デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
3款 財団法人日本日曜学校協会
■綱文

第42巻 p.258-261(DK420063k) ページ画像

昭和4年9月20日(1929年)

是日、世界日曜学校総主事ロバート・ホプキンス、当協会主事亀徳一男ニ伴ハレテ、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。


■資料

竜門雑誌 第四九五号・第六七―七〇頁 昭和四年一二月 世界日曜学校総主事ロバート・ホプキンス氏の訪問(DK420063k-0001)
第42巻 p.258-260 ページ画像

竜門雑誌  第四九五号・第六七―七〇頁 昭和四年一二月
    世界日曜学校総主事ロバート・ホプキンス氏の訪問
       (昭和四年九月廿日午前十時於飛鳥山邸青淵文庫)
  ホプキンス氏(Robert Hopkins)は世界日曜学校総主事の職に在る人で、日本日曜学校同盟主事亀徳一男氏に伴はれて来訪せられた。
 亀徳氏「今度日本へ来訪せられたホプキンスさんは、世界日曜学校総主事として日本の日曜学校の状況を視察に来られたのであります。此ホプキンスさんは、子爵がよく御承知のブラウンさんの後継者でゐられます。」
 ホプキンス氏「私は今日始めて、子爵にお目にかかりました訳ですけれども、子爵の事は私の先輩諸氏からよく承つてをりますから、一
 - 第42巻 p.259 -ページ画像 
見旧知の如くに存ぜられ、拝顔を得ました事を非常なる光栄に存じます。」
 子爵「日曜学校に就ては、私は別に宗教的の関係はありませんが、丁度千九百十五年の桑港の博覧会に参りました時に、世界日曜学校第八回大会を日本に開くといふ事になつてをりましたので、日本の日曜学校当局者は私に渡米の序に世界日曜学校の幹部に交渉して呉れと頼まれました。それはどういふ話かと云ひますと、実は日本は未だ嘗て大勢の外国人を迎へた経験が無いので、ホテル等の設備も完全せねば遠来の客に対して不自由不快の感を起させるのは誠に残念な事であるから大勢の代表者を送らぬやうにして呉れといふ事であつたのです。
此日曜学校の関係で、フィラデルフィヤではジョン・ワナメーカさんに会ひピッツバーグではハインツさんに会ひました。これがワナメーカ、ハインツ両氏に会つた抑々の始めでありました。其時ワナメーカさんが『貴方は何か宗教があるか』と問ひましたので、私は『従来孔子の教を奉じてをります』と申しますと、ワナメーカさんは『孔子は偉い人である。がもう死んでゐる。然し基督は生きてゐる。死んだ人よりも生きてゐる人を信仰する方がよくはないか』と申されまして私に聖書を下さいました。之に対して私は『永い間孔子を信仰してをるから、今更他の人を信仰するのは孔子の喜ばぬ所と思ふゆゑ、信仰を変へようとは思はぬ』と答へた事でした。今日貴方をお迎するのは非常に喜ばしい事ですが、残念なのは通訳を通してでなければお話が出来ぬ事であります。然し乍ら人情は同じであつて心が温かければ情は移るものである。貴方が世界日曜学校総主事でワナメーカさんやハインツさんやブラウンさん等の後継者でゐられると思ふと、一言も云はずして如何にも親しい友が来たと感じて嬉しく思ふのであります。」
 ホプキンス氏「此度日本に参りまして、日本に於ける日曜学校の事業の進歩した事を見て、大いに喜びました。米国本部に於ても、日本のものが日本人だけで、十分に経営してゆけるといふ話でありました為に、亀徳君を日本日曜学校同盟主事に挙げまして、従来の名誉主事を置かぬ事に致しました。かく日曜学校同盟の進歩の証拠とも見るべきものは、先年ロス・アンジエルス市に世界日曜学校第十回大会が開かれました時に、各国より送られました代表者中、日本の代表者は大多数を占めてをつた事であります。而かも日本代表は孰れも皆立派な紳士淑女であつたのであります。大会閉会後、日本代表者は米国の主なる都会を訪問致しましたが、各地に於て盛なる歓迎を受けました。或る市では市長或は商業会議所会頭が自ら主人役となつて、歓迎致しました。実に此団体程日米親善に貢献したものは、未だ嘗て無かつたと申してもよい程で厶います。」
子爵「誠に米国の方々の御好意を非常に感謝致します。日曜学校に対する私の関係は、私がクリスチヤンである為のものではありませんで日曜学校が国民の品性陶冶に貢献するのを見てをりますから、国家の為に結構な事と存じまして、阪谷とか私共が及ばずながら、尽力致した訳であります。私は日本流で申しますと九十歳になりまして、米国にも相当な友人もをりましたが、漸次に此世を異にしてゆくのを見ま
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して、心淋しい気が致します。例へばボーストンのエリオトさん、ワナメーカさん、ハインツさん、サンヂヤゴのライマン・ゲージさん、紐育のヂヤヂ・ゲーリさんなどで厶います。」
 ホプキンス氏「成程子爵は御高齢でゐられますから、子爵の旧友が漸次此世を去らるゝのは自然の勢ではありませうが、それが為に心淋しく感ぜらるゝのは御同情に堪へませぬ。然し乍ら他界されました子爵の友人方の精神は、我々後輩に残つて、日米親善に心がけてをるのでありますから、子爵に於かれましても、一層の御後援をお与へ下さることをお願ひ致します。子爵は年を召されたと云はれましたが、お見受けする所お若くゐられたので、まだまだ此世に於て御活動なさるる事がお出来になると思ひますし、又さうあられる事を希望して止まないのであります。西班牙の探検者にポンス・ド・レオンと申す人がありますが、彼は嘗て米国のフロリダに来て、フロリダ州を『永遠の春の国』と称しましたが、私は日本へ来て、レオン氏の言は当つてをらぬと考へます、と申しますのは、其『永遠の春』といふものが、実に飛鳥山(子爵邸)に在る事を発見したからであります。」
 子爵「非常なる讚辞を賜はつて、恐縮に存じます。どうか貴方の日本旅行が愉快で且つ有益ならん事を希望致します。」
 ホプキンス氏「今日の御面会を呉々も難有御礼を申上げます。」



