、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。


■資料

(ジョージ・エル・イーストマン) 書翰 渋沢栄一宛一九二八年二月一三日(DK390261k-0001)
第39巻 p.535-536 ページ画像

(ジョージ・エル・イーストマン) 書翰  渋沢栄一宛一九二八年二月一三日
                      (渋沢子爵家所蔵)
    THE LOS ANGELES CHAMBER OF COMMERCE
         OFFICE OF THE PRESIDENT
                    February 13, 1928
Viscount E. Shibusawa
  No. 1 Nichome Yeirakucho
  Kojimachiku, Tokio
Your Excellency:
  Herewith I take pleasure in presenting to you Mr. Gaylord
 - 第39巻 p.536 -ページ画像 
B. Kirker, whom the Los Angeles Chamber of Commerce is sending out as our Far Eastern Representative.
  With Mr. Kirker we desire to send a message of good will and friendship to your good self and other leaders among the Japanese people who have taken a prominent part in the promotion of friendship between our two peoples.
  We remember with much gratitude the courtesies and hospitality which you have shown to travelers from Los Angeles on former occasions.
  We expect Mr. Kirker to spend the next year or two in the Orient and not less than the next six months in your own fair country.
  We trust that this message will find you enjoying the best of health and with many years of service yet before you in the activities in which you have achieved such signal success in the past.
               Very respectfully,
         LOS ANGELES CHAMBER OF COMMERCE
            (Signed) Geo. L. Eastman
                       President
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
          三月廿二日一覧、添書ノ旅行者到着面会之後、書状ニ対し回答相発し申度事
 東京市               (三月十六日入手) 明六
  子爵 渋沢栄一閣下
           羅府商業会議所会頭
           一九二八年二月十三日
               ジヨージ・エル・イーストマン
拝啓、益御清適奉賀候、然ば羅府商業会議所極東代表者として派遣致候ゲイロード・ビー・カーカー氏を玆に御紹介申上候
右と同時に当会議所は、日米両国間の親善助長の為めに大なる貢献を為されたる閣下、並に日本の名士諸氏に対し本書を以て厚意と友誼とを披瀝致度くと存候
従来羅府より貴地に赴きたる旅行者に対して御与へ被下候閣下の御厚意と御款待とは、私共が多大の感謝を以て記憶致居る処に御座候
カーカー氏は壱両年を東洋に過さるゝ筈にて、美しき貴国には約六ケ月間滞在可相成候
閣下には不相変御壮健に被為亘候事と存上候、閣下が無比の功績を挙げさせられたる御事業の為めに、今後尚ほ多年御長寿被遊候様祈り奉り候 敬具


(クレアレンス・エッチ・マトソン) 書翰 小畑久五郎宛一九二八年二月一三日(DK390261k-0002)
第39巻 p.536-537 ページ画像

(クレアレンス・エッチ・マトソン) 書翰  小畑久五郎宛一九二八年二月一三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
LOS ANGELES CHAMBER OF COMMERCE
 - 第39巻 p.537 -ページ画像 
               LOS ANGELES, CALIFORNIA
                   February 13, 1928
Mr. K. Obata
  Secretary to Viscount E. Shibusawa
  No. 1, Nichome, Yeirakucho
  Kojimachiku, Tokio, Japan
My dear Mr. Obata:
  It is with much pleasure that I have the honor of presenting to you with this letter our Far Eastern Representative, Mr. Gaylord B. Kirker, who is sailing on the Taiyo Maru to spend the next year or two in the Orient, much of which will be in Japan.
  While Mr. Kirker's primary mission is, of course, the promotion of commerce between the Orient and Los Angeles, in connection therewith he will also be the bearer of our utmost good will.
  He is taking with him an official letter of introduction from the President of the Los Angeles Chamber of Commerce to Viscount Shibusawa, and any courtesies which you may yourself show him will be greatly appreciated by us.
              Very truly yours,
         DEPARTMENT OF FOREIGN COMMERCE
             AND SHIPPING
                    (Signed)
             Clarence H. Matson, Manager


