デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.407-425(DK420089k) ページ画像

大正元年10月27日(1912年)

是ヨリ先、是月七日、当社評議員会築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第四十八回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二九三号・第六六頁大正元年一〇月 ○竜門社評議員会(DK420089k-0001)
第42巻 p.407 ページ画像

竜門雑誌 第二九三号・第六六頁大正元年一〇月
    ○竜門社評議員会
竜門社評議員会は、十月七日午後六時より、築地精養軒に於て開かれたり、席定まるや、幹事八十島親徳君、第一に入社申込者諾否の件を諮りしに、本号会員異動欄に記載の諸氏は孰れも満場一致の承諾を得て入社に決し、次に本社第四十八回秋季総集会開催の件は
 (一)時日  大正元年十月廿七日(日曜)午前十時
 (一)場所  飛鳥山曖依村荘
 (一)講演者 青淵先生其他
 (一)右の外当日の設備其他は幹事に一任する事
前記の通り決定し、是れにて評議員会を終り、別室に於て晩餐会の催しあり、食後一同前席に復し、来賓文学士宇野哲人氏の「孔子教と時代の関係」(講演欄参照)と題する講演あり、右終りて後一同打寛ぎて思ひ思ひの教育談に尠からず興を催し、軈て散会したるは十時過なりき、当夜の出席者諸君は左の如し。
             (○は現評議員、△は旧評議員)
 来賓   青淵先生       文学士宇野哲人
     ○石井健吾         ○原林之助
     ○田中栄八郎        ○日下義雄
     ○八十島親徳        ○郷隆三郎
     ○明石照男       ○男爵阪谷芳郎
     ○佐々木清麿        ○渋沢義一
     ○諸井恒平
     △服部金太郎        △大川平三郎
     △山口荘吉         △山田昌邦
     △福島甲子三        △渋沢元治
     △清水釘吉         △清水一雄
     △桃井可雄
      野口弘毅          増田明六
      矢野由次郎


竜門雑誌 第二九三号・第三九―五〇頁大正元年一〇月 ○儒教と時代の関係 文学士宇野哲人君(DK420089k-0002)
第42巻 p.407-416 ページ画像

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竜門雑誌 第二九四号・第六八―七一頁大正元年一一月 ○竜門社秋季総集会(DK420089k-0003)
第42巻 p.416-419 ページ画像

竜門雑誌 第二九四号・第六八―七一頁大正元年一一月
    ○竜門社秋季総集会
竜門社第四十八回秋季総集会は、予報の如く十月廿七日午前十時より飛鳥山曖依村荘に於て開かれたり。時恰も風高楡柳疎、霜重梨棗熟の好季節、生憎曇天なりしにも拘らず、三々伍々戞々砂利を履みて来り会する者引きも切らず、定刻午前十時過には無慮四百名余に及べり。軈て午前十一時、八十島幹事の挨拶にて開会し、次で慶応義塾大学教授林毅陸氏の「巴爾幹問題に就て」の講演あり、尚ほ文学博士姉崎正治氏の宗教に関する講演ある筈なりしも、病気の為め欠席せられたるは遺憾なりき。最後に青淵先生は「道徳進化論」と題して一場の講演を試みられたり。是れにて閉会を告げ、引続き園遊会に移り、桃源八景の夫れならぬ園内の秋色、扨ては近郊の野趣を賞しながら、ビール燗酒・天ぷら・蕎麦、思ひ思ひに露店を賑はして、興の尽くるを知らず、折柄此方の庭園には細川風谷の講談、田辺枯水の薩摩琵琶の余興あり、一同終日の清遊に日頃の労を医して、帰途に就きたるは午後四時頃なりき。当日の来賓及来会者は則ち左の如し。
