デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
5款 財団法人明治神宮奉賛会
■綱文

第41巻 p.551-560(DK410108k) ページ画像

大正4年9月8日(1915年)

是日栄一、宮相官邸ニ開カレタル当奉賛会協議会ニ出席シ、創立経過ヲ報告ス。次イデ十月十二日、新宿御苑ニ発会式挙行サレシモ栄一欠席ス。爾後栄一、各地ノ献金勧募ニ努ム。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK410108k-0001)
第41巻 p.551 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年 (渋沢子爵家所蔵)
九月八日 晴
○上略 四時内務大臣官舎ニ抵リ、神宮奉賛会ノ役員会同ス、一木内務大臣ヨリ挨拶アリ、後余ハ本会ノ経過ヲ演説シ、更ニ種々ノ要務ヲ協議ス、畢テ内務大臣ヨリ饗宴アリ、夜十時散会帰宿ス○下略
   ○中略。
九月十四日 晴
○上略 午後三時商業会議所ニ抵リ、神宮奉賛会理事会ヲ開ク○下略
   ○中略。
九月十七日 曇又小雨
○上略 四時半神宮奉賛会ニ抵リ○下略
   ○中略。
九月二十日 曇
○上略 午前十一時三井同族会ニ抵リ、八郎右衛門男ニ面会シテ奉賛会献金ノ事ヲ依頼ス、又三菱会社ニ抵リテ岩崎男ニ面会シテ同様ノ事ヲ依頼ス○中略 三時東京商業会議所ニテ奉賛会常務理事会ヲ開ク、徳川会長モ出席セラレ種々協議スル所アリタリ○下略
   ○中略。
十月十二日 曇
午前七時起床風邪気味全癒セサルニヨリ入浴ヲナサス○中略此日ハ神宮奉賛会ニ付、総裁伏見宮殿下ヨリ新宿御苑ニ招集ノ事アリシモ病気ノ為出席ヲ謝ス○下略
   ○中略。
十月廿一日
○上略 華族会館ニ抵リテ神宮奉賛会献金勧誘会ヲ開キ、来会者ニ一場ノ演説ヲ為ス、来会中献金決定ノ向アリテ各帳簿ニ其額ヲ記入ス、夜九時過散会○下略


