デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.523-533(DK420098k) ページ画像

大正5年4月17日(1916年)

是日、帝国ホテルニ於テ当社評議員会開カレ、栄一出席ス。右評議員会終了後、当社評議員及ビ有志ニヨル聯合国経済会議特派委員長阪谷芳郎ノ渡欧送別会開カル。栄一送別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三三五号・第六五―六六頁 大正五年四月 ○竜門社評議員会(DK420098k-0001)
第42巻 p.523-524 ページ画像

竜門雑誌  第三三五号・第六五―六六頁 大正五年四月
    ○竜門社評議員会
竜門社に於ては四月十七日午後五時より帝国ホテルに於て評議員会を開きたり。出席者は左の如し。
                       (イロハ順)
 井上公二    石井健吾    堀越善重郎
 土岐僙     尾高次郎    田中栄八郎
 竹山純平    植村澄三郎   上原豊吉
 八十島親徳   西園寺亀次郎  阪谷男爵
 佐々木勇之助  渋沢義一    清水釘吉
軈て評議員会長阪谷男爵会長席に着きて開会を宜し、八十島幹事より左記議案を提出せられ順次附議せらる。
    議案
 一 前年度会計報告
 二 入社申込者諾否決定の件及通常会員中より特別会員推薦の件
 三 第五十五回春季総集会開会に関する件
 四 青淵先生七十七寿祝賀の為め論語年譜編纂の件
 五 阪谷評議員会長不在中の代理者選定の件
第一・第二・第三、第四諸案は満場一致を以て原案通り可決し、第五議案は佐々木勇之助氏を選定することに是れ又全員一致を以て可決し直に閉会せられたり。
次に別室に於て聯合国経済会議特派委員長として、五月一日出発渡仏の筈なる本社評議員会長阪谷男爵の送別を兼ね、評議員並に有志会員の晩餐会に移る、デザートコースに入るや、佐々木勇之助君は出席者を代表して送別の辞を述べ、之れに対して阪谷男爵の挨拶あり、最後に青淵先生より打解けたる送別辞ありて宴を撤し、散会せるは午後九時過なりき。当夜の出席者は左の如し。
 青淵先生
                    (現評議員イロハ順)
 阪谷男爵
 井上公二   石井健吾    堀越善重郎
 土岐僙    尾高次郎    田中栄八郎
 竹山純平   植村澄三郎   上原豊吉
 八十島親徳  西園寺亀次郎  佐々木勇之助
 - 第42巻 p.524 -ページ画像 
 渋沢義一   清水釘吉
                 (前評議員イロハ順)
 服部金太郎  高根義人    山田昌邦
 斎藤峰三郎  佐々木清麿   渋沢元治
 清水一雄   佐々木慎思郎  桃井可雄
 諸井恒平   土肥脩策
                 (会員イロハ順)
 利倉久吉    大沢省三   渡辺嘉一
 脇田勇     柿沼谷蔵   吉田節太郎
 竹田政智    滝沢吉三郎  曾和嘉一郎
 角田真平    成瀬隆蔵   中井三之助
 中川知一    内田徳郎   野口弘毅
 八十島樹次郎  矢野由次郎  山下亀三郎
 増田明六    藤村義苗   浅野泰次郎
 桜田助作    木下英太郎  白石元治郎
 平田初熊    諸井時三郎  諸井四郎
 森下岩楠    鈴木紋次郎


竜門雑誌 第三四〇号・第二六―二九頁 大正五年九月 ○阪谷男爵送別会に於て 青淵先生(DK420098k-0002)
第42巻 p.524-526 ページ画像

竜門雑誌  第三四〇号・第二六―二九頁 大正五年九月
    ○阪谷男爵送別会に於て
                      青淵先生
  本編は、本社有志会員が四月十七日、聯合国経済会議特派委員長阪谷男爵の為めに、帝国ホテルに於て送別会を開ける際、青淵先生の述べられたる送別辞なりとす(編者識)