一、名誉会員
 青淵先生     同令夫人
一、来賓
 林毅陸君     桜井鉄太郎君
一、特別会員(イロハ順)
 井上公二君    石井健吾君    伊藤新作君
 伊藤登喜造君   一森彦楠君    池田嘉吉君
 今井又治郎君   岩崎寅作君    石川道正君
 岩本伝君     原林之助君    萩原久徴君
 萩原源太郎君   原田貞之助君   西田敬止君
 西野恵之助君   西村直君     本間竜二君
 堀田金四郎君   堀越善重郎君   堀井宗一君
 鳥羽幸太郎君   沼間敏郎君    織田雄次君
 大原春次郎君   尾高幸五郎君   尾高次郎君
 同令夫人     尾川友輔君    大沢佳郎君
 冲牙太郎君    沖馬吉君     神谷十松君
 加藤為次郎君   鹿島精一君    金谷藤次郎君
 吉岡新五郎君   横山徳次郎君   米田喜作君
 横田清兵衛君   田中元三郎君   田中太郎君
 田辺為三郎君   高橋波太郎君   高松録太郎君
 高根義人君    同令夫人     高橋金四郎君
 田尻武次君    多賀義三郎君   田中栄八郎君
 同令夫人     早乙女昱太郎君  曾和嘉一郎君
 - 第42巻 p.417 -ページ画像 
 鶴岡伊作君    塘茂太郎君    永井岩吉君
 長滝武司君    中沢彦太郎君   仲田慶三郎君
 村井義寛君    村木善太郎君   村上豊作君
 棟居喜九馬君   上原豊吉君    植村澄三郎君
 植村金吾君    野中真君     野口半之助君
 倉沢粂田君    山中善平君    八十島親徳君
 矢野由次郎君   山口荘吉君    矢野義弓君
 山内政良君    矢木久太郎君   松平隼太郎君
 松谷謐三郎君   増田明六君    福島甲子三君
 福田祐二君    古田錞治郎君   小橋宗之助君
 小林武次郎君   小畔亀太郎君   古田中正彦君
 小池国三君    郷隆三郎君    手塚猛昌君
 浅野総一郎君   同令夫人     明石照男君
 同令夫人     安達憲忠君    男爵阪谷芳郎君
 同令夫人     佐々木清麿君   佐藤毅君
 佐藤正美君    坂倉清四郎君   斎藤章達君
 斎藤峰三郎君   笹沢仙左衛門君  斎藤精一君
 同令夫人     木村雄次君    木下英太郎君
 宮下清彦君    芝崎確次郎君   清水釘吉君
 清水一雄君    清水百太郎君   渋沢市郎君
 渋沢義一君    白岩竜平君    白石甚兵衛君
 肥田英一君    弘岡幸作君    平田初熊君
 平沢道次君    諸井時三郎君   桃井可雄君
 関屋祐之助君   鈴木金平君    杉田富君
一、通常会員(イロハ順)
 井田善之助君   市石桂城君    石井健策君
 石井与四郎君   石田豊太郎君   石田友三郎君
 石川政次郎君   石川竹次君    伊藤英夫君
 伊沢鉦太郎君   猪飼正雄君    石田誠一君
 伊知地剛君    五十嵐直蔵君   生駒道顕君
 家城広助君    入江銀吉君    井出徹夫君
 原直君      長谷川謙三君   長谷川粂三君
 秦乕四郎君    早川素彦君    原胤昭君
 原久治君     林興子君     速水篤三郎君
 本田竜二君    堀内良吉君    堀家照躬君
 友田政五郎君   友野茂三郎君   戸谷豊太郎君
 千葉重太郎君   小沢清君     小熊又雄君
 小倉槌之助君   小田島時之助君  大平宗蔵君
 大庭景陽君    大畑敏太郎君   岡原重蔵君
 岡本謙一郎君   岡本椿処君    尾上登太郎君
 奥川蔵太郎君   大原万寿雄君   太田資順君
 岡戸宗七郎君   尾崎秀雄君    大竹栄君
 和田勝太郎君   河村桃三君    金沢弘君
