デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.460-469(DK420093k) ページ画像

大正3年10月25日(1914年)

是ヨリ先、是月十五日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カル。栄一出席シテ教育・宗教ニ関スル意見ヲ述ブ。次イデ是日、当社第五十二回秋季総集会、飛島山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三一八号・第五八―五九頁大正三年一一月 ○竜門社評議員会(DK420093k-0001)
第42巻 p.460-462 ページ画像

竜門雑誌  第三一八号・第五八―五九頁大正三年一一月
    ○竜門社評議員会
本社にては、十月十五日午後五時より、築地精養軒に於て、第十五回評議員会を開きたり。評議員会長阪谷男爵会長席に着きて、先づ「入社希望者諾否の件」を附議したるに、全部原案通り可決し、次で「第五十二回秋季総集会開会の件」は同月二十五日午前十時より、飛鳥山曖依村荘に於て開き、講演は青淵先生及び陸軍歩兵中佐長尾恒吉氏に請ふこと、其他の事項は幹事に取扱を一任する事に決し、是れにて評議員会を終り、別席に於て晩餐の饗応あり、食後青淵先生より、別項記載の如き教育と宗教に関する宿題を提供せられ、之れに対し阪谷男爵・堀越善重郎・八十島親徳・佐々木勇之助・佐々木慎思郎・高根義人の諸君各々所見を開陳し、軈て散会したるは午後十時過なりき、当
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夜の出席者は左の如し。
  青淵先生
    評議員(いろは順)
  石井健吾    井上公二
  堀越善重郎   星野錫
  尾高次郎    田中栄八郎
  高根義人    植村澄三郎
  日下義雄    郷隆三郎
  八十島親徳   男爵阪谷芳郎
  佐々木勇之助  佐々木清麿
  渋沢義一
    前評議員
  服部金太郎   山口荘吉
  山田昌邦    斎藤峰三郎
  渋沢元治    清水釘吉
  清水一雄    佐々木慎思郎
  桃井可雄
    外
  野口弘毅    増田明六
  矢野由次郎
○竜門社評議員会に於ける談話 本社評議員会の次第は別項記載の如くなるが、晩餐後談話室に於て青淵先生の提供せられたる教育・宗教に関する意見の概要を摘記すれば、即ち左の如し。
 自分等が現行教育制度に修正を加へたいと希望して居るのは大体上は三ツの要件で、夫れに附帯したものを加へると五ツ許りになる。
 第一に、最高学府たる大学を修業する迄の年限が長過ぎる、成程極く順番に行けば、満二十四歳で卒業し得ると云ふかは知らぬけれども、其間には落第をするとか或は高等学校に入り損ねるとか、ドウしても三年位遅れるから、数へ歳の二十八にならぬと最高学府を卒業することが出来ぬと云ふ実際である。尤も高等商業学校ならば二十三位で卒はりますけれども、是れは決して最高とは云はれない、自分等の極く大刻みに考へた所では学者は別として、政治なり実業なり実務に就く者には、モウ少し早く卒業出来るやうに制度を改めたい。少くも二年以上短縮したいと云ふのが第一の希望である。
 第二には、官私の学問に余り差別を附け過ぎるやうな傾きがありはせぬか、例えば徴兵令の制度の如き、又は学位の授方の如きは、即ち夫れである。或は官に属する者と私に属する者とは、学問の程度が違ふと云ふか知らぬけれども、斯くては学問を独立せしむる上に障害となる虞れがありはせぬか。故に官私の別をモツト減ずるやうに直し得るものならば直したい。
 第三には、現今の小学教育は智育に偏する傾向がある。モウ少し精神教育を遣りたいものである。就ては成るべく良教員を選択せねばならぬが、之に就て何とか良方法があるまいかと云ふのが、私の持論である。次に自分が今晩お集りの方々は極く内輪の方許りですか
