デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
2款 世界日曜学校大会後援会
■綱文

第42巻 p.171(DK420048k) ページ画像

大正2年3月22日(1913年)

是ヨリ先三月十八日、世界日曜学校協会役員エッチ・ジェー・ハインツ以下二十九名、東洋視察ノタメ来日ス。是日栄一、日曜学校協会役員等ト合セテ五十名ヲ飛鳥山邸ニ招キ、歓迎会ヲ催ス。栄一、席上歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第二九八号・第五七―五八頁大正二年三月 ○ハインヅ氏一行招待会(DK420048k-0001)
第42巻 p.171 ページ画像

竜門雑誌 第二九八号・第五七―五八頁大正二年三月
○ハインヅ氏一行招待会 青淵先生には、去十八日横浜に上陸したる米国日曜学校協会々員東洋視察団ハインヅ氏一行、及日本日曜学校協会役員諸氏、合せて五十名を、三月廿二日正午飛鳥山邸に招待して、午餐を饗せられたり、当日青淵先生は、先づ一行を西ケ原蚕業講習所に案内して生糸・絹織物等の実地作業を巡覧せしめ、夫より予て立食場に充てられたる同邸の西洋館に導き、先生及同令夫人の接待にて洋食の午餐を饗し、先生の挨拶、来賓総代ハインヅ氏の答辞あり、終りて日本館の一室に陳列せられたる先生所蔵の書画・美術品を始め、各室の構造・装飾等を巡覧せしめ、後庭園に出で、各所に設けられたる休憩所に立寄り、抹茶其他茶菓の饗ありて、一同歓を尽し、午後三時大隈伯邸を指して、同邸を辞去せられたりと云ふ。
因にハインヅ氏は、米国第一と称せらるゝピツツバーグ市の純良蔬菜会社の社長にして、去る明治四十二年秋、青淵先生が日本渡米実業団長として同国巡遊の際、同会社事業を巡覧して親敷談話を交換し、且午餐の饗を受けられたる関係ある人なりと云ふ。


竜門雑誌 第二九九号・第五五頁 大正二年四月 ○ハインツ氏歓迎会(DK420048k-0002)
第42巻 p.171 ページ画像

竜門雑誌 第二九九号・第五五頁 大正二年四月
○ハインツ氏歓迎会 青淵先生にはエツチ・ジエー・ハインツ氏一行を歓迎すべく、堀越善重郎君と与に、予定の如く西ケ原蚕業講習所に赴きて、標本室より養蚕室・乾燥室・製糸場等、本邦蚕糸業の実況を観覧に供し、夫れより一行を飛鳥山の自邸に案内し、令夫人と共に予て用意せる食堂に導きて、鄭重なる午餐の饗応を為し、食後青淵先生懇に歓迎の辞を述べ、ハインツ氏は一行を代表して感謝の意を表し、夫れより庭園を逍遥し、程なく同邸を辞して、午後三時半早稲田大隈伯邸の歓迎会に赴かれたり。同日飛鳥山邸の午餐会に招かれた来賓はハインツ氏外男十六名、女十三名、及び本邦日曜学校役員小崎弘道氏外十六名にして、陪賓は高峰譲吉・今西兼二・同令夫人・堀越善重郎同令夫人等なりき。