デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.664-673(DK390299k) ページ画像

昭和4年12月4日(1929年)

是日、アメリカ合衆国産業聯盟会会長マグナス・ダブリュー・アレグザンダー、飛鳥山邸ニ来訪シ栄一ト対談ス。


■資料

(ハワード・ハインツ)書翰 渋沢栄一宛一九二九年九月一九日(DK390299k-0001)
第39巻 p.664-665 ページ画像

(ハワード・ハインツ)書翰  渋沢栄一宛一九二九年九月一九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
           HOWARD HEINZ
             PITTSBURGH
                  September 19th, 1929
Viscount E. Shibusawa,
  2 Itochome Marunouchi Kojimachiku,
  Tokyo, Japan
My dear Viscount:
  It gives me great pleasure to introduce to you through this letter my friend, Mr. Magnus Alexander, who is President of the National Industrial Conference Board of America, of which body I am a member of the Executive Committee.
  Mr. Alexander has the respect and confidence of the leaders of American industrial life in an unusual manner and I do not know of his equal in his particular profession. He is one of the most informed men of international, industrial and commercial relations and I am quite sure you will be interested in having a talk with him. I believe he speaks several languages so that I hope you can talk directly to him in French or German and I am sure his meeting with you will be of great benefit to him as well.
  He is attending a meeting in Japan and then is off for a tour of inspection of your great industrial life. I assure you that I shall appreciate it very much if you can find time to grant
 - 第39巻 p.665 -ページ画像 
him an audience during his visit.
  Assuring you of my highest esteem and expressing my appreciation in advance, believe me,
            Sincerely yours,
             (Signed) Howard Heinz
HH : N
(右訳文)
                     (栄一鉛筆)
                     四月七日一覧
 東京市                 (十二月四日入手)
  渋沢子爵閣下
                 ピツツバーグ市
   一九二九年九月十九日       ハワード・ハインツ
拝啓、益御清適奉賀候、陳者本書を以て友人マグナス・アレキサンダー氏を御紹介申上ぐるを欣幸に存候、同氏は米国に於ける全国産業聯盟協会会長にして、小生も常務委員の一員として同会に加入致居候
アレキサンダー氏は米国産業界有力者諸氏の尊敬と信任とを有すること多大にして、其専門的業務に於ては匹儔を見ざる次第に有之候、同氏は国際・産業及び工業関係等に就き最も該博なる智識を有し居候故同氏との御会談には必ず御感興を催さるゝ事と確信仕候、同氏は又数ケ国語に通じ候故、仏語或は独語にて直接の御談話可能の事と存候、閣下に拝光の栄を得ば同氏も大いに益する処有之べくと存候
アレキサンダー氏は日本に於ける工業会議に出席したる後、貴国の産業界視察のため漫遊の予定に御座候、就ては貴国滞在中御引見被下候はゞ幸甚の至に存候
右得貴意度如此御座候 敬具