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ら意見を承つて見たいと思ふのは、予て御承知でもあらうが、帰一協会と云ふものがある。蓋し是れは誠に漠然たるもので、何時まで論じても世界の端を見るやうなもので、百年論じても論が尽きぬかも知れぬけれども、併し自分等は折角論難研究しつゝあるのであります。一是二非、敢て討論と云ふ程ではないが、当月の七日にも大勢寄合つて代る代る論じたが、益々出でゝ益々紛糾するやうな有様になつて居る。其根本問題はかう云ふ論である。今日の教育に宗教的意念を加ふるを是とするや否や、或は宗教と教育とは全く引離さなければならぬものであるかと云ふのが研究の要点であります。之れに就て皆さんのお説を伺つて置きたいと思ふ。
 小学教育にモウ少し精神的教育をするが宜いと云ふことに就ては、自分の考へでは一種の名誉校長を置くが宜いではないか。夫れこそ滝ノ川に置くとすれば、私が名誉校長にならうし、他の地方でも其土地で徳望あり信用ある人を見立てられんことはなささうなものである。さうすれば費用を掛けずに、一種の徳育を為し得られるやうになるであらうと思ふ。


竜門雑誌 第三一八号・第五九―六三頁大正三年一一月 ○竜門社総集会(DK420093k-0002)
第42巻 p.462-466 ページ画像

竜門雑誌  第三一八号・第五九―六三頁大正三年一一月
    ○竜門社総集会
竜門社にては、十月十五日午前十二時より、飛鳥曖山依村荘に於て、第五十二回秋季総集会を開きたり、当日は秋晴れの好日和とて、来会者は殆ど五百名に達し、近来稀有の盛況を呈せり、軈て定刻に到るや幹事八十島親徳君、評議員会長阪谷男爵に代りて開会の辞を述べ、次いで講演会に移り、陸軍省副官陸軍歩兵中佐長尾恒吉氏の「欧洲戦争に就て」と題する二時間余に亘る時節柄趣味多き講演あり、最後に青淵先生の宗教帰一に就ての講演ありて会を閉ぢ、園遊会に移り、生麦酒・煮込燗酒・天麩羅・蕎麦・寿司・団子・甘酒等の摸擬店に己がじし集ひて、旧を談じ新を語りて、興味尽くるを知らず、又此方の余興場には柴田富春の敷島節、丸一一座の太神楽あり、各々歓を尽して帰途に就きたるは午後四時前後なりき、当日特に会費中へ金品を寄贈せられたる各位の芳名を録して、謹で厚意を深謝す。
    金品寄贈芳名
 一金参百円        青淵先生
 一金五拾円        第一銀行
 一金参拾五円       綱町渋沢家
 一金弐拾五円       東京印刷会社
 一金弐拾円        穂積陳重君
 一金弐拾円        男爵阪谷芳郎君
 一金拾五円        佐々木勇之助君
 一金拾五円        東洋生命保険会社
 一金拾円         堀越善重郎君
 一金拾円         朝鮮興業会社
 一金拾円         神田鐳蔵君
 一金拾円         小池国三君
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 一金拾円         浅野総一郎君
 一金拾円         白石元治郎君
 一金拾円         平田初熊君
 一金五円         星野錫君
 一金五円         尾高幸五郎君
 一生ビール百五十リーター
 一ミユンヘンビール四打
 一リボン印シトロン四打
 一リボン印ラスベリー四打 大日本麦酒株式会社
    △来会者氏名
一名誉会員
 青淵先生
一来賓
 長尾恒吉君
一特別会員
 石井健吾君    石川範三君    伊藤新作君
 今井又治郎君   池本純吉君    井上公二君
 岩崎寅作君    池田嘉吉君    石川道正君
 萩原源太郎君   原田貞之介君   原胤昭君
 萩原久徴君    西野恵之助君   二宮行雄君
 西田敬止君    堀越善重郎君   堀江伝三郎君
 堀井卯之助君   穂積陳重君    堀田金四郎君
 鳥羽幸太郎君   土肥修策君    豊田春雄君
 沼崎彦太郎君   沼間敏郎君    大橋新太郎君
 小川鉄五郎君   大沢省三君    尾高次郎吉
 尾川友輔君    大倉喜三郎君   大原春次郎君
 尾高幸五郎君   大友幸助君    渡辺得男君
 脇田勇君     川田鉄弥君    川上賢三君