竜門雑誌 第三二八号第七九―八一頁大正四年九月 ○明治神宮奉賛会協議会(DK410108k-0002)
第41巻 p.551-553 ページ画像

竜門雑誌 第三二八号第七九―八一頁大正四年九月
○明治神宮奉賛会協議会 予て青淵先生が委員長として其創立準備に尽力中なりし明治神宮奉賛会は、愈設立せらるゝ事となり、九月八日午後四時より内山下町内相官邸に於て其協議会を開会せり、出席者は一木内相、久保田次官、斯波造営局長、山田・田沢両書記官、山田・前田・小栗三秘書官(以上内務)、田所普通学務局長(文部)、下村貯金局長(逓信)、秋山軍務局長(海軍)、井上府知事、奥田市長、清棲家教伯、青淵先生、阪谷男爵、中野武営、安田善次郎、志村源太郎、朝吹英二、大谷嘉兵衛、浜岡光哲、柿沼谷蔵、井上準之助氏等にして
 - 第41巻 p.552 -ページ画像 
左の順序により協議し、了つて午後六時より晩餐の饗応ありて、午後八時散会したりと。
    順序
 一、一木内相挨拶
 一、創立準備委員長たる青淵先生の答辞並創立経過報告
 一、常務理事三名を置くこと
 一、常務理事の一名を有給とすること
 一、評議員推選のこと
 一、処務規定を定むること
○中略
因に青淵先生の報告せられたる創立経過概要並に当日決定せし役員は左の如しと云ふ。
    明治神宮奉賛会創立経過概要
明治神宮奉賛会は其端を明治四十五年七月三十日明治天皇崩御の翌日東京市内に於ける有志の会合に於て、御陵の事より延て神宮奉祀の議起りたるに発し、爾来有志者中より委員を選定し、熱心に奔走、当路其他に陳情する所あり、尋で御造営に関する覚書の提出となり、大正二年十二月神社奉祀調査会を置かれ、同三年九月昭憲皇太后合祀の件追加あり、越えて同十二月神宮御造営費確定相成たるにより、従来右東京府市に限られたる明治神宮奉建に関する有志委員会は、同年十二月十四日の会合に於て、既往の経過を報告し、其願意の納られたるを以て一旦之を完結し、同時に全国に渉りたる明治神宮奉賛会を発企することに決定し、同日創立発企会を開き、創立準備委員を定め、事務を東京商業会議所内に開始す、而して右創立準備委員は或は其筋と協議し、或は実地を踏査し、屡集合審議の末、大正四年五月十五日の会合を以て明治神宮奉賛会趣意書並同会規程を確定せり、尚委員代表者は大正四年一月及四月の両回内務省に於ける地方官会議に出席し、本会創立の趣意を演述し、其参賛を求めたり、而して本日迄に確定せる本会の発企人は約七千人にして、周ねく全国各地並に在外邦人に渉る延いて本年九月六日総裁伏見宮貞愛親王殿下の御裁可を仰ぎて副総裁以下の役員を決定し、既に嘱託の手続を了せり。
又本会の事業は東京市内旧青山練兵場に明治神宮の御苑を造設奉献するものにして、其費用を約四百万円と概算し、汎く全国民より寄附金募集の計画なり、但御苑の設計並に工事一切は明治神宮造営局に委託の見込なり。
        明治神宮奉賛会総裁以下役員(イロハ順)
           総裁   伏見宮貞愛親王
             副総裁  公爵 山県有朋
             同    侯爵 松方正義
             顧問   公爵 大山巌
             同    公爵 徳大寺実則
             同    伯爵 東郷平八郎
             同    伯爵 大隈重信
             同    伯爵 土方久元
 - 第41巻 p.553 -ページ画像 
             同    男爵 波多野敬直
             同  法学博士 一木喜徳郎
             会長   公爵 徳川家達
             副会長  男爵 渋沢栄一
             同  法学博士
                  男爵 阪谷芳郎
             同    男爵 三井八郎右衛門
             同       中野武営
             理事 法学博士 井上友一
             同       井上準之助
             同       市来乙彦
             同       馬場三郎
             同       浜岡光哲
             同       土居通夫
             同    侯爵 徳川頼倫
             同       大谷嘉兵衛
             同      △大橋新太郎
             同  法学博士 奥田義人
             同       久保田政周
             同       和田豊治
             同       川西清兵衛
             同      △柿沼谷蔵
             同       田中源太郎
             同       田所美治
             同  工学博士 団琢磨
             同       山田隆一
             同       山田新一郎
             同       安田善三郎
             同    男爵 藤田平太郎
             同      △朝吹英二
             同       秋山直之
             同       木村久寿弥太
             同    伯爵 清棲家教
             理事      志村源太郎
             同       斯波淳六郎
             同       下村宏
             同       鈴木摠兵衛
             会計監督    大倉喜八郎
             (△印は常務理事)


