デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
3節 寺院及ビ仏教団体
3款 仏教護国団
■綱文

第42巻 p.52-57(DK420010k) ページ画像

大正5年11月5日(1916年)

是日、芝増上寺ニ於テ、各宗聯合仏教護国団発会式挙行セラル。栄一来賓トシテ臨席シ、演説ス。


■資料

竜門雑誌 第三四二号・第八九頁大正五年一一月 ○仏教護国団発会式(DK420010k-0001)
第42巻 p.52 ページ画像

竜門雑誌  第三四二号・第八九頁大正五年一一月
○仏教護国団発会式 仏教各宗五十六派聯合会の決議に依りて起りし仏教護国団は、東京府下各宗二千余箇寺の住職及檀信徒等合同して、十一月五日午後一時より、芝増上寺に於て発会式を挙げたる由なるが当日青淵先生にも来賓として出席せられ、一場の演説を為したりといふ。


東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編 附録・第一四―一六頁 大正六年一一月刊 【実業界より見たる護国団 男爵 渋沢栄一】(DK420010k-0002)
第42巻 p.52-53 ページ画像

東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編
                    附録・第一四―一六頁
                    大正六年一一月刊
    実業界より見たる護国団
                  男爵 渋沢栄一
 先日幹事の方より、此東京仏教護国団発会式に一言を陳べよとの嘱託を受けしも、私は元来学問・教育の事を知らず、唯四十余年間実業に従事せしのみにして、且つ床次君より嫌はるゝ老人にして、既に実業界をも隠退し、甚だ此会には縁遠い者である。此縁遠い私が、演壇に立つて諸君に意見を申述ぶるは、亦頗るふさはしからぬ事である。然し幹事の御話には、政治家からも、軍人からも、学者からも、夫々演説される事だから、実業家からも是非出てくれとの事だから、漸く承知した次第である。然し今申通り、此やうな会には至極縁遠い私であるから、諸君に御参考になる如き事は話せないが、唯実業家は此やうな事を考へておるか、と御承知になれば充分である。
 私は仏教護国団の設立の遅きを恨むものである。歴史のある限り何事も変化し発達するものである。既に維新の天下は各種の方面より発達せるが、こは明治天皇の天資英邁、稀に見奉る大帝であらせられたると、下に之を補弼する宰相の粉骨砕身の働によつて成し遂げたのである。仏教は我国に来つてより今日まで、既に千三百年間を経て居る此長年月を経たる仏教には、もつと変つた発達があるべき筈と期待せり。十数年前、一独逸人が私の宅へ来て談した事がある。かの独逸人の曰く、明治維新の大改革がどうして暫くの波瀾で治つたのであるか欧洲の例からいへば、数百年間継続した政権が移動する場合には、必ず永く波瀾に波瀾を重るのである。私にはどうも維新の波瀾が、あの様に速に治つた原因を領解する事が出来ないと言つた。私は是に答て夫は日本の国体の然らしむる所である。如何に永く政権が武門の手に帰すとも、一般国民の精神には、常に皇室の為には生命を賭して働く覚悟が失はないから、多少の物議は起つても、速に明治聖代を生む事が出来たのである。彼曰、日本が国体を異にするといふ事は、此一事
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を以ても証すべきも、然らば如何にして此国体を維持せしやと。私は復た答て、昔は武士は多く儒教によつて此国体を維持し、一般人民は仏教によつて此精神を養成せり。彼曰、昔は然りしならんも、其儒教、仏教は今後果して昔の如く人心を維持する力ありや。若し其力なしとせば、日本の将来は甚だ憂慮すべきものなるべしと。又答て曰く、然り、儒教・仏教其力なく、吾国の将来亦憂ふべきものなきに非れど、仏教も千数百年来の歴史ある国民の宗教なれば、特に著しき発達はなきも、久しからず相当の進歩をなすべしと信ず。又新時代に適する新宗教が生ぜずとも限らず。故に私はさほど憂慮をなす者に非ずと。かく答へしが、是を以て吾国将来の人心に就て、充分安心すべき解釈をなしたりとは思はざりき。
 今此仏教護国団が設立されて、各宗が始て一に帰したる如くなりて此趣旨を勧めらるれば、始て私の望む所と一致するものあり、衷心より喜ぶ次第である。元来私は実業界に入りて、物質文明の進歩に、四十余年の一生を献げたるも、学問知識を有せざるを以て、人格向上に就て考へざるには非るも、私等は是に手を着くる迄に至らなかつた。吾国も維新以来日尚ほ浅く、物質界の進歩甚だ乏しく、為に先づ是が発達を遂げしむるに日もまた足らざる状態であつた。かくして漸く今日の所までこぎつけたのである。勿論私のなせるものは甚だ小部分であるが、各方面よりの刺戟によつてかく進歩したのである。即ち社会の必要がかく物質文明を進歩せしめたのである。今や物質の方面に於てはやゝ見るべきものあるも、精神の方面が果して是に伴ふて進歩せりや否やは、私の甚だ懸念する所である。床次君の言へる如く、人は立派なる人格を有せざれば如何に凡ての物が完全するも、完全なる文明に達せりとは言ふ能はず。而て此物質の進歩に対する人格の向上には、種々必要なるものあるべきも、信仰を進むるが最も要中の要たるべきものである。私はいさゝか儒教によつて一身を守るものなれど、儒教にもあれ、仏教にもあれ、何人も信仰なるものが必要である。物質方面の知識が進めば進む程、信仰は益々必要である。若し信仰なき時は、却て知識の為に人を亡ぼすものである。而も現代は全く此危険に遭遇しておる。かゝる時に、仏教各派が一団となりし力を以て、或は老人に、或は青年に、信仰を生ぜしめられむ事を望む。玆に於て、実業界なるものも、此仏教護国団には大なる関係ある也。要するに、物質文明の完全なる進歩には、必ず信仰の之に伴ふ要ありと信ずるが為に、諸君を益する所なきに拘らず、私の考ふる所を陳べた次第である。


