デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.507-514(DK400152k) ページ画像

大正10年9月9日(1921年)

是ヨリ先、駐日イギリス国大使チャールズ・エリオット、及ビ同商務官エドワード・クロー、日英両国ノ経済関係ヲ密接ナラシムル為メ、栄一ニ、日本実業団ノ英国訪問ヲ謀ル。栄一之ニ賛成シ斡旋ス。是日、渡英実業団成立ス。団長ハ団琢磨ナリ。後、名称ヲ英米訪問実業団ト改ム。出発ニ臨ミ各方面ノ送別会アリ、栄一陪賓トシテソノ多クニ出席、送別ノ辞ヲ述ブ。右実業団ハ十月十五日出発ス。


■資料

英米訪問実業団誌 阪井徳太郎編 第一―六頁大正一五年四月刊(DK400152k-0001)
第40巻 p.507-509 ページ画像

英米訪問実業団誌 阪井徳太郎編  第一―六頁大正一五年四月刊
    第一章 本団の成立
 大正十年四月頃、本邦駐箚英国大使「サー・チャールス・エリオット」氏は子爵渋沢栄一氏と会見の際、氏に向つて近時日英両国間の実業関係漸次疎遠ならんとする虞あれば何等かの方法に依り、之を復旧せざるべからずと語りたる事あり。此の提案が英国大使より出でたるものなる故、之に対しては外交官の方面に於て適宜の措置を講ずるを妥当なりとすとの説もありしが、英国大使館附商務官「サー・エドワード・クロー」氏は之を排し、此の際外交官よりも寧ろ日英実業家の意見交換に依るべきことを以てし、日本実業家の英国訪問を慫慂したり。「クロー」氏の此の提言たるや未だ具体的成案あるに非ざりしも「エリオット」大使は大に此の挙を賛し、其の後に至り英国政府も亦本邦実業家の渡英を衷心希望すること判明したり。
 玆に於て渋沢子は原首相を訪問して実業団派遣の事に付き協議する所あり、其の結果七月上旬京浜の実業家数十名は首相官邸に招かれ、席上首相及び渋沢子より右計画に就て談話あり、出席の諸氏、何れも之に賛成し、発起人として渋沢子及び井上準之助・和田豊治・藤山雷太・団琢磨の五氏を挙ぐるに至れり。当時、日英両国の関係を観察するに、久しく東洋平和の鍵鑰たりし日英同盟条約の満了期日漸く切迫したると共に該同盟の存続に対する賛否の議論喧しく、而も概して露西亜の崩壊し、独逸の蹉躓したる今日、斯る同盟は無意義なりとの説行はれ、孰れにしても現行条約の条項は時局に適せざることを認められたり。故に我国民としては本問題に関する英国朝野の意嚮を知ることの極めて肝要なるのみならず、実業家としては戦後の欧洲経済、就中英国財界の状態を十分研究すると共に本邦経済界の実状を披瀝して腹蔵なく彼我の意見を交換することの必要を痛切に感じたる際なりしかば、英国訪問実業団を組織することは、殆ど考慮する暇もなく直に決定せられたり。
 英国訪問実業団組織の議一決するや、加盟の団員は発起人に於て決定することゝし、其の組織人選着々進行しつゝありしが、偶ま此の際米国に於ける戦後の経済事情をも併せて調査することは最も急務なり
 - 第40巻 p.508 -ページ画像 
との意見あり、発起人は更に協議の結果実業団は英米両国を訪問し、団体の名称も宜しく英米訪問実業団と改むべき旨を決定したり。聞く所によれば、米国大使「ビーチャー・ウォーレン」氏は此の渡米の挙を賛し、原首相に向つて出来得る限り便宜を与ふる旨を申出でたりといふ。
 然るに本団の渡米せんとするや、偶ま華盛頓に於て軍備縮少並に太平洋問題に関する会議の開催せらるゝあり。当時米人の対日感情は一般に良好ならざりしかば、斯る時に当り、日本実業団の渡米するは誤解を招く虞なきにあらず、米人中には或は本団を目して日本政府の委嘱を受け、宣伝するにあらずやと邪推する徒あるも測られざるを以て寧ろ本団の出発期を華盛頓会議の終了後まで延期するが得策ならんと注意したる者もありしが、本団渡航の目的は政府の依頼を受けたるにあらず、又何等宣伝の為にも非ず、唯純真に英米経済界の情況を視察し且又日本経済界の実状を述べ、彼地の実業家と親しく意見を交換するにあり。従つて華盛頓会議と何等の関係を有せざること一目瞭然たれば、米人中或る一部の感情に対し遠慮する必要もなかるべしといふに協議纏まり、九月九日、日本工業倶楽部に渋沢栄一子を始め、和田豊治・団琢磨・井上準之助・藤山雷太・高田釜吉・昆田文次郎・梶原仲治・末延道成・山下亀三郎・伊東米治郎・大倉喜八郎・久原房之助樺山愛輔伯・木村久寿弥太・相馬半治・森村開作男・原富太郎の諸氏会合し、愈々有力なる実業団を組織して英米両国を訪問することゝし最初米国に渡航し、次で英国に赴くことを決定せり。
○中略
    英米訪問実業団員(ABC順)
 三井合名会社理事長         工学博士 団琢磨
 王子製紙株式会社長              藤原銀次郎
 大阪商船株式会社常務取締役          深尾隆太郎
 第百銀行取締役                原邦造
 加島銀行常務取締役              星野行則
 高島屋飯田株式会社取締役           飯田直次郎
 大阪商業会議所副会頭             稲畑勝太郎
 横浜商業会議所会頭              井坂孝
 日本郵船株式会社取締役            石井徹
 山下汽船鉱業株式会社専務取締役        鋳谷正輔
 名古屋商業会議所副会頭            伊藤守松
 大倉組副頭取                 門野重九郎
 三菱銀行取締役会長              串田万蔵
 電気化学工業株式会社取締役     薬学博士 馬越幸次郎
 明治鉱業株式会社代表取締役          松本健次郎
 日清紡績株式会社長              宮島清次郎
 富士瓦斯紡績株式会社常務取締役   工学博士 持田巽
 古河電気工業株式会社長         男爵 中島久万吉
 三井物産株式会社常務取締役          南条金雄
 東京商業会議所特別議員日本工業倶楽部専務理事 大橋新太郎
 - 第40巻 p.509 -ページ画像 
 三井合名会社理事               阪井徳太郎
 神戸商業会議所会頭              滝川儀作
 住友銀行常務取締役              八代則彦
 三井銀行常務取締役              米山梅吉
○下略