竜門雑誌 第四七五号・第八〇―八四頁昭和三年四月 カーカー氏来訪(DK390261k-0003)
第39巻 p.537-540 ページ画像

竜門雑誌 第四七五号・第八〇―八四頁昭和三年四月
    カーカー氏来訪
   米国ロスアンゼルス市の商業会議所代表として、渡日中であるゲーロード・ビー・カーカー氏は、三月廿七日午前十一時事務所に来訪し、子爵と会見左の如き談話の交換を為した。
カ氏「商業会議所会頭イーストマン氏初め、会議所の理事からも、子爵に宜敷申伝へて呉れとのことでございまして、子爵の御健康を祈ると同時に、日米の親善に関して御尽力下さることを深く感謝致して居ります」
子爵「只今の御言葉を有難く頂戴致します。イーストマン氏からの御懇書は翻訳で拝見し、貴方の御来訪を御待ちして居りました」
カ氏「私が日本へ参りました目的は、第一にロスアンゼルスに於ける日米人の間を一層密接にせしめたい為め、第二はロ市と日本との貿易を益々盛んならしめたい為めであります」
子爵「御希望の趣は承知致しましたから、私の出来ることならば何なりとお役に立ちたいと存じます。私はロ市へは三回も参りました即ち最初は千九百九年、次に千九百十五年、三回目は千九百二十一年で最後の時でも今日より既に七年も経過致しましたが、第一回に参りました時と第三回に参りました時とでは、非常な変化を
 - 第39巻 p.538 -ページ画像 
して居るのに驚いたのです。由来米国は駸々乎として発展して居るので、一般的に変化の甚だしいことが目につきますが、特にロスアンゼルス市は目立つて居ります。私が参りました時には東部を廻つてからでしたから、ロ市へは入ると紐育へ再び帰つたやうな気が致した程で、其の発達の著しさに感心して居ります」
カ氏「其様なお言葉は誠に有難く感じますが、一方太平洋の将来を予想致しますと、其の沿岸にある国々は今後大いに進歩するものと考へます。将来二十五年、五十年、百年と其の前途を予想する事は出来ないけれども、太平洋の交通なり貿易なりは、大西洋の其れ等を凌駕するであらうと思はれます。従つて此進歩に伴ふて行かねばならぬと、ロスアンゼルス市の実業家は考へて居るので、斯く代表者を日本へ出した訳であります。日本の進歩は我々の常に驚嘆して居る処であります。例へば日本では如何なる地方の村落に於ても電気を持たぬ処はない有様で、米国の如きに於ても加州には到る処に電気を見るが、全体としては、普及して居ない処が沢山あります。東洋に斯かる国が控へて居る以上、ロ市と日本との貿易の前途に著眼せずには居られないのでありまして、我々は其の趨勢を見て著々準備をして居る訳であります」
子爵「御説の通りであります。そして世界人類の発展を図るには知識を吸収すべく勉強を怠つてはなりませんが、米国人は文化を進めるには必要な性質を有し知識を持つて而も努力して已まないので感服の外ありません。日本もそれを学び度いものであると存じます。現に私の如き百歳近くになつても学び度いのです。然し日本は開国後尚ほ新らしく、国土は狭く富源は少いので自然進歩も遅い。然しながら隣国支那は国家としては現在満足でなく、国内の闘争がかなり甚だしい嫌があるけれども、他方国土は広漠、富源は無尽蔵と云はれ、其の国民の脳力も相当であるから、将来を有するものであると信じて居ります。其他東洋の国々に就てはよく地理を知らぬが、太平洋を繞る国々が相当発展することは疑ひない処であります。即ち支那の富源と日本人の智慧とを以てせば、対岸には北米がありますから、今までは後れた国々であつたけれども、将来は必ず著しい進歩発展を為すものであると思ひます。斯様なことを老人である私が述べるのは滑稽に類するが、私は身体は死しても精神は何時までも生きて居ると考へて居りますから斯様に論ずるのであります」
カ氏「日本人が理想に向つて進むことに熱心である国民であると理解し、且つ其の実を挙げて居るのを見て常に尊敬して居ります。而も子爵の如き実業界の老偉人が国民に与へらるゝ感化は実に多大でありまして、お言葉の通り肉体はたとへ亡びても、精神は残つて永く国民を感化します。誠に死しては最早地上に生存は出来ませぬが、善事をして置けば、それが精神として地上に残るでありませうから、我々も生きて居る間は長所を発揮し、国家社会に尽さねばならぬと考へます」
子爵「よく御了解下さつた事を喜びます。今貴方は渋沢のことを御賞
 - 第39巻 p.539 -ページ画像 
め下さいましたが、誠に有難い御言葉であると感じて居ります。由来私の米国に対する感じは早くから頗る深いのでありまして、身の上話のやうになりますが、私は東京在の農家に生れました。子供の時から漢籍を学んで、十四・五歳の折、聊か外国のことを知りかけました。殊にそれより前英国が阿片問題で支那と戦争を初めたことが書物になつて居たので、外国と云ふものは無理をする恐ろしいものであると思つて居ました。恰度そこへ水師提督ペリーが渡来して開国を迫つた。故に私達はそれが英国と支那との関係と同様になるのではあるまいかと考へ、かくて二十歳頃までは外国と云へば善悪の差別なく恐ろしい侵略的なものだ、一つ間違へば戦争を起して国を取ると嫌がつて居た。即ち攘夷論者であつたのであります。然るにペリーの後にハリスが米国の外交官として来た。此人は実に日本の為めに親切にしてくれた、ペリーも同様であつたが、ハリスは道理正しく一層日本の進化に尽して呉れました。此人の事蹟を私は後になつて聞いてから、少年の頃の考へ違ひを後悔し、米国の懇切な仕方を感謝して居るやうな訳であります。故に日本としては米国と意見の相違を来さぬやうにあらしめねばなりません。そして米国の文明に做つて日本は其の文化を進めなければならぬので、さきに貴方は日本では地方の農村到る処に電気が設備せられてあると申されましたが、それは未だ灯火用のみで農業上に之を応用すると云ふ処まで参つて居りません。私は元来が百姓であるから、斯うしたことをも考へ、私の出身した村で色々やらせて居りますが、我々の考へが中々普及しないので、尠なからずそれに就て心配して居るのであります。又日本は国家として米国との交情を正しく進ましめ、昔の恩義を忘れぬやうにしたいと思つて居るのであります」
カ氏「お話は一々御尤もと拝聴致しました」
子爵「尚ほ貴方が御渡来の用向に就て、必要であれば三井・三菱、其他船の事ならば日本郵船の社長などに御紹介致します」
カ氏「日本郵船では大谷さんが親切にして呉れます。只今の処日本郵船の船はロ市へ定期はなく、南米行のものが寄港するのみですが追々其の方も心配してもらう筈です。而も日本郵船は私の為めに通訳をつけてくれました。又外務省では武富さんなど何れも非常に親切にして下さいます。子爵は日本が米国に做はねばならぬと仰せられましたが、私は斯様な点は日本に学ばなければならぬと考へます。要するに何かとよろしく御願ひ致します」
子爵「力の及ぶ限りは尽力致します。実際ハリスは感心です、だから私は昨年ハリスが最初領事として滞在して居た伊豆下田の柿崎へ故バンクロフト大使からの御相談を受けて碑を建てました。ハリスの渡来当時は前にもお話したやうな時代とて外国人を恐れましたから、さぞハリスは困つたであらうと想像致します、そんな困難な間に日本のことを考へて折衝してくれた。日本側では虐待したのみでなく寧ろ妨害したので、通訳のヒユースケンなどは壮士に殺されたのです。それでもハリスは日本に親切であつたので、
 - 第39巻 p.540 -ページ画像 
深く感じ入る次第であります」
カ氏「私は日米の間は益々親善が進むから、将来戦争などは夢にもないと信じます。即ち子爵のハリスに対する如き親善関係が続けられると信じて居るものであります」
子爵「此の建碑式の日、現大使マクヴエー氏も臨席せられて一場の演説を試みられた、それはハリスの当時を深く思ひ、自分も同じ外交官である所から其の困難な有様に同情したもので、我々日本人として記憶して置いてよい言葉でありまして、誠によく日本人の性質感情を知り、遠慮なく批評し、六十一年前の政体の変化から今日の政治上の有様、即ち普通選挙のことなどを述べられたのであります。それからハリスの書いたものに面白い言葉がありますそれは領事旗を初めて立てた日の日記で、それには『是れ蓋し日本の国情変化の兆にして、更新の端なるべし、借問す、予が思惟する如く、日本の為に真に有為なりや如何に』と書付けて居ります。此の七十三年前のハリスの心配に対し、過般の建碑式の日私は『どうか御安心下さい、日本の為め真に幸福でありました』と報告的に申したやうな次第であります。此の二冊の書物の一つはハリス建碑のこと又一つは当日マクヴエー大使の演説を印刷したものであります。知人に頒つたのですが、貴方にも差上げますから御読み下さるやう希望致します」
カ氏「此の冊子に御署名願へれば結構です。長時間御会見を御許し下さいましたことを厚く御礼申上げます」