東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編 第一〇―一二頁 大正六年一一月刊(DK420010k-0003)
第42巻 p.53-55 ページ画像

東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編
                      第一〇―一二頁
                      大正六年一一月刊
    第三章 本団発会式
大正五年十一月五日、芝公園増上寺に於て、東京仏教護国団の発会式を挙行す。予め選定されたる準備委員三十名、其他に依て、内外諸般の準備遺憾なく整ふ。此日秋晴の小春日和、各方面の来賓、東京府下各宗寺院住職並に僧侶、各宗大中学教職員・各寺院檀信徒総代・仏教
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各団体代表者・新聞通信社員等陸続来会するもの僧俗約二千人、満場殆んど人を以て充たさる。午後一時十五分開会の号鐘と共に、各宗管長・来賓・発起人・委員は式場なる同寺大殿に参列、文学博士椎尾弁匡氏は司会者として壇上に起ち、開会を宣し、満場の同意を得て、座長に真言宗豊山派前管長豊山大学長権田雷斧師を推薦す。権田師座長席に就き、来会者一同起立の間に、仏前に跪きて三帰依を誦し、訖つて会衆一同国歌を二唱し、尋て座長は聖徳太子十七憲法第二条を捧読の後、更に荘重なる音調を以て恭しく左の表白文を謹読す。
○中略
右了るや、仏教聯合会を代表して幹事弘津説三師壇に昇り、方今内外の情勢より、仏教護国団の設立せられざる可らざる所以並に設立の経過を述べ、(附録講演筆記参照)次で東京仏教護国団発起人を代表して安藤正純氏登壇、政治・教育・実業各方面に於ける日本現在の文明の欠陥を痛論し国民精神の結合統一を図るは刻下の急務にして、徳教の任に膺る我仏教徒の責務なり、是れ東京仏教護国団の起る所以なりと結び、渡辺海旭氏宣言並に綱領を朗読して、満場拍手裡に之を決議す(宣言綱領は巻頭に掲ぐ)。此の時来会者の一人代議士竜口了信氏左の決議案を提出し、座長之を満場に諮り異議なく可決す。
 東京仏教護国団ハ中央仏教会館建設会事業ノ速成ヲ望ミ、之ニ援助ヲ与フルコトヲ決議ス
右終て祝辞に入り、寺内総理大臣・岡田文部大臣・井上東京府知事・奥田東京市長の祝辞を、宗教局長・秘書官等代読し、在京各宗派管長石川素童師は老躯を壇上に運びて祝辞を朗読し、次で天台宗管長不二門智光師・大谷派本願寺前法主大谷光瑩伯・上宮教会副会長河瀬秀治氏等十数通の祝辞朗読の後
 真言宗古義各派総裁密門宥範師・浄土宗知恩院管長山下現宥師・浄土宗西山派管長加藤観海師・臨済宗妙心寺派管長円山元魯師・臨済宗円覚寺派管長釈宗演師・臨済宗相国寺派管長橋本独山師・臨済宗建長寺派管長菅原時保師・臨済宗建仁寺派管長竹田黙雷師・真宗仏光寺派管長渋谷隆教師・曹洞宗永平寺貫首日置黙仙師・真宗本派本願寺執行長利井明朗師・真宗大谷派本願寺々務総長阿部恵水師・真宗仏光寺派重役奥博愛師・華厳宗本山東大寺・臨済宗本山大徳寺・臨済宗本山南禅寺・黄檗宗々務本院・臨済宗妙心寺派執事窪田知膺師・京都仏教聯合会・大日本仏教青年会其他
教界の有力者、各団体等より寄せられたる数十通の祝電を披露し終るや、一同起立権田座長の発声にて
 天皇陛下、皇太子殿下の万歳を三唱し、之にて式を終る。
引続き演説に移り、村上文学博士・床次竹二郎氏・渋沢男爵・宮岡海軍中将・河野広中氏・堀内陸軍中将順次登壇す。諸氏の説く所必ずしも一様ならざるも、何れも刻下邦国の急務に論じ及びて護国団の設立に賛同の意を表し、且つ諸種の方面より仏教徒の奮起を促し、至誠の情、荘重の弁、満堂の会衆に少からざる印象を与へたり(演説筆記は附録にあり)。最後に堀内中将の発声にて、東京仏教護国団の万歳を三唱し、満場の拍手裡に午後六時過散会したり。
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      △当日の演題
  仏教護国団設立経過         弘津説三
  仏教護国団の精神          安藤正純
  歴史上より見たる護国団  文学博士 村上専精
  希望                床次竹二郎
  実業界より見たる護国団    男爵 渋沢栄一
  日本国体と仏教      海軍中将 宮岡直記
  所感                河野広中
  和魂化せる宗教      陸軍中将 堀内文次郎
当日来賓の重なるものは、石川曹洞宗管長・不二門天台宗管長・勝部臨済宗向岳寺派管長・高木兼寛男・渋沢栄一男・清水資治男・宗教局長柴田駒三郎・地方局長渡辺勝三郎・宮岡海軍中将・堀内陸軍中将・河野憲政会顧問・床次政友会総務・岩堀智道・河瀬秀治・岡田治衛武・高島平三郎・浜地八郎・江間俊一・村松恒一郎・久米民之助・佐藤顕理・東京府知事(代理)・東京市長(代理)・東京市内区長数名、各区警察署長数名、府市会議員十数名、各公私立学校長十数名、各仏教団体代表者等なり。


