デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
1款 救世軍
■綱文

第42巻 p.112-115(DK420031k) ページ画像

大正8年11月11日(1919年)

是ヨリ先、神田区一橋通ニ救世軍本営及ビ中央会館落成シ、是日献堂式行ハル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。右新築ニ際シ栄一金三千円ヲ寄付ス。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK420031k-0001)
第42巻 p.112 ページ画像

集会日時通知表 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 火 午後二時半 救世軍本営落成式(一橋通五)


渋沢子爵ト救世軍 山室軍平稿(DK420031k-0002)
第42巻 p.112-113 ページ画像

渋沢子爵ト救世軍 山室軍平稿        (財団法人竜門社所蔵)
○上略
一、大正八年十一月十一日、神田区一ツ橋通町に救世軍本営の開営式を挙行す、子爵は大隈侯・江原素六氏等と共に其の式に臨み、一場の祝辞を述べられたり。
   男爵は救世軍に対する年来の関係を簡単に回顧せられたる後、救世軍が目的と実行、志と行との一致したる点を賞揚せられ、最後に尚、故ブース大将の来朝と其人格に就ても一言せられたので
 - 第42巻 p.113 -ページ画像 
あつた。
   尚日本々営の為には、其の前年、有志実業家を銀行クラブに招致して丁寧に之が援助を求められ、且自ら金三千円を其の為に寄贈して之を助けられたる結果、此の建物の落成を見るに至りしもの也
○下略


竜門雑誌 第三七八号・第四一―四二頁大正八年一一月 ○救世軍本堂の開館献堂式(DK420031k-0003)
第42巻 p.113 ページ画像

竜門雑誌 第三七八号・第四一―四二頁大正八年一一月
○救世軍本堂の開館献堂式 救世軍にては、今回神田区一ツ橋通りの一角に本営及中央会館を建築し、十一月十一日午後二時より、之れが開館式を挙行したり。式は山室大佐司令の下に、日本司令官デグルート少将開会の辞を述べ、次で英国の同軍大本営より派遣されたるヒギンス同軍参謀総長夫人起ちて、ブース総督の旨意を伝達したる後、原首相(代理)床次内相(代理)中橋文相(代理)等の祝辞あり、次いで江原素六・青淵先生・大隈侯の祝辞演説あり、午後六時散会せりといふ。


救世軍二十五年戦記 山室軍平著 第四一―四二頁 大正九年一一月刊(DK420031k-0004)
第42巻 p.113-114 ページ画像

救世軍二十五年戦記 山室軍平著 第四一―四二頁 大正九年一一月刊
 ○上巻 発展時代
    (六二)本営及び中央会館の落成
矢吹中佐を士官学校々長に任ぜられたのは、日本人士官が更に一つの重要なる椅子を占むるに至りたるものとして、祝着の至りである。数年来の計画であつた、日本々営及び中央会館の新築が落成したに付き之が献堂式を挙行することゝなつた。場所は神田区一橋通町にて、倫敦からは万国本営を代表して、参謀総長ヒギンス中将夫人の、態々其の為に来朝せらるゝあり。十一月十一日の午後、愈々其の目出度い式を挙げた。ヒギンス夫人の外に、救世軍多年の同情者なる大隈侯・渋沢男・江原素六氏等の演説あり。原首相・床次内相・中橋文相・阿部府知事等の祝辞朗読もあつて、如何にも盛大なる会合であつた。引続き数日間、霊感溢るゝ士官会・兵士会・救霊会を開く。
    (六三)千五百人を容るゝ会館
此の本営には二十ばかりの事務室あり、中央会館には千五百人を容るべく、其の事業運動の上に与ふる便宜は至つて大きい。新築の為に費した金は約二十三万円にて、万国本営から約金十万円の補助があつた以外には、旧い家を売つた金三万円と、あとは有志の寄附によつて成つたのである。其の重なるものは左の如し。
 金一万円也三井八郎右衛門男、同岩崎小称太男、金五千円也森村市左衛門男、金三千三百四十七円也金田組、金三千円也渋沢栄一男、同古河虎之助男、同原六郎男、同日本銀行、同安田善三郎氏、金二千百六十円也ボーリス氏、金二千円也大倉喜八郎男、同村井吉兵衛氏、同野村竜太郎氏、同山下亀三郎氏、同日本郵船会社、金千五百円也服部金太郎氏、金千百円也長尾半平氏、金千円也中島久万吉男、同和田豊治氏、同早川千吉郎氏、同藤山雷太氏、同内藤久寛氏、同緒明圭造氏、同志村源太郎氏、同織田昇次郎氏、同小池国三氏、同今村繁三氏、同神田鐳蔵氏、同団琢磨、同松方巌氏、同スタンダ
 - 第42巻 p.114 -ページ画像 
ート石油会社、同アメリカン商業会社、同セール・フレザア商会、同ユニオン保険会社等であつた。同時に篤実なる救世軍人にして、貧しい中から、せめて煉瓦の二三片づゝでも寄附したいと、真実のこもつた金を寄附した者など、数へ切れぬ程多くあつたのは、忘れてならぬ事実である。