 金沢求也君    金井二郎君    笠原厚吉君
 - 第42巻 p.418 -ページ画像 
 笠間広蔵君    神谷岩次郎君   金古重次郎君
 上倉勘太郎君   片岡隆起君    加藤雄良君
 河崎覚太郎君   鹿沼良三君    吉岡鉱太郎君
 吉岡仁助君    横尾芳次郎君   横田晴一君
 吉岡慎一郎君   田中七五郎君   田中一造君
 俵田勝彦君    田川孝彦君    高橋俊太郎君
 高橋森蔵君    高島経三郎君   武笠政右衛門君
 武沢顕次郎君   高橋毅君     玉江素義君
 高山仲助君    田子与作君    田沼賢一君
 高田利吉君    左右田良三君   堤真一郎君
 塚本孝二郎君   蔦岡正雄君    辻友親君
 根岸綱吉君    中村習之君    内藤種太郎君
 永田帰三君    滑川庄次郎君   成田喜次君
 長井喜平君    中西善次郎君   長尾甲子馬君
 村井盛次郎君   村田繁雄君    村木友一郎君
 内尾直二君    上田彦次郎君   宇賀神万助君
 氏家文夫君    鵜沢直利君    海津信夫君
 浦田治雄君    野村鍈太郎君   野口夬君
 野村喜一君    野村修三郎君   久保幾次郎君
 熊沢秀太郎君   山崎豊治君    山村半次郎君
 山田仙三君    八木荘九郎君   八木安五郎君
 八木仙吉君    安田久之助君   安井千吉君
 柳田観己君    山崎鎮次郎君   山川逸郎君
 山口乕之助君   松村五三郎君   松村修一郎君
 松本幾次郎君   松井六利君    藤木男梢君
 福島元朗君    福本寛君     福田盛作君
 古田元清君    小林武彦君    小林武之助君
 小林茂一郎君   小林森樹君    小島順三郎君
 河野間瀬次君   小山平造君    後久泰次郎君
 江間万里君    赤萩誠君     浅見悦三君
 浅見録二君    相沢才吉君    綾部喜作君
 粟飯原蔵君    阿南次郎君    秋本孝治君
 明楽辰吉君    斎藤又吉君    斎藤孝一君
 斎田詮之助君   猿渡栄治君    佐藤清次郎君
 佐々木哲亮君   木村亀作君    木村弘蔵君
 木之本又一郎君  岸本良二君    北脇友吉君
 行岡宇多之助君  箕輪剛君     御崎教一君
 三上初太郎君   三宅勇助君    宮下恒君
 峰岸盛太郎君   渋沢武之助君   渋沢正雄君
 渋沢秀雄君    芝崎徳之丞君   塩川誠一郎君
 東海林吉次君   柴田房吉君    下条悌三郎君
 渋沢長康君    塩川薫君     平岡五郎君
 広田伝左衛門君  森島新蔵君    森谷松蔵君
 元山松蔵君    門馬政人君    森茂哉君
 - 第42巻 p.419 -ページ画像 
 関口児玉之輔君  瀬川光一君    鈴木善助君
 鈴木政寿君    鈴木旭君     椙山貞一君
 住吉慎次郎君   鈴木順一君    須山壮造君
玆に当日会費中へ金品を寄贈せられたる各位の芳名を録して、謹で厚意を謝す。
 一金参百円也       青淵先生
 一金五拾円也       第一銀行
 一金参拾五円也      渋沢社長
 一金弐拾五円也      東京印刷株式会社
 一金弐拾円也       穂積陳重君
 一金弐拾円也     男爵阪谷芳郎君
 一金拾五円也       佐々木勇之助君
 一金拾五円也       東洋生命保険株式会社
 一金拾円也        今井又治郎君
 一金拾円也        韓国興業株式会社
 一金拾円也        田中栄八郎君
 一金拾円他        郷隆三郎君
 一金拾円也        渋沢義一君
 一金拾円也        紅葉屋商会
 一金五円也        星野錫君
 一金五円也        尾高幸五郎君
 一金五円也        尾高次郎君