集会日時通知表 大正一〇年(DK400152k-0002)
第40巻 p.509 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
九月六日  火 午前十一時 渡英団組織ニ関スル件(兜町)
九月七日  水 午前十一時 原首相ヲ御訪問(首相官邸)
○中略。
九月九日  金 午前十一時 渡英団ノ件(工業クラブ)
        午後二時  右ノ件ニ関シ原首相ヲ御訪問(官邸)
○中略。
九月廿六日 月 午後四時  渡英団に関する件、銀行集会所
○中略。
十月一日  土 午後六時  英米訪問実業団員送別会(銀行クラブ燕尾服勲章略章)


東京日日新聞 第一六一四二号大正一〇年九月九日 帝国の真意宣伝のため大商業視察団の渡米(先導役は団氏)(DK400152k-0003)
第40巻 p.509 ページ画像

東京日日新聞  第一六一四二号大正一〇年九月九日
    帝国の真意宣伝のため
      大商業視察団の渡米(先導役は団氏)
政府は既に軍備縮小会議全権委員を内定したが、今回の会議は我国に対する米国其他の誤解を一掃するに最も適当なる時機なりとし、独り全権委員の会議に於ける最善の折衝に俟つ許りでなく、我が民間有力者を派遣して、彼の民間に対し帝国の態度を明かにし、其決して侵略主義にあらず、飽く迄平和的に経済的発展を企図する外他事なきものたるを、大々的に宣伝し、全権委員の好背景たらしめんとし、先頃来着々として其計画を進めつゝあり、今次渋沢子が渡米するも、全く民間宣伝の為に、日米協会関係者として渡米するのであるが、今回更に東京・横浜・大阪・神戸・京都等の代表的実業家より成る大規模の商業視察団を組織せしむることとし、之が団長として愈三井合名理事長工学博士団琢磨氏の承認を得るに至つた、最初原首相は団長の選択に就て種々苦心の結果、渋沢子とも協議し、米国育ちにして語学に堪能なる団氏の閲歴人格より云ふも申分なしとなし、其承諾を求めたるも氏は固辞して容易に受けなかつたが、最近首相及渋沢子の切なる勧告に依り、遂に受諾するに至つた次第であるが、右実業団は全権委員に先立ち渡米し、米国各地に於て民間有力者と折衝し、帝国に対する誤解を釈明するに努め、次で英国に渡り、益日英親善の実を挙ぐる事に努むる筈であると