 諸君、今夕の送別会に、私も此処に出席するを得たるを深く喜びます。春から少し健康を損じて、引籠つて居りました為めに、今夕お集りの中には、久しくお目に掛らぬ方が多いやうに思ひます。竜門社の有志諸君が、阪谷男爵の今度の旅行を送ると云ふことは、洵に善いお企で、只今其の趣意を座長からお述べになりましたが、今回の御用の趣意は、余程広大な事柄で、殆ど未曾有の事件では御座いますから、此の事は斯くあらう、此の措置は斯様になるであらうと云ふことは、仮令如何なる聡明の人でも、玆に悉く察知し切れぬであらうと思ひます。併し将来由つて生ずる関係が、大凡そ斯くならうと云ふことに就て、只今阪谷男爵から縷々述べられた事は、私共は其処までは想ひを持ちませなんだ。承つて始めて成程さう云ふ順序にしたら、幾分か要領を得るであらうと、想ひを生じたと云ふ位で、どう云ふ事が会議の問題となるか、又どう云ふのが使命の趣意であるか、結果は何処に帰着するか、唯聯合経済会議に行くと云ふ読んで字の如くであるが、一体どうするのであらうかと云ふやうな、平たく申すと疑ひを持つて居つたので御座います。
 私が此の事柄を略々耳にしましたのは、先月の初め頃で、阪谷氏も其の候補者の一人なりとの内示があつたと、病中ながら承つた。其の時には随分迷惑の事と思うて、マアマア当り近所に事なかれ、外に行く者がないでもあるまい。お前の為に決して利益ある御用ではないぞ
 - 第42巻 p.525 -ページ画像 
年寄の冷水とは言はぬが、成るべく御免を蒙るが宜い、と云ふと、去年老人が亜米利加へ行つたのはどうかと謂はれると困るが、夫れこそ年寄の冷水である……阪谷は未だ、夫程年を取つて居らぬから、冷水を飲まずに暖い水でも飲むが宜い、とは云ふものゝ退いて考へて見ると、今度の使命を帯びて行く者が所謂猫に小判と云ふやうな人でも困る。第一諸外国の経済事情、内国の財政経済予算と云ふのはどう云ふものか、特別会計と云ふのはどう云ふものか、といふ事を些つとも知らぬ者でも困る。国債と云ふもの、関税と云ふもの、あれも知り此れも知ると云ふ者は容易にあるものでない、斯く考へると大任である、已むを得ぬ時は一ト奮発するが宜い。併し外に適当の人があつたら、成丈けこれに譲るが宜からう、前申す通りマア冷水を飲まぬ方が宜いと思ふと談話をしたのは、先月十二・三日頃で、夫れから今日に及んだ訳である。私は送る方の人として、御身に適当なる任務である、充分にお遣りなさいと賞讚してお勧めするのが、送別の趣意か知らぬが一方から考へると、重大な事柄であるから、徒らに褒め言葉を申すことは致したくないので御座います。
 只今阪谷氏の謂はれた通り、今度の任務を果たすに就ては、内外相応援すると云ふことは必要である。夫れに就て、維新の際薩長の人と他藩の人とに就ての比喩があつた。長州人と薩摩人は、恰も彼の石垣の小なる面が先きに出て居つて、大なる方が後になつて居る。詰り根入りが深いから、従つて石垣が容易に壊れない。然るに他藩の人は夫れと反対に、大面の方が外に出て居つて後が小いし、根入りがないのであるから、動くと直ぐに揺ぎ出して了ふ。世の中の仕事も亦た然りで、根拠の堅いと根拠の堅くないのと、相違は其処に在るといふことがある。阪谷氏の今度の御用に就ても、使命を帯びて出る人の智恵のみでなくて、世間の衆智を集めるのが肝要だ、即ち石垣の石の角が先きに出るやうな形にしたいと云ふのは、至極尤の事と思ふ。孰れ他にも平面が出来ませうが、此の竜門社のお集りの方々を見ると、種々なる方面に区別されて居る、銀行者もあれば工業者もあり、商売人もあれば運送業者もある。斯様に多方面から成立つて居る竜門社からして斯う云ふ使命を帯びる人が出ると云ふことは、啻に阪谷氏自身の誉れであるのみならず、蓋し竜門社総体の誉れである。或は竜門社が之を出したと申しても、過言でないかも知れない。又さう云ふたからとて阪谷氏に対して決して失礼ではないかと思ふ。即ち我々の名誉であると同時に、我々同志が成べく材料を供して、其の目的を達し得る方法を与へると云ふことは、お互ひの務めであると思ふ。此の聯合経済会議と云ふものは、どう云ふ事になりますか分らぬけれども、今阪谷氏の言はれる通り、成るべく各方面の事柄を聞き、其の望みに対して、努めて見たいとのことでありますが、多数の注文には、或は反対のものがないとも謂はれない。氷水と暖炉と一緒に欲しいと云ふことは、中々六ケしい。聯合軍が勝ち終ふせる程度に於て、成べく此の戦争を長からしめたいと云ふやうな注文もあるかも知れない。阪谷氏にして斯る異様の注文を全からしめやうと云ふことは望みませぬが、併し我我竜門社の名誉であると云ふ以上は、阪谷氏をして充分に其の任務を
