デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
3節 寺院及ビ仏教団体
1款 東叡山寛永寺
■綱文

第42巻 p.16-23(DK420005k) ページ画像

昭和2年1月16日(1927年)

当寺所有土地二万余坪ノ地代値上ゲ問題ニ係ル争議ニ関シ、是日栄一ノ代理トシテ増田明六当寺ニ
 - 第42巻 p.17 -ページ画像 
赴キ、弁護士橋本義助ヲ嘱託スルコトヲ議ス。栄一、尚当寺ノ為メ尽力スル所多シ。


■資料

(増田明六)日誌 昭和二年(DK420005k-0001)
第42巻 p.17 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年       (増田正純氏所蔵)
一月十六日 日 晴
○上略
午後一時半寛永寺ニ会す、要件如左
一同寺所属土地賃貸料値上ニ関する件
一右貸地権利金徴収ニ関する件
一橋本義助弁護士を嘱託又ハ顧問と為すの件
一財団法人東叡山護持財団設置ニ関する件
夕後《(食カ)》の饗を受け、午後七時帰宅
  ○中略。
二月十二日 土 晴
○上略
本日の来訪者と其要件
1、浦井亮玄君 寛永寺土地ニ関する件
○下略


(橋本義助)書翰 増田明六宛(大正一五年)八月九日(DK420005k-0002)
第42巻 p.17 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

寛永寺書類(一)(DK420005k-0003)
第42巻 p.17-18 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆)
             昭和二年五月三日東京日々新聞
  上野の寛永寺が突如地代値上
    お寺にも吹入つた財政難
      借地人結束して対抗
上野寛永寺には、住職大多喜守忍師名義で、隣接の上野桜木町に二万余坪の宅地を所有してゐるが、同寺では、最近寺の財政困難を理由として、借地人に対し従来坪十三銭乃至十八銭で貸付けてゐたものを、
 - 第42巻 p.18 -ページ画像 
突然地代を約三倍に引上げ、契約期間の満了したものに対しても、書き換への権利として坪百円づゝを要求したが、同所の借地人二百三十四人のうち、この要求を不当とし、一日借地人の一人である土田医学博士邸で借地人大会を開き、寛永寺に対抗するため、借地人同盟を組織し、同じ借地人の弁護士宮古啓三郎氏外四名が代表者となつて、寛永寺住職と会見、正式に要求を拒絶したが、更に近日中第二回の大会を開く筈
 右につき宮古啓三郎氏は曰く『寝耳に水で、廿割又は卅割の値上げをした上に坪百円の書換権利金を取らうなどとは、普通人でもできないことです、それをお寺がやるなんて全く言語道断です』


寛永寺書類(一)(DK420005k-0004)
第42巻 p.18 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
          (別筆)
          二、五、二〇、子爵に御話致置キタリ
謹啓、尊台益々御清昌之段奉大賀候、扨て当町借地人会別紙趣旨書並に会則を御送り致候間、御一覧下さらば幸甚に候、趣旨書に申述べし通り、借地人会の創立は決して借地人の好んで致せし処に無御座候、当町は土地不便にて設備悪しきに拘らず、之に対する比隣の清水町、(大河内家所有地)曙町(土井家)弥生町(浅野家)西片町(阿部家)等の住宅地に対し、現に地代高く、更に五年目に約二割見当の引上げを例と致し居候、これに対し借地人は特に異議なかりしも、決して衷心より当然と看做せし訳にあらず、然るに地主たる寛永寺は、借地人の斯る従順なる態度を甘く見しものか、最近に至り、更に人を見て五割より甚しきは一躍二十割近くの値上げを要求し、又従来五年の切換へ期間を例とせしに三年に縮め、剰へその契約書を公正証書にせよと申し、朝に甲借地人に迫り、夕に乙借地人を呼出して、而も凡て傭ひ弁護士と交渉せしむる状にて、自然他の借地人に伝はり、今や全借地人は不安の念に駆られて脅威されて黙坐するに堪へず、期せずして輿論の勃発となり、玆に殆んど全借地人の参集と万場一致《(満)》を以て、借地人会が成立致せし次第に候
寛永寺ともあるものが、何故に斯る時代錯誤の無法極まる地主根性を発揮するに至りしか、坊間の伝ふる所区々にて、何れが真か不明なるも、兎に角向ふ様が向ふ様なればこちらもこちらとして、相当の覚悟と態度とを必要として、合理的解決を先づは世の公正なる御批判を仰ぎたく如斯御座候 敬具
  五月十七日            桜木町借地人会
    子爵 渋沢栄一様