救世軍二十五年戦記 山室軍平著 第五八―五九頁大正九年一一月刊(DK420031k-0005)
第42巻 p.114 ページ画像

救世軍二十五年戦記 山室軍平著 第五八―五九頁大正九年一一月刊
 ○附録 第二 救世軍の財政
    (二四)本営及び中央会館新築費
救世軍本営及び中央会館新築に対する御寄附の内、前きに「二十五年戦記」の中に掲げた分は之を略し、其の以外に於て未報告の分を挙げれば、金五百円土方久徴氏、同大倉粂馬氏、同串田万蔵氏、同清水釘吉氏、同藤原銀次郎氏、同吉田金太郎、同チヤータルド銀行、同バンチング氏、同京橋小隊、金三百円大沢徳太郎氏、金二百五十円新家熊吉氏、金百五十一円二十銭下谷小隊、金百五十円丸石商会、金百二十円谷上清三氏、金百円加藤冬作氏、同バアンス氏、同下村斉次郎氏、同バーカー氏、同皆川広量氏、同小田川全之氏、同福原有信氏、同榎本八郎氏、同岡本実氏、同和田啓次郎氏、同モンド氏、同一下士官、同スルザヤル・ドルフ商会、同ケルンストロム商会、同ヘルベント商会、同プランナーランド商会、金七十七円十銭中央小隊、金四十一円五十五銭名古屋小隊、金三十九円五銭忍小隊、金三十九円神田小隊、金二十五円三十五銭横浜小隊、金二十四円柴屯田小隊、金二十三円七十銭明石小隊、金二十三円久保民生氏、同高崎小隊、金二十一円七十銭西広場小隊、金二十円麻布小隊、金十八円八十銭神戸小隊、金十五円前橋小隊、同和歌山隊、同広島小隊、金十四円十五銭新潟小隊、金十三円六十銭静岡小隊、金十二円八十銭福島小隊、金十二円五十銭小石川小隊、金十二円二十銭浅草小隊、金十二円労作館、金十一円五十銭仙台小隊、金十円九十銭沼津小隊、金十円二十銭今治小隊、金十円療養所内静養者、同伊藤善弥氏、同斎藤信吉氏、同月島労働寄宿舎、同下関小隊、同村松中校、同福島小隊、同上田小隊、同仙田重邦氏、同盛岡小隊、同福岡小隊、同紀念共産会事務所等である。



〔参考〕中外商業新報 第一二〇七五号大正八年一一月七日 ○救世軍の女傑 ヒギンス少将夫人今日入京 献堂式の為に本営より特派(DK420031k-0006)
第42巻 p.114-115 ページ画像

中外商業新報 第一二〇七五号大正八年一一月七日
    ○救世軍の女傑
      ヒギンス少将夫人今日入京
      献堂式の為に本営より特派
日本救世軍では、去年から二十二万円を投じて神田一ツ橋通りに、本営及び千三百人を容るゝ中央会館の
 □新築に 着手していたが、先頃愈々竣成したので、来る十一日献堂式を挙行し、席上原首相・床次内相・中橋文相等の祝辞と共に大隈侯・渋沢男等の演説もある筈であるが、同夜は軍人及軍友大会を開き更に十二日から十四日までの三日間、日本救世軍大会を開催し、日本全国の参謀、戦場及社会事業部士官三百余名と、各小隊下士官、東京附近の兵士、其他同軍の後援者等
 - 第42巻 p.115 -ページ画像 
 □約千名 が会集する、そして此会の為に倫敦の万国本営からは、参謀総長ヒギンス少将夫人が、総督ブース大将の代理として派遣せられ、朝鮮司令官より印度に転任したフレンチ大佐及び同夫人、三十八年間救世軍の女士官を勤め、現に西部米国の女子社会部書記たるスチルヱル大佐と共に、此会合に参加すると云ふので、日本司令官テグルート少将夫人指揮の下に、山室大佐以下
 □幕僚は 目下準備に忙しい、今回の企ては日本救世軍として前代未聞であらう、救世軍は全世界を通じて唯一人の大将と参謀総長とを有するのであるから、今回ブース大将の代理として来るヒギンス夫人は、救世軍中第二位の士の夫人で、本年五十五・六才であるが、十八才の頃から同軍の為め身を捧げ、最近の大戦中には英本国にありて家庭団を
 □統率し 出征軍人及労働階級の為に尽瘁して名声嘖々たるものあり、目下支那・朝鮮・満洲を歴訪しつゝあが、今七日午後八時廿五分東京駅に来着の予定であるから、同軍では盛に歓迎する筈である、猶同女史は稀に見る雄弁家で、先づ十一日の開館式に列席し、数日間滞京の上は名古屋・大阪・神戸から中国・九州を巡回し、十二月五・六日に帰英の途に就く予定だと云ふ