 - 第42巻 p.526 -ページ画像 
完備せしむるやうな注意を与へたいと思ひます。実に今日の如き時勢に出遇うて、親戚の人が、斯る任務を帯びて、海外行をするを送る抔といふ事は夢にも思はなかつた。年を取つた為めに、斯う云ふ事柄に出遇ふかと思へば、取るべきものは年であると云ひたい。先年亜米利加のジヨルダン氏から、文明が進んで来れば来る程戦争がなくなると云ふ説を聞いた。又露西亜の皇帝は平和会議を云ひ出した主唱者である。又露国のブルームと云ふ人の著はした戦争と経済と云ふ書物を読んだが、夫れにも世の中が進むと段々戦争が出来ぬやうになると云ふ趣意が書いてあつた。私が其の書物を読んだのは明治三十八年であつた。故に戦争と云ふものは、実に恐るべきものと思ふた。所が今度の如き何年続くか知れぬと云ふ、大戦争が始まつて居るのを見ると、文明が進んだからとて必ずしも戦争がないとは云はれぬ、どれ位の程度で終熄するか知れぬけれども、今申す如き任務を以て、日本から聯合経済会議に出席すると云ふ様なる事柄は、洵に意外千万である。殊に我竜門社から其人が出たと云ふことは更に意外で、諸君と与に阪谷氏の使命をして是非完成させたいと祈るのであります。


竜門雑誌 第三三六号・第七一―八〇頁 大正五年五月 竜門社有志の催にかゝる阪谷男爵送別会に於ける演説(DK420098k-0003)
第42巻 p.526-533 ページ画像

竜門雑誌  第三三六号・第七一―八〇頁 大正五年五月
  竜門社有志の催にかゝる阪谷男爵送別会に於ける演説
      玆に掲ぐるものは、聯合国経済会議特派委員長として渡欧せらるゝ本社評議員会長阪谷男爵を、本社有志会員が四月十七日午後七時より、帝国ホテルに招待して送別会を開きたる際、本社評議員佐々本勇之助君の乾盃辞、並に阪谷男爵の答辞なりとす(編者識)
    ○乾盃辞              佐々木勇之助
阪谷男爵閣下、青淵先生、諸君、私は評議員の一人として阪谷男爵閣下に一言申上げます。今日竜門社の評議員会を開くに当りまして、今回竜門社の評員会長たる阪谷男爵閣下が仏蘭西に開催せらるゝ聯合国経済会議の委員長として、御列席の為めに近々御出発に相成ると云ふことで御坐いますから、阪谷男爵閣下に御送別の意を表し度い存じまして、新旧評議員は勿論、竜門社の主なる人々に御通知致しました所が、斯く多数の会員諸君が御出席下さいまして、斯くの如く賑かになりましたのは、私共評議員の喜びます所で御坐います。阪谷男爵閣下に於かせられましても、嘸御満足の事と思ひます、殊に此間中から御病後御静養旁々湯河原へ御転地に相成られました青淵先生が、昨日御帰京に成りまして、此席に御臨席下さいましたのは、我々会員一同の深く感謝する所で御坐います。扨て阪谷男爵閣下、今回の御使命は我我が考へましても、実に重大なる事柄で御坐いまして、此の経済会議と云ふものは、如何なる事を議せられますか、予め知ることは出来ませぬが、此会議の結果に依りましては、我国の商業其他に大なる関係を及ぼすことであらうと存じます。就きましては、此会に御出席なさる方は、最も我国の経済及財政事情に通暁せられて居る御方の御出になることが、最も必要と考へて居りました。然るに日露戦争当時に於きましては、戦時中財政経営の任に当られ、引続き戦後経営の事に付
 - 第42巻 p.527 -ページ画像 
て凡ての施設を為されました阪谷男爵、今日日本の商工業の非常に発達致しましたのも、余程其当時の御施設に依ることが多いと考へて居ります。斯の如き経験を有せられ、斯の如き智識を有せらるゝ、阪谷男爵閣下が、此任命を御請けになつたと云ふことは、私共の深く喜ぶと同時に、大いに意を強うする所で御坐います。