〔参考〕外国係往復書(三)(DK420063k-0002)
第42巻 p.260 ページ画像

外国係往復書(三)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
謹啓
初夏の候益々御清祥の段奉賀候
陳者今回当協会総主事として、前関西学院教授亀徳一男氏就任相成候に就ては、一度親しく同氏を御紹介申上げ、粗茶差上度存候間、御繁用中恐入候得共、来る六月二十一日午後四時より、丸の内東京会館へ御枉駕賜り度願上候、右以書中御案内迄申述候 敬具
 追て乍御手数御出席の有無、折返し御報被下度候
  昭和二年六月十二日
            財団法人日本日曜学校協会
              理事長  山本忠興
              名誉主事 エチ・イ・コールマン
            賛成者
              子爵   渋沢栄一
              男爵   阪谷芳郎
              男爵   森村開作
                   福井菊三郎
                   串田万蔵
                   小崎弘道



〔参考〕集会日時通知表 昭和二年(DK420063k-0003)
第42巻 p.260-261 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年      (渋沢子爵家所蔵)
廿一日○六月 火 午後四時 日曜学校協会ノ件(東京会館)
  ○中略。
 - 第42巻 p.261 -ページ画像 
三日○一二月 土 午前九時半 日曜学校協会幹事亀徳氏来約(飛鳥山邸)



〔参考〕雑綴(日米関係委員会)(DK420063k-0004)
第42巻 p.261 ページ画像

雑綴(日米関係委員会)           (渋沢子爵家所蔵)
    スペリー博士歓迎午餐会招待者芳名
            公爵  徳川家達
               (太字・太丸ハ朱書)
            子爵 出渋沢栄一 (別筆)小畑久五郎代理
            男爵 ○阪谷芳郎
            男爵  森村市左衛門
                内田嘉吉
               出服部金太郎
               出清水釘吉
                阪井徳太郎
                串田万蔵
               ○福井菊三郎
                門野重九郎
               出関屋貞三郎
                一宮鈴太郎
            男爵  近藤滋弥
            子爵  福岡秀猪
               出関根要八
                浅野総一郎
            男爵  古川虎之助《(古河虎之助)》
                米山梅吉
               出和田嘉衡
               出小林富次郎
                南条金雄
                伊藤魁
                牛塚虎太郎
                堀切善次郎
               出アキスリング
               出ウエンライト
                長尾半平
               出小崎弘道
               出井深梶之助
                其の他日曜学校協会理事
                (朱書)
                山本忠興外拾名
  ○用紙ハ日本日曜学校協会便箋ニテ日付ヲ欠ク。
  ○エルマー・エー・スペリ招待ニ就イテハ本資料第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正十一年九月二十九日、昭和四年十一月二十四日ノ条参照。
  ○栄一、エルマー・エー・スペリガ会長タルアメリカ機械技師協会ノ名誉会員ニ推薦セラル。本資料第三十八巻所収「THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS」ノ条参照。