寛永寺書類(一)(DK420005k-0005)
第42巻 p.18-19 ページ画像

寛永寺書類(一)         (渋沢子爵家所蔵)
    桜木町借地人会幹事来話ノ顛末 二年六月二日於事務所
桜木町借地人会顧問弁護士宮古精二郎《(宮古啓三郎)》・常任幹事広瀬寅蔵・同高木友三郎・幹事長谷因正ノ四氏来訪、左記ノ件子爵ニ伝ヘラレタシトノ談話アリタリ、寛永寺ニ於テ今般ノ取扱ニ付テ
一地代値上ノ不当
一権利権徴収ノ不当
 - 第42巻 p.19 -ページ画像 
一期限ヲ前借地人ニ溯ルハ不都合
一弁護士ヲ雇入レタルハ不都合ナリ、前通差配人ニ委セレハ可ナリ
一浜野病院・薬学校ト交渉シタルコトヲ、吾々ハ後ニ聞知シタルガ、単独ノ交渉ハ不都合ナリ
一加納氏トノ交渉ノ状況
一藤沢氏トノ交渉〃
一証書ヲ巻上ント努メリ
一貸地内ニ多数ノ商家出来シタリ
一寛永寺末寺住職ニ対スル反感
一寄付金名義ニテ権利金ヲ取リタリ
右ハ主トシテ長谷氏ノ談ニシテ、最後ニ
一寛永寺ノ此度ノ取扱ニ付テハ、明カニ其意見ヲ借地人ニ示シ、其上双方ハ檀家総代ノ立会ヲ以テ会見スルコト、其結果ハ世間ニ公開スルコト
ヲ希望スト《(ノ脱)》コトナリ
参考トシテ二、三、二七、地所委員神田氏ヨリ田中大次郎氏宛内容証明ノ書状ヲ持参シタリ
一今回ノ値上ニ付テ、二口丈ケ目的ヲ達シタルナラン、其一ハ私ナリト広瀬氏ハ語リ、自分ハ前借地人ヨリ転貸ヲ受ケタルモノナルガ、橋本弁護士ニダマサレテ、契約条項ヲ改正シテ、前借地人ノ借受期日ヨリ借受ケタルコトニ改メ、為之五年ノ借地権ヲ損シタリ、其上旧証書ハ取上ケラレテ返却ヲ受クルコト能ハス
一今回ノ事件ニ付テハ、橋本弁護士ハ成功報酬トシテ権利金取得ノ一割ヲ受クル約束ニシテ、少クトモ百万円ノ権利金ヲ得ント努ムルガ如シ
 如此寺モ檀家モ知ラサルベシ、橋本弁護士ハ私腹ヲ肥サント必至ニ努メ居レリ云々
右ハ広瀬氏ノ談話ナリ、宮古・高木両氏ハ多クヲ語ラス
以上ニ対シ増田ハ
一寛永寺ノ今回ノ地代値上、弁護士依頼、差配人ノ事務縮少ハ、檀家総代ノ同意ニ依リシモノニテ、同寺ノ越権行為ニアラス
一同寺ノ取扱ニ対スル各位ノ批難スル事項ハ、総代ノ知ラサル処ナルガ、同寺ノ財政困難ハ予テ熟知スル所ニシテ、何トカ方法ヲ設ケテ収入ノ増加ヲ図ルベシト注意シタルコトアリ
一地代値上モ右ノ結果ニ依リシモノニテ、檀家トシテハ相当ノ値上ヲ必要ト認ムルモノニテ、権利金ノ徴収ニモ不同意ヲ申サヽルナリ
 各位ノ来談ハ能ク承ハリタレハ、之ヲ同寺ニ移シ、可成穏便ニ取扱フ様、注意スベキヲ以テ、各位ニ於テモ、相当ノ値上ヲ承知セラレタシト
希望シタルニ、広瀬氏及長谷氏ハ
一自分等ノ会ハ寺ニ反対スル為メニ設ケタルニアラス、寺ガ如何ニモ勝手ノ行為ヲスル故不得止設立スルニ至リシモノナレハ、寺ガ世間並ノ引上ハ少シモ差支ナシ、其要求ガ多大デアルカラ、前掲ノ通総代ニ要請スル次第ナリト陳ヘタリ