 川村徳行君    神谷義雄君    神谷十松君
 神田鐳蔵君    柏原与次郎君   吉岡新五郎君
 横山徳次郎君   田中太郎君    田中楳吉君
 田中徳義君    田辺淳吉君    田辺為三郎君
 高橋波太郎君   高橋金四郎君   高根義人君
 田中忠義君    曾和嘉一郎君   早乙女昱太郎君
 坪谷善四郎君   成瀬隆蔵君    仲田慶三郎君
 永井岩吉君    長滝武司君    武藤忠義君
 村井義寛君    村上豊作君    植村澄三郎君
 内山吉五郎君   上原豊吉君    上野金太郎君
 野口半之助君   野口弘毅君    倉沢粂田君
 久万俊泰君    日下義雄君    八十島親徳君
 矢野由次郎君   山中譲三君    山中善平君
 矢島俊吉君    八十島樹次郎君  矢野義弓君
 山下亀三郎君   山口荘吉君    山本徳尚君
 増田明六君    松本常三郎君   前原厳太郎君
 - 第42巻 p.464 -ページ画像 
 福島甲子三君   古橋久三君    藤山雷太君
 古田中正彦君   小林武次郎君   小橋宗之助君
 小池国三君    古仁所豊君    手塚猛昌君
 阿部吾市君    赤羽克己君    男爵阪谷芳郎君
 佐々木慎思郎君  佐々木勇之助君  佐々木清麿君
 笹沢仙左衛門君  佐々木和亮君   佐々木修二郎君
 阪谷希一君    斎藤章達君    木本倉二君
 吉川宗充君    木村喜三郎君   湯浅徳次郎君
 白岩竜平君    白石甚兵衛君   清水釘吉君
 清水一雄君    渋沢義一君    清水揚之助君
 下野直太郎君   渋沢元治君    白石元治郎君
 渋沢武之助君   渋沢治太郎君   平岡利三郎君
 平田初熊君    肥田英一君    弘岡幸作君
 平沢道次君    桃井可雄君    諸井時三郎君
 諸井恒平君    諸井六郎君    持田巽君
 諸井四郎君    関直之君     関誠之君
 鈴木金平君    鈴木清蔵君    鈴木善助君
 鈴木紋二郎君
一通常会員
 石井与四郎君   石井禎司君    石田豊太郎君
 石川政次郎君   井出敏夫君    井田善之助君
 市石桂城君    伊藤英夫君    伊知地剛君
 伊藤義太郎君   猪飼正雄君    家城広助君
 伊沢鉦太郎君   岩本寅治君    板野吉太郎君
 石田誠一君    市川廉君     磯野孝太郎君
 萩原英一君    林輿子君     橋爪新八郎君
 林広太郎君    伴五百彦君    長谷川粂蔵君
 馬場録二君    秦虎四郎君    西正名君
 堀井宗一君    堀家照躬君    友田政五郎君
 友野茂三郎君   東郷一気君    富永直三郎君
 豊田伝次郎君   都丸隆君     千葉重太郎君
 大畑敏太郎君   大島勝次郎君   大竹栄君
 大井幾太郎君   太田資順君    小熊又雄君
 岡原金蔵君    落合太一郎君   大木竹次君
 大島正雄君    大原万寿雄君   奥州蔵太郎君
 小田島時之助君  尾上登太郎君   小倉槌之助君
 小沢清君     岡本謙一郎君   脇谷寛君
 和田勝太郎君   河村桃三君    河崎覚太郎君
 川西庸也君    金沢求也君    金井二郎君
 笠原厚吉君    笠間広蔵君    加藤雄良君
 上倉勘太郎君   金古重次郎君   上条憲治君
 唐崎泰助君    兼子保蔵君    金沢弘君
 鹿沼良三君    金子四郎君    吉岡鉱太郎君
 吉岡仁助君    横田半七君    横尾芳次郎君
 - 第42巻 p.465 -ページ画像 
 吉岡慎一郎君   田淵団蔵君    田中一造君
 田村叙郎君    田島昌次君    竹島憲君
 武沢与四郎君   竹内一太郎君   高山仲助君
 俵田勝彦君    高橋耕三郎君   高橋森蔵君
 高橋毅君     高木岩松君    高橋俊太郎君
 高田利吉君    武笠政右衛門君  玉江素義君
 竹下虎之助君   只木進君     田子与作君
 高橋静次郎君   田川季彦君    武田研一君
 蔦岡正雄君    塚本孝二郎君   成田喜次君
