デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
4款 東京基督教青年会館復興建築資金募集後援会
■綱文

第42巻 p.270-280(DK420067k) ページ画像

大正15年10月22日(1926年)

是ヨリ先、当会ハ復興建築資金募集ニツキ屡々会合ヲ開ク。是日栄一、後藤新平・阪谷芳郎等ト東京銀行倶楽部ニ会シ醵金ノ方法ヲ議ス。引続キ栄一之ニ尽力ス。


■資料

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類(DK420067k-0001)
第42巻 p.270 ページ画像

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類    (渋沢子爵家所蔵)
謹啓、春暖の候益々御清祥奉大賀候
陳者東京基督教青年会復興建築資金募集後援会に就ては、各位の御尽力により諸事好都合に相運び居候段、感謝の至りに奉存候、就いては来る四月二十七日(火曜日)零時半より二時まで、丸ノ内銀行倶楽部に評議員各位の御参集を仰ぎ、其後の御報告申上げ、且又種々御協議相願度存候につき、御多用中御迷惑の御儀とは存じ候得共、何卒御繰合せ御出席被成下度、此段御案内申上候 敬具
 追而各位御多忙の際にも有之、会は二時迄に終了の予定に致し居り候、御出席の有無、何卒御一報願上候
  大正十五年四月廿二日
        東京基督教青年会復興建築資金募集後援会
                会長  男爵 阪谷芳郎
                相談役 公爵 徳川家達
                〃   子爵 後藤新平
                〃   子爵 渋沢栄一
    子爵 渋沢栄一殿
(謄写版)
拝啓
来る廿七日零時半より、銀行倶楽部に於て、東京基督教青年会復興建築資金募集後援会評議員会開催の件に就きては、既に御通知申上置候得共、右会合前実行委員並に役員方と御打合せ申上度儀有之候に付、御多用中甚た御迷惑の御儀と存じ候得共、正午に御来会を賜らば誠に幸甚の至りに存上候、右重ねて御願迄如此に御座候
  大正十五年四月廿三日
        東京基督教青年会復興建築資金募集後援会
                 会長 男爵 阪谷芳郎
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一宛(大正一五年)八月五日(DK420067k-0002)
第42巻 p.270-271 ページ画像

(阪谷芳郎)書翰  渋沢栄一宛(大正一五年)八月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、愈ヨ御安泰奉賀候
扨三日夜、長尾半平氏ノ代人菅儀一ト申ス人、当大磯ニ参リ申スニハ
 - 第42巻 p.271 -ページ画像 
三井ノ有賀氏ヨリ長尾氏ニ話アリ、三井ニテハ神田美土代町基督教青年会館ノ新築費ヘ金三万円寄附ノコトニ決定ニ付、一寸申上ヲクトノ事ニ付、長尾自身ニ大磯ニ参リ相談致度モ、明日北海道ニ出発ノ為メ取込居候ニ付、菅ガ使ニ参リタリトノコトニ候、小生答フルニハ、三井カ三万円ニテハ、岩崎・安田両家ノ分ニモ響キテ、既定ノ計画遂行六ケ敷、評議員会ヲ開イテ一応相談ノ必要アリ、然ルニ渋沢・後藤両相談役モ不在、其他評議員中ニモ不在多キニ付、九月中旬マテ三井ノ発表ヲ見合方ヲ、有賀氏又ハ阪井氏ニ申入ヲカレ度ト申候処、只今長尾氏ヨリ書面到着、別紙ノ如ク阪井氏ニ申送リヲキタリトノコトニ候
尚後藤子爵ニハ長尾氏報告致シヲキ可申ニ付、大人ヘハ小生ヨリ御報可申上様依頼ストノコトニ候、真ニ不得止次第ニハ候ヘ共、甚タ残念至極ニ存候、何レ九月ニ両相談役ニモ御出席ヲ乞ヒ、評議員会ヲ開イテ、更ニ別ニ寄付ヲ求メルカ、或ハ建築計画ヲ縮少スルカノ決定必要ニ存候、尚斎藤惣一氏ハ目下欧洲ニ在リ、都合ニヨリ、モツト氏トモ相談ヲ遂ケ、帰路米国ヲ廻リ金策ヲ試ムルモ一案カト、菅氏ニハ話ヲキ候 匆々不一
  八月五日                  大磯
                         芳郎
    渋沢子爵閣下
         侍史
(別紙)
阪井徳太郎氏宛写
拝啓
昨日は御多忙中御面会被下、且つ種々御懇切なる御話を承り、難有奉感謝、其際も縷々陳情申上候通り、当方として勝手なる期待には候へ共、当初六拾万円募金の計画其半に達せさる事と相成候ては、不容易儀と存じ、早速後援会長へも御内報申上候処、計画の立て直しをなすの必要も有之、評議員会開催致度候も、何分目下避暑御不在勝故、九月中旬頃迄御発表の儀は猶予御願可申置旨指示有之候条、何卒右様御含み置き被成下度、猶他御関係の方々へも同様御含み置き被下候様御願申上度候、小生事今日出発北海道へ参り来る十三・四日頃迄には遅くも帰京の筈に付、いつれ其上にて御目にかゝり、親敷御願可申出候時下暑気日に増し相募り申候折柄、折角御自愛専要に奉存候 敬具
  大正十五年八月四日
                      長尾半平
    阪井徳太郎殿