 然しながら目下御出になります先きは、戦争中であります。其交戦国を経て御出でになります事でありますから、御旅行其他御不便の事も多からうと存じます。然るに此御重任を御引受になりまして、御出でになると云ふことは、実に国家の為めに大なる御忠節を御尽しになる次第と、深く感謝する所で御坐いまして、私は甚だ不束で、思ふ所の十分の一も申上げる事が出来ませぬが、只男爵閣下の非常なる御苦労を諸君と与に感謝致したいと思ひます。依て玆に御道中御健康にいらつしやいます様、皆様と与に盃を挙げて、此御旅行を祝したいと存じます(起立乾盃)
    ○答辞
                   男爵阪谷芳郎
 閣下並に諸君、今日は竜門社の社員諸君が、私の此度巴里に於ける聯合国経済会議に出張致しますに就きまして、送別の宴を開かれ、御鄭重に且つ御多用の処、斯く多人数お集まりの上、只今諸君を代表して佐々木君より、御懇切なる御挨拶を下さいましたのを、深く感謝致します。
 此度の戦争に限りませず、此世界の戦争は、昔のやうに単に名誉を争ふとか、政権を争ふとか云ふことを離れて、経済を争ふと云ふことになつて参りました、昔は単に帝王の即位を争ふとか、甚だしきは美人を女房に寄越さぬからと云つて、戦争になつた例もあると存じますさう云ふ訳で、余程戦争の目的が変つて参りました、或る意味に於ては、経済の発達は国と国との親密を増すもので、之れが戦争の原因を大いに軽減したとも学者は論じて居ります、不幸にして此度は世界あつて以来の大戦争、而かも其目的は経済に在りと云ふ、実に此度の戦争の規模の大なること、世界中挙つて此の戦闘に加入して居ると云ふことは、歴史あつて以来夢にも想像にも浮ばぬ程の事で御座います、随つて世界の権力の平均と云ひ、又経済上の関係と云ふものが、戦後には更に大なる変化を来たすと云ふことは免かれませぬ、各国各々戦後の経営に就ては、充分に考慮して適当の措置を取らねばならぬことと存じます。
 戦争は勿論、武力と経済との二つの争ひでありますが、今度の戦争の様子を見ると、独逸側は段々武力を以て成功して居り、聯合国側は経済を以て成功して居るやうで御座います、此の結局は孰れが勝つか負けるか分りませぬが、聯合国側に於ては、経済の力が勝つて居るから、必ず終局の勝利を得られると確信して居るやうであります、我日本も聯合国の一で御座いますから、其の予想通りに参らぬければ、今後直接に其影響を被る訳でありますから、結局の勝利の疑ひない事を御同様に望みまする。
 夫れに就きまして、此度の会議は、私が日本で承知して居る処では
 - 第42巻 p.528 -ページ画像 
昨年六月頃、独逸・墺太利の勢ひが非常に盛んでありました際、中部欧羅巴の関税同盟と云ふことを独逸側が計画致しました、戦後には独逸・墺太利は勿論、夫れに巴爾幹諸国、スカンヂナビヤ、セルビヤ、デンマーク等を加へて、一大関税同盟を造つて、露西亜・仏蘭西・英吉利等を再び立つ能はざる窮地に陥れやうと云ふことを盛んに鼓吹致しまして、其当時に於ては、其の鼓吹に聯合国側は威圧された傾きがありました、夫れに対抗しなければならぬと云ふことから、伊太利・仏蘭西・英吉利の方の学者・政治家・商業会議所等が非常に研究を始めて、経済同盟と云ふことに就ての議論が盛に顕はれて居りました、而して此度仏蘭西政府の発議に依りまして、聯合国側の経済会議を巴里で開くことに成りました、其の目的は、戦争の未だ終局せざるに先だつて、戦後に於ける経済上の政策を定めやう、夫れを定める事に就て、聯合国の意見を交換して置かうと云ふ希望であります、夫れから又、戦時中に起つた種々の国際間の経済問題をも解決するの方法も講じやう、或は敵国即ち独逸の極東に於ける勢力を圧すると云ふことに就ても講究しやうと云ふやうな事が、重なる目的になつて居るやうで御座います、併し未だ詳しい議案其他は、日本の方に報告は御座いませぬ、唯各国各々如何なる問題を提議しやうかと云ふことを講究して居るやうで御座います、中には其の講究して居る議題の分つて居るものも御座います、要するに是迄の色々の会議の如く、一年も前から問題を出して、其の問題を充分に講究して行つて、向ふで其事の是非を決すると云ふ事とは違つて、集まつてから互に意見を戦はして、戦争中は勿論、戦後に於ても、聯合国の利害の一致するやう与に戦後の計をしたいと云ふのが目的であります。