 長野貞次郎君   中村習之君    滑川庄次郎君
 長井喜平君    内藤種太郎君   中西善次郎君
 村山革太郎君   村木善太郎君   村松秀太郎君
 村田繁雄君    村井盛次郎君   生方祐之君
 梅田直蔵君    氏家久夫君    鵜沢真利君
 梅津信夫君    上田彦次郎君   梅村正太郎君
 上野政雄君    内海盛重君    野村鍈太郎君
 野村喜一君    黒沢源七君    栗生寿一郎君
 久保幾次郎君   熊沢秀太郎君   久保田録太郎君
 桑山与三男君   山田仙三君    山口虎之助君
 山村米次郎君   山本鶴松君    山下三郎君
 山内篤君     矢崎邦次君    柳能吉君
 安井千吉君    山崎栄之助君   松村五三郎君
 松本幾次郎君   松園忠雄君    町田乙彦君
 松井方利君    増原周次郎君   松村繁太郎君
 松村修一郎君   福島元朗君    福本寛君
 福田盛作君    藤木男梢君    福島三郎四郎君
 小林市太郎君   小林梅太郎君   小森豊参君
 小林茂一郎君   小島順三郎君   小山半造君
 小島鍵三郎君   小林清三君    河野間瀬治君
 後久泰次郎君   小林武之助君   小平省三君
 近藤良顕君    古作勝之助君   江山章次君
 江間万里君    遠藤正朝君    江口百太郎君
 足立芳五郎君   明楽辰吉君    青田敏君
 浅見悦三君    浅見録三君    阿部久三郎君
 荒川虎男君    秋元淳之助君   秋元章吉君
 赤萩誠君     阪本鉄之助君   桜井武夫君
 斎田銓之助君   斎藤亀之丞君   坂田耐二君
 佐藤正義君    沢隆君      佐々木哲亮君
 猿渡栄治君    木之本又市郎君  木村益之助君
 木村弘蔵君    木村金太郎君   北脇友吉君
 岸本良二君    木村称七君    木村亀作君
 行岡宇多之助君  宮谷直方君    三上初太郎君
 箕輪剛君     御崎教一君    南塚正一君
 三宅勇輔君    宮川敬三君    品川瀞君
 - 第42巻 p.466 -ページ画像 
 新庄正男君    東海林吉次君   柴田房吉君
 塩川薫君     下条悌三郎君   篠塚宗吉君
 白石喜太郎君   渋沢長康君    下川芳太郎君
 島田延太郎君   清水松之助君   塩川誠一郎君
 渋沢秀雄君    平井伝吉君    平岡五郎君
 元山松蔵君    森由次郎君    森谷松蔵君
 門馬政人君    関口児玉之助君  鈴木房明君
 鈴木順一君    住吉慎次郎君   椙山貞一君
 鈴木勝君     鈴木豊吉君    杉山新君
 周布省三君    鈴木源次君    鈴木正寿君
 須田武雄君


竜門雑誌 第三二〇号・第一四―一八頁大正四年一月 ○竜門社秋季総集会に於て 青淵先生(DK420093k-0003)
第42巻 p.466-469 ページ画像

竜門雑誌  第三二〇号・第一四―一八頁大正四年一月
    ○竜門社秋季総集会に於て
                      青淵先生
  本篇は、昨年十月廿五日飛鳥山曖依村荘に於て開かれたる本社秋季総集会講演会に於ける、青淵先生の講演なりとす(編者識)
 秋季の総会に多数の諸君に御目に懸ることを愉快に思ひます、例に依て私も一言述べますが、時間が少なうございますから、成るべく切詰めて御話をすることに致します、今日は欧羅巴の戦乱に就て詳しい御話を伺ひたいと云ふ希望から、長尾君に臨場を請うて、諸君と共に南北両方面の戦況を拝聴しましたが、私は欧羅巴の地理に暗きものですから、伺ひつゝも其地名などは殆ど耳に残らぬのを遺憾としますけれども、抑も戦の発端から、動員の手続、戦場の地勢、両方面の戦況と順を逐うて詳しく御指示なされ、又両方面に於る聯合軍・露国軍及独逸・墺地利の軍容に就て、原因は此処である、注意は此点であるといふ事まで、詳細に御説明下されたのは、諸君と共に深く悦び、長尾君に対して厚く感謝致さなければなりませぬ、吾々商工業者は、常に平和を希望致しますけれども、併し世の中に斯かる事変の起るのは、自から求めぬでも免れ得ぬものでありますから、事ある時のみならず平素に注意をせねばなりませぬが、殊更斯かる戦乱に対しては、能く其実況を詳知して、深く自から戒めねばなるまいと思ひます。