(増田明六) 日誌 大正一五年(DK420067k-0003)
第42巻 p.271-272 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一五年    (増田正純氏所蔵)
九月十八日 土 曇                出勤
午後一時菅儀一氏来訪、東京基督教青年会館建設寄付金募集の件ニ付協議あり
  ○中略。
九月廿九日 水 晴                出勤
前十、丸の内渋沢事務処に於て開催の東京基督教青年会館建築資金募
 - 第42巻 p.272 -ページ画像 
集の件に関する会合ニ出席


集会日時通知表 大正一五年(DK420067k-0004)
第42巻 p.272 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
廿九日○九月 水 午前十時 キリスト青年会館ノ件(事ム所)


(ジョン・アール・モット)書翰 渋沢栄一宛 一九二六年八月三一日(DK420067k-0005)
第42巻 p.272-273 ページ画像

(ジョン・アール・モット)書翰  渋沢栄一宛 一九二六年八月三一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
       THE NATIONAL COUNCIL OF THE YOUNG MENS
        CHRISTIAN ASSOCIATIONS OF THE UNITED
            STATES OF AMERICA
             CORPORATED NAME
  GENERAL BOARD OF THE YOUNG MEN'S CHRISTIAN ASSOCIATIONS
          347 MADISON AVENUE, NEW YORK
            On board S. S. "Mauretania"
                   August 31, 1926
Your Excellency :
  In connection with the three international gatherings which I have been attending in the countries of Northern Europe I had the pleasure of seeing again Mr. Saito, the highly efficient executive head of the Tokyo Y.M.C.A. He shared with me in confidence your solicitude with reference to certain aspects of the Japan-America relationships. I find myself in complete accord with your own views in this vital matter, and can assure you of my unfailing and energetic support. It is my deepest conviction that this unfortunate matter cannot in any sense be counted as settled and will not be until it is settled right. The principles which you and I discussed on that last memorable morning I spent with Your Excellency, and on which we so fully agreed, will guide us ultimately to a just conclusion. To this end I shall continue to labor, and I do not think the labors of those of us who agree in this vital matter will prove to be in vain.
  I was also delighted to learn from Mr. Saito of the good progress thus far made in connection with the influential activity of the Patrons' Association on behalf of the new, enlarged and statesmanlike program of the Tokyo Y.M.C.A. The more I have reflected upon it since my visit to Tokyo last winter, the more my conviction has deepened that there is nothing right now quite so important in the interest of the best life of Japan as that of safeguarding the character and developing the personalities of the young men and boys of Japan. This makes it supremely important that the program which you are promoting shall be successfully completed.
  With renewed expression of gratitude and appreciation of Your Excellency's large and indispensable part in realizing these high ends,
 - 第42巻 p.273 -ページ画像 
  I am, with highest regard,
           Very sincerely yours,
              (Signed) John R. Mott
His Excellency,
  Viscount E. Shibusawa.
(右訳文)
          (栄一墨書)
          十五年十月十七日一覧、本状にハ早々回答可致ニ付、起案有之度、日米親善ニ関する要旨並基督教青年会館寄附金之件者丁寧ニ申進候様致度候事
 東京市               (九月廿一日入手) 明六
  子爵 渋沢栄一閣下
      モリタニア号にて、一九二六年八月卅一日
                  ジヨン・アール・モツト
拝啓 北欧の諸国に於て開かれたる三つの国際会議中小生は、東京基督教青年会の有能なる幹事斎藤氏に再び会見致候、日米親善の増進に関する多大の御配慮は、小生が同氏と共に深く感佩致居る処に御座候
此重要問題に関しては、小生は全然閣下と同一の意見を有するものにて、此問題解決の為めには不断の努力を惜まざる覚悟に御座候、而して斯る問題は正当に解決せらるゝまでは、決して終結を告ぐる能はざる事は小生の深く信ずる処に候、小生が閣下と会見したる、彼の記憶すべき朝に御懇話申上げ候主義に基いて行ふ時は、必らず正当なる結果に導かれ可申と存候、此目的達成の為めに小生は尽力致すべく、吾等の努力は決して徒労に帰する事可無之と存候
東京基督教青年会の復興後援会の堂々たる運動が非常なる進捗を見たる由、斎藤氏より承知致し、小生欣喜罷在候、昨年冬小生が東京へ参りし事を回想するに従ひ、今日日本の利益の為めにはその青少年の人格の陶冶と個性の発達を計るより重要なるは他に無之との信念を愈々深うするものに候、之が為めには閣下の御援助を忝ふせる右の運動が充分なる成果を収むる事を最も必要とする次第に候
此等重大なる目的実現の為めには、閣下の有力にして肝要なる御尽力に俟つ事大なるもの有之、小生は更めて玆に深く感謝の意を奉表候
                            拝具
  ○アメリカ合衆国ノ千九百二十四年移民法(所謂排日移民法)ニ就イテハ、本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十二年ヨリ大正十五年ニ亘ル各条参照。