(チャールズ・チェニー)書翰 渋沢栄一宛一九二九年九月二五日(DK390299k-0002)
第39巻 p.665-667 ページ画像

(チャールズ・チェニー)書翰  渋沢栄一宛一九二九年九月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
            CHENEY
             SILKS
           CHENEY BROTHERS
            MANUFACTURERS
       181 MADISON AVENUE AT 34TH STREET
             NEW YORK
                   September 25, 1929
Viscount E. Shibusawa,
  2 Kabutocho Nihonbashi,
  Tokio, Japan.
Dear Viscount:
  This letter will introduce to you my very good friend and associate, Mr. Magnus W. Alexander, the President of the National Industrial Conference Board, who is going to Japan to deliver an address on the subject of the economical development of the United States, upon the occasion of the International Engineering Convention to be held in your city this fall.
  As the managing head of the Conference Board, Mr.
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Alexander has been doing a most valuable and interesting work, and I am sure that there is much that he can give you which will be interesting to you and to your compatriots. Upon the other hand, I am very sure that there is a great deal that you can do for him in helping toward a better understanding of economical, social and industrial conditions in Japan. I think that a meeting of you two would be mutually advantageous. I shall be very appreciative of any courtesies and assistance which you may be able to give him.
  I believe that you know already something of the ideals and plans of operation of the National Industrial Conference Board. Briefly, it is seeking to build up by scientific research a basis of fact and sound opinion upon which judgments may be founded in connection with the multitude of problems concerned with industry and therefore with civilization. I understand that Japan has made some steps toward the instituting of a similar work, and we are glad to join you in wishing it all success.
          Very sincerely yours,
                 (Signed)
                Charles Cheney
CC/K               President
(右訳文)
                    (栄一鉛筆)
                    四月七日一覧
 東京市                 (十二月四日入手)
  渋沢子爵閣下
                紐育市
   一九二九年九月廿五日      チヤールス・チエニー
拝啓益御清適奉賀候、陳者玆に小生の親友にして同僚たるマグナス・ダブルユー・アレキサンダー氏を御紹介申上候、同氏は全国産業聯盟協会の会長にして、今秋貴市に開催せらるゝ万国工業会議の際『米国の経済的発達』の題下に一場の演説を試みんがため渡日可仕候
産業聯盟協会の経営首脳として、アレキサンダー氏は最も貴重にして興味ある事業を為しつゝ有之候、就ては閣下及び貴国人の興味を喚起する多くの材料を提供し得ることゝ存候、翻つて閣下には同氏が日本の経済・社交及び産業情態を一層能く諒解し得る様種々御便宜御与へ被下事と存候、御会談は相互に有益なることゝ奉拝察候、同氏に対し御厚意と御援助とを賜はらば、誠に難有仕合せに御座候
閣下には既に全国産業聯盟協会の理想及び活動の計画に就ては多少御承知の御事と存候、換言すれば該協会の目的とするは産業に関係し、従つて文明に関する諸問題に関聯して断案を下す基礎となるべき事実及び健全なる意見の根拠を、科学的研究に依つて樹立せんとするに有之候、日本も同種の事業設立に向ひつゝあることは承知致居候、小生等は閣下と共に同事業の成就を希望致候
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右得貴意度如此御座候 敬具


