デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
4款 慶弔
■綱文

第40巻 p.549(DK400173k) ページ画像

大正10年3月26日(1921年)

是日、アメリカ合衆国人故ヘンリー・ブイ追悼会築地精養軒ニ於テ挙行セラル。栄一、発起人トシテ出席シ、追懐談ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三九五号・第五六頁大正一〇年四月 故ブイ氏追悼会(DK400173k-0001)
第40巻 p.549 ページ画像

竜門雑誌  第三九五号・第五六頁大正一〇年四月
 ○故ブイ氏追悼会 旧臘米国に於て逝去せるヘンリー・ブイ氏は三月二十六日百日忌に相当せる依り、故人生前の知己たる青淵先生を始め塩沢博士・バーネツト氏夫妻其他五十余名、築地精養軒に参会の上ブイ氏の肖像画を安置し、駒子未亡人・長男威馬男・武夫両君の遺族と共に春の夜を故人の追懐に更したる由なるが、当夜発起人側より巌谷小波氏の挨拶、青淵先生・平沢哲雄氏の追懐談あり、食堂に入りて更にバーネツト夫人の追懐談あり、かくて来会者一同記念の染筆ありていと湿やかに散会せる由。



〔参考〕渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第四三〇―四三一頁明治四三年一〇月刊(DK400173k-0002)
第40巻 p.549 ページ画像

渡米実業団誌 同団残務整理委員編  第四三〇―四三一頁明治四三年一〇月刊
十一月二十七日(土)晴
○上略
午後三時一同はヘンリー・ピー・ブイ氏の私邸に至り、同氏が日露戦捷記念として、特に建設したる凱旋門の開扉式に臨む。ブイ氏の流暢なる日本語の挨拶に次いで、渋沢男祝辞を述べ、尚ほ手づから綱を引いて門扉を開く。式後、同邸内にて茶菓を饗せらる。午後四時頃転じてサブラ氏の招待に応じ、同邸内の純日本式庭園を参観し、五時頃特別列車に分乗して帰宿す。今夕ボヘミアン倶楽部にて同会員の芸競べあり、拾数名の団員之に出席せり。尚九時より当館の隣なる桑港美術学校にて、日米協会の接見会あり、多数出席す。同会には故巌谷一六居士及故久保田米仙氏の遺墨展覧あり、皆ブイ氏の所持に属す。蓋し氏は有名なる日本通にして、只に邦語を能くするのみならず、書を一六居士に、画を米仙画伯に学びて、共に自在の域に在り。接見会の後ブイ氏の紹介にて、巌谷氏日本文学に関する一場の講話(高石氏通訳)を為す。