(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年一〇月二〇日(DK420067k-0006)
第42巻 p.273-274 ページ画像

(阪谷芳郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一五年一〇月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
愈々御清適の段奉賀候
陳者昨日電話にて御打合せ申上候通、東京基督教青年会後援会の件に関し御協議御願度候に付、明後二十二日(金)午前正十一時、丸ノ内銀行倶楽部に御来駕被成下度、此段為念御書中申上候 敬具
 - 第42巻 p.274 -ページ画像 
  大正十五年十月廿日
                   男爵 阪谷芳郎
    子爵 渋沢栄一殿
          侍史
 追て集会は十二時半迄に終了の予定に有之候、尚午餐の準備致置候


集会日時通知表 大正一五年(DK420067k-0007)
第42巻 p.274 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
廿二日○十月 金 午前十一時 基督教青年会館ノ件(銀行クラブ)午餐アリ


(増田明六) 日誌 大正一五年(DK420067k-0008)
第42巻 p.274 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一五年      (増田正純氏所蔵)
十月廿二日 金 長慶天皇奉告祭 晴
○上略
同○午前 十一時半、東京基督教青年会館建築資金の件に就き、後藤新平子・渋沢栄一子・阪谷芳郎男・長尾半平氏・斎藤惣一氏・菅儀一氏及小生会合し、其醵集の儀ニ付協議したり
  ○中略。
十一月四日 木 晴                  出席
○上略
本日の来訪者
○中略
斎藤惣一     基督教青年会館寄付金の件
○下略
  ○中略。
十一月九日 火 晴                  出勤
本日の来訪者並用件如左
○中略
斎藤惣一     青年会館建設の件
○下略
  ○中略。
十一月十七日 水 晴                 出勤
○上略
来訪者
○中略
3菅儀一   青年会館の件
○下略
  ○中略。
十一月三十日 火 晴                 出勤
午後三時大倉組ニ於ける仏国通商会社の株主定時総会に出席○中略
右終了後大倉喜七郎氏ニ後藤子爵の紹介状で面会して、東京基督教青年会館復興費寄付金壱万五千円義捐せられ度旨懇請した
○下略


