デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
1款 救世軍
■綱文

第42巻 p.110-111(DK420027k) ページ画像

大正7年4月27日(1918年)

是日大阪ニ、釈放者保護ヲ目的トスル当軍ノ希望館開館式挙行セラル。栄一祝辞ヲ寄ス。


■資料

渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿 【祝辞】(DK420027k-0001)
第42巻 p.110-111 ページ画像

渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿        (財団法人竜門社所蔵)
○上略
一、大正七年四月二十七日、大阪に釈放者保護「希望館」を開設するや、子爵は左の祝辞を寄せて之を壮にせられたり
   凡そ天下の事業、徹底せずんば止まざるの意気を以て努力するものは、即ち最後の勝利者なり。日本救世軍の社会事業が、創始以来日尚浅きに拘らず、著々功を奏して、今や将に他の模範たらんとするの勢を示すに至りしは、蓋し其の事業に従事する同軍幹部諸氏が、誠意熱烈他を顧みるの遑なく、所謂「基督の愛我を励ませり」てふ感激的精神を以て、事に当りつゝあるが為にして、其の徹底的の努力と光彩陸離たる功績とは、余の常に敬服して止まざる所なりとす。
   抑も日本救世軍の現に経営しつゝある社会事業は、其数決して少なからず、曰く免囚保護事業、曰く婦人救済事業、曰く労働者保護事業、曰く慈善病院事業、曰く結核患者救療事業、此等は即
 - 第42巻 p.111 -ページ画像 
ち其重なるものなりと雖も、然も免囚保護事業の如きに至りては就中其最も主要なる事業の一なりとす。而して之れが為には東京に労作館あり、大阪に希望館あり、東西相呼応して憐れむべき無告の免囚を保護するの業に従ふこと玆に年あり、両者各々見るべきの成績なきに非ざりしと雖も、然も大阪希望館は、大典記念の事業として大正四年末に設立せられたるものにして、当時広岡・森下・高倉三氏の好意ある補助ありしにも拘らず、爾来資金欠乏の為め、設備の改良、事業の拡張等事々に意に任かせず、為に当局の苦心少からざりしものありしといふ。然も自ら動きて他を動かさずんば止まざる同軍固有の徹底的精神と、奮闘努力とは、遂に富豪久原氏をして衷心感動を禁ずる能はざらしめ、昨春巨額の資金を寄附して、以て其の拡張の資を助くるの美挙を遂げしむるに至らしめたり。而して本日玆に開館の式を挙げんとしつゝある本館は、即ち氏の喜捨によりて成れるものなりといふ。
   嗚呼真摯、熱烈の事業が天下を感動せしむるの力豈に夫れ偉大ならずとせんや。
   頃者山室軍平氏来りて、本館開館式の為めに祝辞を寄せんことを需めらる。余乃ち欣然之を諾し、玆に平素同軍讚美者の一人として所懐を述ぶ。
   大正七年四月廿七日
                   男爵 渋沢栄一
○下略