 然るに日本の立場は、欧羅巴の国々と多少事情を異にする所があります、戦争に加入して居ると云ふ条、損害を被ることが甚だ少く、陸海軍の勢力は今日に於て少しも磨損して居りませず、戦争以前と同じ勢力を健全に維持して居ります、又財政上に於ても、却て戦時の変態として、輸入が減じて輸出は増加し、正貨は殖えると云ふ有様になつて居ります、亜米利加と日本とは、一は交戦国、一は中立国になつて居りますが、経済上の状況は略々相似て居ります、之れに反して欧羅巴の国々は、既に一日に一億と云ふやうな金を費やしつゝあつて、其の国債の如き、英国許りでも五百億近く、又戦時税の如きも、戦前の二十億に対し増税三十億と云ふやうな有様で、合せて五十億からの巨額に上つて居ります、斯様に戦後に復旧することの困難なる事情は、日本と大いに趣きを異にして居ります、玆に於て戦後の復旧を図るが為めに、今日よりして国民の奢侈を禁ずるとか、国内の生産を奨励するとか、航海の便宜を計るとか、色々戦後に処すべき事に就て、孜々汲々として攻究されて居るのであります、随つて此度の会議の趣旨は敵国の経済上の発展を圧すると云ふことが、其の目的の一つで、自国の戦争に依つて生じたる負担を処置すると云ふのが目的の二であります、此の二つの目的でありますが、日本は其の孰れにも深い関係を持たぬ位置に居るのであります。
 併しながら、既に交戦国の一に列して居る以上は、出来得る限り聯
 - 第42巻 p.529 -ページ画像 
合国の便利を図つて、其の交戦の目的を達しなければならぬ、而して交戦の目的を達した後には、成べく人道に基いて公平なる処置を執つて、昔の怨は互に忘れるやうにして、以前の状態に戻すことに尽力すべき位置に立つて居るのであります、併し既に交戦国の一たる以上は米国とは自ら異なる事情が存在して居ります、ソコで今日までに段々現はれた所を考へて見ますれば、既に英国の奢侈品の輸入禁止を始めとし、其他種々なる希望が議案として現はれるで御座いませう、就ては日本の今後の経済上の方針としては、成べく日本の経済政策を傷けぬやうにすると同時に、聯合国の便利をも図らねばならぬ事と存じます、凡て国際上の会議と云ふものは、一方の利益許りを考へては決して一致点を発見することは出来ませぬ、双方の利益を図らぬければ決して成立ちませぬ、夫れに就きましては、前申す通り日本は聯合国への義理合上、或る場合に於ては、多少の犠牲を払つても、聯合国の提議に同意しなければならぬ事もありませうが、其の場合には利益の交換でなければならぬ。夫れは単に此度の会議を予想しての原則であります。扨て此の原則は誰も言ひ易い。けれども之を実際に当て篏める問題になると、甚だ六かしいのであります。先刻も貿易協会で、其事に就て幹部の方々にお願ひして置きました。例へば一の染料問題にしても、京都や桐生辺の織物業者側の話を聞くと、染料はドウしても安くなくてはいかぬ。之れに重い関税を課しては困ると云ふ。又一方の染料会社を経営して居る人々は、戦後独逸に競争されては困るから、其の輸入を防遏すると云ふ考へを持つて貰はぬければ、政府から八朱の補助を貰つても効能がないと云ふ。どちらの議論も聞かして貰はぬと、私の智識が不足する訳であります。夫れは染料一つの問題でありますが、其外の有らゆる問題に就てもさう云ふ意見がありませうから竜門社の如き範囲の広い社員を有する処に於ては、皆様からお気附の方は、色々の御注文を書附けにして、其の書附に番号とお名前を附して私の手元にお届けを願ひたい。私の同行者としては、予ねて政府に申上げて然るべき人を選定して貰ひました。欧羅巴から出て来る連中は、商務院の総裁とか、農商務大臣とか、皆権力ある老練家が出て参ります。