公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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大正8年9月15日(1919年)
是日、当会ハ財団法人斯文会ニ合併、ソノ祭典部ヲ成ス。
渋沢栄一 日記 大正八年(DK410006k-0001)
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渋沢栄一 日記 大正八年 (渋沢子爵家所蔵)
六月十八日 晴 暑
○上略服部宇之吉氏来リ、湯島聖廟ノ事ヲ談ス○下略
斯文 第一編第四号・第七八頁 大正八年八月 ○孔子祭典会協議会(DK410006k-0002)
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斯文 第一編第四号・第七八頁 大正八年八月
○孔子祭典会協議会
六月二十七日午後三時より孔子祭典会合併の件に付、同会委員と会合し種々協議の結果、来大正九年度より本会に於て孔子祭典を挙行することゝなれり。
○右文中本会トハ財団法人斯文会ヲ指ス。
○右ニハ栄一ノ出欠詳ナラザレド欠席セルモノノ如シ。
斯文 第一編第五号・第七八頁 大正八年一〇月 ○孔子祭典会合併(DK410006k-0003)
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斯文 第一編第五号・第七八頁 大正八年一〇月
○孔子祭典会合併
九月十五日孔子祭典会合併の件を、小松原会長及嘉納祭典部長より同会員に報告せり。又同会評議員諸氏を本会特別会員に推薦したり。
斯文六十年史 斯文会編 第三〇六頁 昭和四年四月刊(DK410006k-0004)
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斯文六十年史 斯文会編 第三〇六頁 昭和四年四月刊
第三十章 孔子祭典会
○上略
是より年々四月第四日曜を以て釈奠を挙行することゝなし、大正八年四月二十七日、其の第十三回の祭典を挙行せり。此の時新に斯文会の成立するありて、其の主義目的を同じうするを以て、祭典会を解散して、之を斯文会に合併し、斯文会祭典部となせり。時に大正八年九月十五日なり、孔子祭典会として特筆すべきは四十三年四月廿四日の第四回祭典に、久邇宮邦彦王の台臨ありし事なり。爾後年々皇族の台臨あり、斯文会に合併後に至りても渝ることなし。
○栄一、財団法人斯文会ノ顧問ニシテ、後ニ副会長タリ。