デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助
■綱文

第40巻 p.291-296(DK400091k) ページ画像

大正15年11月26日(1926年)


 - 第40巻 p.292 -ページ画像 

偶々東京ニ第二回東洋赤十字総会開カル。是日、右総会ニ出席スル各国代表ヲ帝国劇場ニ招キ、市民各界代表者ニヨル震災救援感謝会開催セラル。栄一発起人総代トシテ感謝ノ辞ヲ朗読ス。


■資料

大震災救援感謝会書類(DK400091k-0001)
第40巻 p.292 ページ画像

大震災救援感謝会書類           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益々御清適賀上候、然ハ去大正十二年大震災の際甚深の同情を以て迅速に我が罹災者に多大の金品を寄附せられし米国民の厚意は我国民の永久忘るべからざる処に候、当時同国民の同情を喚起して如此挙に出てられしハ、実に米国赤十字社長ジヨン・バートン・ペーン氏にて、幸に同氏目下来邦中に候へば、此際東京横浜の有志相会し同氏に対し感謝の意を表するは米国民の厚意に酬ゆる所以と存候に付てハ、其方法等に就き御協議申上度候間、十七日午前十一時丸の内東京銀行倶楽部へ御来会被下度願上候
尚ペーン氏は来廿六日頃帰米の由に付き急速御協議願度旁々僭越ながら御来会を仰ぎ候、不悪御海容被下度候 匆々敬具
                      渋沢栄一


大震災救援感謝会書類(DK400091k-0002)
第40巻 p.292-293 ページ画像

大震災救援感謝会書類           (渋沢子爵家所蔵)
  大正十五年十一月十七日於東京銀行倶楽部
    米国赤十字社長ジヨン・バートン・ペーン氏
    歓迎ニ関スル打合会
記録
一本日ノ来会者ハ、渋沢子爵ヨリ別紙書状○前掲参照ヲ以テ出席ヲ請ハレタル別紙所載○略スノ人々ナリ
      協議ノ上決定シタル事項
一発起人ハ別紙所載(即書状発送先)ノ人々(個人トシテ)トスル事
 右ニ付欠席者ニハ発起人タルコトノ承諾ヲ請フ手続ヲ取ル事
 但横浜ハ先キニ歓迎会挙行セラレタルニ付、神奈川県知事・横浜市長・会議所会頭ハ発起人ニ加入セス
一発起人総代ハ子爵渋沢栄一氏トスル事
一実行委員ハ平塚広義・西久保弘道・藤田謙一ノ三氏トスル事
一実行委員ハ至急左ノ取扱ヲナス事
一会場ハ帝劇(又ハ歌舞伎座)トシテ之カ交渉ヲナス事
一日ト時刻トヲペーン氏ト協定スル事 阪井徳太郎氏ニ於テ十一月十七日ペーン氏ニ協議、二十六日正午ヨリ午後四時マテノ間ト決定ス
一時刻ハ午後トシテ凡四時頃終了ノ予定ヲ以テプログラムヲ定ムル事
一当日余興(女優ヲシテ、日米国旗ヲ以テ舞ハシメテハ如何トノ説アリ)ヲ設クル事
一会費ハ可成安クスル事、金壱円位トシタシトノ説アリ
 可成多数ノ出席者ヲ得ル為メ出来得ル丈ケ安クスル事、但不足分ハ発起人ニ於テ負担スル事
一来会ヲ求ムベキ人々(即通知状発送先)ノ取調ヲ為ス事
 主賓 ペーン氏
 陪賓 米国大使及同館員
 - 第40巻 p.293 -ページ画像 
 主人側
  官吏各位
  府市会議員各位
  商業会議所議員各位
  実業家各位
  在邦米国人各位
一ペーン氏ニ贈呈スル感謝状ノ起草及其表装
一当日ハ開会前発起人外有志ニ於テ午餐会ヲ催ス事
      其他必要ノ事項
一感謝状ハ渋沢子爵朗読且捧呈スル事
        以上