竜門雑誌 第三二九号・第七六頁大正四年一〇月 ○明治神宮外苑設計(DK410108k-0003)
第41巻 p.553-554 ページ画像

竜門雑誌 第三二九号・第七六頁大正四年一〇月
    ○明治神宮外苑設計
明治神宮奉賛会役員は別項記載の如く決定すると同時に、九月二十七日夜帝国ホテルに新聞通信社々長を招待して、同会の事業たる外苑設計の正式発表を為したり。即ち青淵先生及阪谷男爵の報告したる概要
 - 第41巻 p.554 -ページ画像 
は左の如くなりといふ。
 外苑は青山練兵場全部十八万坪を以て敷地とし、経費は約四百万円の見込みで、其内二百万円を東京市中で募り残余二百万円を日本臣民全部から募集したい希望を持つて居る、既に先年米国に在る同胞から五十万円の寄附を申込んで来てあつたが、戦争其他で未だ確定するに至つて居ないけれど、渋沢男が近く渡米される序があるので其時決定する事と思ふ、外国に在る同胞は本会の事に対し、却々の熱心で、羅馬に在る林大使の如き本会発企の通知書に接すると直ちに、折近して金千円の寄附をされたなどを始めとして、東京の富豪の方々も続々寄附される筈である、又一方に於ては大口の寄附のみでなく、国民の赤誠から例へ線香一本でも明治神宮へ捧げたいといふ希望を受くる為め、逓信省の貯金局に相談し、振替貯金より一層簡便な方法を以て全国の郵便局で取扱ふやうに成る筈だが、差当り目下は貯金口座三万番を使用することになつた、而して第一期の事業としては地域を整理し、大体の庭の形を作り樹木を植え、丘を築き、水を疏し幽邃なる樹林と芝生地を配合し、其他明治天皇御一代の事蹟を描いた壁画や絵巻物等を奉安する絵画館を建て、伊藤公から寄附された憲法制定紀念館、蜂須賀侯から寄附を申出た能楽堂を建て、又馬術御堪能に渡らせられ、殊に日露戦役後に馬匹改良に大御心を注がせ給ふたのを記念し、場の南方に競馬場を設け、其内側を体育場にする予定である、尚第二期以下に建てる美術館・図書館植物館其他の為め六万余坪を空地として置き、芝生にして置く心算である。尚是等の設計は伊東工学博士と福羽内苑頭に頼んである。


中外商業新報 第一〇五七七号大正四年九月二八日 ○明治神宮奉賛会 十月十二日発会式(DK410108k-0004)
第41巻 p.554 ページ画像

中外商業新報 第一〇五七七号大正四年九月二八日
    ○明治神宮奉賛会
      十月十二日発会式
明治神宮奉建の議に伴ひ、国民奉賛の誠意より頌徳記念の建造物及び外苑を設けんとする明治神宮奉賛会にては、予て趣意書と規程を配布したるが、別項の如く廿七日愈々役員決定したれば十月十二日を以て発会式を挙行し、之と同時に虎の門なる維新史料編纂会を事務所とし奉賛事務を開始することとなれり、同会の第一期計画としては約四百万円を全国特志家よりの寄附金に求め之を以て政府より提供さるべき青山練兵場(地価約七百万円)に外苑を営み、先づ樹林・芝生地・泉地を設けて衆庶の優遊に適せしめ、兼て明治天皇御一代記絵画館等頌徳記念事業を経営し、以て之れを永遠に伝ふるにあり、寄附金に就きては普く衆庶の特志に俟つ次第なれば、既定の奉賛会規程の外縦へ十銭にても二十銭にても差支へなく、特に同会にては寄附の便宜上振替東京三〇〇〇〇番を指定され、且つ各地方の郵便局にても相当の便宜を以て取扱はるゝ筈なれば、之に払込まば至極便利なるべし、又た同会の計画其他寄附金募集上の事項等に就きては、適宜発表する筈、尚近々渡米する渋沢男は在米同胞の寄附を勧誘すべしと、因に目下同会の事務所は東京商業会議所内に設けあり

 - 第41巻 p.555 -ページ画像 

中外商業新報 第一〇五九二号大正四年一〇月一三日 ○奉賛会 総裁宮の職員御召 優渥の令旨を賜ふ(DK410108k-0005)
第41巻 p.555-556 ページ画像