 - 第42巻 p.20 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK420005k-0006)
第42巻 p.20 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十四日 雪 寒気強シ
○上略
木島氏ニ電話ヲ通シテ、上野寛永寺ノ土地ノ事ヲ談話ス
○下略


寛永寺書類(一)(DK420005k-0007)
第42巻 p.20 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆朱書)
                  昭和五年七月七日御調印
            (別筆)
            同日寛永寺浦井亮玄師宛同物弐通
            郵送済
    境内地々租附加税免租願
             東京市下谷区上野桜木町十番地
                      寛永寺
                      内 訳
   所在地    総坪数     境内地     境外地
  上野桜木町一〇 四六〇二坪九九 四二七〇坪五九 三三二 四〇
               内官有地二五八二 〇二
右境内地ニ付キ地租附加税免租相成度及御届候也《(願)》
                         (東叡山印)
            右寛永寺住職  大多喜守忍
            檀家総代 子爵 渋沢栄一
                 男爵 大倉喜七郎
  昭和五年 月 日
    東京市下谷区長 宮川宗徳殿


寛永寺書類(一)(DK420005k-0008)
第42巻 p.20-21 ページ画像

寛永寺書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
                       (別筆)
                       渋沢様控
    境外仏堂移転費残金寄附願
      東京市下谷区上野桜木町五十四番地
                  天台宗 護国院
右院儀、大正十五年五月廿七日付東京府庁寅学第八五八七号ヲ以テ御許可ヲ蒙リ候境外仏堂釈迦堂並供所移転改築及墓地改葬工事費残金九万八阡四百五拾六円弐拾五銭ヲ、東叡山諸堂維持財団設立基金トシテ本寺寛永寺ヘ寄附致度候間、御許可被成下度、此段関係者連署ヲ以テ及御願候也
 追而右寄附金ハ、財団設立迄、寛永寺ニ於テ、三井・安田両信託ヘ半額宛信託預金シ、財団設立ノトキ之ヲ寛永寺ヨリ財団ヘ引渡スモノトス
金額 摘要
       円
四六〇、六七二・〇〇 東京市ヨリ釈迦堂並供所移転改築及墓地改葬費トシテ金四十六万円下附、六百七十二円ハ旧供所処分代受入
三六二、二一五・七五 移転改築並改葬費ニ支出
 九八、四五六・二五 差引残金寄附額
  昭和 年 月 日
             右護国院住職
 - 第42巻 p.21 -ページ画像 
                      神田尚順(印)
             右院檀家総代
              東京市神田区駿河台北甲賀町十四番地
                      小俣義雄(印)
              府下豊多摩郡中渋谷六百八十一番地
                      秋元朝鋭(印)
              東京市浅草区聖天町六十一番地
                      多田升雄(印)
             右院法類総代
              東京市下谷区上野桜木町
                春性院住職 二宮守人
              同所
                福聚院住職 北岡祐門(印)
              同所
                覚成院住職 高橋考全(印)
             右院本寺
                寛永寺兼住職
                      大多喜守忍
             右寛永寺檀家総代
                      *
              東京府北豊島郡滝野川町一三一六番地
                      (署名手書)
                      渋沢栄一
               東京市赤坂区葵町三番地
                  ○大倉喜七郎署名印脱
    東京府知事 平塚広義殿
*欄外記事
 此番地ハ違アリ、一、〇三六番地ガ正確、但シ訂正セズ、今度ハ此儘ノコト


寛永寺書類(一)(DK420005k-0009)
第42巻 p.21-22 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆朱書)
                  控、同様ノ書類六通調印
    境外仏堂移転費残金寄附済届
      東京府下谷区上野桜木町五十四番地《(市)》
                    天台宗 護国院
昭和三年三月十五日付辰兵第二五一号ヲ以テ許可相成候境外仏堂移転費残金九万八千四百五拾六円弐拾五銭ヲ本寺寛永寺ヘ寄附ノ件、昭和三年三月廿日寄附相済候間、此段及御届候也
  昭和五年二月
         右護国院住職
                    神田尚順(印)
         右院檀家総代
          東京市神田区駿河台北甲賀町十四番地
                    小俣義雄(印)
          府下豊多摩郡渋谷町神泉十七番地
                    秋元朝鋭(印)
 - 第42巻 p.22 -ページ画像 
          東京市浅草区聖天町六十一番地
                    多田升雄(印)
           東京市下谷区上野桜木町十番地
           寛永寺兼住職
                    大多喜守忍
         寛永寺檀家総代
         東京府北豊島郡滝野川町千三拾六番地
                 子爵 渋沢栄一
         東京市麹町区下二番町三拾番地
                 男爵 大倉喜七郎
    東京府知事 牛塚虎太郎殿


