公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第41巻 p.460-461(DK410095k) ページ画像
大正3年10月10日(1914年)
是日栄一、郷里血洗島ヘ赴キ、村社諏訪神社ノ祭典ニ参列シ、渋沢市郎宅ニ一泊ス。
集会日時通知表 大正三年(DK410095k-0001)
第41巻 p.460 ページ画像
集会日時通知表 大正三年 (渋沢子爵家所蔵)
十月十日 土
血洗島へ御出向、同地御一泊(御出発時間未定)
渋沢栄一書翰 明石照男夫妻宛(大正三年)一〇月八日(DK410095k-0002)
第41巻 p.460 ページ画像
渋沢栄一書翰 明石照男夫妻宛(大正三年)一〇月八日 (明石照男氏所蔵)
○上略
近日三田之孫児同行血洗島へ参り候筈ニ候、例諏訪神社之祭典《(之脱カ)》を特別ニ相営候由、昨日村方之人々申来候、久振ニてサヽラ一覧之都合ニ御坐候
○中略
十月八日
栄一
照男殿
愛子との
貴酬
尚々当方一同よりもよろしく申上候
〔参考〕村社諏訪神社中興史 第一―二丁(DK410095k-0003)
第41巻 p.460-461 ページ画像
村社諏訪神社中興史 第一―二丁 (諏訪神社所蔵)
埼玉県大里郡八基村大字血洗島字中南
村社 諏訪神社
一、祭神
建御名方命 (大国主命之御子)
一、明治八年三月村社申立済
明治四拾年十月三日
神饌幣帛料供進指定
一、由緒
往古武之神として信州諏訪之里より玆に遷し奉りしといふ、本社之創建されたる時代邈として攷ふべからざれども、口碑に伝ふる所によれば 景行天皇之御宇日本武尊東征凱旋之時、此地を過きられたる紀念として祠前に植えたる欅樹、現今老朽したるも尚周囲四丈に余り老幹頗る古色を呈し一見千年以上を経過したるが如し、其武神として霊験之著しきは、 朱雀天皇之御代天慶之乱に、六孫王経基将門を伐たんと官軍を率いて竹之幌(現今八基村之地)にありしが之れより先当諏訪神社に戦勝の祈願をなし、将門の驍将三栗三郎将頼が秩父郡佐間ケ岳より進み来りしを〓尻庁鼻原に逆ひ伐ちて之を
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郤け大いに戦勝を得たりといふ、其後源平交戦之頃岡部六弥太忠澄も亦玆に屡々祈願して戦功を奏せしといふ、慶長十九年岡部領となり、領主在邑之時は代々参拝するを例とせりと
以来特記する事項伝ふるもの詳かならざれども、中興社殿境内共に荒廃せしを憂ひ、現今正三位勲一等子爵渋沢栄一閣下青年之頃社殿改築を氏子一同に謀り、東奔西走赤誠を以て斡旋努力之結果安政五年四月竣工す、之れ現今之社殿なり
其之後尚子爵閣下喜寿に達し、其之祝として現今之拝殿を造営寄進せられたり
大正五年九月竣工す