中外商業新報 第一〇五九二号大正四年一〇月一三日
    ○奉賛会
      総裁宮の職員御召
      優渥の令旨を賜ふ
明治神宮奉賛会にては先般伏見宮貞愛親王殿下を総裁に推戴し、副総裁並に正副会長以下職員決定し、組織全く成りたるを以て、総裁宮殿下には特に職員全部並に評議員委員其他を十二日新宿御苑に召させられ、此に盛大なる総会を開かれたり、当日夜来の雨天にも拘らず定刻午後一時半に至り、顧問大山公爵以下関係者二百余名前後して参集、同二時に至り総裁伏見宮殿下には高須御附武官を随へ御着遊ばされ、先着の副総裁顧問正副会長以下職員に謁を賜ひ、二時三十分振鈴と共に会衆式場に着席するや、奏楽と共に殿下には諸員起立最敬礼中に御入場あり、先づ阪谷副会長恭しく奉賛会成立に至れる経過を報告し、次で徳川会長一場の挨拶を述ぶるや、宮殿下には諸員起立最敬礼中に左の令旨を賜り、次で徳川会長奉答文を捧読せり
      ▽令旨
 明治神宮奉祀の事興るや国民は熱誠を以て此の盛事を翼賛せむことを冀ひ、爰に明治神宮奉賛会の成立を告げたるは貞愛の深く欣ぶ所なり、惟ふに 先帝及先皇后の聖徳懿範は至高至大、誰か之を欽仰せざるものあらむや、本会の興るは即ち斯の至情の発露に外ならざるなり、貞愛 両陛下に奉侍すること多年、殊遇を蒙り恩頼を辱くすること深く、常に洪恩の万一に報せむことを念ふ、今や諸子の推戴に依り本会を総裁するは、貞愛が先皇に尽すの一端たらずんばあらず、諸氏能く協心戮力目的を完成せむことを望む
  大正四年十月十二日
        明治神宮奉賛会総裁大勲位功二級
                      貞愛親王
      ▽奉答文
 本日殿下一同を召させられ親しく優渥なる令旨を賜ふ、家達等感激の至りに堪へず、惟ふに殿下の盛慮は七千万臣民の斉しく服膺すべき所なり、家達等誓て一同と共に至誠を尽し令旨に副ひ奉らむことを期す、謹て奉答す
  大正四年十月十二日
        明治神宮奉賛会会長
             正二位勲一等公爵 徳川家達
右畢つて総裁宮殿下には奏楽と参列諸員の最敬礼中に御退場御休憩所に入らせられ、次で午後三時半に至り食堂を開き殿下御入場あり、一同に対し酒饌を賜はり、午後四時半頃退散せり、当日参集せる重なる人々左の如し
 大山公爵・東郷元帥・波多野宮相・一木内相・武富蔵相・加藤海相・尾崎法相・箕浦逓相・井上大将・上村大将・瓜生大将・伊集院大将金子枢密顧問・添田鉄道院総裁・横田大審院長・江木翰長・松井・菅原其他各省次官及参政官、阪谷男・徳川伯・中野武営・朝吹英二・大倉喜八郎・安田善三郎・浅野総一郎・団琢磨・三村君平・水町日
 - 第41巻 p.556 -ページ画像 
銀副総裁・木村・土方・吉井同行理事、井上正金頭取・和田豊治・野崎広太・加藤正義・大谷嘉兵衛・柿沼谷蔵・成瀬正恭・小池国三・角田真平の諸氏外二百余名


明治神宮奉賛会通信 第一号・第九頁大正五年一月 経過報告(DK410108k-0006)
第41巻 p.556 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第一号・第九頁大正五年一月
    経過報告
○大正四年九月二十七日 帝国ホテルニ新聞社長通信社長等諸氏二十余名ヲ招待シ、本会事業ノ後援ヲ依頼ス
       十月一日 評議員四百八十二名御嘱託(其後異動アリ大正四年十二月末現在五百五十名)
       十月六日 本会事務所ヲ東京市麹町区三年町御料地内(元拓務局跡)ニ移ス
      十月十二日 新宿御苑内ニ於テ本会総裁伏見宮殿下ヨリ本会役員其他六百三十余名ニ賜餐アリ、令旨ヲ賜フ
     十月二十一日 華族会館ニ東京横浜在住実業家百七十余名ヲ招待シ、献金ヲ依頼ス○下略
    明治神宮奉賛会献金報告
大正四年十一月中
 ○東京府
  金弐拾万円也       男爵 岩崎久弥
  金弐拾万円也       男爵 三井八郎右衛門
  金五万円也        男爵 古河虎之助
  金五万円也           安田善三郎
  金弐万円也        男爵 渋沢栄一
  金壱万五千円也         村井吉兵衛
○下略