総長ト外国人トノ談話筆記集 【○マグナス・ダブルユー・アレキサンダ氏の訪問】(DK390299k-0003)
第39巻 p.667-671 ページ画像

総長ト外国人トノ談話筆記集        (渋沢子爵家所蔵)
    ○マグナス・ダブルユー・アレキサンダ氏の訪問
          (昭和四年十二月四日午前十時於飛鳥山邸)
   夜来の雨名残なく晴れて、見るからに清々しい晩秋の空であつた。午前十時十五分、米国産業聯盟会長(President National Industrial Conference Board,Inc.)マグナス・ダブルユー・アレキサンダ氏(Magnus W. Alexander)は高島誠一及倉橋藤治郎の両氏と共に来邸、他に来訪者があつた為に子爵は三十分許り過ぎて御面会になり、次のやうな談話の交換があつた。
アレキサンダ氏「米国を立ちます前に、ラモント氏や其他の友人から日本へ行つたならば日本のグランド・オウルド・マンを尋ねよ、さうして自分等の好意を伝へ、且つ又子爵の御健康状態を御尋ね申すやうにと云はれて来ましたので、それで今日御繰合を願つた訳であります。」
子爵「わざわざさうしてお尋ね下すつた事は別して難有く、貴方にお目にかゝるのが喜ばしく、又私の旧友の親切な御言葉をおもち下すつた事を喜ばしく存じます。……私は老衰致しましたから、自分の仕事其他の記憶も薄くなりましたが、まだかうしてゐる事の出来るのはありがたい天意であると喜んでをります。」
アレキサンダ氏「いや年はおとりになつても、心は実にお若くいられます。先日帝国ホテルで米国機械技師協会が子爵を名誉会員に推戴致しました時に、私は数年来の会員として列席致しまして、其時に子爵が仰せられた『或一つの専門の智識をもたなかつた、その無学の為に却つて多くの事を知つた』と仰せられた、そのヒユーマを誠に面白く拝聴致して大いに喜びました。この御諧謔は実に子爵のお心が如何にお若いかといふ証拠であります。」(一同快く笑ふ)
子爵「私は米国の言葉を存じませぬが、英語を知らぬ為に却つてよく両方の情意だけをはつきり了解する事が出来てゐます。何時でも誰かが通訳をして呉れてゐる筈でありますが、それが誰が通訳をしたのかも覚えて居りませぬ。――かう云つては小畑君に済まぬやうだが――却つて其印象は心に残るといふものです。」(一同面白く笑ふ)
倉橋氏(英語で)「いやこれはも一つ子爵の素晴しいヒユーマだ。」
アレキサンダ氏「玆に私の仕事に関して赫かしい希望を以て申上げたい事は、多数の被傭者を有する有名な勢力ある人々が、自分達が其被傭者に対して、また市に対して、政府に対して、更に一般社会に対して、益々責任を感じて来たことであります。その結果として其等有力なる人々の力によつて仕事が出来るやうになりました(失業者が減じて来た)といふ事は、喜を以て御報告申上げ得るのであります。私は三週間ばかり前に支那に参りましたが、出発致します時に、日本の鉄道省の会計課の人が芳名録を出しまし
 - 第39巻 p.668 -ページ画像 
て何か一つ教訓を書いて呉れと申しましたが、発車匆々の際でありましたので特に考を纏める時間もありませんでしたから、『工業・経済、或は社会事業に於て、立派な知識を有する指導者を有するものは幸である。又其労働者が高い賃銀を受けつゝ仕事に精励して行く事が出来るのは幸である。斯の如き国家は栄えるであらう』と平素考へて居る所を書きました。」
子爵「簡潔で実によく要領を尽して居るやうに思ひます。……人類の歴史は今迄にどの位続いたものであるか、又これからもどの位続くものか私は知りませぬが、日に日に人間の世界が進みつゝある色んな事物に就て日一日と進んで行くといふ事は判つてゐます。その進むに就て、智識だけが進んで行つてよいかといふと決して左様ではありませぬ。従来東洋は智識に乏しう御座いました。今でも同様であると思つては居りますが、これは甚だよろしくないので大いに西洋に習つて智識を進めねばならないのであります。智識が進むのは誠によろしい。然し智識に伴つて道徳の観念が進むやうでなければならぬと思ひます。智識が進むと兎角道徳が忘れられる傾があります――智識を得ると力が出来る、自分の智識によつて事が運ぶ、えてその事に慢じて道徳を軽んずるに至るのであります。――これは決して米国に対してのみさう申すのではありません。蓋し現時の事態が左様であると申さゞるを得ないのは遺憾千万で御座います。