(ゲイロード・ビー・カーカー) 書翰 渋沢栄一宛一九二八年三月二七日(DK390261k-0004)
第39巻 p.540-541 ページ画像

(ゲイロード・ビー・カーカー) 書翰  渋沢栄一宛一九二八年三月二七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
       Los Angeles Chamber of Commerce
          Los Angeles, California
         FAR EASTERN REPRESENTATIVE
           GAYLORD B. KIRKER
                    March 27th 1928
               Imperial Hotel, Tokyo.
Viscount Eichi Shibusawa
 Tokyo
Your Excellency:
  I wish to tell you that I appreciate more than you perhaps realize the talk I had with you this morning and I shall treasure greatly the pamphlets which you autographed and gave me. I am only one of a great number of Americans who consider you one of the really great men, not only of Japan but of the world, and I am very happy to have had the opportunity to meet and talk with you. I trust it will be my good fortune to be so honored again.
            Yours very sincerely
             (Signed) Gaylord B. kirker
(右訳文)
 - 第39巻 p.541 -ページ画像 
                    (栄一鉛筆)
                    三月三十日一覧
 東京市                 (三月廿八日入手)
  子爵 渋沢栄一閣下
              東京、一九二八年三月廿七日
                ゲイロード・ビー・カーカー
拝啓、益御清栄の段奉賀候、然ば今朝閣下と御会談の栄を得候事に就ては、小生は恐らく閣下が御推察被遊候以上に感謝罷在候旨を申上げ猶ほ閣下が御自署の上小生に賜はり候小冊子も深く珍重致候事をも申上度と存候、小生は閣下が日本のみならず世界に於ける真の偉人なりと考へ居る多数米国人の一人にして、閣下と談話を交ふる機会を得たる事は欣幸とする処に御座候、再び斯様なる光栄に相浴し候事を得ば幸甚と存候 拝具