 一金五円也        古田良三君
 ミユンヘンビール八打   植村澄三郎君
 麦酒壱百リーター     大日本麦酒株式会社


竜門雑誌 第二九五号・第一一―一九頁 大正元年一二月 ○道徳進化論 青淵先生(DK420089k-0004)
第42巻 p.419-425 ページ画像

竜門雑誌  第二九五号・第一一―一九頁 大正元年一二月
    ○道徳進化論
                      青淵先生
  本篇は、十月廿七日午前十時より、曖依村荘に於て開かれたる竜門社第四十八回秋季総集会に於ける青淵先生の講演なりとす
                        (編者識)
 幸に天気の都合も好く、今日の秋期の総会が、十分の盛況を以てすることが出来るだらうと喜びます。今日は林先生に時事問題の御講演を願ふのと姉崎博士に人世の共同融通と云ふ問題に依つて、哲学的御講演を願ふ筈であつたのです。併し姉崎君は急に御所労で欠席になつたのは、諸君と共に大に遺憾に思ひますが、幸に林君が前席に於て、巴爾幹問題に付て、其原因から、今日の実況、及び未来の終局予想まで、如何にも緻密に、又其真相を穿つて、御講演下すつたことは諸君と共に深く喜びますのでございます。昔の日本であつたならば、巴爾幹の騒動などは対岸の火災、吾不関焉と居眠をして居つても宜いかも知れませぬ、併し世の進歩と共に世界は段々小さくなつて来る。早い話が東京でもさうです。市街が段々小さくなる。自動車が出来ると王子に住つて居る者が差支なく毎日東京で仕事が出来る。電車が出来る
 - 第42巻 p.420 -ページ画像 
と井ノ頭辺、或は大森辺に家を持つて、東京に通ふことも一向差支ない。詰り国が小さくなるのか人が大きくなるのかである、それと同様に例へば西比利亜の鉄道が出来たとか、若くは蘇士の地峡が掘割られたとか、又は巴奈馬の海峡が聯絡するとか、さう云ふ事実に依つて世界を狭め、東西南北の距離を短くするのと、又一つは鉄道の速力が早くなるとか、汽船の進行が速かになるとか、是等が皆世界を小さくする原因になるのである。随て又自分の関係の区域が極く密になると云ふことを顧みねばならぬのであります。或は遠き西方に騒動があるからと云うて、別に我帝国が心配せぬでも宜いではないかと云ふ説があるかも知れませぬが、同時に自国が如何なる位地に進んで居るかと云ふことをも顧みると、実に此巴爾幹問題に大に心を用ゐねばならぬ必要がある。単に列強間に戦争があつたら大変だとばかり思ふのは、甚だ思慮の到らぬものである、今林先生の巨細に其真相に立入つて御話になつた如く、巴爾幹の平和は、巴爾幹だけで保つては居られぬのでやはり世界に於ける指折連中が、其裏面にあつて或は牽制し或は防衛して禍乱にまでならぬやうにして居りますが、若しそれが已むを得ざる場合に至つたならば、大なる衝突を来すと云ふことも、必ず無いとも申せぬでありませう。而して彼の巴爾幹問題は、日本にどう云ふ関係を及ぼすかと申せば、直に欧羅巴の金融に響く、欧羅巴の金融に響けば又日本の金融にも影響を受けるのである。近い例を申せば東洋拓殖会社が社債を募らうと考へて、丁度日仏銀行が出来たから、それに依つて此金融を図つたら宜からうと云うても、巴爾幹問題が片付かぬ中はどうなるか分らぬと、倫敦なり巴里なりの金融家が、兎に角マアお待なさいと申すに相違ない。唯此一事だけを以て大に関係があると云ふではないけれども、直にさう云ふ影響がある、則ち前に申す此世界の狭くなつたと云ふばかりでなくして、同時に帝国の土地が広くなり力が進んで来た為に、今までは対岸の火と思つて居つたが、其関係が甚だ深くなつたと自覚せねばならぬのであります。私共古い教育で成長した人は世界の地理も歴史も審かには存じませぬ。