東京日日新聞 第一六一四四号大正一〇年九月一一日 視察団の使命(DK400152k-0004)
第40巻 p.509-510 ページ画像

東京日日新聞  第一六一四四号大正一〇年九月一一日
    視察団の使命
実業家連の英米商工業視察団の組織に就ては、既報の通りであるが、九日も午前十一時から日本工業倶楽部に於て
 - 第40巻 p.510 -ページ画像 
 渋沢栄一子・大倉喜八郎・森村開作男・井上準之助・団琢磨・相馬半治・藤山雷太・久原房之助・原富太郎・木村久寿弥太・伊東米治郎・山下亀三郎・樺山愛輔・末延道成・和田豊治・梶原仲治・昆田文治郎・高田釜吉
の諸氏が集まつて、人選及行程並に出発時期等に就て種々協議したが兎も角人選に就ては一流の実業家で、実際事業に携はつて居る人々に之から交渉して内諾を得るので、人数の如きも定まつて居る訳でなく行程は約半年程の予定で、出発時期は人選決定の上確定することとし二時頃散会した、尚渋沢子・団・井上・和田・藤山の五氏は更に商業会議所に会し、其使命に就き協議の結果、渋沢子及井上日銀総裁から左の意味の談話を発表した。
 今春来、日英両国の間に実業視察団交換の議が非公式に行はれて居つたが、之を動機として今般有力な実業団が組織せられ、英米両国に渡航する運びとなつた、其目的とする所は、英米諸国の経済上の調査視察をなし、我国経済界の将来の施設参考に供せんとするのは勿論、英米両国の実業家と直接接触して、相互の意思疎通を謀り、東洋に於ける列強の経済上の調和的発展を計り、併せて世界の平和に貢献せんとするのであつて、此団体は何れも直接事業経営の衝に当つて居る有力なる実業家を以て組織する計画で、三井の団琢磨氏の如きは既に内諾をし、其他の同行諸氏は目下交渉中である、尚渋沢子一行の渡米は専ら日米関係委員会米国側委員よりの招請に依り昨春ヴアンダーリツプ氏一行来朝に対する応酬の趣意にて、前者とは全く其目的を異にして居るものである


東京日日新聞 第一六一五五号大正一〇年九月二二日 英米視察団 人選愈々決定(DK400152k-0005)
第40巻 p.510 ページ画像

東京日日新聞  第一六一五五号大正一〇年九月二二日
    英米視察団 人選愈々決定
英米両国訪問実業団の人選につき、過日来渋沢子爵、団琢磨・井上準之助・藤山雷太・和田豊治諸氏が、各方面に交渉中であつた事は既報の如くであるが、元来本視察団の目的とする処は、此機会に於て彼我実業家の接触によりて、相互の意志疎通を図り、我国の経済上の状態を説明すると共に、彼地実業の現状を視察するにあるを以て、我国の重要なる事業の代表的実業家を推薦するの必要があるので、此点に就て苦心と時日を要したが、二三未定のものを除き大要左の如く其人選を終へた、即ち団員は団氏を始め東西の代表的実業家であつて、戦後の変化したる世界の経済状態を直接視察せば、必ずや権威ある調査報告を齎し得べく期待されて居る、因に一行は来月十五日出帆の鹿島丸で渡航の筈である
  ○団員名前掲ニツキ略ス。


