デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.498-499(DK400147k) ページ画像

大正4年7月27日(1915年)

是日、東京商業会議所、日支協約当事者並ニ両国実業家ヲ上野精養軒ニ招待シ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK400147k-0001)
第40巻 p.498 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
七月廿七日 曇
○上略午後六時上野精養軒ニ抵リ、商業会議所ニ於テ開催スル日支交歓ノ宴会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス○下略


東京商業会議所月報 第八巻・第八号大正四年八月 △本邦内閣諸大臣並支那公使招待会(DK400147k-0002)
第40巻 p.498-499 ページ画像

東京商業会議所月報  第八巻・第八号大正四年八月
    △本邦内閣諸大臣並支那公使招待会
本商業会議所は日支両国協約新に締結せられたるにつき、関係当局者の労を慰すると共に両国民の親交を図る為め、七月二十七日午後七時上野精養軒に於て晩餐会を開会し、日支両国の関係当局者並支那に関係を有する本邦実業家を招待したり、招に応じ出席せられたるものは
  本邦政府当局者
 内閣総理大臣伯爵大隈重信君・内務大臣子爵大浦兼武君・外務大臣男爵加藤高明君・海軍大臣八代六郎君・大蔵大臣若槻礼次郎君・文部大臣一木喜徳郎君・逓信大臣武富時敏君・農商務大臣河野広中君外務次官松井慶四郎君・警視総監伊沢多喜男君・東京府知事井上友一君・総理大臣秘書官由崎直三君
  支那政府当局者其他
 支那公使陸宗輿君・参事官劉崇傑君・横浜総領事王守喜君・一等秘書官孫潤宇君・二等秘書官周啓濂君・横浜副領事江洪〓君・随員郭左淇君・中華商務総会々員劉杏村君・同郭外峯君
  本邦実業家
 男爵渋沢栄一君・男爵近藤廉平君・大倉喜八郎君・倉知鉄吉君・井上準之助君
等にして本会議所より中野会頭、藤山・杉原両副会頭を始め議員・特別議員五十名出席、午後七時食堂を開き主客卓を囲みて晩餐を共にし
 - 第40巻 p.499 -ページ画像 
宴酣に及び中野会頭招待の辞を述べ、支那公使陸宗輿君・総理大臣大隈重信君・男爵渋沢栄一君の演説あり、主客歓談時を移し午後十時散会したり(中野会頭の挨拶、陸公使・大隈総理大臣・渋沢男爵の演説は本号論説欄に掲ぐ)


竜門雑誌 第三二七号・第六五―六六頁大正四年八月 ○日支交驩会(DK400147k-0003)
第40巻 p.499 ページ画像

竜門雑誌  第三二七号・第六五―六六頁大正四年八月
○日支交驩会 東京商業会議所の主催に係る日支人招待会は、七月二十七日午後七時より上野精養軒に於て開催されたる由なるが、当夜来賓の重なる者は支那側に於ては、陸公使其他同館員及総領事等、又日本側に於ては大隈首相・青淵先生等にして、晩餐会席上青淵先生が来賓実業家を代表して謝辞旁々演説せられたる概要は、左の如くなりといふ。
 今夕の会合は其意味甚だ深長なるものありと信ず、蓋し日支両国間に蟠れる懸案の解決を意味すれば也、平和は実業の基礎にして、其平和親善に向つて実業家が祝意を表するは当然なるを思ふと同時に会合の時機が早きに過ぎず又遅きに過ぎず其宜きを得たるを思ふもの也、即ち熱い時に熱い意味の含まれたる会合を、熱い配慮の下に開かれたるを喜ばざるを得ず、総理大臣は只今両国実業家の責任の重大なるを指示せられたるが、吾々実業家の立場としては此依託に背かざる様大に努力せざる可らず、幸に両国は益々和親の実を挙げつゝあるものにして、而して将来愈々親密なるやう努むべきの要あるが、其親善の利益たるや相互的交換的たるは云ふ迄もなく、有形のみならず無形の利益を分つ必要あり、別して両国の親善は日本の実業家のみならず支那の実業家も同一の考を以てすべく、公使閣下始め日本在住の支那商業家に於て心を一にせられ、貴国の実業家をして日本の実業家と同一の態度に出てらるゝ様努力せられん事を切望す、支那の古語に宮中千里の語あり、此古語は斯る席上に引例すべきものならざるやも知らざれど、両国はお互に婦人の如く嫉妬心を交へて其交情に千里の隔てを設くるが如き事なく、両国の間をして一里より尚近からしめん事を希望して止む能はず云々。
  ○右ノ演説ハ「東京商業会議所月報」第八巻第八号ニモアリ。