今勃牙利とか塞爾比とか、黒山とか、希臘とかいふことを伺ひましても、審かに知悉し得られぬのを恥入りますが、お集りの青年は決して左様なことはなく、十分の御了解を以て、先生のお話をお聴きになつたらうと思ひます。どうぞ列強相牽制して、此禍乱をして長く継続せしめぬやうにありたいと望むのであります。一方ばかり無闇に強大になつては困ると云ふのが、各国相牽制する所以でありますが、現に日本も其影響を受けたことがあります。二十七・八年役、三国干渉もそれでありましたらう。又三十八年にもさう云ふ観念を他の国々は持たれたと思へば此世界の国際間のことは甚だ六ケ敷い。其六ケ敷い国際間に顔を出し得られたと云ふのは、御互に帝国の自ら誇とし、又六ケ敷い間に十分なる位地を保つことを国民挙つて努めねばならぬ。国民の一部分として我竜門社員も、やはり大に奮励して、唯其後へに座するでなく、先へ進んで、唱道者となることをお互に希望するのであります。
 私が今日お話しようと思ひますことは、纏つた問題ではございませぬ。未だ十分考究したことではない、唯自分が斯くもあらうか、と云
 - 第42巻 p.421 -ページ画像 
ふ新問題でありますから、玆に申上げて置いて、幼年のお方にはどうか知らぬが、年長者及青年諸君は十分御考究を乞うて、追々に其説が一致するやうに致したいと思ふのであります。詰り私の不断に唱へて居る孔孟道徳、此道徳の進化と云ふことに付て一の愚見を玆に述べて見たいと思ふ。蓋し進化論と云ふものは、何時どう云ふ機会に発明されて、今日の度合まで進んで来たか、これは丘先生でもお願ひして来ねば、具体的に説明は出来ぬと思ふ、嘗て丘先生の衛生に関する進化論を、諸君と共に此の場所で聴いたことがある。又同君の著書の表題は忘れましたが、生物進化の順序が精しく出て居つて、所謂生存の競争とか、其競争の結果適者が生存して、非適者が敗亡する。総て生物の段々に進化して行く工合が、長い歳月の間に種々に変化して、遂に今日に至つたといふことが書いてあつた。詰り吾々の先祖は猿である猿が進化して斯う云ふ竜門社員抔も出来た様に思はれた(笑)果して吾々の先祖は猿であつたかどうか知りませぬが、古来支那人は人間と云ふものは万物の霊だ、天地人三才と唱へて、天と地と人とは此宇宙間に在りて三種各様の力あるものだとして、全く他の動物とは異りて大に優れたものだと定めて居つた。三才は天地人、三光は日月星であつて、人と云ふものは天と並んで居る。然るに進化論の図解によると人と云ふものは其出生の有様則ち母の胎内にある形状は犬や豚と格別違はない。出産前二月ばかりになつて人と豚と其形が別れるといふことである。さう云ふ点より見ると、成程猿が先祖であるといふことも道理らしく聞える。して見ると、人は万物の霊であると威張つて見てもナニ猿と格別違はぬと云ふやうにもなる。則ち生物の進化である。此進化論と云ふものは、果して如何なる処にまで進んで行くか分らない。蓋し人と云ふものが進化論に依つて偉くなつた訳ではないけれども、其生を為す有様に於ては決して他の動物と変りはない。さう云ふ風に事物が進化して行くから、其形体に属することばかりでなく精神に属するものにも尚進化があるであらう。昔時甚だ尊いと思つたことが尊くなくなり、詰らぬと思つたことが大に尊くなると云ふこともあらう。即ち人の肝要とする処の道徳と云ふものは如何に進化して行くのであるかと云ふことを、考究する必要がありはしないか、蓋し人は尊いものと思つたのが、猿と同じだと云ふ方から考へると、昨日迄は孝悌忠信が人たるの根本である。如何となれば論語に君子は本を務む本立て道生ず、孝悌は夫れ仁を為すの本か、又其人と為りや孝悌にして上を犯すを好む者鮮なし、上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之有らざるなり。とありて孝悌は道徳の基礎である。而して其孝悌と云ふは能く父母に事へ長上に従順なるのであるが、さて其の道徳なるものが進化論に依つて、父母などはどうなつても構はぬ。長上に従順なるに及ばぬ、己れさへ宜ければ善いと云ふやうな有様になるか、更に進んで極端に申すならば、明智光秀の行為が適当となり、楠正成の戦死が犬死同様になりはせぬかと云ふことは、一の議論としては考へて見ねばならぬ。若しさういふことが必要とすれば、此道徳の進化と云ふものは如何なる度合に止まるものか、国家が如何に進歩しても、論理が如何に精密になつても、国際上の関係が如何に頻繁にな