東京日日新聞 第一四〇三四号大正四年一一月二八日 神宮奉賛会献金(DK410108k-0007)
第41巻 p.556 ページ画像

東京日日新聞 第一四〇三四号大正四年一一月二八日
    神宮奉賛会献金
十一月三十日現在第一回の報告に拠れば、明治神宮奉賛会献金額は既に六十八万八千四十九円の多きに達せる由なるが、其主なる献金者左の如し
 金廿万円宛岩崎久弥・三井八郎右衛門両男、金五万円宛安田善三郎古河虎之助、金二万円渋沢栄一男、金一万五千円村井吉兵衛、金一万円宛服部金太郎・大橋新太郎(田中平八・田中銀之助・日比谷平左衛門)、金五千円宛徳川家達公・小池国三・千葉松兵衛・神田鐳蔵・三輪善兵衛・三越呉服店、金三千円宛森岡平右衛門・小西安兵衛・前川太郎兵衛・杉村甚兵衛、金二千円宛峰島茂兵衛・菊池長四郎・朝吹英二・柿沼谷蔵・長井利右衛門・渡辺大治郎、金一千円宛米井源治郎・御木本幸吉外五十三名、金五百円宛中村利兵衛・朝吹常吉金二百円宛河合半兵衛外九名


明治神宮奉賛会通信 第二号・第一頁大正五年二月 経過報告(DK410108k-0008)
第41巻 p.556-557 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第二号・第一頁大正五年二月
 - 第41巻 p.557 -ページ画像 
    ○経過報告
大正五年一月十二日 華族会館ニ於テ理事会ヲ開キ、副会長渋沢男米国ヨリ帰国ニ付、同男ノ米国各地在住日本人諸氏ニ対スル献金勧誘ノ状況ヲ聴取ス、在米各地共頗ル熱心ノ模様ナリ
   ○栄一、大正四年十月二十三日横浜出帆渡米シ、五年一月四日帰国ス。


明治神宮奉賛会通信 第三号・第一頁大正五年三月 経過報告(DK410108k-0009)
第41巻 p.557 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第三号・第一頁大正五年三月
    ○経過報告
二月二十一日 在京中ノ朝鮮・台湾・関東州ノ大官及駐米総領事等ヲ華族会館ニ招待シ、会長・副会長・常務理事列席午餐ヲ共ニシ、献金取纏ニ関スル件ニ付協議アリ


明治神宮奉賛会通信 第三号大正五年三月 (御沙汰書)(DK410108k-0010)
第41巻 p.557 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第三号大正五年三月

図表を画像で表示--

 (御沙汰書)     明治神宮奉賛会 今般其会事業補助ノ 為 思召ヲ以テ金参拾万 円下賜候事  大正五年三月一日        宮内省 




渋沢栄一書翰 八十島親徳・増田明六宛(大正五年)四月七日(DK410108k-0011)
第41巻 p.557 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳・増田明六宛(大正五年)四月七日
                  (八十島親義氏所蔵)
○上略
神宮奉賛会水上氏之来状落手、米国各地へ之出状案一覧いたし候、且又寄附行為に関する定款草案も封入申越候も、是ハ至急を要せさるものなるニ付、帰京之上相談可致と存候、其他当用ニ付而ハ別紙回答封入仕候、御届可被成候
○中略
  四月七日
                     渋沢栄一
    八十島親徳様
    増田明六様
         梧下