(増田明六) 日誌 昭和二年(DK420067k-0009)
第42巻 p.274-276 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和二年     (増田正純氏所蔵)
 - 第42巻 p.275 -ページ画像 
二月一日 火 晴                   出勤
○上略
基督教青年会館の件
長谷半平《(長尾半平)》・斎藤惣一両氏と、午前十一時渋沢事務処ニ会し、同会館建設資金募集の件ニ付き凝議し、小生勧誘先を決して、寄附金を請ふ事とし、尚先きニ出金を依頼したる先々中未決定先ニ書状を出す事とし其文案宛先等ニ就き協議を遂く
○下略
  ○中略。
二月十二日 土 晴
○上略
本日の来訪者と其要件
○中略
6、菅儀一君 基督教青年会館寄附金募集書翰文案の件
  ○中略。
五月四日 水 雨                   出勤
○上略
本日の来訪者
1、斎藤惣一君 基督教青年会館建設資金預先調査の件○下略
  ○中略
九月廿二日 木 晴                  出勤
基督教青年会館の件
同会館建設後援会幹事会を開く、長尾半平・斎藤惣一両氏及小生幹事たり、種々協議の上、長尾氏及小生手別けして寄附金募集ニ尽力する事を約した
○下略
  ○中略。
十一月九日 水
○上略
大日本人造肥料会社ニ二神駿吉氏を訪問した、石川一郎氏も其室ニ来て共ニ談した、用件ハ基督教青年会館建設資金の内へ、金弐千円寄附して貰ひたいと申込んだのである、五百円位ならハ直ニも承諾するのであるが、弐千円にてハ篤と相談の上で無けれは返事が出来ぬ、と二神氏は云はれた
○下略
十一月十日 木 晴                出勤
○上略
本日の来訪者
1、斎藤惣一氏 太平洋問題調査会ニ関する件及基督教青年会館建設資金醵集ニ関する件
○下略
  ○中略。
十二月十二日 月 晴               出勤
藤山雷太氏を集成社ビルデイングに訪問す○中略 東京基督教青年会館々《(々館)》
 - 第42巻 p.276 -ページ画像 
建築資金寄附の件を依頼す、其中ニ就き青年会館の寄附金は、大日本製糖会社より支出を受くる事として、伊吹・金沢両氏等ニ談話し置く様と同氏より話あり、不日斯く為すべきを約した
○下略


東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類(DK420067k-0010)
第42巻 p.276 ページ画像

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓
時下益御清栄奉賀候、扨、爾来御高配を蒙り居り候東京基督教青年会館復興建築資金募集之義は、各位の御援助により段々進捗仕り、目下金参拾五万六千余円と相成候、然る処、同会建築工事は愈設計完了し起工の期日相迫り候に付、役員・評議員・賛助員各位に御会合を願ひ今日迄の経過を御報告致し、尚今後の方針に付御協議申上度候間、御多用中甚た恐縮ながら、五月廿五日(金)正午丸ノ内銀行倶楽部に御来駕相願度、此段御案内申上候、追て当日は粗餐の用意仕置候、御来否折返し御返事願上候 敬具
  昭和三年五月十七日
        東京基督教青年会復興建築資金募集後援会
                 会長 男爵 阪谷芳郎
    子爵 渋沢栄一殿
           侍史


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK420067k-0011)
第42巻 p.276 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年    (渋沢子爵家所蔵)
五月廿五日 金 晴        出勤
○上略
正午銀行倶楽部ニ於ける基督教青年会館再興建築資金醵集ニ関する会合に出席した、会するもの後藤子爵・阪谷男・森村男外二、三氏で、新ニ寄附を請ふ様の人は一人も来会しなかつた
○下略
  ○此日栄一出席セズ。席上阪谷会長ヨリ後藤・渋沢両子爵、評議員ニ対シ募金協力ヘノ感謝ヲ表ス(当後援会第三回役員会報告ニヨル)


東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類(DK420067k-0012)
第42巻 p.276-277 ページ画像

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、春寒の折柄益御清栄奉賀候
陳者予て御高配蒙り居り候本会復興建築資金の儀は、別紙の如く頗る順調に進捗致し候段、偏に各位の熱誠なる御援助によるものと深く感謝致居り候、目下工事の工程は、中条事務所監督の下に大倉組の手により基礎工事を終り、鉄骨組立中に有之、幸ひ何等故障も無之、着々好都合に相運び、当事者一同大に喜び居り候次第に御座候、何卒今後御気附きの事も有之候はゞ、御示教賜り度、先は近況御報告申上度、如此に御座候 敬具
  昭和四年二月廿三日
        東京基督教青年会復興建築資金募集後援会
                 会長 男爵 阪谷芳郎
                 実行委員  増田明六
 - 第42巻 p.277 -ページ画像 
                 〃     長尾半平
                 〃     斎藤惣一
    子爵 渋沢栄一殿
  ○別紙略ス。


東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類(DK420067k-0013)
第42巻 p.277-278 ページ画像