 - 第42巻 p.422 -ページ画像 
つても、道徳の要旨は必ず動かぬものである。明智光秀はいつまでも忠臣にはならぬ。又楠正成は不忠にはならぬ。と云ふことに論定し得られるか、此処は大に考慮して見ねばならぬやうにある。卑近の話でありますが、孝行と云ふことに付て一例を申すと、二十四孝といふ通俗的書物に大舜と云ふ人が父母に孝行で、瞽瞍と云ふ頑冥なる親を大層大事にし、象と云ふ弟が悪い男であつたけれども、舜の徳で感化せしめた。それから漢の文帝が親の病気に、貴い身にも拘はらず、衣冠を解かずに看護をしたとか、或は老菜子と云ふ人は老境にありながら親の為に子供の真似して慰めたとか、是等は未だ宜しいが随分可笑いのは郭巨の釜掘である。あれは親に孝養を尽したい為に、自分の小児があつて困るから、其子を生埋にして、厄介を除きたいと考へて、地を掘つて子を埋めようとしたら、大きな釜が露はれて、中に財宝が多くあつたから子を埋めるに及ばぬやうになつたと書いてある。孝行を奨める為に前のやうな事が教へてある。今日若し親に孝行する為に、己れの子を埋めると云ふ者があつたならば、実に間違つた事であると云ふは、誰でも合点であるけれども、併し昔の書物にはさう云ふことを教へてある。又王祥は母が鯉を食べたいと云ふ為に、裸で氷の上に寝て居つて、其温かみで氷が解ける拍子に鯉が飛び出したとある。作り話ではありませうけれども、当時の孝行を奨める仕方はさう云ふ風である。或は孟宗が雪の中に筍を掘つたと云ふことも、今日は世の進歩に連れて左様なる仕方に拠らずして孝行と云ふものは出来るから、古来の道徳と云ふものが、前に述べたる如くに、明智光秀が忠臣にはならぬ、楠正成が不忠にならぬのは正確であるけれども、或る点に於ては幾分進化すべきものであらう、と云ふことは又推定せねばならぬと思ふ。
 偖此道徳なるものが個人間の関係と更に進んで公共的もしくは国際間に属するものとが、どう変つて行くかと云ふことも、亦大に考究せねばならぬ。其大なる場合を論ずれば只今林君がお述になつた巴爾幹問題に付て、国際上の関係などにも、国として立つて行くには一種の徳義を以て為さねばならぬ場合も生ずるであらう。併し個人の道徳と国際間の道徳とは今日の場合では、全然一様に論じ得られぬと思ふ。世の複雑になるほど、其差異が深く生じて来るやうに見える、既に往古からして、国際間の道徳論に対しては諸説紛々として居つたやうに思ふ。例へば荘子の説に、聖人死せざれば大盗止まず、斗を剖り衡を折つて民争はずと云ふことがある。詰り聖人といふものは盗賊の頭である。寸尺を立てるからそこに長短を相争ふ。秤や桝を置くから重いとか軽いとか、多いとか少ないとか云ふことが生ずるのだ。相信じ相偽らぬやうにさへすれば、そんな約束はなくて済むと、個人間の道徳を極く微細に穿鑿してこれを公共的又は国際間のものと計較すると大なる衝突を惹起するからして、孔孟の説にまで其反駁を加へるといふこともあるやうに見えます。近頃或る新聞に相互の間に受くれば賄賂となつて罪を被るで、政府から貰ふと忠義となつて讚められると云ふことを論じてあつたが、頗る穿つた論理ではあるが亦以て一考の値があると思ふ。曾て私が仏蘭西に居つた時、教師から教へられた古諺が