中外商業新報 第一〇八一二号大正五年五月二一日 ○明治神宮奉賛会打合会(DK410108k-0012)
第41巻 p.557 ページ画像

中外商業新報 第一〇八一二号大正五年五月二一日
○明治神宮奉賛会打合会 明治神宮奉賛会にては、二十日正午より帝国ホテルに支部長会議を開き、徳川会長、渋沢・三井両副会長、常務理事其他各府県支部長、明治神宮造営局長其他内務次官□《(一字不明 各カ)》局長合計約七十名出席、献金取纏に関する諸般の報告並に打合を為し、午後三時散会
 - 第41巻 p.558 -ページ画像 


明治神宮奉賛会通信 第六号・第一頁大正五年六月 経過報告(DK410108k-0013)
第41巻 p.558 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第六号・第一頁大正五年六月
    ○経過報告
△五月二十日 内地各支部長其ノ他ヲ帝国ホテルニ招待シ献金取扱ニ付キ協議セリ、当日徳川会長ヨリノ依頼事項(会務要項参照)及ビ渋沢副会長ヨリノ希望事項(会務要項参照)ハ謄写ノ上各支部長ヘ送付セリ


明治神宮奉賛会通信 第六号・第二頁大正五年六月 会務要項(DK410108k-0014)
第41巻 p.558 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第六号・第二頁大正五年六月
    ○会務要項
△五月廿日 帝国ホテルニ開キタル内地支部長会議ニ於テ、口演セラレタル渋沢副会長ノ希望事項如左
一、献金ノ取纏ニ付テハ、朝鮮・満洲・台湾等ニ於テモ又米国其他海外ニ於テモ夫々方法ヲ講ジツヽアリ、内国各地ニ於テモ可成速ニ予定以上ノ金額ヲ纏ムルヤウ致度シ
二、本会ノ外苑経営費ハ約四百万円ノ予定ナルモ、之ハ最低限度ナレバ尚百万円位ハ何トカシテ集メ度シ、故ニ各支部ニ於テモ曾テ御依頼申上ゲタル予定額ニ止マラズ、其レ以上ノ金額集マルヤウ尽力アリタシ
三、総ジテ寄附金ノ取纏ニ際シテハ、其趣旨十分普及セザル為メ、心アルモ応ジ得ラレザルニ至ル事多キモノナリ、之ハ仲介人ノ過失ナリ、本会ハ国民全般ヨリ献資ヲ望ムモノナレバ、趣旨ノ普及並ニ手続ノ簡易ハ特ニ注意アリタシ
四、献金取纏ニ付テハ成可ク非難ノ起ラザル綺麗ナ方法ヲ採ラレタシ、目的ノ為ニ手段ヲ選バザルガ如キハ慎マレ度キモノナリ


明治神宮奉賛会通信 第七号・第一頁大正五年七月 経過報告(DK410108k-0015)
第41巻 p.558 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第七号・第一頁大正五年七月
    ○経過報告
△六月十六日 在米各支部長ヘ渋沢副会長ヨリ献金勧誘ノ依頼状ヲ発送ス


明治神宮奉賛会通信 第八号・第一頁大正五年八月 経過報告(DK410108k-0016)
第41巻 p.558 ページ画像

明治神宮奉賛会通信 第八号・第一頁大正五年八月
    ○経過報告
△七月二十四日 午後三時ヨリ本会事務所ニ於テ理事会ヲ開ク○下略
△七月二十四日 午後六時ヨリ東京市内ノ重ナル新聞通信記者二十余名ヲ帝国ホテルニ招待ス、徳川会長並ニ渋沢副会長ノ挨拶アリテ、水上常務理事ヨリ本会経過概要、各地献金ノ状況、理事会議決事項(別項参照)ヲ述べ、尚今後ノ援助ヲ依頼セリ