剰さへ巴里でありますから、電話にて数分間に自己の必要の智識を集めることが出来ます。何か日本の代表者が六ケしい事を言ひ出した。之れに対しては如何にすれば善いかと云ふ智識は倫敦の代表者も、伊国の代表者も直ぐに智識を集めることが出来ます。然るに日本の代表者は、出発以来三週間は殆ど交通を絶つて旅行の途に上り、さうしてさう云ふ便利を有する欧羅巴の代表者と相会して相談するのでありますから、充分なる人材を同行しなければならぬと云つて、大蔵省から矢部君、此人には関税の事を担任して貰ひ、夫れからもう一人書記官の田君、是れは銀行・金融・公債等凡て財政方面の事、夫れから農商務省からは鶴見君、是れは商工業其他軍需品・航海・電信・郵便等の問題を担任して貰ひます。逓信省から是非一人郵便・電信・航海の事を担任して貰ふ人を選定して貰ひたいと思ひましたが、逓信省の方では人を出し難いと云ふことで、今の処では此三君丈けであります。此三君は御承知の通り、大蔵省と農商務省で最も要部に立つて
 - 第42巻 p.530 -ページ画像 
種々の仕事をして居らるゝ人々でありまして、さう云ふ風に予め部門を分けて置きました。今夕御列席の方々は、電話でも何でも宜しい。自分の処では英吉利の輸入品の禁止で斯う云ふ困難をして居る。斯う云ふ事は斯うして貰ひたいと云ふことを、御遠慮なしにお書付けにして下されば、尚更ら宜しい。大蔵省に私の部屋がありますから、其処へ委員長阪谷宛で郵便で送つて下されば宜しう御座います。何うか五月一日出発前に纏めて行きたいと思ひます。先づさう云ふやうに部門を別けて調査致すので御座いますが、喩へて申しますと、軍需品の如き物でも、成べく日本の工業の力が許す限りはお引受になつたが宜からう、夫れに就ては、露西亜の財政が困難であるからと云つて、金融上の事ばかり心配するやうでは商売は出来ませぬ。既に亜米利加・英吉利に於て取引をして居る範囲に於て、諸君も御満足にお取引になつて宜しからう。何でも金貨を箱詰めにして持つて来なければ、注文に応じないと云ふ遣方では、商売は六ケしう御座います。夫等の金融上の事に就ても調べて見たいと思つて居りました所が、夫れは貿易協会の池田君が引受けて、銀行家と相談せられ、尚工業者と相談せられ、露西亜の注文には代金は延払ひでなくては困ると云ふ工業家の方ではどの程度までは一ケ年の中に出来ると云ふやうな話もありました。夫等は聯合会議に直接の問題ではないが、夫れを承知して居りますと、彼地へ行きましてから種々の問合を受けた場合に、私の申す口上と、向ふの人が東京へ聞き合すときの答と一致すると云ふことは、商売上最も必要であると考へます。
 其外、戦争が終ると、独逸・墺太利に対する通商条約と云ふものは新に締結しなければならぬ。媾和談判は聯合国協同で遣ると云ふことになつて居りますが、随つて此媾和が成立つた後に、商売上の条約に就ても或は聯合国間で相談して置かぬければならぬ事もありませう。夫等も此の会議の用件の一かも知れませぬ。例へば最恵国条款と云ふものは、今後独墺に対しては廃するや否、又独逸に対する税率は只今戦争に依つて廃棄せられて居る所の日独条約中に、斯う云ふことを加へて貰ひたいと云ふやうな事柄も承つて行きたいと思ひます、又共通銀行抔の論も出て居ります。共通銀行と云ふものは何う云ふものが出来るのか内容は知りませぬが、之れが果して孰れの国から提案されるや否やは未定であります。併しながら共通銀行と云ふからは、聯合国が成べく金貨を使はぬやうにしたい、聯合国に共通した銀行を拵へ、金貨の使用を制限しやう。或は倫敦とか巴里とかに中央決済の機関を設けやう、今の処では英蘭銀行が自然と中央決済機関になつて居りますが、夫れより一層便利な物を置かうと云ふ発議、是れが何処の政府から提出されるや否や分りませぬが、若しさう云ふ事になりますれば日本や為替の上に其の響きが及ぶ訳で、皆様の商売上にも関係を及ぼします。其外船舶の事に就きましても、英吉利の領地内には独墺の船舶は旅客貨物の揚卸しを許さぬとか云ふことを、倫敦の商業家が唱へて居ります。夫れは多数説か何うか分りませぬが、さう云ふ事も唱へられて居ります。是れも単に独墺の船舶にのみ限られ得るや否や、場合により日本の船舶業者に少なからざる関係を及ぼします。夫等は聯