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ある、其古諺は仏蘭西語では「ラレイゾンジユプリユホールエツージウルメイヨール」これを訳すと「より強い人の申分は何時も善くなるものである」といふ意味である。先年西南戦争のあつた時に、勝てば官軍負ければ賊よと云ふ唄があつた、「ラレーゾンジユプリユホール」は即ちそれである。併ながら力強き者の説は必ず道理になると云ふことを主張するならば、所謂無理が通つて道理引込むと云ふ俚諺に陥るであらうと思ふ。そこで個人道徳を、極く緻密にすると、或る場合には国際上の道徳と扞格を惹起して来る、故に昔の東洋流の道徳を完全に拡張させようとするならば、個人より進んで国際上の関係にも、之れを及ぼすやうになつて、始めて満足の道徳が行れる、と思ふのであります。今日の欧米人でも、決して道徳を疎外する訳ではなからうと思ふ。けれども、勝てば官軍なるを求むるからして、終に手段を論ぜぬと云ふことになるのが多いやうである。試みに今日亜米利加の大統領の選挙の如き、三つの党派に分れて其競争が激甚である。而も新たに党派を起したルーズベルト氏が、従来力を添へ助を与へたタフト氏に対して、苦言を用ひ、悪声を放ちて攻撃を加へ、以て自党の声援に努めて居ると云ふことは、此程紐育の新聞を見ますると、実に情けない処置であると非難して居る、蓋し東洋流の道徳を重ずる吾々の考では、如何に人傑たるルーズベルト氏でも、此挙動は頗る厭ふべきものであると思ふのである。けれども今の勝てば官軍、負ければ賊、強い者の道理が善くなると云ふ論理から、之を批評したならば、主義の為には手段は論ぜぬ、自分が其位地に立つて政治を施さなければ我主義を貫くことは出来ぬ。自ら立つて政治を施さうと云ふ為には、其径路に於る細瑾は顧みない。最初其説の同じ時には相助けもしたけれども今や説を異にする以上は敵である、敵を攻撃するに何ぞ其方法の正邪を顧るの遑あらむと云ふであらう。是に於て昨日までは同志として助けて居つたものが、今日は仇敵の如くにして互ひに相攻撃すると云ふは真に小人の極である。現に紐育新聞の伝ふるところに依ると、甚しき悪辣なる手段まで弄して居ると論じてある。さまで精しいことは書いてありませぬけれども、新聞の批評によると殆ど見るを厭ふとまで論じてある。私は先年亜米利加に旅行して、ルーズベルト氏に面接し爾来段々其風説を聞きて洵に剛健なる人のやうに思つた。常にトラストを征伐して勉めて弱者を助けるを主義とし、其国政を執ることが至つて公平である。非常な活動的人物たるのみならず、人道を踏みて世に立つ人であると云ふやうに聞いて居つた、先年仏蘭西へ旅行して巴里にて演説した言葉の中に富と権勢を以て社会を圧服する者は甚だ悪むべきものであるけれども、又富と権勢を嫉んで多数の力を以て之を妨害しようと企てる人々は其悪むべき点は同一なものである。故に此等の両者が調和せねば国家の真正なる泰平を致すことは出来ぬと云ふことが新聞に伝へられて、洵に至言であると思うて、私かに賞讚をして居つたのである。ところが今日の競争の有様を見ると左様に敬慕することは出来ぬ、抑も我が道徳の進化したのであるか、又は悖徳の行動として擯斥すべきものであるか、これは篤と考究を要するところで玆に断言することは甚だ難いと思ふのであります。想ふに是等は自己
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の信ずる主義に拠りて、一国の政治を執ると云ふ大なる争から、私共の信ずる道徳に大欠点あるやうにも見えますけれども、更に進んで国際上に付て論ずれば、こう云ふ場合が甚だ多い。総じて国際上の関係になると、道徳と云ふものは口にさへ言ひ得られぬやうになつて、只管自己の利益から打算して、僅かに道理らしく弥縫するに過ぎぬので即ち強い者の申分がいつも善くなると云ふことになる。是に於て完全無欠なる道徳を希望するには、どうしても例のカーネギー氏の企図する真の国際の平和と云ふものが必要になつて来る。