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類   (渋沢子爵家所蔵)
    東京基督教青年会建築資金計算書(予算)
一金百六十万円也    建築費総金額
  金六十万円也    日本ニ於テ募金スベキ金額
  金百万円也     米国ヨリノ寄附金
一金四拾弐万五千九百九拾参円五拾八銭也
            日本ニ於テ募集スベキ六拾万円ニ対シ今日マデ寄附ヲ受ケタル金額(昭和四、四、二二現在)
 此ノ外
一金五万円也      建築助成金
一金《(参万円也脱)》  銀行利子
一金壱万六千円也    米国ヨリノ寄附
 総計金五拾弐万壱千九百九拾参円五拾八銭也
 差引不足
一金七万八千〇〇六円四拾八銭也《(二)》
  ○銀行利子ノ欄、昭和三年十月二十七日現在、昭和四年二月二十二日現在ノ各計算書(予算)ニハ三万円ヲ計上ス。

   東京基督教青年会会館復興建築資金寄附芳名表
一金四拾弐万五千九百九拾参円五拾八銭也(昭和四年四月廿三日現在)
   内訳
一金五千円也  東京基督教青年会、社会事業奨励ノ思召ヲ以テ
        大正十五年十一月九日附
        宮内省ヨリノ御下賜金
                 ABC順
    一〇〇、〇〇〇       内務省
     三〇、〇〇〇    男爵 三井八郎右衛門
     一五、〇〇〇  財団法人 安田修徳会
     一〇、〇〇〇    男爵 古河虎之助
     一〇、〇〇〇    男爵 森村市左衛門
     一〇、〇〇〇       服部金太郎
     一〇、〇〇〇    男爵 大倉喜七郎
     一〇、〇〇〇       末延道成

     一〇、〇〇〇       山本条太郎
      七、〇〇〇    男爵 住友吉左衛門
      六、〇〇〇       浅野総一郎
      五、〇〇〇       村井保固
      五、〇〇〇       藤田謙一
 - 第42巻 p.278 -ページ画像 
      五、〇〇〇       馬越恭平
      五、〇〇〇    子爵 渋沢栄一
      五、〇〇〇       渡瀬寅次郎
  ○四千円以下略ス。


東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類(DK420067k-0014)
第42巻 p.278 ページ画像

東京基督教青年会復興建築資金募集後援会書類   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 時下益御清祥奉賀候
陳者先般来種々御高配に預り居候東京基督教青年会館復興建築資金の儀は、其後各方面の御賛助により目下金五十三万三千余円に相達し候段、偏に評議員各位の御援助による事と厚く御礼申上候
尚残り六万七千円の募金に対しては今一息と云ふ処に候へ共、関係者一同苦心罷在候間何卒貴殿に於かせられても、御知友の間に可然御声援被下、御寄附賜り候様御執成の程御願申上候
先は御報告旁々右御依頼申上度如此に御座候 敬具
  昭和四年六月廿八日
              東京基督教青年会
               復興建築資金募集後援会
                会長 男爵 阪谷芳郎
    子爵 渋沢栄一殿
          侍史


東京基督教青年会本会館建築工事報告 同会編 第一―四頁昭和五年刊 【募金の経過に就いて 総主事 斎藤惣一】(DK420067k-0015)
第42巻 p.278-280 ページ画像

