デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
5款 外国人トノ往復書翰
■綱文

第40巻 p.659-660(DK400222k) ページ画像

大正15年10月14日(1926年)

是日栄一、アメリカ合衆国人トーマス・エー・エディソンニ御木本幸吉ノ紹介状ヲ発ス。


■資料

渋沢栄一書翰 控 トーマス・エー・エディソン宛一九二六年一〇月一四日(DK400222k-0001)
第40巻 p.659-660 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  トーマス・エー・エディソン宛一九二六年一〇月一四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 ニユー・ジヤーシー州オレンジ市
  ヱヂソン殿
拝啓、平素御疎遠ニ打過居候処、益御清適之義と賀上候、然ハ以本書御紹介致候ハ真珠養殖の事業ニ於て世界的成功を遂けたる御木本幸吉氏ニ御座候
同氏の今より三十余年前同養殖事業ニ着手したる際ハ、世人より一顧も与へられさりし微々たる小事業ニ過きさりしが、其堅忍不抜の精励は年を経るニ従て成功の実を結び、近年遂ニ世界ニ比類無き真円真珠を生産するに至り、学者ニ依りて其確実なる発見を保証され、又日本帝国発明協会ニ依りて其功績を表彰せられたる次第ニ候
 - 第40巻 p.660 -ページ画像 
今般同氏ハ其発見ニカヽル真円真珠を携へ貴国を旅行する由にて貴台への紹介方申出候ニ付、世界的発明家たる貴台へ日本の発明家を御紹介致候事徒爾ならすと信し、本書相添候次第ニ御座候間、御引見被下候ハヽ同氏の本懐不過之と存候
小生ハ去一九〇九年渡米実業団長として貴国旅行の際、ニユー・ワーク市ニ於ける貴会社ニ御招待を蒙り、種々御歓待を受けたる後、始めてコンクリート造家屋を見て、其説明を貴台より承り候事を鮮かニ記憶致居候、又其後一九二一年紐育市ニ於て不図再会の機会を得たるハ誠ニ仕合ハせと喜居候、次て一九二二年小生等ハ貴台の御誕辰七十五寿祝賀会を設けて記念品を製作送呈して遥に祝意を表したる事なと回想致欣快の至に候、先ハ御紹介旁申上度匆々如此御座候 敬具
  大正十五年十月十四日           渋沢栄一
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕(増田明六)日誌 大正一五年(DK400222k-0002)
第40巻 p.660 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年 (増田正純氏所蔵)
十月十四日 木 曇                出勤
○上略
後六時、森村男爵の御案内ニ依り日本貿易協会ニ於テ開催せられし御木本幸吉氏渡米送別会ニ出席す
○中略
此席ニハ渋沢子爵も出席せられたり、森村男爵の御木本氏紹介の辞ニ次いて御木本氏の謝辞あり、同氏の蛮声堂上の塵を払ふ、袂よりハンケチに包ミたる真珠貝を取出し真珠を養殖する様を説明する当り、海上ニ於て漁夫を叱咜するが如き怒声を発す、真に一驚を喫したり、次に渋沢子爵は温容を以て静かに同氏の成功を祝して今回の外遊を賞揚奨励せられたり、最後ニ井上準之助氏起ちて又同氏ニ賛辞を送る、井上氏ハ二十余年前より懇意の間柄なりと云ふ
午後九時終了、三十分を過き子爵の自動車に同乗して帰宅す