出来ることでは或はないかも知らぬけれども、若しも真正なる国際平和が行はるやうになつたならば、始めて東洋道徳、西洋道徳と東西を以て道徳を差別するやうなこと、或は王者の道徳、覇者の道徳と云ふやうな、人に依つて道徳を異にするやうなことは無くなるだらうと思ふのであります。果して此等のことが何時行はれるか、期する訳にはならぬけれども、既に亜米利加のカーネギー氏が国際平和を一の問題として兎に角此世紀に於て其説の起つたと云ふことは、御互に深く之を考慮して、追々に世の中が此処に帰着するやうにしたいものだと思ふのであります。それと是れとは別問題で、特に此場合に於てお話することではないが米国桑港近傍に住居する牛島謹爾といふ人があります。加州で農業を経営して、大に土地の開拓と農産物の増殖に成功致し、立派なる豪農になつて居る。其牛島氏が自分で持つて居る土地及び借地して居る農場の経営と云ふものは頗る広大である。処が頃日、其所有地に一の別荘を造営して巨大の庭園を設けた。而して三島中洲翁の門人である所から、其園に名を命して一の園記を作ることを、遠く中洲翁に寄書して請求された。是に於いて中洲翁は早速筆を執られて、牛島が日本で事業を経営せずに亜米利加で成功したのであるから、其園を名けて別天地園とし、別天地園の記と云ふものを書いてやりました。其文章は別に天地の人間にあらざるありと云ふ、李白の句から取つて、亜米利加の別の天地にさう云ふ広大の園を開いたのだから名けて別天地園といふと云ふ趣意でありました。而して其文章中に、私の説を仮用して此別天地園の説を友人の渋沢に諮つたところが、渋沢は大に之を非難した。なぜならば天の覆ふ所、地の載する所、国が異なるからと云うて差別ある訳のものではない。其区劃を附けると云ふのは人慾の私である。天地から見たならば必ず同一である。例へば玆に広い土地がある。其居住民は少ないけれども、其広い部分を限つて、他人が来て之を開拓し、之に天産を殖すことを妨げると云ふは、実に大なる間違ではないか。畢竟別天地と云ふのは、人慾の私である。天地は必ず別天地なからしめざることを希望するに違ひない。但し此希望は今日互に達する訳にいかぬが、幾歳月の後には遂にさう云ふ時期が来るのであらう、と云ふ説であつた。蓋し此説も前にいふたカーネギー氏の国際平和論が完全に行はれぬと、やはり道徳の大小権衡を得る訳にいかぬから、何時までも別天地園たらざるを得ぬかも知れぬのであつて、如何に私がさう云ふ希望を持つても、今日加州に日本人の移住すると云ふことは天から見たならば大に喜ぶであらうが、天地人三才たる人の方が、今以て道徳の発達がない為に其位地に達せられぬのである、し
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て見ると道徳が段々に進化して、却て不道徳となるの疑を持たねばならぬ。即ちそれは或は進化であると考へもせねばならぬ。更にもう一つ思案して見ると、真に此国家即ち天の覆ふ所、地の載せる所、総て一致したならば、始めて此三千年以前に唱へられた孔孟道徳が、家庭道徳とか個人道徳とか、社会道徳とか国家道徳とか或は国際道徳とか云ふ差別なきに至るであらう。要するに今日までの所では如何に進化しても、未だ社会道徳位に止まつて、それから先は此の道徳に多少の障害を惹き起すと云ふことは免れぬものであります。併し此免れぬと云ふことも亦進化の径路でありとすれば、其進化をして遂に一から十十から百、百から千と、如何に計量しても同じ色同じ主義なる道徳を益々拡大させるやうな世の中にならぬものでは無からう。どうかさう云ふ世の中になるやうにと、お互に希望するのであります。詰り此道徳の進化が何処まで行くものかと云ふことは、なかなか今日一場の談話で尽し得られませぬ。又私の意見も充分定つて居りませぬから、向後諸君と共に大に考究を要することゝ思ひますので、玆に此問題を掲げて諸君の参考に供したのでございます。(拍手)