竜門雑誌 第四〇〇号・第七七頁大正一〇年九月 ○渡英実業視察団組織(DK400152k-0006)
第40巻 p.510-511 ページ画像

竜門雑誌  第四〇〇号・第七七頁大正一〇年九月
○渡英実業視察団組織 予て協議中なりし渡英実業団の組織に関し、去九月九日午前十一時より日本工業倶楽部に於て、青淵先生及び井上日銀総裁主催となり、左記京浜の有力なる実業家諸氏を招致して種々協議せられたる由なるが、右は英米諸国の経済上の調査視察を為し、
 - 第40巻 p.511 -ページ画像 
我国経済界の将来の施設参考に供するは勿論、進んで英米両国の実業家と直接接触して相互の意向疎通を謀り、東洋に於ける列強の経済上の調和的発展に資し、併せて世界の平和に貢献せんとするにあつて、其団体は何れも直接事業経営の衝に当れる有力なる実業家を以て組織する計画にて、其一行の出発は十月中旬なりと云ふ。
○下略


英米訪問実業団誌 阪井徳太郎編 第二八―三九頁大正一五年四月刊(DK400152k-0007)
第40巻 p.511-512 ページ画像

英米訪問実業団誌 阪井徳太郎編  第二八―三九頁大正一五年四月刊
    第三章 本団出発前の動静
○上略
 本団出発の期日十月十五日と確定するや、種々の団体若くは協会より送別会を開くべしとの申出あり、中には辞退したるもあり、出席したる送別会の主なるものを列記すれば左の如し。
  原首相主催送別晩餐会
 原首相は九月三十日午後六時より永田町の首相官邸に本団一行を招待して晩餐会を開きたり。出席者は主賓として
  大橋新太郎  串田万蔵   門野重九郎
○中略
の諸氏、陪賓として
  子爵渋沢栄一 井上準之助  和田豊治
  藤山雷太
の諸氏、主人側よりは
  原首相    高橋蔵相   山本農相
  内田外相   床次内相   山梨陸相
  加藤海相   大木法相   中橋文相
  野田逓相   埴原外務次官 田中通商局長
の諸氏にして、先づ晩餐を共にしたる後「デザート・コース」に入るや左記首相の演説あり。
      原首相の演説○略ス
      串田万蔵氏の答辞○略ス
○中略
  京浜実業団主催送別会
 十月一日午後六時より渋沢子、井上・和田・藤山諸氏を始め、京浜実業家二十五氏は丸の内銀行集会所に本団一行を招待し晩餐を共にせり。七時食堂を開き「デザート・コース」に入るや、主人側を代表して渋沢子爵より送別の辞あり、之に対し団長団博士病気欠席の故を以て中島久万吉男答辞を述ぶる所あり、同九時半散会せり。当夜出席したる来賓及び主人側並に中島男の謝辞要領左の如し。
 来賓  石井徹   稲畑勝太郎 飯田直次郎 井坂孝
○中略
 主人側 井上準之助 伊東米治郎 池田謙三  池田成彬
     ○中略渋沢栄一○中略
     中島男の答辞○略ス
  東京商業会議所主催送別会
 - 第40巻 p.512 -ページ画像 
 東京商業会議所に於ては十月三日正午より別の使命を以て渡米する渋沢子爵一行並に英米訪問実業団一行の為に送別会を開きたり。主賓として
 子爵渋沢栄一  添田寿一     大橋新太郎
 串田万蔵    男爵中島久万吉  門野重九郎
 持田巽     米山梅吉     原邦造
 石井徹
の諸氏、陪賓として
 芳沢外務省亜細亜局長・田中外務省通商局長・山川外務省条約局長鶴見農商務省商務局長・伊藤農商務省商事課長・岡警視総監・宇佐美東京府知事・大海原東京府内務部長・後藤東京市長・井上日銀総裁・服部金太郎・橋本圭三郎・大川平三郎・加藤正義・神戸挙一・有賀長文・土方久徴・浅野総一郎・井上辰九郎
の諸氏、並に会議所側より
 藤山・山科・杉原正副会頭を初め議員並に男爵阪谷芳郎・志村源太郎・伊東米治郎・松方巌・男爵大倉喜八郎の特別議員諸氏
百余名出席「デザート・コース」に入るや、藤山会頭は挨拶及び一場の希望演説をなし、之に対し渋沢子爵・大橋新太郎両氏より答辞あり其他後藤市長・大倉喜八郎男の演説ありて三時散会せり。
      藤山会頭の演説○略ス
  日米協会主催別宴
 日米協会にては会員中、華盛頓平和会議全権委員並びに英米訪問実業団員として英米に向ふべき左記諸氏を十月八日午後一時より丸ノ内銀行倶楽部に招待して、午餐会を開き、席上金子会長の挨拶に次で、徳川公・渋沢子・中島男の謝辞ありて、同二時半散会せり、出席者は百数十名にして其主なる人々左の如し。
 来賓  公爵徳川家達   子爵渋沢栄一    男爵中島久万吉
     男爵神田乃武   添田寿一○中略
 主人側 子爵金子堅太郎  男爵大倉喜八郎   男爵阪谷芳郎
     男爵瓜生外吉   男爵目賀田種太郎  マツキム僧正
     大佐バーネツト  ギヤリー      シヤーキー
○下略
  ○是年十月十三日、栄一第四回渡米ニ横浜ヲ発ス。右掲中十月三日、東京商業会議所主催送別会、十月八日日米協会主催送別会ハ右栄一渡米ノ送別ヲ兼ネタルナリ。本資料第三十三巻所収「第四回米国行」大正十年九月二十一日ノ条参照。


