デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
7款 信濃尊孔会
■綱文

第41巻 p.164-165(DK410052k) ページ画像

昭和2年10月16日(1927年)

是日、信濃尊孔会発会式、長野県上伊那郡伊那町小学校ニ於テ開カル。栄一、財団法人斯文会副会長トシテ祝辞ヲ寄セ、同会役員中村久四郎臨席代読ス。


■資料

斯文 第九編第一二号・第六六―六七頁昭和二年一二月 ○信濃尊孔会(DK410052k-0001)
第41巻 p.164-165 ページ画像

斯文 第九編第一二号・第六六―六七頁昭和二年一二月
    ○信濃尊孔会
 長野県の有志者相謀リ、孔夫子の英霊を祭祀すべく、信濃至聖廟を同県上伊那郡飯島村に建立するの議いよいよ熟して、信濃尊孔会を創立することゝなり、去十月十六日其発会式を同郡伊那町小学校大講堂に於て挙行したるが、本会副会長渋沢子爵は左記の祝辞をよせられ、臨席の中村久四郎氏之を代読せり。
 又同日は左記の演述あり。恰も同日は国本会上伊那支部の発会式に当り、信濃尊孔会と聯合して同会場に挙行せられ、国本会々長平沼騏一郎男爵・同会理事原嘉道博士の講演も上記の講堂に行はれ、特に其講演には儒教賛仰、孔夫子崇敬の意を加へられしを以て、信濃尊孔会はこゝに幸にも一大援助を得たるの状あり、聴衆に益々多大の尊孔の念を抱かしむることゝなれり。
      聖廟建立計画の要旨
                      柿木寸鉄
 信濃尊孔会の成立は即がて本会の趣旨を翼賛し、且つ湯島聖堂復興期成会の応援ともなるものとして、之を慶賀し、其趣旨貫徹を期待してやまざるなり。
      祝辞
先聖孔子之徳沢ヲ感戴シ斯文ノ興隆ヲ企図セル長野県人相謀リテ信濃尊孔会ヲ設立シ、上伊那郡ノ勝区ヲ卜シテ一廟宇ヲ建設シ、以テ永ク夫子ヲ祭祀スル処トセンコトヲ計画シ、今日其発会式ヲ執行セラルヽハ洵ニ近来ノ美挙ニシテ、予ノ衷心ヨリ欣喜スル所也
抑モ夫子ガ東洋道徳ヲ大成シテ後生ノ嚮フ所ヲ示サレタル豊功偉業ハ予輩ノ呶々ヲ待タザル所ナレドモ、遠ク応仁天皇ノ朝王仁ノ論語ヲ貢献セシヨリ以来今ニ至ルマデ一千六百余年ノ長キニ亘リ、汎ク我国上下ヲ感化シテ固有ノ大道ト融合シ、以テ宇内ニ卓絶セル特殊ノ国風ヲ構成セシムルニ与リテ力アリタル功徳ハ、我国民ノ銘記シテ忘ル可ラザル所ナリ
今ヤ欧米ノ科学専ラ行ハレテ人心功利ニ傾クノ時ニ際シ、本会ノ如キ団体興リテ夫子ノ霊位ヲ奉祀シテ報本反始ノ誠ヲ致サントスルハ頗ル人意ヲ強クスルニ足レリ、予ハ小少ヨリ夫子ノ道ヲ尊信シ論語ヲ以テ処世ノ準則トナシ来レリ、是ヲ以テ嚮ニ同志ト謀リテ斯文会ヲ興シ、
 - 第41巻 p.165 -ページ画像 
又湯島聖堂復興会ヲ設ケテ聊カ斯文ヲ維持スルニ努メツツアリ、乃チ本会ノ美挙ヲ聞クニ及ビテ、夫ノ徳孤ナラズ必ズ隣アリノ聖訓吾ヲ欺カザルヲ覚エ真ニ欣躍ヲ禁ゼザルナリ、冀クハ会員諸君奮励以テ目的ヲ貫徹セラレンコトヲ
  昭和二年十月十六日
                    子爵渋沢栄一