大震災救援感謝会書類(DK400091k-0003)
第40巻 p.293 ページ画像

大震災救援感謝会書類           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適賀上候、然ば去十七日東京銀行倶楽部に於て米国赤十字社々長ペーン氏歓迎の義に付き御議決相願候処、其後日本赤十字社側より、右ペーン氏丈の歓迎は目下来邦中の他国の赤十字社代表者より誤解を受くる恐れ有之候に付、全代表者を歓迎する事に変更せられたしとの懇談有之候為め、昨十九日東京市役所に発起人会を再開し、種々協議の上左記の通決定致候間何卒御同意被下其発起人として御加入被成下度希上候、右御報告旁得尊意候 匆々拝具
 一、時日及場所 大正十五年十一月廿六日(金)午後二時
   帝国劇場に於て
 二、順序
  午後一時開場
  同 二時開式
    開会の辞    東京府知事
    歓迎の辞    渋沢栄一
    答辞      ペーン氏
    来賓万歳    東京市長
    閉会の辞    会議所会頭
  同 三時余興
    帝劇附属女優舞
  右終りて茶菓を饗す
 三、主賓 目下来邦中の各国赤十字社代表者
         以上
  大正十五年十一月二十日
                     渋沢栄一
尚々当日正午東京日米関係委員会に於て、ペーン氏のみの歓迎会を一ツ橋如水会館に於て催し、終了後前記の会場へ同氏を御案内致候都合に御座候、為念申添候
  ○如水会館ニ於ケルペーンノ歓迎会ニ就イテハ、第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十五年十一月二十六日ノ条参照。


東京朝日新聞 第一四五四九号大正一五年一一月二〇日 各国代表を招いて震災の時のお礼を 市長も知事も肩書を取つて待設けたこの機会(DK400091k-0004)
第40巻 p.293-294 ページ画像

東京朝日新聞  第一四五四九号大正一五年一一月二〇日
 - 第40巻 p.294 -ページ画像 
    各国代表を招いて震災の時のお礼を
      市長も知事も肩書を取つて待設けたこの機会
三年前の大震災当時、各国赤十字社が日本に寄せた有形無形の同情に対し、東京市民は感謝の意を表する機会を待つてゐたが、十九日午後三時東京市長室に市長・平塚府知事・渋沢子爵・川崎内務次官・商業会議所稲茂登副会頭・渡辺哲三博士・坂本日本赤十字社副社長、日米協会の阪井徳太郎氏等参集協議し、今度東洋赤十字会議に各国代表の来朝を機会に来る廿六日午後帝国劇場に各国代表約五十名を招待して歓迎感謝の意を表することとなつた、当日は右発起者の外官民名士多数参集するはずであるが、すべて肩書抜きの東京市民としてゞ歓迎方法について協議中である
    感謝を表する機会到来
                     渋沢子語る
右につき主催側の一人である渋沢子爵は語る
 過ぐる大震災のため日本が精神的にも経済的にも非常な打撃を蒙つてゐた時、第一番に救助運動に着手してくれたのは実に各国の赤十字社であつた、ペイン氏等の奔走で米国から約三千四百万円の金品を贈与せられたのを始めとし、各国赤十字社から多大の慰問品を受けたことは当時悲歎のどん底にあつた我々にどれだけ力強い思ひを与へたことであらう、いつかはこれに報ゆる機会が来るであらうと待つてゐたところ、幸にも今回東京で東洋赤十字会議が開かれ各国代表が来朝したので、震災当時受けた好意に対し多少なりとも感謝の意を表したいと思ひ、西久保市長や川崎内務次官などと計り取敢へずこゝに歓迎会を催すことにしたのです


大震災救援感謝会書類(DK400091k-0005)
第40巻 p.294-295 ページ画像

大震災救援感謝会書類          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    震災救援感謝会概要
一、日時及場所 大正十五年十一月二十六日(金曜)午後二時帝国劇場ニ於テ
二、次第
  午後一時開場
  午後二時開式
    開式ノ辞   (平塚広義氏)
    感謝辞朗読  (渋沢子爵)
    答辞     (ペイン氏)
    来賓万歳三唱 (西久保弘道氏発声)
    閉式ノ辞   (藤田謙一氏)
  午後三時余興開始
    (女優舞踊 二場)
三、来会ヲ求ムル範囲
  主賓 第二回東洋赤十字会議出席海外委員
  陪賓 関係各国大公使及夫人
  主人側
 - 第40巻 p.295 -ページ画像 
   官吏(局長程度以上但シ外務省及内務省社会局ハ課長以上)
   府市会議員、同待遇者
   商業会議所議員、同待遇者、特別議員
   実業家
   各区長、区会議員、府下町村長、市内町会長
   日本赤十字社課長以上、赤十字社篤志看護婦人会役員
四、会費
  主人側出席者ハ会費トシテ金一円ヲ出金スルコト