竜門雑誌 第三三九号・第一一六頁大正五年八月 ○明治神宮奉賛会理事会(DK410108k-0017)
第41巻 p.558-559 ページ画像

竜門雑誌 第三三九号・第一一六頁大正五年八月
○明治神宮奉賛会理事会 明治神宮奉賛会にては、七月二十四日午後三時より同事務所に於て理事会を開き、会長徳川公爵・副会長青淵先生及各理事出席、協議の上会員章を規定し夫々之を郵送する事を決議し、同五時散会したる由、之に就て青淵先生には都下新聞記者の訪問に対し左の如く語られたりとなり
 - 第41巻 p.559 -ページ画像 
 『献金申込は内地にありては道府県庁・郡市区役所・町村役場、新領土に在りては総督府及其管下の官民衙、又海外にては領事庁等各地最寄々々にて受附べきにつき其方へ申込まれたく、献金は一定の標準なく多寡を論ぜず、全然各人の随意なり、尚申込期間は本年中なるにより、上下貧富各階級を通じて献金の機会を先ふ事なからざる様希望す』


中外商業新報 第一〇八八四号大正五年七月三〇日 ○献金三百万円 青山の外苑奉建事業盛況 明治神宮奉賛会々長 徳川家達公談(DK410108k-0018)
第41巻 p.559-560 ページ画像

中外商業新報 第一〇八八四号大正五年七月三〇日
    ○献金三百万円
      青山の外苑奉建事業盛況
          明治神宮奉賛会々長 徳川家達公談
明治天皇御四年祭に際して懐ひ出さるるは、明治神宮及び青山に於ける外苑奉建の事である、同事業は徳川公爵を会長とする神宮奉賛会が引続き鋭意奔走中であるが、目下如何なる程度に迄進むで居るか、徳川会長は語りて曰く「本会の事業は青山に於ける外苑奉建であつて、経費は総て
  国民の自由意志
による寄附行為に頼る事になつて居る、而して其総予算は最低限度四百五十万円で、其内二百万円は地元たる東京府に於て引受け、残余の二百五十万万を全国各府県に於て調達する都合になつて、既に七分通り三百廿九万余円の献金は取纏め済となつて居る、献金締切は本年一ぱいであるから、優に予定通りの四百五十万円を調達し得る事多くの困難とは思つて居ない、斯くの如き盛況は勿論
  明治昭憲両陛下
御威徳の然らしむる処ではあるが、また国民忠誠の発露である事疑ひ無い処である、猶ほ此処に予の遺憾に思つて居るのは献金に際して金額の多寡、他人の振合等にのみ拘泥して荏苒日を移して居る人である之は一応尤もの事ではあるが、今度の献金は全然各人の自由意志で金額の多寡或ひは標準等は少しも無いのであるから、一日も早く最寄の市町村役場へ手続をとつて貰ひ度いのである」猶ほ参考の為め今日迄の各地に於ける
   献金状態の大要
を左に示す事にする
      予定額を超過せる府県
▽京都府▽兵庫県▽長崎県▽新潟県▽千葉県▽愛知県▽静岡県▽福島県▽福井県▽島根県▽広島県▽香川県▽大分県
      予定額より不足の府県
▽東京府▽大阪府▽神奈川県▽埼玉県▽群馬県▽茨城県▽栃木県▽奈良県▽三重県▽山梨県▽滋賀県▽岐阜県▽長野県▽宮城県▽岩手県▽青森県▽山形県▽秋田県▽石川県▽富山県▽鳥取県▽岡山県▽山口県▽和歌山県▽徳島県▽愛媛県▽高知県▽福岡県▽佐賀県▽熊本県▽宮崎県▽鹿児島県▽沖縄県▽北海道
   ○献金応募額ニ就キテハ大正五年末ノ締切ニテ
     内地 六〇一万円
 - 第41巻 p.560 -ページ画像 
     新領土 三三万円
     海外 三八万円
     御下賜金 三〇万円
    ニ達シ、予定額四五〇万円(四〇〇万円ヲ中途ニテ改ム)ヲ遥ニ超ユル巨額トナレリ。(「明治神宮外苑奉献概要報告」ニ拠ル)