デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.638-640(DK420107k) ページ画像

大正7年3月8日(1918年)

是日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カレ、栄一出席ス。引続キ蘆田均帰国歓迎晩餐会催サレ栄一挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK420107k-0001)
第42巻 p.638 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
三月八日 曇
○上略 夕方帝国ホテルニ抵リ、竜門社評議員会ニ出席ス、蘆田均氏ノ露国視察ニ関スル談話アリ、夜十時散会○下略


竜門雑誌 第三五八号・第九〇―九二頁 大正七年三月 ○本社評議員会(DK420107k-0002)
第42巻 p.638-640 ページ画像

竜門雑誌 第三五八号・第九〇―九二頁 大正七年三月
    ○本社評議員会
 本社に於ては、三月八日午後五時より、帝国ホテルに於て、評議員会を開きたり。評議員会長阪谷男爵、会長席に着きて開会を宣す。幹事八十島親徳君、先づ第一号案大正六年度収支計算を報告して、其の承認を求めたるに満場一致を以て之を承認し、第二号案会員申込諾否の件、及第三号案会員種別編入替諾否の件は、原案通り全部承諾に決し、第四号案春季総集会開催の件は凡て幹事一任に決し、是れにて議案全部を議了し、阪谷男爵の挨拶ありて、評議員会を終れり。当夜出席せられたる評議員は即ち左の如し。
    青淵先生
      評議員(イロハ順)
    星野錫    穂積重遠
    土肥修策   尾高次郎
    脇田勇    上原豊吉
    植村澄三郎  八十島親徳
    山口荘吉   明石照男
 男爵 阪谷芳郎   清水釘吉
    諸井四郎   白石元治郎
 引続き別室に於て晩餐会を開きたるが、出席者は青淵先生及前記評議員諸君の外
      来賓
     蘆田均
     遠藤柳作
     篠原三千郎
      出席者(席次不同)
    斎藤峰三郎  諸井恒平
    清水一雄   山田昌邦
    服部金太郎  桃井可雄
    高松豊吉   竹山純平
      (以上前評議員)
    渋沢武之助  渋沢正雄
    阪谷希一   横山徳次郎
 - 第42巻 p.639 -ページ画像 
    増田明六   白石喜太郎
    矢野由次郎
 の諸君にして、評議員土岐僙君は晩餐会後出席せられたり。デザート・コースに入るや、青淵先生には起ちて、左の如き挨拶を述べられたり。
    青淵先生の挨拶
  今晩の会は誠に喜ばしい宴会で御座います。因つて私は一言の歓びを述べたう御座います。蘆田君が露西亜より御帰りになりました其事は先達て承知致しましたから、一度小供等と与に相会して、露西亜の御話を承りたいと望んで居つたので御座います。然るに夫れでは範囲が狭い。幸に竜門社の評議員会を開く用があるから、此の機会に於て蘆田君に御出を願つて、皆様と共に御話を伺ふが宜からうと云ふ話がありました。夫れでは小を捨てゝ大に就くが宜からうと云ふので今日の会が開かれた訳で御座います。同君を御迎えすると同時に、特に送別会ではないが、阪谷男爵が此度支那に出掛けらるゝことになつた。但し是れは所謂漫遊の事ゆへ送別会はお断りすると云ふ。併し唯健康を祝するだけならば、阪谷男爵に於ても強ひては辞退するにも及ぶまいと思ふ。故に此の機会に於て、無事で壮健に御帰りなさるやうにと云ふことは懇親を妨げることにもなるまいと思ふ。
  殊に今夕の宴会の喜ばしいと云ふことは、蘆田君・遠藤君・篠原君は武之助・正雄と同窓の学生で、共に議論ばかりして居られた方で御座います。其時の理想が実現したか何うかは知らぬが、蘆田君は露西亜の大使館に、遠藤君は朝鮮総督府に、又篠原君は実業家のチヤキチヤキにお成りなされた。此等の方々と共に玆に相会して、一夕の歓を尽すと云ふことは是れより嬉しいことは御座いませぬ。蘆田君のお帰りを祝し、併せて阪谷男爵の健康を祝します。
 之れに対し、阪谷男爵の謝辞あり。食後蘆田均氏の露国談あり。
  露国の神権政治なるものは、露国固有のものに非ずして、国境希臘より輸入し来れるものなり、露国民その者は極めて共和的な国民なりき、王の即位する時、若くは王妃を迎へし際には、露台の上に乗りて、人民の前に誓言せるにても明かなり。露国が専制政治の域に入れるは、ピーター大帝以後の事なり、帝は「国家の繁栄を図らんと欲せば、先づ無知なる国民を教育せざる可らず」てふ見地より命令的に全国民に臨めるなり、最初は此見解が極めて有力なる効果を奏しつゝありしも、漸次星霜を経るに従つて、其より生ずる悪弊は、駸々として国家に深く根差すに至れり。
 とて露国古来の歴史より、漸次談を近世の経緯に移し、貴族と平民との争ひに及び
  貴族は恣に広大なる土地を占有し得るの権利あるも、平民は此種の権利なきが故に、不平の血は迸つて、屡々大農たる彼等の邸宅を襲ひ、放火して其鬱憤を洩すなり、「赤き牝鶏が飛ぶ」とは、放火して燃え盛る火炎を形容せる彼等農民の恐るべき隠語たるなり。露国今日の革命は一朝にして成功せしに非ず、彼等の心頭には古き以
 - 第42巻 p.640 -ページ画像 
前より、従来の圧制政治に対する深き怨嗟が、偶ま千載一遇の機会を得て其功を奏せしのみ。
 とて談は次第に錯綜せる露国革命の過現に渉り、皇室の内情、貴族の生活、政治界の変遷を縦横に詳述し、加ふるに氏自ら見聞せる内乱当時の露都を以てしたれば、露国の状況、恰も髣髴として目に見るが如し、斯くて約二時間にして午後九時半、一先づ講話を打切り、それより蘆田氏の発意により、一堂の諸氏よりそれぞれ胸襟を開きて、氏に質問を試みたるが、其中
  日露戦争の当時は、既に其以前より革命の気全国に溢れつゝありたりと云へる氏の談に対し、青淵先生は、然らば日露戦争に吾れ勝利を得たりとて、余り世界に威張れもせずと哄笑せられ、又露国の内訌は最も珍奇なるものにして、即ち敵味方共に相対して将に竜虎搏撃を演ずる前、先づ両々陣頭に立つて激しく議論し合ひ、我が主張は斯々なり、然るに汝の主義は如何など、甲論乙駁火花を散らして論争せる結果、彼の説是なりと思へば、汝の主義は尤也、然らば我れ汝と共に行動せんとて、昨の敵は今の味方となり、今の味方は明日の敵となると云へるに対し、青淵先生は、左様のことは通俗三国誌にも見ゆ、両軍対陣して先づ議論を闘はし、然る後に一戦すべしと云ふが如き、確に三国誌の記事と符号を合して面白しと云はれたるより、満堂思はず洪笑す。
 其他数氏より種々興味ある質問続出する毎に、氏は一々明快なる言辞を以て之に応答し、談笑益々一堂に熱して、興愈々限りなきも、夜は更けたり、よつて厚く氏の労を謝し、其散会せるは、十一時に近かりき。