私はいつも米国の方々に申上げますが遠慮なく申せば人間といふものは知慧よりは道徳が大事である、自分の勝れた智慧、その智慧によつて増した力を以て、道徳に反した事をしてはならぬと思ひます。これはひとり米国の方々に申します計りではなく、内に向つても此事を強く説いてゐるのであります。私は論語を金科玉条と思うて居りますが、その論語の眼目は何であるかと申すと、『夫子の道は忠恕のみ』とさへ申してをるので、此忠恕の二字が重要であります。此を説明して『内自ら欺むかず、之を忠といふ、己を推して物に及ぼす、之を恕と云ふ』とありますが、此二つが相並んで進んで行けば人類の理想は達せられるのであります。然るに力が忠に勝つと、それこそ禽獣も同じ事になります。――ライオンとかタイガーとかはこれでありませう。かくならば前に申した人類の理想境は遂に求める事が出来ませぬ。私が主張致したいと申したのは此事でありまして、米国の方々を見るとつい之を申上げねば済みませぬ、又渋沢の愚痴かと思はれるかも知れませんが、これは老人の癖でありまして初めての御仁に対しても斯く申上げるといふのは、敢て貴方に申上げるといふ訳ではなく、貴国の方々全部に申上げて居る積であります。」
アレキサンダ氏「子爵の仰しやる事はまことに真理であると心得ます而かも其真理を親しく拝聴するを得た事を感謝致します。(氏はこの辺から身振手振を加へて演説口調になつた)孔子、モハメツト、基督等皆立派な事を申残してゐます。――要するに人間は智情意の三方面が相共に円満に発達して行かねばならないと云ふの
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が此等聖人の教訓であります。我米国は物質的には益富んで参りますが、之に伴うて道徳が進まぬ事は事実であります。然し物質的進歩にしても、飽和点まで行けばそこで一時其進歩が止まります。さうすると今度は、精神的方面の進歩が来るであらうと思はれます。此両者が一致してこそ真に世界が進歩するものと考へます。古代羅馬の遺跡を見ますと所々の神殿の表面に『汝自身を知れ』(know thyselfといふ意味のラテン語)を刻んであります。自分を知れば自分と他人とは大して異つたものではない、即ちこれより恕が生ずるのであります。子爵の仰せの忠恕の道が行はれれば個人間の平和親善――進んで国際間の平和親善が行はれるのであります。」
子爵「斯の如く進んで行きましたなら遂には、黄金時代に到達するといふ事が必ずや空想では無く、期し得ると思ひます。物質方面の事態は進歩して寸時も止まない。と同時に進んで人類がよつてたかつて道徳を進めるといふ事を力めねばならないと思ひます……これは米国の方々に第一に申上げたいと思ひます。つまり米国の方々が、一番責任の重い地位にゐられるからでありまして、露骨な申分で恐縮ですけれども、衷情を打あけて申すのであります。」
アレキサンダ氏「子爵の長い年月に亘る豊富な御経験によつて御体得になつた結果、到達せられた人類窮極の目的に付ての御説は、決して夢でも空想でもありませぬ。斯る思想を抱いて生きて行かれるならば、全人類は遂に之に引惹けられ、軈ては黄金時代が現れるであらうと信じます。」
子爵「つい先達文部省で頻りと心配致しまして教化総動員をやりましたが、其節何か私に青年学生の教訓となるやうな事を申述べて呉れと乞はれました。(文部省出版パンフレツト、渋沢子爵述『義務を先に権利を後に』を一部呈上せられた)これがその時申述べましたものの筆記でありますが……学生はとかく権利ばかりを主張して困ります。私はこれを『権利を後にして義務を前にせよ』と申したのであります。この権利と義務といふものは糾へる縄の如く、義務を先にせば権利は後から来る――私はさう行つてゐるつもりで居りますので、之は日本文で一寸お読めにならぬかも知れませんが一部差上げます。」
アレキサンダ氏「有難く頂きます。紐育には日本の総領事館其他に沢山の友人がございますから、喜んで訳して呉れるだらうと思ひます。――もし此処の所に子爵の御署名を頂けば有難う存じます。」
 子爵はアレキサンダ氏の万年筆をとつて表紙の左方に左の通り署名せられた。
   昭和四年十二月四日     渋沢栄一
      曖依村荘に於て
 なほ子爵は日本に於けるタウンゼンド・ハリス君の事蹟を一冊取寄せられて、アレキサンダ氏に呈せられ、言葉をついで次のやうに述べられた。
子爵「貴方方のやうな立派な方々にお会ひしますと、簡単に申上げて