 - 第42巻 p.531 -ページ画像 
合国の仲間に這入れば、便利を与へられるゝでありませうが、平和克復後は敵国も何もない。さう云ふ場合に何う云ふ待遇を受けるかと云ふことは直接に日本の船舶業者や商売人の頭に影響を及ぼします。
 又支那に於ける独逸の勢力を殺ぐと云ふことも、一つの問題でありますなら、独逸の勢力を殺いだ所が、其跡に日本の商品が這入るや否や、先刻も貿易協会で大分議論があつて、折角独逸を支那市場から駆逐しても、日本品が果して這入り得る力があるや否や、余程攻究を要する問題であります。此度は欧羅巴の戦争と同時に、支那には又意外の内乱が起つて居りまして、其内乱がどうなるか分りませぬが、段々新聞の報道に依りますれば、袁世凱氏の勢力が失墜して、南方の勢力が恢復しつゝあり、既に大統領の後任者に就て或は黎元洪と云ふ説もあり、岑春煊と云ふ説もあり、孫逸仙と云ふ説もあり、各々其の信ずる所の友人が其の後任者を擬して居る有様であります。果して支那の内乱が、袁世凱氏が単に退隠した丈けで、支那政府が変更を起さずに済むか何うか、或は政府が一旦潰れて更に新規なる組織をしなければならぬか。袁世凱氏一人の退任に止まつて、支那政府に変動なしとすれば、内乱の恢復は非常に早いでありませうけれども、新聞の伝ふる所に依れば何うやら変動がありさうに思はれる。果して現在の支那政府が破滅して、南京政府が新に出来るやうな事になりますと、秩序の立つまでに時日を要し、商売上にも非常の影響があります。欧羅巴の大乱と与に、斯の如き内乱が支那に起つたと云ふことは、誠に容易ならぬことでありますが、併しながら既に起つた以上は、其問題を成るべく世界的に有利に、日本にも有利なるやうに収まりを着けると云ふことは、隣国の義務であります。夫れに就きまして、今度の経済会議に顕はれる問題に就ては、支那に対する日本の態度の公平なること、日本は決して支那に対して少しも野心がないのみならず、支那の内乱を最も公平に収まりの着くやうに、さうして支那に於ける商売上に於ては、日本の優越したる地位を列国に了解して貰ふと云ふことは、最も大切なる機会と存じます。
 さう云ふ凡ての問題が此度の経済会議に集中致すであらうと思ひます。一面から考へると甚だ漠然たる会議のやうでありましても、行つて見ると存外の問題が起るかも知れませぬ。或は何等決議する事がなくして事に依つたらば委員でも設けて能く調べると云ふことになるかも知れませぬが、兎に角向ふの事情を聞いて此方の事情を話すに就ては互に了解する所があつて得る所が尠からぬであらうと考へます。
 併しながら、斯かる大切のお役目でありますで、私が其任に当るに就ては自分は恐縮して居ります。到底其任に堪え得べき資格はないと考へて居りますが、段々私から、誰方かお出になる方がありませぬかと政府の人にお諮り致しました。所が或は年を取つて居らるゝとか、其他色々の都合で是非お前が行つて呉れぬかと云ふことでありますから、何うも外に行く人がないと云う以上は、今日の場合敢て労を辞すべきでないと考へまして、又日本から代表者を出すと云ふことは、非常に利益でもあり、又さうせねばならぬ事と考へましたから、微力ながらお請け致したので御座います。夫れに就きましては、各省の実務
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に当り居らるゝ外の専門の老功者を選抜して連れて参りまして、与に其事に当るやうにしたい、尚ほ、日本内地にも、自分と連絡を保つ所の相当の機関がなければならぬと云ふので、不日発表になるべき経済調査会、是れは日本の有力なる実業家・工業家・学者五・六十名を集めて、大隈総理大臣が自ら会長となり、大蔵大臣・農商務大臣が副会長となつて、有らゆる経済上の調査を為す機関であります。