竜門雑誌 第四六〇号・第八五―八六頁昭和二年一月 ○青淵先生説話集 震災救援感謝の辞(DK400091k-0006)
第40巻 p.295 ページ画像

竜門雑誌  第四六〇号・第八五―八六頁昭和二年一月
 ○青淵先生説話集
    震災救援感謝の辞
 凡そ他の災厄を救ひ急難を援くるは個人と団体とに拘はらず、其措置の機敏なると恵与の物品の適当なるとを要するは、素より其所でありますが、其援助者の心事が真に醇乎たる博愛同情に出るに於て始めて完全に好果を生ずるのであつて、其災害が突然であり甚大である程其感謝の念も亦大なるものあるは当然のことであります。
 回顧すれば大正十二年九月我が東京市及其附近に突発したる大震災は過去に類例なき惨害にして、吾々東京市民は為に骨肉を失ひ、又多年築上げたる事業と財産とを瞬間に焼燼したる悲歎失望は未だ脳裡を消去りませぬが、同時に当時北米合衆国を始めとして諸外国より純真の同情を以て多大の金品を寄与して、災禍中に彷徨しつゝありし此罹災民を救護せられたるは、我等をして深刻に感謝の念を湧起せしめたのであります。
 東京市民は各国の此厚き同情心に作興せられ、爾来三年其傷ける心を鞭撻して専心復興に努力し、未だ全く整理し得ませぬが漸く生活の安定を得るに至りました。
 恰も好し此際東京に於て第二回東洋赤十字社大会が開催せられ、各国代表者の来会ありしにより、我等は当時の状態を回想して更に感激の念を深ふし、玆に同志相諮り本会を催して各位の来臨を仰ぎ、東京市民に代りて衷心より感謝の意を披瀝する次第であります。冀くは我等微衷を諒とせられ、適宜の方法を以て我市民の意を貴国官民に伝へられんことを。
  大正十五年十一月廿六日
                震災救援感謝会
                 総代 子爵渋沢栄一


(増田明六)日誌 大正一五年(DK400091k-0007)
第40巻 p.295-296 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年      (増田正純氏所蔵)
十一月廿五日 木 晴               出勤
早朝子爵の招ニ応シ飛鳥山邸ニ至リ、震災援護感謝会に於て子爵の朗読せらるゝ感謝文の起草を口授される儘記し、再三加除訂正を加へ稍満足せらるゝ一文を作り上け、之を子爵に提出したり
○下略
十一月廿六日 金 晴               出勤
 - 第40巻 p.296 -ページ画像 
○上略
午後二時より帝劇ニ於て、第二回東洋赤十字総会出席の各国代表者招待震災救援ニ対する感謝会を開催したる斡旋者として参加す
右発起人は渋沢子爵・府知事・市長・商業会議所会頭・日米協会・太平洋問題調査会・日本工業倶楽部・東京銀行集会所・同倶楽部等の各代表者にして、其中に就き渋沢子爵を発起人総代としたり
市民有志来会者は千名位なりしか、発起人一同及赤十字代表者一同舞台上ニ位置し、左の順序を以て挙式
開会の辞   平塚府知事 小畑君通訳
感謝の辞   渋沢子爵 〃
答辞     ペーン氏
来賓万歳三唱 西久保市長 〃
閉会の辞   藤田商業会議所会頭
  十分間休憩
余興 二場 帝劇俳優
  茶菓
    以上
右式終了を待つて事務処に出勤、執務の後七時帰宅


時事新報 第一五五九四号大正一五年一一月二七日 想ひ起す同情の波 昨日帝劇の震災感謝会(DK400091k-0008)
第40巻 p.296 ページ画像

時事新報  第一五五九四号大正一五年一一月二七日
    想ひ起す同情の波
    昨日帝劇の震災感謝会
廿六日午後一時から帝劇に開かれた震災救援感謝会には、主賓の東洋赤十字会議列席の海外委員三十四名に各国大公使夫人二十一名が陪賓となり、発起人以下千余名出席したが、先づ平塚東京府知事の開式の辞に次で、渋沢子熱心な感謝の辞を述べ、之に対し赤十字代表のペイン氏は『私はずつと昔から日本の風土文物を研究し親しみも持つてゐたので、貴国の大震災は人ごととは思はれなかつた、尚私の最も遺憾とする事は、千九百二十一年に丁度貴国の松嶋事件の如き問題が突発した時、或者が法廷で日本がアメリカを征服しやうと企んでゐる事実を確めてゐる等と全くありもせぬ事を申立た、どうぞ新聞雑誌の記事や風評に動かされず、暖かい友情の握手で結び合ひ度い』と述べ急霰の拍手あり、西久保市長の発声で万歳の三唱あり、茶菓の饗応あり、女優舞踊などがあつて四時過ぎ閉会した