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置きたいのですが、嘗て日本へ米国総領事として来られ後に公使になられたタウンゼンド・ハリスと申す方があります。此人は安政三年に日米通商条約の締結に力を尽され、其後も日本の為めに非常に好意を寄せられたお方で、又其行動が如何にも立派で御座いましたので、私共は非常に感謝致して居ります。其行動の一例を申しますと、此人の通訳官でヒユースケンと云ふ人が暴徒に殺された事がありますが、其時他国の公使は幕府の治安維持に対し不安を唱へ横浜に引上げようと主張したのに対して断然反対し、泰然として江戸に止まり為めに幕府の威信を保たしめたのであります。其他種々の事柄に就て常に親切な道理正しい心を以て行動せられましたので、それを我々が心から感謝致して居ります所から、ハリスさんが長く滞在してござつた下田の近くの柿崎にある玉泉寺に記念碑を建てたのであります。私は単に漢籍をだけ学んでゐましたので、其影響から若い時分には外国人の事を夷狄禽獣などと申してさげすんでをりました。それが維新の前年に友人からハリスの事を聞きまして、斯くの如く武士道的の人が外国にもあるのかと感じまして、それと同時に米国が他の国々よりも懐しく思はれるやうになりました。爾来の心入は更めて申す迄もないと思ひます。所がこの記念碑を建てる為に当時の米国大使であつたバンクロフトさんが心配せられ、又其の一友人が資金を寄附せられましたので、此碑が建設せられたのであります。英文も添へてございますからどうぞ御覧下さい。」
アレキサンダ氏「誠に有難う存じます。随分長座致しましてお疲労の事と存じますが、もし御差支なくば一言移民法に就て申上げたいと思ひます……先般京都の太平洋問題調査会大会に於ける子爵のステートメントを拝読致しまして非常に感動致しました。此処に自分の腹蔵なき確信を申上げたいと思ひます。――これは私の友人のオズボーンも、ハインツもラモントも又有名なヤングも全く私と同意見でございますが、――どうしてもあの移民法は改正せねばならぬといふのであります。私は現大統領のフーヴア氏とも親交がございますが、大統領の心を察するにこれ亦同感でございまして、たゞ米国の上院の現状ではまだ極端な人々があり、やゝともすると日本に対して無礼な事を申し、国内の輿論を攪乱致しますので、実は好時機を狙つてゐるのでございます。」
子爵「よく判りました。仰の事情は十分に理解致してをります。たゞ私はあまりに年をとりましたので、私の生きてゐる内に其改正を見たいと思ひます。」
アレキサンダ氏「私は確かにさうなると信じます。」
子爵「中には中々親切な方がございまして、渋沢があの移民法の改正を見るまでは死なれ無いと言つて言るが、渋沢に死なれては困るから可成改正を延ばさうといふ方々もございます。」(一同哄笑)
アレキサンダ氏「私は衷心より子爵に申上げますが、子爵はまだまだ長命せられ、大いに子爵の哲学を世に教へられん事を祈るのであります。それは単に日本の為のみならず実に世界の為に斯くあら
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れん事を祈るのであります。」
子爵「恐縮でございます。人間が死にたくない、長生きしたいといふのは人情の自然であつて、何も私丈が之を遠慮する必要はありませんから、仰せの通り、出来る丈長命致し度いと思ひます。たゞ先程申上げましたやうに、此世の中に智慧と共に道徳も進むといふ事を心掛けねばならぬと云ふことを繰返し申したいのです。これは此処に居る六人(来客三人子爵及渋沢事務所員二人)丈でも出来る事と思ひます。」
アレキサンダ氏「米国は富が多すぎる為め軈て其富によつて害を受けるでありませう。これは丁度子爵が御壮健だからと云つて過食されると、必ず医者を要すると同一で御座います。米国は過度の富から、色んな社会問題が生じ、それが医者の働を致しますので、更に第二段の発達に向ふ事が出来ると存じます。」
 此処で倉橋氏の伴つて来られた写真師を呼入れ、アレキサンダ氏と子爵との握手の場面を撮影せしめた。アレキサンダ氏辞去するに際して「二・三年の中には再度の日本訪問を試みたいと思うて居りますから、其時も拝顔の栄を得るであらうといふ事を楽しみにして日本を去ります。猶此秋日本と同時に支那を訪れた人は、孰れも支那には失望し、日本へは再び来たいが支那へは行きたくはないといふ印象を受けた人が多いことを申添へたいと思ひます。」と云つて嬉々として車上の人となつた。
  ○右ハ「竜門雑誌」第四九六号(昭和五年一月)ニ転載セラレタリ。