東京基督教青年会本会館建築工事報告 同会編  第一―四頁昭和五年刊
    募金の経過に就いて
                  総主事 斎藤惣一
 今から十五年前、江原素六先生が理事長であられた時、東京基督教青年会の拡張計劃が発表せられた。その当時に於ては思ひ切つて大きい考へであつた。五層の近世式建物の設計案がその小冊子の終りに附けてある。此夢は十五年後の今日、七層の建物として、吾等の前に現出するに至つた。
 丁度その時から八年、今から溯れば七年前、大震火災によつて、凡ては烏有に帰するに至つた。震災直後に於ては、救護事業や、復興事業に忙しい日は続いた。最初の復興計画案は八十万円であつた。それが研究に研究を重ねた結果、又事情が変化するに従つて、終には二倍の百六十万円と云ふ大規模のものとなるに至つた。此募金の間には涙ぐましい、たゞ感謝の涙にむせぶ幾多のエピソードがある。
 只単なる事務的な報告にとゞむることを許さないものがある。震災当時筆者は、ニユー・ヨークに在つた。モツト博士は私をその部屋に招き、詩篇第九十篇を引いて、日本の青年会復興に対し、強い信仰によつて、慰藉を与へ、激励された言葉は、今も耳底に響いて居る。
 バラツクから、仮会館、それから体育館の復興、その間に中野寮の修築、一麦寮学生寄宿舎の新築、かくして今日わが新館の竣功を見るに至つた、それは皆百六十万円計画の過程であつた。
 大正十三年(一九二四年)の秋、北米プラシット湖畔に開かれた会議に於て、モツト博士は横浜、帝大青年会、同盟会館・東山荘・学生
 - 第42巻 p.279 -ページ画像 
寄宿舎、それに東京基督教青年会を包含する復興建築に必要な七十五万弗、これに在東京朝鮮・支那青年会の分を加へて、邦貨二百万円を超過する巨額の寄附を決定せられた。当時の事情を熟知する者にとつて、此寄附金は、モツト博士の果断と、わが日本のYMCAに対する厚い同情の現れであつたと云はざるを得ない。
 此報を齎らして帰朝した時は、丁度仮会館の成つた時であつた。東京の市中そこかしこにやつとバラツク達の出来た時であつた。此時、募金の計劃がたてられたのである。前途に望み少く感じたことも、望洋の感を深うしたことも、この事を忘れては諒解出来ない。仮会館の一隅に長尾・角倉・非上胤文の三理事鳩首協議された時のことは、今も尚記録に新なことである。
 大正十四年(一九二五年)モツト博士は、第五回目にわが国を訪れわれらを激励する所が多かつた。この訪問によつて、われらの復興計劃は尠からず進捗を見るに至つた。
 時は、大正十五年一月廿八日、所は麻布後藤伯邸、会するものは、故後藤伯、渋沢子爵・阪谷男爵、故増田明六氏、長尾理事長と筆者の六名であつた。此時、『東京基督教青年会館復興建築資金募集後援会』なるものが組織せらるゝことゝなり、阪谷男を会長に、徳川公爵・後藤伯爵・渋沢子爵を相談役、森村男爵・米山梅吉氏を会計監督に願ふことゝなり、その後漸次五十八名の評議員を得ることゝなつた。
 同年三月十日、丸ノ内工業倶楽部に於て第一回の後援会評議員会が開かるゝことゝなり、モツト博士の寄附金百万円募金の計劃が承認せられ、小野英二郎・昆田文次郎・阪井徳太郎・結城豊太郎の四氏が実行委員に選るゝことゝなつた。
 同年四月三十日には後藤伯・長岡社会局長官の尽力によつて、内務省より金拾万円の補助金が下附さるゝことゝなつた。又、十一月九日には社会事業御奨励の思召によつて、金五千円の御下賜金があつた。
 それより先、五月十日より一週間を期し、会員全部の協力により、六組に分れて、募金に尽力することゝなり、その額二万七千円に達するに至つた。此間、会員間の犠牲的奮闘に至つては、今も忘れ難いものがある。有り余る中からでなく、身をつめての献金もあつた。克己による一食の献げものもあつた。妻子家族協力の結果もあつた。労を吝まず、時を費しての募金もあつた。此時より、殆んど五春秋、祈りと、労力との結晶が、今日の百五十余万円を生むに至つた。活動写真バザーの催もあつた。一枚一円カードの頑張れ運動もあつた。幾度か増額された人々もあつた。海の外よりは特に復興のため、ウィルバークリントン、ウィルカックス、ブロックマンの諸氏の来援されたことも忘るゝことは出来ない。
 又、最初四十万弗の寄附を申込まれたモツト博士が、御大典に際して、特に五万弗の追加寄附を申越されしこと、これによつて為替換算の変動によるも尚、邦貨金百万円を超すとも、下らざる寄附となつたことは特に記して、感謝せねばならぬ。
 会館成りし今日、過去五ケ年に亘る募金経過を顧る時、或は内閣の更迭、諒闇、議会解散、パニック等、これに伴ふ難関一にして足らな
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かつた。併し、これを突破して、今日あるに至り、殆ど目標に近づくことを得、尚将来に進発を要する額は大なるも、負債なくして新館を献堂するに至りたるは、神の恩寵と隠れたる祈と、江湖幾万の同情、後援の賜と云はざるを得ない。阪谷会長の懇切周到なる指導、相談役役員・評議員方の援助、理事・監事・委員・会員・職員諸君の一致協力に対し謹みて感謝し、敬意を表する次第である。
 只此会館成るを待たずして、此世を去れる相談役後藤伯、実行委員小野英二郎・昆田文次郎両氏、後援会幹事として、誠実・懇切、最初より力を尽されたる増田明六氏、評議員神戸挙一氏・指田義雄氏・服部俊一博士、わが会としては理事角倉賀道氏・伊藤一隆氏・職員岩崎亮氏あるを思ひ感慨無量、玆に特記して感謝を捧ぐるものである。