東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編 前付 大正六年一一月刊(DK420010k-0004)
第42巻 p.55-56 ページ画像

東京仏教護国団報告書 第一年度(自大正五年十月至大正六年十月) 安藤正純編
                      前付
                      大正六年一一月刊
    宣言
欧洲惨憺ノ禍乱ハ宇内ノ人心ヲ動揺シ、国民ノ自覚ヲ促スコト愈々切ニ、戦後ノ情勢ハ世界ノ局面ニ大変化ヲ与ヘントシ、帝国ノ責務随テ太ダ大ナルモノアリ、此秋ニ際シ、帝国ノ臣民タルモノ、宜ク挙国一致、摯実忠誠、各々其職トスル所ニ努メ、明治ノ鴻猷ヲ紹述闡発シテ大正ノ奎運ヲ開拓策進シ、以テ宏遠ノ帝謨ヲ翼賛スベキ也、然ルニ内ニ省ミテ徳教ノ施設末ダ確然タル基礎ヲ見ズ、信念ノ修治概ネ空疎放漫ニ流レ、雄遠至誠ノ精神ニ至テハ尚ホ甚ダ遠シ、其ノ弊竇ノ致ス所国政ノ運用ハ往々ニシテ信ヲ失ヒ、教育ノ効果ハ未ダ民心ニ徹セズ、殖産興業ノ計、又道徳的基礎ヲ欠如シ、動モスレバ軽挙妄動、建国ノ大本ヲ忘レ、進取ノ国是ニ乖カントス、此ノ如クンバ、国民精神ノ統一結合何ヲ以テカ望マン、蓋シ是レ昭代ノ根柢ニ横ハル一大欠陥ニシテ、吾人任ニ徳教ノ局ニ当ルモノヽ坐視スルコト能ハザル所也、吾人同志者、帝国ノ現状斯ノ如キヲ観、之ガ将来ノ影響忡々ノ憂ニ堪ヘザルモノアルヲ慮リ、緬カニ帝国歴史ノ敬虔ナル遺跡ニ鑑ミ、全国各地ニ仏教各宗派僧侶檀信徒ノ聯合団体ヲ組織シ、仏陀大慈ノ本誓ニ則リ歴朝ノ叡崇、祖先ノ信敬ニ遵式シ、外ハ則寛宏博愛ノ教旨ヲ宣揚シテ世界平和ノ確立ト人道正義ノ発揮ヲ念トシ、内ハ則尊皇護国ノ祖訓ヲ体膺シテ、固陋軽佻ノ弊習ヲ除キ、国民風教ノ刷新ヲ図リ、至仁至明ノ聖化ヲ対揚シテ大正昭代ノ文運ニ裨補センコトヲ期シ、玆ニ先ツ東京仏教護国団ヲ設立ス、同信同憂ノ諸賢、希クハ来リテ吾人ノ志ヲ援護シ、同一法旆ノ下ニ集リ、以テ忠誠虔信ナル国民ノ本分ヲ完ウセンコトヲ
  大正五年十一月五日         東京仏教護国団
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      綱領
一、仏教本来ノ思想ヲ発揚シ、世界ノ平和ニ貢献シ、人道ノ主義ヲ鼓吹ス
一、宗教尊重ノ趣旨ヲ徹底シ、国民精神ノ統一ヲ図ル
一、我国ノ国情ト歴史ニ基キ、完全ナル宗教制度ノ確立ヲ期ス
一、宗教ニ関スル内外ノ時事問題ヲ考究シ、仏教徒ノ輿論ヲ帰一ス
一、教育ノ根柢ニ敬虔ナル道義ノ観念ヲ培ヒ、摯実敦厚ノ気風ヲ育成ス
一、殖産興業ノ道徳的基礎ヲ堅実ニシ、中枢国民ノ自覚向上ヲ促ス
一、労働階級ノ徳操ヲ向上シ、自彊策進ノ道ヲ講ズ
一、青少年ノ信念ヲ啓発シテ人格ヲ養成シ、以テ風教ノ醇化ヲ希図ス
一、婦人固有ノ淑徳ヲ涵養シ、家庭ノ改善ヲ画ル
一、感化救済ノ事業ヲ策興援助シ、仏陀矜哀ノ大悲ヲ体現ス


