デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.496-497(DK400145k) ページ画像

明治44年6月2日(1911年)

是日栄一、東京商業会議所ニ於テ外務次官石井菊次郎・日本銀行総裁高橋是清及ビ六大都市商業会議所代表者等ト、清国各省商務総会代表者招待ノ件ニ就キテ協議ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK400145k-0001)
第40巻 p.496 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年      (渋沢子爵家所蔵)
六月二日 晴 暑
○上略
此日午前十時、清国人案内ノ事ニ付、東京商業会議所ニ小集アリタレハ、出席シテ意見ヲ述フ○下略


竜門雑誌 第二七七号・第八〇―八一頁明治四四年六月 ○清国実業団招待協議会(DK400145k-0002)
第40巻 p.496 ページ画像

竜門雑誌  第二七七号・第八〇―八一頁明治四四年六月
○清国実業団招待協議会 六月二日午前十一時より東京商業会議所に於て青淵先生・高橋日銀総裁・浅野東洋汽船会社長・柳生台銀頭取・清野満鉄理事・石渡日清汽船社長・佐竹東電社長・小野富士製紙社長福井三井物産理事・武智台糖常務・服部金太郎・中野東京商業会議所会頭・藤山日糖社長、横浜・大阪・京都・神戸・名古屋の各商業会議所代表者等諸氏、政府側よりは石井外務次官・大久保商務局長会合して本年十月清国各省商務総会代表者五十名招待の件に関し(一)招待に関する事務は東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋の六商業会議所に一任する事(二)長崎会議所も右代表者に加入を勧誘する事(三)実業団の本邦滞在日数は四十五日と予定する事、其他経費の分担割合、一行の各地滞留日割(東京五日・大阪三日等)の打合せを為し、午後四時散会せりと。



〔参考〕赴清実業団誌 白石重太郎編 第二三五―二四二頁大正三年一二月刊(DK400145k-0003)
第40巻 p.496-497 ページ画像

赴清実業団誌 白石重太郎編  第二三五―二四二頁大正三年一二月刊
  赴清実業団誌別誌
    赴日考察実業団の組織と出発延期
赴日実業団の組織、及其将さに春日丸に搭じて上海を出発せんとするに方り突然武昌革命事変の発生に遭ひ無期延期となりたる一事は、我赴清実業団と離るべからざる歴史・縁由あるに由り、玆に其梗概を誌し、之を別誌として永く両国の国民団体交際史の記録に留めんとす
赴清実業団は明治四十三年七月二十日、東京商業会議所楼上に於て別項記する如く解団式を挙げ、十一月二十日団員の決議に係る感謝状刷成と共に、之を歓迎を受けたる清国各都市の商務総会及有志に呈達し団務全く終局を告げたるが、超えて明治四十四年二月十六日、元団長近藤廉平氏は市ケ谷なる自邸に東京商業会議所会頭中野武営氏を初め有力なる実業家数名を招請し、清国公使汪大燮・農商務大臣大浦兼武
 - 第40巻 p.497 -ページ画像 
外務次官石井菊次郎等諸氏列席の機会に於て、支那各地商紳招待に関する件を提議せり、其理由は、曩に我実業団の往訪は清国側の招待を受けたるに非るも、彼の如き熱誠なる歓迎を受けたり、而して清国各地方に在りても報聘の意味に於て団体的来遊の議ある由なれば、我は進んで之を案内し、前年歓迎の盛意に答ふる様致したしとの次第にて列席者一同の熱心なる賛成を得たり、次で三月五日中野商業会議所会頭は近藤氏を初め各実業家を会議所楼上に招請し、中国実業団を招待するに付き既に東京・名古屋・横浜・京都・大阪・神戸各商業会議所に於ては、六商業会議所聯合の名に於て案内の主人役たることを決議せる旨を報告し、席上協議の結果、六会議所会頭を推挙して委員となし、三月十五日六商業会議所書記長は一同東京に集合して、歓迎準備に関する事務上の打合をなしたり
四月十五日上海に於ける赴日観光実業団委員会審議の末、渡日期を十月迄延期する旨有吉上海総領事を通じて通知あり、右は当初観桜の目的を以て案内の意を通じたるに、先方は成るべく多数の団員を作らんとする希望ある為め、並びに全国各地遠隔の地よりする団員の為に観菊の目的を以て其時期迄延期を求め来りたる次第にて、其希望に応ずる事とせり
夫より双方準備を進め、上海商務総会に於ては赴日考察実業団事務所を会内に設け、沈仲礼氏を予選団長として専ら其事務を統理し、全国四十有余の商務総会及分会に通照して名望才学ある代表員の選定を求め、農商工部に稟議して其指導奨励を請ひ、又常に東京歓迎準備事務所と往復知照して観覧・考察・旅行等に不便なからしむる為め必要なる打合せをなし、清国側にありては我皇室其他に奉呈又は贈進すべき土産品等を調へ、本邦側にありては六会議所其他銀行会社に於て、一行の考察に資すべき諸種の商工農鉱に関する資料を各地各業別に精麗なる印刷編訳をなす等、其熱心と周到は彼我相譲らず、かくて十月二十四日上海出帆の日本郵船会社定期船春日丸は、一行団員六十余名を搭載して将さに長崎に向はんとしたるに、十月十日武昌革命勃発後各地の形勢穏かならず、種々考量商議を費やしつゝありたる団員は、出帆の前夜に到りて一行の渡日は俄に延期をなすことゝなり、続て共和民国の建設等支那側に在りては政治上の変動多く、本邦側に在りては国喪の大故ありて爾来無期延期の儘今日に至れり
右の如き経過を以て、赴日考察実業大団体の遂に来遊の時機を逸したるは、如何に両国の商業経済上延て政治及国交上に多くの損害を与へたるかは、両国有識有志の斉しく遺憾とする所にして、近き将来に於て猶此計画の復活せんことを希望して已まず、玆に団員諸君の氏名を掲げて、我赴清観光実業団の歴史と共に之を記念せんとす
      赴日考察実業団団員

      氏名  選出地方 省別    職名              年齢
 正会長  沈仲礼  上海  江蘇  上海商務総会議董中国紅十字会総董 年五十三歳
 副会長  趙研農  北京  直隷  京師商務総会総理         年五十八歳
 団員   周金箴  上海  江蘇  上海商務総会総理         年六十五歳
 ○以下六十二名氏名略ス