是れは従来の委員会と多少趣きを異にして、部門を五つか六つに別けて、其の道々の人を喚出して、親しく其説を聴くと云ふ組織でありますから、船舶の事に就ては斯う云ふ苦痛がある。又保険の事に就ては斯う云ふ苦痛があると云ふことを、其の部の委員に就て述べますれば、随て夫れが議題となり、尤もの事であるとなりますれば、夫れを直ぐに総理大臣から関係の各省に移して、其事の改善なり実行を求めると云ふ仕組でありまして、而して此会が私の方と始終連絡を保つことに成ります。玆に於て私は大きに責任を果たす上に於て、自分の足らざる所を補はれると云ふ次第であります。即ち有力なる五・六十名の現代の経済方面を代表する人々が相集まつて、一の機関を組織し、而して夫れを、一国の総理大臣・大蔵大臣・農商務大臣が統べられて、日本経済界の参謀本部となり、さうして海外に特派されて居る所の者と相待つて、日本の戦後の経済策を考究し、其実行を計ると云ふことは、至極結構の事と思ひます。
 さう云ふやうな訳で、自分の微力で不相当の役を引受けて行きまするが、何うか皆様方から、前申上げまする通り充分の御注意を願ひたい。過刻も貿易協会でお話致しましたが、之まで日本の遣り方は、兎角斯る事柄まで秘密主義で、広く世間に計ると云ふ事が、動もすると欠ける傾きがありましたが、今度は世界的の相談に与つて、世界的に会議する次第でありますから、さう云ふ狭い事では行きませぬ。貿易協会なり、商業会議所なり、銀行業者なり、又我竜門社の如きは公の会ではないが、兎に角、斯の如き有力なる商工業家多数集りたる団体と云ふものが、挙げて私の任務の後援をして下さつて、言はゞ阪谷が使ひに行くのではない。竜門社なり、貿易協会なりが、自ら巴里に出張して居ると云ふお考へになりまして、事実上充分なる国民の後援がありますれば、自然経済会議に於て、国民的態度を執ることが出来ます訳で御座います。今日独逸の強いのは、上下一致して、有らゆる知識を纏めて応用して行く所に在ると思ひますが、諸君の後援がありますれば、其方法に近寄ることが出来はせぬか。夫れを特に今夕の諸君に願ひます。勿論国民全体と与に相談して行くと云ふことも出来ませず、又有力なる経済機関の全部の人と相談すると云ふことは到底出来ませぬから、只其の幹部若くは重もなる方々の意見を承る外は御座いませぬが、何うか阪谷が巴里へ行つて居るのではない。日本の経済機関の全部が其処に頭を現はして居ると云ふ形に致しまするやう、皆様が只後援と云ふお言葉許りでなく、手紙なり何なりで御遠慮なしに、此事は阪谷に知らして置かふと云ふお考へを以て、御後援下さることを願ひます。固より商売上の事は銘々従事なさる事丈けお守りになれば、夫れが自然全局に及ぶ訳であります。服部さんは時計の事。私の
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方へはスプリングが来ないで困ると云へば、何かの機会に向ふで其話を致すこともありませう。又清水さんは鉄材不足で困ると云ふやうに御自分の持場々々に就て直接に感じて居らるゝ事丈けを、遠慮なしに申して下されば宜しう御座います。今日は学者の説かれる学説を論ずるのではない、直に実際問題を曝け出して、利害得失を論ずる場合であります。阪谷に此事を言つて置かぬと自分の仕事に不利を来しはせぬかと云ふお考へで熱心であらねばならぬ、書面には服部第一号と云ふやうに一々番号を打つて下されば、至極便利であります、そうすれば電信で往復する場合に至極便利であります、大阪・神戸・名古屋・京都此四ツの商業会議所の幹部諸君とも、打合せて置きました。又東京の方はドチラからでも通信出来ませう。今夕は竜門社の評議員及び重もなる方々のお集まりでありますから、何かお気附がありますればお名前と番号を打つて、私に手紙なり何なりお渡して貰ひたい。及ぶ限りは尽力致します、但し必ずしも御注文通りにすると云ふ訳に参りませぬ。多少の斟酌を加へることも御座いませう。実は今日は自分の方からお願ひしても、お話を承りたいと考へて居りました。却て御馳走になり、且つ御鄭寧の御挨拶に与りましたのは、重ねて玆に感謝致す次第で御座います。