英米訪問実業団送別晩餐会出席者名簿及ビ献立表(DK400152k-0008)
第40巻 p.512-513 ページ画像

英米訪問実業団送別晩餐会出席者名簿及ビ献立表
                  (財団法人竜門社所蔵)
(印刷物)
    大正十年十月一日
      英米訪問実業団送別晩餐会○京浜実業団主催
    来賓
  団琢磨殿    星野行則殿   八代則彦殿
 - 第40巻 p.513 -ページ画像 
  石井徹殿    大橋新太郎殿  馬越幸次郎殿
  稲畑勝太郎殿  門野重九郎殿  松本健次郎殿
  飯田直次郎殿  米山梅吉殿   藤原銀次郎殿
  井坂孝殿    滝川儀作殿   深尾隆太郎殿
  鋳谷正輔殿 男爵中島久万吉殿  阪井徳太郎殿
  伊藤守松殿   南条金雄殿   宮島清次郎殿
  原邦造殿    串田万蔵殿   持田巽殿

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        GLÂCE AU MOKA
         DESSERT
   主人
  井上準之助  加藤正義    昆田文治郎
  伊東米治郎  樺山愛輔    浅野総一郎
  池田謙三   高田釜吉    青木菊雄
  池田成彬   内藤久寛    木村清四郎
  石井健吾   久原房之助 子爵渋沢栄一
  原富太郎   山下亀三郎   志村源太郎
男爵大倉喜八郎  松方巌     土方久徴
  和田豊治   藤山雷太  男爵森村開作
  梶原仲治   藤瀬政次郎   末延道成


竜門雑誌 第四〇一号・第五一頁大正一〇年一〇月 ○英米訪問実業団出発(DK400152k-0009)
第40巻 p.513-514 ページ画像

竜門雑誌  第四〇一号・第五一頁大正一〇年一〇月
○英米訪問実業団出発 過般来、青淵先生等の斡旋に依りて組織せられたる英米訪問実業団一行は、此程右人選を了し、一行五十二名、十月十五日午後三時横浜出帆の鹿島丸にて、華府会議に出席の加藤・徳川両全権委員一行と同船出発せり。
 尚ほ該団一行の主なる諸氏左の如し。
  飯田直次郎   鋳谷正輔   稲畑勝太郎
  井坂孝     石井徹    原邦造
  星野行則    大橋新太郎  門野重九郎
  米山梅吉    団琢磨    滝川儀作
  中島久万吉男  串田万蔵   八代則彦
  馬越幸次郎   松本健次郎  深尾隆太郎
  藤原銀次郎   阪井徳太郎  宮島清次郎
  持田巽
 - 第40巻 p.514 -ページ画像 
 因に該団の団長たる団琢磨氏は、微恙の為め後便にて出発する事となりし由。