デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
9款 其他 1. 厳島神社
■綱文

第41巻 p.648-650(DK410139k) ページ画像

大正7年10月6日(1918年)

是日栄一、厳島神社千畳閣修繕費トシテ、金五百円ヲ当神社協賛会ニ寄付ス。


■資料

厳島記念講演 厳島神社社務所編 附録・第一一頁大正一一年三月刊(DK410139k-0001)
第41巻 p.648 ページ画像

厳島記念講演 厳島神社社務所編 附録・第一一頁大正一一年三月刊
○上略
一、協賛会は、大正五年十一月、厳島町民の、千畳閣修理事業を協賛し、其落成祝祭に、参拝する者を、歓迎する目的を以て組織し、社務所内に事務所を置き、宮司以下本社神職を顧問とし、時の町長吉岡吾策を幹事長に、岩村平助・石井徳太郎・沼田栄三郎・渡辺仙次郎・高木多兵衛・武内松太郎・内山語助・梅林福松・山中周次郎・山本寅吉・山本信太郎・小西保次郎・小林政助・宮田竹八郎・宮郷忠兵衛・瀬田寅次郎(いろは順)を幹事として成立したるもの○下略


厳島記念講演 厳島神社社務所編 附録・第二八―二九頁大正一一年三月刊(DK410139k-0002)
第41巻 p.648 ページ画像

厳島記念講演 厳島神社社務所編 附録・第二八―二九頁大正一一年三月刊
○上略
一 千畳閣大修繕寄附金の重立者氏名左の如し。
 金二万六千円 国庫補助
 金三千円 男爵三井八郎右衛門
 金三千円 男爵住友吉右衛門
   外ニ二千五百円 保存会へ
 金二千円 公爵毛利元昭
○中略
 金五百円 子爵渋沢栄一
○下略


厳島神社回答(DK410139k-0003)
第41巻 p.648-649 ページ画像

厳島神社回答              (財団法人竜門社所蔵)
  昭和十二年十月四日
                  厳島神社々務所 厳島神社社務所之印
    竜門社青淵先生伝記資料編纂所御中
拝復、秋冷之候愈御隆昌之段奉賀候、陳者去月廿八日付御照会相成候当社千畳閣修理寄附金之件、大正七年十月六日金五百円協賛会を経て御奉納相成居候、其際の趣意書は別紙之通に御坐候、右回答候也
(別紙印刷物)
    趣意書
厳島神社は関西の名祠、社殿楼閣の尽善尽美なる、天下の斉しく瞻仰する所なり。中に就き、千畳閣は、天正十五年三月、豊太閤征西の途本社に詣うで、安国寺恵瓊をして創建せしめたる、千古記念の大経堂にして、東西二十八間、南北十七間四尺、内以て席千畳を敷くべく、
 - 第41巻 p.649 -ページ画像 
其結構の雄大なる、其規模の宏壮なる、豊公の雄図を偲ぶに足るものあり。爾後、文禄の役、公出でゝ名護屋に陣せんとするや、復当社に詣うでゝ、戦捷を祈祷し、経堂に於て軍事を評定せられたり。近く明治の三大戦役に於ける、外征百万の我将卒が、社頭に額づきて、戦捷を熱祷せし所以のもの、誠に徒爾ならざるなり。
閣や、如上の由緒ある建造物なるを以て、明治維新の際、公の神霊を鎮祭して、豊国神社と称し、当社の末社となれり。後明治二十八年四月辱くも
先帝陛下より維持資金の御下賜あり。同四十三年八月、特別保護建造物に指定せらる。独り憾むらくは、当社経営費の多端なる、未だ之が修理に暇あらざるに、早くも風飧雨蝕して、梁楹壊損し、終に今日の大破に及びたり。是が為に、公の神霊を景仰し、四方より来り詣づる者、愈益増加するに干はらず、其奉納せし大小十数万本の、「敵をメシトリ杓子」と称する賽物の如きは、累然として榱椽桷柱の間に委積せらる。是時に至り、当社の主要なる他の殿宇は、既に完く修繕を了し、唯千畳閣の一のみ、壊損依然斯くの如し。是れ小職等の、日夜苦慮して措く能はざる所、社会万衆の、咨嗟惋惜を禁ぜざる所なり。
是を以て仔細に其筋の設計を請ひしに、修理の工費金六万一千弐百余円を要し、之に附帯せる石階・溝渠の修築、沙防工事・防火設備等の費、また金参万四千余円にして、合計幾んど拾万円の巨費を算す。政府乃ち特別の詮議を以て、古社寺保存費より、該工費中へ、金弐万六千円を下附せられたり。是に於て、当社も亦 恩賜金の利子に、貯余の資を加へ、金弐万参千余円を支出して、今将に之が工事に著手せんとするも、尚金四万六千余円の不足を告ぐ。是れ玆に、全国篤志の同情者に訴へて、之が寄附を仰ぐ所以なり。
来大正八年は、宛も閣の創建三百三十三年に相当するを以て、速に本工事及附帯事業を完成し、同年四月春陽の候を以て、盛なる大修繕落成祝祭を挙行し、一は以て豊公の神霊を慰め奉り、一は以て天下の勝景たる厳島の史的記念を、永遠に維持せんとす。大方の君子、幸に之を諒とし、奮つて此挙に賛助あらんことを希望すと云爾。
  大正五年十月
              官幣中社厳島神社宮司 高山昇
 附白 当社に財団法人厳島保存会あり。現在資金弐万参千弐拾六円余本年六月末日調に過ぎずと雖も、既往の修繕費中へ、金四千弐百五拾九円余を支出し、今回また其利子、金参千円支出の事となれり。是れ該会寄附者の厚意にして、当社の深く感謝する所なり。猶這般の寄附金募集も、之を該会の事業に委ねんと欲したれど、同会「寄附行為」に規定あり、かつ大破、急施を要する場合なるを以て、本修繕費は、別に之を募集し、成るべく寄附金の超過を得て、之を保存会に寄与し、以て当社永遠維持の資に供せんとす。同情諸家、冀くはまた之を諒とせんことを。

   ○右ハ当資料編纂所ノ問合セニ対シテ昭和十二年十月四日付回答セラレタルモノナリ。

 - 第41巻 p.650 -ページ画像 


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三九年(DK410139k-0004)
第41巻 p.650 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年          (渋沢子爵家所蔵)
七月九日 晴 清暑               起床七時就蓐十一時
○上略 九時半発ノ汽車ニテ馬関ヲ発ス、汽車中ニテ午飧シ、二時過宮島ニ抵リ、岩村ニ投宿ス、小憩後厳島神社ヲ参拝シ市中ヲ散歩ス○中略
社務所員佐伯某ノ案内ニテ、大元公園其他各所ヲ一覧ス
七月十日 晴 暑                起床六時三十分就蓐十二時
○上略 十時再ヒ厳島社殿ニ参拝シ、宝物ヲ一覧ス、楽器及面又ハ平清盛ノ書抔頗ル見ルニ足ルモノアリ○下略