 私が玆に述べたいと思ふ事は、左様な軍事的の御話でなく、方面違ひの実業者のみならず、総じて人として斯く有るべきものであらうかと、平常心に思ふて居つたことを開陳して、諸君の御参考に供へて置くのであります、私共の発起で昨年から東京に組立られた帰一協会と云ふものがある、是は近来思想界が混乱して居るといふ説も多く、事実に於てもさう云ふ有様が見える、而して人は其徳義心を唯論理上に於て了知して居つて宜いか、特に一の宗教心を抱持して初めて道徳と云ふものが堅固になり得るものであるが、西洋の哲学にしても余程研究を要すべきものである、而して現在の日本の宗教を見ると、先づ第一に国教といふべき神道が在る、又古来より移入せし儒道が在る、仏法が在る、近頃は耶蘇教も在る、此四教の宗派が又沢山分れて居るから、殆ど適従する所に迷ふやうである、此他に淫祠・邪説・迷信とも
 - 第42巻 p.467 -ページ画像 
云ふべきものが多々見えます、斯の如き有様では、道徳心を堅固にすべき宗教信念が必要であると云ふても、孰れに依るべきものであらうか、其定め方も難かしい、基督教者は耶蘇教が最高の宗教であると言ふだらう、儒教も仏教も皆自説を主張する、それを綜合調和して一に帰せしむる事は出来ぬものであらうか、といふ考案からして、帰一協会といふものを組織して、研究しつゝあるのであります、故に其会員には、神道・儒道・耶蘇・仏教、果してさう云ふ専門的の学者でなくても、吾々実業家も加つて、毎月集会して相当の問題に就て頻りに評論をして居る、此帰一協会に私が三・四ケ月前に一の問題を提出して置いたが、今日は其事に就て玆に一場の御話をして見やうと思ふのであります、二・三提出しました問題中の一が、道徳といふものは他の理学化学のやうに段々進化して行くものであるか、詰り道徳は文明に従つて進化すべきものであるかと云ふのであります、一寸了解し難い言葉であるけれども、前にも言ふ如く宗教信念を以て道徳を堅固にするが宜いか、さなくとも論理の上から徳義心は維持出来るものであると云ふやうに、追々其解釈が進化し来りはせぬか、蓋し道徳といふ文字は、支那古代の唐虞の世より王者の道といひ、王者の徳といふのが即ち道徳の語原である、故に道徳といふ文字は余程古い、もしもダーヴインの説に拠りて、古いものは自然に進化すべしと言はゞ、科学の発明、生物の進化に伴つて追々に変更するといふことになつて然るべき訳ではないか、但し進化論は多く生物に就て説明したやうでありますけれども、研究に研究を重ねて往つたならば、生物でなくても追々推移変更するものではないか、変るといふよりは寧ろ進み行く有様がありはせぬか、何時頃の教であるか知らぬが、支那で唱へる二十四孝は種々なる孝行の例を二十四挙げてある、其中に最も笑ふべきは、郭巨と云ふ人が其身貧にして親を養ふ資財なく、為に我児を生埋にしやうと思つて土を掘つたら釜が出た、其釜の中に多くの黄金があつたので、我児を生埋にせずとも親を養ふことが出来た、即ち孝の徳であると云ふて居る、若し今の世の中で、親孝行の為めに我児を生埋にすると云ふたならば、馬鹿な事をする困つたものだと人が評するに相違ない、即ち孝の一事にしても、世の進歩に連れて人の毀誉が異ると云つても宜いと思ふ、更に一の例を言へば、王祥が親を養ひたい為に鯉魚を捕ふるとて、裸体になつて氷の上に寝て居つたら、鯉が飛出したと云ふ事がある、是は戯作かも知らぬが、若し事実としたならば、如何に孝道なればとて其心の神的に感ずる前に、身体が凍死したならば、却て孝道に反するであらう、想ふに二十四孝の教旨の如きは、仮設のものにて、的例にはなり難きも、善事といふことに就ては、見方が世の進歩と共に色々に変はると云ふことがありはせぬか、若し或る物質に就て考へたら、即ち電気もなく蒸汽もなかつた時のことを、今日から回想して、殆んど並べ較べにならぬやうになる、故に道徳と云ふものも、左様にまで変化するものであれば、昔の道徳と云ふものは余りに尊重すべき価値はなくなるが、併し今日理化学が如何に進歩して、物質的の智識が増進して行くにもせよ、仁義とか道徳とか云ふものは独り東洋人が左様に観念して居る許りではなく、西洋でも数千年前か