竜門雑誌 第三五一号・第三一―三二頁大正五年八月 ○日本の精神界と仏教徒 青淵先生(DK420010k-0005)
第42巻 p.56-57 ページ画像

竜門雑誌  第三五一号・第三一―三二頁大正五年八月
    ○日本の精神界と仏教徒
                     青淵先生
  本篇は四月二十日発行の雑誌「救済」(大谷派慈善協会機関雑誌)に青淵先生の談として掲載せるものなり(編者識)
 自分の如き素人の然も老年の者が、仏教の事に就て話すといふのは不可能であるが、折角引退した身分であるから、罪滅しに平素の所感を披瀝してみやうと思ふ。
 今日仏教徒の檀徒によりて起つた仏教護国団なるものは、自分としてはその遅きを感ずるのである。社会の変化するに連れて、社会の各方面に変化を与へることは、古今歴史のある限り始終する事実である仏教が日本に伝来してより今日に至る迄一千五百年、かゝる長い歴史を有してゐる仏教は、もつと変つた事があり得なければならなかつた筈である。十数年前或る独逸人が自分を訪問して次の様な事を尋ねた「明治維新の波瀾が速に終結したのは何故であるか、欧洲の歴史を比較して見て不思議である」と尋ねられたので、私は「それは日本の国体の然らしむる所である」と答へた。彼又曰く、「徳川幕府が変つたことはよく知つてゐるが、日本人の精神は如何なる法によりて維持されるか」との問に対して「徳川時代から儒教があるが一般には仏教である」と答へた。彼は又「儒教・仏教は昔日の如き勢力を有し、働きを持つた活動がない事はないが、若し昔の儘であるならば将来日本人の為に甚だ憂ふべき事である」と云つたので、自分は其に対して「昔日の勢がない」と答へたのであるが、其時自分は、今後の日本人の精神は、何によつて維持せられてゆくべきかに就て考へた。今仏教護国団なる者が設立せられたのは、我々の希望してゐた所のもので、始めて吾人の要求を満すべき第一の産声を発したものとして歓迎するのである。
 自分は四十年間実業界に立ちて、我国の物質上の発展に就ては多少の微力を尽して来たが、素より学問もなく、変つた知識もなく、精神界に無関係であつた為め、人格の修養、精神の向上は物質の進歩と共
 - 第42巻 p.57 -ページ画像 
に進まなかつた。私の為した仕事は少いが、政治界・教育界・学術界等は四十年の昔と比較して全く変つて長足の進歩をしてゐる。
 物質の進歩はかく見るべきものがあるが、精神界に就ては、我々は聊か慊焉たらざるを得ない点がある。如何に物質の進歩を計り、多くの富を蓄へても、金其物を扱ふ人の人格がなくては、何の役にも立たない。かく云ふ私も其一人である。この物質に対する人格の修養をなさしめる事は、精神の向上を図る事が最も必要である。それには宗教が必要であると思ふ。或は儒教によつて一身を守つてゆくもよい。何れにせよ、我々には信仰が必要である。仏教徒が団結して、或は老人に青年に、思想上の信仰を為さしめたならば、真に国民の精神の統一が出来て、国運が発展してゆくに違ひない。実業界から仏教の護国団に対しては、間接に大なる関係がある。物質文明が完全に進むには、これ丈進歩したのでは駄目である。信仰が完全に進まなくては、物質文明が完全の域に達したとは云ひ得ない。この意味に於て、自分は実業界より仏教徒に対して大に希望する所である。