(マグナス・ダブリユー・アレグザンダー)書翰 渋沢栄一宛 一九三〇年三月三日(DK390299k-0004)
第39巻 p.671-673 ページ画像

(マグナス・ダブリユー・アレグザンダー)書翰  渋沢栄一宛 一九三〇年三月三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
  NATIONAL INDUSTRIAL CONFERENCE BOARD, INC.
         247 PARK AVENUE, NEW YORK
                   March 3, 1930
My dear Viscount :
  It was a very great pleasure to me to receive, through Dr. T. Kurahashi, two enlarged photographs taken at your home when I had the great pleasure of a discussion with you early last December. Your personal inscriptions on these two photographs, of course, give them a very great value. They are to me a pleasant remembrance of a memorable visit to Japan, the first one that I had the pleasure to make to your most interesting and very beautiful country. Still more memorable, however, is to me the hour which I spent with you in discussing the foundations of the philosophy of Confucius, as you explained them to me, the basis of mutual understanding among nations upon which real world peace must rest, the principles which must guide business management in dealing with its employees, its customers and its governments, if fruitful and efficient production and distribution is to be brought about.
 - 第39巻 p.672 -ページ画像 
 There were other subjects in which your scintillating mind was keenly interested, and in respect to all these subjects I learned much from you.
  I hope I shall again have the privilege of a conversation with you and you must not shake your head as to the probability of it, because of your advanced age, for one who is so vigorous in body and mind as you and so keenly interested in the affairs of his own country and of the world may be expected to live and enjoy life for many years to come.
  My friends and associates, Mr. Loyall A. Osborne, Mr. Charles Cheney, Mr. Howard Heinz and others, were very much pleased that I had seen you and that I found you in such good health.
  With all good wishes and with very high regard for you, believe me,
             Very sincerely,
             (Signed) M. W. Alexander
Viscount Eiichi Shibusawa,
  Takinokawa,
  Tokyo, Japan,
(右訳文)
          (別筆)
          四月廿八日申上済、適当の返辞案を作製する事
 東京市               (三月二十二日入手)
  渋沢子爵閣下
   一千九百三十年三月三日
        紐育市
           マグナス・ダブルユー・アレキサンダー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば昨年十二月上旬閣下に拝光御談話の機会を得候折、貴邸にて撮影致候大形の写真弐葉倉橋氏より送付有之嬉しく拝受致候、閣下の御自署が右写真に大なる価値を添へ申候儀は申上ぐるまでも無之、且つ小生が初めて訪問せる最も興味深く、而も甚だ秀麗なる日本に於ける楽しき経験の記念に御座候、乍去小生に取りて更に一層記念すべきは儒教の真髄に関する御高話を拝聴せる事に有之候、該教が世界の真の平和の基礎たるべき各国間の相互理解の根底たり、且つ豊富にして高率の生産及び販売を将来《(招)》する為めに、如何に使用人及顧客を待遇すべきか、又は事務を処理すべきかに関する事業経営の指導原理なる所以等を御説明により篤と諒解仕候、鋭敏なる智能に富ませらるゝ閣下が強き興味を感ぜらるゝ其他の諸問題にも御論及被遊、小生は大いに学ぶ処有之候
再び閣下の御謦咳に接するの光栄を得度希望罷在候、御高齢の故を以て再会覚束なしとの御疑ひは御無用と存候、閣下の如く心身共に御強健にして国内的及び世界的問題に深き興味を有せらるゝ方は、幾久しく天寿を享受せらるゝは当然の儀と存候
小生の友人にして同僚たるローヤル・エー・オズボーン氏、チヤール
 - 第39巻 p.673 -ページ画像 
ス・チエネー氏、ハワード・ハインツ氏及其他の人々が、小生が閣下に拝光致せること及び閣下が益御健勝に被為入候事等を報告せし時、皆々大いに喜ばれ候
擱筆に臨み謹而敬意を表し御幸福を祈上候 敬具


渋沢栄一書翰控 マグナス・ダブリユー・アレグザンダー宛 一九三〇年五月二二日(DK390299k-0005)
第39巻 p.673 ページ画像

渋沢栄一書翰控  マグナス・ダブリユー・アレグザンダー宛 一九三〇年五月二二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
                  五年五月十日一覧
    案
 紐育市
  マグナス・アレキサンダ殿
   千九百三十年五月二十二日    東京 渋沢栄一
拝復、去三月三日附貴翰正に落掌致候、然ば昨年末御来遊の際飛鳥山拙宅に於て撮影の写真倉橋氏の厚意により御入手の由を以て鄭重なる御挨拶を賜はり痛入候、実は老生へも寄送せられ候に付、有名なる米国産業調査会会長と会談の光栄を得たる記念として、珍蔵罷在候次第に御座候
当日老生が儒教の真髄に就て申述べ候に対し、貴台の述べられたる人類至高の理想並に産業の発達に関する御高説は、老生の永く記憶する所に候
「人類窮極の目的たる黄金時代」に対する為に、貴台の貴重なる御活動を継続せられんことを至嘱至極に御座候、尚ほ此機会に於て秘書役小畑を経て御恵贈被下候「一千九百二十九年に於ける世界経済状態大観」正に落手拝謝罷在候由申添候義御容謝被下度候
乍末筆チエネ氏、ハワード・ハインツ氏、其他の御友人諸氏にもよろしく御致声可被下候
右拝答迄得貴意度如此御座候 敬具