 - 第42巻 p.468 -ページ画像 
らの学者、もしくは聖賢とも称すべき人々の所論が、余り変化をして居らぬやうに見える、果して然らば、古聖人の説いた道徳と云ふものは、科学の進歩に依て事物の変化する如くに変化すべきものではなからうと思ふのであります、而して其進化推移の有様が、如何なる程度に動いて行くかと云ふことを攻究して見たいと、乃ち一の問題として帰一協会に提出したのであります、頃日穂積博士が八十島氏の嬰児に命名するに、道徳進化論が記載してあつた、初は父子の関係から孝を論じ、君臣の関係から忠を論じ、一歩進んでは社会の関係から信を論ずる、即ち是が道徳の進化であると、斯う云ふ順序に孝・忠・信を比較論究して、詰り此子には信と云ふ字を以て名付けたと云ふてあつた是は博士の一学説として述べられたので、果してそれが道徳進化の階段であるか知れぬが、道徳と云ふものが他の生物と共に、時代の経過に随て進化して行くものであるかと云ふことは、大に疑問である、そこで私が更に考へて見ると、道徳と云ふものを完全に発展せしむるには、曾て露西亜帝が提案せられ、其後米国のカーネギー氏の主張する真成の平和と云ふものが、国際間に行はれるやうにならなければ、道徳の完備は期せられないと思ふ、蓋し国と国との関係になると、自然と不道徳たらざるを得ぬのである、他国に取られてはならぬ、自国の利益を謀らなければならぬ、斯る念慮を以て国際間の事を処理するに於ては、如何に道徳を守らうとしても、孔孟の説のやうには保持し得られぬ。想ふに個人間又は国内の相互に在つては、自己の知識と勉強とを以て、人に勝つことを求むるとて決して不道徳とは言ぬ、例へば銀行業に在つても、自己の銀行の信用が他よりも厚いやうに思はせたいと努力するは、当然の務である、独り銀行許りでなく、各種の業体が、相共に自己の繁昌を望むことは如何に望むとも、決して人を妨害するとか、圧迫すると云ふことは決してない、然るに国と国との間になると、大にこれと異るのである、例へば英吉利が彼の利権を獲得する、亜米利加が此の利益を妨害すると云ふことがあれば、遂に国際上に相軋る事になる、此に至ると道徳といふ観念は殆ど薄くなるやうに思ふ、故に真成に道徳の完全を改むるには、所謂平和主義が満足に行はれるより外、望み得られぬものではないかと考へられるのであります、殊に前席にて長尾君から伺ました欧洲戦乱の起つた原因は、スラヴ人種とゼルマン人種との争もありましたらうが、是は其名にして実を云ふと、独逸皇帝が、今日の英吉利が世界に於ける経済上の全権を占めて、金融界の総支配をするが如き有様を快く思はぬで、折もあらば我が取つて代らうと云ふ考から、斯の如き大戦乱を起したと云ふても、敢て過言ではなからうと思ふ、若し之を道徳論から見たならば、即ち大学に所謂一人貪戻なれば一国乱を作す、独逸皇帝御一人の考から、全欧洲に斯の如き禍乱を起したと申しても、誣言にはなるまいと思ふのでございます、是を以て、道徳心といふものは何千年経つても何れの国に在つても、甚だ必要なるものである、斯く考へて見ると、道徳といふものは何処までも維持して行かなければならぬと思ふ、私は前に述べた道徳論からして、独逸皇帝のなされ方を徹頭徹尾敬服致さぬけれども、もしも此暴戻に五大洲を挙げて服従するやうになつた
 - 第42巻 p.469 -ページ画像 
ならば、是ぞ即ち独逸皇帝一家の道徳であつて、孔孟の教へた道徳は全く滅却するのである、斯の如くして、個人間の道徳も、勝てば官軍負くれば賊と云ふやうになつたならば、それこそ道徳は皆無となるから、私はどうしても此世の中に許すべきものでは無いと思ふ、果して許すべきものでないとすれば、即ち道徳壊乱者は、如何に皇帝たる御方であつても道徳の罪人と申上げる外なからう、目下道徳の進化に就て、帰一協会に於て頻りに攻究しつゝありますが、此道徳の普及に就ては、国際上に於て差支へるやうな観念が起りますから、私は斯く思ふて居るといふことを、諸君の御参考に供したのであります(拍手)