寛永寺書類(一)(DK420005k-0010)
第42巻 p.22 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆)
                 控、同様ノ書類六通調印
    移転跡地寄附願
            東京市下谷区上野桜木町五十四番地
                    天台宗 護国院
右院儀、今般東京市ヨリ境内地トシテ東京市下谷区上野公園地内ニ於テ六百八拾壱坪九合使用承認ヲ得候間、該地ヘ移転ノ上、左記跡地ヲ本寺寛永寺ヘ寄付致度候間、御允許被成下度、此段以連署奉願候也
  下谷区上野桜木町五十四番地
    一、宅地 参百四十壱坪四合八勺
  昭和五年 月 日
         右護国院住職
                    神田尚順(印)
         右院檀家総代
         東京市神田区駿河台北甲賀町十四番地
                    小俣義雄(印)
         府下豊多摩郡渋谷町神泉十七番地
                    秋元朝鋭(印)
         東京市浅草区聖天町六十一番地
                    多田升雄(印)
         東京市下谷区上野桜木町十番地
         寛永寺兼住職
                    大多喜守忍
         寛永寺檀家総代
         東京府北豊島郡滝野川町千三拾六番地
                 子爵 渋沢渋一
         東京市麹町区下二番町三拾番地
                 男爵 大倉喜七郎
    東京府知事 牛塚虎太郎殿


寛永寺書類(一)(DK420005k-0011)
第42巻 p.22-23 ページ画像

寛永寺書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
 - 第42巻 p.23 -ページ画像 
(表紙)

   清水堂本堂修繕並御供所改築願

    清水堂本堂修繕並御供所改築願
                    上野公園
                寛永寺境外仏堂 清水堂
当本堂は寛永初年の建築にて、大凡三百年の星霜を閲みし、時々修繕を加へ来り候処、大正十二年の大震災に罹り、前面に傾斜し危険の虞れ有之、応急の修繕を要し候而巳ならず、御供所は明治維新当時の仮建築にて、六十有余年を経過し、大部分陋朽の処、これ又大震災にて本堂の傾斜と共に一層敗頽を極め、到底此の儘に使用致し難き状態に立到申候
然るに恩賜公園は東京市へ御移管以来、従前の面目を一新し、着々大公園としての御方針の許に、風致上樹木の植附、道路の改修等、本堂の周囲整頓致し候にも拘らず、独り当堂御供所のみは旧態を改めず、公園の風致体裁よりして不釣合に有之、且つ十方信徒、参詣諸人年々増加し来り、現在の御供所にては狭隘にて不便尠なからず候、殊に現在の如く本堂と御供所と入り込み状態にありては、火の元最も危険を感じ日夜憂慮罷在候
依て今回、別紙図面様式及び工費設計書の通り、昭和十一年十二月迄に、凡て東京市の公園計劃御方針に随ひ、市と寺と一致協力の上、由緒深き恩賜公園を保勝すると同時に、本堂修繕並に御供所改築致度候
即ち、在来の本堂と御供所との調和を考究の上立案設計し、屋根は銅葺として、要所には防火設備を施し、衛生にも留意し、且つ従来使用し来りたる御供所を撤去し、跡地を市へ返還の上本堂は応急の修繕を施し、且つ別紙図面の場所へ設計書の通り、本堂奉仕に実際必要なる程度の御供所改築仕度候間、御詮議の上可然御聴許被成下度、関係者連署を以て此段奉願上候也
  昭和六年 月 日
           東京市下谷区上野桜木町
                寛永寺兼住職
                    大多喜守忍
                右寺檀家総代
           東京府下北豊島郡滝野川町千三十六番地
                 子爵 渋沢栄一
           東京市麹町区下二番町三十番地
                 男爵 大倉喜七郎
    東京市長 永田秀次郎殿
  ○調書・図面略ス。