デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
3款 北支旱魃飢饉罹災民救済 附 中国災民児童救済及ビ帰国援助
■綱文

第40巻 p.45-46(DK400008k) ページ画像

大正15年8月(1926年)

是月栄一、東洋婦人会ノ募集スル中国災民児童ノ帰国旅費中ニ金若干円ヲ寄付ス。


■資料

(清藤秋子)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年八月六日(DK400008k-0001)
第40巻 p.45-46 ページ画像

(清藤秋子)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年八月六日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
御暑さ難凌御座候処、御障りもあらせられす候や伺上候、陳は先日は参上御用多の御処御面会被下難有御厚情ふかく奉謝候、支那児童等に付て子爵の御思召は会長はじめ理事一同も深く感謝いたし居候次第に候、油谷氏よりハ一昨日御断りの電話有之候間、致方なく役員の中より幾分づゝの寄附を集め度相談中に候、就てはまことにあつかましき
 - 第40巻 p.46 -ページ画像 
義に存じ候へども、子爵にも思召丈け御寄附下され度御願申上候、費用はなるべくかゝらぬやう船賃及汽車賃の割引を、鉄道省並に郵船会社へ交渉いたし居り候、暑中御見舞取り束ね右御願まで 早々敬白
  八月六日                清藤秋子
    渋沢子爵様
       御前へに


(東洋婦人会)書翰 渋沢栄一夫妻宛 (大正一五年)八月一〇日(DK400008k-0002)
第40巻 p.46 ページ画像

(東洋婦人会)書翰 渋沢栄一夫妻宛 (大正一五年)八月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓
酷暑の候益々御清勝賀し奉り候、陳ば御賛助によりて救済いたし候支那飢民児童等も当月にて約束の五ケ年満期に相成候、右児童等を故栗塚氏が去る大正十年の八月引率して帰へられし時は総数二十三名にて候処十二年の大震災にて一名は焼死いたし十一名は当時外務省より帰国いたし候、残り十一名の内三名は病気又は家事の都合にて帰国いたし候故、期間満了まで一定の職業を修得せしものは別紙○略ス八名に候之等八名を八月十五日神戸出帆の郵船勝浦丸にてそれそれ郷里に帰国せしむることゝ相成候間左様御承知下され度候、右御通知まで 敬具
  八月十日                東洋婦人会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
       同 令夫人
   ○左文ハ前掲東洋婦人会ヨリノ書翰封筒ニ栄一鉛筆ニテ記載セシモノナリ。
当婦人会よりハ清藤秋子之名にて、支那学生帰国之旅費幾分ニても寄附之事再三被申出候ニ付而ハ、金額五拾円乃至百円迄当家個人之資格ニて寄附取計可申候事
  八月十二日


(清藤秋子)書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年)八月二〇日(DK400008k-0003)
第40巻 p.46 ページ画像

(清藤秋子)書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年)八月二〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
あつかましき御願ひ申上候ところ、早速に御寄附被下難有御厚情奉深謝候、別紙御通知申上候通、御蔭様にて去る十五日午前十時神戸出帆の近海郵船勝浦丸にて帰国の途につき申候まゝ、近々中にそれそれ親元に帰着仕り候事と存じ候、此度児童等か修業満期にて帰国いたさせ候に付ては、支那公使よりハ勿論外務省からも御挨拶を受け候間、役員一同も大井によろこび申をり候、就ては早速にも参上右御礼申上べくの処、御避暑御中に付いつれ御帰京被遊候上参邸致、拝顔の上委細申述べく候、理一同《(事脱)》よりもよろしく御礼申上候、折柄御自愛被遊度いのり上候、まつハ御挨さつ迄 早々敬白
  八月二十日           東洋婦人会理事
                      清藤秋子
    渋沢子爵様
       御まへに